<2月1日>(火)
○エジプト情勢の行方について、こんなモデルを考えてみました。反政府デモが発生して権力者と対峙した場合、行く末にはいろんなパターンが考えられます。
(1)中国モデル(天安門方式):軍隊が民衆を弾圧する。それでデモはお終い。国際世論の批判を浴びたり、外資の引き上げがあったりするが、国内は何とかそれでまとまり、権力者も安泰。
――今回はちょっと使えなさそうだ。エジプトの軍隊は中立を保つ模様です。
(2)フィリピンモデル(マルコス方式):中心となるリーダーが登場して、ますます盛り上がりを見せる。衆目の一致するところ、政権移譲は不可避と言うことになり、最後はアメリカが権力者に引導を渡す。
――反政府勢力側に有力な中心人物がなく、しかもイスラム同胞団があったりするのが難点。アメリカも、「自分たちが次の指導者を選ぶ」つもりはない。下手をすると、反米運動になっちゃいますからね。
(3)タイモデル(エンドレス方式):赤シャツ隊と黄色シャツ隊が延々と抗争を繰り返し、ときどき流血騒ぎもあるけれども、政府側も反政府側も決定的な打撃を受けることはなく、いつまでもやっている。
――タイだから許されることで、普通の国は真似してはいけません。中東は特にあぶないっす。
○ついでに「日本モデル(安保紛争方式)」というのもあって、これは首相が退陣して、所得倍増計画が出てきたらすべて治まった、というとっても幸せなシナリオ。でも、これはあまりにも非現実的なので、とてもエジプトには適用不可能でしょう。
○で、あらためて考えてみると、エジプトの現実をいかにフィリピンモデルに近づけるかを考えるしかないようです。そこで、「まずムバラクが退陣を表明し、しかるべき人物を暫定大統領に指名」「その下で半年後に自由で公正な大統領選挙を実施」というのが、ほとんど唯一の落としどころではないかと思います。暫定大統領に信頼の置ける人物が出るかどうか、というのが鍵になりますね。
○その点で、今日発表されたばかりのリチャード・ハース氏のインタビュー記事がお値打ちです。ことによれば、スレイマンやエルバラダイが暫定大統領になるのかもしれないとのこと。これらの人物へのアメリカ外交筋の評価が興味深いですね。もっともアメリカが手を出していいものかどうか、ハース自身は非常に慎重なトーンでありますが。
<2月2日>(水)
○現金なもので、エジプト情勢に「落としどころ」が見えてきたら、途端に株価が上昇しました。エジプト騒動の最中に発表されたアメリカのGDPや日本の鉱工業生産は、予想以上に強い数字が出ておりますので、これは自然な動きではないかと思います。
○それどころか、「中東で何があってもここだけは大丈夫だろう」とばかりに日本国債が買われて円高が進むという面妖な展開。その一方で、「中東情勢は誰に聞けばいいんだ?」というご質問を受けることもしばしばです。「自分は門外漢だけど、どうも奇妙な解説がまかり通っているような気がする」という人が多いのでしょう。いつものことですが、普通の人が直感的に変だと思うことは、やはり間違っていることが多いのであります。
○そういう意味では、この人などは外務省の元アラビストですので、観察に実がありますね。以下は1月31日付の記載。
悲しいかな、日本の一部には現在のエジプト情勢を「民衆革命」などと、およそ見当違いの解説を試みる向きがある。FacebookやTwitterなどで動員された「付和雷同の民衆」は今回の政治劇の真の主役ではない。
今日のエジプト内政は、@エジプト政治の主役である「軍エリート」と腐敗した「ムバラク家」との対立、A軍部と警察等治安組織との確執、B主流政治エリートと「イフワーン(ムスリム同胞団)」との対立、C軍内の(世俗的)上層部と(宗教的?)中堅将校との温度差、という4つの軸を中心に詳細に分析すべきだろう。
(中略)
恐らくポイントは「軍と民衆の関係」だろう。1月29日以降前面に出てきた軍が今後「発砲」に追い込まれ、「流血の事態」となれば軍のシナリオは完全に失敗し、混乱の中でイフワーンが台頭しかねない。逆に、軍が状況をコントロールできれば、ムバラク一家は「一巻の終わり」、その後は付和雷同分子とイフワーンへの厳しい弾圧が始まるだろう。
○さて、経済界の人間として、この事件で真に恐るべきことは何なのでしょうか。よく聞くのは以下の3点ですね。
(1)チュニジア→エジプト→ヨルダン→サウジアラビア、といった中東ドミノ現象
――今回の現象が「数十年に1度」の変化だとすると、こういう究極のシナリオもあり得ます。ただし蓋然性は低いと思います。
(2)原油価格高騰、スエズ運河閉鎖による混乱
――これもしばしば指摘されるところですが、サプライズというほどでもない。それに日本向けの石油は、スエズ運河を通りませんし(だから北海ブレントの値段が、WTIを上回っている)。それに船賃が上昇したところで、物価に与える影響はそれほど大きくはありません(物流コストは、最終製品価格の10分の1程度)。
(3)中東和平プロセスの崩壊
――実はこれが大問題であるらしい。中東和平の大枠は、1978年のキャンプデービッド合意であり、その後のあらゆるプロセスはこの傘下にある。つまりオスロ合意だのロードマップだのは、いわば枝葉に過ぎない。しかるに、この合意を決めたサダト大統領は、エジプト国民には不評であった。新政権ができて、キャンプデービッド合意が否定されたりしたら、中東和平は1978年以前に戻ってしまう。さあ、イスラエルはどう出るか。
○こういう説明を聞いて、「へえ〜!」などと反応している自分が怖い。でも、その程度だから、「日本には中東リスクがない」と思われるのかもね。「わが国にとっても他人事ではありません」なーんてキレイごとをいえる程度には、立派な対岸の火事なんです。さて、哀しむべきか、喜ぶべきか。
<2月3日>(木)
○エジプト情勢の続き。
○ワシはよっぽど性格が悪い人間であるらしく、こういう状況を見ているとついついムバラクさんに肩入れしたくなる。というか、ピンチに陥った権力者の側に身を置いて、「自分だったらどうするか」を考えてみたくなる。だっていろいろ手はあるんだもの。野党の分裂を誘うとか、秘密警察を使って親ムバラク・デモを扇動するとか、アメリカに揺さぶりをかけるとか、海外亡命の準備をするとか、一族の資産の保全を考えるとか。要するに「お主もワルのよう」の世界である。
○逆に民衆や革命家の側に立つことには、あまり興味がわかない。モノの本によれば、革命は詩で、統治は散文であるという。だから得てして、革命家は成功後に居場所を失う。竜馬や高杉は、維新を待たずに死んだけど、その方が良かったかもしれない。そして典型的な散文型人間であるワシは、むしろ体制の延命に力を貸すほうが趣味に合う。
○さて、落ち目の権力者にとって、何より大事なのは自分の財産をどうやって守るかであろう。たとえ石持て国を追われることがあっても、カネさえあれば何とかなる。マルコスも、サダム・フセインも、最後の執着心はそれだった。そしておそらくはムバラクも。
○かつてエジプトのファルーク王は、ナセル将軍のクーデターで国を追われた。ナセルは王の財産はエジプト国民のものだと主張したが、スイス銀行は断固として返還を拒絶した。古き良き時代の話である。今だったらどうなるんだろう。ファルーク王は、亡命先の欧州で愛人とギャンブルと暴飲暴食の日々を過ごし、華やかな生活の末に45歳で死んだ。ムバラクさんは既に82歳で、次男を大統領にする望みもほぼ消えてしまった。が、ここでどうやって粘るか。
○確かジェフリー・アーチャーの短編小説にこんなのがあった。アフリカの某国のやり手財務大臣が、スイスの銀行に乗り込んで頭取を相手に、先代の国王の財産を返還せよと迫る。頭取は断固拒否する。財務大臣、最後は拳銃を取り出して迫るが、頭取は震えながらもこれを拒絶する。最後に財務大臣が感心して言う。
「それほどまでに言うなら、俺の金を預かってくれ」
○これ、きっと元になった実話があるんだと思う。これぞアフリカ、てな話でありますな。
(追記:これはジェフリー・アーチャー『十二の意外な結末』(新潮文庫)に所収されている「清掃屋イグナチウス」という佳作。上記は若干の記憶違いもありますが、ともあれ最後の銀行家と大蔵大臣イグナチウスの掛け合いシーンは圧巻です)
<2月4日>(金)
○山口経済研究所の経済講演会で講師を務める。講演は午後2時からなので、朝9時25分発のANA693便に乗ればいいという、この手の出張としては、割りと楽な日程でありました。普通に常磐線柏駅発、上野駅経由、浜松町で下車。しかしその先が普通ではなかったのです。
○午前8時45分頃、羽田行きのモノレールが止まってしまいました。ちょうど流通センター駅でした。アナウンスの声が妙に混乱している。そして恐ろしいことを言うではないか。「停電により、全線で停車しています・・・」
○こりゃエライことである。慌ててモノレールを降りて、駅から出て、路上でタクシーを捜したんですが、トラックばかりでタクシーが見当たらない。しばらくするうちに、他のお客もぞろぞろと外へ出てきて、たいへんな騒ぎになりつつある。仕方がないので、少し移動して流通センターの前まで行き、ここへやって来るタクシーの帰りを捕まえようと考えた。やっと1台やってきたけれども、他の人が手を上げて乗ろうとしている。思わず後ろから声をかけました。
「どちらまでですか?」(羽田行きだったら、一緒に乗せて!)
○ところがその若い男性は天王洲へ向かうという。こりゃ駄目だ、と思ったら、信じられないようなことを言ってくれたのです。
「ぼくら、飛行機の時間があるわけじゃないですから、お先にどうぞ」
○なんて優しいお言葉。後から考えれば、当方がよほど切羽詰った顔をしていたのでありましょう。お礼もよくよく言わずに飛び乗ったところ、この運転手さんがまた冷静な人で、すぐに高速に乗ってくれて、文字通り10分くらいで羽田空港第2ターミナルに到着しました。この時点で時計を見たら9時11分。ええ、思わず運転手さんにお札を渡して、「お釣りは要りません!」と申し上げましたよ。
○空港に駆け込んで、チェックインカウンターでバーコードをかざしたのが9時15分。「よかった、これで何とかなる」と思ってゲートはどこかと見たら、無情にも69番ゲートである。要するに向かって右側のいちばん奥のゲートであります(ふんっ、富山行きがよく出るので知ってるんだよっ!まあ、地下の100番台よりはマシだけど)。息を切らして歩きながら、「そうは言っても、モノレールが止まってるんだから少しは待っててくれるだろう」と甘いことを考えていたら、まったくそんなことはなくて、ANAの人が「山口宇部空港行きのお客さまー、お急ぎくださーい」と叫んでいるではないか。
○結局、ワシが着席してからほんの2〜3分で扉が閉まり、ANA693便は定刻どおりに飛び立ったのでした。全部でほんの40分ほどの出来事でしたが、ホントに生きた心地もしませんでしたな。流通センター前の優しい若いサラリーマン風の方、本当にありがとうございました。あなたのお陰で間一髪間に合いました。
○後で分かったのですが、今朝のモノレールの事故は近所の変電所の火事によるもので、中には車両が駅と駅の間で止まってしまい、文字通り2時間閉じ込められたお客さんもいたのだそうです。それを聞いてコワくなったのですが、今朝は浜松町で、各駅停車のモノレールがあまりにも混んでいたので、あたしゃ1台見送ったんですよ。そっちに乗っていたらどうなっていたのか・・・?
○さて、9時25分発のANAを乗り逃した場合、どういうコンティンジェンシーがあったのか、後から考えてみました。
(1)次の山口宇部空港行きは13:55発なので、これを待っていたら完全にアウト。
(2)羽田第1ターミナルに移動すれば、12:15発のJAL1645便に間に合う。ただし空港着が14:05なので、主催者さんにはご迷惑をおかけすることになる。(ちなみに本日の会場は宇部全日空ホテルで、空港からタクシーで10分程度の場所でした)。
(3)そこで今度は広島空港を使うことを考えてみる。ANA675便、10:00発に乗れば、11:30に広島空港に着く。かなり有力なアイデアに思えるが、そこから広島駅までが遠い。なんとか広島発のぞみ21号に乗れたとして、新山口に到着するのが13:37となる。これでJR宇部線を待っていたら、やっぱり遅刻でしょうね。
(4)ところが救世主があるのですね。例によって福岡空港です。9:47発のANA247便に乗って、福岡空港に11:40に着く。地下鉄で博多駅への移動は5分くらいなので、12:30発ののぞみ32号は楽勝でしょう。13:05には新山口に到着し、山陽本線に乗り換えれば13:15発、宇部駅到着が13:38となる。ギリギリで14:00に間に合いそうではないですか。
○実際問題としたら、飛行機を乗り逃がした時点でパニックになってしまい、「福岡空港ルート」なんて絶対に思いつかないでしょう。これは貴重な思考実験かもしれませんな。ああ、それにしても寿命が縮んだわい。講演会の仕事は、ホントこれがコワいんです。
<2月6日>(日)
○大相撲の八百長騒動、将棋界でも似たような話があります。自分にとっては単なる消化試合だが、相手が負ければクラスを陥落するとか、引退に追い込まれるような対局があったときにどうするか。相手がよっぽど嫌なやつならともかく、いい人であった場合には悩ましいことになる。下手な棋譜を残したらまずいけど、ほどほどのところで負けて、「今日はやられましたぁ!」と頭を下げたくなる気持ちがあっても不思議はありません。
○それというのも、将棋界というのは同じような顔ぶれがずっと戦い続ける世界だから、お互いに深い付き合いになるし、貸し借りもできる。基本、相撲界と似ているんですよね。今回の八百長には、外国人力士は入っていない様子。「自分が勝つことで、相手の生活を苦しめるようなことをしたくない」というのは、きわめて日本人的な感性なんじゃないかと思います。これを談合体質と考えるか、奥ゆかしい人情と考えるかは、人によって違うところでしょう。
○ちなみに将棋界には米長理論というものがあって、「自分にとってはどうでもいいが、相手にとって重要な対局こそ全力で勝たねばならぬ」という法則が広く信じられている。そういう勝負を落とすような棋士は、運気が去ってしまう。「勝負の世界では、非情であることが礼儀」、というわけである。十両の力士が、互いの生活を慮って勝ち星を譲ったり譲られたりするのは、およそ勝負師にあるまじき行いというものです。
○もっとも相撲界の場合、瞬間で決まる格闘技という性質があるので、本当のところどういう間合いで決まるかは外からは分かりにくいですな。「阿吽の呼吸で決まる勝敗は、八百長ではなくで出来山というんだ」という議論もそれなりに説得力があるわけでありまして。まあ、忘れっぽいのも日本人の美風でありますから、おそらく春場所を中止したことがとりあえずの「落とし前」になって、5月場所になるとまた客が戻ってくるということになるのではないでしょうか。少なくとも、ワシはあんまり怒る気になれません。
○ところで今宵のトリプル選挙。あまりの大差だから、世論調査も発表できなかったほどなんだそうで、たぶん当確の発表も早そうですね。いいのかなあ、そんなことで。
<2月7日>(月)
○週末かけて「12,000字程度」という原稿を書いて、本日正午締め切りのところを若干の時差を経て納入。ああ、しんど。今日は一杯仕事したのである。
○家にたどり着いたら、『アラビアのロレンス』をやっている。いいねえ、久しぶりに見たかったのだ。この映画には、こんないいセリフがある。
"It was written."(運命なんだ、あきらめろ)
"Nothing is written."(運命などない)
○こんな風に大見得を切ったロレンスは、でもやっぱり運命を恨むことになる。いいね、これがアラブの世界。そして名作の世界。ああ、最後まで見てしまうかもしれない。明日の朝は「くにまるジャパン」なのに。
○さて、ムバラクさんの運命はどんな風に書かれているのだろう。ひとつだけいえるのは、砂漠の世界にかかれる物語は、われわれのようなモンスーン地域と違って、湿り気を帯びていないということ。それこそ「非情であることが礼儀」の世界でありましょう。よかったねえ、ワシらは八百長がある世界に生きている。
<2月8日>(火)
○『アラビアのロレンス』はやはり名作なのです。だから最後まで見て、寝不足になってしまった。そしてこの映画のラストには、昨日紹介しなかったもうひとつの名言がある。ロレンスが別れを告げるところで、ファイサル国王がこんなことを言うのである。
There's nothing further here for a warrior. We
drive bargains. Old men's work.
Young men make wars, and the virtues of war are the virtues of
young men. Courage and hope for the future.
Then old men make the peace. And the vices of peace are the vices
of old men. Mistrust and caution. It must be so.
戦士の出番は終わった。これからは取引だ。それは老人の仕事だ。
若者は戦う。戦いの美徳は若者のものだ。そこには未来への希望と勇気がある。
そして老人が平和を作る。平和の悪徳は老人のものだ。そこには不信と警戒がある。
○要するに、ロレンスを上手にこき使った老人は、「ここから先はワシの出番だもんね〜」と舌を出すのである。この姿、まるで徳川家康みたいである。信長や光秀や秀吉が去った後に、「これからは老人の時代だ」なんて。英国軍の将軍が呆れて、「アンタには敵わん」と言うと、「あなたはただの将軍、私は王でなければならぬ身だ」と語る。これぞ老人力というか、野村監督というか、いやはや、私どもには到底およびもつかない境地です。
○その点、2月8日朝に逝去された三原淳雄さんは、生前の口癖が「そこで僕はぶち切れたわけですよ」であった。いくつになっても、若者のように怒る人であった。未来への希望と勇気があったからだろう。怒りの対象は、証券界へのお上の無理解や、日本的ムラ社会の論理や、メディアのレベルの低さであったりした。でも、不思議と個人攻撃は少なくて、「俺は×××に騙された」みたいな格調の低い怒りではなかった。
○去年の12月3日に病院へ見舞いに行きました。生まれて初めて千疋屋のメロンを買って、持って行きましたよ。三原さんのことだから、「俺は来なくていいといってるのに、あの馬鹿はこんなもの置いていきやがった」と後から来る人たちに自慢してくれるんじゃないかと思って。帰り際に「娑婆で待ってますよ」と声をかけたら、ニコニコして、今にも退院しちゃいそうな感じだったけど。最後まで「老人の悪徳」とは無縁な方でした。
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○今朝のモーサテが、冒頭でちゃんと「三原淳雄氏逝去」を伝えてくれてますね。さすが、です。合掌。
<2月9日>(水)
○フジテレビが変なことを始めました。パブリックオピニオンサイトの「コンパス」といいます。いろんな人の意見を集めて、世論の座標軸を作ろうと考えているみたいです。大勢いる書き手の中には、不肖かんべえも入っておりまする。まあ、これも「ネットとテレビの融合」のひとつのトライなのでありましょう。
○そういえば、ワシは「サンフロ」のニュース選定委員というのもやっていたんですけど、これって掛け持ちしてもいいんですかね。まあ、自分で気にすることはないんでしょうけれども。
○ということで、今日はちょっとした自己宣伝でした。
<2月11日>(金)
○中東情勢に関する若干の追加メモ。
○エジプトの混乱は、1月29日のデモからそろそろ3週目突入ですが、宮家さんの分析によれば、2月2日のムバラク支持派登場で「流れ」が変わってきたとのこと。1回戦は軍部圧勝との評価でした。
――どうでもいいことですが、宮家さんはとってもジェントルな方なので、彼が「お言葉を返すようですが・・・」などと言うのを聞いたことがありません。本当の口癖は、「釈迦に説法になりますけど・・・」であります。
○「エジプト情勢についてのメディアの報道をどう思いますか」と何箇所かで聞かれる。その都度、適当に答えておりますが、なんというか腰が据わっていない感じなんですよね。考えてみたら、日本は中東で手を汚していないから、「やましい気持ち」がないのです。その点、欧米はあの辺一帯を昔植民地化したし、この30年間もムバラク体制を支持してきた過去がある。だから報道には力も入るし、感情もこもる。「元カノの不幸」を語っているようなもんですかね。
――逆に言えば、中国や韓国に対する欧米メディアの評価に対して、われわれが妙に甘ったるいと感じてしまうのは、その裏返しでありましょうか。つまり、彼らは中韓に対してそんなに詳しくはないし、やましい気持ちもないのでありましょう。そして日本人としては中国と韓国に向かい合うときに、ついつい複雑な歴史や思いが交錯してしまうわけでありまして。
○ドバイ発のさる分析によれば、今回の事態はネットによる感染症拡大のように見えるけど、@若年人口が多い、A国民の価値観共有、B経済難、経済格差、といった条件が重なった国で起きている。逆にアフリカ全体を見回すと、エジプトのように国家と国民がキチンと一致した国は少ない(その昔、列強が勝手に国境線を引いたから)ので、案外ほかへは広がらないのかもしれないとのこと。
○さらに言えば、GCC諸国などは石油収入のお陰で潤っているし、そもそも人口の大部分が外国人労働者であったりするので、国全体を巻き込むような運動は起きにくいのではないかとのこと。むしろ今後は、専制体制による「国民へのご機嫌取りプロジェクト」が始まる可能性があり、公共事業なんかが増えるかもしれない。そういう意味では、危機によるビジネスチャンスもあるのだそうだ。
――この指摘は、いかにも「商社」って感じですな。
<2月12日>(土)
○とうとうムバラク大統領が辞任。表面的には民衆のパワーの結果ということなんだろうけれども、実態的には「エジプト政治の主役たる軍エリートが、腐敗したムバラク一家を見放した」と見るのが正確なんだろう。というか、その方がワシの好みであったりする。
○とりあえず世間一般的には「よくぞやった」という評価なんだろうけれども、この先はかなり危ういと思うぞ。
(1)野党勢力がこれまで一致してきた唯一の目標が達成されてしまい、この先はどうやってまとまるのか。
(2)憲法を改正して次の大統領を選ぶというが、どういう手続きで実施するのか(「軍にお任せ」では民主的とはいえない)。
(3)しばらくは大統領空位の状態が続くが、この間の外交交渉は誰がエジプトを代表するのか(スレイマン副大統領で皆は納得するのか?)
○ここでタイミングよく、菅原出さんのレポートが到着。これがスグレモノで、会員制情報誌だから、ここで内容を公開するわけにもいかんのだが、彼が指摘する「この30年間、“エジプトは脅威にあらず”との前提で国防計画を組んできた、イスラエルの安全保障環境が根底から崩れるかもしれない」という点は要注意ではないかと思う。同レポートは、ほかにもウィキリークス経由の情報など、いろいろ盛り込まれていてお値打ちである、とだけ言っておこう。
○これも菅原レポートに教わったが、「今まで秘密警察が巧みに防いできた大規模デモが、なぜ今回は防げなかったのか」という点について、下記のWSJ記事が非常によく分析している。これの日本語版が出る前に読んでおけば、単純なSNS礼賛論をぶち上げて、後から恥をかかなくてすみますぞ。
●The Secret Rally That Sparked an Uprising
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704132204576135882356532702.html
The plotters say they knew that the
demonstrations' success would depend on the participation of
ordinary Egyptians in working-class districts like this one,
where the Internet and Facebook aren't as widely used. They
distributed fliers around the city in the days leading up to the
demonstration, concentrating efforts on Bulaq al-Dakrour.
○青年グループは1月25日のデモ計画をインターネットで伝えたが、ネットなど通じていないような労働者階級の地区にも足を運び、Fliers(ビラ)を撒いて参加を訴えた、とある。治安機関は、ネットで公開されていたデモは押さえにかかったが、この地区は完全に盲点となっていた。そこから参加した数千人のデモ隊は防ぎようがなく、結果的にコントロール不能な状況に陥ったというわけである。
○青年グループ、なかなかにアッパレである。これから先は、「軍エリート」との交渉が待ち受けていることになるが、果たしてどうか。
<2月13日>(日)
○さてさて、今から振り返ってみると、今回のエジプトの政変劇で、アメリカ政府が果たした役割とは何だったのか。ずいぶん迷走したように見えるし、カッコ悪かったような気もするし、でも最後は「結果オーライ」だったようでもある。
○最初から分かっていたのは、「下手に介入すると碌なことにならない」ことである。間違っても、「ムバラクの次をアメリカが指図した」、なんてことになったら、次の政権の正統性が危うくなってしまう。だからオバマ政権は慎重な対応に終始した。というよりも、かなり腰が引けていた。「G-zero」時代のアメリカ外交とは、なんと難しいものであろうか。
○最初は2月1日に、特使としてフランク・ウィズナー元駐エジプト大使を派遣した。本当は「退陣せよ」と伝えたかったのだが、メッセージが生ぬるいものであったために、正確に伝わらなかった。ひょっとするとムバラクは、「アメリカは俺を守ってくれる」と勘違いしたのかもしれない。
○次に2月8日にバイデン副大統領が電話会談で、「秩序ある民主主義への移行」を求めた。要求を強めたわけだが、これで両国間のコミュニケーションが完全に絶たれてしまった。いちおう外交なんだから、相手を本気で怒らせてしまって、次の打ち手がなくなったというのは、これは失態というべきだろう。
○そして2月10日のムバラク演説を迎える。皆が「これは退陣演説だろう」と早とちりしたヤツで、CIAも含めて皆が騙された。しかし自分は地位に留まると言ったために、民衆は殺気立ってしまったし、軍部や側近たちの態度も変わった。かくして殿は詰め腹を切らされてしまったわけである。
○ここで重要なのは、ムバラクが最後に「アメリカは自分を見捨てた」といって怒っていたことである。結果的に、アメリカは正しい方に立つことができた。よかったよかった。そして2月11日、オバマ大統領は「本物の民主主義以外は勝利を収めない」「今日はエジプト国民のものだ」とこの結果を賞賛した。
○そしてムバラク退陣の後を受けて、全権を掌握したのは軍の最高評議会である。一夜明けた2月12日に、彼らが最初に発表した声明は、「エジプトはすべての地域的および国際的な義務と協定を遵守する」であった。これはすなわち、「イスラエルとの平和条約も履行しますよ」という意味である。これでイスラエルもアメリカも一安心ということになった。
○アメリカの関与はこれで全部か、というとそこはよく分からなくて、ゲーツ国防長官がエジプトのタンタウィ国防長官と都合5回話しているという報道がある。軍同士でどんなコミュニケーションがあったのか、そこがちょっと気になる。
○アメリカの年間13億ドルの軍事援助とは、もちろん金額も大きいわけであるが、共同演習や米国への留学など、ソフト面の交流にも大きな意味がある。つまりエジプト軍のエリートたちは、米軍からの「刷り込み教育」を受けていたわけである。なかなか表には出てこないでしょうけれども、こういうところがアメリカ外交の「含み資産」だと思うのであります。
○ちなみに、米軍による「刷り込み教育」が、世界でもっとも成果を挙げたのは、たぶんわが国の海上自衛隊でありましょう。太平洋戦争における日米海軍の衝突は、おそらく海軍史上最大の激戦であったと思うのでありますが、今や世界でもっともツーカーの間柄になっている。これを日米海の友情と呼ぶか、見事に懐柔されてしまったというかは、なかなかに難しいところだと思うのであります。
<2月14日>(月)
○グローバルフォーラム主催の「日米対話・スマートパワー時代の日米関係」に参加してきました。本日の日程はこの通り。昨年11月にワシントンで行なった会議の東京版です。日米関係ではお馴染みの顔ぶれが集まっていて、「いつもの寄り合い」といった風情もあるのですが、外交官OBやジャーナリスト、安全保障専門家など、重量級の方々が聞きに来ていたので油断がなりません。終わったら、どどどっと疲れました。
○明日は同じメンバーで、日本国際フォーラムに場所を移して終日ワークショップです。何だかこのところ、日米同盟関係の仕事の波状攻撃に遭っていて、先週も早稲田大学の研究会の宿題にひーひー言ってました。明日の会議が終わって、外務省向けの提言書をまとめたらこの「スマートパワー」の仕事は一段落ですが、3月には別途、「沖縄死闘編」も予定されている、ということが分かってきた。ああ、どうしよう。
○こんな風に、ワシのところにまで仕事が降ってくるということは、日米関係自体が動意づいているのでしょう。それだけ日本外交に危機感が強いということなのだと思います。実際、その通りなので、しょうがないのですが。いやホント、あっちもこっちも大変なことになっておりますな。
<2月15日>(火)
○今日の昼飯はどこにしようか、という問題を考えるとき、誰でも知っているこんな法則があります。
「うまくて安い店は、混んでいる」
「うまくて空いている店は、値段が高い」
「安くて空いている店は、うまくない」
○つまり、「うまい、安い、早い」という3つはトレードオフの関係にあって、2つまでは求められるけれども、3つすべてを満たすことは出来ない。逆に言えば、「今日の昼飯をどこにするか」を決める際には、どれかひとつの要素を捨てなければならない。
○国の安全保障政策を考えるときに、これと同じトリレンマがあると思うのです。この場合の3つの要素は、「安定性」と「経済性」と「独立性」です。
「安定性と経済性を求めると、独立性で妥協が必要になる」(日米同盟路線)
「安定性と独立性を求めると、経済性が失われる」(自主防衛+憲法改正&核武装)
「経済性と独立性を求めると、安定性がいまひとつになる」(非武装中立論)
○戦後日本の安全保障政策を考えた場合、日米同盟路線が選択されたことは、一種の必然といっていいでしょう。そもそも1951年に日本が独立を回復した時点で、選択の余地はほとんどありませんでした。それに当時の日本は経済力が限定的でしたから、「軽武装・経済重視」の吉田ドクトリンは魅力的な選択でした。そして冷戦下においては、非武装中立は夢物語もいいところだったのです。
○その後、日米同盟路線は60年も続きました。この間に「自主防衛」や「非武装中立」を目指す動きがなかったわけではないのですが、ことごとくつぶれてしまいました。例えばバブル期には、「嫌米」を唱えて自主防衛を模索する動きがありましたね。いちばん最近の動きとしては、ルーピー・鳩山前首相による「普天間は最低でも県外→海兵隊は抑止力と学んだ→ゴメンネ、あれは方便だった」という「なんちゃって反米主義」の迷走があります。それでも現時点で、「安定性、経済性、独立性」のうちからどれかひとつ捨てろと言われれば、「独立性」を捨てることが、日本にとってもっとも現実的なチョイスといえるのでありましょう。
○しかしながら、あまりにも長い間、「独立性」を放棄してきたために、「日本の国家意思はどこにあるのか?」と聞かれると誰もが答えられない、という妙な状況ができあがってしまいました。これがいかに病的なことであるかは、以下のような言辞が少なくないことを考えればよく分かると思います。
(1)日本の外交政策を考えよう、というときに、「アメリカは日本に何を望んでいるのか?」などと倒錯したことを聞いてしまう。
(2)それって変ですよ、と指摘されて、「いや、そもそもアメリカは日本の独立した思考を望んでいないのだ」などと自己正当化を図る。
(3)
そんなことないっすよ、と言われて、「そもそも日本がこんな風になってしまったのは、アメリカの謀略だったのだ」と陰謀論に走る。
○かなりカッコ悪い事態だと思います。それというのも、毎度毎度「安くてうまい店」に通い続けていたために、行列に並ぶことが苦にならなくなってしまった、という状況に近いのではないかと思います。なにしろこの国の住人は、現状維持を自己目的化しやすい性質がありますので・・・・
○というのが、本日の日米対話を終えての不肖かんべえの感想であります。
<2月17日>(木)
○以下はある兄弟の歴史である。
1996年:「バカ」と「ズル」の兄弟、天下を目指して旗揚げ。以後、「バカ」と「ズル」が代わる代わる組織のトップを務め、組織は少しずつ発展。
2003年:いつまでたっても天下が取れないことに気づき、外から「ワル」とその仲間を招聘する。
2004〜2005:「ワル」は神妙にしている。
2006年:仲間の自爆が相次ぐ。このままでは天下は取れそうにない。万策尽きて、「ワル」に代表をお願いする。
2007〜08年:「ワル」の下で組織は快進撃を続ける。「バカ」と「ズル」は、「ワル」に心服する。
2009年5月:「ワル」が自爆。自分の言うことを聞きそうな「バカ」を代わりに据える。
2009年8月:「バカ」が戦いで大勝利を収め、とうとう天下を取る。
2010年6月:案の定、「バカ」が自爆。トップを降りるついでに、「ワル」を道連れにしたら拍手喝采を浴びる。「ズル」がその後を継ぐ。
2010年9月:我慢できなくなった「ワル」が「ズル」に挑戦する。ここでなぜか「バカ」は「ワル」の味方をするが、やっぱり「ズル」が勝利。
2011年1月:「ズル」は我が身を守るために「ワル」イジメに精を出す。「バカ」はまたまた「ワル」の味方をする。
2011年2月?:「ズル」に対する怒り収まらず。「ワル」と「バカ」、組織を割る構え(←今ここ)。
○この三兄弟(トロイカ体制とも呼ばれる)の物語、そろそろ終わりにしてほしいです。あまり生産性が高いとは思えませんし。しかし、こうやって振り返ってみると、いちばん罪が重いのは「バカ」ですな。
<2月18日>(金)
○当欄の2010年11月3日でもご紹介しましたが、ティーパーティー運動が始まった発端は、CNBC放送のこの「事故映像」からでした。
●CNBC's Rick
Santelli's Chicago Tea Party http://www.youtube.com/watch?v=zp-Jw-5Kx8k
○この放送が2009年2月19日ですから、明日でちょうど2周年となります。で、こんな媒体が誕生したんですね。全米のティーパーティー活動家よ、団結せよ!と呼びかけているようであります。
●Tea Party Review http://www.teapartyreview.com/
○今や米国議会で一大勢力を築いてしまったティーパーティーですが、2年前には陰も形もなかったことになります。この早さはすごい。中東の民主化デモがもたらす威力もすごいですが、とにかく世界中の政治の速度が速まっていることだけは間違いありません。これから先も、何が飛び出すか分かりません。
○その点、日本国内はこのスピードについていけているのかどうか。先日、地方の議員さんたちの前でTPPを説明する機会がありましたが、「とにかくこの問題は唐突過ぎる!」というご批判がありました。それは仰る通りで、たまたま昨年、米国オバマ政権が「やる」と言い出したから、参加予定各国が色めき立っているわけでして、唐突なのは当たり前なんです。ただし、日本の根回し文化の風土から見ると、「速度違反」となってしまうんでしょうね。
○日本経済の低成長率があまりにも長く続いたために、とうとう世界の速度についていけなくなっているのかもしれません。ご用心を。
<2月20日>(日)
○今週末は、このところの日米対話と中東情勢ウォッチングが一段落したので、たまには仕事に関係のない読書をと、『韓非子』(徳間書店、中国の思想T、松枝茂夫+竹内好)を読んでおります。これ、現代語訳が読みやすいし、字は大きいし、とってもありがたいですぞ。中学高校で漢文を習った世代としては、齢五〇にして読む古典には、また格別の味わいがあるものです。
○韓非といえば、戦国時代の諸子百家中、「法家」の代表人物ということになっております。雄弁家ではなく、見た目もあまり冴えない人だったようですが、「例え話」が上手な人だったようで、なるほどと唸らせるようなエピソードを多く残しています。誰でも知ってる「矛盾」や「守株」も、この中に入っております。
○特に面白く感じるのは、みずからの「法術」が世に受け入れられぬ不満をかこっている「弧憤」や、君主に取り入るのがいかに難しいかを説いた「説難」ですな。「君主は××せよ」などと提言するのは簡単でも、言い方が悪ければ簡単に首をはねられてしまう。実際に韓非子は始皇帝に気に入られるのだが、秦の宰相である李斯に嵌められて落命している。諸子百家の遊説は文字通り命懸けですな。
○思うに韓非子ほど、「君主がいかに大変な立場であるか」をシャープに捉えていた人は少ないかもしれません。君主と部下の間には、今風に言えば「プリンシパル=エージェント問題」があるわけで、人の上に立つ人は「部下の進言をどこまで信じていいのか」ということを常に疑わねばならない。だから君主たるもの、自分の好みを知られてはならないし、たまにはトボけて部下を試すことも必要なわけである。この辺の理屈は今も昔も変わらない。果たしてムバラクさんには、どんな身内や腹心がいたのか、などと気になったりする。
○さて、韓非子の中には「亡徴」という有名な編がある。「国が亡びるきざし」を47項目列挙したもので、これはもう現実の方がよっぽど進んでいて、あんまり洒落になりません。
(2)君主が法による政治を軽視して策略に頼り、その結果、内政の混乱を招いて、外国の援助にすがろうとする。このようなとき、国は亡びるであろう。
(8)君主がぼんくらで無能、何事につけ優柔不断で、人任せにして自分の考えというものがない。このようなとき、国は亡びるであろう。
(11)君主の人物が薄っぺらで簡単に本心を見透かされ、またオシャベリで秘密が守れず、進化の進言内容を外に漏らす。このようなとき、国は亡びるであろう。
(12)独善的で協調性がなく、諫言されればむきになる。国家全体のことを考えずに軽率に動き、しかも自信満々である。このようなとき、国は亡びるであろう。
(19)国が弱小であるのに、尊大にふるまい、強国を警戒しない。国境を接している大国をバカにして、礼をもって対しようとしない。自国の利益しか眼中になく、およそ外交ということがわからない。このようなとき、国は亡びるであろう。
(27)都合が悪ければ理屈をつけて法を曲げ、何かにつけ公事に私情をさしはさむ。その結果は朝令暮改、次から次へと新しい法令が発せられる。このようなとき、国は亡びるであろう。
(31)視野が狭くてせっかち、些細なことで簡単に行動を起こし、すぐにカッとなって前後の見境いがつかなくなる。このようなとき、国は亡びるであろう。
○この手の「きざし」をいっぱい並べた上で、韓非はこう結論する。「亡徴とは必ず亡ぶと云うにあらず、その亡ぶべきを言うなり」。木が虫に食い荒らされたからといって、かならずしも倒れるとは限らない。しかし強風が吹いたり大雨が降ればどうなるかわからない。そして「大国の君主が法術を身につけて、亡徴のあらわれた国々に、強風を吹きつけ大雨を降らせるならば、天下を併呑するのはいともたやすいことである」
○ちょっと心配になってまいりました。大丈夫か、わが国は。・・・と思っているのはワシだけではないようで、2月17日に書いた「ある兄弟の物語」が、いろんなところにキャリーされているようです。こんな作品も誕生したりして。「・・・みたいな。」さん、あいかわらず冴えておられます。
<2月21日>(月)
○本日は熊本に来ております。こういうイベントに参加しましたので。
KABフォーラム2011 | |||||||||
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○千人以上の来場をいただきまして、まことにありがとうございました。ちなみに本日のセミナー内容は、3月7日(月)午後7時から熊本朝日放送にて放映されるとのことです。
○さて、今日のセミナーでは、「こんな写真」をご紹介しました。新幹線を前に佇む和服姿の美女、という図柄ですが、これはFrommer'sというアメリカの観光案内における東京版の表紙の写真です。これがインドであればタージマハールが、中国であれば万里の長城が表紙になるところでしょうが、日本の観光案内では、「新幹線と和服の美女」が売りになっている。すなわち日本の魅力とは、@新幹線に代表されるハイテク技術、A和服に代表される美的な伝統、Bなおかつ日本の女性はキレイ、という3つの魅力を掛け合わせたものなのだと思います。
○ハイテク技術と美的な伝統、そして日本人という3つの要素は、不思議なことにアイデンティティの分裂を起こさずに、ちゃんと調和がとれている。これがほかの国であれば、「技術か伝統か」で果てしない論争が起きてしまう。それが日本の場合は柔軟にできていて、技術と伝統がお互いを尊重するようになっている。これがわが国ツーリズム産業の基本路線なわけでして、新幹線という「ソフトパワー」をいかに活かすかが、世界に向けて日本をアピールするポイントになるんじゃないかと考える次第であります。
○さて、不肖かんべえは明日には宮崎に移動します。まったく知らなかったのですが、熊本から宮崎への移動というのは難しいのです。したがって、明日朝は午前7時発の高速バスに乗って、3時間かけて移動しなければなりません。まあ、ほかにもいろいろ手口はあるわけで、電車で博多駅まで移動して福岡空港から飛行機で移動するとか、3月に九州新幹線が通ってくれれば、鹿児島まで行って「きりしま」に乗り換えるという手もある。しかし、ここはやっぱり八代市から都城市を経由して、新燃岳に敬意を評さなければならないのではないかと。
○ということで、明日は早起きしなければなりません。大丈夫か、ワシ。
<2月22日>(火)
○高速バスで小林インターから都城北インターを経由するも、噴煙も灰もまったく目にすることなし。それどころか宮崎市に着いてみると、今日はまことに暖かく、日差しは心地よく、フェニックスの木々はまぶしく、空は高くて青いのである。2月だというのにゴルフ場の芝は青々としており、海はまるで南洋のように緑がかった明るい色である。これでメシが旨くて物価が安いのだから、なんと結構な場所であろうか。
○もちろんここ宮崎県は、口蹄疫があり、鳥インフルエンザがあり、新燃岳の噴火がある。これだけ不運が続いている県もめずらしいくらいであろう。加えて知事が代わったら、新しい人がとっても地味なもので、県のプレゼンスが低下して、土産物の売り上げは落ちるわ、マンゴーの値段まで下がっている、てな声があったりする。まあ、派手な人の後をやるのは、誰がやっても難しいものですし、去った人を皆が本気で惜しんでいるかというと、どうやらそれほどでもないような感じです。河野新知事の健闘をお祈りします。
○講演会の前の時間を使って宮崎神宮へ。毎年、キャンプにやって来る球団が必ずお参りする場所です。祭られているのは何と神武天皇。そう、ここ日向の国は天孫降臨の場所なのである。それにしても、神武天皇がなぜにこんな結構な場所を離れて、大和くんだりまで東征されたのやら、まことに不思議なことに思えてしまいます。
○それにしても、あのシーガイアは何とかなりませんかね。ドームは閉鎖されているし、コンベンションホールは稼働率が低そうだ。宮崎空港も近いので、もうちょっと使い道がありそうなものですが。バブル時代のあだ花といってしまえばそれまでですが、この立派なハコモノに見合った生活水準の向上や消費文化の深耕がこの国で起きなかったことは、かえすがえすも残念なことであります。
<2月23日>(水)
○リビア情勢が混沌。現政権が傭兵を使って自国民を爆撃してしまうんだから、これはもう国家として終わっている。が、それ以前に終わっているのがカダフィ大佐であろう。かつての革命の闘士も、権力を握って40年もたったらタダの圧制者。それを「私は革命家だ」と言われても、とてつもなく痛い勘違いとしか思えない。
○もっとも、この手の勘違い、最近はとっても多いですよね。
「再販制度は国益である」と信じて疑わない新聞社の経営者
「われわれは革新派だ」と自称する労働組合の幹部
「大相撲に八百長は一切ない」と断言する理事長
○いくらでも挙げられちゃうんだけど、あほらしくなるのでこの辺で。
○言わいでものことだが、「マニフェストを実現するために小沢さんを守りたい」(民主党の陣笠議員)も、かなり変な理屈だと思うぞ。そもそも最初にマニフェストを破ったのは、小沢幹事長ではなかったか(=暫定税率)。まあ、昔から永田町では、「理屈は貨車でついてくる」とも言うんですけどね。
<2月26日>(土)
○金曜夜は年に1度の飲み会。とあるご縁があって、いろんな企業のサラリーマンが集まる会で、もう15年くらい続いている。これだけ経過すると、それぞれに年はとるし、日本企業も山あり谷ありなので、退職あり、再就職あり、転籍あり、海外駐在あり、起業あり、と人それぞれである。そうえいば社長になった人もいた。さすがに会合には来れなかったけど。幸いなことに、物故者はまだいない。ま、それが何よりであります。
○今年の会合は、赤坂の土佐料理「ねぼけ」で行ないました。コストパフォーマンスはなかなかである。しかるに「龍馬会席」よりも「弥太郎会席」の方が値段が高いというのはいかがなものか。それともこれは三菱グループ対策なのだろうか。
○土曜夜は今年最後の町内会の防犯活動で「火の用心」。12月から毎週土曜日ごとにやっているが、今年はどうにも長く感じましたな。天気が悪くて中止、てなことが今年はなかったし。1月は寒く、2月は暖かかった。で、終わったら小一時間酒盛り。
○われながら、何でこんな風にしょっちゅう飲むのかね。困ったことに、最近は飲んで何を話したかをまるで忘れてしまうのだ。年のせいでしょうか。
<2月27日>(日)
○菅政権がそろそろ危険水域、という声が少なくないので、久しぶりに世論調査の資料を掲示しておきましょう。元データはいつも通りフジテレビ。関東500世帯とサンプル数は少ないですが、毎週行なってくれるので細かな動きを見るにはいい。「3週間移動平均」を使うと、凸凹が消えて見やすくなるというのが、当溜池通信によるノウハウです。
●CX 世論調査(鳩山政権〜菅政権): http://tameike.net/pdfs8/pollfeb2011.pdf
P2:内閣支持率の推移
――菅内閣の支持率は20%近くまで落ちているので、鳩山内閣の末期の水準に近づいている。民主党への支持も落ちている。
P3:同上、3週間移動平均
――上記の傾向が、よりはっきり確認できる。参院選による目減り(2010年7月頃)と、民主党代表選によるかさ上げ効果(2010年10月頃)を除けば、「右肩下がり」という点で鳩山内閣とほぼ同じ。
――鳩山内閣との違いは、この間に自民党の支持率が増えていること。
P4:自民党支持率―民主党支持率、3週間移動平均
――民主党と自民党の支持率の差をグラフにしてみると、この半年くらいは自民党が上回るようになっている。これは2007年以来のこと。今、解散すると民主党は大敗するだろう。
P5:少数政党の支持率
――昨年秋以降、すべての政党がほぼ横ばいとなっている。みんなの党は10%には届かないが、7%前後で安定。選挙になれば、そこそこの得票が期待できるだろう。公明党、共産党は組織政党なので、安定しているのは当然。それ以外の政党は、次の選挙で存亡の危機、ということになるのではないか。
○こんな風に見ると、菅内閣はいかにも風前の灯なのだが、今週の調査を見ると、この2つの設問の差が面白いと思う。
支持する | 21.8% | ||
支持しない | 71.6% | ||
(その他・わからない) | 6.6% |
菅氏に総理を続けてほしい | 40.8% | ||
早く総理を辞めてほしい | 50.6% |
○つまり菅内閣を支持しないけど、できればもう少し続いてほしいという人が2割くらいいることになる。正直なところ、ワシも同感だな。辞めるにしても、できれば消費税とTPPにカタをつけてからにしてほしい。そのためには、自民党に八百長をやってもらわなければならないのだが。これって無理かな?
編集者敬白
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by Tatsuhiko Yoshizaki