●かんべえの不規則発言



2000年2月19日〜3月2日

「東南アジア見聞録」編





<2月19日>(土)

○というわけで、明日から東南アジア5カ国を訪問してきます。社団法人日本貿易会の調査団に参加して、「アジアと商社」に関する報告書を作る準備をするのが目的です。全体で12日間とやや長め。いつものPCは持っていきますから、このHPの更新もできるはず。昨年11月の「ベトナム紀行」みたいにいきますかどうか。

○今夜はサウスカロライナ州予備選の結果が出る。グリーンスパン発言を受けて、NY株価は調整中。日本国債に格下げの可能性が生じて円安。国内の政局も解散ぶくみで毎日微妙。いろいろ微妙なときですね。出張していると、こういうネタを拾えなくなるのが残念です。実は明日のフェブラリーステークスもちょっと気になっています。

○その一方、初めて行く国もあるので、楽しみは楽しみ。明日の夕方には初めてのジャカルタに到着している予定。

○心配なのは明日が寒そうなこと。でもコートを着て行くと、旅先は暑いからじゃまになる。「成田においていけば?」といってくれる人もいますが、あいにく戻りは羽田なんです。そこで明日は寒さをこらえて成田に向かうつもり。雪が降るとかなわんなぁ。ちゃんと飛んでくれよ、JAL725。



<2月20日>(日)

○飛行機が無事に飛んでおりますので、機中でこれを書いております。久々のJALである。今回初めてマイレージ・カードを作ってしまった。機中にてインドネシアのお勉強。書類を持ち運ぶのがイヤなので、PCに資料を入れて持ってきたのだが、よくよく見たら古いデータであった。困ったもんである。でも古い話が役に立つこともある。

○日曜日の成田はすごい混雑。ジャカルタ経由デンパサール行きの機内は満席。あっちこっちで「地球の歩き方バリ編」を開いている人がいる。バリ島は行ったことないけど、皆さん何を好きこのんで、@水が飲めなくて、A英語が通じなくて、B飛行機で8時間以上かかるところへ行くのか、よう分かりません。リゾートはやっぱハワイですよ。短期間ならグァム。同じ時間かけるんだったら、豪州まで行ってゴールドコーストに行った方がいいと思うな。

○ところで南方に行くというと、いきなり「生水と生女には手を出をださんよーに」みたいなアドバイスをいただいたりする。どうも、「南方の国に行く」=「よからぬ遊びをするに違いない」という偏見が行き渡っているようだ。だいたい出張というと、筆者の場合は国際会議がらみが多くて、「ホテルからほとんど出ず、睡眠時間は連日5時間以内」みたいな状態がデフォルトになっている。世の中には出張に行くとき、かならず水着を持参してホテルのプールで泳ぐのが好きだという人もいる。ええなぁ、そういうのも。

○で、無事、空港に着きました。荷物を受け取ったら、さっそく怪しげな男がやってきて台車を押し始めた。面倒なので1ドル札を渡して追い払ったが、ああっと気がついたらこれって7000ルピアである。しまった、こんなの1000ルピアがいいところだ。しょせん、缶ジュース1本分のことなのだが、こういうのは悔しい。ルピアは通貨危機前は1ドル=2600ルピアだったが、最悪1万6000ルピアくらいになり、今は7000ルピア。両替で50ドル渡したら、きっちり35万ルピアくれた。ところで5万ルピア札の肖像画はスハルトのままである。インドネシア国民諸君、いいのか、こんなんで。

○現地の方の案内で、純正インドネシア料理のお店へ。善男善女で混雑している。魚やえび、蟹などシーフードがメインである。ちょっと意外な感じがするが、そもそもが島国で海洋国家だものね。地元の皆さんは手を使って器用に食べている。ご飯(ナシ)はタイ米風。1984年からコメが自給できるようになったが、ここ数年は煙害などの自然災害が続き、またまた輸入に頼るようになってしまった由。ここ数年のこの国は、通貨危機だけじゃなくて本当に御難続き。スハルト政権がひっくり返ったのは、経済問題だけではなさそうだ。

○最後に会計してもらったら28万ルピアだった。するってえと40ドル。6人分の料金ですよ。ビンタン・ビールも何本も開けたのに。おひとり様700円なり。これはすごい。でも「1ヶ月分の最低賃金が50ドル」ということなので、ジャカルタでは結構贅沢な店だったりする。

○ホテルに帰ってから、ローミングサービスにトライ。あっけなくインターネットに接続できた。感動的に簡単だったが、絶望的にのろい。ニフティの画面が出てくるまで5分近くかかってしまう。これでは気楽にネットサーフィンというわけにもいかぬ。だれかわしにフェブラリーステークスの結果を教えてくれい。



<2月21日>(月)

○本格的な初日。一日の間に4軒インタビューして、夜はワーキング・ディナー。なるほどこれは疲れる。これで明日は午前中に工場団地を見学し、午後はシンガポールへ移動。しかも暑い!CNNの天気予報によれば日本は天気が悪いそうですが、こちらは外は暑く、内は寒い(冷房がきつい)の連続。花粉が飛んでないだけまし、と自分自身に言い聞かせる。

○で、インドネシア情勢については皆さん、面白いくらい意見が一致する。景気は底を打った。だから個人消費は根強い。しかし輸出は他のアセアン諸国ほどは伸びておらず、ここに一考の余地がある。インドネシア経済の明日を抑制しているのは、@銀行の不良債権、A民間部門の債務問題の2大アジェンダ。前者についてはかなり手が打たれているが、後者はきわめてゆっくりとした手が打たれている。商社にとっては、後者の問題がかなり大きい。

○インドネシアに住んでいる人たちは、もちょっと違った見方をしているようだ。この国のルールは他とはちょっと違う。グローバル・スタンダードなんてどこの国の話だ。インドネシアは日本のバックアップがあればなんとか進んでいける。欧米系企業は、この国が悪くなったらさっそく逃げ出すだろう。こういう理屈をいかに欧米人に理解してもらおうか。それが難問である。



<2月22日>(火)

○昨日はなんだかわけの分からんことを書いておりますが、あれは泥酔して書いたためで、実はその間の事情が面白いのでご紹介しちゃいましょう。4人の出張者が、それぞれ4社の駐在事務所の方を招いて、総勢10人で「インドネシアを語る夕食会」を開いた。終わったらまだ9時前だったので、誰からともなく「もう一軒行きますか」。

○ところが会場の外に出てから、どこに行くかがなかなか決まらない。
「ちょっとこれだけの人数ですと、難しいですな」
「月曜はどこも込むんですよね。皆さん土日に家族サービスしますから」
「こんなことなら、どっか予約しときゃ良かったですな」
「いやー、私などはこのところ夜はさっぱりなもんで、店のほうはとんと分かりません」
など、消極的な発言が続いたかと思うと、
「それじゃあ各社、分散して行くとしましょうか」と衆議一決。筆者は旧知の当社駐在員、Kさんのクルマに便乗して夜の街へ。

○着いたところはジャカルタのカラオケ屋。入ってみると、「月曜日は混雑する」などというのは大嘘で、店は10人でも20人でも大丈夫な状態。ははーん、やっぱり分散したかったのかと納得。だいたい、駐在員事務所の皆さんは、基本的にライバル関係にある。長時間一緒にいると疲れる。それから、いきのいい(?)出張者を捕まえたら、年度末を控えた本社の状況や人事の消息を聞きたいが、それにはサシで話したほうが好都合である。さらに大勢で繰り出すと、最後に誰が払うかで悩まなければならない。一括処理よりも分散処理の方が優れているんです。

○翌朝、各社の皆さんに聞いてみると、そろいも揃って同じような店に連れて行かれている。ジャカルタのカラオケ屋というのは、ごく小さな一角にあって、数もそう多くはない。それでも各社が鉢合わせにならなかったのは、微妙にすみわけが行われているから。連れてってくれたKさんによれば、たとえば「最近はXXくんがリンダちゃんにぞっこんらしい」という噂が立つと、他の社員はリンダちゃんを指名しないという、一種の「紳士協定」も存在するのだとか。日本人はどこへ行っても「縦割り&横並び行動」をやってるんだと感心。

○ちなみにジャカルタのカラオケ屋というのは、地味目のフィリピンパブみたいなものを想像していただければよろしいかと思います。チップの相場は5万ルピア(7ドル)だが、人気のある子は月に100万ルピア以上稼ぐのだそうだ。指名料が高いので、おなじみさんをいかに多く作るかが勝負になるとのこと。なるほど、水商売の世界は万国共通ですね。ちなみにジャカルタでは日本語や英語を話せる女性は希少なので、カラオケ屋に熱心に通う人はインドネシア語の上達がきわめて早い。「テレマカシ」以外のインドネシア語を知らない筆者は、ついつい氷抜きのウィスキーを飲み過ぎました。あはは。

○さて、一夜明けて今日は工業団地の見学。とある工場に入って、説明が始まったところで突然外ですごい音がし始めた。窓の外はと見れば、おおこれぞ本物のスコールである。文字どおり滝のように降っている。工場前の広い敷地に、見る見るうちに水が溜まっていく。これでは傘などあってもなくても同じである。ほほーと感心して見ていたら、工場長さんが「この雨はあと30分で止みますね」。ほぼ30分後に空がからりと晴れ上がったのはいうまでもありません。

○で、ここはインドネシアに関してそれなりのまとめが必要なのですが、時間がないので取りあえず個人的な結論だけをここに書いておきましょう。

@インドネシアの政治リスクは、いわれているほどには高くない。少なくとも、ソ連やユーゴのように国家が分裂するなどという可能性はきわめて低い。中にいる人はそのことが分かっていて、あまり先行きを心配していない。

A経済は、内需の復調など心強い要素もあるが、この国の経済再生の鍵を握るのは輸出である。価格競争力は回復しており、なんと労賃はベトナムより安い。この点で、インドネシアに進出していた日本企業の貢献度は大である。

Bしかるにこの国はアジア危機最大の被害者であり、その後遺症として「銀行の不良債権」と「民間債務問題」の二大問題を抱えてしまった。これらの解決には時間を要する。アジア危機以前の水準に戻るには、おそらく7〜8年が必要なのではないか。つまり2005年くらいがひとつのめどとなる。

Cインドネシアという国は、ひとことでいってしまえば「他力本願」体質がある。海外、特に日本の援助がなければとても立ち行かない。この国が混乱することは誰も望まないので、援助する側にもそれなりの動機がある。日本のような国がインドネシアに肩入れすることは、けっして不合理なことではない。

○行く先々で政府関係者やジェトロの人などの意見を聞いている。しかし話を聞く相手は商社マンがいちばん多い。いつも思うことだが、商社マンの意見というのは、総じてシンプルでユニークで、要するに面白いことが多い。少なくとも退屈はしない。その分、ちょっと怪しげなところもある。「シンプルでユニークな分析」というのは、『溜池通信』がいつも目指しているところでもあるのですが。

○夕方にカンタス航空でシンガポールに入る。チャンギ空港に降り立ったら、いきなり先進国である。入国管理官は「飴でもどうだ」と勧めてくれる。この国は英語が通じるし、万事が秩序だって動いている。思い切り安心してしまう。夜は当地の支配人をやっている、かつての上司Mさんに再会。相変わらず元気で、こっちもテンションを上げておかないとついていけない。インドネシア情勢などを大いに語る。



<2月23日>(水)

○さてもさてもシンガポールである。この国を好きになるか嫌いになるかは、結構重大な分かれ道かもしれない。国全体がよくいえばけなげな努力、悪くいえばしたたかな計算をしている。南の小さな島が、「われわれは何で生きていくか」をいつも自問自答し、一生懸命に生きている。多いに問題だと感じるところはあるものの、今日一日の取材からきた正直な印象は、「おぅ、やるじゃねえか」ってな感じ。

○ひとつめのポイントは「政府主導」ということ。なにしろいまどき官尊民卑を堂々とやっている。たとえばこの国には100万ドルプレーヤー(米ドルです、つまり年収1億円)が134人いて、そのうち13人は政府内にいるのですと(こういう数字が正確に捕捉可能だというのも、それだけでかなり問題ですが)。つまりエリートを腐敗させないために、高い地位を保証しているとのこと。官が指導し、産業政策を定め、挙国一致体制で当たる。淡路島ほどの面積に、横浜市程度の380万人(うち外国人が70万程度)という国力だが、知恵を目いっぱいしぼって影響力を保っている。

○「官僚支配」とか「産業政策」というと、最近のわが国ではたいへん評判が悪い。同じような失敗がなぜここでは生じないのか。この国の運営はまさに「株式会社シンガポール」で、コンサルティングを実施するように政策が決まる。たとえば観光客を誘致するために、「どうしたら空港から主要ホテルまで55分で到達できるか」という問題を設定する。必然的に、「入国管理は2分以内で」「バゲージクレームに着いたときには、もう荷物が回っている」「カスタムは事実上フリー」といった目標が定まる。つまりcustomer satisfactionを真剣に考えている。これなら縦割りの権限争い、なんて発想にはならない。

○しかし「政府の失敗」は「市場の失敗」より罪が重い。限りある人間の知恵が、いつも正解を示し続けられるとは思えない。リー・クアンユーはえらかったけど、いつまで続けられるのか。国を挙げて教育に力を入れ、小さい頃から選別を行ってエリートを養成し、若くして要職に登用している。本日会った政府関係者は、次の政策目標はライフ・サイエンスだといっていた。相変わらずいいところに目をつけていると思うけど、こんなことがいつまで続くのか、ちょっと疑問を感じる。

○第2のポイントはこの国のロケーションである。ここにいると、嫌でもアジア全域のことを考えるようになる。目を外にむけて、外国人を招き入れないとこの国の繁栄は維持できない。街は安全できれいで、英語が通じて、交通や通信インフラがしっかりしているから、たしかに使い勝手が良い。本当は中国系国家のはずなのだが、コスモポリタン国家を標榜して、自国民で足りない部分はどんどん外国人を使っている。

○逆にいえば、外国人に見放されたら最後、この国に未来はない。これだけ生活水準が上がれば、いろんな面でコストは上がるから、他のアセアン諸国に対して不利な条件になる。そこでその分効率性を高めて、国際競争力を維持しようとする。あるいは香港や上海にどう対抗するか、外資を招き入れるにはどうしたらいいか、観光客を絶やさないための秘訣は何か。そういう危機感があるから、一生懸命考えるし、知恵も湧いてくる。

○第3に興味深い点は、ネット革命がこの国にどんな影響をもたらすか。これは強気と弱気の両方の見方が可能だろう。この国では「アメリカ流」が押し通せるので、e-commerceに適しているという見方がある。すでに、「利益はまだ出てないが、上場すれば市場価値4億ドルのネット関連の会社」が育っているという。こんな芸当は他のアセアンの国では不可能。せいぜいフィリピンに、「e-commerceの下請け」的な仕事が回ってくる程度で、インドネシアやベトナムなどは縁なき衆生である。これではアジアに、「デジタル・ディバイド」ができてしまうかもしれぬ。

○一方、政府主導で言論統制のあるこの国に、本当の意味で自由な発想からなるネットビジネスが可能なのかという疑問が残る。e-commerceについては、この国はB to B (Business to Business)を優先しているとのこと。おそらく民間主導の香港では、B to C (Business to Consumers)が優先されることだろう。日本のコンテンツ産業である、ゲーム、アニメ、キャラクター、カラオケなどは、学歴社会と無縁なところで成長した。同じようなふところの広さは、この国では期待できない。

○・・・・などと固い話に終始しましたが、そうそう、今日は有名なラッフルズホテルを通りました。ちょっと中を見ていたら、外では雨が降り出した。サマセット・モームの小説『雨』とは違い、単なる通り雨でしたけど。モームの文章は、やたらと受験英語に出てくるので、それなりに読んだ記憶がある。しかしどこが良いのかはあまり分からなかった。むしろ思い出すのは、駿台予備校のO先生の授業。モームの小説を題材に、すごく面白い雑談をたくさんしてくれました。英語力をいささかも高めることはなく、受験にはもちろん役立たず、その後の人生でもまったく使い道のない知識だったけど、人生を少しだけゆたかにしてくれる話でした。こういうことに限って、20年たっても実によく覚えているものです。



<2月24日>(木)

○シンガポールからタイに向かう機中でこれを書いております。で、タイに関するにわか勉強をしたところ、この国の国歌がなんともいえずおかしい。

  血肉をわかつ我がタイは、皆の団結ある故に
  国土は固く守られて、天地と共に窮みなし
  平和を好むも銃とらば、独立誰にも犯させず
  生命を捧ぐ、民族に、我がタイ国に栄えあれ


○思わず、「おめえのガラじゃないだろ」とつっこみを入れたくなる歌詞です。はっきりいって、この国は戦争が弱いです。しかし外交はうまいので、いつの間にか自分のペースに持ち込んで意見を通します。第2次世界大戦では日本の同盟国でしたが、終わってみると連合国側についていました。こないだの通貨危機への対処も見事でした。「改革の優等生」などと呼ばれつつ、しっかり手抜きをしている。とにかくしたたかな国なんです。

○とはいうものの、国歌というのはそれなりに勇ましくないとカッコがつきません。その点、この国などは折り紙つきです。

進めヴィエトナム軍団結し、救国のために
  彼らが足音は長く険しい道の上に響く
  血染めの旗の下、祖国の勝利のため
  銃声が進軍歌にこだまする
  敵のしかばねをのり越え、栄光の道へ
  困難を打ち破り、共に戦場へ
  人民のためわれらは戦う
  とどまることなく急げ戦場へ、進め共に
  若きヴィエトナム確固たる未来のために


○限りなく軍歌に近い。戦争に滅法強くて、中国にもアメリカにも勝った国だけあって、勇ましい歌詞に説得力があります。こういう国歌に比べると、「あなたの時代がずうっと続きますように。こんな小さな小石が、大きな岩に育って、苔がむすくらいまで」というわが君が代は存外オシャレかもしれない。さて、ちょっと長いですが、こんな歌もあります。

インドネシアはわれらの国土
われらの生れし故郷
われらはみな立ち上る
この母国を守るために
インドネシアはわれらのもの
われら国民のもの、われらの国
いざ来たれ、みな一つになろう
インドネシアのために
われらが国土永遠なれ
われらが国家永遠なれ
われらが国民すべて
身も心もめざめよう
偉大なるインドネシアのために


○この歌ができた1928年10月28日、インドネシアはまだオランダの植民地下にあった。この日、インドネシアの若者たちは集まってこの歌を歌い、ひとつの国家、ひとつの言語を持とうと誓い合ったという。そういういわれを聞くと、ちょっと感動的でもある。

○てなことを考えているうちにタイに入国したのですが、これで4回目ですからさほどの感動はない。入国審査に「APECレーン」という窓口ができていて、そこだけ列が短かったので堂々と並ぶ。APECが何たるか、また自分の国が属しているかどうか、定かではない人が多いと見える。

○夜中にホテルの近くのスーパーへ行き、ミネラルウォーターと、土産用のナンプラーと白と黒のコショウを買う。しめて112バーツ。360円くらい。あいかわらず清潔でも安全でもない街ですけど、なんとなく感じる居心地の良さはいったい何なのでしょうか。やっぱりアジアはこうでなくっちゃあ。



<2月25日>(金)

○トタンぶきの粗末な家が立ち並ぶ向こうに、高層ビル街が林立している。見れば高層ビルの2割程度は建設中である。よく見ると工事現場のクレーンは、ほとんどが真横に寝ている。これは工事が中断しているしるし。クレーンが斜めになって、ちゃんと仕事をしているビルは数えるほどだ。なかには明らかに工事続行を放棄されたビルもある。通貨危機の爪痕はバンコクのそこら中に残っている。

○ところが今のタイ経済は、金融と建設以外は好調というから、あら不思議。電子機器を中心に輸出が伸びており、内需もクルマがよく売れている。その一方、金融機関の不良債権問題は、時間ばかりがかかって解決の見通しがつかない。政府は財政を拡大したり、消費税を時限的に引き下げたりして景気浮揚に務めているが、この間財政赤字は拡大している。赤字国債を発行したところ、低金利に困っていた国民がよろこんで買いあさっているという。おかげで長期金利が上がらないのは結構なことだが、マネーが行き場をなくしている点は日本と同じである。これでは設備投資には火が点かない。

○道路の脇の広告看板を見ていると、エステあり、かつらあり、スーパーモデルの化粧品ありで、他のアセアン諸国に比べて消費文化が成熟している。それ以上に現在のバンコクを彩っているのは、無数の選挙ポスターである。3月4日には、新憲法下ではじめての上院選挙を控えており、無数のポスターが無秩序に散乱している。なにしろ選挙違反は当たり前というお国柄。何を思ったか、辻説法などで候補者が有権者に意見を述べることは禁じられているという。これではどうやって候補者を選べばいいのか。

○ところでインドネシアは「他力本願」、シンガポールは「緊張感」。ではタイのキーワードは何だろう。「二番手主義」「Soft, Open, Flexible」「食うに困らぬのんきもの」「遅々として進む国」など、いろいろ思い浮かぶが決定打が出ない。あと一歩の努力を要す。

○あちこちで議論しているうちに、「タイ経済は欧米流に脱皮するのか、それともアジア流(日本的)のままにとどまるのか」という根本的な疑問にたどりつく。サイアムセメントなど、一部の企業では米国帰りの若手MBAたちが大胆なリストラを展開中。その反面、華僑系の銀行などは旧態依然の様子。外資がこの国の企業を買いあさった結果、かつてのクローニー主義は放逐されるという見方がある。その一方、この国の人々がそう簡単に変わるものかという気もする。この問題、実は「日本経済が変わるか変わらないのか」という点にもからんでくる。日本が本気で変わるのなら、タイも変わるだろう。

○ようやく日程は今日で折り返し点を迎えた。別に安心したわけでもないが、朝から下痢状態。おかしなものを食べたわけではなく、どうやら冷房の効き過ぎでおなかが冷えてしまったらしい。今日も5件の面談(商社、政府関係、ジェトロ、銀行、ジョイントベンチャー)のうち、2件は寒くて冷や汗ものだった。それでも夜はしっかりタイ風スキヤキを食べに可口飯店へ。唐辛子とニンニクで汗を流し、これで復活と思ったが甘かった。これではタニヤ街深夜の乱行は不可能である。これを読んだ配偶者は安心するように。



<2月26日>(土)

○本日はバンコクから片道1時間半かけてレムチャバン港へ。有名なパタヤビーチのちょっと手前。ここは某商社が中心になって、ODAで作った港湾である。現地で港湾の運営会社社長をしているK氏からいろんな話を聞く。物流の話は面白い。へんな比較だが、岡崎研究所で防衛関係者の話を聞いているときと同じような面白さがある。ロジスティクスや安全保障を扱う人は、100%リアリストでなければならない。そういう種類の気持ち良さを感じる。

○お昼は海岸近くのシーフードレストラン。場所がテラスなので海が見える。それより今日の私には、冷房がないことのほうがありがたい。レムチャバンから帰りのクルマの中で熟睡し、少しは体調が戻ったような気がした。

○タイバーツは現在1ドル38バーツ程度。1バーツは3円ちょっとになる。日本の物価に置き換えるときは、簡単に3倍すればいい。ただし日本とタイでは内外価格差が3倍くらいあるので、さらに3倍した値段を想定すると生活実感に近くなるのだそうだ。たとえば中華料理屋で飯を食う。6人で2000バーツだったとすると、実に1人1000円の安さである。これを1人3000円の支払いだったと思えば、妥当な金額に思える。あるいはジム・トンプソンで売っている1200バーツのネクタイは、3600円程度の値段になるが、これは1本1万円のネクタイだ、それでも買うか?と自問自答してみる。1万円のネクタイなんて買うわけないよね。

○ジム・トンプソンというのは絹製品のブランドなんだけど、これを見ると技術的水準は高いが、超一流というほどではないように思える。どうもタイという国は、中国やインドネシアに比べれば明らかに優れているが、これだけは世界一という商品が育たない。なぜかというと、「オタクがいないから」だという。食うに困らない国で、おっとりした人たちが多いので、一芸を極めようなどというもの好きが少ないのだという。逆にいえば、日本という国はオタクが多いからグローバル・ブランドが育ったのだろう。

○夜、当社バンコク店のN君と会う。『溜池通信』初期からの愛読者で、ときどき秀逸なコメントを頂戴する。「いつもデータを集めた上で推論しているのか、推論してからデータを集めるのか」と聞かれたので、明確に後者だと答える。つねづね『溜池通信』というのは、骨太でタイムリーな仮説を紹介する場所だと思っています。まあいろいろ話したいことはあったのですが、タニヤ街のショーパブというのは、こういう話をするにはもっとも不向きな場所であったことは認めざるを得ない。なんでこうなるの?



<2月27日>(日)

○今回の出張ではカメラを持ってきていない。昔は1週間の旅行で、100枚以上の写真を撮たこともあるのだが。行った先の地図を集めるという習慣も失われて久しい。土産は昔から自分用には買わない。要するに行った先のモノを残すという意欲がほとんどなくなった。今回の出張では、方々でたくさんの資料をありがたく頂戴するのだけども、もらいっぱなしであとで精読するということはなさそう。帰国したら報告書をまとめることになっているので、本当はそんなことではいけないのだけども、大長編になるわけはないので、この日記と手書きのノートがあればなんとかなると思う。

○人間、しょせんあの世まで持っていけるのは記憶だけ。なにも写真や資料を残しておく必要はない。しかし、その記憶でさえどんどん薄れていく。成田を発ったのは先週の日曜。ジャカルタやシンガポールの印象がぼやけてきた。早い話がどんどん忘れていく。一方で適当に忘れてしまわないと、あと2カ国残っている取材ができなくなる。こんな調子で旅を続けて、最後に帰ったときに、何が印象に残っているのだろう。きっとすごい達成感があると思うけど。

○ということで、ちょっと疲れております。ま、日曜だからいいんだけどね。ただいまクアラルンプルのホテルにチェックインしたところ。機中も空港からのクルマの中でもひたすら寝てました。腹の調子は良くならないし、少し熱っぽい。出張先で体調が悪くなるなんてことは、前にはなかったこと。タニヤ街の女の子に「あなた33歳くらい?」といわれて、「おお、15%もごまかしたぞ!」と単純に喜んでおったが、見てくれはともかく中身のほうはすっかりオジンである。

○気を取り直して、各国のインターネット事情をご紹介しよう。これまでの4都市はすべてニフティのローミングサービスが使えたので、市内電話料金でインターネットに接続できた。しかしジャカルタは回線がのろすぎて、ほとんど実用に適さず。シンガポール、バンコク、クアラルンプルはいずれも快適で甲乙つけがたし。特にバンコクは市内電話が10バーツの定額制で、結構使ったわりには嘘みたいに安かった。タイはPCの普及率が低いけど、意外とこれからIT関連のベンチャー企業が出るかもしれない。なにせ知的所有権を堂々と蹂躪している国だ。「150バーツのウィンドウズ2000」を売っていたりする。CD−ROMをただコピーしただけで、マニュアルもサポートもついてないが、そりゃあ文句はいいっこナシよ、もってけ泥棒500円。だれかシアトルのビルに、このことを教えてあげてください。

○マレーシア・リンギットは1ドル3.8MRの固定相場制。マハティールが通貨危機に激怒して、無理矢理通貨を管理している。入国と出国時には、「汝はいかほどのドルとリンギットを持っておるのか」という御下問の紙を提出させられる。入国カードには、「当国の法律では、麻薬持ち込みは死刑であるぞよ」とも書いてある。しかしシンガポールのような冷たい管理社会ではなく、物価も安いし、街はそこそこきれいだし、結構住みやすそうである。日本円に換算すると1MR=30円ちょっとだが、ここでも生活実感的には1MR=100円なのだそうだ。今夜の客家飯店での食事が5人で2200MR。全部で7000円見当であるが、これは2万2000円と考えて「おひとり様4400円とうし」と考えるとリーズナブルである。当方はあいにく食欲低下中につき、同行のK氏から風邪薬をありがたく頂戴して飲む。明日は大丈夫?



<2月28日>(月)

○シンクタンク、政府機関、ジェトロ、商社駐在員(2社)、マルチメディア・スーパー・コリドー(MSC)見学を1日で制覇。これでもうマレーシアは締めたも同然か。ふふふ。前日8時間も寝たので、今日は少し元気である。

○この国はマハティールの国。といっても問題はありますまい。当国4代目首相にして、足かけ19年の長期政権。この間の業績はカクカクたるもので、そもそも熱帯にあるイスラム国家が、見事工業化を果たしたというだけでもタダゴトではない。去年秋の選挙で、与党連合が議席の3分の2を維持したので、マハティールの任期はあと5年残っている。現在74歳。「マハティールがあと2人出るか、ケ小平と同じくらい長生きしたら、マレーシアは2020年には先進国になっているだろう」てなことをおっしゃる人がいる。でもどちらも望み薄なので、ポスト・マハティールがいやでも気になる。3人くらい候補者がいるが、果たしてどうなるのか。

○現地日本人の間には、マハティール信者が多い。国産車構想など、この国の問題点を話していると、「いや、それはマハティールは理解している」と言う方が多い。つまり御本尊はいいのだけど、周囲があかんのだと。この国はブミプトラ政策ということで、マレー人を優遇している。しかし国民はそれをいいことに努力をしない。親の心子知らず。「時計台の時計が止まっているのを見て、部下をしかりつけて直させた」みたいなエピソードを聞くと、孤独なリーダーの姿が浮かんでくる。

○変な話だが、マハティールの姿が諸葛孔明に重なってきた。不利な条件の国を背負って、強い使命感の下、孤軍奮闘をするのだが、惜しむらくは周囲に人材がいない。というか全然育たない。リーダーができ過ぎると、部下が甘えてしまって育たないのだ。やっと育てたナンバーツーは、「泣いて馬稷を切る」ことにあいなった。日本人の間でファンが多いのも似ている。悲運のリーダーにならなければいいのだけど。

○念のためいっておきますが、筆者は孔明をあんまり評価しない人です。「孔明殿は鞭20以上の刑罰はご自身で決裁されます」と聞いて、にやりと笑った司馬仲達の方が、戦略家としては上だと思います。

○スーパーコリドーはなかなかすごいことになっております。すでに首都機能の移転先であるプトラジャヤは建設が進んでおり、マハティールもここで執務しているという。反対側には電脳都市サイバージャヤが姿をあらわしつつある。クアラルンプル市の中心部と、国際空港をはさむ広大な敷地(シンガポール全土に相当する)に光ファイバーを張りめぐらし、国際的なIT産業を誘致している。全体の構想を作ったのはマッキンゼーだという。大前さん、あんたもやるじゃないの。

○しかし、これでマレーシア全土にIT革命が起こるのかと思ったら、そこはよく分からない。だいたいこの国は製造業、それも電子・電気産業の輸出でもっている国。さらに本当のところは、あいかわらず一次産品(石油、ガス、ゴム、その他)が重きをなしている、という説も。国民の大多数にとっては、ITなんぞ縁がない。政府の狙いはあくまで外国企業を誘致することで、ITの本当の意味を理解していないかもしれない。このへんに政府主導型プロジェクトの限界がありますようで。

○ITが成功する国の3条件というのを考えてみた。

@政府の政策(IT支援、民主主義、言論の自由、教育制度など)
Aインフラ(PC普及率、通信設備、電話料金など)
B国民性(人口、教育水準、英語力、独創性など)

こうしてみると、当然ながらアメリカがいちばん条件を満たしている。日本だって電話料金と英語力以外はいい線いっている。今回旅した中ではシンガポールがもっとも有力だが、言論の自由と人口の少なさが気にかかる。インドネシアやベトナムは問題外でしょうね。ふと気がつくと、エマージング諸国では2つだけ、見事に条件をクリアしている国がある。インドとイスラエルだ。要マーク。



<2月29日>(火)

○昨晩、HPを更新している最中に、このページが消えてしまったのであせりました。今朝、なんとか失われていたファイルを拾い出し、ホーチミン行きの飛行機の中で昨晩書いた部分を書き直しました。約半日の間、「東南アジア見聞録」は消えておりました。お騒がせいたしました。正確には数えていないけど、おそらく出発してからのべ500件くらいのアクセスを当HPにいただいています。本誌を書いていないのに、「1日50件」の反応が続いているとは望外の幸いです。

○さて、アセアンはどこへ行っても冷房が効き過ぎで寒いとおもっておりましたが、さすがにベトナムは暑いです。強い日差しを浴び、空港の混乱ぶりを見せつけられると、いやでもテンションが高まります。これぞ発展途上国。さあこい、勝負だ、てな気分になる。ここに至り、風邪気味だの腹がどうのとはいってられなくなりました。

○本日、ホーチミン市でいろんな人の話を聞いたところ、「アメリカに勝ってしまったこの国の不幸」という言葉が印象に残りました。負けてしまえば、日本のように経済発展ができたかもしれない。ところが勝ってしまったために、軍隊の力が強くなってしまった。1975年にサイゴンが陥落したが、その3年後の78年には、ベトナムはカンボジアへの侵攻を行ってしまう。79年には中越戦争も。これで国際的な孤立と、長い経済の停滞が決定的になる。1986年にドイモイ政策が始まったときは、まさにこの国にとって背水の陣であったという。

○現在、ベトナムでは若い世代の力が伸びている。しかしその上で改革への妨げになっているのは、戦争を戦った古い世代である。彼らは市場経済や国際競争のことなどまるで分かってはおらず、「俺達は戦争に勝った」という意識だけが残っている。ここでケ小平のように強力なリーダーが登場すればいいのだが、あいにく合議制でものごとが決まる国である。あーでもない、こーでもないで日が暮れる。革命の英雄、ホーチミンといえど、死んでからカリスマにされてしまった感があり、生きているうちは普通の調整型指導者であったそうだ。政治が変わらないことには、この国のポテンシャルを活かすことは難しい。

○マレーシアの経済発展がうまくいかないので、マハティール首相が部下たちに意見を求めた。そこで、ひとりの部下が勇気を奮って進言をした。

「アメリカに対して戦争を仕掛けるというのはどうでしょう」
「ふむ、するとどうなる」とマハティールは聞いた。
「わが国は戦争に負けて、アメリカに占領されます。そうしたら日本のような飛躍が可能になるでしょう」
「それは面白い。だが、万が一勝ってしまった場合はどうなる」
「ああ、そのときはベトナムのようになってしまうでしょう」


○明日のこの時間には、日本に向かう飛行機の中にいるはずです。短期間に5カ国も回って、記憶の混乱と、疲労と、いささかの感慨が入り交じった状態。明日もベトナムの熱気に負けませんように。



<3月1日>(水)

○アジアの旅の終わりはやはりベトナム。はだしで歩道を歩いている少年、アオザイ姿で自転車をこぐ女子高生、小さな子供をあいだに挟んで3人でバイクに乗っている若夫婦、君たちみんなが、おじさんの眼にはまぶしいぞ。日差しは強く、エアコンの効きは悪く、のどはしきりに渇くけど、これぞアジアだ。ナイキ向けの縫製工場で、忙しくミシンを働かせている女性たちの手の速さ。カメラを向けると下を向いてしまうバイク部品工場の職員たち。昨日あげた1ドル札のことを、しっかり覚えているホテルのスタッフ。政府が何をしようが、通貨危機が起きようが、日本の総合商社が何をしていようが、そんなこと関係ないわい。

○すべての取材を終了し、ただいま午後3時。今夜の深夜便で日本に帰ります。



<3月2日>(木)

○今乗っている飛行機は実に7本目。久々の国内便です。深夜便で関空で到着して入国、羽田に向かっているところ。この12日間、訪問先の5カ国で交換した名刺は60枚。この「東南アジア見聞録」もかなりのボリュームとなりました。財布のなかには、170,000ルピア、56シンガポールドル、2,100バーツ、117リンギット、36,000ドンが残っています。それそれ米ドルに換算すると、24ドル、31ドル、55ドル、31ドル、2.5ドルとなります。あとは125ドルの現金と300ドルのTCも。うーん、ずいぶん外貨を余してしまいましたね。この次、出張に行くのはいつのことでしょう。

○ベトナムについての記述が少なくなってしまいました。昨年11月の日記でもいろいろ書きましたが、この国について文字情報で伝えることは難しいとつくづく思います。あのバイクの群れの喧燥と熱気を文章で表現することは、少なくとも筆者の能力を超えています。これは映像でも難しい。ホーチミンの街頭に立って、間断ないクラクションの音を聞きながら、汗を流しつつ体験してもらう以外にない。きっと、「これぞアジア」というエネルギーを感じられるはずです。「おじさん」のアドバイスとしては、ベトナムに行くならなるべく若いうちに。スーツ着ていくべき国じゃありません。

○さて、関空に降り立って、冷たい空気にさらされてみると、「はて、ここはアジアの一部かしら」という疑問をあらためて感じます。コメを食べる、茶を飲む、箸を使う、黄色人種である、女性が働き者、などの特色は、今回の旅先では共通の現象でした。それでも「アジアはひとつ」というよりは、「アジアは多様で奥が深い」というのが実感です。(ここまで機中で執筆)

○会社に立ち寄り、荷物を一部降ろし、溜まったメールをチェックしてから帰宅したところです。「やっぱり日本は先進国だなあ」と感じたいのは、羽田空港で見た藤原紀香のポスターでした。こんなふうに気のきいたポスターは、アセアンにはありません。タイがいいとか、ベトナムがいいとかいう人はおりますが、そりゃなんといっても日本の女性がいちばんきれいですよ。別におもねっていうわけじゃありませんけどね。低成長でも、財政が借金漬けでも、変な犯罪がちょっとくらい増えても、やっぱり日本はいい国です。

○ジャカルタのジャパン・クラブで見た、一枚の張り紙のことをまた思い出しました。それは本を読んでいる、ピカチュウの後ろ姿を描いた手書きポスター。「クラブにある図書室では、会員に対して本の貸し出しを行ってますよ」、と書いてあった。図書室はずいぶん立派でしたが、それでも読みたい本がすぐに手に入るという環境ではないはず。駐在員とその家族というのは、いろんな我慢をしているわけですが、特に小さい子供にとって本に飢えるということはどんなにつらいことでしょう。本に関してはきわめて贅沢に育った自分自身と、現在、贅沢に育ちつつある娘のことを思うと、日本にいるだけでたくさんの自由を得ているのだとあらためて感じました。

○今回の出張では、そういう駐在員の方々大勢にお世話になりました。心に残る言葉もたくさんいただきました。本当に勉強になったなぁ、というのが実感です。それにしても商社マンは面白い稼業です。いつの日か、筆者もどこかの都市で、お世話する側に回るかもしれません。

○ということで、東南アジア見聞録はこれにて一巻の終り。ご愛読ありがとうございました。



●かんべえさんのスケジュール

2月20日(日)成田→ジャカルタ・・・・・・・・・・(ジャカルタ泊)済み!
2月21日(月)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ジャカルタ泊)済み!
2月22日(火)ジャカルタ→シンガポール・・・・・・(シンガポール泊)済み!
2月23日(水)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(シンガポール泊)済み!
2月24日(木)シンガポール→バンコク ・・・・・・(バンコク泊)済み!
2月25日(金)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(バンコク泊)済み!
2月26日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(バンコク泊)済み!
2月27日(日)バンコク→クアラルンプール・・・・(クアラルンプル泊)済み!
2月28日(月)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(クアラルンプル泊)済み!
2月29日(火)クアラルンプル→ホーチミン ・・・・(ホーチミン泊)済み!
3月 1日(水)ホーチミン→関空 ・・・・・・・・・・(機中泊)済み!
3月 2日(木)関空→羽田  到着!



編集者敬白






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by Tatsuhiko Yoshizaki