<9月25日>(月)
○ほとんどその存在を忘れかけていた人が、この場所に帰ってきました。本誌の古くからの読者にはおなじみの方だと思います。その理由が「オリンピック」なんだから驚きますね。ここ数日、かんべえが熱中していたら、この人も実は熱中していたみたいです。ご紹介します。戦国時代の武将にして名参謀、黒田官兵衛さんです。
かんべえ 「官兵衛さん、ご無沙汰しております。まさかシドニーオリンピックをご覧とは思いませんでした」
官兵衛 「面白いよねえ。僕は4年おきにちゃんと見てますよ」
かんべえ 「官兵衛さんが感じるオリンピックの面白さはどこにあるんですか」
官兵衛
「ひとつは他人が真剣にやっていることだな。戦争でも、あんたの好きな選挙でも、他人が命賭けてやっている仕事を、自分が安全地帯に居て見物することほど面白いことはない」
かんべえ
「いきなり来ますねえ。確かに私は選挙好きですが、自分でやりたいとは思いませんものね。手伝ったことはありますけど」
官兵衛
「もうひとつの面白さは、まったく見当がつかんということだな。不確実性、というのも得がたい魅力だ」
かんべえ
「今回も思い当たるシーンがたくさんありますね」
官兵衛
「たとえばだ、あの田村亮子。”最高で金、最低でも金”なんて言っちゃって、本当に金が取れたから良かったけど、あれだってどうなっていたかは分からなかった。たとえば篠原のときのような下手な審判に当たってしまえば、一本勝ちしたはずのところを負けにされてしまったかもしれない。そういう意味では、やっぱり勝負はときの運なんだ」
かんべえ
「ああ、あの審判はひどかったですねえ。でも篠原は”弱いから負けた”と言って銀メダルを受け取りました」
官兵衛
「審判が間違えないくらい完璧な勝ち方をすればいいわけだが、それにしてはつらい結末だったな。でも審判は絶対で、判定は覆らない、というのは格闘技に限らず、およそスポーツの基本だから。あとからビデオ見て、やっぱりこっちが勝ち、なんてのは良くないと思うぞ」
かんべえ
「考えてみれば、大相撲というのは“物言い“という救済措置があるんですね。あのシステムは見直されていいかも」
官兵衛
「おいおい、相撲なんて物言いがあっても、しょっちゅう怪しげな判定をしているじゃないか。ま、人間がやることだから、審判だって間違いはある。アスリートはそういう運も含めて、全人格的な勝負をしているわけだ」
かんべえ 「私の友人の田中さんというジャーナリストが、“篠原は本当は銀じゃなくて金だったんだ”ということを、伝えていきたいという意味のことを言っているんですが」
官兵衛
「うーん、気持ちは分かるけどなあ。審判が間違えた、という不条理に耐えた篠原は、十分伝説になったと思うぞ。金よりも値打ちのある銀の物語はたくさんあるじゃないか」
かんべえ
「ああ、それを聞いて思い出しましたが、世の中にはすごい銀メダルがあるんですよね。1984年のラシュワンをご記憶でしょうか」
官兵衛
「もちろん。言っとくが僕は詳しいからね。ロサンゼルス大会の無差別級決勝戦で、山下と当たったエジプトの選手だろう」
かんべえ
「そう。山下が左足を痛めていたのが分かっていたのに、敢えて左足を攻めなかった。おかげで山下は金を取って、モスクワ五輪辞退の無念を晴らしたのですが、本当はラシュワンが金メダルを取れていた」
官兵衛
「あのときの山下は左足肉離れだった。準決勝では、フランス代表の選手が露骨に左足を攻めたから、山下は苦戦した。それは当然なんだ。スポーツマンシップには、相手に同情しないということも含まれる。勝負の場においては、非情であることこそ最高の礼儀だといえるのだから」
かんべえ
「では、ラシュワンの我慢はスポーツマンらしくないと」
官兵衛
「そこがいいんじゃないか。彼は柔道家なんだ。柔道家にとっては、スポーツマンシップよりも武士道の方が重いのだろう。エジプトという国は、1948年のロンドン大会以後、金メダルを取ったことがなかった。そういう国の代表が、金のチャンスを譲ったんだぞ。“貧者の一灯”といったらエジプト人に怒られるが、我慢の偉さが全然違うんだ」
かんべえ
「うーん、考えてみれば、すごいやせ我慢だったんですね。でも今の話、ほとんどの日本人は忘れてしまってますよ」
官兵衛
「ラシュワンの美学のような話こそ、語り伝えていく価値があると思うぞ。最近、柔道を普通のスポーツのように心得ている報道が多いようだが、ジャーナリストは心してほしいな。メダルの数より大事なことがあるのだと」
かんべえ
「官兵衛さん、のってますねえ。その調子で、明日もひとつ、お話してもらえますか」
官兵衛
「もちろん、明日はひとつサッカーでも行くか。」
○3たび登場した官兵衛さん。戦国時代編、参謀論編に続き、今度はオリンピック漫談が始まりそうな雲行きです。明日には果たして何が飛び出すか。こうご期待。
<9月26日>(火)
かんべえ 「1968年のメキシコオリンピックでは、日本サッカーは銅メダルでした。私、小学校2年生だったけど、わりとよく覚えているんです。たしかトーナメントで地元メキシコと当たったんです。そしたら地元は“メヒコ、メヒコ”の大声援なわけ。それを日本が勝っちゃう。これは恨まれただろうなあ、と思ったら、次の試合ではメキシコの大観衆は日本を応援してくれたんです」
官兵衛
「高校野球みたいだな。でもいい話だね」
かんべえ 「当時と今では全然環境が違いますけど、それでも銅メダルはすごかった」
官兵衛 「あの年はストライカー釜本の力に負うところが大だったな。ああいう日本人はその後は出ないね」
かんべえ 「釜本さんはその後、ぱっとしないんです。Jリーグの監督では失敗しましたし、日本サッカー協会の人事を掻き回してみたり、トルシエ降ろしを仕掛けたり。今は参議院議員ですけど、サッカー界の役に立っているかどうかはよく分からない」
官兵衛
「いいじゃないか。国会議員は票があれば誰でもなれるけど、偉大なストライカーになれる素材は滅多にいない。ストライカーというのは、普通の人間じゃ駄目なんだな。ちょっと人格破綻しているくらいがちょうどいい」
かんべえ 「そういうのはいませんねえ。ユニークなやつといえば中山ゴンですけど、基本的にめちゃ善人だし」
官兵衛
「もっとほら、危険な感じがするタイプがいいんだけどね。夜中にすれ違ったら、思わず避けちゃうような」
かんべえ 「ああ、それはもう全然駄目ですね。高原も平瀬も好青年だし。柳沢なんか、思わずいじめたくなるタイプだし」
官兵衛
「要は中田だけなんだな」
かんべえ 「そうなんですよ。その中田が不調だった。アメリカ戦の最後でPKはずしちゃうし」
官兵衛
「あんなのは結果論だよ。PK合戦なんてジャンケンみたいなもんだ。入れたはずしたと言って騒ぐもんじゃない」
かんべえ
「では、時間切れ間際に、ペナルティエリア内でハンドしちゃった酒井のミスでしょうか」
官兵衛
「うーん、あれも悔やまれるが、あの時点ではいかにもそういう流れだったね。はっきり言って、後半の序盤に何度もあったチャンスで追加点が取れていれば、3対1くらいで勝てた試合だった。そこで点が取れなかったことが検討課題じゃないか。あそこで粘ったことで、アメリカに勝機が芽生えたわけだから」
かんべえ
「将棋の大山名人なんかは、“チャンスを逃すことはミスではない”という考えだそうですが」
官兵衛 「それはそうだ。でも3回続けて逃したらミスになる。いわゆる“チャンスのあとにピンチ”というやつだな」
かんべえ
「官兵衛さんは、勝負の流れみたいなものを重視するんですね」
官兵衛
「戦場で指揮をとってみれば分かるよ。戦争でも球技でも、大勢でやる勝負にはどうしても勢いみたいなものがついて回る。僕なんかにとっては、スポーツを見るときの面白さとはイコール、流れを見定めることにつきるな」
かんべえ
「やっぱり監督の視点なんですね。そこでトルシエ監督をどう評価しますか」
官兵衛
「悪くないんじゃないか。少なくとも98年のワールドカップに比べれば、日本はすごく強くなったぞ。ブラジル戦なんか立派なものだった。なんで監督交代論が出るのか、僕には分からないな」
かんべえ
「選手の代えどきが悪い、という批判があります」
官兵衛
「ふーん、まあおそらく監督としての采配はいまひとつなんだろう。でも教育者としてはたいしたものだと思うよ。あれは要するに熱血教師のタイプなんだな。年中ガミガミ言っているから、選手に慕われることはないけども、あとから考えたらいい監督だったということになるんじゃないか。いずれにせよ2002年というゴールを目指して、川を渡っている最中に馬を換えようという意見には首をかしげるな」
かんべえ
「強いチームを作るために必要なことってなんでしょう」
官兵衛
「スポーツのことは分からんけど、軍事の世界でいえば、しょっちゅう戦争をやることにつきるな。勝負というのは無数の細かいノウハウの集大成だ。しょっちゅう真剣勝負をやっている軍隊は強いよ。精鋭部隊というのは出し惜しみをしてはいけない。消耗を恐れずにどんどん使うことだ。サッカーだったら、たくさん大舞台を積むことだろうね。その点、日本チームは恵まれている。まだまだスポンサーもつくし、海外遠征の機会も多いからね」
かんべえ
「経験を積むことが最大の教育機会であると」
官兵衛
「そう。強い敵に勝った経験は自信につながる。アトランタでブラジルに勝った“マイアミの奇跡”はすごい財産だろう。でも負ける経験だって生きてくるんだ。その点、日本サッカーには“ドーハの悲劇”という素晴らしい敗戦経験がある。軍隊だって、負けたときのつらさを知っている連中は強いよ。羽柴秀吉軍には、“金ヶ崎城の退却戦”という至宝の体験があった。そういうのがあると、耐える局面で生きてくる」
かんべえ
「そういう意味では、シドニーの体験も将来の肥やしになりそうですね」
官兵衛
「中田がイエローカードもらって、ブラジル戦に出られなかっただろう。ああいうのがいいんだよ。肝心かなめの人間が欠けたときは、2番手の選手が伸びるチャンスなんだ。エースが怪我で欠場したら、監督は内心ほくそえむくらいでなけりゃ」
かんべえ
「私が知っているあるオーナー経営者は、わざと用事を作って取締役会を欠席することがあるんですって。自分がいなくてもちゃんと会社が回るかどうかチェックするために」
官兵衛
「それは私もやったよ。まあ、裏切り者をチェックする狙いもあるんだけどね。ともあれ、シドニーでのトルシエ・ジャパンの2勝2敗は価値ある経験だったと思うよ」
○意外とオリンピックをよく見ている官兵衛さんである。明日はいったい何が飛び出すのか。待て次回。
<9月27日>(水)
かんべえ 「今大会の日本勢は女性の活躍が目立ちます」
官兵衛
「同感。とくに高橋尚子だな。マラソンの金メダルは値打ちがあるよ」
かんべえ 「ああいう偉業を達成するアスリートというのは、どうやったら生まれるんでしょうね。言い古された話ですけど、努力か才能かという問題を考えてしまいます。官兵衛さんはどっちが大事だと考えますか」
官兵衛 「ああ、それはどっちでもなくて、性格なんじゃないかな」
かんべえ 「ほう、性格ですか。具体的にどんな性格が望ましいんでしょう」
官兵衛
「いや、別にどんな性格だっていいんだよ。高橋尚子の場合は明るさと素直さだろうし、有森裕子の場合は負けん気と根性だろう。僕は人間の才能なんて、そんな大差はないと思ってるんだ。問題はそれを自分で引っ張り出そうとするかどうかの違いで、それはつまるところ本人の性格次第だと思うんだ」
かんべえ 「そういえば、日露戦争の名参謀、秋山真之が仕事ができるできないというのは、要するに性格だ、といったことを言ってましたね。秋山は勉強しないのにいつも成績がいいので、同級生がその理由を聞いたんだそうです。そしたら秋山は、試験の山を全部当てちゃうんです。だから才能でも努力でもない、試験は要領と性格だと」
官兵衛
「その場合の性格は、勝ちパターンといってもいいかもね。つまり俺はこうやるという方程式が決まっているかどうか。高橋尚子も有森裕子も、見事なまでに自分流だろう。そういう人は自分を開花させるのに向いている」
かんべえ 「たしかに42.195キロを2時間ちょっとで走るなんてのは、人に命令されてできることじゃないですね。自分でその気にならなかったらできるはずがない。つまらん話ですが、私が毎週金曜日に書いている溜池通信、これで1年半くらいになりますけど、あれも上司の命令だったら絶対に続いてないと思う。自分で始めちゃったことだから意地で続けてますけど」
官兵衛
「本人がその気になって、あとはいい教育者に出会うかどうかだな。つまり高橋にとっての小出監督とめぐり合うかどうか。こればっかりは運だね」
かんべえ 「それはありますね。場合によってはライバルに恵まれる、というのもあるし」
官兵衛 「すごい才能が1箇所からどんどん出てくる、という現象があるよね。幕末の松下村塾とか、適塾なんかが典型的だけど。“あいつができるんなら俺にもできる”っていうのは、すごいパワーになるみたいだね。仲間を持つということは非常にいいことだと思う」
かんべえ
「人材の集積効果というのは確かにありますね。おそらくシリコンバレーなんかがそうなんでしょうけど」
官兵衛
「ただしそういう集積効果は、いつかは失われるというのも悲しいかな事実なんだな。体操も女子バレーも、かつて日本のお家芸といわれた分野がずいぶん荒廃してしまった。鮮度というものはたしかにある」
かんべえ
「最近は旧経世会の橋本派が没落への道を歩んでいるようですが」
官兵衛
「ある時期までは人材の宝庫と呼ばれ、将来が有望な若手が大勢いた集団が、あるときから急に活力を失っていくことがある。集積を生み出すのは難しいけど、崩壊するのは早いんだ」
かんべえ
「今回の水泳競技では、“金がいいですぅ”の田島選手も良かった」
官兵衛
「いいよねえ、世の中をなめていて。自己ベストを3秒縮めて、それでも全然満足していない。若いっていいな。おじさんにはまぶしいぞ。あのね、“世の中たいしたことない”と思ってるタイプは、“世の中というものは馬鹿にしてはいかん”と思っているタイプより、明らかに一発勝負には強いんだ。オリンピックは一発勝負だからね」
かんべえ
「ああいうのを見ていると、日本人のメンタリティは変わってきたと思いますね」
官兵衛
「そうだね。仕事をするときの心構えというのは、極端な話2通りしかなくって、それは他人が期待するように頑張るか、自分がやりたいように意志を通すかだ。昔の、というか戦後日本の貧しい時代というのは、前者のパターンが横行していたと思う。でも、それだとプレッシャーに弱いアスリートができてしまう。その点、最近の若い日本人は自己チューだからね。本番で自己ベストを出せるのは、周囲のことなんか知るか、というタイプだと思う」
かんべえ 「ああ、その2分類はサラリーマンの中にもありますね。でもほとんどの人は、その時々で両方追いかけているからストレスがたまってしまうけど」
官兵衛
「大きな仕事を残すタイプは、どっちかだろうね。自分のモティベーションを中途半端にして、大成するやつはいないと思うよ」
かんべえ 「40歳を目前にして最近しみじみ感じるのですが、人間ってこの年になるまでに何らかの形で負け犬になってるんですね。それこそ体を壊す、人事評価で罰点がつく、家庭を壊す、買ったマンションが担保割れする、子供の出来が悪い、髪の毛が薄くなる、など、どこかで自己嫌悪に陥るような経験をしちゃう。そうやって、“ああ、これが俺の限界か”などと気づくようになると、なんだかスポーツの世界で一筋に頑張っている人たちが光り輝いて見えるような気がするんです」
官兵衛
「おお、君も中年男の心理が理解できるようになったということか。ひとつだけ教えてあげよう。孔子さまの“四十にして惑わず”というのは、40歳になったら経験を十分に積んだからもう迷うことがない、という意味じゃないんだ。40歳になる頃には、ほかの可能性はほとんど駄目だと分かっちゃうから、あとは迷わずに今やっていることを続けなさい、という意味なんだ」
かんべえ
「そういう話を聞くと落ち込むなあ」
官兵衛
「オリンピックに出てくるような人たちは、それこそ10歳くらいで“この道一筋”を決めちゃったような人たちだよね。それを考えると、数万分の一の確率をくぐりぬけて、メダルを手にする人の気持ちってすごいだろうね」
かんべえ
「メダルを目指したことのないわれわれには、ちょっと計り知れないものがありそうです」
官兵衛
「そういうシーンを見せてくれるオリンピックは、やっぱり感動して当然なんだ」
○今夜は、まるで『プレジデント』誌に載るおじさん同士の人生論みたいな会話であった。この「まったり感」が明日も続くのか、それとも急転直下違う方向に向かうのか、実はさっぱり見当もつかない3日目の官兵衛VSかんべえである。それにしても、野球が銅メダルに届かなかったのは非常に遺憾である。ぶつぶつ。
<9月28日>(木)
かんべえ 「なんか釈然としないんですよねえ、野球」
官兵衛
「巨人が優勝したのがそんなに嫌か」
かんべえ 「国内のプロ野球なんて見てないですよ。今年は4月末に、一瞬だけ首位になったからもういいの。韓国に負けてメダルが取れなかったのが納得がいかないんです」
官兵衛 「わしなんぞ朝鮮出兵に関与してるからな。まぁ、日韓関係を悪くしたのはわしらの世代、とくに秀吉の責任だからな。許してくれい」
かんべえ 「日韓関係はいいんですよ。野球って日本のお家芸でもなんでもないですけど、こんなもんに血道を上げてるのは、日本とアメリカだけみたいなもんでしょう。それでメダルが取れないというのは、いかがなものかと。日本が野球で4位だったというのは、これがサッカーならドーハの悲劇並みの屈辱のはずです」
官兵衛
「松坂なんか可哀相に、3試合投げて内容はいいのに全部負け試合だろう。あいつの人生で初めての試練じゃないか。そりゃあ泣くよ。でも、若いんだからまた4年後に、アテネで頑張ってほしいよな。そんときは日本はドリームチームを派遣すればいい」
かんべえ 「ところがですねえ、それができそうにない。プロ野球サイドには、これが問題だという意識もないと思いますよ」
官兵衛
「例の分からず屋のおっさんがおるからな。だが、そもそもプロ野球は企業が経営をやっている。完全に経済原理で動く。こんなスポーツはめったにあるもんじゃない。だからオリンピックに選手を出せ、といわれると、いや、ペナントレースの方が大事です、などという返事がくる。そんなもん、誰も見とらんのにな」
かんべえ 「球団は企業向けに、ボックスシートを年間で売り出したりしているわけですよ。そういうお客のことを考えると、スター選手は出せないという話になる。金を払うやつだけが客で、それ以外のファンはどうでもいいわけです。でも圧倒的大多数は後者だから、彼らはいずれプロ野球に愛想をつかしてしまう。そうすると視聴率が稼げなくなる。この調子じゃプロ野球は、緩慢な死を迎えるんじゃないでしょうか」
官兵衛
「構わんじゃないか。ほかに見るべきスポーツはいくらでもある」
かんべえ 「でもねえ、20年くらい前は、野球以外に楽しいスポーツってなかったんですよね。毎晩、佐々木信也のプロ野球ニュースを見て、『週刊ベースボール』なんて雑誌を買って、『がんばれタブチくん』という無茶苦茶笑えるマンガがあって・・・・。その頃は阪神の選手なら、年間2〜3勝のピッチャーまで、全員の名前と背番号を覚えてましたよ。そういう時代を思い出すと、野球の凋落ぶりは悲しいほどですね」
官兵衛
「さっきから君らしくない意見が続くなあ。紅白歌合戦で、演歌が少ないといって怒っているオヤジみたいだぞ」
かんべえ
「まさにそうなんですけど、野球というスポーツをよみがえらせる方法はないものかと」
官兵衛
「ないね。そんなもん。野球が駄目になったのは、ファンが駄目にしてるんだから」
かんべえ
「・・・・そうなんだよなあ。阪神タイガースを駄目にしているのは、明らかに阪神ファンですから」
官兵衛
「こんなことをわしが言うのは変だが、とくに長嶋ファンの罪は重いと思うぞ」
かんべえ
「そんなこと言うとすごい人数を敵に回しますよ。私の友人の岡本さんなんか、『日本のカイシャ、いかがなものか』なんてサイトを運営しながら、典型的なダメ組織である読売巨人軍のことになると、まるっきり腰砕けですから」
官兵衛
「そんなのいいんだ。長嶋ファンに悪人はいないから。その代わり賢いやつもおらんようだが」
かんべえ
「今の発言の責任、私は取りませんからね」
官兵衛
「長嶋ファンというのは、野球ではなくて一個人を見に行っている。長嶋が、どんなむちゃくちゃな野球をやっても許してしまう。まともな野球ファンは、嫌気が差して去っていく。ますますプロ野球全体が長嶋中心に回るようになる。最後の頃の全日本プロレスみたいなものだ」
かんべえ
「普通なら勝てないとクビになるんですが、監督人気で客が来るもんだから、興行的には成功するんですよね。そこでカネを積んで他球団の人気選手を連れてくる。その結果として、下手な采配でもある程度勝てる。するとますますカネが入ってくる。よくできたビジネスモデルなんです」
官兵衛
「来年の参議院選挙に向けて、自民党が長嶋に出馬交渉をしているという話を聞いたぞ。あの人気は、そういう分野で使ってみたほうがいいかもしれない」
かんべえ
「サッカーはもともとグローバルだし、競馬だってどんどん国際化している。ほかのスポーツは常に海外からの刺激を受けて鮮度を保ってますが、野球だけは鎖国が続いている。それが悪いとは興業主側は気づいていないんです」
官兵衛
「アメリカの大リーグが日本で開幕試合をやったよな。かの国でも野球人気が低下して、いろいろ工夫をしているわけだ。日本のプロ野球界も、本当の意味での企業努力をしなければいけないな」
かんべえ
「例のおっさんが考え方を変えない限り難しいでしょう」
官兵衛
「良くも悪くも、日本の野球文化は読売巨人軍が作ってきた。それは認めざるを得ない。なにしろ日本では、プロ・リーグができる前に巨人軍ができたのだから。初めに協会ありきのサッカーやラグビーとはえらい違いだ。しかし巨人とともに栄えたプロ野球は、巨人とともに滅びるんじゃないか」
かんべえ
「それを避けるためには、今回の事態を“シドニーの悲劇”とでも呼んで、大騒ぎした方がいいと思います」
官兵衛
「しかし取材をする側もドメスチックだからな。今週の月曜日には、高橋の金メダルよりも巨人の優勝を一面にもってくるスポーツ紙が多かった。つまりスポーツ記者も、現状に埋没しているわけだ」
かんべえ 「王対長嶋の日本シリーズで盛り上がれるなんて人は、少なくとも若い世代ではない。プロ野球の衰退は早いと思いますね」
○官兵衛さんも意外と口が悪い。さて、明日は更新をお休みします。その後のことは、またあらためて考えよう。巨人ファンの反撃を待つ。
<9月29〜30日>(金〜土)
官兵衛
「おいおい、君が出張と称して、越後湯沢の温泉に浸かっている間に、オリンピックはほとんど終わりかけているぞ」
かんべえ 「失礼いたしました。見学した国際大学も奥只見ダムも非常に有益でした。それはさておき、明日のマラソンが終わってしまったら、何を見たらいいんでしょう」
官兵衛
「君には積ん読状態の本がいっぱいあるじゃないか。新宿鮫の新作にローマ人の物語の9巻、それに『日本企業のコーポレートガバナンスを問う』なんて本ももらってるし。まあテレビはしばらくお預けだね」
かんべえ 「そうなんですよねえ。再来週はニュージーランドだし、忙しいんだなあ」
官兵衛 「でまあ、次のオリンピックのことを考えるとするか。アテネで会いましょう、ということで」
かんべえ 「2004年のアテネもそうですけど、その次の2008年がどこになるかという楽しみもあります」
官兵衛
「念のため、これまでどこで行われてきたかを振りかえってみよう」
1960 | ローマ | 欧州 |
1964 | 東京 | アジア |
1968 | メキシコシティ | 米州(ラ米) |
1972 | ミュンヘン | 欧州 |
1976 | モントリオール | 米州(北米) |
1980 | モスクワ | 欧州 |
1984 | ロサンゼルス | 米州(北米) |
1988 | ソウル | アジア |
1992 | バルセロナ | 欧州 |
1996 | アトランタ | 米州(北米) |
2000 | シドニー | オセアニア |
2004 | アテネ | 欧州 |
かんべえ 「こうしてみると、圧倒的に欧米でやってますね」
官兵衛 「極端な話、3回に1回は欧州なんだ。これは別に不自然なことではない。オリンピックの起源はギリシャだし、いいだしっぺはフランス人だし、そもそもスポーツという概念を生み出したのは欧州の貴族たちだからね。さらにもって国の数が多い。どうしても発言力が強くなる」
かんべえ 「やつらは国連やOECDでも同じことをやってますからね。んー、でも、この表を見ると、2008年の大阪誘致を考える人の気持ちがわかりますね。そろそろアジアにまわってきてもいいじゃないか、と。中国人も同じことを考えるから、北京も有力候補になるわけですね」
官兵衛
「アフリカのケープタウンも招致を表明しているはずだ。アフリカは1回もやってないしね。極端な話、2012年にはまた欧州に回帰するかもしれん。フランスやドイツあたりがいかにも手を上げそうじゃないか」
かんべえ 「南米もやってませんね。でも、あそこはオリンピックよりもワールドカップの方がいいんでしょうね」
官兵衛
「昔はオリンピックの規模が小さかったから、発展途上国でも十分にホストが勤まった。1964年当時の東京なんて、高速道路も新幹線もできたてで、まさにエマージング市場だった。世界の国から認められたくて、大いに頑張ったわけだ。ところがいまでは規模が大きくなってしまった。そのうち、ラグビーやゴルフもオリンピック種目にしようという話が出るかもしれない。オリンピックで国威高揚というのは、かなり難しいハードルになってしまった」
かんべえ 「規模が拡大したのは72年のミュンヘンあたりからですね。それでカネがかかってしょうがないので、84年のロサンゼルスから商業化が始まった。アトランタのときには、もうこれ以上は無理だという感じでした。正直な話、経済力の観点からいってアテネにできるのかという気がします」
官兵衛 「第1回の場所に帰ってくるわけだから、まわりも納得するだろう。オリンピックは、そろそろカネのかからないスタイルに変えるしかないだろうね」
かんべえ 「そうすると、2008年も小ぶりな大会になる可能性がありますね。大阪が立候補しているのは、とにかく金を使って景気をよくしたいということですから、それじゃあ困る、ってなことになるかもしれません。」
官兵衛
「景気対策のために誘致するくらいなら、まだしも途上国の国威高揚に使ってもらった方がましだな」
かんべえ
「やっぱり北京にやらせた方がいいような気がしますね」
官兵衛
「その代わり、北京でやるとなるといろいろ問題が多いぞ。そもそも共産主義国が開催地になるのは1980年以来のこと。報道管制の問題に始まって、香港や台湾の参加方式など難問山積になるんじゃないか」
かんべえ
「難しい選択になりますね」
官兵衛
「まあ深く考えるまでもないんだ。決まった場所で粛々とやればいいんだ。あくまでも主役はアスリートたちなんだから」
かんべえ
「官兵衛さんは次のアテネオリンピックも楽しみにしてるわけですね」
官兵衛
「いや、次のオリンピックは2002年のソルトレークシティ(冬季)だよ。日韓共同開催のワールドカップもあるし、楽しみはつきないねえ」
編集者敬白
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