<2月1日>(日)
○その昔、ワシが田舎から出てきてから住んだ場所というと、小平市学園西町とか、川崎市宮前平とか、杉並区南荻窪とか、高級住宅街とまでは言わないまでも、そこそこ立派な家が建ち並んでいる住宅地であった。そんな中で、ワシは下宿なり独身寮なり小さなアパートなりに住んでおったわけであるが、今から思うと周囲の景色を全く気にしていなかった。要するに「格差」とか「不平等」を意識することがなかった。今から考えると、まことに幸いなことであった。
○総じて、昭和ひとけたに育てられた世代の地方出身者というものは、「財産は個人の努力と倹約で作る」ことが当たり前であった。そもそも親たちは、モノのない時代に質素に育っていた上に、戦災で家を焼かれたりしているので、さしたる資産を有していなかった、という事情もある。
○かくして30年くらい世の中で働いてみて、健康にも職場にも恵まれ、50代となった今では柏市内のしょぼい一戸建てを所有している。最近はうちの町内でこれを読んでいる人がいるらしいので、こんな風に書くのは非常に心苦しいのであるが、どう考えてもかつて住んだ宮前平や南荻窪に比べると、住宅地としては今一つである。でもまあ、ローンもちゃんと完済しているし、自分にはふさわしい場所に思えるので、特に不満があるわけではないのである。
○ピケティの議論から行くと、こんな風に楽観的に行動してこれたのは、1940年代から70年代に生まれた幸福な世代に限られることになるらしい。r>gという冷厳なる法則の前では、世の中は確実に「勉強と労働では、とうてい快適で優雅な生活は得られない」(『21世紀の資本』p194)という19世紀のような世界に向かいつつある。19世紀社会では、相続が財産づくりの中心を占めていた。たまたま2つの世界大戦で資本が毀損され、その後は世界的な高度成長時代があったので、相続というものが消滅したように見えただけなのだと。
○分厚い本を入手して、とりあえず「はじめに」と「おわりに」と「第11章 長期的に見た能力と相続」を読んだだけなのだが、この11章は面白い。どうもピケティの議論のキモの部分は、「相続」にあるのではないかという気がしている。ピケティにかこつけて「正規と非正規」の話をしたがる人は、ちょっとセンスが悪いと思う。要するにこれからは、「相続による所得が労働所得よりも大きな割合を占める社会」≒「不労所得の方が勤労所得よりも重要な時代」になるってことですよ。今までのワシのような幸福な錯覚は、あらためなきゃいかんということになるのです。
○さて、ここでしみじみ思うのは、日本は課題先進国だということである。第1にこの国では、非常に苛酷な相続税制を用いている。それはr>gに対する有効な対策になるのだろうか。第2にこの国では、資本の長期の運用先がない。長期金利は低く、株にはリスクがあり、不動産運用はすぐに「空家」になってしまう。ピケティの議論ではrはいつの時代でも5%前後になることになっているが、今の日本ではどうなんだろう。「金持ちもツライよ」となるんじゃないだろうか。
○最後に、今朝の日経のピケティへのインタビューは非常に良いと思います。ピケティは成長を否定していません。「ピケティが世界中で受けているから分配重視の政策を」というのは、半可通の議論となります。気を付けましょう。
<2月2日>(月)
○さらにピケティ論を続けてみる。
○19世紀のフランス上流階級では、女性には持参金がつきものであった。これが年間で何万フランをもたらすかによって、女性の価値が決まった。時には美貌や才覚や家柄以上に重要であった。相続が国民所得(フロー)の4分の1くらいを占めて、資本(ストック)のほとんどを担っていた時代であるから、無理もない話である。そういうお金がなかったら、音楽会に行ったり、お洒落をしたり、使用人を使ったりといった「当たり前の暮らし」ができなかった。これでは勉強や勤労よりも、結婚と相続の方が大切だということになる。嫌な時代ですねえ。
○もっともこれは、当時の社会のトップ1%くらいの人たちに限られた話である。99%の人たちにはほとんどチャンスがなかった。思わず、「レ・ミゼラブル」の世界を思い出しますな。江戸時代における士農工商という身分制度の方が、まだしも救いがあったような気がします。武士は威張ってるけどカネがない、農民は地味だけれども食い物を握っている。職人は腕が良ければ尊敬されるし、商人には一攫千金のチャンスがあった。もっとも江戸時代の商人たちは、r>gどころか結構な有為転変を経験していたようであるし、堂島の米市場では世界初の先物取引が行われていた。そういった伝統の上に、今日の日本型資本主義があるわけでありまして。
○さて、現代人の立場になって、われわれは次の世代にどんな財産を残すことができるのだろうか。21世紀の社会がますます格差社会の度合いを強め、19世紀のように相続が重要な地位を占める時代を迎えるのであれば、たとえスズメの涙ほどの資産であっても、なるべく有効な形で孫子の代に伝えたいものである。
○子孫のために美田を買わず、というのは西郷隆盛の遺訓である。カッコいいセリフではあるが、これも1940年代〜70年代生まれと同じように、恵まれた世代ならではの勘違い発言の匂いがする。幕末から明治という激動の時代においては、確かに金持ちが没落して貧乏人が成り上がることが普通であった。だったら、子孫には教育機会だけを与えておいて、後は放っておく方が当人たちが鍛えられて良いということになる。しかし安定した低成長な世の中が到来すると、たちどころに藩閥政治が始まっている。すなわち、「親からもらった美田を競う」ような世の中である。親の世代としては、自分たちの世代の常識を、あんまり子供たちに強制しない方がいいのかもしれない。
○とはいうものの、次世代に何を残せばいいのであろう。金融資産は、危なっかしいものばかりである。日本国債も株券もFXも米国債も、いったい何を信用したらいいのか。キャッシュはインフレが怖い。金塊もわけがわからんし、盗難の心配もしなければならない。そうそう、自分が将来ボケてしまったら、振り込め詐欺にだって遭うかもしれない。さあ、どうしますか、ご同輩。
○せめて家くらいは、ちゃんとしたものを次世代に残そう、という考え方もあるだろう。たまたま今日、木材ビジネスのプロの方に話を聞いたのだが、最近の住宅は安かろう悪かろうで、あんまり長い期間はもたないのだそうである。昔の建築物、極端に言えば世界遺産の合掌造りみたいな木造建築は、相当な風雪に耐えて使用できる。が、ありきたりの間取りで売っているような建売の物件は、あんまり期待しない方がいいらしい。「まあ、注文建築で坪当たり100万円もかければですな・・・」と言われて、ちょっと意気阻喪してしまいましたな。もちろんリフォームにとことんカネをかける、という選択肢は充分にあるでしょうけれども。
○政策の流れとしては、「100年持つ住宅を作りましょう」ということになっている。その方がエコだし、余ったお金をほかで使ってもらえますからね。が、一方で伊勢神宮みたいに、定期的に木造建築を建て替えるというライフスタイルも、それはそれでエコなのではないだろうか。人と森とが共に育ちつつ、数十年ごとに木造建築を作っていく。廃材はバイオマスにして電力を取出し、最後は再び山に返す。問題は森林を維持するとともに、すぐれた大工さんなり左官屋さんなりを育てていかなければならないことだ。伊勢神宮の20年サイクルも、森林とともに宮大工を育てていくというシステムに主眼があるのだろう。
○さてもさても、この問題は難しい。少子化時代に生きる我々は、のちの世代にどんな住宅文化を残していけるのか。全国で数百万軒の「空家」の山を築いて、後の世代がちっとも使えないというのでは、勿体なさすぎるしエコでもない。さりとて人手不足は深刻化していて、次の世代の技術者もあんまり育ってはいないようである。そこへ東京五輪の建築ブームが押し寄せてくる。はてさて、どうしたらいいのだろうか。
<2月3日>(火)
○「イスラム国」による日本人人質事件について語ると、なんだかカルマがたまりそうで嫌な気がするので、今日もピケティ談義に逃避することにする。
○『21世紀の資本』に対しては、いろんな突っ込み方が可能であろうが、唯一、これだけは言ってはならないのが、「ピケティは知的に怠慢である」という批判である。これだけ分厚い本を書いているんだから、しかも歴史的なデータを縦横に駆使しているのだから、そして最初から最後まで情熱的なトーンが変わらないのだから、少なくとも怠惰な人だという批判は当たらないだろう。ワシの個人的な偏見からいうと、いわゆる「格差」の問題を議論したがる人は、知的に怠慢なタイプが少なくないような気がする(両方のベクトルともね)。
○ピケティ自身も、本書の「はじめに」の中で、次のような辛辣なコメントを寄せている。
一部の人は、格差は常に増大しており、世界は定義からして常に不公正になりつつあるのだと信じている。別の人たちは、格差は当然ながら下がっているとか、調和が自動的に生まれるとか考えているし、いずれにしてもこの幸せな均衡を乱しかねないようなことは何もすべきでないと考えている。お互いに聞く耳を持たない者同士のこの対話では、お互いが相手の怠慢を指摘することで自分の知的怠慢を正当化している。
○それまで無責任な印象論が跋扈していた「格差の拡大論」に対して、歴史的な視座を与えたという意味で、『21世紀の資本』が果たした役割は大きいと思う。
○ワシなどは、自分が典型的に怠慢な人間であることを自覚している。ただしどちらかというと、「自分たちは世の中のために正しいことをしているのだから」と考えて、自分の怠慢を許す人には反感を持ち、「どうせ世の中は簡単に変えられやしないんだから」と考えて、周囲の怠慢を大雑把に許すことには、ついつい寛大になるタイプである。しょうがないじゃん、人間だもの。
○自分が怠慢であることを認めている人間は、少なくとも他人の勤勉や貢献を素直に評価すべきでありましょう。サマーズ先生やクルーグマン先生は、大真面目にピケティを語りつつも、どこか面白くなさそうに見えてしまうのは、学者として当然の嫉妬が含まれているからなのでしょう。「若くして、一冊の本を送り出し、世界に甚大な影響を与える」という学者の本懐を果たしているんですものね。ましてや凡夫が、「ピケティは所詮〜〜だよね」などと軽く片づけようとするのは、あまり褒められた話ではないと思います。
○とは言いつつも、そろそろ彼も帰国したであろうから(その前は南米を回っていたのだそうだ。あの本は全世界でくまなく売れていると見える)、この先は急速にピケティブームも冷えていくのかもしれない。この人のブログによると、東大の授業には実に多士済々な方々が集まったようである。いかにも達成感がありますわなあ。
○これだけ分厚い本が世界中の注目を集めたのは、ポール・ケネディの『大国の興亡』以来じゃないかと思う。『大国の興亡』は、超大国がオーバーコミットメントによって衰退していく、というお話で、当時は「これぞ今のアメリカ!」などと騒がれたものだが、実際にオーバーコミットメントで自滅したのはソ連の方であった。それでも21世紀の今日から見ると、「ああ、やっぱりアメリカはそういうことになっちゃいましたねえ」と言えないこともない。目先の予測では案外と外れてしまうのだけど、長い目で見ると正鵠を得ている、というのが名著というものなのでしょう。『21世紀の資本』も、短期で外れて長期では当たる、なんてことになるような気がしています。
<2月4日>(水)
○今週は北陸新幹線のプレビューをやっているらしく、よくニュースになりますね。2月2日の「北陸フォーラム」では、永原会長(北陸経済連合会)がこんなことを言ってましたぞ。
「これから北陸はAKBで売る。A=甘エビ、K=カニ、B=ブリだ」
○ちゃんと甘エビが石川で、カニが福井で、ブリが富山という分担までできている。面白い。「北陸AKBどんぶり」なんて作ったらいいかも。
○ところでさる人から富山について聞かれて、まったく答えられなかったことがあります。それがこの質問。
「富山のくすりは昔から有名ですが、あれは誰がどうやって作っていたんでしょうか。原料は島津藩から取り寄せていたそうなんですが、そもそもどんな経緯で製造が始まったのかがよく分からない」
○確かに「売薬さん」のことは有名で、マーケティングの方はよく知られているのですが、くすりのマニュファクチャリングをどうやっていたのかを、あまり聞いたことがない。富山で発生したのであれば、大陸や半島から伝わったということでもなさそうだ。果てさて、なにが発端だったのでしょうか。詳しい方がいらっしゃいましたら、教えてください。
<2月5日>(木)
○本日、ステイゴールドが急死しました。ああ、なんて哀しい、惜しい。21歳だって、もうそんなになっていたのか。走っていた頃には馬券を買っていたわけだから、ワシの競馬歴も思えば長くなったものである。
○たまたま講談社『黄金の旅路』(石田敏徳)を読んだばっかりだった。本の帯には、以下のような惹句がある。
50戦7勝、2着12回、3着8回――
現役時代、勝ちきれなかった馬が、オルフェーヴル、ゴールドシップ、フェノーメノ、レッドリヴェールといったG1産駒を次々と輩出。
今や日本有数の種牡馬にまで成り上がった”大逆転”の軌跡。
ステイゴールドは「競馬の魅力」そのものである
○ホントにこの通りの馬でしたな。ディープインパクト産駒が球界の盟主たるジャイアンツなら、ステイゴールド産駒は何が起こるかわからないタイガースみたいな馬ばっかりでありました。ともにサンデーサイレンスを父とするわけだが、なんであんなに性格が違ったんだろう。
○いつか(共同でもいいから)馬主になれるとしたら、ステイゴールド産駒のオーナーになってみたかったな。でも、もうそれは無理な相談というもの。その代わりに、ドリームジャーニーやオルフェーヴルの子たちが、数年後にターフをにぎわせてくれるでしょう。きっと癖のある馬ばっかりだぞぅ。
○馬は死んでも、レースの記憶は残り、そして血統も残っている。うむ、まあ、人間もきっと同じことなんだろうな。これからも、末永く競馬ファンを続けたいと思います。
<2月6日>(金)
○上海から陳子雷先生がぶらりと来訪。当面の経済情勢やら、日中関係の動向やらについて意見交換。
○ピケティの本の日本語版を見せたら、「これ、中国でもベストセラーです。ピケティ、中国にも来てました」とのこと。そういえばピケティ教授、先週、日本に来る前は南米に行ってたんだそうで、まさしくロックスター並みの人気でありますな。中国ではピケティのことを、「資本論よりも長そうな本を、マルクスよりも短い時間で書いた人」というジョークがあるんだそうです。確か資本論の最後の部分は、マルクス没後にエンゲルスがまとめてくれたんですよね。
○ちなみに『21世紀の資本』の序文には、自分は(ベルリンの壁が崩壊した)1989年に18歳になったので、共産主義政権やソ連に対して「いささかの親近感もノスタルジアも感じたことはない」と冷たく言い放っています。ということは、フランスでも上の世代になると、「反資本主義を謳う、伝統的ながら怠惰なレトリック」を使いたがる連中が少なくないということなのでしょう。さすがはおフランス。
○ところで格差を問題視するフランスという国は、所得税が大嫌いで、消費税を世界で初めて生み出したことを誇りとしている国です。なんでもフランス革命の伝統があるから、税制が逆進的であっても全然心配が要らないのだ、という変な理屈がついている。『21世紀の資本』の第10章によれば、「フランスは革命直後の1791年に相続税と贈与税が財産登記簿とともに確立された」のだそうです。貴族からも税金を取り立てることになったときから、そういう制度ができたんだそうで、ピケティの研究にはそのデータが大いに役だったんだそうです。
○そしたら陳先生が曰く。「中国人もそうですよ。増値税は17%だけど誰も文句を言いません。でも所得税は大嫌い。相続税は今はないけれども、出来たらみんな絶対に反対します!」とのことでした。そして、「日本人はなぜ、あんなに消費税にうるさくて、所得税と相続税に寛大なんですかねえ」と尋ねられると、まったく答えができませんでした。なぜなんでしょう。私もわからなくなりました。誰か納得のいくような説明があったら教えてください。
<2月8日>(日)
○今日は仲道郁代のサントリーホール公演へ。え?おかしいですか? かんべえがピアノコンサートに行ったりすると。日曜日はいつも競馬、というわけじゃございませんことよ。おっほほほ。
○たまにはいつもと違ったことに手を出すと、アタマが刺激されていいもんです。年を取ると、いつも同じところに行って、同じ人にしか会わなくなりますからねえ。と言いつつ、シューマンでは少し寝てたけど。
○出たばっかりのご著書を買ってきました。ピアニストの世界というのがまったく想像を絶していて、書名通り「ピアニストはおもしろい」(春秋社)。今日は違う世界を覗いて、収穫の多い一日でした。
<2月9日>(月)
○本日、たまたま衆議院議員会館に行ったのですが、あまりに静かなので拍子抜けしました。きっとJAの関係者が押し寄せて来ていると思ったんですけどねえ。全中による地方農協への指導・監督権廃止という農協改革は、相当に重いニュースだと思うのでありますが。
○ワタクシ的には「ああ、やっぱりTPP交渉の妥結が近いのか」「やっぱり自民党とJAの間には、阿吽の呼吸があるんだなあ」と受け止めた次第です。なにしろこの1カ月くらいで、アメリカの風向きが急に変わった。日本は以前から同じことを言っているのに、対応が前向きになってきた。要するに「まとめにかかって」いる。もちろん知的財産権など、意見の合わない項目はあるけれども、最大の難関たる日米が合意するのなら、他の交渉10か国も少しは歩み寄るでしょう。
○TPPが決まるとしたら、普通に考えて国内対策費が出るでしょう。ウルグアイラウンド対策費は6兆円でした。まさかそこまで巨額ではないでしょうけれども、スズメの涙でもないでしょう。そこは自民党政権ですから、「改革するから、お前らは手ぶらで頑張れ」とは言わないはず。後で「アメ」があると分かっているからこそ、JAは改革という「ムチ」を受け入れられるのではないかと。
○そしてまた、日本の農業の生き残りを図るためには、弱者を守るために強者を犠牲にするという「相互扶助」の仕組みは放置しておけない。今のままでは後継者も不足して、日本農業全体が衰退してしまう。大規模化、効率化を進める一方で、ブランド化や海外向け輸出を図っていく必要がある。
○その一方で、准組合員の問題は「お咎めなし」となっている。JA共済や信連の活動は、どうぞ遠慮なくやってください、ということなのでしょう。農協は既に総合サービス産業になっている。金融や医療・介護はもちろん、最近は葬儀場までやっている。それは大いに続けていただいて結構。ただし農業を指導・監督するのは、見ちゃいられないのでやめてください。そういうことなのかな、と感じました。いや、間違っているかもしれませんけれどもね。
<2月10日>(火)
○今朝はテレビ東京の「モーサテ」へ。プロの眼のコーナーでは、ネタは「TPP交渉の行方を占う」。いつもの月曜トークに比べると、少し尺は短めです。
○今日のオマケはこちら。前半はお辞儀の話やハワイ談義などで盛り上がっておりますが、5分後くらいからが面白いかもしれません。
○で、モーサテが終わってから今度は文化放送へ。くにまるジャパンでは、ここでも「農協改革とTPP交渉」みたいなことを語っております。テレビからラジオへのダブルヘッダー。両方を視聴してくれた人は居るのでありましょうか。明日朝はNHKラジオビジネス展望に出演しますけど、そっちのネタは「新年度予算」といたします。あんまりネタが重なっちゃいけませんので。
○夜はアメリカ大使館のレセプションへ。今日は開発関係の会合で、日米は途上国支援で一致しているのだとか、USAID(合衆国国際開発庁)は現駐日大使のお父さんであるところのJFKが作った、てなことを教わる。なんでワシがこんな会合に呼ばれたかというと、たまたま先月、国際開発ジャーナルのインタビューに応えたから、であるらしい。そんなこと言っても、ワシはそんなに詳しくはないのだが。
○いろんな人とお話しして、ちょっとこれだけはメモしておこう。
「テロと格差に対するソリューションは、"Beyond
Outrage"である」
○怒ってしまってはテロリストの思うつぼだし、ウォール街をOccupyしても世の中は変わらない。だから怒りを抑えて対応しなければならない。でもヨルダン政府は怒ってしまって、「イスラム国」を空爆している。空爆のデータを提供しているのは、たぶん米軍であろうとのこと。
○「ビヨンド・アウトレイジ」とは、ロバート・ライシュが書いたこの本の原題名である。何で邦題になると「格差と民主主義」になるんでしょうねえ。本はそこそこ売れているようで、それは結構なことなんですけれども。
<2月11日>(水)
○生涯で2つ目の眼鏡を買った。もちろん老眼鏡である。2700円で税込み2916円也。メガネの腕が回転して、平面に折りたたむことができるというのが売り。
○帰ってからよくよく商品を見たら、呆れたことにイタリア製であった。こんなに安くていいのだろうか。ちなみに当欄の過去の記録によると、1つ目の老眼鏡は3150円で、2010年11月6日に購入したのであった。
○当時はまだ50歳になったばかりであった。しかし幸いなことに、今でも度は+1.0で足りるのである。今後はなるべく度が進行しないことを祈るばかりである。
○などと言いつつ、本日は毎日新聞と週刊ダイヤモンドの記事を書き、池内恵『イスラーム国の衝撃』(文春新書)を読み始めたところ。ピケティ本はちょっとお休みなのだ。
<2月12日>(木)
○安保オタクの方々に教えていただきました。ペンタゴンのネット・アセスメント局長の空席が「公募」されているのです。2月2日でもう締め切られているようですが、あの伝説の戦略家、アンドリュー・マーシャルの後釜ですから、どんな条件なのか、ちょっとばかり気になるじゃないですか。
Job Title:Director of Net Assessment
Department:Department of Defense
Agency:Office of the Secretary of Defense
Hiring Organization:Office of the Director, Net
Assessment
Job Announcement Number:SES-1292546-RM
SALARY RANGE: $121,957.00 to $183,300.00 /
Per Year
OPEN PERIOD: Friday, January 2, 2015 to Monday,
February 2, 2015
SERIES & GRADE: ES-0301-00
POSITION INFORMATION: Full Time - Permanent
DUTY LOCATIONS: 1 vacancy in the following
location:Pentagon, Arlington, VA
WHO MAY APPLY: All groups of qualified
individuals. This is a Tier 3 position.
Salaries for Tier 3 positions will generally range from $121,957
to $183,300 per annum.
SECURITY CLEARANCE: Top Secret/SCI
SUPERVISORY STATUS: Yes
JOB SUMMARY:
The Office of the Secretary of Defense (OSD) is the principal
staff element of the Secretary of Defense in the exercise of
policy development, planning, resource management, and program
evaluation responsibilities. OSD includes the Office of the
Secretary and Deputy Secretary of Defense, Under Secretaries of
Defense, Assistant Secretaries of Defense, General Counsel, and
the Deputy Chief Management Officer.
*This position is in the Senior Executive Service (SES), a
small elite group of top government leaders. SES members possess
a diverse portfolio of experiences including strong skills to
lead across organizations.
*As an executive you will influence the direction of innovation
and transformation of the federal government and lead the next
generation of public servants.
*Section 904 of the Carl Levin and Howard P. "Buck"
McKeon National Defense Authorization Act for Fiscal Year 2015
directs the establishment of the Office of the Net Assessment
(ONA) as an independent organization within the Department of
Defense and requires the Director to be a direct report to the
Secretary of Defense.
*The Director of Net Assessment is the Principal Staff Assistant
and advisor to the Secretary of Defense for net assessment
matters. The Director's primary function is to develop
assessments that compare the standings, trends, and future
prospects of U.S. military capability and military potential with
that of other countries.
*This position reports to the Secretary and Deputy Secretary of
Defense.
DUTIES:
*As directed by the Secretary of Defense, the Director of Net
Assessment carries out a variety of assignments that are high
priority, sensitive, and significant to the Administration,
requiring an intimate knowledge of the views and intentions of
senior leaders.
*Directs and coordinates the performance of working groups, task
forces, and other provisional bodies, as appropriate, in the
development of net assessments.
*The Director may act for the Secretary of Defense as his
official representative in a variety of contacts with the White
House, Cabinet Members, Intelligence Community, staffs of
Congressional Committees, and representatives of foreign
countries, industry, and other areas of the private sector in the
area of assigned responsibility.
*Supports and coordinates the net assessment work of the
Department and interagency net assessment groups created from
time to time to produce national or joint net assessments.
*Leads and manages the ONA in its mission of assessing the future
strategic environment. He/she must be positioned to be more
integrated with, and responsive to, the needs of the top
leadership of the Department, over time, across a spectrum of
policy issues and planning scenarios.
*Coordinates and integrates the work of the various Department
staffs to ensure that appropriate net assessment work is
accomplished, that there is no unnecessary duplication of effort
among the several staffs, and that net assessment results are
suitably summarized for incorporation into the planning and
decision making of the Department.
○なんとネットアセスメント局長は「3号俸」で、だいたい年棒12万ドルから18万ドルの間なんだそうだ。職務内容を考えるとちょっと安過いような気もするが、公務員なんだからそんなものなのかなあ。最近のワシントンDCだと、この年収ではあんまりいい場所には住めないかもしれない。でも勤務所在地はヴァージニア州アーリントンだから、アレキサンドリアあたりから通勤すればいいのかな、などとついつい余計なことを考えてしまったりして。
○「公募」という形はとっていますけど、おそらく候補者の絞り込みは既にできているものと存じます。誰が後を継ぐにせよ、「レジェンド」マーシャルの後釜は大変でしょうね。その一方で、「あのマーシャルも官僚だったんだなあ」ということをふと思い出させられた「公募」でありました。
<2月13日>(金)
○今日はとっても寒かった。週の半ばは春先を思わせるようなポカポカ天気だったのに、今日はまた一気に寒の戻りですな。
○長らく中国に住んでいた人からこんなことを聞きました。「旧暦というのは不合理に見えますけど、あれは意外と自然にあっているんです。旧正月の時期は、かならずその冬で一番寒い時期になりましたから」。今年の春節は来週19日からですので、来週はもっと寒くなるかもしれませんぞ。ご用心。
○春節が始まるということは、間もなく中国人観光客が大挙してやってくるということであります。都内のホテルなんぞは、もうすでにいっぱい来ていますね。それから、新宿や秋葉原の商店街は、どこもかしこも「免税」の看板がかかっています。今は中国人のバイイングパワーが、日本の個人消費を支えているのでありましょう。
○それにしても、去年の10月から外国人が購入する土産物の消費税を免税にしたのは、まことによく効く景気対策でした(輸出と同じことでしょ、という理屈。輸出は消費税がかからない)。なにしろ、10月から日本の旅行収支が黒字になっちゃったんですから。8%は小さくないですから、それがリファンドされるとなると、こりゃあ眼の色が変わりますよね。
○春節の時期は毎年ずれて、1月になったり2月になったりするわけですが、日本の事情から行くとこれは是非、「消費が鈍る」2月であってほしいものです。日本人の多くは、既に年末年始と福袋と新春セールでお金を使った後でありますからね。その前に、今年のバレンタインデー商戦はどんな感じなんでしょうか。
<2月14日>(土)
○あたしゃ全然見てないんですが、一昨日の晩のこの番組が面白かったみたいですね。(「歴史新発見」信長59通の手紙を解読せよ)
○中身については、この記事を読んだらだいたいカバーされている模様です。(新発見!信長からの手紙に隠された秘密)
○こうなるとネタ元であるところの永青文庫というといころへ行ってみたくなります。まあ、しばらくは混雑しているかもしれませんけどね。
○時代がたつにつれて、古い時代のことは分かりにくくなっていく。だが、新しい資料が発見されると、今までわからなかったことが見えてくる。とりあえず信長の筆跡というものを見てみたいなあ。
<2月16 日>(月)
○本日は「木材情報セミナー」という企画で富山市へ。この季節には珍しい晴天で、立山連峰もきれいに見えました。北陸新幹線開通まで残り1カ月を切り、観光客を待ち受ける準備も整いつつあるようでした。というか、既に前人気で観光客は増えているみたいですね。新湊市の「きっときと市場」は、平日にもかかわらず団体さんがいっぱい来てましたぞ。
○今回の出張では森林と木材についてたくさん学習しました。自分なりに理解した内容をメモしておきます。
*日本の国土の3分の2は森林。戦後すぐは、ほとんどが禿山だったものを、せっせと植林を続けた結果、今では人工林の面積が1000万ヘクタールにも達している。実に40億立方メートルの森林資源を有し、しかも毎年1億立方メートルずつ増えている。すごい資源を有しているわけだ。
*「森林の伐採は自然破壊」だと思われがちだが、実際にはそうではない。ちゃんと間伐をやっていかないと森は健康でなくなる(木は生き物だ)。いい森を作るためにも、木材の利用を促進しなければならない。ところが政府による財政制約もこれあり、補助金で何とか国産材を、みたいなことができない時代になりつつある。
*特に日本海側では杉を植え過ぎたことで、花粉症の被害なども出ている(ワシも土曜日に今季初の薬をもらってきたばかりだ)。どうやってこれから国産材を使っていけばいいのか。日本の年間の木材需要は8000〜9000万立方メートルなんだが、輸入材の方が多い。それというのも国産材の値段が下がり過ぎてしまって、伐採コストに見合わなくなっているから。
*今でも2階建て以下の建築物では、83%が木造である。日本人はやっぱり木の文化で育っているのだ。ところが、どう考えても住宅着工件数は今後は減るはずである。家を建てるのは、基本的に30代から40代の人たち。その人口が今後は減っていくのだから、はてさて、どうやって国産材を使っていけばいいのか。
*「100年もつ住宅を作りましょう」という政策もあるのだが、むしろ日本の「木の文化」を活かしていくためには、「木造住宅を30年ごとに建て直す」方が合理的かもしれない。人口減少時代においては、ニュータウンに宅地造成する、なんて機会は減るだろうけど、今ある宅地の改築やリフォーム需要はあるはず。
*ここで伊勢神宮の話を持ち出すと大袈裟になってしまうのだが、20年に1度作り直すというサイクルは、森林資源を育てると同時に、木材を扱う人材の育成も兼ねているのであろう。木を育てるという息の長い仕事を続けていくためには、木材産業全体に携わる人の育成も同時にやっていかなければならない。
*最近では木材利用を拡大するために、公共建築物を木造にしましょう、という法律が通っている。かつては国交省が、「木は燃えるし、弱いし」などと言って反対していた時代もあったが、耐火建築部材が広がったことで、今では賛成に回っている。というか、「国産材を使いましょう」と言って、反対する人は今では非常に少なくなった。
*手っ取り早い用途として、バイオマス発電がある。木を燃やしてエネルギーを取り出すというわけで、太陽光(昼間しか使えない)や風力(これもムラがある)に比べれば、はるかに融通が利く発電手段であるから、再生可能エネルギーとしては有望である。ただし、立派な木材をいきなり燃やすのはもったいない。できれば何らかの用途に使った後の廃材や、製材の過程で出る「あまり」をチップにして燃やす方が合理的である。
○それにしても、富山の鮨はレベルが高い。日曜の夜に連れて行ってもらった場所は、信じられないようなクオリティがとってもリーズナブルなお値段で、「こんな店も、新幹線が通ったら予約が取れなくなるんだろうなあ」などと惜しまれているような存在。今日は富山空港内の回転寿司に入りましたが、これも大満足でした。
<2月17日>(火)
○昨日朝に発表された内閣府のGDP一時速報値(2014年10-12月期)を伝える今朝の新聞が面白かった。メモしておきましょう。
●(朝日新聞)「鈍い消費 景気足踏み GDP年率2.2%増 10〜12月期」(1面)→「景気先行き 実感に差 木材や資料高騰/高額の楽器販売好調」(3面)
●(読売新聞)「GDP緩やか回復 3期ぶりプラス デフレ脱却兆し」(1面)→「輸出頼みのプラス成長 消費・設備投資伸び悩み」(3面)
○つまり景気の現状について、朝日は否定的評価、読売は肯定的評価を1面で掲げている。まあ、会社のお立場というわけです。でも、そのままだとちょっと恥ずかしいので、3面でホンネの話を書いている。朝日を見ると「いえね、高額商品が売れていたりもするんですけどね」と言ってるし、読売の方では「いやー、実は良いのは輸出くらいなんですよ」と告白している。いわばバランスを取っている。正直でよろしい。
○朝日新聞なり、読売新聞を購読するというのは、そういうことです。つまり、どちらもポジショントークが入っている。では、どの辺に真実があるかというと、両者の中央より、やや読売側に近づいたところに真実があることが多いと思う。記者が優秀なのは朝日の方。誌面がまともなのは読売の方。
○景気の先行きについては、不肖かんべえは強気なので、ここでも読売の肩を持つのであった。
<2月19日>(木)
○昨日、講演で群馬県の館林市に行ったのですが、何かネタはないかということで、浅草駅からりょうもう線で館林駅に向かう途中、ウィキでいろいろ調べておりました。
○ちょうど五角形をしている群馬県の、ちょうど右下の飛び出した部分が館林市なのであります。「鶴が翼を広げた形の群馬県における、ちょうど頭の部分」などとも形容されます。日清製粉の発祥の地であるとか、つつじヶ丘公園があるとか、田中正造記念館があるとか、そういった話であります。
○そこでふと気になったのが、「田山花袋の出身地である」ということであります。ワシも名前くらいは知っている。たしか『蒲団』という小説を書いて、日本における私小説の元祖になった人である。『蒲団』のことは、ウィキでは、「末尾において主人公が女弟子の使っていた夜着の匂いをかぐ場面など、性を露悪的なまでに描き出した内容が当時の文壇とジャーナリズムに大きな反響を巻き起こした」と表現されているが、まあ、そのことくらいは知っている。
○まあ、言ってみれば、昭和のド演歌の世界のようなしょーもない世界なんだろうなあ、と勝手に思っていたんですが、なんと今では青空文庫で、しかも新仮名遣いで読めてしまうのである。著作権が既に失効しているからであって、こういうときにインターネットはまことにありがたい。
○で、ついつい読んでみたところ、これが面白い小説じゃないですか。とくに以下のラストシーンは衝撃的である。
時雄は机の抽斗を明けてみた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。暫くして立上って襖を明けてみた。大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡てあって、その向うに、芳子が常に用いていた蒲団――萌黄唐草の敷蒲団と、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨の際立きわだって汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅かいだ。
性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。
薄暗い一室、戸外には風が吹暴れていた。
○ガキの時代に勝手に想像していた世界とはまったく違っていた。これは非常に精緻に計算された文学作品である。いやあ、知らんかった、わからんかった。館林市に行ったお蔭で、ひとつ賢くなることができました。
<2月20日>(金)
○先日からいろいろ書いたピケティ論、懲りずにこんなところでも書いてます。
●東洋経済オンライン 「ピケティは人口減少の日本で成り立つのか」
○格差を嘆くのではなくて、投資家目線でピケティを読む、というのが本稿の趣旨であります。いきなりヤフーニュースで取り上げられていましたが、できれば覗いてやってくださいまし。
○それにしても皆さん、ピケティに飽きないですねえ。というか、少なくとも買ってしまった人は簡単にはあきらめられませんからな。なにせ元手がかかっております。
○本稿は例によって、最後は競馬の話になる。明後日のフェブラリーステークスは、きっと荒れると思いますぞ。r(資本収益率)=5%なんてこと言わないで、いでよ万馬券と行きたいところです。
<2月21日>(土)
○本日は懸案の永青文庫へ行って、細川コレクションの中の「信長からの手紙」を見てまいりました。
○信長が細川幽斎に送った手紙を見ておりますと、なんとなく信長の人物像が浮かび上がってきますな。よく言われるとおりに短気な、というよりも関西弁で言う「いらち」なタイプでありましょう。部下に対しては、いつも成果を求めている。そうかと思うと、「長篠の戦で大勝ちして気分がいい」みたいなことを言っている。怖い上司ですよ。そうかと思ったら、「天皇に送ったクジラの肉をとっておいたから、お前も食え」などと優しいところもある。濃密なコミュニケーションが行われていた様子である。
○細川幽斎は足利義昭に仕えつつも、ちゃんと情報は信長に伝えていた。よく言えばマメなタイプ、悪く言えば二重スパイみたいな感じだったんでしょうね。荒木村重の謀反も、ご注進したのは幽斎だった。そういう2人だけのやり取りは、たぶんほかの大名たちには見えない。本能寺の変の後で、明智光秀は当然、幽斎が味方してくれるものと思ったが、それは当てが外れる。幽斎は終生、信長への恩義を忘れていない。同じ年齢だった2人には、たぶん手紙に書ききれないような交流があったものと拝察する。
○それにしても、こんなお宝をちゃんと守ってきた細川家は偉いものである。近代になってからも芸術家に対するパトロンになっていて、白樺派を支援したりもしている。きっとr>gの法則を上手に活かしてこられたのでありましょう。
○永青文庫への行き来は、目白駅から明治通りに沿って歩きます。途中、学習院大学を過ぎ、日本女子大学を通った辺りで、旧田中角栄邸があることに気がつきます。次の瞬間に、その隣にある広大な区立の公園が、田中家から物納されたものであることに気づいてほとんど呆然としてしまいました。元の田中邸は、なんという広大なものだったのでありましょうや。
○こんな途方もないお屋敷を一代で築いた田中角栄って、掛け値なしの化け物だったのでありますね。そして、大蔵大臣、自民党幹事長、総理大臣と位人臣を極めたにもかかわらず、死んだら土地は相続税でがっぽり持って行かれてしまっている。つまりr>gではあるんだけれども、そのrを搾取するもうひとつのg(ガバメント)がある。いやあ恐ろしい。g>r>gということでありますな。
○ふと思ったのですが、「かつて政治記者として田中角栄を取材したものだが、それに比べると最近の政治家は小粒になったものだ」などと言ってる政治評論家は、たぶんこの目白屋敷で酒食の饗応を受けておったんでしょうなあ。そりゃあ、3DKのマンションに住んでるような政治家は小粒になりますって絶対。比べちゃ気の毒ですよ。
○などと考えた休日の散歩でありました。
(後記:その後、ご近所の親切な方からご指摘がありました。田中家から物納されたのは、「文京区立目白台運動公園の西端の駐車場部分」でありまして、現在の広大な運動公園は、「国家公務員共済組合連合会の運動場を継承したもの」だそうです。たまたまi-Padで地元の地図を見ながら歩いていたもので、つい勘違いをしてしまいました。もちろん庶民感覚としては、それでも立派なお屋敷であることは間違いないのですが)
<2月23日>(月)
○今宵はフジサンケイグループの「正論大賞授賞式」へ。
○去年は自分が正論新風賞を受賞したので、壇上でこっぱずかしくて仕方がなかったのだが、他人が受賞するのは平静に見ていられるのでありがたい。今年の大賞は秦郁彦氏と西岡力氏。新風賞は山田吉彦氏である。余談ながら、山田先生とは来週、ご一緒にモスクワに行く予定なので、今日の午後も打ち合わせ会でご一緒だったのでありました。
○英語に"Serendipity"という言葉がある。辞書を引くと、「掘り出し物」とか「ものを上手く見つけ出す才能」といった訳がつけられている。もっと意訳してしまうと、「わらしべ長者」である。つまり、「よもやそんなことになるなどとは、当初は夢にも思っていなかったのであるが、あれよあれよという間に物事は移り変わり、気がついてみたらこんなドエライことになっておりました」といった感じである。
○山田吉彦先生の人生は、このSerendipityそのものである。高校時代に短距離走の選手であったものが、かの小出監督(当時は千葉県立佐倉高校の陸上部監督だった)に見い出されて長距離選手となり、そこで大いに伸びたものの、「お前は箱根までは行けるけど、その先は止めておけ」と言われて陸上を断念。そこから学習院大学に進み、銀行員になるも、縁あって日本財団の職員となり、そこで上司の命ずるがままに海洋研究を始めて、気がついてみたら東海大学海洋学部の教授となり、わが国における海洋、および国境研究の第一人者に。そして尖閣問題その他により需要が拡大し、今ではメディアに引っ張りだこになっていたのであった。
○こんな風に、サクセスストーリーというものは、どれもこれも似たような経路をたどる。当人の立場になると、「まさか、こんなことになるとはねえ・・・」。企業の立ち上げだって似たようなもの。当初の計画通りに事業が拡大するなんてことはあり得ない。たまたま最初についてくれた顧客にサービスをしているうちに、思いがけない方向に発展して急成長していった、というのが通例である。未来は計画できないのである。
○不肖かんべえも、学生時代にはまさか自分がエコノミストになるとは思っていなかった。そもそも、そんな職業があること自体をイメージしていなかった。漠然と、自分はどこかの会社員になるんだろうけれども、マスコミはちょっと難しそうだけど、商社って面白そうじゃないかなあ、くらいの感覚であった。
○若い人にはこんな風に申し上げたい。「自分は絶対に××になるぞ!」なんて、若いうちから決め打ちしない方がいいんです。「俺って、何をしたらいいんだろう」くらいに、ゆるーく構えている方が精神的にも結果的にもよろしい。そもそも、「この仕事だったら、自分は生涯飽きずに続けられる!」なんて確信が得られるのは、だいたい30歳を過ぎた頃ですからね。それまでは、ゆるりと回り道をするくらいの気構えでいる方が良いと思います。
○自分の人生を決するのは、得てして自分ではなくて他人です。他者との出会いによって人生は豊かになる。つまり他力本願。Serendipityとは、他人との出会いをどこまで信用できるかに懸っていると言っても過言ではありません。
<2月25日>(水)
○(その1) 一昨日、国際文化会館での会合に顔を出して、そこから歩いて六本木の駅まで歩いていたところ、鳥居坂を向こうからやって来たのがフジテレビの平井文夫さんであった。「あら、どうしたの?」「天気がいいので、ちょっと散歩など」――なるほど、日曜日の「新報道2001」があるので、平井さん、月曜日は非番なのですね。お互いに挨拶して別れたのですが、その夜のフジサンケイグループ「正論大賞授賞式」でも、ちゃんと再会したのでありました。
○(その2) 今朝は、いつも通り「モーサテ」を見てから出勤。ホテルオークラで会合の予定があったので、日比谷線の神谷町駅で降りて坂を登って行ったところ、ちょうどテレ東の前で佐々木あっこキャスターとバッタリ遭遇。「あらー」「今日の池谷さん、ワシントンから頑張ってましたねえ」などとひとしきり朝の放送内容について感想を述べ合う。
○(その3) 今日の午後は日本国際問題研究所のロシア・シンポジウムへ。途中から入ったので、「あのー、この席は空いていますでしょうか」とワシが語りかけた相手は、なんと当社のOBで、元上司でもある吉田進さんであった。そりゃあ、吉田さんはロシア・ビジネスの草分けみたいな人なんだから、その場に居て何の不思議もないのである。でも、これだけ偶然の一致が続くと驚きも薄くて、「なあんだ、どうもご無沙汰しています」とごく普通に会話が始まってしまった。
○ということで、続くときは続くものです。もう明日は何があっても驚かないぞ。
<2月26日>(木)
○先月以来のピケティ熱が覚めやらず、何かにつけて「r>g」が脳裏に浮かぶ。先日来、「そういえば、不労所得>勤労所得である、とハッキリ書いていた本がどこかにあったなあ・・・」と考えていたのであるが、突然、思い当った。
「そうだ。『金持ち父さん 貧乏父さん』だ」
○と言っても、ワシはこのベストセラーを読んでいないのである。たしか「同質的なラットレースを避けよ。資産を働かせてカネを稼がせよ」みたいなことを言っていたはず。でも、それの本質って、r>gのことだよね。
○そこで本日、買ってまいりました。もともとは2000年に出たベストセラーですが、今書店に並んでいるのは、ちくま書房の改訂版です。さすがは全世界3000万部のベストセラー。あっという間に読めてしまいました。目指す箇所は257ページにありました。
所得には次の3種類がある。
1.ふつうの勤労所得
2.ポートフォリオ所得(株や債券)
3.不労所得(不動産投資)
○貧乏父さんは、「学校へ行っていい成績を取り、安定した仕事を見つけろ」と言って、(1)勤労所得を得るように勧めた。これに対して金持ち父さんは、「金持ちはお金のためには働かない。自分のためにお金を働かせる」と教え、勤労所得は早く(2)や(3)に換えてしまえ、と勧めた。言われてみればその通りで、税金は勤労所得に対するものが一番高く、いちばん安いのが不労所得である。つまり、g<rが金持ち父さんの教えである。
○トマ・ピケティの立場からすると、「そんなことだから富の不平等が生じる」となるわけだが、ロバート・キヨサキの視点から行くと「でも、これって誰でもできるもんじゃないよ」ということになる。確かにこの本が言っているような「ファイナンシャル・インテリジェンス」を身につければ、5%以上のrを維持することはけっして不可能ではないだろう。ただし、そのためには会計やら法律やらいろんなスキルを身につけなければいけないし、適度に失敗もして経験値を稼ぐ必要もあるらしい。そしてもちろん税務署は敵になる。
○そもそもこういうベストセラーが成立するということは、アメリカ人といえども大多数はフツーの日本人と同じように「リスクが取れない」体質である、ということだ。つまり貧乏父さんの方が圧倒的な多数派なのである。しかもロバート・キヨサキは、今では明らかに投資よりも著述業と講演と教材販売で稼いでいるわけで、生徒さんたちがあまり優秀でないからこそ、繁栄が保証されているという図式も垣間見える。やっぱり不労所得でおいしい思いをする(金持ち父さんになる)ことができるのは、ほんの一握りなのだと思いますぞ。
○ところで、アメリカ政治をかじった者としては、本書からついつい以下のような余計なことも考えてしまうところである。
●この題名って、要するに「民主党お父さん<共和党お父さん」だよね。
●著者はきっとオバマケアを苦々しく思っているし、ひょっとするとティーパーティの支持者かもしれないな。(本書の中には、ボストン茶会事件も登場する)
●教えている中身は、限りなくピーター・ティールのようなリバタリアン思想だわなあ。
○当たり前のことですが、本書はマネー本として、あるいは自己啓発本として非常に優れております。バランスシートの説明など、文字通り小学生でも理解できるようになっているし、最後の方は「俺もいっちょやってやるか」的な気分にさせられる。
○とはいうものの、ワシはつい先日、リーマンショック以前に買い込んだ株を7年ぶりに売ったところである。マネーゲームはしばしお休み。当分は「見る阿呆」で行きますわ。
<2月28日>(土)
○昨日、JIIA(日本国際問題研究所)のシンポジウム「日本の戦後70年と積極的平和主義」に午前中だけ出席したので、ちょっとだけメモ。
○ほんの1年と少し前までは、「日本と中国はマジで戦争をするのか?」などと世界から心配されていた、それがすっかり変わってしまった。この1年でウクライナ問題あり、ISILは勢力を急拡大、欧州はガタガタでユーロも危うし、という事態になっている。今やアジアは、相対的に見て安定した地域と言っていいだろう。アジアにはNATOのような安全保障機構もなく、もちろん共通通貨もなく、歴史認識でもバラバラだけど、別にどうってことはない。共通のプラットフォームがない分だけ、柔軟に対応できる。
○ということで、海外からお招きした論客たちも、あんまり日本やアジアを心配してくれていない。そりゃあ、アジア以外に一杯問題があるんだもの。戦後70年なんて、どうだっていいよね。歴史認識も、議論としては盛り上がりませんでした。結果として、アメリカのリバランシング政策(Pivot
to Asia)は望み薄になっているけど、オバマ大統領におかれましてはリソースも限られていることですから、ロシアや中東の問題に全力投球してもらうのが良ろしいかと存じます。
○ひとつ印象に残ったのが、会場からの質問で「中東和平問題に対し、日本はどんな貢献ができますか?」というちょっとズレた質問が出たときに、リチャード・ハースCFR会長が、「Middle East Pecce Talks、そんな言葉、久しぶりに聞いたよ」と乾いた笑いを浮かべたことである。そりゃそうだよね。中東で心配すべきポイントといえば、ISILあり、アサド政権あり、サウジの王政はうまくいくのか、イラン核開発の交渉はまとまるのか、などとパレスチナ問題を気にしている暇がない。ハース氏、答えをこんな言葉で締めくくっていた。「中東では敵の敵は、やっぱり敵なんです」。
○ロシアも野党指導者が殺されちゃったりして、いかにも物騒であります。ネムツォフ氏といえば、「ソチ五輪の資金500億ドルの内300億ドルが着服されている」という訴えをしていた指導者である(ココのP5をご参照あれ)。今頃は誰かさんが、「死人に口なしと申します」、「ソチもワルよのう」などと言っておるのでしょうか。
○ワシ、実は来週、ロシア行くんですけど・・・。
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by Tatsuhiko Yoshizaki