●かんべえの不規則発言



2000年10月






<10月1日>(日)

○やはりオリンピックイヤーであった1996年、ニュージーランドのクライストチャーチで行われた「日本ニュージーランド経済人会議」に参加しました。この会議で、ウィルソン・ウィナレーさんという地元の大企業の会長さんが、晩餐会のスピーカーとして登場したことをよく覚えています。ウィナレーさんはただの経営者ではなく、あのオールブラックスの元キャプテンなのでした。若いときは世界最強のラグビーチームを率いて各地を転戦し、その後は同国を代表する企業の役員として活躍し、現在は第一線を退いた日々とはいえ、要するに文武両道、ニュージーにおいては一種の国民的英雄なのでした。

○そのウィナレーさんのスピーチは見事なものでした。冒頭からえんえんと馬鹿話を始めて思い切り聴衆を笑わせ、それからスポーツと経営の共通点について存分に語りました。そして最後に、「オリンピックは価値があると思うか?」を問いかけました。最近のオリンピックは金がかかりすぎるし、国歌の威信を背負ってしまっているし、薬物使用の問題はあるし、こんなことをいつまでも続けてどうするんだ、という誰もが感じている疑問です。

でもいいじゃないか。オリンピックのおかげで、世界中から集まったアスリートたちが、「あの年の1ヶ月間、僕らは世界中の人たちと同じ釜の飯を食べたんだよ」と言えれば、それで十分じゃないか。ウィナレーさんの結論はそういうことでした。そして「今宵、同様に皆様と食事をともにする(break the bread)機会を得たことを、無上の光栄に存じるものであります」と言って締めた。拍手。

○オリンピックが問題山積であることは、見ている人はみんな知ってます。でもまあ、こうやって世界が平和で、200カ国もがスポーツの祭典に参加するってことが悪い話であるはずがありません。開会式が不手際だらけでも、審判に間違いがあろうが、ドーピング疑惑が繰り返されても、所詮は人間がやることなんだからそれでいいんです。ありがとうシドニー。

○ちょうど1週間後に、筆者はまたまたニュージーランドのクライストチャーチに行き、経済人会議の仕事をしてきます。今度はシドニーオリンピックの直後。ウィナレーさんは出てきませんが、ふと4年前を思い出してしまった閉会式の今日。


<10月2日>(月)

○1992年のことでした。某経済誌の記者を務めていたS氏が、「シマゲジを呼んで勉強会をするから来ないか」とのお誘い。当時、すでに島桂次氏はNHK会長の座を追われ、失脚状態にあった。こちらは『シマゲジ風雲録』なんぞを読んだ直後だったから、ほいほいと出かけてみれば、なんともシャビイな会場でシャビイな弁当が用意してある。こんなんで本当にシマゲジ御大が来るんかいな、と思っていたら、ちゃんと黒塗りのクルマに乗って現れた。

○聞き手として集まったのは、30歳前後のジャーナリストや政治家秘書たちである。シマゲジさんは、「日本の政治をどうしたらいいか」「マスコミはどうあるべきか」といった、言ってみれば新味のない話を延々と飽きずに続けた。海千山千の中を泳ぎ渡り、高い地位にたどりついた人のわりには、熱いものを持ちつづけた人なんだということはよく分かった。当時旗揚げしたばかりの日本新党に期待を寄せる一方、「細川なんて佐川のカネもらってるのに、どうするんだ」などとも言っていた。

○その日、集まった聞き手の中には、その後たいへん長いお付き合いになるK氏がいたという話は別の機会に譲るとして、正面に座っていたアイビールックの男が印象に残ったのである。永田町の現実を語っていたかと思うと、突然「そんなことでは平成維新は出来ない」などと理想論が飛び出す。あとで名刺交換をしたら、石原伸晃衆議院議員の政策秘書だと分かった。それから話はいきなり6年後に飛ぶ。

○1998年6月、岡崎研究所のKJシャトルという日韓の国際会議に、半分冷やかしでもぐりこんだ。会場となる広島県呉市のホテルに到着したら、泊まるべき部屋の鍵が開かない。相部屋の人間が先に到着して中から鍵をかけ、そのまま寝てしまったらしい。前日アメリカから着いたというだけあって、なかなか起きてくれない。夕方になって、「ああよく寝た」といって現れたのが6年前のアイビー男である。「どこかで会いましたよね」。彼はその後、ワシントンに移って政策研究を続けていたのだった。それが長島昭久氏なのである。

○会議では当方はほとんど役立たずだったが、長島氏は大活躍だった。当方が早々と寝こんでしまうそばで、翌日のプレゼンテーションの準備を夜遅くまで続けていた。聞けば、「日韓の和解は僕のライフワークなんです」などと言うではないか。私と年はあんまり変わらないのだけど、よっぽど偉いのである。その後も長島氏は、安全保障関係の論文を方々に発表して、論客としての評判を高めていた。ということで私もちょっとだけ心を入れ替え、あとからCSISへの論文を書いたりした次第である。

○研究者としての道は、長島氏の最終目的ではなかったようだ。このたび帰国して、選挙に出馬することになった。山本譲司・前衆院議員の議員辞職に伴う衆院東京21区の補欠選挙に、民主党から立候補する。前回の選挙で次点だった自民党の候補者と、無所属で立候補している川田龍平君の母君(薬害エイズ事件の原告)が相手。典型的な落下傘候補だが、なにしろタマはいい。10月10日告示、10月22日投票、ということだから、ここで宣伝するのは選挙違反にはならないよね。東京都立川市あたりなんだけど、お住まいの方は気にとめてください。


<10月3日>(火)

○オリンピックが終わったと同時に、ユーゴでもパレスチナでもきな臭くなってきました。日曜日までは、みんなテレビでオリンピックを見てたんだろうけども、ふと我に返ると現実に対する怒りが込み上げてきた、てな感じじゃないでしょうか。ルワンダの内戦が、サッカーの放送がある日は下火になったという故事もある。オリンピックは平和の祭典とまではいえないが、少なくとも内紛の抑止力程度の効果はあるらしい。

○そうそう、98年2月にアメリカが今にもイラク空爆をやりそうになったことがあった。あのとき、日本政府がもっとも心配したことは、「長野オリンピックの最中に、戦争が始まったらどうしよう」だった。でも、見方を変えれば、アメリカ政府側には「イラク空爆を始めたその日に、アメリカ人選手が金メダルを取ったらどうしよう」という悩みがあったはず。余人はいざ知らず、クリントンがそれを考えないはずがない。もしも長野五輪がなかったら、あのときアメリカはイラク空爆をやっていたかもしれない。

○で、問題はイスラエルである。93年9月の「歴史的合意」からえんえん7年かけた交渉が、もとの木阿弥になりつつある。双方のフラストレーションは相当なものだろう。やはり95年11月のラビン首相暗殺が決定的だったと思う。なにしろこの問題、ユダヤ人側が思い切り譲歩しないことには片付かない。それを国民に説得できる指導者なんて、そうそういるもんじゃない。ラビン後のイスラエルは、ペレス、ネタニヤフ、バラクと首相が入れ替わったが、そんな決断が出来るような勇気と政治的基盤を持った政治家は現れていないと思う。ということで、相当な事態の悪化を織り込まなければならないでしょう。

○ところでパレスチナ人が投石しているのに対し、容赦なく機関銃をぶっ放している映像がしょっちゅう流れてくる。あれは印象が悪いなあ。いっそのこと人工降雪機を用意して、イスラエル全土に雪を降らし、イスラエル対パレスチナの大雪合戦大会をやってもらってはどうだろう。双方にとっていい「ガス抜き」になると思うがなあ。・・・・というのはいささか不謹慎でした。ハイ。


<10月4日>(水)

○いよいよ米国大統領選挙の第1回テレビ討論会が実施されました。忙しいからHPを見に行く暇なし。でも大きな波乱はなかったようで、それだったら気にしなくてもいいか、と自らを慰めています。波乱がなければ、小さくてもリードしている方が有利なわけで、そういう意味ではゴア有利。でも最近の株式市場の大荒れムードを見ると、何があってもおかしくはない感じ。

○ひとつだけ気になったことを書いておきます。なんで二人とも「ダークスーツにえんじ色のネクタイ」なの?両者ともにいちばん無難にまとめてきたわけですが、ここはファッションで点を稼ぐ大きなチャンスだったのではないかと思いました。そうなると気になるのは、「次はどんなスーツとネクタイで出てくるか」。せめてネクタイくらい、遊びがほしいと思います。

○次は10月5日(木)に副大統領候補同士の討論会があります。リーバーマン対チェイニーという対決も、これは大いに見物。というより、大統領同士よりも面白いかもしれない。ゴア対ブッシュを、「カンガルーの戦い」(後ろ足の方が、前足より強い)と呼ぶくらいですから。「こっちの方が、よっぽど大統領らしく見える」みたいなことを言う人がかならず出てくるだろうな。筆者はリーバーマン演説を方々で推奨してしまいましたので、こっちは本当に見てみたい。忙しいんだけど。


<10月5日>(木)

○今日は1年ぶりの成人病検診。あと3日で40歳だというわりには悪いところはなくて、「体脂肪率19%」と「血圧が上が120で下が80」というのは看護婦さんに誉められました。「視力が両目とも1.5」は、小学校の頃からずっと続いていることなのですが、今日の感じでは左目はもっと小さくても見えそうでした。ほとんど老眼が始まりかけています。問題はコレステロール値で、これは毎年「C」の評価をいただいています。たぶん今年もそうでしょう。

○検診の最中、同じ10月生まれで間もなく40歳を迎える同期のKと一緒になりました。元ラガーマンで、文字通り殺しても死なないような頑強な男なのですが、今日話したら「オレ、去年、胆のうを取ってねえ」と言うではないか。ひえーっ、そんなことになったら、ワシなんか死んでしまいそう。Kが言うには、人間の臓器にはなくても支障がないものが結構あるんだそうで、そりゃ心臓と肝臓はさすがにまずいけど、手術で取り去ることができる臓器は少なくないんだそうだ。まるでウィンドウズのプログラムみたいな話だが、人間の体は再インストールは効かないよね。

○大学生のときに奥歯が1本根っこから化膿して、痛い思いをして抜き、現在そこはブリッジをかけています。歯の1本だってなくなるのは悲しいことで、できればこの後は1本だって失いたくありません。歯並びが悪いので、昔は抜いて矯正しようかと思ったこともあったのですが、その後は「自前」にこだわることに決めて今日に至っています。なんとも小心な話なんですが、「健康は命より大切」。そのためには嫌なバリウムだってちゃんと飲みます。

○問題はしかるべき健康法が皆無なことで、スポーツなどまったくやってない。方々で不義理を重ね、出張を前に宿題を山積みにし、今日も会社ではいっぱい冷や汗をかいてしまった。家に帰ると、10時から延々と今週の「溜池通信」を書き、午前0時からはウイスキーを飲み始め、1時を過ぎたらこんな駄文を書いている。これが連日なんだから、ストレスを作っているのか、解消しているのか。と、いささか愚痴っぽくなったところで、いい加減にして寝ることにいたします。皆様も体には気をつけて。


<10月6日>(金)

○これを書いている現在、ダイエーはロッテを1点差で追いかけていい勝負をしています。西武は勝ちそうな感じです。このあと波瀾があって、今夜のうちに優勝が決まればいいなと思います。親会社は満身創痍の状態ですが、今夜決めれば、土曜日の明日から優勝セールができます。ダイエーにとっては「干天の慈雨」でしょう。

○さて、本誌のloyal readerであるS君から、こんなメールを頂戴しております。こないだの「官兵衛とかんべえ」で巨人の悪口を書きましたが、「巨人ファンの私でさえ、今年のシリーズはダイエーの圧勝を期待しています」とのこと。

「工藤、江藤を取り采配いらずを選択した巨人に対し、その工藤を抜かれてなおリーグを制したダイエー王監督。ON対決というお祭りではありません。大自然の猛威に人間の英知が挑むという構図ではないでしょうか。やすきよ漫才とかOFF対決とかいわれてしまいますが、私は王監督の采配と人心の結集能力を見せ付けて欲しいと思います。

と、ここまで書いて恐ろしいシナリオが浮かんでしまいました。巨人をめったうちにして2年連続日本一になったダイエーナイン。勇躍更改にのぞむが微増さえ獲得できず、主力が続々と某金持ち球団にトレードされてしまう。まあそれはありませんよねえ、今年は…」

○付け加えるべきことは何もありません。こういうファンの声が、ナベツネさんや長嶋さんに届いてほしいと思います。


<10月7日>(土)

○国会が荒れております。いわゆる非拘束名簿式というやつが原因。与党は完全に党利党略で新制度を入れようとしているわけですが、野党の頑なな反対姿勢も理解しにくいところがあります。

○選挙制度は、議員さんたちにとってみずからの生き死ににかかわってくる問題です。サラリーマンの給与、官僚のポストと同じくらい切実な問題なのです。だから選挙制度を変えるときは、「議員立法」で「与野党相乗り」で決めることが慣例になっています。要するに「お手盛り」が普通なわけ。衆議院における小選挙区制導入で、いくつもの内閣がつぶれました。今年の年初には、参院定数を20減らすためにひと騒動していたのも記憶に新しい。今回のように与党が数で押し切るというケースはめずらしいのですね。

○だからといって、選挙制度問題を国家の一大事のようにいわれても共感は出来ませんわなあ。個人的には名簿に順位があるよりは、ないほうが透明性が高くなっていいと思うし。今回の制度改正は、「これだけ人気が落ちると、もう“自民党”とは書いてもらえない」という焦りとともに、自民党内部が「名簿の順位付けができないくらいに統制が取れなくなった」ことも意味しているわけで、だったらやりたいようにやらせておけばいいのに、というのが正直な印象です。

○国会議員が選挙制度問題に真剣になっているのを見ると、非常に興ざめな感じがしてなりません。「悪いけど、有権者はそんなこと気にしちゃいないんだけど」と言ってあげたいな。


<10月8日>(日)

○そんなわけで、ワタクシが本日をもって40歳の大台に到達した筆者かんべえでございます。あわただしいことに、今夜の飛行機でニュージーランドに飛びます。でもって1週間の出張なんですが、例によってニュージーランドから、この「不規則発言」をお送りするつもりでおります。

○出張用に、少し前まで使っていたパナソニックのレッツノートB5版のノート型を引っ張り出したら、たいへんに使いづらい上に接続がうまくいかない。こんなことでちゃんと海外からつなげるのか不安。もしも明日からこの欄の更新がなかった場合は、飛行機が墜落したとか暴動に巻き込まれているのではなくて、つながらないPCに頭を抱えているものとご推察ください。

○そもそもニュージーランドという国は、たいへんに安全で無難な国であります。めったなことがあろうはずがありません。これが3度目になりますが、本人もさほどワクワクしているわけではなくて、「ハイハイ、仕事しごと」というモードです。そんなわけで「ニュージーランド紀行」につきましては、肩の力を抜いてお楽しみいただければと存じます。今夜20:55分発のJAL90便で行ってまいります。では。


<10月9日>(月)昼の部

○年季の入った商社マンは、だいたい用心深くて抜け目がないものだ。飛行場に行くときは1時間半前にはチェックインするし、出入国審査ではいちばん早く終わる列を不思議と見抜いてしまう。その点、ワタクシめは失格である。とくに行列を選ぶのは苦手である。これは本当の意味でシンドイ思いをしたことがないからで、途上国の空港でオーバーブッキングをくらったりすれば、次の機会から心を入れ替えて慎重になるのだと思う。

○昨夜も、「成田からJALで出るんだから、1時間前でいいだろう」と高をくくって、ギリギリまで家にいた。JRを乗り継いで、ぴったり1時間前にチェックインカウンターに立つ。すると「エコノミーが満席でございますので、お席をビジネスに替えてよろしいでしょうか」。おお、遅れてくるとこういうことがあるのだ。夜行便のアップグレードはありがたし。お陰で良く寝られた。JALからのお誕生日プレゼントである。

○オークランドに降り立つ。時差は日本に比べて+4時間。通常は3時間なのだが、「10月1日から夏時間」なのだ。春先の空気が心地よい。住宅地には桜の木もちらほら。人口380万のこの国の、3分の1がこの都市に住んでいる。最近画期的な現象があったそうだ。それは「24時間営業のスーパーが3軒もできた」こと。1970年代までは、土日はどこも店が開いていなかったそうなので、変われば変わるものである。90年代に入ってから、24時間営業のカジノもできて、「深夜族」が誕生しつつあるのだとか。

○これも一種の「国際化現象」で、この国の若者たちはOE(Overseas Experience)と称して、海外を放浪するのである。そうすると、「ニュージーの常識は世界の非常識」と感じて帰ってくる。オークランドの深夜族は、そのようにして誕生したらしい。OEは非常に一般的なので、この国の人たちの略歴を見ると、「OEでどこそこに行った」などという記述があることが多い。以前、副首相のレジュメを見たら、「OEでインド、パキスタン、ネパールに行く」とあった。「てめえ、要するにヒッピーじゃねえか」。ベビーブーマーの年代だったから、ほぼそう断定して間違いあるまい。

○OEが盛んなことは、この国の貿易外収支が大赤字で、経常収支も赤字になる大きな要因ではないかと私はにらんでいる。この国は若者にとっては退屈だし、彼らは英語がネイティブなので英語圏ならどこでも「木戸御免」である。もっとも彼らの旅行は、国内でのライフスタイルと同様に慎ましいものらしい。なんというか、OEには「人生修行」的な意味合いがあるらしいのだ。

○さてさてインターネットである。なにしろジャカルターシンガポールーバンコクークアラルンプルーホーチミンから東南アジア見聞録(2/19-3/2)を送った経験があるので、先進国のニュージーランド、何程のことやあらんと思ったが、やはり簡単ではない。まずコンセントのアダプターが必要である。それはオッケー。ところがインターネット用にわざわざ用意してある、電話回線の差込口が合わない。東南アジアは全部OKだったのに。試行錯誤の結果、部屋に備え付けの電話の差込口なら合うことを発見。やれやれよかった。

○接続状況はあまり早くはない。これはニフティのローミングサービスを使った上での話なので、かならずしも一般化できるものではないが、バンコクなどはもうISDNに対応していることを考えると、どっちが先進国か分からない。それでもこの国のインターネット普及率が38%などと聞くと、馬鹿にしたものではないのかもしれない。

○ホテルでこんなことを書いて、30分後には活動開始。それでは皆さん、またお会いしましょう。


<10月9日>(月)夜の部

○当国のベンチャー企業を見学し、それから某企業と打ち合わせをし、ディナーまでごいっしょしてホテルに帰ったら午後11時。でも日本時間では午後7時なので、まだ眠くならない。ついでだから明日の分も書いてしまおうと思う。これを続けると、朝は寝過ごしてしまうパターンが予想される。

○この国は80年代から改革路線を貫き、自由化、民営化、規制緩和を徹底した。気がついたら、名のある大企業が次々と外資に乗っ取られてしまった。今日行った某企業も、親会社はアメリカにあるダウ30種採用銘柄の大企業になっている。CEOはシカゴ大学でMBAを取ったアメリカ人。こういうパターンはめずらしくない。「改革で得したのは外国人ばかり」という批判が出るゆえんである。

○ところがこのCEO氏、ニュージーランドの市民権を取ってキウィになってしまった。この国に来て4年、年若く麗しい夫人と一緒になり、12月にはジュニアが誕生する。それで腰を据える気になったようだ。一方、前妻との間には15歳と13歳の子供がいるとのこと。察するにそれらはアメリカにいて、養育費を払っているようだ。年は50歳をちょっと過ぎたあたりか。「これで当分引退はできませんよ」と言う。元気だなあ。

○「この国の市民権を取るときは、女王陛下に忠誠を誓うんですよ。ネイティブのキウィはそんなことしないのに」とおっしゃる。そりゃいかん。アメリカ人はやっぱ星条旗でなけりゃ。慣れない国歌も覚えなきゃならないそうだ。大統領選挙の話などを仕向けると、やっぱり懐かしそうである。ついぽろりと「僕はアイオワの生まれなんですよ」と言う。思わず『マジソン郡の橋』と『フィールド・オブ・ドリームス』が思い浮かぶ。要するにプレーリーの真ん中のど田舎。海のない故郷に生まれ落ち、はるばるここへ来たもんだ、という感じだろうか。

○ともに英語を使い、歴史のよく似た旧植民地国家とはいえ、異国に骨を埋めることは勇気が要るはず。いくら「木戸御免」であっても、オリンピックだってついアメリカを応援したくなるんじゃないだろうか。無邪気に「タイガー・ウッズはすごいよねえ」なんて言ってるCEO氏に、なんだかちょっと寂しさを感じてしまった。かくしてオークランドの一日目の夜がふけていく。


<10月10日>(火)

○当地の今朝の新聞にこんな広告が載っている。「あと4日!この機会をお見逃しなく。リッキー・マーチン公演。オークランドでは1日だけ。切符は77ドル」。なんと天下のリッキー・マーチン様の切符が、本番の4日前になっても売れ残っている。しかも77ドルというのは、米ドルではなくてニュージードルだから、いいとこ3000円くらいである。日本から往復の航空チケットとホテル一泊をつけて、15万円くらいで売り出したらどうだろう。

○地元の若者に聞くと、「ラテンのリズムってここには合わないんですよねー。リッキーが来ても、みんな静かに座って聞いてるんじゃないか」。リッキー・マーチン本人にとっては、この地でのコンサートは人生修行のような瞬間になるかもしれない。エルトン・ジョンのように、コンサートをシカトして帰ってしまうかも。ま、リッキーは間に合わないだろうが、来月はK−1グランプリもある。日本から大挙してオークランドに行くツァー、というのは有力なアイデアかもしれない。

○なにしろオークランドという街は地味なのである。流しのタクシーはいないし、夜は8時半を過ぎると人通りがなくなるし、人々は早寝早起きで家が広いというから、まるで筆者が育った富山市のように堅実で控えめである。それでもちょっとは変化があって、昨日のCEOとのディナーはイタリアンレストランだった。これがそう悪くはなかった。街一番のトレンディ・スポットといった感じか。

○夕方に国内便に乗って、南島のクライストチャーチにやってきた。空気は少し冷たく、緑は少し新しい。オークランドの桜は散りかけていたが、こちらの桜はちょうど見頃である。この国は南へ行くほど寒くなる。「ディープサウスは寒いからなあ」などという言葉を聞くと、一瞬ぎょっとするけれども、なにしろ島の南端は氷河があってペンギンも住んでいる。クライストチャーチは、その昔、南極探検隊が拠点にした場所だ。彼らは南極点に到達したアムンゼンではなく、全滅したスコット隊を贔屓している。なにしろ誇り高き英国人の子孫だから。

○というわけで、この街も地味目である。4年前に来たときは、「街一番のホテルにエスプレッソがなかった」のが衝撃的だった。住んでる人たちが質素だからこうなるわけだが、それで観光立国とはおこがましい。と、思っていたら、今回は空港のなかにエスプレッソ専門店ができていた。最近のニュージーはカフェがブームなのだ。4年前に比べると、ずいぶんおしゃれになったのである。APECやアメリカズ・カップのお陰で、国際化が進んだのだろうか。

○「やっぱり南島の方がきれいだねえ」などと言いつつ、夕暮れ時のクライストチャーチを散策。4年前に行った鉄板焼きの店を探し当てる。あいかわらず繁盛していた。ホテルに帰ってきたら、急にくしゃみが止まらなくなった。ひょっとして花粉症?いくら春だとはいえ、それってあんまり・・・・


<10月11日>(水)

○キウィたちは、近頃あんまり元気がないのである。景気がいまひとつなせいもある。数字の上ではそんなに悪くない。97年、98年と旱魃にあい、アジア通貨危機の影響もあって、98年にマイナス成長を体験。昨年には3.5%成長に戻った。それでもビジネス界は、間もなくリセッションが始まると信じている。悲観論にはいろんな理由が考えられる。

○(1)去年の暮れに誕生したヘレン・クラーク政権を信用していない。アンチ大企業、反米、労組重視の政権だから、ろくなことがないだろうという説。(2)NZドルが対米ドル、対円で史上最安値になっている。3年前には1NZドル=0.7米ドルだったのに、いまでは0.4ドルくらいである。(3)石油価格の上昇が経済を直撃している。ガソリン価格は年初に比べて倍になったそうだ。

○「改革はニュージーランドに学べ」という大合唱が起きたのは1995年。OECDやIMFが構造改革を高く賞賛し、日本でも議員たちが大挙してニュージーを訪れた。めったに世界の注目を浴びることのないキウィたちにとっては、悪くない気分であった。ところが、改革はかならずしも経済成長や生活水準の向上にはつながらなかった。そういう意味での幻滅も、最近のペシミズムには加わっている。

○このムードは、なんとなく日本の「閉塞感」に通じるものがある。日本の場合は、若者たちは単に不満をかこつだけに終わるようだが、この国の場合は非常にまずいのである。才能ある若者たちが、豪州に移住してしまうのだ。頭脳流出による経済的な損失は無視できない、とこの国の野党は問題視している。

○キウィたちの憂鬱には、もっと心理的な理由もある。お隣の豪州が絶好調なのだ。オリンピック景気を満喫する豪州経済は、95年から99年まで平均すると4.4%という好調ぶり(NZは2.5%)。これは米国以上の水準である。ニュージーはアメリカズ・カップの防衛に成功したまでは良かったが、最近ではラグビーでもクリケットでも豪州相手に負け続けである。シドニーオリンピックでも、金1銅3と不調に終わった(アトランタでは金3個取っている)。

○こんなジョークがある。「あなたの人生でいちばんつらかったときは?」「隣の家が建て替えて、でかい屋敷になったときだ」「ではいちばん楽しかったときは?」「それが焼けたときだ」・・・・このギャグで笑えるのは、たぶんに島国根性を共有している国民ではないだろうか。キウィたちの深層意識では、シドニーオリンピックが「隣の屋敷」に見えているのではないだろうか。

○さて、豪州関連で面白い話をいくつか拾いましたぞ。まず、通訳の方から聞いた話。最近の豪州では、先住民族に敬意を払うようになり、改まった席になると最初にそのことに触れる人が増えた。「まず、昔からこの地にいたXXXX族(←聞き取れない)に敬意を表したい」。これが通訳泣かせ。単にアボリジニならいいんだけど、部族の名前だから訳が分からない。しょうがないから「先住民族に」と訳してごまかすのだそうだ。

○オリンピックを何度も見に行った日本人の話。日曜日の朝、高橋尚子の金メダルに大喜びし、午後はかねて予約済みの陸上競技を見に行ったところ、室伏ほかの有力日本人選手が全滅。寒いし、雨は降るし、もう帰ろうかと思ったら、なんとプログラムには「午後5時から女子マラソンの表彰式をやる」と書いてある。何で今時分になってからやるのか不思議でしょうがなかったが、粘りに粘って実物の高橋を見ることに成功した。あとで理由が判明。「午前中は国旗掲揚台が故障していたから」。やーっぱり。私もあの日のテレビ見ていて変だと思ったんだ。オージーのやることはこれだから・・・・

○もうひとつ、皆さんが気にしている例の問題について。柔道で篠原選手の「誤審」をやっちゃった審判はニュージーランド人なんですが、日本からの抗議電話が殺到し、本人は雲隠れ状態。おかげで、「今の日本では、わが国が北朝鮮以上に嫌われているって本当か?」などと心配されている。皆さん、キウィたちを責めないでください。そんなことより、黙って銀メダルを受け取った篠原を誉めてやりましょうよ。


<10月12日>(木)

○今日は朝から天候は大荒れ。昨日までとはうってかわって、ちょっとした春の嵐という感じ。飛行機が飛ばないほどの天候です。でも本日は一日中ホテルの外へ出ることがない。今日は終日、国際会議のスケジュールが詰まっているのです。

○国際会議に関心の高い人、なんてそうざらにいるものではないと思います。筆者の場合は何の因果か、この仕事にかかわり始めてから長くなります。この日本ニュージーランド経済人会議の場合は、96年(クライストチャーチ)、97年(広島)、98年(オークランド)、99年(東京)、そして今年はまたクライストチャートと、ご縁が続いております。それ以外でも、日本アセアン経営者会議ではブルネイ(97年)、大阪(98年)、ハノイ(99年)に参加し、日本タイ合同貿易経済会議ではバンコク(99年)、バンコク(00年)、さらに日米財界人会議で東京(98年)、などなど、平均すると年3回程度は国際会議に出ております。

○これまで数多くのスピーチに接しましたが、今日はこんなオープニングがありました。NZ側の参加者のスピーチです。「アジア人のスピーチは弁解(apology)から始まりますが、聞き終わってみるとそういう弁解は不要(needless)であることがほとんどです。反対にアングロサクソンのスピーチは、冗談(joking)で始まりますが、そういう冗談は無駄(irrelevant)であることがほとんどです」。←お見事ざんす。

○同工異曲になりますが、日本人がスピーチをやるときの「つかみ」として、こんな手口があります。「私ども日本人は、よくスピーチのはじめにexcusingをいたします。反対にアメリカ人はjokingで始めます。そこで私といたしましては、『本日はjokeの持ち合わせがない』ということをexcuseして、私のスピーチを始めさせていただきます」。念のために申し添えますが、この手はほとんど古典の域に達しておりますので、真似をなさらない方がよろしいかと存じます。

○今日は日本側から、こんな発言もありました。「私も本日のスピーチをapologyから始めたいと存じます。なにしろお昼ご飯の直後で、多少、ワインをお召しになった方もいらっしゃるところで、私の退屈な話をお聞きいただくわけですから、その点をあらかじめapologizeさせていただきます」←これも技ありといった感じですね。

○これは昔、インドネシア人のスピーチの冒頭にあった手口。「スピーチをやるんだけど、どうしたらいいだろうか、ということを、私は息子に相談しました。息子が申しますには、父さん、スピーチは短いに越したことはない。もし父さんの話が成功すれば、みんなは父さんがすごく賢いと思うでしょう。もし父さんの話が面白くなかった場合は、やっぱり父さんは賢いと思ってくれるでしょう。というわけで、本日は短いお話をさせていただきます」。←有力な手法ではあるが、あとに続く話が短かったという記憶はない。

○ライト兄弟は、スピーチが苦手だったそうです。あるとき、テーブルスピーチに立ったとき、「みなさん、よくしゃべる鳥であるオウムは飛ぶことが苦手です」とだけ言って、座ってしまったそうだ。これは誰でもが真似が出来る手口ではないが、語り継がれるべき名スピーチといえましょう。

○本日の会議の晩餐会では、当国の首相であるヘレン・クラークさんがスピーチをされました。この人はニュージーランド版の「鉄の女」というのがもっぱらの評判で、「コントロールフリーク」、「ヘレングラード」(スターリンもどき)というあだ名を頂戴しているほど。労働党内の激しい権力闘争を勝ち残り、去年の暮れに国民党のジェニー・シップリー首相(この人も女性なんだけど、タイプとしては肝っ玉母さんのイメージ)を破り、見事首相の座を射止めました。「鉄の女」と「肝っ玉母さん」の与野党対決は、さぞかし迫力があることでしょう。

○ヘレン・クラーク首相の声には迫力がありました。若い頃に日本を訪れた思い出から始め、日本とニュージーランドの良好な関係を称え、日本の捕鯨と農産物への高関税をチクリと批判し、言うべきことを言って20分ほどできれいにまとめました。「学者肌」「現実を知らない」など、この国の財界関係者の間では評判がよくないものの、しっかりしたリーダーだとお見受けしました。

○ニュージーランドという国は、アングロサクソンの国にしては、雄弁家が多くありません。プレゼンの上手な人はもちろんいますけど、内気な声でぼそぼそと話をする人が目立つのも事実。この点は、アメリカなどとの国際会議に比べれば決定的な違いです。そんなところで、ふと「島国」という共通点を感じることもしばしばですが、いずれも苦労をしながらスピーチの腕を磨いているところが当世風といえましょうか。


<10月13日>(金)

○クライストチャーチを襲った嵐は40年ぶりの大物だったそうだ。今朝も天候は大荒れ状態。ホテルをチェックアウトして空港に着いたが、いつまでたってもオークランド行きの飛行機は飛ばない。この間、アナウンスは一切なし。不親切なことこの上なく、この国はどうなっているんだと怒り出す人がいても全然不思議ではない。飛行場で働いているキウィたちは至ってマイペースで、「遅れた分を取り戻そう」などといった意識は皆無のようだ。ま、いつものことである。

○1時間遅れで飛行機が飛んだ。気流が荒れているから、飛行機はグラグラ揺れる。ジェットコースターは全然駄目なんだけど、飛行機が揺れたり地震にあったりするのがまるで平気な人間なので、たちどころに熟睡するワタシ。一度、降りかけたのだけどうまくゆかず、しばらく旋回して再び着陸する。「あーあ」と伸びをして降りようとすると、周囲の様子がちょっと変だ。一緒に乗っていた人が教えてくれた。「ここはウェリントンだよ」。

○不誠実極まりないニュージーランド航空は、オークランド行きの飛行機をウェリントン行きと一緒にして飛ばしてしまったのである。乗ってからしばらくして、「この飛行機はウェリントン経由オークランド行きです」というアナウンスがあったらしいが、こっちは寝ていたから知らない。知らずに降りてしまった日本人もいて、それを探し出すのが一騒動なのだが、スチュワーデスは「バゲージクレームで荷物が出ないのを見たら、引き返してくるでしょう」などとと無責任なことを言う。ちょっとひどいんじゃないかい?

○この手の対応の例を挙げ出したら切りがないのだが、その一方で彼らに邪悪な意図がないことも確かなのである。要するに困った目には遭うけど、嫌な目には遭わない国なのだ。だからこの国のことが大好きになる日本人は少なくない。スローペースと退屈さが気にならず、大自然とスポーツが大好き、という人にとってはこんないい国はないと思う。

○とくに日本人にとっては障壁が少ない国である。@日本以上に安全な国である。銃犯罪や凶悪犯罪はほぼ皆無。A街がきれい。Bチップが要らない。C日本語学習熱が高い。第2外国語の第一位は日本語。D対日感情がいい。日本がくしゃみをすると肺炎になる経済体質。E水道の水が飲める。Fクルマは左側通行、G気候が温暖で日本と似ている、などなどいくらでも挙げられる。とにかく違和感を感じることが少ない外国なのである。

○昼過ぎになってようやくオークランドに着くと、こちらはピーカンである。東京と大阪より遠い場所なので、天候の違いは無理のないところ。南島は肌寒かったが、北島は暖かい。今日はここからチャーター機で北島の最北端、カイタイヤへ飛ぶのである。チャーター機はなんと4人乗りの小型機。一行は4人なのだが、荷物で一座席がつぶれるから、いちばん年少のワタクシが副操縦士席に座ることになった。

○乗って見てしみじみわかったことは、小型機の計器類なんてちゃちなものである。驚いたのはレーダーがなくて、完全な有視界航法であること。パイロット氏はこともなげにカチャカチャと計器を弄くり、ボイスレコーダーに「今から出発」などと告げている。はーなるほど、墜落した場合はこれで原因をさぐるわけですね。2機のエンジンが回転し始めると、全身に振動が伝わる。おいおい、恐いぞ俺は。

○ところが離陸するとまたまた寝てしまった。これではパイロットにはなれないね。1時間ほどでカイタイヤに到着。最北端で下北半島のような形をしているから、まるで「さいはて」といった気がするのだが、この国ではいちばん温暖な場所なので、むしろのどかな感じがする。ここには当社のジョイントベンチャーがやっている植林現場と製材工場があって、森林面積はなんと2万3000ヘクタールもある。

○ニュージーランドは広葉樹だと思っている人が多い。でもほとんどが針葉樹なのだ。カイタイヤから北に向けての細長い平地を埋め尽くしているのは、ラジアタパインと呼ばれる松の一種である。材木としては使いにくい木なので、昔は使い道に困っていた。ところが日本の住宅メーカーが、ラジアタパインの画期的な使い道を開発した。今では住宅用建材として大量に日本向けに輸出されている。そして大規模な植林が始まったのである。

○海沿いの林は一種の防風林になっている。この部分は普通の松林である。ところが海からすこし離れた側を見ると、松に細かく手入れがされているので一見して感じが違う。まず、下の方の小枝をすべて落としてある。小枝が残ると、材木に節目ができて強度が下がるからだ。そして松はまっすぐ上を向いて伸びている。なるほどこれなら歪みのない、一直線の材木が取れそうだ。まっすぐで小枝のないラジアタパインが、道路沿いに延々と広がっている。北へ向かうほど、あとから植林したものになるので背は低くなる。もう10年もたてば、手前の方から順々に伐採していくことが可能になるそうだ。

○ずらりとならんだ「未来の商品」の群れを見ていると、なんだか気の毒に思えてきた。植林というのは、いわば「木の家畜」である。人間の都合により、単一品種の松が整然と立ち並び、小枝を切り取られ、不自然なくらいに真っ直ぐに伸びている。彼らはいつの日か伐採されて、日本に輸出されるだろう。人工林の伐採は、天然林に比べてはるかに低コストでできる。非常に合理的なのである。天然林から人工林へという転換は、「自然にやさしい」という感情だけでは成立しないので、「その方が低コストで出来る」という勘定が働かないと成立しないのだ。

○日本の雑木林を見慣れた目からは、植林の景色は一種異様に映る。その一方で、昔は無人島だったこの島においては、こういう人工林が不思議ではないような気もする。この国にいる動物たちは、マオリ族や白人たちがあとから持ち込んだ家畜と、それらが野性化したものだけである。爬虫類は今でもいない。この国の林にはヘビもトカゲもいないのである。この島に昔からいたのは鳥類だけ。外敵がいない環境で長らく育ったため、キウィなどの鳥は飛ぶ能力を失ってしまった。鳥は楽しいから飛んでいるのではなく、外敵から身を守るために飛ぶのである。必要がなければ、飛べなくなってしまうのだ。

○てなことを考えつつ、再び小型機でオークランドに戻る。なんだか一日中飛行機に乗っていたような気がする。1週間の予定を終えて、明日は帰国。晩飯の後、酔い覚ましに24時間営業のカジノに立ち寄る。金曜日の夜の繁華街はにぎわっている。ルーレットに挑戦して2時間ほど奮戦。「今日は13日の金曜日」ということで、黒の13に張り続ける。2回出た。12時を過ぎ、原点に復帰したところで立ち去ることにする。あー疲れた。


<10月14日>(土)

○朝早く目覚めたので、正午のフライトを前に散歩に出かける。ホテルの朝食には飽きたので、どこぞに気のきいた店はないものかと探してみた。あいにく土曜の朝のオークランド市は、どこもかしこも閉まっている。夜明かしして遊んでいたらしい若者たちが、居場所がなくて路上で群れている。アジア系の観光客もちらほら。少し歩いたら、マクドナルドとスターバックスを発見。これは後者を選択するのが普通だよね。

○スターバックスの店の造りは全世界共通。違いといえば、使用済みのカップを戻すスペースが見当たらないこと。飲み終わると、客は皿やカップを放置して帰ってしまう。環境重視の精神はどこへ行ったのだ。そうそう、日本でいうショートサイズがない。いちばん小さなカップがトールサイズである。ニュージーランドドル建てであるために、お値段はきわめて安い。1ドルが40円くらいなので、トールのカフェラテが3ドルといっても120円。ハムサンドをあわせて8ドルということは320円。4年前に来たときは1ドル70円見当だったから、本当に安くなった。昨日のカジノで注文したコーラが1ドル。日本では自動販売機で買っても120円するコーラが、ここでは氷入りのグラスに入って40円。どうなっとるのだ。

○そういえば当社事務所の若手二人と昼飯を食ったとき、日本食レストランの定食が10ドルと少々であった。日本なら1500円は取れる堂々たるメニューである。当地で2年目のK君が、「でも生活実感では1ドル=100円なんです。僕ら、給料が安いですから」てなことを言っていた。商社の駐在員の給与は、現地の物価を考慮して決められる。赴任地が先進国の場合は現地通貨建てが原則だし、「ハードシップ手当て」もないから年収は安くなる。オークランドは居心地の良さそうな赴任地だが、懐具合を割り引いて釣り合いを取っている。

○この国は物価も安いけど給与水準も低い。クラーク政権は、最高税率を33%から39%に引き上げるといっている。この最高税率が適用されるのは、年収6万ドルが下限となる。年収6万ドルといえば、250万円でっせ。日本だったら課税最低限をはるかに下回る。CEOクラスでさえ、日本でいうとせいぜい「1000万円プレーヤー」くらいであるらしい。当国の中央銀行総裁であるドーン・ブラッシュ氏は、年収をほんの4パーセントだか上げようとして、世論の糾弾を浴びていた。キウィたちの暮らしは慎ましいのである。

○ここ一本よりほかはない、という目抜き通りのクイーンズストリートを歩いてみる。土産物屋が多く、9時にはもう開いている店が目立つ。2年前に比べてカフェが増えた。それからゲームセンターを発見。中はセガやナムコの最新機械が並んでいて、ほとんど日本と一緒。ただしUFOキャッチャーの中にあったピカチュウは、一目でそれと分かるバッタモノであった。おそらく東南アジアから持ってきたのだろう。任天堂よ怒るべし。

○昨日、熱戦を展開したカジノ「スカイシティ」に舞い戻る。といっても再勝負をする時間はないので、目的はタワーに上ること。少し前に、このタワーからバンジージャンプをやった物好きがいたから、ご存知の方もおられるかも。エッフェル塔よりは高いが、東京タワーよりは少し低い328メートル。「南半球で一番高い」が売り文句。世界では12番目だが、そんなことよりシドニーに勝つのが当面の目標である。入場料15ドルなりを支払って高速エレベーターに乗る。おお、高い高い。

○展望台からははオークランド市の全貌が見渡せる。変な表現だが「どっちを向いても海が見える」街である。天然の良港を有し、海には無数のヨットが並んでいる。さすがは"City of Sails"。この国の人口の3分の1に当たる130万人が住んでいる。去年はAPECを開催したし、アメリカズ・カップも開催した。景観は申し分なく、生活水準は高く、スラムがなく、犯罪が少ない。でも北半球の基準から見れば、大都会ではないし、ちょっと野暮ったい。「小さいけどキラリと光る都市」と呼んであげよう。

○そうそうリッキー・マーティンのコンサートは、今日の夜、このスカイシティ内のホールで開催される。地元紙の報道によると、リッキーは昨日当国に到着し、オークランド市南方の某所でお忍びでスカイダイビングを楽しんだそうだ。記事はおしまいの部分で遠慮がちに、「座席はまだ若干の余裕があり、77ドルで入手可能である」と結んでいる。しかるにスカイシティの周囲には当日券を求める徹夜の客がいるわけはなく、ただ一枚の看板が「今夜限り」のコンサートを伝えているだけである。もう一泊できるのなら、この切符を買ってみるのもいいな。なにしろ3000円だし。

○てなことを書いているうちに日本に着いてしまった。ニュージーランドは日本人から見て「すっと入っていける外国」である。今度の出張は3回目だったので、新しい発見などそんなにあるはずがないと思っていたが、それでも1週間ずっと「不規則発言」を書いてみて、意外に話題が尽きないことに感心した。それなりに面白いネタもあったと思う。読者の皆様におかれましては、毎度のことながらお付き合いいただき深謝申し上げます。


<10月15日>(日)

○1週間にわたってニュージーランドについてお伝えしてきた。予想以上に長い文章となり、それを書き終えた筆者にはまだ余韻のようなものが残っている。書き漏らしたことなどを以下、思いつくままに記しておく(←と、まるで司馬遼太郎のような書き出しである)。

○ニュージーランド経済は好調と不調がはっきりしている。それに伴い、人々の気分の浮き沈みも激しい。現在は明らかに悪い方向に向かっている。それを示す何よりの統計は移民の増減である。この国は1998年から移民がマイナス(人口減)になっている。それまではずっとプラスだったので、この変化が意味するところは大である。日本では「少子化で国が滅びる」という議論が盛んだが、国民が外国へ流出していくという事態ははるかに深刻である。真っ先に国を出て行くのは教育レベルの高い人たちだ。会社が危なくなると優秀な人から順に辞めていく、というのと同じ現象が起きてしまうのである。

○今年のノーベル化学賞はこの国でもビッグニュースだった。白川名誉教授とともに受賞したアラン・マクダイアミッド教授はニュージーランド生まれ。この国の工科大学を優秀な成績で卒業した同氏には、国内に有力な勤め先がなかった。そのために米国に移り住み、業績を残すことになった。地元紙のインタビューに対し、「今でもニュージーランドを懐かしく思うけど、現在は4人の子供と8人の孫がいるから帰れない」と答えている。地元紙は「南半球からの人材流出」を嘆いている。ちなみにこの国生まれのノーベル賞受賞者は2人。ひとりは有名な核物理学者のラザフォード(!)である。当時は大英帝国の時代だったので、おそらく本人には「ニュージーランダー」という意識はなかったのではないか。

○昔から住んでいたキウィたちが国外に脱出し、代わりにアジア系の移民がこの国に入ってくる。この現象は不動産価格の下落を招く。食事やファッションにお金をかけないこの国の人たちが、思いきりこだわるのは住宅である。週末の地元紙を見ると、不動産広告の多さに唖然とさせられる。オークランドはあれだけの規模の町にしては、アンティークの店が多い。クライストチャーチの家々は、ガーデニングに血道を上げている。そういう暮らしぶりは、大英帝国の流れを汲む人々にふさわしい。ところが人口減という事態は不動産市場を直撃する。これでは暗い気持ちになるのは当然だろう。

○昨年の溜池通信、 10月15日号「特集:ニュージーランドから見えてくるもの」では、この国の経済改革の陰に小国としての危機感があった、といった意味のことを書いた。人口が380万人しかおらず、規模のメリットが働かない国内市場。一次産品価格の変動に左右される、他国依存度の高い経済。工業製品を輸入するとかならず赤字になってしまう経常収支。投資をしようにも、この国の上場企業は新聞半ページの中にすべて収まってしまう。加えてワラントが3種類に転換社債が6種類、というのがこの国の証券市場だ。必然的にマネーは豪州、米国、日本などに流れてしまう。その一方、いちばん近い豪州からも飛行機で3時間かかるという孤立感。なんとも悩ましい。

○その一方、中央銀行総裁のドーン・ブラッシュ氏はこんなことを言っていた。「アジア危機にもかかわらず、わが国の金融セクターは強靭な体質を維持している。資本金も収益力も申し分なく、不良債権の比率はきわめて低い。さらにわれわれには英国式の司法制度があり、外資に対する自由な政策があり、正直で腐敗のない官僚制度があり、とてもオープンな貿易環境が残されている」。要するに社会インフラにはガタがきていない。小さな国としての危機感が健在であるなによりの証拠である。結論として、この国はかならず再生するだろう。海外市場、とくに日本経済の好不況に振りまわされる体質は残るだろうけれども。

○ニュージーランドが急速に国際競争力をつけつつある分野がある。それはワインの生産。従来は白ばかりだったが、最近は赤でも賞を取るようになっている。地元で評判が高いのは白の「クラウディ・ベイ」というやつ。帰りの飛行機の中では、これを箱で買って帰る人を見かけた。最近では品薄になっているらしいが、それでも値段が上がらないらしい。

○ワインに限らず、ニュージーランドにはお買い得の品物がたくさんありますぞ。なにしろ1NZドルが40円という大安売り。往復の航空運賃だけは、ニュージーランド航空が独占しているから安くないんだけど、ホテル代などはクリントンが泊まったというStamford Plaza Hotelが1泊1万円以下だ。筆者のような買い物嫌いが、めずらしくもモヘアのセーターやらウイスキーやらを買いこんでしまったぞ。こんなレートがいつまでも続く道理はないので、皆さんもいかがですか?夏のニュージーランドはいいらしいですよ。


<10月16日>(月)

○ニュージーランドにいってきたこの1週間、いろんなことがあったようですね。中東の緊張、石油価格高とユーロ安の再燃、株価の変調、そして米国の大統領選挙が再び混沌としてきたことなど。これらすべては、「オクトーバー・サプライズ」という言葉で横串を通して見ると理解しやすい。10月はやはり波乱が避けられないようですね。そういう話はおいおいフォローしなければなりません。

○日本国内の話題も盛りだくさんのようです。国のバランスシート公開、白川教授のノーベル化学賞、ON決戦の日本シリーズなど。まあいろいろ話題はありますけども、本日は朝いちばんで伝えられたこのニュースを取り上げます。

○長野県知事に田中康夫氏当選。石原慎太郎氏に続いて、「一橋大卒→作家→知事」というパターンが誕生しました。大学での田中康夫氏は、筆者が1年生だったときの5年生。実はかねてから興味深く感じていることは、一橋大学のOB会である社団法人如水会が、今回の選挙に関してはほとんど沈黙しているのです。石原慎太郎都知事に対する熱狂的な応援ぶりとは好対照です。

○一橋大学OBの政治家は、大平正芳首相、渡辺ミッチー外相を最後に大物が途絶えております。最近では「桜の咲く頃には景気がよくなる」とのたまった経企庁長官がいたくらいで、早い話があんまりぱっとしたのが出てこない。それだけに石原都知事への期待は大きく、如水会がいろんな形でバックアップしています。さらに、ほとんど忘れられかけている山本コウタロー氏なんかも、ときどき講演会に引っ張り出したりしてケアしています。本来であれば、田中康夫氏もバンバン応援して不思議ではないところ。ところがちょっと腰が引けているのが面白い。

○はっきりいって如水会という組織は、たいへんに身内びいきの強い世界です。おそらく今回も、「田中君、長野県知事当選おめでとう」ということになって、近々、竹橋の如水会館でお祝いパーティーが開かれるんじゃないかと思います。その一方、如水会事務局あたりでは「やらなきゃいけませんかねぇ」などと言ってそうな気もする。この辺の微妙な力学は、たぶん田中氏本人がいちばんよく分かっていて、内心ひそかに冷笑しているのではないかと推察します。

○似たような路線であっても、筆者と同級生の西川りゅうじん君あたりは如水会の覚えがよくて、たびたびイベントに引っ張り出されたりしている。ところが田中康夫氏は、そういうことが非常に少なかった(少なくとも筆者の記憶の範囲ではない)。こういう距離感がつくづく面白いなと感じております。


<10月17日>(火)

○「大統領選挙はゴア勝利が濃厚、ことによるとLandslideも」てなことを、あちこちで言いふらしてしまいました。ところが10月に入ってからの支持率調査はまさに接戦。1960年のケネディ対ニクソン級の勝負になってしまいました。1960年の両者の得票率は、わずか0.2%の差でした。2000年の選挙は後世に語り伝えられる激戦となるでしょう。

○ゴアの失速に対しては、2通りの解釈が可能だと思います。ひとつは今月に入ってからの「中東情勢悪化」→「石油価格の上昇」→「ユーロ安の再燃」→「株式市場の混乱」という流れが、現政権への不信感につながり、ブッシュ候補の追い風になっているという見方。ゴア勝利には、米国の景気と株価が安定的な状態を続けることが前提となりますが、それがだんだんと怪しくなり、むしろ「オクトーバー・サプライズ」に近い状況が出現しつつある。先週のイエメンでの米駆逐艦爆破事件はその典型で、現政権の無力感を際立たせている。

○これとは反対に、実はそうした政策上の争いはあまり重要ではなくて、有権者は単にゴアの人柄が好きになれないだけだ、という見方も成立するのです。10月上旬に行われたテレビ討論会では、ゴアはディベートの内容では優位にたったが、途中でわざとらしいため息を吐くなど、視聴者の反感を買うようなしぐさが目立ちました。現代のメディア選挙では政策よりイメージ、内容より外見がモノを言うので、国民的な好感度の高いブッシュ候補の方が優位になったという見方である。この説が正しいとしたら、勝敗を決するのは今後の両候補のイメージ戦略や、ささいな失言ということになる。

○後者の解釈は非常に面白いと思います。1992年の大統領選挙では経済が争点となり、クリントン陣営は"It's the economy, stupid!"(馬鹿、経済だけでいいんだ!)を合い言葉にして選挙戦を戦いました。2000年選挙では"It's the character, stupid!"(馬鹿、人柄だけが問題なんだ!)というジョークが誕生するかもしれません。

○それではブッシュが逆転して優位に立ったのか、といえば筆者はまだゴアがやや有利を維持していると見ています。というのは、支持率の差が大統領選挙人の数に直結するとは限らないのです。1960年だって、選挙人数ではケネディが77議席もリードしました。このへんがいわゆるElectral college 方式の面白い点です。カリフォルニア州とニューヨーク州で優位が確定しているゴアはそれだけで有利なのです。

○19世紀には「得票数では勝ったけど選挙人の数で負けた」気の毒な大統領もいます。ハリマン(共和党)に負けたクリーブランド大統領(民主党)がそれ。アメリカ国民にとっては、これはさすがに後味の悪い結果だったと見えて、次の選挙でクリーブランドは大統領への返り咲きを果たします。かくしてクリーブランドは第22代と第24代の大統領となりました。過去42代の米国大統領の中では唯一のケースです。2000年選挙は、できればすっきり決めてもらいたいところですが。


<10月18日>(水)

○アメリカ大統領選挙が人柄勝負になる、というのは新しい現象でもなければ、嘆かわしいことでもありません。そもそも大統領を選ぶときに、人々の好き嫌いが重要でないはずがないのです。トルーマン大統領は、毎日鏡を見て笑顔の練習をしたといいます。戦後、初めて2期8年を務めたアイゼンハワー大統領の選挙スローガンは、"I like Ike."(アイクが好きだ)という実もふたもないものでした。逆に嫌われ者だったニクソン大統領に対しては、「君はあんな男から中古車を買うか?」という強烈な悪口がありました。たしかにあんな陰気な顔をしたセールスマンでは、中古車は売れないでしょうね。

○「この男から中古車を買うかどうか」という判断基準は面白いと思います。歴代大統領に中古車のセールスマンをさせた場合、抜群の成績を上げそうなのは、なんといってもクリントン大統領でしょう。彼がにっこり笑って「奥さん、僕のクルマ買ってよ」とかなんとか言えば、それだけで落ちてしまう客はいっぱいでそうですね。逆にゴアは売れないだろうな。彼の場合、自分のクルマの性能がいかに優れているかを強調するあまり、途中で客が退屈してしまいそうな気がする。

○しかし中古車以上の高額商品になると話は違ってくる。たとえば投資信託なんかを買うのだったら、先代のブッシュ大統領あたりが優秀な売り手になりそうです。細かな話が得意で、神経質そうで、ユーモアが乏しいところがかえって信用できる。レーガン大統領だったら、不動産のセールスなんかがよさそうですね。いつもニコニコ笑ってジョークばかり言ってるけど、とにかくいい人みたいだから「まあいいか」となりそう。

○カーター大統領の場合は、セールスマンは向いていないでしょうね。むしろカウンセリングなぞをお願いするのがよさそうです。悩み事を打ち明けると、真剣に聞いて一緒に苦しんでくれるような気がします。気の効いたアドバイスは期待できそうにありませんが、少なくとも口は固そうです。

○ところで今回のブッシュ候補はどんな人なんでしょうか。彼もセールスが得意そうには見えない人物です。どこが取り柄なのかがよく分からない。この人はとんでもないことを言い出す癖があって、先代ブッシュ大統領がホワイトハウスにエリザベス女王を招いたときに、こんなことを言ったんだそうです。「私はブッシュ一族ではBlack sheep(はぐれもの)なんです。お宅の一家ではBlack sheepはどなたですか?」。エリザベス女王は冷たく、「あなたの知ったことではありません」と言い放ったそうです。当然ですな。英国王室は問題児ばかりじゃございませんか。

○このBlack sheepというのが、ジョージ・W・ブッシュという人物を理解する鍵であるように思えます。ブッシュ一家というのは祖父は上院議員、父は大統領のエリート一家。だのに長男のジョージ・Wは、学校の成績はよくないし、アル中だった時期はあるし、女性関係だってけっして身ぎれいではなかったようです。次男のジェブ・ブッシュの方が切れ者だという評価がある。長男はいつもコンプレックスを持ち続けてきた。ところが1994年に2人そろって知事選挙に出たとき、ジョージ・Wはめでたくテキサス州知事になったが、ジェブはフロリダ州知事に落選した。このへんが有権者心理の微妙なところです。

○ジョージ・Wの魅力とは、いってみればダメ男の魅力ではないでしょうか。エリートの家に育った屈折した人物。こういうセールスマンからは、中古車はともかく、もうちょっと低額商品であれば買ってもいいように思える。たとえば聖書とかコーンフレークとか。反対にゴアという人物はエリートの家に育った優等生。セールスマンになるのは論外で、政治家になる以外には使い道がなさそうだ。二人の戦いは対照的なキャラクターの勝負でもあるのです。


<10月19日>(木)

○ある人の指摘で気がつきましたが、戦後の歴代米国大統領には「ちび、デブ、はげ」が極端に少ない。ーーおお、差別用語を使ってしまった。でもいいよね、これはマスコミじゃないんだから。ーー察するに「ちび、デブ、はげ」は、予備選段階でふるい落とされるんじゃないだろうか。やっぱり見てくれはとても重要なんですね。他の条件において等しければ、人は見た目のいい方を選びたくなる。「大統領選挙は背の高いほうが勝つ」という有名なジンクスもある。はっきり背が低くて勝ったのは、1976年のカーターくらいである。

○歴代大統領の肖像画をあらためてチェックしてみました。第6代のジョン・クインシー・アダムズ、第8代のマーティン・ヴァン・ビューレン、第20代のジェームズ・ガーフィールドなど、昔はちゃんと「はげ」がいました。最近では、第34代ドワイト・アイゼンハワーの髪が薄いのが目立つ程度。体重までは分からないけれど、明らかに肥満体に見えるのは第2代のジョン・アダムズ、第13代のミラード・フィルモア、第22代&24代のグローバー・クリーブランド、第27代のウィリアム・タフトなど。気のせいか、はげとデブにはたいした大統領がいない。

○歴代の肖像画を見ていると、やっぱり第16代のエイブラハム・リンカーンや第35代のジョン・F・ケネディはカッコイイですね。第40代のロナルド・レーガンもいい顔をしています。セックス・アピールでは、第42代の今の方がダントツに優れているように思います。他の情報がない場合、「顔で判断する」というのはけっして間違った方法ではないような気がします。

○ふと気づいて、今度はメガネをチェックしてみました。肖像画に「めがね」が描かれているのは、第26代のセオドア・ルーズベルト、第28代のウッドロー・ウィルソン、第33代のハリー・トルーマンの3人だけ。なぜかメガネは「偉大な大統領」ばかりである。人気が伸び悩む大統領候補は、メガネを試してみてはどうでしょう。


<10月20日>(金)

○以前、このページでご紹介した「A50」(サンフランシスコ講和条約締結50周年記念)が今夜、キックオフパーティーを実施しました。場所はホテルオークラ。各会の著名人が集まりました。それよりも重要なのは、ようやく「A50」のHPができたことです。単純なものですが、一人でも多くの方々にご覧いただき、この運動への関心を持っていただければ幸いです。

○サンフランシスコ講和条約締結50周年は2001年9月8日ですので、もう残りは1年もありません。募金の目標額は5億円ですが、現時点では2億3530万円の寄付申し込みをいただいています。つまりあと半分。とはいうものの、純粋に民間有志で始まった運動ですので、よくまあここまできたもんだという感慨もあります。筆者が初めてこの運動に首を突っ込んだ1997年末ごろは、何から始めていいかさっぱり分からず、スタッフは右往左往していました。しかも経済状況が日に日に悪化して、どこへ行っても寄付のお願いなどできそうになく、たいへん心細い状況でした。幸い99年ごろから運動はじょじょに軌道にのり、スタッフも増えてきました。てなわけで、最近はほとんどサボっています。

○今日のパーティーでは首相メッセージや外相メッセージの代読がありましたが、特筆大書すべきは宮澤大蔵大臣が乾杯のご発声をしたこと。「吉田全権の一行の末席を汚し、当時いちばんの若僧だった私が、今もこうして生きております・・・・」。すごい発言だなあと思いました。実は宮澤さんは1951年のサンフランシスコ講和会議で、吉田首相の書記官として出席しているんです。その後半世紀。たぶん関係者では唯一の生き残りでしょう。文字通り、戦後日本の発展と日米関係の生き証人なんです。

○宮澤喜一さんという人は、お誕生日が同じ(10月8日)ということで、なんとなく親近感がある人です。なにしろ元首相だし、現大蔵大臣だし、日米関係の語り部だし、偉い人だとは思うんですが、いままでにいろんな場所で見かけたことがあるために、あんまり感動がない。「あ、ヨーダ仙人が来てる」という感じ。それに比べると、先日山王タワー地下のスターバックスで、小渕優子衆議院議員を見かけたときは感動して、あっちこっちで言いふらしました。考えてみたら変な話ですね。ちなみに彼女は、どう見ても国会議員というより、どっかの局アナという雰囲気でした。


<10月21〜22日>(土〜日)

○大沢在昌の『新宿鮫〜風化水脈』を読みました。このシリーズとしては3年ぶりの新作。今回の鮫島警部は盗難車を追っている。凶悪犯罪が出てこず、ヒロインの晶も出番が少ない。下手をすればダレてしまいそうな話を、登場人物たちの個性でどんどん引っ張っていく。アクションものではなく、人情ものの世界である。「枯淡の境地」といったら作者には失礼でしょうか。それでもラストに向けて、登場人物が一点に集中していくいつもの手法はさすが。幕切れもいい味を出している。

○今回の新宿鮫こと鮫島刑事が相手にするのは、「新宿の歴史」と「中国人」である。前者の視点が新鮮さを加えている。西新宿が浄水場だった時代や、安保騒動の頃が上手に取り入れられている。中国人のキャラクターはあまり描き分けられておらず、この点では馳星周の方が上手かもしれない。ま、それを言い出したら、警察機構を描くことにかけては高村薫が上だとか、いくらでもいえてしまう。新宿鮫シリーズが世に出るまでは、この国に警察小説というジャンルはないに等しかった。「キャリア」と「ノンキャリ」のことさえ、あんまり知られてはいなかった。その後に優れた作品が登場したことは、草分けとしての新宿鮫シリーズの価値をいささかも損なうものではない。

○第1作の『新宿鮫』が出たのは1991年。それからもう10年も経っている。第1作のスピード感は見事だった。とくにラストの新宿コマ劇場に向けて物語が集約していくシーンでは、大勢の警官たちの足音が聞こえてくるかのような描写力だった。。第2作『毒猿』では強烈なアクションシーンを展開し、第3作『屍蘭』ではまことにユニークな敵役を創造した。いやほんま、怖かったですぜ、あのオバハンは・・・・。

○新宿鮫は他の推理小説のシリーズものと同様に、第4作である「無間人形」が最高峰である。直木賞受賞作であるが、これを超える作品なんぞそうそう出るわけがない。ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』やエラリー・クイーンの『エジプト十字架の謎』(ゴメン、これは5作目)みたいな存在である。「4番打者が最強」なのは野球だけではないのだ。だったら5作目以降は読まないほうがいいのか。そんなわけにいきますかいな。第5作『炎蛹』では農水省の役人のキャラがよかった。第6作『氷舞』は・・・・うーむ、残念なことに印象が薄い。

○第7作『風化水脈』では、一連の警察不祥事が影を落としている。鮫島の前に「犯罪を追うか、警察組織を守るか」という問題が登場する。しかしあの鮫島警部がそんなことを思い悩むはずがない。過去のシリーズで思わせぶりに何度か登場した暴力団員の真壁が登場する。それでは鮫島と真壁が正面から対決するかといえば、やっぱりそんなことはない。なにしろ6作も読んでいるから、いろんなことが予想通りに展開する。それでは期待はずれかといえば、そんなことはない。懐かしい世界に浸る喜び、というものがある。高村薫も合田雄一郎のシリーズをもっと書いてくれればいいのに。


<10月23日>(月)

○本日、ご紹介するのは岡本呻也さんの『ネット起業!あのバカにやらせてみよう』です。本書はただいま各地の書店で注目度が赤丸急上昇中。詳しくは彼のHP、「日本のカイシャ、いかがなものか!」をご参照いただきたいと思います。深夜の常磐線の中で読了。お勧めです。

○ネットベンチャーに関する報道は、持ち上げるか、けなすか、どちらかに偏っていることが多い。それは個々の事業なり経営者なりを、点で取り上げるからだと思います。つまりひとつの金鉱を取り上げて、金の成分が多いとか、もう枯渇したとかいう話をしている。岡本さんの本の鋭いのは、日本のベンチャービジネスには1988年の「ダイヤルQ2」から1999年の「iモード」誕生に至る、一種の「金脈」があることを示したところにあります。いわばネットベンチャーに対し、「歴史」という視点を持ちこんだところが本書の功績。こんな簡単なことを、まだ誰も試みてはいなかった。

○この金脈は失敗の歴史でした。そして、ダイヤルQ2やハイパーネット(あの『社長失格』の板倉雄一郎氏)の失敗の上に、今日のビットバレーや、敗者復活戦としてのiモードがあった。本書はこの10年、ベンチャーに賭けた一群の人々をリアルに描いています。伊藤洋一さんが、10月18日の日記でこの本を取り上げ、「不毛といわれる90年代の日本にも、こんな連中がいたんだ」という意味のことを書いておられました。そういう意味では、金脈とは人と人の出会いと、彼らのあくなき挑戦だったといえましょう。

○ところで今日、10月23日(月)の日経金融新聞がお手元にありましたら、20p右上の「今週の相場」をご覧ください。こんなことが書いてあります。

「日本株、一段安も」
北野一・東京三菱証券チーフストラテジスト。
「協栄生命保険の更正特例法適用申請は、日本の不良政権処理が終わっていないことを改めて市場に認識させよう」

○不良政権とはいいよねぇ。ぜひ処理したいところです。なにしろ不良債権と違って、こちらは1回の選挙で葬り去ることができるはず(あくまでも理論上は)。岡本さんに言わせると、「IT革命は主権者の交代を意味するのだから、総理大臣が軽々しく口にするのはいかがなものか」となります。そりゃそうだよね。

○ちなみに今夜会った北野さんは先行きに対して非常にネガティブでした。アメリカ株は調整不可避、日本の財政赤字は臨界点近しということのようです。思わず言いたくなる、「あのバカにやらせていいのか?」


<10月24日>(火)

○かんべえは1年半ほど、中東ウォッチャーをやったことがあります。中東は「安保」「石油」「ユダヤ」「宗教」などのテーマが複雑に入り組んで、非常に難しい世界です。国際情勢に詳しい人は、中東については一家言あるのが普通です。以前、お世話になった大礒正美さんはよく、「中東から世界を見るんだよ」と言っていました。あいにく当方には中東に「土地勘」はなし、意味のある経済データがほとんど取れないし、信用できる情報ソースもあまり多くなく、よく分からんかったというのが正直なところです。結局、「世界を見るときはワシントンからだよなあ」というのが、今日に至るも「かんべえ流」のものの見方になっている。

○でまあ、中東和平についても一通りのことを勉強しましたが、96年当時の認識でも「こりゃ無理だ」でしたね。93年のオスロ合意というのはたしかに画期的なもので、「イスラエルは領土を与え、パレスチナは平和を与える」というシンプルでこれ以外ない仕組みになっている。しかしよくよく見れば、「難民の帰還」「エルサレムの帰属」「最終地位協定」などのおっそろしい難問が残っている。これらを妥結させるのは、並大抵のことでは不可能です。

○クリントン政権の第1期では、クリストファー国務長官がシャトル外交をやって、和平交渉はそれなりに動いていたのです。ところが95年秋のラビン首相暗殺で予定が狂い始めた。96年には右派政党リクードのネタニヤフ政権が誕生。これで和平交渉は完全にストップします。この間、第2期に入ったクリントン政権では、オルブライト国務長官が自分の出身地である欧州問題(NATOの東方拡大、ユーゴ情勢)に集中し、中東は放置されます。イスラエルで左派政党である労働党のバラク政権が誕生して、少しは条件が改善したと思ったら、交渉期限はもう目前でした。

○この夏のキャンプデービッド会談は、文字どおりのラストチャンスでした。それが不調に終わったので、さらに仕切り直し、敗者復活戦をやっているというのが現状です。しかし双方は、「パレスチナは平和を与えてくれない」「イスラエルは領土を渡さない」とののしりあっている。パレスチナ人は石を投げ、イスラエル兵士は銃を撃ち、アラブ過激派がテロの機会を窺っている。石油価格はグングン上がる。欧州でもシナゴーグが焼かれたりしているらしい。現在の和平の枠組みが壊れたら最後、どんな惨事が起きても不思議ではない。

○可能性は低いけれども、この状況を解決できる人がいるとしたら、それは93年からの交渉経緯をすべて知っているクリントン大統領以外にないでしょう。来月7日には大統領選挙があるので、その日を過ぎれば事実上の政権交代になる。その次がゴアでもブッシュでも、中東和平はそこでいったん沙汰止みになる。つまり残された時間は短い。

○ところがクリントンという人は、「瀬戸際になると力を発揮する」「どんな状況になってもあきらめない」人です。これまで何回、危機を乗り切ってきたことか。今回も周囲はさておき、彼だけは「なんとかなる」と思っているのではないでしょうか。普通だったら考えられない離れ業ですが、逆転サヨナラホームランの可能性をちょっとだけ祈っておきたいと思います。その場合のポジティブ・サプライズは、どでかいものになるはずですぞ。


<10月25日>(水)

○若手官僚、元政府高官、シンクタンク研究員、経済団体職員、財界人スタッフ。1日に複数の人から同じ評価を聞きました。これが偶然とは思えません。なにか重要なもの、空気とか潮目とかいわれるようなものに変化があったのではないでしょうか。激烈なものからユーモアあふれるものまで、表現に多少の差はあっても、皆さんがおっしゃったのは、「森さんはもう、もたない」ということでした。

○直接の原因は、北朝鮮拉致疑惑に関する「第三国発言」でしょう。それよりも本質的なのは、もう誰も総理を助けようとしていないこと。どう見ても限界の官房長官に、代わりが見つからないのが何よりの証拠です。聞くところによれば、打診を受けたさる政治家は「オレはITが分からないから」と言って断ったとか。早い話が信頼できる相手にまで見離されたということ。「第三国発言」の責任を押し付けようとした中山元建設相までも怒りだしました。末期的症状。森さんの心中察すべし。

○「じゃあそのあとはどうするの?」と聞くと、明快な返事はありません。というより、来月にはAPEC首脳会談と補正予算審議を控え、普通だったら政変を起こす日程的な余裕はない。しかもこういうとき、絶妙なタイミングで落としどころを探れるようなベテラン政治家が見当たりません。シナリオなき政局が始まるかもしれません。ひょっとしてもう、始まっている?


<10月26日>(木)

○このところ何度か、「吉崎さんがやってる『かんべえ』、よく続きますねえ」てなことを言われます。まあ好きでやっていることですから、感心してもらうほどのこともないんです。でも何のためにやっているのかと聞かれたら、きっと困ってしまうと思います。だってはっきりと苦痛になっているときってあるんだもの。今週なんか、かなりそう。今夜も眠いなあ。

○なんだかんだで、当ホームページには毎日100件以上のアクセスがある。ニフティはログを調べたりはしてくれないので、誰がいつ訪れているかはさっぱり分かりません。推察するに、おそらく限られた数の人たちが毎日のように覗きに来ているので、全体数はそれほど多くはないのだろうと思います。こんな理屈っぽいHPを見に来るのは、インテリかオタクか、はたまた単なるお知り合いか、いずれにせよ彼らのお役に立てるというのは、多いに光栄だと思っています。

○どんな人でも、1日に24時間しかないことを考えると、毎朝当溜池通信に立ち寄って数分使うという方は、その分だけほかの活字を読む時間をけずっているはずです。筆者も同じです。毎朝いろんなHPに目を通す代わりに、確実に新聞を読まなくなりました。世の中にはきっといまだに「休刊日の朝はすることがなくって・・・・」という人がいるんでしょうけれど。

○その一方、このHPは別にお金を取るわけじゃございません。言って見れば、もの書きや新聞社に対して、価格破壊に貢献しているようなもの。似たようなHPをやっている人は多いのですが、みんな何を考えているんでしょう。


<10月27日>(金)

○昨日は書いている途中で寝てしまいました。スイマセン。何を書こうとしていたかというと、クルーグマンが98年に書いた"THE WEB GETS UGLY"という文章がありまして、例によって山形浩生氏「Webで勝つには汚い手を」と例によって名調子で翻訳しています。で、以下の部分がちょっと面白いと思うのです。

ほかならぬこのぼくの悲しいお話を考えてほしい。きわめて現代的な教授として、ぼくは書いたものの多くを個人Webサイトにポストする。ぼくの英知をダウンロードするという特権に対し、みんなにお金を払ってくれと頼むのは、きわめて当然のことに思えるだろう。

でも一方で、いったん論文を書いたら、べつの人間にこのサイトにアクセスしてもらうのに、ぼくには一銭もコストがかからない。アクセス料をとったりしたら、潜在的な読者たちの一部はいやがって、相手もぼくも損をすることになる。さらにぼくの読者層は、ある程度は口コミでささえられている。読者が少なくなると、かれらから話をきいてぼくのサイトをチェックしたはずの潜在的読者も減っちゃうことになる。じゃあ、
ぼくはいったいどうやってこいつで金をもうけりゃいいんだ?

この答えを知ってたら、ぼくは名前に「.com」をつけて、IPO でもやらかして一瞬で大金持ちになってるだろう。でも、ぼくのジレンマは、基本的には多くの企業が直面しているモノと同じだ。

○天下のクルーグマンが、こんなカワイイことを言ってます。かんべえの場合はクルーグマンのような大物じゃないので、自分の書いたものを読んでもらいたい、ということで始めたのですが、もちろんこれがお金になればこんなにいいことはない。HPをやっている人は、みんな似たようなことを考えているんじゃないだろうか。


<10月28〜29日>(土〜日)

○今朝の『サンデープロジェクト』は面白くて、つい最後まで見てしまいました。いつもだと途中で将棋の時間に変えちゃうんですが。並み居る政治家の中でも、石原慎太郎はメディアの使い方が格段に上手な人ですね。今日も見事に自分の言い分を通していました。30分以上出ていましたが、田原総一朗がなかなか話を打ち切らない。「この男が画面に出ている限り、サンプロの視聴率は下がらない」ことを確信しているからでしょう。同じく今日の番組に出ていた菅直人もテレビの使い方をよく知っている人ですが、集団的自衛権の話を求められて集団的安全保障との違いを持ち出すあたりにはまだ課題が残っていて、その瞬間にチャンネルを変えてしまう視聴者は少なくないと思う。

○番組後半でやっていた、NY上院選に挑むヒラリー・クリントンの話が面白かった。過去8年、クリントン大統領を支えてきたのはゴアとヒラリーですが、その2人が今度の選挙では大統領と上院議員の座を目指している。ヒラリーには、「2004年には大統領選に挑戦」も当然視野に入っているだろう。つまり「ゴアが勝てなかった場合、4年後にブッシュ大統領に挑戦するのはヒラリー」というシナリオである。この場合、米国の大統領はブッシュ父(1989―1993)、クリントン夫(1993―2001)、ブッシュ子(2001―2005)、ヒラリー妻(2005―)という、実に妙なことになる。

○なんでヒラリーがそんなに有力なのか。これは実に簡単な話でして、アメリカで知名度を高めるというのは非常に難しいのです。今回の選挙で早くからブッシュが有力候補になったのは、とにかく名前が売れているから。それと同様に、ヒラリーのことは誰でもが知っている。アメリカ初の女性大統領が誕生するとしたら、その最短距離にいるのは彼女だということになる。ファーストレディーとしての彼女は、自分の旧姓を使ってHillary Rodham Clintonと名乗っていた。それが選挙になったらHillary Clintonで通している。自分が名前を覚えられているのは、自分がMrs.Clintonだからだと自覚しているからだろう。

○アメリカ大統領選挙には、無名な候補が全国的に有名になっていくためのシステムがビルトインされている。92年のクリントンがまさにそうだった。2000年選挙でもマケイン旋風を見る限り、このシステムが健在であるばかりか、インターネットが新たな選挙戦の手法となりうることを示していた。それでも最初から知名度が高い候補者であれば、資金集めにも苦労をしないで済むから有利なことは間違いない。そこでブッシュ・ジュニアやクリントン夫人が有力候補に擬せられる。

○なんのことはない、日本の選挙とよく似た現象が生じているのではないか。@金がかかる、A二世が多い、B無党派が多い、C政策の差がない、だから結果として、D直前にならないと分からない。これって世界的な現象かしら。


<10月30日>(月)

○月曜日である。当溜池通信のカウンターがよく回る。月曜日に出社して、「かんべえは今週はなんて書いてるかな?」とチェックしてくれている人が多いのだと思う。考えてみたら、自分も同じようなことをしている。私の場合、月曜の朝に立ち寄るのはこことかあそことか。チェックポイントが多いので、読むべきものが多い。

○意外に穴場なのが月曜の朝刊である。とくに政治面。新聞記者もサラリーマンだから、週末はなるべく休みたい。そこで月曜朝刊の記事は前の週に書き溜めておく。そうなると「先週はこんなことがあったけど、それはこういうわけがあるからですよ」といった解説記事が多くなる。海外の記事がとくにそう。これが勉強になることが多い。また、永田町情報に関しては、最近は日曜午前のテレビで誰が何を言ったかが月曜朝の記事に載り、それがその週の政局のネタになる、というパターンが続いている。だからふだんは真剣に新聞を読まない小生が、月曜朝だけは目を通すようにしている。

○ふと気になって、フロントページで「溜池通信」のバックナンバーのリストをしみじみと見た。われながらよく書いてるなあと思う。なかには内容をスカッと忘れているものも少なくない。冗談でなく、自分で読み返して妙に感心したり、「誤読」に呆れたりすることがある。過去に書き溜めた80本のレポート(注:初期の18本はネットでは掲示していない)を読み返すときは、ハードコピーを探すよりPCの中に入っているファイルを画面に出して読むことが多い。自分のPCがないところでも、ネットに接続できれば取り出すことができる。便利だなあと思う。

○自分が便利だと思うものは、ある程度ほかの人もそう思ってくれるのではないかと思う。お互いに自分の書庫を他人に開放することで、本に載っている情報は何倍もの価値を生むようになる。インターネットとは、いわば世界中を網羅する図書館のような空間だと思う。大事なことは、自分が面白いと思う本を積極的に他人にも読んでもらうことだ。各人が「これはオレだけの秘密にしておこう」とか、「本を借りるのはいいが、貸すのは嫌だ」などと言い出すと、インターネットは発展しない。

○てなことを考えた月曜の朝。皆さん今週もよろしく。


<10月31日>(火)

○今日で10月も終わり。振りかえって、オクトーバー・サプライズはやっぱりあったんだなあと感じています。大多数の人にとっては、「株がまたちょっと下がってるんだって?」という感じかもしれませんが、おそらくこれは大事件の始まりではないでしょうか。日経平均を見れば、98年秋の最安値が1万2000円台なので、まさかそこまでは下げないと考えれば、「いいとこ落ちてあと1000円くらい」という楽観論も可能。でもTOPIXで考えれば、98年秋には1000pの大台を割ったことがあるので、あと3000くらい下げる余地があるということになる。つまり日経平均は銘柄入れ替えなどによって指標としての妥当性を失っていると考えたほうがいい。

○米国におけるIT銘柄の下落はアジアにも波及しています。アジアの域内貿易は、かなりの部分がIT関連製品になっている。さらに悪いことには石油価格の下落がアジア経済を直撃している。タイやフィリピンは通貨の下落が激しい。今年前半には「経済危機はもう済んだ」というばかりの快進撃でしたが、それも止まるでしょう。これは日本の製造業の対アジア輸出の勢いも止まることを意味する。現在の景気の残り時間は短いと見ます。

○2001年の霞ヶ関新体制発足を前に、政治の混乱が続いていることもマイナス要因。筆者は先週以来、「もう森政権はもたない」「12月にも倒閣あり」と思っています。「ではどうやって?」ーーそれが問題。大和SBCMのチーフストラテジスト、野村真司氏は政界分析にはいつも切れ味鋭さを見せる人ですが、今日のBond News Dailyでは「森政権は低位安定」と書いていました。つまり与党も野党も、本気で森首相を引きずりおろそうとはしていない。そして政権を組換えするきっかけがない。おっしゃるとおり。

○でもねえ、とんでもないことが起きてるんです。それは内閣支持率が15%に落ちる(毎日新聞)というだけではなくて・・・・・。昨日の「国民栄誉賞」の授賞で、某通信社がQちゃんと首相の写真を全国の加盟紙に配信したんだそうです。構図は、楯を挟んで2人がほほえむという極めてオーソドックスな写真だったそうですが、受信社側からは「首相が入っていない写真が欲しい」「この絵柄では使えない」という注文が相次いだそうです。首相のいない授賞式の写真、て考えるだけでも変だけど、森さん、あんたはそこまで嫌われているんですよ。それでもまだ頑張る?










編集者敬白



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by Tatsuhiko Yoshizaki