歴史漫談『官兵衛とかんべえ』 A参謀論編(掲載:2000.5.3--5.7)



<5月3日>(水)

○世間は5連休に突入。HPを見る人も減るだろうけど、休日にネットサーフィンくらいしか楽しみのない人(ワシもそうだが)のために、特別企画のインタビューをお送りします。ゲストはあの人です。

ホスト:溜池通信編集長*かんべえ
ゲスト:戦国時代の知将*官兵衛

●第1回「僕は参謀じゃない」

かんべえ 当HPへようこそ。1ヶ月ぶりのご無沙汰でした。
官兵衛 やあしばらく。その後、僕へのファンレターの類はあったかね。
かんべえ いえ、もう全然。常連さんの方が一人、面白かったといってくれたくらいで。この企画、あんまり受けてないんですよ。
官兵衛 なーんだ、前回は相当に画期的な話をしたつもりだったのに、意外とレベル低いんだなここの読者は。
かんべえ 止めましょうよ、そうやって煽るの。メールを催促しているのがモロばれですから。みんなその程度には賢いんです。
官兵衛 あははは・・・・ま、お互い受けなくてもいいから好きなことしゃべろうか。

かんべえ それで今回は「参謀とは何か」についてお聞きしたいのですが。
官兵衛 んー、ということは、僕は参謀ということにされてるわけ?
かんべえ 如水・黒田官兵衛は、今日では筑前黒田家52万石の開祖というよりは、秀吉に天下を取らせた名参謀という評価の方が有名なんですが。
官兵衛 それは不本意だなー。たしかに僕は秀吉へのコンサルティングはしたけど、本業は黒田家の当主だからね。親の代からの部下もいっぱいいたし、ちゃんとした武将のつもりだったんだけど。
かんべえ 後世から見ると、戦国時代の武将なんて掃いて捨てるほどいるけど、名参謀はあんまりいないでしょ。だから今の時代から見るとそっちの方が値打ちあるんですよ。
官兵衛 同時代の感覚からいうとね、参謀って一人の武将の信頼だけがあればそれでいい立場でしょ。でも武将は部下全員の信頼がないと務まらないわけですよ。この人駄目だなー、見込みないなーと思われたら、みんな離れていってしまう。そりゃ厳しさが全然違うよ。
かんべえ ほー、官兵衛さんの自己認識では、自分はあくまでも武将であると。
官兵衛 純粋な参謀というと、武田信玄に仕えた山本勘助なんかいい例だと思うんだけど、自前の部下を持たないから、無責任な評論家みたいな存在なわけ。あとは君主に取り入っていればいいだけだから、あんまり尊敬された人はいなかったね。

かんべえ いまのご指摘は非常に興味深いところなんですが、組織をラインとスタッフに分けると、戦国時代のルールはライン重視であったと。
官兵衛 当然だよ。ラインというのは、たとえ5人の部下を持つ足軽頭でも、ちゃんとリスクを負ってるんだから。リスク持たずに仕事してるやつと比較しちゃ気の毒だ。
かんべえ 官兵衛さん自身が黒田家のトップとして、ラインやスタッフを使っておられたのでしょうが、やはりラインを重視されたわけですか。
官兵衛 そうだね。特に若い人を育てるときは、ラインに置かなければいけないと思うね。
かんべえ 官兵衛さん自身が助言を求めた相手は誰になりますか。
官兵衛 父でしょうかね。でもね、助言を求める相手は、何も家臣に雇わなくてもいいんですよ。たとえば自分の領内の政治がうまくいっているかどうかなどは、家臣に聞くよりも町民や百姓に直接聞いたほうがいい。僕はそういう定点観測をよくやりましたよ。

かんべえ しかし官兵衛さんは、秀吉軍においてはトップへのアドバイザーというか、スタッフ的な仕事をされてますよね。
官兵衛 そこんとこに織田軍団の人使いの妙があるんだな。僕の主筋である小寺家が織田方と組んだことで、僕は信長の指示を受ける立場になったの。で、僕は中国方面司令官である秀吉の与力として働くように命じられるわけ。それで秀吉軍で仕事をして、アドバイザー的なこともしたんだけど、単純に秀吉に仕えていたわけではない。
かんべえ なるほど、秀吉と官兵衛は単なる主従ではないわけですね。
官兵衛 そう、クライアントとコンサルタントというか、投資家とストラテジストみたいな関係。しかも僕のパフォーマンスが悪かったら、どんなに秀吉の受けが良くても、他の与力たちが黙っちゃいない。ちゃんと信長に報告が行くという形で、チェック機能が働いていた。そういう意味では緊張関係があった。
かんべえ 織田軍団というのは近代的な組織だったんですね。
官兵衛 というか、部下がサボったり裏切らないように、信長がきっちり監視していたんですよ。秀吉と僕が相談するときも、なるべく一対一にならないように気をつけました。毛利との外交交渉なんかは当然そうするけど、城攻めの作戦なんかはわざと大勢の前で進言するの。なぜこの作戦がいいかという理由を、全員に説明しなければならない。そういう状況はちゃんと安土に報告されている。

かんべえ うーん、これは気が抜けない。
官兵衛 安土は忍者も寄越すし。
かんべえ え、忍者ってよその国に派遣するもんじゃないんですか。
官兵衛 あのねえ、どんな世界でもそうだけど、一流の人間てのは数が少ないの。敵国に派遣して情報が取れるほどの忍者は、希少価値だし、雇おうとするとすごく高いわけ。でも二流の忍者は大勢いるし、安く使えるの。そういう忍者には、戦国武将は自分の部下を監視する役目を与えるんだな。だって僕らも、安土から来たと分かってる忍者は斬れないじゃない。
かんべえ 忍者のマイナーリーグみたいなものですね。
官兵衛 本能寺の変のあとは、そういう配慮がまったく不要になった。僕が本当の意味で秀吉の参謀の仕事をしたのは、それから後のごくわずかな時間に過ぎません。でも、その間に天下の大勢が決まった。
かんべえ 官兵衛さんがいわゆる「参謀」に対し、かならずしも好感を持ってない、というのが、この話を進めるにあたって面白い前提になると思います。明日もお楽しみに。



<5月4日>(木)



●第2回「孔明は戦略家失格」

かんべえ なんで参謀にこだわっているかというと、歴史好きといわれる日本人の中には知将タイプの人気が高いんですよ。『信長の野望』みたいな歴史ものシミュレーションゲームでも、武力より知力の高いキャラクターが好かれる。
官兵衛 帷幕にあって千里の外に勝利を我がものとする、というやつだな。そんなこと滅多にないんだけど。
かんべえ 黒田官兵衛ファンもかなりの部分はそういう見方をしていると思いますよ。
官兵衛 そういうところはずっと変わらないんだね。僕自身、「官兵衛殿はわが国の諸葛孔明ですな」みたいなことを生きてるうちに何度も言われましたよ。僕はあんまり孔明という人を評価してないんだけど。

かんべえ 当代有数の戦略家の一人に、岡崎久彦さんという元外交官がいるんですけど、この人のオフィスに行くと、応接室にご自分で書かれた「出師の表」が飾ってあるんです。
官兵衛 あれはいい文章だね。僕らの時代でも、これ読んで泣かないやつは男じゃない、みたいな言い方をしてました。ところが、ああいうマニュフェストにはマイナス面もある。
かんべえ 岡崎さんの言によると、「出師の表」は魏へ進撃するたびに何度も書かれていて、後へ行けば行くほど苦しい内容になるんだそうです。
官兵衛 そうなんだ。「出師の表」には、蜀が魏を攻めなきゃいけない大義名分が明らかにしてある。あれを読めば兵士の士気も高まったと思う。でも、あんなふうに宣言してしまうと、蜀としては後に引けなくなる。つまり自分のオプションを非常に少なくしてしまった。「出師の表」によって忠臣・孔明の名は歴史に刻まれたけど、戦略家・孔明は自分を窮地に追い込んでしまった。

かんべえ 当時、孔明が置かれていた条件は相当に不利なもので、それも人気の理由になっていると思いますが。
官兵衛 たしかに当時の蜀は魏に対して圧倒的に不利だった。そういうときは、弱者の戦略を取らなければならない。できれば先方がこちらに攻めてきてくれるのがベストで、次善の策はゲリラ戦と内部工作。地の利を活かしたベトナム戦争スタイルを目指さなければならない。遠征軍を組織してこちらから攻めていくなんて、非常にもったいない話なんだ。
かんべえ 官兵衛さんが孔明の立場だったらどうしてますか。
官兵衛 そうだね、あの程度の不利な条件を逆転した例は、歴史を探せばいくらでもある。そういうときは、敵失が出るのを辛抱強く待っていたことが多い。曹操が死んだ後の魏は混乱続きだったから、僕なら我慢だね。でも、孔明は魏を討たなきゃならないという使命感が強かったし、病弱だったから待ってられなかった。

かんべえ ではじっと時間を稼ぐとして、その間はどうしますか。
官兵衛 人材の発掘と育成に決まっているじゃないか。
かんべえ うーむ、たしかに孔明の下では人材が育たなかった。唯一の馬稷も泣きながら斬ってしまったし。
官兵衛 斬っちゃ駄目なんだよ。あれじゃ、部下は動揺するよ。「孔明殿はあれだけ手塩にかけた部下も斬ってしまった。能のないわれわれはどうなるんだ」って話になる。
かんべえ 官兵衛さんが考える人材育成の決め手は何ですか。
官兵衛 織田信長や魏の曹操がいいお手本だよ。大盤振る舞いをして人を集めて、どんどん仕事を任せて、失敗してももう一度チャンスを与える。トップというもんはね、期待している部下が失敗したときは内心「しめた」と思うくらいでなきゃ。そういうリスクをとらないと、人は集まらないし部下は成長しない。
かんべえ この前、マレーシアに行ったときに感じたんですが、あそこはマハティールが20年近く政権を握って、後継者が育っていないんですね。トップが独りで何でもできちゃうと、部下が甘えてしまって指示待ち型になってしまうんですね。
官兵衛 権限委譲をしないと、結局は自分が苦しむことになる。三国志の中に、捕虜が「孔明殿は鞭20以上の罰はご自分で決裁されます」と言うので、司馬仲達がほくそえんだ、という記述があるよね。本当かどうか知らないけど、おそらく仲達は「なーんだ、あいつはその程度か」と思ったんじゃないかな。これじゃ俺は負けんわ、と。

かんべえ 結論として、官兵衛さんは諸葛孔明に対して点が辛い。
官兵衛 戦略家としては一流ではない。だって結果を残せなかったんだもの。でも彼は忠臣で、男の美学を貫いたわけだ。
かんべえ それではトップを補佐する人材としてはどんな形が望ましいと考えますか。
官兵衛 その辺の話はまた明日。



<5月5日>(金)



●第3回「トップは参謀より賢い」

かんべえ たとえば中国の歴史書などを読むと、皇帝とその補佐役の話がしょっちゅう出てきますよね。
官兵衛 『資治通鑑』なんかは全編そればっかりだな。どの時代を読んでも、ナントカという家臣がこういう進言をして、君主の怒りを買って殺された、あるいは意見が採用されてうまくいって誉められた、てな話が延々と続く。ま、あれは司馬光が皇帝に読ませるために書いたんだから、それはいいんだけど。
かんべえ 日本の歴史では、徳川綱吉と柳沢吉保とか、吉宗と大岡越前なんて例はありますけど、「強力なリーダーと名補佐役」の実例は、話として好まれるわりには少ないような気がします。
官兵衛 リーダーシップの性質に問題があるんじゃないのかな。トップが全組織を掌握している場合は、アドバイザーは必要だし、なり手もどんどん出てくる。中国の皇帝は絶対専制君主でしょ?だから家臣が必死で知恵を出そうする。でも、「トップは君臨すれども統治せず」の日本型の組織においては、補佐役なんて本当は必要ない。みんな官僚機構がやってくれるから。

かんべえ なるほど、日本の組織でもトップがちゃんと権限を持っていれば、名補佐役は出てくるわけですね。そういえば本田技研の本田宗一郎と藤沢武夫、なんて例もある。
官兵衛 一方、信長なんかはカリスマ型が行き過ぎて、補佐役を持とうとしなかったリーダーだけどね。秀吉や家康なんかは、まだしも普通の人だったから他人の意見をよく聞いたと思う。

かんべえ 話が飛びますけど、企業のコンサルティングをする場合でも、クライアントが会社のCEOであるか、経営企画部であるかは大きな分かれ道になるようです。
官兵衛 前者は分かるんだけど、後者はどういうケースなんだい。
かんべえ 企業がコンサルティングを求めるときは、かなりの困難を抱えていることが多いわけです。で、実はその解決策も、経営企画部は分かっていることがあるんです。でも、実行できない。そこでどうするかというと、高いお金を払ってコンサルティング会社に仕事をお願いするんです。すると「御社はこうすべきである」とアドバイスしてもらえる。すると、できないはずの改革ができるようになる。

官兵衛 情けない話だなあ。そんな改革、うまくいかないんじゃないのか?
かんべえ ええ、コンサルティング会社を使ってうまくいった、なんて話は聞いたことがありません。これ、アメリカでもそうみたいですね。
官兵衛 今の話は、経営企画部が自分の責任を回避しているわけだろう。自分が補佐役になるべきところを、他人にやらせて自分はいい子でいたいと。
かんべえ まあ、「組織の責任は無責任」の典型といいますか。
官兵衛 助言をする相手は個人じゃなきゃ駄目だよ。

かんべえ 助言を求めるのも、与えるのも個人、というところが大事なわけですね。
官兵衛 そう、とくに助言を求める方の器量が大事なの。はっきり言っちゃうとね、トップは自分の実力を超える補佐役を使うことはできないんだ。
かんべえ おお、これは異なことを。本当ですか。
官兵衛 当たり前だよ。補佐役が担当する仕事というのは、ほとんどの場合ひとつの分野に限られている。ところが、トップは全体を見なきゃいけないだろ。たとえば僕は、秀吉軍の作戦と外交を担当した。でも、軍の財務や人事システムやロジスティクスなんかは、他の人が担当している。秀吉はそういう全体を見ている上に、織田家内部の政治問題でも悩まなきゃならない。どっちが偉いかは明らかでしょう。
かんべえ しかし自分の実力以下の人間を使うのでは、補佐役にならないのでは?
官兵衛 そうじゃないんだな。極端なケースをいえば、いつも不適切な進言をしてくれる部下というのがいたら、こんなに有益なことはないんだ。だって2つ策があって迷っているときは、そいつの意見の逆を採用すればいいんだから。
かんべえ シャーロック・ホームズに出てくるレストレード警部みたいなものですな。
官兵衛 脇で名論卓説を唱えるばかりが補佐役じゃないんだ。トップをヨイショして、いつもいい機嫌にしておく、なんてのも考えようによっては非常に重要な補佐役だぜ。

かんべえ どんどん幻想が壊れていく感じなんですが、「参謀タイプ」とか「補佐役」という存在には不思議な人気があるんです。それこそ、日本人に多い諸葛孔明や黒田官兵衛の人気につながるようなもので。
官兵衛 就職先としてコンサルティング企業に人気があるとか。
かんべえ まことに遺憾ながら、今の日本でトップといわれている人たちが、総じて年を取り過ぎていたり、賢そうに見えなかったりする、というのも背景にあるのではないかと。
官兵衛 トップの地位にある人というのを甘く見てはいけませんね。どんな組織でもそうなんだけど、ナンバーワンとナンバーツーの間にはものすごい差があるんですよ。山の頂上にいる人は360度の景色を見ているけど、山登りをしている途中の人は頂上しか眼に入らない。
かんべえ どんな山であっても、頂上に立てる人は一人しかいないと。
官兵衛 そう、だからあんまり馬鹿にするもんじゃありません。




<5月6日>(土)



●第4回「米国大統領とブレーンたち」

かんべえ 参謀論が好まれるのは、若くて頭が良くてちょっと野心もあるような人が、「俺もいつの日かトップの信頼を得て、参謀として腕をふるいたい」みたいなことを、出世の近道と考えるからかもしれません。
官兵衛 そういう人は、じかにトップを目指せばいいのにね。
かんべえ まぁ、最近は自分で起業するなんて人も増えてきましたけど、大組織の中にいるとそれが現実的に思えるんでしょうね。しかし実際の補佐役なんてのは、お説通りそれほどカッコイイもんじゃない。私も昔、トップの秘書役を2年ほどやりましたけど、ご挨拶案とスケジュールとロジスティクスの心配だけしてたら終わってしまいました。
官兵衛 戦略面でトップに貢献する補佐役なんて、滅多にあるもんじゃないからな。しかも周囲から評価されるのは、ブレーンよりはむしろぞうきんがけやるタイプだ。最近も、愚直に滅私奉公してたら、首相の座が転がり込んできた人がいたな。

かんべえ これはアメリカであった話なんですが、とある大統領が当選するのに功績のあった人物が2人いたんだそうです。そこで大統領は、二人に対して「大統領に重要事項で進言する役目」と「大統領のスケジュールを管理する役目」という仕事をオファーした。すると前者を選んだ人はすぐに忘れられて、後者を選んだ人が政権内で重要な地位を占めるようになった。
官兵衛 それは面白い話だな。つまり前者のポストを選ぶと、いつ大統領に会うかは後者のポストの人に決められてしまう。大統領の日常を押さえるというのは、究極の補佐役になることを意味するわけだ。
かんべえ でしょ? ネタを明かすと大統領はレーガンで、首席補佐官になったのはベーカーなんです。ベーカーは「大統領はこう言ってるんだけど、君はどっちを取る?」と言って、見栄えのする方の仕事をライバルに選ばせたんだそうです。策士ですよね。

官兵衛 アメリカはその手の話が豊富そうだね。
かんべえ よくぞ聞いてくださいました。アメリカ政治というのは中国に似ていて、行政上の権限はすべて大統領に集中するんです。たとえば国務長官というと偉そうに聞こえるけど、英語ではSecretary of State、つまり秘書に過ぎない。つまり、大統領が自分の外交上の権限を委任する人が、国務長官なんです。こういう制度においては、大統領への距離の近さに比例して権限の重さが決まる。
官兵衛 大統領の信頼をいかに勝ち得るかが鍵になるわけだ。こういう組織の中では、補佐役を目指す値打ちがある。

かんべえ そうそう、前の財務長官だったルービンさんに面白いエピソードがあるんです。彼は経済担当補佐官だった時代に、毎週予定されている大統領へのブリーフィングの時間を、「今日は特段、ご説明するテーマはありません」と言って他人に譲ることがあったんだそうです。
官兵衛 うーん、それを聞いただけでも相当なタマだね、ルービンて男は。話すテーマがないなんてことはあり得ないから、むしろそういう評判を立てようとしたんだろうな。
かんべえ 大統領と二人きりで話せるチャンスをパスするわけだから、ホワイトハウスではむちゃくちゃ目立ちますよ。あるいは、大統領の日程を調整する担当者に恩を売る狙いがあったのかもしれません。
官兵衛 いずれにせよ、補佐役としての自分を売り込む、非常に重要なテクニックを身につけていると見たね。

かんべえ クリントンにはいろんなブレーンがいて、なかでもディック・モリスという選挙参謀が、96年の再選を可能にした男として知られています。モリスの回顧録を読んで興味深く感じたのは、彼があくまで友人としてクリントンに接しているんですね。モリスは最後は売春婦スキャンダルで解雇されるわけですが、精神的にどん底に落ち込んだ状態でホワイトハウスに電話するんです。そしてクリントンに謝罪する。クリントンは「君を信じているよ」と答える。なんというか、トップと補佐役の関係じゃないんです。
官兵衛 要するに、「恐れながら申し上げます」てな感じではないわけだ。
かんべえ たとえばモリスはこんなふうに助言するんです。過去41人の大統領のうち、Aクラスはだれとだれ、Bクラスはだれ、それ以外はCクラス、と分類してみせる。「で、君はこのままだとBとCの中間くらいだ」って。しかもこの内容、彼は電話で伝えている。
官兵衛 うーん、そこまで言えるのも偉いが、言わせているクリントンもあっぱれだな。

かんべえ アメリカの大統領制度というのは、200年以上の歴史があるだけあって、これを補完するシステムがたくさんあるんです。そのひとつとして、大統領のブレーン予備軍がワシントンに集まってくるような仕組みがある。
官兵衛 日本でも首相補佐官なんて制度を作ったが、果たして上手に使えるのかな。ブレーンを多用すると、とかく日本では「側近政治」と呼ばれてかえって評判が悪い。
かんべえ やっぱり日本の組織はライン重視なんでしょうかね。首相が自分の友人を勝手に連れてきて意見を聞くくらいなら、公務員試験に合格した官僚たちの指図に従う方がまだましだ、という感情があるのかもしれない。
官兵衛 まあ、首相を間接選挙で選んでいるという違いはあるけどね。
かんべえ 根源的な疑問が残るんですが、トップの補佐役というか、いわゆるスタッフ組織というのはなんのために必要なんでしょうか。ラインがしっかりしていればそもそもスタッフなんぞ不要だという見方もできるような気がしますが。
官兵衛 いや、スタッフというのはそもそも戦争が生み出したものなんだ。この話は長くなるのでまた明日。





<5月7日>(日)



●第5回「軍師から参謀へ」

かんべえ 連休も対談もいよいよ今宵限り。では、官兵衛さん、思う存分どうぞ。
官兵衛 トップというのは孤独な仕事で、部下に指令を下すときには相談相手がほしいと思う。とくに戦争の場合、将軍はいったん部下に命令を下したら最後、彼らは死ぬかもしれないわけ。そういう状態で部下にアドバイスを求めたところで、冷静な意見が聞けるはずがない。
かんべえ 部下だって命が惜しいから、アドバイスにはバイアスがかかりますよね。
官兵衛 そう、だから将軍は、大局的な視点でものを見られる人を近くに置いておいた方がいい。そこでラインから離れて、専門のスタッフ、補佐役が必要になるわけだ。そういう仕事は昔は劉備玄徳に諸葛孔明、みたいに一人で十分だった。こういう状態は参謀以前の段階で、たとえば「軍師」と呼ぶのが適当だろう。
かんべえ 君主が賢臣を求めるという、中国の古典によくある世界ですね。

官兵衛 ところが軍師にはいろいろ限界があるんだな。なにしろ将軍の個人的な信頼を得てアドバイスをしているわけだから、将軍の耳の痛いことまではなかなか言えない。それからラインの兵卒たちとしては、将軍の命令ならともかく、軍師の言うことなんか聞きたくはないわけだ。何より困るのは、軍隊や国全体の利益と君主個人の利益が一致しないことがある。そういうとき、軍師は君主の側についてしまう。それでは部下はたまったもんじゃない。
かんべえ 軍師にはいわゆる「政治的正統性」が欠けているんですね。
官兵衛 そう、そこに気がついた補佐役は、軍師からちょっと進歩して参謀になる。つまり将軍個人の利益を代表するのではなく、国全体や軍の利益を代表するようになる。
かんべえ たとえば官兵衛さんは秀吉個人に雇われたわけではなくて、どうやったら織田軍全体が良くなるかを考えていた。ということは、軍師ではなくて参謀だったと。
官兵衛 そのへんは微妙かもしれないけど、戦国時代というのは、ちょうど軍師が参謀になる端境期だったんじゃないかな。日本では江戸時代以後になると、たとえば商家の場合、大旦那個人よりも家全体の繁栄が大切だということがコンセンサスになる。だから道楽息子を廃嫡して、出来のいい番頭に店を継がせるなんて話がわんさか出てくる。
かんべえ はいはい、社長が大事か会社が大事かという話ですね。それって資本主義の発達にとっては非常に重要なステップなんじゃないでしょうか。
官兵衛 おそらく日本の場合、あの頃に「今の社長より会社の未来が大事」という学習が行われたんだろうな。

かんべえ 時代が下ると、参謀というのは個人ではできなくなって、組織の仕事になってしまいます。私も会社ではいわゆるスタッフ部門で働いていますが。
官兵衛 レーダーや原子爆弾が戦争から生まれたように、スタッフという組織上の発明も軍隊から生まれた。英語でいうGeneral Staff、日本語でいう参謀本部が誕生したのは19世紀の欧州でのこと。新興国家プロイセンが、1812年に皇帝直属の「参謀本部」を作ったところ、オーストリアもフランスも打倒してしまった。そこで各国が競って参謀本部の真似をするようになった。
かんべえ 参謀自体はその前からあったんじゃないですか。
官兵衛 それはそう。でも、プロイセンは参謀本部を常設の組織にした点が新しかった。つまり平時から戦争計画を作成して、地図を作るなどの情報収集をやったんだな。
かんべえ 軍隊が自分で地図を作るという発想が新しいですね。
官兵衛 それから、「将来はこの辺で戦争をやるだろう」と思われる地域に、将校を旅行させるといったシミュレーションもやった。それからロジスティクスに関する情報やノウハウを蓄積した点も鋭かった。要するに近代の戦争とは、個人の勇気や将軍の指揮だけで勝てるようなものではなく、総合力の闘いになっていたから、そういう戦争のプロを育てる必要があったんだな。

かんべえ そこで参謀本部を作って、戦争のプロを常時、組織化したわけですね。
官兵衛 プロイセンが倒さなければならなかった相手は、軍事の天才ナポレオンだった。彼は自分一人に情報を集めて、誰にも相談せずにすべての命令を下すことができた。ところが、モスクワ遠征みたいに50万の兵士を派遣するとなると、自分一人ですべての作戦活動を仕切ることはできなくなる。スタッフがいないことの限界が出てきたんだね。
かんべえ なんだか、成長途上にあるベンチャー企業がぶつかる「壁」みたいな話ですね。
官兵衛 プロイセンはナポレオンのいる戦場では撤退を繰り返して、いない戦場で細かく得点を稼ぐという勝ちパターンを覚えた。その結果、ナポレオンは局地戦ではいつも勝っているのに、終わってみればフランス軍は負けているということになってしまった。
かんべえ それって最近はやりの「ナレッジ経営」のお手本みたいな話ですね。
官兵衛 そう、勝つために重要な知識を、トップ一人に集中させるか、参謀本部という組織で共有するかの違いだね。

かんべえ いまではどこの国の軍隊にも参謀本部があり、そこのトップは制服組の頂点ということになっていますね。米国では統合参謀本部長、日本では統合幕僚会議議長。それから組織をラインとスタッフに分けて、相互にローテーションを実施するという原理は、ほとんどの企業が導入しています。
官兵衛 それは過去の経験が生かされているということだろうね。
かんべえ おかしいなぁ、組織の原理はこれだけ進化しているのに、今のわれわれの周囲には組織をめぐるおかしな話はいくらでもありますよ。リーダーシップの昏迷も言われ続けて久しいし。
官兵衛 あははー、それは2通りの解釈ができると思うよ。ひとつは組織なんてもともとそんなもんで、君らの受け止め方が贅沢になっているだけだということ。もうひとつは、そろそろ組織に関する新しい原理が誕生する頃なのかもしれないという見方。僕はどっちだか知らんけどね。
かんべえ うーん、それはまた大問題になるので、別の機会に考えることにいたしましょう。官兵衛さん、5日間にわたってお付き合いいただき、ありがとうございました。
官兵衛 全部通して読んでくれた奇特なアナタ、感想のメールを待ってるよ。



○長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。連休中はほかにも話題はいろいろあったのに、全部放り出して歴史漫談を続けてしまいました。明日からは平常モードに戻る予定です。







編集者敬白



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