<1月1日>(木)
あけましておめでとうございます。以下は今年の年賀状のあいさつから。
羊が大きいと「美」
羊を食べると「養」
羊を言葉にすると「善」
羊が我の上にあると「義」
羊に向かって祈ると「祥」
いざ、羊をめぐる冒険へ
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
かんべえ拝
<1月2日>(金)
○おととしの春から、毎日新聞の「時論フォーラム」という論壇ページを担当しているので、毎月、一通りの月刊誌をチェックしている。『文芸春秋』と『中央公論』くらいは以前から普通に読んでいたのだが、これに『ボイス』や『潮』や『世界』なども目を通さなければならない。もともとインテリではない人間が、インテリの振りをしているので、正直なところ少し無理をしている。特に『世界』と付き合うのは、正直言って苦痛である。この仕事が終わったら、もう読まないと思う。あとは『外交』(隔月刊)とか、『ハーバードビジネスレビュー』あたりも守備範囲となる。
○それでも「今月の3本」と称するおすすめ論文を発見するのはときに骨が折れる。体験的に言って、『中央公論』でかならず1本は紹介すべき記事が見つかるのだが、後の2本をどうやってねん出するか。「今月は不作であった」と言って済ますわけにもいかず、ときにはネット上を渉猟することもある。ニッポンドットコムとか、フォーサイトとか、ウェッジインフィニティとか、東洋経済オンラインとか、最近はネット論壇も充実しているのである。その一方で、同じ条件であればなるべく紙の媒体を応援したいとも思う。やっぱりタダで読めるコンテンツ、というのはいかんですよ。
○そこで意外な穴場なのが『新潮45』なのである。変にイデオロギー色がなくて、いまどき趣味に走った企画があり、遊び心が残っていて、ノンフィクションも深かったりする。ワシも昨年、黒田官兵衛を取り上げて勝手なことを書かせてもらったし、「参院をなくして貴族院を復活せよ」とか、「一票の格差ってそんなに問題か?」などというムチャな議論も書いている。とにかく、いまどき信じられないくらい自由度の高い月刊誌なのである。
○で、『新潮45』の2013年8月号にこんな記事が載っていた。
◆昭和天皇と「よもの海」の謎(平山周吉)
○昭和天皇の戦争責任、という重いテーマを扱った100枚もの力作である。まず、この分量がいまどきあり得ない。しかも1冊の本になりそうなボリュームを、無理して圧縮した感じである。しかも面白い。文句なしに「今月の3本」入りである。ついでに「今年の3本」にもしてしまった。というのがおととしの話である。
○そのまますっかり忘れていたのだが、案の定、それが去年の春になって新潮選書から出版された。それが献本で送られてきたものを、そのまま積んで放置していた(まことに申し訳ないことに、同様な扱いを受けている書籍は少なくないのである)。去年の暮れに机の周りを片付けたときになって、初めて本書を開いてみた。そしたらなんと、著者の手紙が挟んであった(すっ、すいません・・・・)。著者はどうやら某出版社のOBで、かなり以前にワシがお世話になった人のようである。平山周吉とはペンネームで、小津安二郎『東京物語』で笠智衆が演じた主人公の役名なのだとか。
○この本を、この年末年始にやっと読んだ。書評で取り上げるには、既にタイミングを逸しているのだが、ここで少しだけ紹介しておく。
○「よもの海」とは、明治天皇の御製で、「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」という和歌を指す。昭和天皇は1941年9月6日の御前会議でこの歌を2度読み上げ、日米開戦を止めようとした。このエピソードはハリウッド映画の『終戦のエンペラー』でも取り上げられているが、いかにも日本的な間接話法の形をとっている。昭和天皇としては、帝国憲法が許容するギリギリの範囲で「戦争より外交」という意思を示したつもりであった。実際にその場にいた東條英機陸相は、「陛下の御心は平和にあり」と了解する。しかし天皇の意図はなし崩しにされてゆき、その3か月後に日米開戦に至るのは皆様ご存知の通りである。
○日本型組織の中に身を置いてきたものの一人としては、この間の気分がなんとなくわかるような気がする。結論が先にある会議において、たまたま「誰もが反対できない正論」が飛び出してしまった際に、得てしてそういうことが起きてしまう。みなが見て見ぬふりをするのである。9月6日の御前会議においては、どうやら知恵者が現れて「あれは明治天皇が、みずからが望んでいなかった日露戦争を決定した際に詠まれた歌ですよ」ということを耳元で囁いたらしい。この間の事情を、本書はさまざまな角度から掘り下げていく。
○この作業はアカデミックなものではなく、いかにも素人的である。全体に引用が多く、著者自身による決めつけは少ない。東京都内にあるさまざまな施設を訪ね歩き、公開資料を漁り、ときにはNHKアーカイブズやユーチューブなども参照する。その足取りをたどることで、世の中には何と数多くの資料が残されてて、良心的な証言者がいるかということに感銘を受ける。著者はさらに未公開資料にぶつかると、その場合はあきらめている。ただし本書の指摘が、昭和史の大きな謎に風穴を開けつつあることは間違いないように思える。
○思うに日本型組織というものは、総じてタブーを持たない間は強い。タブーができてしまうと、どんどん組織が劣化していったり、間違っていることを直せなくなったり、途方もない阿呆な決定をしてしまったりする。いちいち挙げませんけど、そういう例って少なくないですよね。戦前の日本においては、天皇の存在がどんどんタブーとなっていき、それと同時に日本政府は硬直した存在になっていく。最後はその天皇自身が平和を望んでも、それがかなわなくなっていた、という悲劇性を秘めているように思う。そのことは、ほかならぬ昭和天皇自身のトラウマとなったのではないか。
○今年は戦後70年。その年初としては、いい読書だったのではないかと思うものであります。お勧めであります。
<1月3日>(土)
○経済学において「経路依存性」という概念がある。たとえどんなに不合理で、不公平で、不便なものであっても、一度出来上がってしまったルールを変えるのは困難である。そんなこと、誰でも知っていますよね。でなきゃいつまでもドルが国際通貨で居られるはずがない。
○経路依存性の代表的な例というと、かならず挙がるのが"QWERTY"である。キーボード配列こそは不条理を絵に描いたようなものであるけれども、いまさら変えると困る人が大勢でてきてしまう。だから変えられない。しょうがないですよね。既に確立された世界の大勢に逆らっても仕方がないのです。
○それ以外の例としては、昨日と今日の2日間、ずっと日本テレビでやっていた「箱根駅伝」も経路依存性の最たるものでしょう。この競技には、@関東の大学しか出られない、A箱根の坂は高低差があり過ぎて長距離走としても不適、B女性が出られない、Cここで頑張り過ぎた選手は、得てして身体を壊してマラソン選手として大成しにくい、などの不条理があります。だったらこれを変えられるのか。もちろんできないのである。
○箱根駅伝こそは、日本社会にありがちな「ガラパゴス」のひとつと言えましょう。「努力、友情、勝利」をもって国是とするこの国においては、仲間との連帯を背負って走るというマゾヒズムが堪えられないのです。あまりにも重過ぎる「母校の名誉」。何万人も居るOBが、ある日突然に重しとしてのしかかってくるこの快感。まさに日本社会そのものではありませんか。
○1月2日の山登りの5区。青山学院大学の神野君がとっくの昔にゴールしてしまい、1位で襷を受けたものの、2位明治、3位東洋に抜かれてしまい、フラフラになりながらゴールを目指す4位駒澤大学の選手、胸を打ちますよね。でも、心の隅では、「ここへ5位の選手が駆け込んでくると面白いんだけどな・・・」と囁く悪魔がいる。
○そういう悪魔の瞬間がいつ来るかわからないから、駅伝中継はついつい見てしまうのです。いや、見入ってしまうのです。その昔、法政大学の監督が選手に向けてタオルを投げたあの瞬間が、胸を締め付けられるような映像が、いつまでも忘れられないのであります。
○おそらく駅伝走者たちの多くは、いつ何時自分が同じ目に遭わないとは限らない、という覚悟を心の底にしまって走っているものと推察する。それはマゾヒズムであるとともに、ヒロイズムとナルシシズムの発露でもある。それがあるから頑張れる。
○相撲が純粋なスポーツではないように、きっと駅伝もちゃんとしたスポーツではないのでしょう。相撲と同様に、神様が宿るレースなのです。だからこそ視聴率は高いし、スポンサーもいっぱいつくのであります。その昔、サッポロビールがCMを降りようとしたときに、広告代理店から「いいんですか?降りたら絶対に元に戻れませんよ」と言われて考え直した、という逸話があるほどに人気があるのです、箱根駅伝は。
○「日本は駅伝があるから、長距離走者が育たない」という意見に対して一言反論しておきましょう。仮に駅伝がなかったとしたら、そもそも長距離走を目指す人がこれだけ出るはずがないではありませんか。善かれ悪しかれ、日本人を支えているのは、いつの時代も「前向きのマゾヒズム」なのであります。
<1月4日>(日)
○新年を予測する定番の記事がいくつかありますが、以下はFinamcial
Times紙の恒例の記事の翻訳です。いやあ、JBPressさん、助かります。メモしておきましょう。
■英国では次の総選挙の後、挙国一致内閣が生まれるのか?
→イエス。5月に行われる次の選挙では、労働党と保守党が連立を組むという1930年代の「挙国一致」内閣が再度作られることになるだろう。
(Jonathan Ford)
■原油価格は1バレル50ドル台を割り込むか?
→第1に、供給量が増える公算が大きい。第2に、需要の伸びは、2014年下半期と同じくらい冴えないものにとどまる。このような条件下では、原油価格が1バレル50ドルを割り込むと見ていいだろう。
(Ed Crooks)
■欧州中央銀行(ECB)は全面的な量的緩和に踏み切るか?
→イエス。マリオ・ドラギ総裁は2014年12月4日、ECBのバランスシートを「2012年年初の水準に向けて拡大させる」と発表している。国債の買い入れ以外の方法でこの結果を得られるとは考えにくい。
(Martin Wolf)
■ロシアはウクライナや欧州で新たな領土を併合するか?
→ノー。国内では経済危機、国外では制裁に見舞われ、プーチン大統領は自身の拡張主義を棚上げするだろう。2015年は、戦闘拡大の経済的、軍事的リスクはロシア政府にとって大きすぎる。
(Gideon Rachman)
■米国はイラクとシリアでのISISとの戦いで地上戦闘部隊を派兵するか?
→しないだろう。ISISと戦うことは、今後もイラク軍の役目になる。西側諸国の政府は、イラクの政府軍と地元のスンニ派部族、そして反政府勢力が十分な力を持って初めてISISを倒すことができるとの見方を堅持するだろう。
(Roula Khalaf)
■中国の成長率は2015年に7%台を割り込むか?
→イエス。中国政府は2015年のGDP成長率の公式目標を7%かそれ以上にしておこうとするかもしれない。それでも、国内債務の急増、固定資産投資の減速、鈍い不動産販売と冴えない製造業セクターが重くのしかかる。
(James Kynge)
■どちらの中央銀行――米連邦準備理事会(FRB)かイングランド銀行――が最初に金利を引き上げるか?
→FRBだ。金利の予想は単に経済だけの問題ではなく、中央銀行の行動も重要だ。イングランド銀行は5月の英国総選挙の前には何もしたくないだろうし、その後はFRBの動きを待つ口実を見つけるだろう。
(Chris Giles)
■2015年にヒラリー・クリントン氏の有力なライバルが出現するか?
→ノー。共和党の大統領候補の名前は2016年まで分からず、その時に彼はひどく傷ついている。クリントン氏は党内の予備選をしっかり制し、大統領選の本選挙で有利なスタートを切る。
(Edward Luce)
■ロンドンの超高級不動産の価値は下落するか?
→イエス。新築の超高級不動産の過剰供給のために、2015年には価格が10%程度下がるだろう。ただし、価格下落は主に、メイフェアやナイツブリッジなどの伝統的な高級住宅地の外になるだろう。
(Jane Owen)
■インドの成長率はナレンドラ・モディ首相の下で加速するか?
→答えはイエスだが、2013年に5%台を割り込んだ時に、成長率は既に大底を打っている。真の課題は、インドの潜在成長力をほんの数年前に占めていた7〜9%のレンジに戻すことだ。これには構造改革が必要になる。
(David Pilling)
■2015年末までに西アフリカでエボラ出血熱が根絶されるか?
→イエス。西アフリカのエボラ熱流行は1年前にギニアで始まり、9月に重大な懸念を呼び始めた。2015年には後退や再燃があるだろうが、西アフリカはエボラのない2016年を期待することができるだろう。
(Clive Cookson)
■2015年はビットコインやその他の暗号通貨が崩壊する年になるか?
→ビットコインが主流な通貨として成功する可能性は今やゼロだ。価格はもう何カ月間も1ビットコイン=350ドル前後で低迷している(1200ドル=2013年の最高値)。一般市民が興味を完全に失うのは時間の問題だ。
(Izabella Kaminska)
■パーソナルテクノロジーの世界では、2015年はウエアラブルの年になるか?
→ノー。間もなく発売予定の「アップルウオッチ」はステータスシンボルになるかもしれないが、この端末を必要とする理由がはっきりしない。「グーグルグラス」は、会社側が約束した発売日に間に合わず、ハイテク界の傲りの象徴になる恐れがある。本当に便利な機器が開発されるのは、これからだ。
(Richard Waters)
○答えよりも質問がいいですね。日本に関するネタがないのがちょっと残念です。
<1月5日>(月)
○昨日は一日、FTでつなぎましたが、今日になってとうとうアレが出ました。そう、ユーラシアグループの「TOP10Risks 2015年版」です。今年のランキングは以下の通りです。
1 The Politics of Europe (迷走する欧州政治)
2 Russia (ロシア)
3 The Effects of China Slowdown (中国経済減速の影響)
4 Weaponization of Finance
(アメリカが武器とする金融)
5 ISIS, Beyond Iraq and Syria
(イラクとシリアを超えるISIS)
6 Weak Incumbents (新興国の弱い現職大統領)
7 The Rise of Strategic Sectors (戦略セクターの台頭)
8 Saudi Arabia vs. Iran
(サウジアラビア対イラン)
9 Taiwan/China (中台関係)
10 Turkey (トルコ)
* Red Herrings =リスクもどき
「アジアのナショナリズム」「イスラム国」「産油国」「メキシコ」
○今年は日本に触れている部分が少ないですが、「アジアのナショナリズムはリスクにあらず」と言い切っているところが面白く感じました。なぜなら習近平(中)、モディ(印)、安倍(日)、ジョコビ(ネシア)という4人の強力なリーダーがいるから。なるほど、そんな風に見えるもんですか。
○ちなみに去年はこんな感じでした。
1 America's troubled alliances
2 Diverging markets
3 The new China
4 Iran
5 Petrostates
6 Strategic data
7 Al Qaeda 2.0
8 The Middle East's expanding unrest
9 The capricious Kremlin
10 Turkey
* Red Herrings 1 - US domestic politics 2 - Europe 3 -
Syria ? - North Korea
○今年もじっくり読み込んでみる値打ちがありそうです。今宵は取り急ぎこの辺で。
<1月7日>(水)
○時事通信の新年互礼会へ。午前5時に開会予定のところ、5時前に安倍首相到着。慌てて主催者あいさつ。そして首相もあいさつ。
○ところが主催者あいさつが、ものの見事に安倍首相の中身と重なってしまったらしい。(今年の干支は「きのと・ひつじ」で、60年前は1955年。経済白書が「もはや戦後ではない」と述べた年であったが、今年は是非、「もはやデフレではない」と言える年にしたいものでありまして・・・、云々)
○やむなく安倍首相、別の話を始めたのだが、きわめて緊張感を欠き、いかにも出たとこ勝負で散漫な内容のあいさつとなってしまった。(同じ1955年には保守大合同で自民党が誕生し、いわゆる「55年体制」が始まったわけですが、そういえば当時の日本社会党は今やなくなってしまいまして、あ、いやまだ残っているけれども、こんなこと言って後で予算委員会で苛められないかな・・・、云々)
○その場にいたジャーナリストの方々からは、「見出しのつけようがない総理あいさつで、まことに困ったものだ」「あそこまで緊張感を与えられない野党も不甲斐ない」などといった声が漏れておりました。いや、もう全くその通りではないかと。
○そもそも例年ならば、野党各党党首からもあいさつがあるのだが、今年は民主党の主要メンバーがご欠席。何しろ今日から代表選挙突入だものね。だからと言って欠席裁判にして言われ放題というのも、余裕がないというかセンスがないというか。例年、会場を大いに沸かせてくれた渡辺喜美みんなの党党首の姿はもちろんなく、こんなところでも「一強時代」を感じさせられました。
○朝日新聞の星さんが面白いことを言ってました。「今年がどういう年かと政治記者に聞くと、『政治は経済次第だ』と言う。そこで経済記者に聞くと、『今年の経済は政治次第です』と言う」。なるほど、ホントにそんな感じですね。まあ、日本は世界の中でも珍しいくらい政治が安定していて、これが安心材料、という変な年明けであります。
<1月9日>(金)
○年末年始、カレンダー通りで9連休でしたが、今週は年の初めから週5日出勤。なんだかとっても長かったような気がします。
○それもそのはず、1週間で5つの新年会に出てしまいました。内訳は、社内、帝国ホテル、ニューオータニ、東京會舘、霞山会館であります。しかも1日はダブルヘッダーでした。
○大雑把な印象ですが、忘年会の時には、「ヤッタネ!石油価格が60ドル代に下がった」と喜んでいたのと同じ人たちが、年が明けたら「おいどうする、石油価格が40ドル台になってしまったぜ」と焦っている感じですね。いいニュースもスピードが速すぎると不安を招きます。フランスのテロ事件などもあり、急速に地政学的リスクを警戒する感じになっているような気がします。
○ただし景気の状態はそんなに変わってはいないはず。今年は強気継続でいいと思っているのですが、もっといろんな業界の人と会ってヒアリングをしてみたいところです。
<1月12日>(月)
○フランスのデモは全土で370万人に達したそうです。人口が6500万人の国ですから、5.7%の人が参加したことになります。20人に1人以上です。日本に当てはめると、700万人以上のデモと言うことになります。ちょっと想像を絶してますね。日本で7万人を超えるデモってありましたっけ? デモの先頭にはオランド大統領を含め、メルケル独首相やキャメロン英首相など数多くの首脳が参加しました。
○テロに屈してはならない。表現の自由を守れ。これらは正論と言うものです。ただし表現の自由を守るときは、得てしてしょーもないものを守らなければならなくなる。「シャルリー・エブド」の風刺画がそんなに面白いかと言うと、結構ビミョーな感じである。ソニー・ピクチャーズの北朝鮮を茶化した映画も、見た人の話ではかな〜りお下劣であるらしい。ただし、「あれは駄作で趣味も悪いから、報いを受けて当然」などと言って放置しておくと、そのうち肝心なものが守れなくなってしまうかもしれない。民主主義社会というものは、ときどきこんな風にファイティングポーズをとるべきときがある。
○だったら、ヘイトスピーチは表現の自由の一種なのか、という議論もあり得る。その表現が明らかに誰かを傷つける場合は、自由は制限を受けるべきであろう。あるいは名誉毀損といった形で、表現者が代償を支払うことになるだろう。ところが今回の場合は、シャルリー・エプドの風刺画は「よその宗教の神様」を傷つけているわけで、差し当たって実害が生じない。神様は法の裁きを求めたりはしないから。(まあ、天罰を下すかもしれないが、ここではその可能性は論じないことにする)。
○もっとも、そういうことを許さないのがイスラムの教義である。そしてフランスには、既に多くのイスラム教徒が住んでいる。彼らにフランスに同化してもらうためには、表現や言論の自由を受け入れるのはもちろんのこと、フランス流のエスプリをも共有してもらわねばならない。でも、そんなの無理だよね。
○こういう難しい図式があるときは、日本では得てして「喧嘩両成敗」式の整理がなされる。「どっちもどっち」というやつだ。あるいは「強い側が悪い」(弱い側にも理がある)式の言論が幅を利かせることが少なくない。でも、そういうのってインチキだよね。暴力は振るった側が負け。ここを揺るがしちゃいけません。
○もしも風刺画がイスラム教徒の心を傷つけるというのであれば、それは司法の場で解決されるべきであろう。あるいはイスラム教徒こそが「反風刺」デモを行うべきであろう。「描く」人に対して「撃つ」ことで対抗するという行為は、いかなる場合においても許されるものではない。
○当溜池通信も、文句なしに「描く」人の側に立つ。自分が「書く」人でもあるし。そしてワシは、何よりも「描く人」たちが好きなのである。ホントによく考えるよねえ。いくら撃っても、この人たちは止めないよ。
<1月13日>(火)
○今日はかんべえの古いお仲間をご紹介します。古い読者であれば、永田町通信というブログを書いていた「さくらさん」のことを覚えてらっしゃいますかねえ。
The Love
Awaken
○スターウォーズ第7作のような題名ですが、名前も「あい」さんに変わりました。文章のタッチは昔のまんまですね。昨年いっぱいで自民党職員を辞められましたから、「表現の自由」を獲得された身の上につき、今後どんなことを執筆されるか、ちょっと気になるところです。
○お懐かしいと思われましたら、ブックマークをどうぞ。では。
<1月14日>(水)
○いかにも当世風だなあ、と感じたこといろいろ。
○その1。電車の釣り宣伝広告から、週刊誌が消えつつあること。たぶん週刊文春と週刊新潮はまだやっているけれども、週刊ポストや週刊朝日は見ていないような気がする。そういえばアエラの駄洒落も長いこと見ていない。もう二度と戻っては来ないんだろうね。電車の中に居る人たちは、皆さんスマホの画面を見ていて、雑誌を読んでる人は数えるほどしかいないもの。
○かく言うワシも、週刊誌を買わなくなって久しい。読んでるのは、週刊東洋経済に週刊ダイヤモンドに週刊SPA!など、自分が寄稿している雑誌ばかりである。しかしスマホが提供してくれる情報は、所詮はどこかの媒体がせっせと提供してくれているもの。このまま媒体が衰退していくと、ヤフーニュースもグノシーも詰まらなくなることは必定だと思うのだが。悪貨が良貨を駆逐するんだろうなあ、結局。
○その2。久しぶりに宅配ピザを注文しようと思って、パンフを見たらやけに薄くなっている。ピザの種類もたくさんは載っていない。見ているうちにはは〜んと気がついた。ピザ屋は電話よりもネットで注文してほしいのだ。電話だと「言った言わない」のトラブルが起きるけど、ネット注文ならそれがない。電話番の人件費も削減できる。
○でもさあ、スマホ画面で見るピザはおいしそうには見えないと思うよね。しょうがないから、PCでピザハットのページを探して、あーでもないこーでもないと審議した結果、複雑な組み合わせのピザを電話で注文した。察するに「クォーター何たら」というメニューが増えているのも、注文をなるべく集約しようという工夫なのであろう。猪口才な。
○その3。ランチの会合で集まった諸先輩方、みなさんピケティの『21世紀の資本論』を読了、もしくはただ今読んでいる人ばかりであった。少なくとも池田信夫氏のアンチョコ本くらいはフォローしている。しまった、ワシは昨日、アマゾンで注文したところだから、まったく話題についていけない。これまでのところ、訳者である山形浩生氏のサイトにあったFAQと、東京財団の研究会のページをチェックしただけである。
○こんなことではいかん。と反省して帰りに霞が関の書店、書原に立ち寄った。ここは小難しい本が多く、しょーもない本が少ないのですがすがしい書店なのである。2冊購入。帰り際、ふと気が付いたら白髪の紳士が熱心に何かを立ち読みをしている。よくよく見たら小泉純一郎氏であった。思わず無関心を装って外に出たが、何を読んでいたんだろうなあ。
<1月15日>(木)
○岡山経済研究所の新春経済講演会のために倉敷へ。岡山県は晴れが多いと聞いていたのに、今日は雨。とはいえ、雨にぬれる倉敷の町並みは風情があっていいものであります。
○そういえば20代の頃に倉敷に来たことがある。当時はさびしい懐を気にしながら、本日の会場であるところのアイビースクエアに泊まっていたのであった。あの頃はこの建物もまだ新しくて、「アンノン族」(今の若い人は知らないだろうなあ〜)が巡礼する典型的なスポットであった。しかるに倉敷紡績の工場を使った赤煉瓦の建物は、今でも風格を感じさせている。つくづく古い建物が残っている街はいいものであります。
○仕事が終わってから、当時も訪れた大原美術館を探訪。これがしみじみすごい。倉敷の実業家、大原孫三郎が私財を投じた一大コレクションである。孫三郎は洋画家、児島虎次郎を勉学のためにフランスに派遣した。虎次郎は自らの勉学よりも、後進のために西洋の絵画を日本にもたらすことの必要性を説いた。孫三郎はこれに賛同し、「カネは出すけど口は出さない」精神で出資した。虎次郎は当時の西欧におけるベストな作家のベストな作品を、まるで美しい弁当箱を作るかのように少しずつ買いあさった。おかげで、20世紀初頭の西洋絵画のベストなコレクションがこの地に残った。
○ピケティの議論によれば、資本のリターンは経済成長率よりも高いので、金持ちはどんどん金持ちになる一方であるとのことである。実際の世の中はそんなことはなくて、大財閥と呼ばれたものはだいだい次の時代には没落している。財産をどんな形に代えるにせよ、時代を超えて価値が残ることは稀である。ところが虎次郎という見る目のある者に買わせた美術品は、その価値を増して今日に至っている。なぜか虎次郎は、1枚だけ16世紀の絵画を買っていて、それがエル・グレコの「受胎告知」であった。これ1枚で、どこかの美術館が1つ買えてしまうかもしれない。
○たとえ中国の大金持ちが、金にあかせてプライベートの美術館を作ろうと思ったとしても、大原美術館を超えることはたぶん不可能であろう。彼らは好んで現代美術をコレクションするようだが、それもそのはず、20世紀絵画の名作なんぞは今さら滅多に手に入らないのである。だから将来、どの程度の価値があるかは未知数の現代美術を買って、ギャンブルをするしかない。その点、われわれは20世紀初頭の日本人経営者が、松方コレクションと言い、石橋正二郎といい、西洋絵画を買いあさってくれたお蔭で、日本国内でそれらを見ることができる。
○ひとつだけ残念なのは、大原もほかの美術館と同様に「午後5時閉館」なのである。おかげで駆け足で見ることになったのだが、できれば夜間にも開放してくれないだろうか。観光産業の良いところは、「いくら見せても、減るものじゃない」ということである。いや、もちろん警備などの費用などは増えるわけですけど、夜間の美術鑑賞って非日常的な感じがしていいと思うんですよね。まして倉敷、岡山は美術館の宝庫なんですから、夜間にこれらの美術館を開放して、ついでにカクテルパーティーなんかも組み合わせたら、出張者を中心に新たな顧客を創造できるのではないでしょうか。
○夜は岡山市に移動。H氏の推薦による割烹へ。鰆(さわら)という魚は、魚へんに春と書くけれども、冬の季節がサイコーなんですね。春になると、産卵のために瀬戸内海に戻ってくるのだそうで、今の季節に隠岐の島あたりで取れるものが良いとのこと。脂がのっていて、まことに美味でありました。締めは如水うどん。てっきり官兵衛ゆかりなのかと思ったら、「いや、福岡市のうどんです」とのこと。おかしいなあ、黒田家の先祖は備前福岡だったはずなのだが。
○外に出ると、夜空に岡山城がライトアップされている。姫路城が白鷺城なら、こちらは黒を基調とした烏城と呼ばれている。川の中州を利用して作られていて、さすがは宇喜多家、実戦的な構えであると見た。江戸時代には池田氏の居城となった。うーん、こういうのも夜間に見学させてくれたらいいのにねえ。地方都市はどうも夜が早いのが残念である。
○そういえば、もう一つの心残りは大山康晴記念館であった。将棋ファンにとって、倉敷と言えば大山十五世名人である。ここも午後5時閉館であったので、入れなかったのだ。もっとも、そんなことでメゲてはいけないのであって、大山将棋は「終盤が二度ある」と相手を嘆かせたものである。「最初のチャンスは見送る」というのが大山流であった。かならず次のチャンスはやってくる。ということで、今宵はここまで。
<1月16日>(金)
○本日は四国生産性本部の講演会で松山市へ。岡山市からしおかぜ3号で3時間かけて松山市に到着。のどかな路線でありました。
○松山に来るのは確かこれで4回目なんですが、泊まるのはこれが初めてであります。道後温泉、いいですねえ。
○ただし明日、明後日が大学入試センター試験であるとのことで、ホテルは結構、埋まっているようでありました。そういえばそんな季節でありますね。大学入試センター試験の日は、天気が荒れることが少なくないですが、今日の松山市はとっても暖かかったです。
○瀬戸内海はつくづくのどかな場所であります。この2日間はそのことを満喫いたしました。
<1月18日>(日)
○出張の往路は準備のために時間がつぶれるが、帰路は特にすることがない。ということで読書ができる。松山からの帰り道で読んだのが、坂野潤治『階級の日本近代史』(講談社選書メチエ)でした。
○坂野先生の著作は大好きだが、本書はちょっと「???」というところが少なくなかった。今日の政治状況への危機感を、無理やり戦前に投影しようとするとこういう見方になるのかな、という感じ。経済政策への評価についても、ところどころ首をかしげたくなるところがあった。ただし、一昨年くらいに、「アベノミクスと高橋財政のアナロジー」を散々あちこちで論じた者としては、本書が描くところの「今の民主党と戦前の民政党のアナロジー」はまことに面白いし、大変勉強になった。
○「浜口雄幸、若槻礼次郎の民政党内閣(1929年7月〜1931年12月)は、戦前日本でもっとも平和主義的で自由主義的な内閣であった」という。なにしろ井上財政と幣原外交が二枚看板である。構造改革路線と英米強調・対中親善外交である。何ともカッコいい。ところがこの内閣の下で、関東軍は満州事変を起こし、そのままコントロール不能になってしまう。国内的には金解禁によって、不況の嵐を招いてしまう。かくして内閣の成立時と退陣時を比べると、失業者数は294万人と489万人、米価は1石29円と18円であった。
○かくして、1932年2月の総選挙において政友会が圧勝する。「自由主義政党がデフレをもたらし、保守政党がデフレからの脱却を唱えたとき、労働者や小作農の大半は保守政党に投票したのである」と坂野氏は嘆いている。この辺り、なんとも身につまされますよね。「なお、この時の投票率は73%と、戦前ではかなり低かった」というのも、うーん、そこまで似ているか、と感じるところあり。
○詳しくは本誌の2013年4月5日号をご参照いただきたいが、日本における二大政党には以下のような潮流が流れていて、革新政党の方が「小さな政府」で、保守政党の方が「大きな政府」というねじれがあるんですよね。
●政友会:国権派、皇室中心主義〜地主など地方名望家が基盤〜積極財政、対中強硬策(古くて腐敗気味のイメージ)→自民党の前身?
●民政党:民権派、議会中心主義〜都市ブルジョアジーが基盤〜緊縮財政、対中不干渉(新しくて清潔なイメージ)→民主党の前身?
○民政党はもっとリベラルな政策をとって、不平等の解消を目指すべきだったのではないか。そして戦後の左翼とリベラルは、平和と自由の擁護には熱心だったが、国民の生活向上はもっぱら自民党がやってくれた。それは間違っていたのではないか。総力戦体制の下で小作農の生活が改善された、などという不幸な歴史を繰り返してはいけない・・・というのが本書を貫く坂野先生の問題意識である(正直申し上げまして、私はついていけません)。
○で、本日は民主党大会が行われて、新しい代表に岡田克也氏が選ばれたとのこと。うーん、どうだったんでしょうね。どうも民政党のDNAまっしぐらになるんじゃないか、という気がいたします。
<1月19日>(月)
○世の中には新春講演会の需要が結構あるので、この時期はいろんな場所に呼んでもらっている。で、今日は茨城県中小企業団体中央会の新年会で水戸市へ。変な話だがワシの場合、横浜市あたりで呼ばれると帰りが面倒だが、水戸市であればまことに楽でありがたい。
○で、本日学習したこと。茨城県は地酒が多いのである。何しろ今日は中小企業の集まりなので、古い歴史を持つ酒蔵会社さんもいっぱいいらっしゃるのだが、なんと種類の多いことか。このお酒なんかは、昨年の全国新酒鑑評会で金賞を受賞している。海外進出も早くから手掛けているそうです。まーったく、知りませんでした。すいません。
○で、だいたいにおいて新春講演会は前座でありまして、その後の賀詞交歓会が大事なわけであります。ここで乾杯となるのだが、ここは「乾杯条例」に基づいて地元の日本酒で乾杯と相成る。今のところ笠間市や水戸市で乾杯条例が成立していて、笠間市の場合は「地元の笠間焼を器を使う」というルールもついている。ここまでやっているのは、全国でも常滑市と笠間市だけなのだそうだ。
(ちなみに乾杯条例のブーム化については、このページなどが参考になります)
○考えてみれば、なぜ乾杯と言えばいつもビールなのか。地産地消にはいろんなパターンがありますが、こういうやり方もあるのですね。こんな風に、不肖かんべえは全国あっちこっちに呼んでもらっては、何かひとつ学習してくるのでありました。
<1月20日>(火)
○地方巡業3連荘で会社を開けている間に、アマゾンで注文したピケティ『21世紀の資本論』が来ていた。とりあえず手元にある、ということで安心して、きっと読まないと思う。まあ、ワシのような読者は少なくないのではないか。だから「こんな分厚い本が売れているのだから、出版界は心を入れ替えて云々」みたいな意見は軽く無視すべきであろう。とりあえず版元は、「これで向こう10年食える」と喜んでいるそうだが。
○ということで、以下は読まない上での妄言。
○r>gという法則は、短期的には必ず該当する。投資家が投資を決めるときは、事業の成長以上の配当が見込めると確信しているものだ。投資にはリスクプレミアムが必要だからね。投融資審議会に出かけて言って、「この事業はr<gとなりますが、社会的に必要な投資なのであります」などと言ったら大馬鹿者めと叱られることだろう。
(余計な話だが、伊藤忠商事は5000億円もCITICにぶち込んで大丈夫なんだろうか。それって全体の10%の出資に過ぎないし、どの程度のリターンがあるのやら。確か伊藤忠はROE15%を目標に掲げたと聞いたが・・・?)
○r>gという法則は、長期的には必ず該当しない。もしもこれが長期で成立するようなら、GDP全体に占める資本家の取り分はいつか100%に到達してしまうであろう。そんなことはあり得ないから、r>gは成立しない。背理法ですね。
○あるいは、資本家がr>gの法則に沿ってどんどん肥え太っていくようだと、世界経済はいつの日かいくつかの財閥に支配されるようになるだろう。が、そういうのはSFの世界のお話で、現実の金持ちファミリーはかならず道楽や放蕩息子や相続税や愚かな行為などによって没落していく。In
the long run, we are all dead.
○最後にもうひとつ。仮にピケティの議論が正しいとしたら、「どんな資産家も3代でただの人になる」と言われるわが国の過酷な相続税制は、いい線行っているのではないだろうか。
<1月21日>(水)
○オバマ大統領の一般教書演説(SOTU=States of the Union)が行われました。便利な世の中になったもので、日本に居てもこのページを開ければ、リアルタイムで演説を聞くことができる。ということで、今日の午前11時から12時にかけて、ワシはi-Padを持って会議室に閉じこもってオバマ演説を聞いてました。途中でi-Padを持ったまま、トイレに立ったりもしたんですが、幸いなことに誰にも何も言われませんでした。我ながら変人としか言いようがない。
○オバマ大統領は、今回のSOTUに賭けていた感があります。大統領としての任期はあと2年を残すのみ。これを「最終クォーター」(オバマさんはバスケットが好き)と位置付け、"I am going to play offense."(攻めに出る)と威勢が良い。今日の演説では、冒頭から"Tonight, we turn the page"(今宵、新しいページを開けよう)と訴えた。経済危機の時代は過去のことになった。2009年の私の就任当時に比べれば、経済指標はこんなに好転したんだよ。だからトップ1%の人たちに増税しましょう、ミドルクラス経済学が必要だ、誰もがコミュニティカレッジに通えるようにしましょう、気候変動問題にも取り組みましょう、などとリベラル路線まっしぐらの内容でありました。
○ただし、大統領がここで何を言っても、それが法案化される確率は限りなくゼロに近い。SOTUはもちろん国民に向けてのメッセージだが、目の前にいるのは上下両院の議員さんたちである。その陣容は昨年に比べ、上院では共和党議員が9人も増え、下院では共和党議員の数が第2次世界大戦後でもっとも多くなった。つまり、オバマと民主党は去年の中間選挙でコテンパンに負けたのだ。そのことをまったく忘れ去ったかのように、KYなオバマは語る。まるで自分が感動的な演説をしさえすれば、政権支持率がうなぎ上りになって、皆が自分に従って法案を通してくれると信じているかのように。
○もちろんそんなことは起きない。国民はもうオバマの演説に慣れてしまっている。いつものことであるが、演説は歓呼(Applause)で何度も中断される。民主党議員は何度もスタンディングオベーションに立ち上がる。が、大統領の後方右手に位置するベイナー下院議長が立ち上がったのは、ほんの数回であった。後方左手のバイデン副大統領だけが何度も立ち上がる。昔は皆が立ち上がったものなんですけどねえ。
○さて、日本として注目すべき点は、ISIL(イスラム国)の部分とTPPですね。それぞれ該当部分をご紹介ておきましょう。まずは前者から。
In Iraq and Syria, American leadership --
including our military power -- is stopping ISIL’s advance.
Instead of getting dragged into another ground war in the Middle
East, we are leading a broad coalition,
including Arab nations, to degrade and ultimately destroy this
terrorist group. (Applause.) We’re also supporting a moderate
opposition in Syria that can help us in this effort, and
assisting people everywhere who stand up to the bankrupt ideology
of violent extremism.
Now, this effort will take time. It will require focus. But we
will succeed. And tonight, I call on this Congress to show the
world that we are united in this mission by passing a resolution
to authorize the use of force against ISIL. We need that
authority. (Applause.)
○どうということはないのですが、この部分を語ったところで映像では関係資料が映し出され、「我々は広範な連合国を率い・・・」のところでは、世界地図がチラッと出ました。もちろん、日本列島は"Coalition"の一つとして塗りつぶされていましたぞ。朝日新聞、毎日新聞、東京新聞の皆様、これを見過ごしてよいのでありますか? 「だから集団的自衛権の行使に我々は反対する!」と主張する絶好の機会でありますぞ。ワシは逆に、ここで日本が危険極まりない「イスラム国」を封じ込める一翼を担うのを当然と考えるものであります。
○例の人質事件については右のように申し上げたいと思います。テロに遭うことが悪いのではありません。テロは実行することが悪いのです。
○さて、もうひとつのTPPに関する部分は以下の通り。毎度のことですが、TPPという言葉は使われておりません。
Twenty-first century businesses, including
small businesses, need to sell more American products overseas.
Today, our businesses export more than ever, and exporters tend
to pay their workers higher wages. But as we speak, China
wants to write the rules for the world’s fastest-growing
region. That would put our workers and our
businesses at a disadvantage. Why would we let that happen? We
should write those rules. We should level the playing field.
That’s why I’m asking both parties to give me trade promotion
authority to protect American workers, with strong new trade
deals from Asia to Europe that aren’t just free, but are also
fair. It’s the right thing to do. (Applause.)
Look, I’m the first one to admit that past trade deals haven’t
always lived up to the hype, and that’s why we’ve gone after
countries that break the rules at our expense. But 95 percent of
the world’s customers live outside our borders. We can’t
close ourselves off from those opportunities. More than half of
manufacturing executives have said they’re actively looking to
bring jobs back from China. So let’s give them one more reason
to get it done.
○なぜアジア太平洋地域で新たな貿易ルールを作らねばならないかというと、ほっとくと中国にやられてしまうからだ、というロジックになっています。実態はむしろ中国がTPPに過剰反応して、上海貿易自由区だとかRCEPだとかを目指しているのだと思います。ここの部分は、民主党が自由貿易に反対していて、むしろ共和党が賛成しているというねじれがあるからでしょう。つまり、オバマはむしろ身内を説得せねばならず、そのために「労働や環境規制もやります!」と言わなければならない。
○ということで、今年のSOTUは徹頭徹尾、身内のロジックで固めたものであったような気がします。普通であれば、7度目の一般教書演説では「次期大統領候補」を意識し始めるものですが、その気配もまったくなかったですね。ヒラリー・クリントン前国務長官は、果たしてどんな気持ちで聞いていたのでしょうか。
<1月23日>(金)
○今日は「味噌生販協議会」というところで講演会講師を務めました。全く未知でアウェイの世界だが、ワシのような仕事にとっては、こういう機会こそまことに貴重である。果たしてどんな世界なのかと興味津々で出かけて行ったら、マルコメさんとか、フンドーキン醤油とか、富山の日本海味噌(先日も新しいのを買ったばかりである)など、よく知られたメーカーと問屋さんたちの会合でありました。
○味噌の売れ行きは、人口の減少と若い世代の日本食離れによって、将来があんまり明るくなさそうに見える。こうなったら、輸出で頑張るしかないんじゃないかということで、とりあえず「和食」がユネスコ文化遺産になったというのは、明るいニュースなのである。他方、昨年の消費増税の際には、案の定、「買い溜めと反動減」があり、しかも夏の季節には味噌の消費量が減る(確かに味噌煮込みうどんは、冬に食べますわなあ)ということもあって、昨年はまことに大変な年であったのだそうだ。それでも、じっと耐えている企業も多く、いかにも究極の日本企業群といった世界である。
○味噌業界にとって、お手本になるのが日本酒の世界である。日本の"SAKE"は既に海外でもブランドとして浸透しつつあり、「獺祭」のような成功例も出ている。味噌はまだまだ後発だが、海外の日本食レストラン向けの輸出だとか、アメリカにおける味噌工場建設(マルコメ)などの動きは既にある。異業種への参入もさまざまであって、「ウチは豆乳も作ってます」「輸入車の販売店もやってます」など、やっぱり経営の世界は奥が深いのである。
○海外の日本食ブームというのは、確かに有望ではあるのだけれども、ひとつ間違うとチャンスをつぶしかねない危うさがあると思う。要は外国人向けの説明ができていないのである。日本酒でも味噌でも、どういう状態で提供するのがベストなのか、あるいはどういう料理と組み合わせて味わうのが良いのかなど、われわれ自身があんまり自覚していない。それを外国語で説明できるか、という問題がこれに加わる。
○フランスの文化であるワインが、どれだけ多くの理論を有しているか、さらにはそれらを補強するサブシステムを、いかに豊富に用意しているか。「6次産業化」というのは、そんなに簡単な作業ではない。とりあえず食料品輸出は5000億円の大台が見えてきたが、そんな程度で満足していてはいけないだろう。せめて輸入の6〜7兆円の10%は超えたいものである。円安効果もあって今は追い風だが、この機会を何とか捉えて大きく広げたいものである。
<1月26日>(月)
○今日は建設業関係の団体で新春講演会。こちらは景気がよろしい。と言うよりは、とにかく仕事が増えて忙しい。本当に業界が潤っているかというと、そこはまたちょっと複雑で、ベアを奮発しようというほどでもない。資材費の高騰とか、人材の定着とか、公共工事の不調とか、いろいろ問題は尽きない。でもまあ、「コンクリートから人へ」と言われていた時代を思えば、今は明るくなったし、東京五輪という楽しみもあるからねえ、という感じであった。
○業界にとって、やはり難しいのが若手の育成である。そもそも今の日本の人口動態では、とうとう団塊ジュニア世代が40代に移行しているので、そうでなくても30代の絶対数が少ない。そして、企業の現場では、どこも30代が希少価値になっている。会社としてはこれまで彼らに投資したつもりでいるのだが、結構な頻度で退社されてしまう。
○建設業というのは、20代でいきなり現場を任されて、自分の父親くらいの世代の作業員をまとめたりするので、若くして鍛えられる世界であることは間違いない。とはいえ休めないし、転勤はあるし、家族ができるとなかなかにしんどい職場ではある。もっと楽な仕事を、と考えたとしても、一概に責められることではなさそうだ。
○建設会社を辞めてどこへ行くのかというと、自治体の職員になるパターンが多いのだそうだ。仕事をしながらコッソリと試験勉強をして、ある日受かると突然に退職願が提出される。目指すは9時ー5時で終わって、土日がきちんと休めて、転勤のない職場。都道府県庁だと転勤があるけれども、市町村役場ならばどこにも行かなくていいから、そっちの方がいい、というのが当世風なんだそうだ。
○少し以前に聞いた話だが、「最近は中央省庁の内定を辞退して、地方公務員になるヤツがいる。安定志向もここまで来たかと思うが、国家のために働いている身としてはまことに情けない」というのが昨今の情勢なんだそうである。そうは言っても、官僚が昔ほど尊敬されなくて(というより、はっきり言ってバッシングの対象になっていて)、また「国家のために尽くす」という使命感もフィクションみたいになってきて、さらに天下り先も昔のような贅沢は言えなくなっているとなれば、人材がじょじょに集まらなくなるのも無理はないだろう。
○建設会社も羽振りが良かったのは遠い昔のことで、この20年くらいは談合で叩かれ、公共事業は悪玉論で、あんまりいいことがない。どこそこの○○工事では、どう考えても赤字の案件を、「次の工事では儲けさせてあげるから」と言われて渋々受けたんだけど、それが談合だと言われて追徴課税を受け、発注者はもちろんそうなると知らん顔で、業者が泣くことになる。ああ、だからどこそこの○○料金はあんなに高いんですか、などと世の中の裏側が見えてしまったりして。
○こんな風に、現場の声を聴く機会があるのだから、この仕事は辞められません。オフィスでデータを見ているだけで終わるのなら、正直言ってエコノミストなんて面白いものじゃあございません。
<1月27日>(火)
○ピケティの『21世紀の資本』をポツポツ拾い読みしていて、今朝の「くにまるジャパン」でもご紹介したのだけど、ちょっと気になっているのが「相続」の話である。
○ピケティの研究によれば、1940年代から70年代は「格差が縮小した」例外的な時期であって、そういうことがないとr>gという「資本主義の中心的な矛盾」によって、格差はほとんど必然的に拡大してしまう。特に経済成長率が低い時は要注意であって、19世紀の西欧がその典型であった。実に当時の国民所得の約2割が相続によるものであった、としている。
○言われてみれば、19世紀の西洋文学にはやたらと相続の話が出てくるのである。シャーロック・ホームズの短編集など、犯人の動機のうちかなりの部分が相続がらみである。特に、うら若き女性が巨額の資産の相続人になり、それを妨害しようとする犯人が信じられないような手口を使って、ホームズとワトソンはそれをいかに食い止めるか・・・・という筋立てがやたらと多い。ほら、「まだらの紐」も、「赤毛組合」も、「ぶな屋敷」も、「ノーウッドの建築業者」も、「3人ガリデブ」も、みんなみーんな相続が仇になるって話ばっかりでしょ?、
○ということで、人生は繁栄も没落も相続次第で、新たに生み出される価値よりも既にこの世に存在する富の方が重きをなす社会、というのは、あんまりよろしいとは思われませんな。遺産ではなく、自分で生み出す富こそが世の中の中心であってほしいものです。その点、わが国におきましては「どんな金持ちでも3代でタダの人になる」という過酷な相続税制が取られていて、鳩山一家から堤一族まで、この問題で四苦八苦されているわけであります。
○なにしろ昭和天皇がご逝去された際にも相続税は発生したそうですので、下々の民が文句を言っては罰が当たります。たしかあの当時、右翼団体が「天皇機関説」を持ち出して、天皇家への相続課税に反対していたという記憶があるのですが・・・・。これも日本ならではの優秀な制度であるのかもしれません。
<1月28日>(水)
○この1週間、発言を控えてまいりましたが、例の人質事件がそろそろ最終局面が近そうですので、思うところを述べてみたいと思います。もちろん、明日にはどうなっているかわかりませんし、後からいろいろ新事実が出てくるやもしれません。以下は、とりあえず現時点の情報をもとにした思考であります。
○まずは当たり前の話から。自国民が人質になった時に、ときの政府が全力を尽くすのは当然のことです。民主主義国家として、国内世論を重んじなければならないというのはもちろんながら、自国民を守ろうとしない外交は当然、他国の外交官たちから侮りを受けます。今の日本外交は、「アイツらはどこまでやれるのか」ということを試されているわけで、人質がたとえどんなに変な国民であっても、政府としては全力で守らなければなりません。
――だから、いわゆる「自己責任論」はグローバル・スタンダードではないと思いますよ。少なくとも、「あの人はともかく、この人はあんまり守りたくない」なんてことを考えちゃいけません。
○とはいえ、外交当局として守らなければならない一線というものはある。今回のケースで言えば、2億ドルの身代金を払うという選択肢はあり得なかった。国家がテロリストにひれ伏すなどということがあってはなりません。結果として日本人1人(湯川さん)の命が失われた(らしい)。日本外交はそういう「痩せ我慢」をし、犠牲を甘受したという結果が残った(ようだ)。1970年代に「ダッカ事件」という前例を持つ日本外交が、今回はちゃんと我慢をした。そのことは、今後のトラックレコードとして残るはずである。
――まあね、ダッカ事件の時は、あれ以外の選択肢があったかどうかは、実際問題として難しいところなんだけどね。
○もっと言うと、2億ドルという途方もない要求が、たまたまオープンリーチであったがために、日本政府としては振り込めなかった、という事情はある。仮にこれがヤミテンであって、要求金額が2億円であったならば、内閣機密費で払えてしまうから、内々で支払っていたかもしれない。その場合は日本外交の評判として残っただろうし、テロリスト側には「日本人はおいしい相手」と受け止められていたであろう。結果論とはいえ、世論も全般としてこれを是としてくれた。
――「人命尊重」という錦の御旗の下には、日本外交は何でも譲歩して何でも支払うべし、という考え方もありますけれども、そういう意見は多数派を形成しなかったと思います。
○判断が難しいのは、その後のヨルダン政府との交渉です。両国間でどの程度の軋轢があったかは知りませんが、最終的にはヨルダン政府が判断することですから、日本側としてそんなに気を使う必要があるとは思えません。政府というものはすべからくエゴイストでありますし、大人の判断をする現実的な存在であるべきです。
――とは言いつつも、後からODAなどでこっそり恩義を返すのかもしれませんけどね。でも、それは「国家的損失」などという大袈裟なものではないでしょう。
○もうひとつ、これが短期間で解決してくれれば、そのこと自体が大きな成果だと思います。事態が長期化すると、「なぜ自衛隊を派遣しないんだ」みたいに無茶なことを言い出す人が増えますからね。そんなこと言って、邦人保護のために海外に軍隊を出動させて、引くに引けなくなった結果がどうなったかは、1930年代の歴史を振り返ればすぐにわかるでしょう。まして相手は中東ですぜ。
――戦前のアレは軍部の独走なんかじゃないですよ。「暴支膺懲」という当時の世論のなせる業であります。
○政府の対応は、今までのところそれほど大きな瑕疵はないと思います。悪手はすぐにわかるけれども、好手は一見わかりにくい。例えば日本政府への要求メールが、政府内部から漏れていたら? 閣僚の一部から不規則発言が飛び出したら? 官邸と外務省と防衛省の間で大喧嘩が起きていたら? 今までそういう例をいっぱい見てきた経験からすると、日本版NSCを作ったことはとっても良かったと思えてなりません。
――端的に言えば、民主党政権でなくてよかったよね。
○もっとも「ないものねだり」をしたい人たちはこの世にいっぱいいるので、あれこれ批判は絶えないことと思います。まあ、それも世論の一部であると受け止めて、政府として途中で変にブチ切れることなどなく、冷静に事態を収めてほしいと思います。
――最後のところはちょっとだけ心配だぞ、正直なところ。
<1月30日>(金)
○前回の発言はちょっとフライングとなってしまいました。人質事件、まだまだ簡単には収まりそうにないですな。さすがは中東、期限が守られません。なにしろ砂漠のバザール商人たち同士の駆け引きであります。日本人の感覚ではついていけません。最低でももう1回、週末をまたぐことになりそうです。
○照れ隠しもあって、話題を変更。それもなるべくなら、他愛もない話へと。
○セクハラ大王とパワハラ暴君を一人で兼ね備える勇者のことを何と呼ぶか。答えは「セ・パ両リーグ」もしくは「日本シリーズ」。実際にそういう洒落にならない人があっちにもこっちにも居る、というのが日本企業の怖いところで、職場の常識というものが変わるまでには、結構、長い時間を必要とするのでありましょう。
○ところが世の中は怖いものでありまして、今の時代に「セ・パ両リーグ」で懲戒退職になったりしようものなら、ほぼ確実に再就職は難しくなります。この高齢化時代において、再雇用ができないという刑罰はまことに重い。その後の人生、いったいどうしたらいいのよ、ということになってしまう。
○これが逆に、「会社のための利益隠し」だとか「止むにやまれぬ損失隠し」という罪状で会社をクビになった場合には、「あれは要するにまじめな人なんです」の一言で許してもらえるかもしれない。というか、ワシが経営者であれば、そのタイプは割り切って雇うかもしれないけど、セ・パ両リーグは怖くて手が出せませんな。つまりは会社にとって、許容できるリスクの性質の違いということかもしれません。
○乱暴に言ってしまえば、こういうことになります。会社生活における失敗というものは、許せるほうから順番に言うと、@お酒の失敗>Aお金の失敗>Bセ・パ両リーグの失敗となると思います。「周囲が許してくれている分には問題にならない」という点では3つとも似たようなリスクですけれども、いざ許されなくなった時の扱いは天と地ほどの差となってしまう。
○この手の常識は、いつの間にか変わっていることが多い。いよいよ自分の身が危うくなってしまってから、「ええっ?この程度のことは、昔はみんなフツーにやっていたじゃない!」と言っても手遅れである。「あの人は古いタイプだったよねえ」と過去形で呼ばれてしまう。
○なんでそういう話になったかは内緒であります。中高年サラリーマンのご同輩諸氏は、勝手にご理解ください。若い世代の方々は、「オヤジ世代はこれだから・・・」ということで呆れてください。
編集者敬白
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by Tatsuhiko Yoshizaki