●かんべえの不規則発言



2009年6月






<6月1日>(月)

○結局、最終日になってGMは連邦破産法適用を申請しました。最大手の自動車会社が経営破たんするというのに、意外感はほとんどなしに等しい。株価も上昇している。ということは、この間の政権側のコントロールがいかに巧みだったかということで、お見事なソフトランディングといえましょう。最初に非上場で簡単なクライスラーで小手調べをして、フィアット社に売り飛ばす。GMは債権者や労組などと複雑な交渉を行い、最後は国有化で落とす。チャプターイレブンは会社を身軽にし、経営再建を助けてくれる武器というもの。どうも最初からそんな風に思い描いていたように思われます。

○今回の事態は、オバマ政権にとって初の本格的な試金石でした。オバマはこの挑戦を乗り越えつつある。「最初の100日」には、こういう難題は起きなかった。しかし平坦な状態では、「支持率が6割キープ」といっても喜んではいられない。トラブルを乗り越えてこそ、国民の信任は高まるし、政権の安定度は増す。この後はカッコいい演説を決めて、理解を求めるつもりでしょう。

○ただし、GMの今後が順風満帆なわけではない。聞くところによれば、オバマ政権の自動車問題チームは、投資銀行家や弁護士など金融がらみの人ばかりで、製造業のプロは手薄らしい。これでは財務のリストラはできても、ビジネスのリストラ、つまり「売れるクルマ作り」ができるかどうか。それができないのであれば、国有自動車会社(Governmental Motors)はいたずらに税金を失うばかり、ということになるかもしれない。それは今後の問題となる。

○とりあえず分かったことは、オバマ政権は危機管理が上手い。途中で馬脚を現すようなことがない。その一方で、「何がしたいのか」が見えにくい。今回のケースでいえば、「アメリカに自動車産業を残したい」「雇用の喪失を避けたい」という思いが強かったのだろう。そのために敢えて国有化に踏み切った。ところが「自動車会社を経営したくはない」とも言っている。察するに、社会主義的なやり方ではダメだと知っているのだろう。かといって、レッセフェールと見放すつもりもない。イデオロギー色が薄く、現実主義的なのがオバマ大統領の特色だが、着地点をどのように考えているのかは見えにくい。

○難題にぶち当たったときのオバマ大統領は、今後もこんな風に乗り越えようとするのだろう。@周知を結集して、慎重に物事を運ぶ。A思い込みを持たず、柔軟に対応する。Bことの是非はさておいて、ダメージの最小化を目指す。――こういうやり方に対して、「大統領の主張が見えない」「そもそも彼は何がしたいのか」的な批判は付きまとうでしょう。

○さて、オバマ大統領にはもうひとつの安全保障上の難題が待ち受けている。それが北朝鮮への対応で、こちらも相当に「筋ワル」の問題である。GMで見せた手法からいくと、「毅然とした外交」とはならないと思うが、さていかに。


<6月2日>(火)

○ガイトナー財務長官が、GM問題が決定的に重要なこの瞬間に、なぜかワシントンにはいないのですね。彼は今北京で、胡錦濤、温家宝、王岐山などの中国首脳と会談している。かつて自分が学んだ北京大学で講演をしたり、かつて自分の父が勤めていたフォード財団を訪問するというから、ちょっとしたセンチメンタルジャーニーでもありそうです。目的は、7月第3週に「米中戦略・経済対話」の初回会合が行なわれるので、事前打ち合わせというのが触れ込みですが、このタイミング、ちょっと不思議ですね。さて、どんな理由があるのでしょう。

(1)いよいよ長期金利が上昇気味なので、「米国債をよろしくね」「ドルは弱くしないからね」と念を押す必要があったから。

(2)もともと財務省が仕切っていた「米中戦略経済対話」(SED)を、ヒラリー国務長官が割り込んで「米中戦略・経済対話」(SAED)という2部制の仕組みにしてしまった。つまり国務省との権限争いがあるから、訪中してパイプを太くしておきたかった。

(3)実は対北朝鮮向けの金融制裁の相談をしている。ガイトナーは以前、NY連銀総裁として、バンコデルタ向け制裁の解除を担当したことがある。GMの処理はめどがついたから、今度は外の危機管理だ。

○いろいろ勘ぐりたくなるところです。なぜかっていうと、日本が素通りされてしまうから。うーん、またかよ、って感じですな。


<6月3日>(水)

○日本の地方中核都市というと「札仙広福」であるが、このうち札幌と福岡への出張は飛行機以外には考えにくい。そして仙台は新幹線に限る。で、広島は微妙なところである。もちろん飛行機の方が早いけれども、広島空港は市内からクルマで約1時間を要する一方で、新幹線は広島駅が非常にアクセスの便が良い。まあ、移動時間に仕事がしたければ新幹線、休養が取りたければ飛行機、といった選択になるでしょう。もしもワガママが通るようであれば、行きは新幹線の中でその日の仕事の準備をし、帰りは軽くビールでも飲んでから飛行機で、というのが理想だと思います。

○本日の日帰り広島出張は、往復とも飛行機だったのです。3年連続で、ひろぎん経済研究所さんの講演会に呼んでもらったものですから。その際に、主催者側から「JALにしますか、ANAにしますか」と聞かれて、発着の時間は両方とも似たようなものだったのですが、「たまにはJALにしておくか」と思って返事をしたのが運のつきでありました。いつもであれば、「選べるんだったらANAにする」ことが多いんですけどね。

○今朝、羽田空港第1ターミナルに着いたら、なぜか大混雑になっている。でも、電話で話をしながら歩いていたお陰で、事の重大さにまったく気がつかないワタクシ。テレビ局のクルーが、カメラを担いで取材に来ているのを見て、初めて「これは変ではないか」と気づく。なんと朝からJALのシステムダウンが発生。機械でチェックインができないので、カウンターの前には長蛇の列ができている。ところが久しぶりの手作業に慣れないらしく、この行列がまったく進まない。ワシが乗らなきゃいけない便は、あと20分で出てしまうのだけど、ああこれはどうしたらいいのかと列の最後尾で焦る。

○迷った挙句、行列を無視して先頭に割り込むことにして(もちろん周囲の顰蹙は覚悟の上)、カウンターで強引に頼み込んでチェックインをしてもらう。そこから手荷物検査場を駆け抜けて、全速力で走ったら、ちょうど出発時刻であった。ああ、間に合ってよかったけど、あんまり褒められたことではなかったなと反省していたら、案の定、遅れてくる乗客を待つために飛行機はなかなか飛ばない。結局、1時間遅れで離陸。広島空港に着いたのが講演開始の1時間前。いやー、怖かった。この次の仙台出張は何事もありませんように。

○それにしても、今の羽田空港はあまりにも広くなり過ぎたために、「JALがダメならANAに乗り換え」という手が使えないのですね。今日のようなシステムダウンが起きてしまうと、本当に手の打ちようがない。行列で待っている人の中には、「朝一番の便を逃してしまったので、次の便に乗れるかどうか、ダメモトで並んでいる」という人もいらっしゃいました。それってちゃんと払い戻してくれたんでしょうか。いやはや、大変な情景でありました。

○ところで現在、広島カープは8連勝中で(今宵は日ハムに負けたようですが)、交流戦が絶好調の様子。その一方でセ・リーグの他球団は精彩を欠いています。ひとつには、カープは普段から移動で苦労しているために、パ・リーグ各球団の所在地を連戦するのが辛くないのかもしれません。なにしろパ・リーグは、札幌、仙台、福岡を含んでいる上に、千葉に所沢という楽そうで実は面倒な場所を含んでおりますからな。飛行機か新幹線か、JALかANAか、仕事かビールかなど、移動の悩みはまことに尽きないところであります。


<6月4日>(木)

「6月4日のカイロ演説で、オバマはイスラム世界に向かって何を語るのか。あるいは何を語るべきで、何を語ってはいけないのか」

○以前から、アメリカの外交サークルの中では、こんな議論が繰り広げられていました。例えば、昨日のThe New York Timesでは、リベラル派のオルブライト元国務長官が、「イスラム教徒がアメリカの政策を新しい目で見るように説得しなければならない」「国内に向けても、イスラムを理解する必要を説くべきであろう」などと述べている。他方、Wall Street Journalではミスターネオコンことウォルフォヴィッツ元国防副長官が、「オバマは不快な事実も指摘する必要がある」「真の安定は民主主義で達成されることを明確にすべき」などと主張しています。

○今のアメリカ外交にとって、最大の懸案は中東政策にあることは疑いの余地がありません。イラクからの撤退、中東和平、アフガン戦争、イランの核開発、どれひとつとっても、政権をひっくり返しかねない重大テーマです。これらの問題すべての背景には、「アメリカとイスラム社会の相互不信」という構図がある。これをどうやって和解させるか。経済援助をばら撒くとか、ブッシュ路線を否定するとか、その程度のことでどうにかなるような次元でなくなっていることは、もはや自明といっていいでしょう。

○ここでアメリカ外交が繰り出す切り札が、「オバマのカイロ演説」である。もちろんそんな大それたことが、1回の演説で実現するはずもないのだが、「オバマなら、何とかできるかもしれない」という期待が内外にある。それは彼が魅力ある政治家であり、ソフトパワーを志向する雄弁家であり、過去に何度も「言葉の力」を発揮してきたから。そしてミドルネームがフセインといい、ケニアのイスラム教徒の倅であるからだ。


(ということで、本日午後7時10分から約1時間にわたって行なわれたカイロ演説を、アメリカ大使館内で拝聴してまいりました。といっても、テレビでCNNを見ていただけなんですけどね。それでも演説のドラフトは同時進行で頂戴しましたし、軽食にコーヒーのサービスもご馳走様でした。広報・文化交流部さんのご好意に感謝しつつ、以下の感想を記させていただきます)


○何よりもカイロ演説は、満を持して行なわれたものであった。4月5日の核廃絶演説が冷戦の主戦場たるプラハで行なわれたのと同様に、6月4日の対イスラム和解演説の舞台としては、最も歴史の古いカイロの大学が選ばれた。この辺のシンボルの使い方が、いつもながらにお上手です。そしてオバマ大統領は、この演説の中でコーランの引用やみずからの体験、歴史的事実などを総動員しながら、イスラム世界への渾身のメッセージを送っている。

○ここで述べられているメッセージは7点にわたる。「言わなければならない」課題はほぼ網羅しているといっていい。

(1)イスラム過激派:アメリカはイスラムとは戦わない。でも9/11で3000人を殺害したアルカイダは正当化できない。アフガン派兵も望んでやっていることではない。イラクからは撤退する。拷問は禁止するし、グアンタナモも閉鎖する。過激派がイスラム社会で孤立することが重要。

(2)中東和平:アメリカとイスラエルの結びつきは不変である。それは歴史的経緯による。ただしパレスチナ人も、過去のユダヤ人と同様に悲惨な状況にある。暴力は問題解決の手段にはならず、イスラエルとパレスチナは共存しなければならない。アメリカはこれ以上の入植活動を受け入れないし、エルサレムは共有の聖地であるべき。

(3)核開発:イランの核開発は許されない。不公平だという声もあるが、核のない世界こそが理想である。

(4)民主化:政府は人々の意思を反映すべき。そうであってこそ政治は安定する。

(5)信仰の自由:イスラム教の寛容の精神に期待する。

(6)女性の権利:われわれの娘たちは、われわれの息子たちと同様な貢献ができるはず。

(7)経済開発と機会:開発と伝統は両立する。教育や経済開発、科学技術などの点で支援を惜しまない。相互利益と相互尊重が必要である。

○これに対する会場の反応が興味深かった。最初のうちは、コーランを引用した部分で拍手が起きる程度だったが、だんだん慣れてくるとムバラク政権に対する強烈な嫌味である(4)の部分や、いかにもイスラム世界で物議を醸しそうな(6)の部分でも、盛大な喝采が生じていた。かと思うと、(2)の部分ではときどき空気が凍ったし、(5)もほとんど反応がなかった。やっぱり「言うべきことを言う」というのは、とっても怖いことなのです。

○オバマ政権が発足してから、まだ4ヶ月と少々に過ぎませんが、これまでに行なってきた決断の多くが、この演説の中に盛り込まれていることが見て取れます。例えばイラン国民へのビデオメッセージ(3月20日)や、プラハでの核廃絶演説(4月5日)などは、今から思えばこの演説のための伏線であって、間近に迫ったイラン大統領選挙(6月12日)へのインパクトを狙っていることは想像に難くありません。用意周到ですね。

○また、イラクからの撤退、拷問の禁止、グアンタナモ閉鎖などの決断も、その都度「理想主義過ぎる」という批判はあったものの、こうやってまとめて語られてみると、アメリカ外交に筋の通った正当性と、道徳的規範の力を与えていることが分かります。特にイスラエルが激怒しそうな内容を多く盛り込んだところは、大変な勇気と言ってよいでしょう。入植活動やエルサレムの地位については、かなり踏み込んだ発言をしています(大丈夫かな?)。

○本日のカイロ演説を批判することは、きわめて容易だと思います。「ソフトパワーには限界がある」という類の議論は、誰でも展開することができる。端的にいえば、「世界にはキムジョンイルだっているしねえ」と言った瞬間に、異議申し立ての証明は不要となります。その一方で、「だからこの演説はムダ」というものでもない。少なくともカイロ演説には、ソフトパワー批判をする人を小さく見せるような、構想の雄大さと政治的勇敢さがあったと思います。

○思うにオバマの対話攻勢外交は、「話せば分かる」という理想論の上に成立しているのではなく、「でも、正直に話してみるしかないじゃないか」という割り切った姿勢があるのでしょう。中山俊宏准教授が以前、言っていましたが、「オバマほど人間同士が分かり合えないことを知っている人はいない」「なぜなら彼の人生そのものが、そういうことの連続であったから」。おそらくオバマに向かって、「ソフトパワーごときに何ができるのか?」とじかに問いただしたら、「そんなこと、やってみないと分からないじゃないか」という反応が返ってくるような気がします。

○GM処理の手法から見えてきたことですが、オバマ政権は最初から着地点を決めるようなことはせず、周囲の反応を窺いつつ、少しずつ先の行動を定めていきます。今回も、イスラム社会を説得しようなどという高望みは持たず、「これでどんな反応があるか」をじっくり見ていくことでしょう。用意周到で慎重、謙虚で柔軟、適度に懐疑的というのがオバマ流です。

○最後にもう一点だけ。カイロ演説には1箇所だけ「日本」が登場します。それは以下の部分。

But I also know that human progress cannot be denied. There need not be contradiction between development and tradition. Countries like Japan and South Korea grew their economies while maintaining distinct cultures. The same is true for the astonishing progress within Muslim-majority countries from Kuala Lumpur to Dubai. In ancient times and in our times, Muslim communities have been at the forefront of innovation and education.

○経済成長があっても、固有の伝統は維持できるという例として日本と韓国が使われているわけです。聴いた瞬間に、「やっぱり僕らって、変わっていると思われていたのか!」と笑ってしまいました。まあ、反論はしにくいですが。特にカイロ演説のラストでは、「コーランいわく、タルムードいわく、聖書にいわく」と3つの宗教の共通項が語られていて、こういう部分を聞くと「うーん、対立はしているけど、皆さん同じ一神教なんですねえ・・・・」

○ついつい長くなりましたが、考えさせられるところの多いカイロ演説でありました。


<6月7日>(日)

○今日は町内会の清掃の日。朝からドブさらいに精を出す。天気が良かったのは祝着というべきで、ちゃんと乾いてもらわないと、作業がはかどらないのです。それにしても、各戸総出で草むしりに防犯灯の整備などに精を出すわが町内会というのは、おそるべき結束力といえましょう。しみじみ今年は日曜日に仕事がなくてよかった(去年はサボっているのだ)。

○一方で、原稿書きやら講演の準備やらはあるので、そういう意味では昼間から打ち上げのビールを飲み過ぎるのは困ったものである。家に帰ってから少し寝て、「安田記念」を見て、酔いが醒めたところで仕事再開である。そういえば明日は「モーサテ」もあって、朝が早いのだ。


<6月8日>(月)

○こんなコラムを寄稿しましたのでご参考まで。

●日経マネー&マーケット「経済羅針盤」

実務的で現実主義――GM破綻処理から見る「オバマ流」政治( 09/6/8)

http://markets.nikkei.co.jp/column/rashin/article.aspx?site=MARKET&genre=i2&id=MMMAi2000008062009 


○今朝の日経にも同様な記事が出ていましたが、オバマ政治を語る材料がようやく出揃い始めた感があります。理想主義者に見えて現実主義者、カリスマ指導者に見えて意外と調整型、若いくせに老練、大胆なようで慎重、とにかく「曲者」だと思います。そういえばヒラリーも、今ではすっかり心服しているようでありますな。


<6月9日>(火)

○先週お世話になったアメリカ大使館からリンクのお知らせ。ズムワルト臨時代理大使はブログをやっていて、下記はカイロ演説についてのエントリーです。

●米国とイスラム世界の関係―新たな始まり

http://japan.usembassy.gov:80/zblog/j/zblog-j20090609a.html 


○イスラム世界との対話は、日本のアメリカ大使館でも日常的に行なわれているようです。文明や宗教の違いを乗り越えるのは、それ自体が面倒でしんどい作業でありましょう。それでエイヤッと乱暴をしてしまうのもアメリカなら、辛抱強く対話をするのもアメリカである。大きくふれた振り子がまた戻ってきたのかな、という気がしました。


<6月10日>(水)

○5月8日のストレステスト結果発表からこの方、アメリカの金融不安は峠を越したという雰囲気が漂い始めている。不健全行は皆さん、自力で増資ができたので危機感は遠のいた。そして優良行は、一斉に公的資金の返済に動き始めた。もともと米財務省としては、TARP資金の残りが少なかったので、「ここであんまり悪い評価を与えてしまうと、公的資金が足りなくなるかもしれない」という恐れがあり、ついついテストの結果を手加減したという経緯がある。

○つまり、「生徒を落第させることのできない先生が、見かけ上は厳しく振舞っていた」のだが、実際につけた点数は甘いものであった。生徒たちは、「なーんだ、この程度なら、テストの心配なんていらないじゃん」などと増長しはじめた。結果として公的資金が戻ってくるので、米財務省としてはTARP資金が充当されることになる。さて、これを喜んでいいのか、悪いのか。

○でも、昔に戻って考えてみよう。本当はTARP資金なんて、全然足らないのが実態だったのではなかったか。GMの処理か何かが原因で、実体経済が二番底をつけるようになったら最後、ストレステストが想定していないような景気情勢となり、金融安定化は「ハイ、やり直し」となってしまうだろう。

○とりあえず、こんな風に楽観ムードが流れてしまうと、PPIP(官民不良債権買い取りファンド)が動かなくなってしまう恐れがある。銀行のB/Sは見かけ上は健全だということになれば、不良債権を処理する必要もなくなる。だったらPPIPなんて制度は無用の長物だ。金融機関は「ウチの経営は安全です、心配ご無用」と言い出すので、不良債権処理は進まなくなる。でも、実態は以前と変わらないのであります。

○このプロセス、まさに日本が経験したことでありました。ロバート・フェルドマン言うところのCRICサイクルですな。つまりこういうことです。


Crisis:危機が発生する

Response:対策が打たれる

Improvement:改善が見られる

Complacency:自己満足して怠慢になる


○どうも最近のアメリカは、このComplacencyに陥りつつあるのではないか。ということは、近いうちに再び危機=Crisisが訪れるということになる。フェルドマンさん、この点をキチンとガイトナーさんあたりに伝えておいてくださいよ。G8財務相会合で、欧州に説教している場合じゃないってね。

○しみじみ思うことですが、われわれも他人のことなら、岡目八目でちゃんと分かるんですよねえ。


<6月13日>(土)

○実家がすぐ近所で、小、中、高、と一緒だった同級生が、地銀の地元店の支店長になった。でもって、支店の周年行事があるから、お前、講演会の講師で来てくれ、と言う。面白がって、ホイホイと引き受ける。考えてみれば先月が北陸電力で、今月が北陸銀行。何かと言うと富山に行ってますな。

○当人にとっては、これが3つ目の支店長なんだそうだが、自分が生まれ育った土地の支店というのはまことにやりにくいという。そりゃま、そうだろう。「あんたの子供のときのことを覚えている」とかお客に言われた日には、力が抜けてしまいますわな。その一方で、昔の同級生が事業をやっていたり、客先に先輩やら後輩やらが縦横無尽にいたり、面白いこと、都合のいいこともあるのだとか。ま、それは講師を引き受ける側も同じことでして、地元で呼んでもらえるのはありがたいことですが、同時に照れくさくて、やりにくいものであります。

○ということで、銀行さんのパーティーに付き合ったお陰で、地元経済の最近の動向についていろんな話を伺った。「両面に鱒がのっている鱒寿司がヒットしている」とか、「最近の若い人は冬場に『雪がこい』をしてくれないので、造園業者が困っている」とか、「景気対策で北陸新幹線と道路に予算がついたけど、地元の業者にはカネが落ちてない」とか、「ほかは全部不況だが、薬品業界だけはわりと景気がいい」とか、そういう話である。

○で、支店長になった元同級生を見ていると、髪の毛は白くなっているのだが、基本的な立ち居振る舞いというものが小学生時代と全然変わっていないのは驚くばかりである。お互いに50歳近くなっているのに、この変わらなさは一体なんなのか。三つ子の魂百まで、というのは、こういうことかと痛感する。おそらく先方の目には、ワシのことが同様に映っているのであろう。「コイツ、まったく昔のまんまだわ」などと。

○移動中に『できそこないの男たち』(福岡伸一/光文社新書)を読んでいたせいか、「遺伝子とは、つくづく恐ろしいものよのう」などとしきりに感じる。われわれは自由に生きているつもりでも、あるいは日々進化しているつもりでも、きっとこの先祖伝来のプログラミングの範囲内で生かされているのであろう。ちなみにこの著者の本は、先日も『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を読みましたが、ついつい嵌りますね。


<6月15日>(月)

○TV東京『モーニングサテライト』、2週連続で登場しましたが、だんだんこの仕事のコツが分かってきました。それは、「最後の『今日の経済視点』以外、誰も発言内容を覚えていない」ということ。午前6時30分過ぎ、番組終了間際に、コメンテーターがフリップにその日のキーワードを書いて、キャスターとの掛け合いで1分ほど話をする、というアレです。

○モーサテのコメンテーターは、1回の番組で5回くらい発言の機会があります。その日の日経新聞1面を語る「日経朝特急」やら、東京ビジネスニュースの際に挟む一言やら、「おNew経済」へのコメントやら、いろいろです。特に月曜日は1週間の始まりなので、「海外予定の注目解説」と「国内予定の注目解説」をしなければならず、毎回、何を選ぶかで頭を悩まします。今朝の場合は、「鉱工業生産」(米)と「月例経済報告」(日)にしましたが、こんなものに正解があるはずもなく、スパッと決まらないときは週末が不幸になります。

○ところがですな、視聴者は「注目予定」はあまり見ていないらしい(当たり前だ。5時台なんだもの)。あるいは特集で何か気の利いたことを言ってみても、これまた印象に残っていない。だいたい朝の忙しい時間なんだから、視聴者はコーヒーを入れたり、新聞を取りに行ったり、何か作業をしながらテレビを見ている。じっくりと腰をすえて、「今日は何を言うのか」などと待ち構えていたりはしないのです。ところが、最後の「今日の経済視点」だけはわりと見ている。ワシも覚えがあるが、「あ、この人、字が汚いね」などと言いながら、そこだけ記憶に残るのである。

○この部分はコメンテーターが好きに決めていいことになっているので、勢いこの最後の瞬間に力が入るところです。人によっては1週間前から何にするか考えるのだそうです。不肖かんべえの場合はあまり準備をせず、その日の番組の流れを見た上で午前6時15分過ぎに決めるようにしています。そして、滝井アナ&井口アナが「ネタのたね」のコーナーをやっている間に、フリップに記入します。わりとテキトーです。

○今朝の場合は、@日経平均1万円、A日米で景気に楽観論、B政局には不安、といったところが番組の流れだったので、「楽観論の持続可能性」みたいな内容でまとめようと思っていました。でも、そのままだとつまらないので、ふと思いついて「折りたたみ傘」をキーワードにしてみました。その心は、「景気は意外と強そうだから、楽観論継続でよさそうですが、念のために折りたたみ傘のご用意を」というわけ。今朝は空模様も怪しい感じだったので、お出かけ前にピッタリではないかと思った次第。

○しかるに今日の首都圏は夕方から本格的な大雨。折りたたみ傘、ワシももちろん持ってましたけど、あれでは足りませんでしたな。ちなみに今日の日経平均は、96円15銭安と反落したけど、終値では10,039円と大台はキープ。なんとなく値が固まった感じで、悪くはなさそうですが、果たして明日はどうでしょうか。


<6月16日>(火)

○外国系半導体商社協会(DAFS)というところの研究会に参加しました。半導体の世界って、門外漢にはチンプンカンプンでありますが、とりあえず大事な話は「需要動向が戻りつつある」という声が多いということ。もちろん、今の稼働率では利益は出ないし、設備投資が始まるにはまだまだタイムラグがあるだろうけれども、最悪期は脱したという感じであるらしい。

○いちばん驚いたのは、今後の半導体で期待できる用途分野は何か、というアンケート結果である。半導体の用途といったって、普通は「PC」に「ゲーム機」、あとは「薄型テレビ」と「クルマ」くらいしか思いつかないのだけれど、業界関係者がもっとも有望と見なしているのは、「LED照明」と「太陽光発電システム」なんだそうだ。要するに、この先は環境関連が最大のお得意先になりそうだということである。

○いろんな業界で「グリーンニューディール政策」への期待が高いのは知ってましたが、半導体業界もそうなんですね。ひとつ学習しました。


<6月17日>(水)

○毎朝、毎晩、通勤で千代田線(柏=赤坂)に乗っているけれども、途中の駅で降りるということは滅多にないもので、綾瀬駅なんてその最たるものである。ところが本日は、内外情勢調査会の「葛飾支部」例会があったもので、綾瀬駅で下車。得がたい経験というもので、会場は結婚式場のマリアージュであります。

○地元の方々に聞くと、「葛飾区=フーテンの寅さん」という発想はもう古いのだそうだ。言われてみれば、『男はつらいよ』シリーズの後継である『釣りバカ日誌』シリーズが間もなく終わろうとしているのだから、寅さんも遠くになりにけり、なのである。その代わりと行っては何だが、地元にはニューヒーローがいる。それは『こち亀』の両津巡査。亀有駅近辺には銅像がいくつも建って、今や町おこしのシンボルともなっている。

「金正日は『フーテンの寅さん』のファンだが、後継者の金正雲は『こち亀』のファンである」というのは、その場でワシがでっち上げた駄法螺であります。くれぐれも言いふらかさないように。ということで、一度、両さんの勇姿を見に途中下車せねばなるまいて。


<6月18日>(木)

○以前から脱力さんが、「衆院選・都議選ダブル選挙説」を唱えていて、それは確かに有力な手段だと思うのである。麻生政権にとっては、この先の戦いはどうにも勝ち目が薄く、敢えて冒険をするのであればこの手くらいしか残されていないだろう。

○とにかく自民党は、都議選で負けた瞬間に、大変なことになるはずである。端的にいえば、自民党の都議さんたちは自分が落選した瞬間に、衆院選の手伝いをしてくれなくなるだろう。2005年選挙では自民党は都市部で大勝した。だから今回は、東京選挙区で勝つと負けるでは大違いになる理屈で、全国的に見ても自民党大敗ということになりかねない。それが分かっているから、都議選で負けた瞬間に「麻生おろし」が始まってしまいかねない。

○「公明党の反対」という問題も、それほど重いとは思えない。実際に選挙をやる立場になってみれば、2回やらなきゃいけない苦労が1回で済めば、その方が楽に決まっている。だから同日選に反対しているのは党の幹部たちだけで、組織の末端はおそらく「同日選、ラッキー」と思うのではないか。もちろん都内に選挙区がある太田代表は、そんなことでは困ると思うだろうけれど。

○問題はこのダブル選挙を決断するには時間が足りないということ。今日は海賊対処法案も成立するし、西松建設の初公判もあるし、「解散日和」ではあるのですけれどもね。まあ、無理でしょうなあ。

○以前から「東京都議会選挙の年は政局が荒れる」の法則がある。1989年はリクルート選挙で自民党大敗。1993年は細川政権誕生で55年体制崩壊。1997年は大過なく過ぎたけれども、2001年は小泉政権誕生。そして2005年は郵政選挙である。2009年は政権交代の可能性が極めて高い。7月12日の都議会選挙、今回はどんな波乱をもたらすのでしょうか。


<6月20日>(土)

○イランの政情が荒れている。大統領選挙の結果が怪しいと言うことだが、高世仁さんが書いているのを見ると、なるほど怪しい。


現職の圧勝となったこの結果は意外だった。選挙前の雰囲気からは、首都テヘランではムサビが勝つか少なくとも接戦だろうと思ったからだ。東京のイラン大使館にも在日イラン人ら40名が抗議に行ったというが、たしかにおかしいところはいくつもある。

まず、アフマディネジャドとムサビ以外の2候補は、それぞれ相当な影響力を持った人物なのに合わせて4%弱しか入っていない。改革派キャルビ候補は前回の大統領選挙で500万票を取っていたのに対して、今回はわずか33万票。しかも、ムサビ、キャルビ、レザイの各候補がみな自分の村や町で負けているのだが、これは地元意識の強いイランでは考えられないという。そもそも、投票率が85%と前回の63%を大幅に上回ったのに、改革派が惨敗するというのが不自然ともいえる。過去、投票率が高ければ確実に改革派が優勢になっていたからだ。


○選挙結果はどうやら、完全無欠なものではないらしい。とはいえ、そんな大規模な選挙違反ができるのか、というとそこはちょっと疑問である。「イランの民意とはそんなに違わないはず」というアラビストの声もある。今回はCIAが頑張ったねえ、などという穿った見方もあって、なるほどデモの映像に英語の看板が多いとか、ちょっと仕込みが入っている風情もあったりする。そういえばCIAは、ブッシュ政権下で中東向けの工作予算が増えたのであった。

○それでもイランで民主化勢力が盛り上がっていて、保守派が焦っているというのは悪くない話である。そんな中で、「イランのことはイラン人が決めるべき」と言っているオバマさんは結構ストイックであったりする。ここでアメリカ議会がイラン非難決議をする、なんてのは普通のイラン国民の反感を買うばかりであって、あんまり薦められたことではない。せっかくのカイロ演説の値打ちを守るためにも、アメリカ外交としては変に物欲しげな動きをしない方がいいだろう。とりあえず生暖かく見守ってあげればよいのではないかと。

○ワシとしては、イランに特段の知見があるわけではないのだが、何となく「選挙結果よりも、物価高や失業が問題なんじゃないか?」という気がしている。それを言ったら、20年前の天安門事件もそうだったという説があるわけですが。とにかく、「イランに真の民主主義が根付きつつある」的な楽観論は、控えた方が良いと思います。今までにそれで何回、騙されたことか。

○楽観論と言えば、「保守派の武器は銃であり、改革派の武器はTwitterである」という「お話」が浮上している。不意に「阪神大震災のときに、インターネットが役に立った」という話を思い出します。これらの話は、事実ではないかもしれないが、歴史的な事件のときには付き物のエピソードといえましょう。それにしてもTwitterはもちろん、FacebookやYoutubeが革命の火付け役になるというのは、いかにも時代を感じさせるエピソードです。

○そもそも30年前、イランでホメイニ革命が起きたときは、「カセットデッキ」がニューメディアだったのですよ。イラン国民が自宅でホメイニの演説を聞いたことが、シャーの体制を打倒するきっかけとなった。今ではカセットデッキなんて、どこにも見かけなくなりましたがな。


<6月22日>(月)

○突然思い出したのだが、「政府が6月に景気底入れ宣言をして、早過ぎると世間の非難を受けた」ことが以前にもありました。それは1993年のこと。時の経企庁長官は船田元(はじめ)氏。弱冠39歳で、当時は史上最年少閣僚でありました。(小渕優子少子化担当相の誕生によってこの記録は破られる)。

○1993年春の景気情勢は、今と似ている点が少なくない。@政府は4月に史上最大規模の景気対策を打った、A民間企業の在庫調整は最終局面にあった、B米国で民主党の新政権が誕生したばかりで、経済情勢が懸念されていた、などである。そして「日銀短観も底入れしたようだし、そろそろいいか」ということになったらしい。

○ところがその後、夏頃から景気は二番底をつける展開となる。なんとなれば、(1)初めて1ドル100円を割る急速な円高が進行した(訂正:ゴメンナサイ、100円を割ったのは翌年の1994年6月でした)、(2)冷夏でコメの作柄が悪かった(平成の米騒動)、(3)ゼネコン疑惑で、せっかく用意した公共投資が消化できなかった、(4)バブル崩壊後の金融システムの不安定さが認識されていなかった、などの理由による。

○結局、この年の11月になって、「景気底入れ宣言」は白紙撤回を余儀なくされる。とはいえ、船田長官の若気の至りとばかりは言っていられない。この年の月例経済報告は、下記に示すとおりまさしく迷走の軌跡であった。「月例文学」もかなりの長編大作となってしまっているのだ。


3月:日本経済は調整過程にあり、引き続き低迷している

4月:日本経済は調整過程にあり、引き続き低迷しているものの、一部に明るい動きがみられる(↑)

5月:日本経済は調整過程にあり、なお低迷しているものの、一部に回復の兆しを示す動きが現れてきている(↑)

6月:日本経済は調整過程にあり、総じて低迷しているものの、回復に向けた動きが現れてきている(↑)

7月:同上(−)

8月:日本経済は調整過程にあり、総じて低迷している中で、回復に向けた動きにやや足踏みがみられる(↓)

9月:日本経済は調整過程にあり、総じて低迷している中で、回復に向けた動きに足踏みがみられる(↓)

10月:日本経済は調整過程にあり、急激な円高や冷夏・長雨の影響もあって、回復に向けた動きに足踏みが続いており、総じて低迷している(↓)

11月:日本経済は調整過程にあり、円高などの影響もあって、総じて低迷が続いている(↓)


○うら若き読者諸兄に告ぐ。くれぐれもここは笑うところではないですぞ。不肖かんべえはこの時期、経済同友会の職員でありまして、政官財のVIPたちが右往左往する様子を間近で見ておった。当時はまだバブルが崩壊してからまだ日も浅く、経済論壇では悲観論と楽観論が入り乱れて、とにかく先行き不透明だったのである。

○さて、2009年と1993年のアナロジーが気になるのは、「1993年は自民党が下野して細川政権が誕生した年」であることです。細川政権は国民の絶大な期待を背負って登場しましたが、政治改革4法案やウルグアイラウンド妥結、そしてクリントン政権との激しい通商摩擦などに追われ、経済対策はつい後回し。不良債権処理も先送りとなって、1995年の二信組問題、1996年の住専問題が浮上して、はじめて国会で取り上げられるようになったのでした。

○今回の景気底入れ宣言では、私めは与謝野経済財政担当相の判断に信を置いております。でも、この「デジャブー」に気づいてしまったばかりに、急速に嫌な予感がしてきました。8月には鳩山政権が誕生して景気は腰折れでしょうか。ちなみに1993年の細川政権において、鳩山由紀夫さんは官房副長官で官邸の住人であったのですよ。


<6月23日>(火)

○ある国で選挙が行われた。たまたま外交問題が争点となっていた手前、現職のA大統領は「自分が負けたらこの国の面目は丸つぶれ」「僅差で勝ってもいけなくて、大差で勝たなくてはならない」と思いつめた。A大統領が落選すれば、他国の首脳やメディアが大喜びするだろう、そんなことは許せない、と心配したからだ。そこで、「A」という名前を書き込んだ投票用紙を山のように準備して、「ふふん、これで俺の勝利は決まったも同然」とほくそ笑んだ。

○こんなA大統領に対し、B、C、Dという3人の対立候補が立ち上がった。当初は無風選挙だという観測もあったが、B候補に人気が集まるとともに予測がつかなくなり、選挙戦は大いに白熱した。空前の盛り上がりの中で、とうとう運命の投票日を迎えた。

○開票結果は驚くべきものであった。A:B:C:D=4:3:2:1くらいで、誰も過半数を制したものはおらず、なおかつAとBは僅差であった。A大統領の陣営では、さっそく大量の偽造投票用紙を加えてカウントしようとした。ところが困ったことに、当初6割くらいを見込んでいた投票率が、8割を超えていた。ここで偽造投票用紙を持ち込むと、投票率が100%を超えてしまう恐れがある。さすがにそれはマズイ。そこでA大統領は、急きょC候補とD候補への投票は「なかった」ことにして、投票用紙をバサバサ捨てた。かくして選挙結果は、A大統領とB候補がそれぞれ6割と3割を占めるという、訳の分からない結果となった。

○誰が見ても、この選挙結果は嘘くさかった。まずA大統領とB候補にそんなに差がつくはずがなく、C候補とD候補の得票がそんなに少ないはずもなかった。これでは民衆が騒ぎ出すのを止めることはできない。A大統領の陣営でも、さすがに後ろめたかったのか、暴動への対応が出遅れがちだった。そんなことをしているうちに、とうとう収拾がつかなくなってきた。当初は低姿勢でいたB候補も、ここまで来ると後には引けない。さあ、これからどうなるのか。一寸先は闇なのでありました。

○・・・・・誰ですか、「な〜んだ、そういうことだったのか」などと言っている人は。これはただのおとぎ話ですよ。現実との類似は偶然の産物であります。


<6月24日>(水)

○東北生産性本部さんのシンポジウムで仙台へ。正午から午後2時までが出番だったのですが、午前9時20分にオフィスを出て、出番を済ませて、ちょっとお茶して、午後5時半にはオフィスに戻ってくることができました。仙台って、とっても近い。この便利さはほとんど名古屋並みですね。

「札仙広福会議というのをやったらどうですか?」てなことを申し上げたのですが、いまひとつピンと来なかったようでしたね。せっかくなので、ここでもういっぺん趣旨を説明しておきましょう。

○今の日本では、地方分権や道州制の議論があるけれども、ほとんどが霞ヶ関の中で行なわれていて、地方の声を発する仕組みがない。全国知事会や市町村会は、所詮は既存の枠組みの中の組織であって、「これが地方の声です」というアリバイ作りのような道具になっている。だからメディアの側では、地方在住の文化人やらタレント知事さんやらに取材をして、「これが地方の意見です」ということでお茶を濁している。(どうでもいいことだが、「俺を首相にしろ」というのは、断り文句にしてもちょっと印象が悪いと思うぞ)

○もっと言うと、「地方の声」とは所詮は弱者の声であるから、中央はそれを聞いてやらねばならない、的な誤解があるような気がする。たしかに「陳情」が必要な地方の現状もあるだろうけれども、それよりも期待したいのは、「元気な地方が、硬直化した中央に揺さぶりをかける」という図式である。BRICs会議が先進国を脅かすとか、薩長土肥が幕府の心胆をさむからしめるとか、そういう形である。でないと、いつまでたっても中央集権体制が変わらない。

○そこで、「札仙広福会議」を提案したい。4つの広域中心都市は、今どきめずらしく元気のある都市である。道州制が導入されたら、ほぼ確実に中心都市になるだろう(その切り分け方によっては、大変ややこしくなってしまうのだが)。工業都市としてあまり伸びなかったために、人口が相対的に若く、お陰でソフト・サービス時代にうまく適合したといった面も似ている。支店経済であるために、夜の街もそこそこ大きい。そしてこの4都市は、プロ野球球団も地元に定着していて、それぞれに強い。確か今現在、負け越しているチームはなかったはずである。

○札仙広福の4都市では、すでに地元経済組織による「四極円卓会議」が持ち回りされているらしい。これを、@自治体、A経済界、B地元シンクタンク、の3層構造にして、定期的な連絡会を作る。ここからの情報発信は、大きな影響力を持つと思うのです。政策提言にしても、いわゆる「おねだり型」でない、建設的なものが出てくる可能性があると思う。

○実際問題として、こういう会議を制度設計したら、「ウチも入れてくれ」みたいな都市が後からいっぱい出てきそうである。新潟とか静岡とか岡山とか高松とか。というか、この手の問題は嫉妬の構造が渦巻いているので、どっちの格が上だとか下だとか、そういうことで思い切り時間を浪費しそうである。でも、そういうメンタリティのままだから、「中央におすがりする地方」の構図が変わらなかったのではないか。

○そうではなくて、「お前たち、黙って見ていられないから、俺にも言わせろ」と、一歩踏み出して欲しいと思う。そういう行動力を、この四都市に期待したい。「他人が動いてくれたら、自分もその尻馬に乗って騒ぎたい」という人たちであれば、この国には大勢いるのである。嫌になるほど。


<6月25日>(木)

○この夏に政権交代が行なわれたときに備えて、新しい与野党に個人的なお願いをしておきましょう。

●新与党向け(民主党向け)

(1)政権交代を実現することと、政権を担当することは別物です。派手な行動は慎みましょう。「明治以来の官僚制打破」とか、「核持ち込みの密約を暴く」などといったことは、なるべく口だけにしておいてください。

(2)新首相が「従来の政府答弁には縛られない」と言った瞬間に、内閣法制局の呪縛は消え去ります。これだけで、政策の自由度は一気に広がります(例:集団的自衛権)。勇気があったら試してみるのもいいでしょう。ただしその場合、次に自民党が政権に返り咲いたときも、同じことをするでしょうからお忘れなく。(しめた、これで村山談話を葬り去ることができる!などと喜ぶ人もいるでしょうね)

(3)これまで止めたいのに止められなかった慣習を壊すいい機会です。「1日2回の首相ぶら下がり会見」なんて止めましょう。首相も国民も望んでいない。官邸記者クラブのためにやっているようなものですから。

●新野党向け(自民党向け)

(1)とりあえず向こう5年くらいは冷や飯を食う覚悟で団結しましょう。「馬糞の川流れ」では困ります。でないと二大政党制になりません。

(2)「大臣が答弁しないと国会軽視だ」などという、旧式な野党のような抵抗は止めましょう。責任ある野党がどういうものか、身をもって範をたれておけば、次に与党になったときに役立つはずです。

(3)野党の党首は報われない、難しい仕事です。すぐに成果が出ないからといって、頻繁に首を挿げ替えないように。首相でさえ1年で替えてしまうあなたたちのことですから、その点がちょっと心配です。

○自民党の場合は、その前に「負けそうだからといって、みっともないことをしないように」「明日につながる負け方をするように」心がけましょう。ここで醜態をさらすと、復活の日がますます遠くなります。


<6月26日>(金)

○どうでもいいことですが、ワシはマイケル・ジャクソンの現物を見たことがある。1996年頃だったと思うけど、キャピタル東急ホテル(現在取り壊して建設中)の「オリガミ」(現在、別の場所で営業中)にランチしにいったところ、ホテルに宿泊していたマイケルがエレベーターから降りてきた。ボディガードなどの取り巻きがいて、膨大な数のファンをさばいておりましたな。あそこは元ヒルトンだったこともあって、ビートルズなどの大物タレントがよく来ておったものです。

○ひとつだけ挙げるなら、やはり『スリラー』でしたな。音楽と映像が溶け合って、ストーリーがあって、ダンスがあって、ドラマがあって、ちゃんと落ちもある。ホントに良くできたエンターテインメントでした。そうか、こういうものを作りたかったんだ、と多くの人が競ってビデオクリップを作りましたが、あれを超えることは容易ではありませんでした。当然ですな。今となってはジョン・ランディスの最高傑作は、『ブルースブラザーズ』よりもこっちかもしれません。

○優れたアートの才能は、得てして奇妙な個性と同居しているものです。数々の奇行は、もちろんなかった方がよかったでしょうが、それも含めてマイケルであった。ワシより2つ上だったとは驚きました。こんな同世代人もいたのですね。


<6月28日>(日)

○当・溜池通信には、いろんなキーワードを検索して到来する人がいるわけで、「溜池通信」「かんべえ」「tameike」「黒田官兵衛」などが定番です。で、ベスト10にときどき「アウシュビッツ」という言葉が入ります。なぜかというと、「退職のち放浪」シリーズの中に、こんなページがあるから。


●戦場へ行こう(アウシュビッツ編) http://tameike.net/journey/europe8.htm  


○この辺がネットの特性というもので、いろんなキーワードをたどって読者が移動してくれる。お陰さまで「元商社マンH氏の旅」も、ちょっとずつでも読まれているようです。情報は少しずつ古くなっているでしょうが、世界放浪を目指す同好の士にとっては貴重な情報源になっているのではないでしょうか。(念のために申し上げておきますと、私自身は世界放浪の経験はなく、アウシュビッツも行ったことはありません)。

○先日、ふと思いついて「アウシュビッツ」を引いてみたところ、ウィキペディアの中に実に丁寧な説明がありました(正確には「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」)。その中にこんな記述があったのが目に留まりました。


●記憶の最後に

人間の特性を探る研究に、アウシュヴィッツという過酷な状況のなかで「愛」「美」「夢」のいずれかを持続した人が生き残った、と結論付けるものがある。以下は、その研究を紹介した佐久間章行著『人類の滅亡と文明の崩壊の回避』p.218-219からの引用。

        ◇          ◇          ◇

第二次大戦の勝利者である連合軍は、あの過酷なアウシュヴィッツの環境で最後まで生を維持させた人間の特性に興味を抱き調査団を組織した。その報告が正確であるならば、生命の維持力と身体的な強靭さの間には何の関係も見出せなかった。

そして生命を最後まで維持させた人々の特性は次の3種類に分類された。

第1の分類には、過酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。アウシュヴィッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。

第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨だれや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。

第3の分類には「夢」を捨てない人々が属した。戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたい、などの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。


○人間というものは、普段は形あるものを大事にしているわけですが、いざというときに頼りになるのは目に見えないものである。納得ですね。


<6月30日>(火)

○夕刻、今日で会社を去る先輩(お世話になりました)がいて、「勤続36年でした」と挨拶をされていました。拍手をしながら、「それって長いなあ」と思ったけど、気がつくと自分ももう入社以来25年と3ヶ月になっていて、サラリーマン生活でいうと明らかに入り口よりも出口が近くなっている。そういえば、年金の受給資格もできているはずである。なるほど長い。

○思えばこの25年の中には、バブルの日々もあったし、海外生活もあったし、「会社は毎日つぶれている」という得がたい体験もあった。サラリーマン生活って、しみじみ飽きません。そのうち「おもしろうて、やがて哀しき」という心境に至るのかもしれませんが、今までのところはずっと「おもしろきこともなき世をおもしろく」でありました。この後の出口までの何年かも、願わくばそんな気持ちで過ごしたいものです。

○今宵は、「入社2年目社員の勉強会」というものに呼ばれて覗きに行きました。こちらはサラリーマン生活の入り口世代であるわけですが、なるほど昔とはいろいろ違っているようです。教える側も教わる側も、妙に相手に気兼ねして腰が引けているようで、なんとも不思議な世界になったものです。でも、そこで交わされる会話は、結構熱かったりするわけで、変わっているように見えても存外、変わっていないのが日本企業なのかもしれません。

○さて、今日で上半期も終わり。2009年の折り返し地点です。この半年を振り返ってみると、前半と後半はかなり雰囲気が違います。1-3月期はマイナス二桁成長、4-6月期はたぶん(8〜9%くらいの)プラス成長。ただし今後については、かなり不透明感があります。

○本日発表の5月の雇用統計によれば、失業率の5.2%は想定の範囲内ですが、有効求人倍率の0.44なんて数字は過去に見たことがない水準です。おそらく正社員に限った場合は0.25ってところでしょう。つまりサラリーマンになること自体が狭き門、という恐るべき情勢になっています。世の中で大切なことは働く(Labor)ことであって、それはかならずしも雇用されること(Employment)とイコールではない。とはいえ、雇用へのハードルがそんなに高くなると、社会の安定は確実に損なわれる。

○さて、雇用情勢はいつになったら改善するのか。日本経済は、重い課題を背負っての2009年下半期の始まりです。









編集者敬白



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by Tatsuhiko Yoshizaki