<5月1日>(木)
○白川総裁になってから、初めての日銀「展望リポート」が発表されました。景気への見通しについては「楽観的」との評もあるでしょうが、かんべえ的にはまったく異存なし。国際金融市場への認識も、とりあえずはこんなところだと思います。逆に気になったのは、経済・物価情勢の上振れ、下振れ要因について述べたくだりです。展望リポートは、@海外経済や国際金融資本市場の動向、Aエネルギー・原材料価格の動向、B企業の成長期待の動向をあげた後で、4点目として下記を指摘している。
第4に、緩和的な金融環境が続くもとで、金融・経済活動の振幅が大きくなる可能性があることである。現在、経済の減速によって、企業や家計、金融機関の行き過ぎた行動が生じる可能性は以前より低くなっているとみられる。もっとも、緩和的な金融環境が長く続き、今後も維持されると予想されるもとで、経済主体の期待の変化によって、その行動に行き過ぎが生じ、それが長い目でみた資源配分の歪みにつながるおそれは引き続き存在する。
○つまり、物価が明らかに上昇し始めた中において、金利が今の水準にとどまるということは、実質金利が低下することを意味する。それはどういう意味を持つかと聞かれれば、「そんな経験はないから、分っかりませ〜ん」と答えざるを得ない。教科書的に言えば、上記の通り「資源配分の歪みにつながる」(=「バブル再燃の怖れあり」)と言い切ることも可能でしょう。でも、「だったらお前、借金して株か土地を買ってみるか?」と聞かれれば、小心者のかんべえは咄嗟に「滅相もない!」と答えます。そんな度胸のある人は、あんまり居ないと思うのですよね。特に地価は、これから下がる公算が大だと思います。
○で、結局、分からないままなのですが、実質金利の低下はある程度、企業活動を支援するでしょうし、対ドルで円安をもたらす効果もありそうです。この際、「悪い物価上昇」でも何でもいいから、日本経済が「デフレは終わった」「金利は上がらない」という状態になれば、やはり投資環境として優れていると思うのです。特に外国人投資家の視点からすれば。
○その一方で、『デフレは終わらない』(上野泰也/東洋経済新報社)という議論もあるわけですよね。日本のデフレは、少子・高齢化という需要面の減少によるところが大きい。海外発のコストプッシュ型の物価上昇が起きたところで、それ自体が一巡してしまうともう右肩上がりにはならない。長期金利も2%を超えられないだろう、という理屈です。とはいえ、海外から来た物価上昇が、これまで値上げを躊躇してきた経営者の心理的な障壁を取り払い、製品価格と賃金が緩やかな上昇を始める、というシナリオにも可能性がある。甘いですかね。
○ところで最近、この経済ブログに教わることが多いです。この方、官庁エコノミストのようですが、「阪神ファン」だとか「子供がポケモン好き」とか、ずいぶん当方と共通項が多いようですね。そういえば今宵のタイガースは今期初めて同一カードで負け越しました。無念。
<5月2日>(金)
○朝日放送の「ムーブ!」に出演してまいりました。いやあ、毎度のことながら大阪の番組は面白い。
○特に若一光司さんによる「人類は7万年前に絶滅しかけていた」という話は面白かった。人類の先祖は約20万年前、東アフリカに生息していたらしいのですが、それが13.5〜9万年前に大干ばつに見舞われ、人口が2000人未満まで減っていたことがあったのだそうです。ミトコンドリア研究でそういうことが分かるのだそうですが、それが現在では全世界で66億7000万人にまで増えたのですから、それを地球が養いきれるかどうかはさておいて、生物の種としては類まれな成功を収めたことになります。
○人類がこれだけ長持ちした理由は、「全世界に散らばった」からでありましょう。いろんな環境に適応して、いろんな人種や民族に枝分かれしたことで、気候変動や疫病などで滅ぼされないような多様性を身につけたのだと思います。では、なぜ人類がアフリカを抜け出して、欧州へ、アジアへ、そして南北アメリカ大陸へと拡散して行ったかといえば、単に人間が「飽きっぽかった」からではないかと思います。今いる場所に満足できないと思うから、新しい場所を求めて移動することができる。もっといえば、「浮気性」の遺伝子を持つ人類だけが生き残ったのかもしれません。
○ところで今日はくだらない失敗をしております。不肖かんべえは本日、4月1日に初めて登場したときと、同じネクタイをしていたんですね。前回登場したときの写真が、本日のフリップに使われているのを見てアーッと気がつきました。「そんなの、誰も気づかないよ」「別に実害があるわけじゃなし」と言われるかもしれませんが、「そーゆーことに無頓着な人間である」と思われるのが自分としては困るわけです。なんとなれば、実際に服装には無頓着な人間でありますので。いやはや。
○番組終了とともに、阪神ファン仲間のTさんから「見てましたよ」とケータイに電話あり。そういえばTさんは、関西の大学の先生に転身していたのですね。今度はぜひ、神宮球場ではなく甲子園に応援に行きたいものであります。なるべく早いほうがいいですね。交流戦が始まると、また一気に転落してしまうかもしれませんから。
<5月5日>(月)
○唐突ながら、オリンピックの聖火の問題について。昨日の「サンプロ」でちょこっと口走ったことを、きちんと書き残しておこうと思います。「聖火はいかにあるべきか」ということについて、1964年の東京五輪がすばらしいお手本を示しているのですよ。以下はウィキペディアで「東京オリンピック」を検索すると出ている話です。
聖火
1964年8月21日にギリシャのオリンピア・ヘラ神殿で採火式が行われた。その後、ビルマ(現ミャンマー)、マレーシア、タイ、フィリピン、中華民国、沖縄(当時はアメリカ合衆国の占領下)など、第二次世界大戦で日本軍が戦場として戦った地域を通り、平和のための聖火リレーを印象づけた。本土までは日本のフラッグ・キャリアで東京オリンピックのオフィシャル・キャリアの日本航空のダグラスDC-6によって運搬され、鹿児島市、宮崎市、千歳市の3カ所からスタートしリレーされた。
この聖火の国内における輸送には国産旅客機として名高い日本航空機製造YS-11が使用された。ちなみにその時の機体には「聖火号」と名づけられ、その後も聖火輸送を記念して全日空のYSには「オリンピア」の愛称が付けられていた。
聖火リレーには、三遊亭小遊三もランナーとして参加・力走している。
聖火の最終ランナーは、1945年8月6日に広島県三次市で生まれた19歳の陸上選手・坂井義則(元フジテレビ社員)であった。原爆投下の日に広島に程近い場所で生を享けた若者が、青空の下、聖火台への163段の階段を駆け上る姿はまさに日本復興の象徴であった。なお、本来は他の男性が走る予定であったが、ぎりぎりで坂井に変更された。
○1964年の東京五輪は、終戦からわずかに19年後の出来事でした。そして聖火は、「和解と癒しの旅」を続けてギリシャから東京に到着したのです。ちなみにIOCのホームページでは、「TOKYO 1964」について以下の通りまとめています。
The 1964 Tokyo Games were the first to be
held in Asia. The Japanese expressed their successful
reconstruction after World War II by choosing as the final
torchbearer Yoshinori Sakai, who was born in Hiroshima the day
that that city was destroyed by an atomic bomb. Judo
and volleyball were introduced to the Olympic programme. American
swimmer Don Schollander won four gold medals. Abebe Bikila of
Ethiopia became the first repeat winner of the marathon - less
than six weeks after having his appendix removed. Russian rower
Vyacheslav Ivanov won the single sculls for the third time, and
Australian swimmer Dawn Fraser won the 100m freestyle for the
third time. Al Oerter of the United States did the same in the
discus throw despite a cervical disc injury that forced him to
wear a neck harness and torn rib cartilage incurred a week before
the competition. Hungarian water polo player Dezso Gyarmati won
his fifth medal in a row. Another Hungarian, Greco-Roman wrestler
Imre Polyak, finally won a gold medal after finishing second in
the same division at the previous three Olympics. By winning two
medals of each kind, Larysa Latynina of the Ukraine brought her
career medal total to an incredible 18. She is also one of only
four athletes in any sport to win nine gold medals.
○もっとくわしく知りたい人は下記をご参照。
●開会式 そして日本中を走った聖火リレー
http://www.joc.or.jp/past_games/tokyo1964/story/vol01_01.html
●東京オリンピック聖火最終ランナー 坂井義則氏
http://www.joc.or.jp/stories/tokyo/20040422_tokyo01.html
○東京五輪の実務に携わったこの人が某日、しみじみと言っていました。「オリンピックが失敗する理由は、それこそ山のようにあるのですよ」。本当にその通りだと思います。仮に1964年10月10日の開会式が雨だったとしたら、それだけで東京のイメージは台無しになっていたことでしょう。同じ敗戦国で、1972年にミュンヘン五輪を迎えた西ドイツは、パレスチナゲリラによるイスラエル選手団の襲撃という悲惨な事件に見舞われます。1988年のソウル五輪は、もちろん成功といっていいでしょうけれども、もっとも記憶に残っているのは「ベン・ジョンソンの薬物使用」です。その点、非の打ち所のない東京五輪の記憶を持つことは、この国の幸福のひとつでありましょう。
○で、問題は北京五輪です。上記のような話を、一人でも多くの中国人に知ってもらいたいなあ。
<5月6日>(火)
○ふと、気がついたら産経新聞にこんな記事が出ているではありませんか。
●政界混迷で注目浴びる「ネット政談」 人気ブロガー「やってられないわ」断筆宣言
(2008.5.5 16:05)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080505/plc0805051606004-n1.htm
ネット上で定着している政治系ブログとの距離感をどう計ろうかと、この記事の構想を考えていたところ、本紙「正論」の執筆者でもある雪斎さん(政治学者、櫻田淳氏)が、4月下旬に「やってられないわ」とブログ「雪斎の随想録」(http://sessai.cocolog−nifty.com/)の断筆を宣言した。政治への真剣な思いが込められた文章でありながら、心ない読者からの誹謗(ひぼう)中傷が絶えなかったという。
雪斎さんの親友を自任する中年金融マン、ぐっちーさん(http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55)は、礼儀を知らない読者の非常識が「優良な書き手を駆逐していく」と慨嘆しており、「ぐっちーブログもそろそろ」と漏らす。
雪斎氏とは同じ船団の仲間だという意識を持っていた溜池通信(http://tameike.net/)のかんべえさんも「ブログを通した議論が本当に生産的なものなのかどうか」と、疑問を抱いている。
お二人ともそう弱気なことを言わず、機能不全が著しい永田町政治に対して、ますます厳しい突っ込みを入れていただきたいものである。
(中略)
雪斎さんは「ブログは『床屋政談』である」と定義し、プロの政治学者があえて床屋政談に関与するにあたり、「燕尾(えんび)服ではなく着流し」で臨んだという心構えを「告別の辞」の中で語っている。
ネット上で展開されるあまたの政治談議のなかでも、人気サイト、人気ブロガーたちの視点は、政治報道に携わる者にとって気になるものだ。啓蒙(けいもう)を受けることも少なくない。
あえて「ライバル」たちの存在をお知らせした格好だが、彼らもまた熱心な新聞の読者であることをお忘れなく。
○新聞に「ライバル」と呼ばれてしまうのは、面映いような、冷やかされているような妙な気分でありますが、「人気サイト、人気ブロガーたちの視点は、政治報道に携わる者にとって気になるもの」という言葉は、遠慮せずに力強いエールを頂戴したと受け止めたいと思います。
○ここ数日、減っていたウイルスメールが今日は急増しています。胡錦濤訪日のせいか、それとも昨日のエントリーのせいか。とりあえずこのサイトを続けていることで、世間は何がしかの反応を示してくれているということでしょう。ときにはポジティブに、ときには鈍感に。でないとホントに「やってられないわ」という気分になってしまうのですよ。
<5月7日>(水)
○ノースカロライナ州とインディアナ州の予備選挙結果が出ました。ノースカロライナ州は56%対42%でオバマが圧勝。インディアナ州は51%対49%でヒラリーが辛勝。予想通りの一勝一敗です。でも、例によって、ラッシュ・リンボーがヒラリーへの投票を呼びかけていますので、後者は共和党支持者による「越境投票」という追い風を受けたヒラリー薄氷の勝利と見るべきでしょう。共和党にとっては、ヒラリーの方が戦いやすいし、予備選が長期化して民主党内が揉めるのは大歓迎ですからね。
○それでもゲームセットの瞬間は刻一刻近づいています。すでに残っている予備選挙は以下の6箇所しかありません。ノースカロライナ州の115人、インディアナ州の72人というのは、実は最後の大票田だったのですね。ヒラリーが奇跡の逆転劇を演じるためには、是が非でもここで大勝する必要があった。戦い済んで、オバマのリードは156人。そして残る代議員は217人。Winner-Take-Allのないルールですから、もう逆転の可能性はゼロと言い切っていいでしょう。オバマが必要とする代議員数はあと200人弱。残りを半々のペースで消化しけば、どこかのポイントでSuper
Delegatesが雪崩をなして、必要な2025人を超えるはず。
5月13日(火) ウェストバージニア州 28人
5月20日(火) オレゴン州 52人
5月20日(火) ケンタッキー州 51人
6月 1日(日) プエルトリコ 55人
6月 3日(火) モンタナ州 16人
6月 3日(火) サウスダコダ州 15人
○つまり正直なところ、あとは消化試合ということです。あとの関心は、誰がヒラリーが降りるように説得するか、そのタイミングはいつか、ということになるでしょう。「ヒラリーを副大統領候補に」という声もかならず出るでしょうけれども、それはどうでしょうか。ここで副大統領の座を望むくらいなら、ヒラリーは早めに予備選挙を降りて党内に恩を売り、オバマ政権誕生時に「史上最強の上院院内総務」を目指したほうが良かった。そこを突っ張って戦いを続け、彼女自身も傷つき、民主党内にあまりにも大きな爪あとを残した。喜んだのは共和党だけです。
○ライト牧師の事件とペンシルバニア州での失言により、オバマ候補が負った手傷はまことに深い。この2つの事件は、本選挙でもかならず蒸し返されるでしょう。マッケインという人は良くも悪くも「ブシドー体質」の人ですから、自分でそういう味の悪い攻め方はしないでしょうけれども、共和党はそういうネガティブ・キャンペーンは得意ですからね。思うに3月のテキサス、オハイオ決戦の頃までは、オバマには何かキラキラしたものがありました。が、そういったカリスマは、ほとんど消えてしまったように感じます。
○そんなわけで、ここ1ヶ月の民主党予備選挙はまことに後味が悪いものになりました。「分裂のアメリカ」がようやく修復されるかと思ったのに、もう新しい亀裂ができてしまっている。なぜ、こんな風になってしまうのか。ブッシュが悪い、クリントンが悪いということを超えて、何か社会構造が分裂を生みやすくなっているのかもしれません。
<5月8日>(木)
○胡錦濤さんが来てますな。道路は渋滞するし。福田さんたら、ピンポンまで付き合っちゃうし。嫌あねえ、てな声があっちでもこっちでも。「パンダなんてイラネ」と言って怒っている人も多い。でもね、実際に連休中に娘と一緒に上野動物園に行ってみると、門をくぐってすぐのあの場所にパンダが居ないと、とっても変な感じなんですよ。隣のレッサーパンダで間に合わるといっても力不足ですし。まあ、1億円のレンタル代くらいは、園内の「パンダ土産」の売り上げで十分に回収できると思うんですけれども。
○さて、東京財団の関山健さんによる『日中の経済関係はこう変わった』(高文研)を読みました。発足から30年を経て、間もなくその役割を終える「対中円借款」の軌跡をたどった本です。関山さんは現在、外務省で経済政策専門家として働いていますが、「辞めMOF」という面白い経歴の持ち主です。香港大学(修士)、北京大学(博士)に留学していて、専門は国際政治経済と東アジア国際関係。かんべえのようなオジサン世代としては、「いまどきの若い官僚は、思い切ったことをするよなあ」とついつい思ってしまうのですが、この処女出版は文句なしの良書だと思います。
○そもそも対中ODAというものが、時代によって大きく移り変わっているのですね。1970年代後半に始まったときには、日中双方にいろんな動機があったのです。特に日本側としては、第2次オイルショックを切り抜けた直後であっただけに、「ODAを一気に増やしたい」「近くで資源を確保したい」「アメリカ離れしたい」などいろんな思惑があり、そして何より「中国の改革開放路線を後戻りさせたくない」という配慮があった。それから当時の財界人は、戦前の日中関係を知っている人たちだった、というのも重要なポイントであったと思います。
○他方、中国側としてはようやく自力更生をあきらめて、改革開放路線を始めたものの、国内に資本はなく、当時の世界では大きな資金提供能力を持っているのは日本くらいだった。そこで双方の利害が一致したのですね。もっとも、日本が対中ODAを開始するには、「欧米が警戒しないように」「ASEANが心配しないように」「ソ連の機嫌を損ねないように」という気配りが必要だった。特に対ソ配慮のために、「軍事協力はしない」ことがODA三原則に入った、などというエピソードは、今聞くと隔世の感がありますね。当時の日本外交は、小国意識が強くて、まことに繊細だったのです。
○その後の対中ODAは、1980年代には「日中の友好と協力の象徴」としてうまく機能しました。それが変わり始めるのは1990年代に入ってからです。1989年の天安門事件、1995年の中国地下核実験などの際に、日本側は対中円借款を凍結します。凍結した後にはもちろん再開するのだし、総理が訪中の際に円借款を「おみやげ」にしたりするのだけれど、その神通力はじょじょに失われていく。中国側としては、国内経済の建設も軌道に乗り始めたし、円高で返済がかさんだりもするから、ますますありがたみは薄れていく。
○今世紀に入ると、いよいよ対中ODAは不評となる。財政の余裕も失われてきたし、中国は軍事費や第三国援助にODA資金を使っているのではないかとか、日本の貢献を国民に教えていないとか、そもそも中国は競争相手になったのではないか、といったさまざまな事情が重なった。日本の政治家が「そろそろ中国はODAを”卒業”してほしい」という発言が、(今風に言うと)「上から目線だ」と中国で批判を浴びたりもした。ここに至って対中ODAは、両国の「対立の象徴」になってしまうのである。
○かくして対中ODAは、「政治経済上のコストがかかるわりに、効果が少ない」ツールになってしまった。国内の反中、嫌中ムードが強まり、政治家を説得するだけで苦労するようになった。外務省は対中ODAの金額を決めきれなくなり、「相場観方式」と名づけて他国との比較感で決めたりもしている。が、それではますます説得力が失われてしまう。結局、「有終の美を飾る」ために日中双方がソフトランディングを図ることになる。この間の過程においては、町村外相の存在が大きかった、という結論部分は意外性がある。大きな政策の変更が行われているときには、政治家の決断があるものなのですね。
○こんな風に、対中ODAの歴史を通して振り返ってみると、これはひとつのサクセスストーリーだったのではないか、という気がしてくる。対中円借款は、成功したから不要になった。つまりは歴史的使命を終えたのである。日中関係は、かつては政府主導の表面的な友好関係だったが、現在では民間主導の重層的な相互依存関係になっている。だったら、国同士の貸し借りなど無用のことである。民間の投資と貿易がこれだけ増えたのだから。
○もっと言うならば、近頃よく聞く「これ以上ODA予算が減ると国益を損なう」式の議論も、いささか疑わしいのではないかと思えてくる。日本のODAは、欧米のそれに比べてはるかに成功率が高い。だからこそ、アジア経済はここまで発展したのであり、ODAが減るのはめでたいことなのではないか。真理は現場にあり、である。
<5月10日>(土)
○昨晩はまた深酒をしてしまった。海よりも深く、反省せねばなるまい。以下は昨日のニュースから。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080509ddm012040177000c.html
●参院選・小林温氏派の公選法違反:5年間の立候補禁止 東京高裁、小林前議員に連座制
昨年7月の参院選神奈川選挙区で当選した小林温(ゆたか)氏(44)=昨年9月に辞職=陣営の選挙違反事件で、東京高裁(都築弘裁判長)は8日、連座制を適用し、小林氏に同選挙区から5年間の立候補禁止を言い渡した。
選挙運動員を買収したとして有罪判決が確定した自民党県連職員が、連座制の対象となる「組織的選挙運動管理者」に当たるとして、東京高検が訴えていた。判決は「現場の設営隊の選挙運動員を指揮・監督し、司令塔及び前線のリーダーとしての役割を担った」と検察の訴えを認めた。小林氏は「判決をよく精査した上で上告するか否かを考えたい」とコメントした。【銭場裕司】
○以前から飲もうという約束をしていて、「いつがいい?」と聞いたら、「5月8日に用事があるから、それが済んだらいつでもいい」と言う。「じゃあ5月9日ね」と決めたら、上記のような次第であった。もっともこの国で裁判を闘うのは、なかなかにむなしい作業であるから、判決にそれほど意外感があったわけでもないらしい。ということで、本人は粛々と会場に現れ、淡々としていた。
○小林陣営の罪状は、選挙アルバイトに日当を払ったという公職選挙法違反である。そんなこといっても、日当を払わないとアルバイトは確保できないと思うのだが、そこはそれ、いろんなノウハウがあって、皆さん上手に切り抜けておられる。たまに小林陣営のようなことがあると、「気の毒に」と同情してくれる人や、「はめられたのではないか」と言う人もいるけれども、「お前は脇が甘い」と叱られることの方が多いようである。本人は、「僕は数奇な人生をたどるみたいですから」と言っていたが、思えばその場に集まった人間同士の関係からして、まことに数奇である。これでは深酒になるのも無理はない。
○先日来、歯の治療と視力の低下でユーウツモードだったのですが、考えてみれば時間の経過とともに肉体が衰えていく一方で、友人たちとの付き合いは「いい味」を出してきているようである。まあ、トレードオフということですな。年をとるのも悪いことばかりではありません。
<5月11日>(日)
○パンダの話が妙に盛り上がっているようですが、ひとつ新しい視点を持ち込んでみたいと思います。4月29日に上野動物園のパンダ「リンリン」が死んだわけですが、これをメディアはどう伝えたか。グーグルを使ってちょいと遊んでみました。
○純粋な日本語の問題として、動物が死んだのだから正しくは「パンダが死んだ」でありましょう。「逝去」とかいうのは論外として、「パンダが死亡」もちょっとどうかなと思います。ということで、下記の2紙の報道はきわめてまっとうかと思います。
●パンダ「リンリン」死ぬ・上野動物園、70歳相当
日本経済新聞 - 2008年4月29日
上野動物園(東京・台東)で飼育されていたジャイアントパンダの「リンリン」(雄、22歳7カ月)が30日未明、死んだ。人間の70歳ぐらいに相当し、高齢による心臓と腎臓の機能低下のため同動物園は29日から一般公開を中止していた。
日本に所有権のある唯一のパンダだった。
●上野のリンリン死ぬ
日本に所有権唯一のパンダ
東京新聞 - 2008年4月29日
東京都台東区の上野動物園(小宮輝之園長)は三十日、同園に一頭しかいないジャイアントパンダで体調を崩していたリンリン(雄、二十二歳七カ月)が同日午前二時ごろ、死んだと発表した。日本に所有権のある唯一のパンダで、人間の年齢では七十歳と高齢。
○ところがですな、朝毎読三大紙の言葉遣いがちょっと唖然なのである。おそらくは見出しを何とつけるか、社内で相当な議論があって、悩みぬいて出してきた答えなのでありましょう。が、これらはあんまり褒められた日本語ではないと思いますぞ。
●パンダ:唯一の日本所有、リンリン逝く 22歳で−−東京・上野動物園
毎日新聞 - 2008年4月29日
体調を崩していた上野動物園(東京都台東区)のジャイアントパンダ、リンリン(雄、22歳7カ月)が30日未明に死んだ。死因は心不全。人間に例えると70〜80歳の高齢といい、同園は治療に専念するため29日から展示を中止したばかりだった。
●リンリン天寿全う…肩落とす関係者、来場者から悲しみの声
読売新聞 - 2008年4月29日
30日未明、22歳で死んだオスのジャイアントパンダ「リンリン」。カンカン、ランランが来日し、空前のパンダフィーバーを巻き起こしてから36年。日本で最初にパンダの飼育に取り組んできた動物園の関係者は肩を落とし、来場者からは悲しみの声があがった。
●上野動物園のパンダ「リンリン」天国へ
朝日新聞−2008年04月30日
上野動物園で飼育しているジャイアントパンダのリンリンが30日、慢性心不全で死んだ。東京都などが発表した。22歳7カ月、人間で言うと約70歳で、国内最高齢だった。16年前に7歳で日本にきて以来、動物園の人気者として多くの客を集めたが、体調悪化で29日から展示を中止していた。上野動物園在籍のパンダが36年ぶりにいなくなった。
○さっと見たところ、地方紙は「死ぬ」が多いようです。おそらく通信社の記事をキャリーしているからでありましょう。共同や時事は、さすがに言葉遣いが正確なのであります。それから、スポーツ新聞の言葉遣いは、以下のようにほぼ妥当な線であったと思います。
●上野からパンダが消えた
日刊スポーツ - 2008年4月30日
●22歳国内最高齢パンダのリンリン死す
デイリースポーツ - 2008年4月30日
●“日本のパンダ”リンリン死す…
スポーツニッポン - 2008年4月30日
●GW悲し…さよならリンリン、上野動物園最後のパンダ死す
サンケイスポーツ - 2008年4月30日
○一個だけ、「これはちょっとなあ」と言いたくなるような記事を発見。まあ、「いかにも」という感じでありますが。
●上野のパンダ死亡「日本国民、痛切な別れ」―中国報道
中国情報局ニュース
2008/05/01(木) 12:20:39更新
4月30日午前から5月1日にかけて、新華社や中国新聞社など中国メディアは、上野動物園のジャイアントパンダ「リンリン(陵陵)」死亡のニュースを取り上げた。【そのほかのパンダの写真】
中国新聞社は30日9時47分、日本メディアを引用して「上野動物園のオスのパンダ『リンリン』が午前1時すぎに死亡」と報道。1992年に日本に贈られて以来、上野動物園で最も人気のある動物のひとつだったと紹介した。
新華社も同日、リンリンの死亡を伝えた。1985年に北京動物園で生まれ、1992年に日中国交正常化20周年を記念して日本生まれのユウユウ(悠悠)と交換。メキシコで飼育されているメスのパンダと人工授精を試みたが、成功しなかった。パンダは人間ならば70歳の高齢だったなどと紹介した。
同電は、「ジャイアントパンダは初めて日本に贈られたのは1972年で、国交正常化を記念するものだった」、「以来、パンダは友好大使などと呼ばれた」などと、日中関係とパンダの寄贈についても触れた。
1日になり、中国メディアは「日本国民が『友好大使・リンリン』と痛切な別れ」などとして、献花や記帳のために上野動物園を訪れるファンも多く、人気者のパンダの死をまだ信じられない子供がいると伝えた。
写真は四川省で緊急治療を受ける日本生まれのパンダ「雄浜」。2008年1月5日に腸閉塞を起こし、一時は危険な状態だったが治療が奏功して一命を取りとめたという。(編集担当:如月隼人)
○以上、報道側の事情によって、同じ事実でも言葉遣いや伝えられ方は千変万化である、という格好の事例でありました。
<5月12日>(月)
○景気の先行きがまことに微妙なところに差し掛かっている。いろんな指標が強弱入り混じっていて、答えが出しにくい。エコノミスト的には、面白くもあり、悩ましくもあるという局面である。正直なところ、2003年頃からずっと似たような局面が続いていて、「景気は底堅い」と言っていれば当たった。でも、それでは鍛えられないし、この仕事もあんまり楽しくないのです。問題はこれからです。
○今週末に発表される1−3月期GDP速報値は、おそらくは高い数字が出るでしょう。輸出は堅調、消費も悪くなかった。「うるう年効果」もあるので、年率2%はいくのではないか。その一方で、生産に陰りが見られたりもする。そして何より、4月以降の物価高が消費にどう響くかである。4月28日付のFinancial
Times紙社説のように、「日本にとってインフレはグッドニュースだ!」と言い切っちゃえれば気楽なのだけど、足元の雰囲気はそんなに甘くない。
○ということで、本日発表の景気ウォッチャー調査に注目であります。溜池通信の4月18日号で紹介したとおり、景気の現状判断DIが1月(31.8)をボトムに、2月(33.6)、3月(36.9)と上昇しているのです。ところが上昇した理由がよく分からない。そこで注目の4月はどうだったかというと、若干落ちて35.5でありました。しかし、これだけ物価上昇が騒がれる中においては軽度な下げであり、グラフはなおも「1月ボトム」の形となっている。今後に注目です。
○今月の「景気判断理由の概要」を見ると、いかにもこの調査らしい含蓄のある証言が数多く並んでいる。面白いと思った表現を書き留めておきましょう。
●好材料
*次世代DVDレコーダーの規格が統一されたこともあり、AV関連商品の中でもブルーレイディスクの荷動きが活発となっている(近畿=電気機械器具製造業)
*暫定税率取りやめの影響で遅れていた道路工事の受注が公共、民間ともに本格化する。単価、量的に厳しいままだが、着手することで人、物、金の動きが活発になる(北海道=建設)
*久しぶりに新型車の投入があり、来場者の増加が望める(北関東=乗用車販売店)
*2,3月に買い控えしていた客が我慢の限界となり数多く来店し、売り上げが前年を上回った。ガソリンが安くなったためか、マイカー利用の客が非常に多かった(北陸=衣料品専門店)
*薄型テレビ工場の建設が始まったため、今後は忙しくなる(近畿=金属製品製造業)
*先月に引き続き、タバコ販売のタスポカード導入によりコンビニの来客数が伸びている。来客数は減る状況になく、売り上げも好調である(九州=コンビニ)
●不変
*受注はそれなりにあるものの、キャッシュが回らないなどの事情で窮乏している中小・ベンチャーが多い(東北=電気機械器具製造業)
*一般的な披露宴を行う客が少なくなってきており、身内だけの会食でお披露目をする客が増えてきている。一組あたりの客単価は下がるが組数は増え、全体としては変わらない(南関東=その他サービス)
*一部金融機関から統合による大量受注があるが、全般的には新入社員も入り、派遣社員が一時的に不要になっている(南関東=人材派遣会社)
*客との会話では、レジャーや買い物などをあまりしていない様子である(東海=美容室)
*正社員採用する場合、選考が厳しくなりつつある(中国=民間職業紹介機関)
*公共工事比率の高い建設企業を訪問しているときの会話の中で、「改正建築基準法の影響は落ち着いてきたのに、租税特別措置法(ガソリン税)の影響で、新年度に入っても大きな工事の入札が少なく、仕事量が減り、下請け、作業員を遊ばせている。早く何とかして欲しい」などの話を聞く機会が多い(四国=通信業)
●悪材料
*4月に入り、客は一気に生活防衛に走っている。いつもならばにぎわう年金支給日も、今月はほとんど活況が無い。ボリュームゾーンであるミセスの客層も、何度も吟味を重ね必要最小限のものしか買わない傾向が強い(東北=百貨店)
*来店頻度は増えているものの、買い上げ点数は減少傾向にある。あらゆる食品の値上げで可処分所得が減ったためか、メモやチラシを持ちながら買い物をする光景が増え、消費者のかつて無いほど価格に対する敏感さと慎重な姿勢がうかがえる(北関東=スーパー)
*主要客層である50歳代以上の購買意欲が落ちてきており、特に70歳代で顕著である。今までは経済的に余裕のあった世代でも、余裕がなくなってきている(東海=商店街)
*給料日以降の1万円札の回収も大幅に減り、小銭での支払いが増えた。従来はタバコのついでにもう一品と言う買い物もかなり見られたが、最近はタバコだけで終わるケースが多い。主要客層である成人男性の財布の中身は厳しい(北陸=コンビニ)
*4〜5年前の、景気が悪くなる直前のときのように、急に客からさまざまな不満の声が聞こえるようになった。例えば、高齢者の医療制度や、道路工事がとまっていること、物価の上昇、介護保険の認定がきびしいなどである(中国=タクシー運転手)
*今年は「母の日」の注文が入るのが遅く、数量も少ない。同業者との間では、あまり期待できないと話している(四国=一般小売店・生花)
○こうやって見ていると、しみじみ世の中の動きは奥が深い。最近、筆者の身の回りで聞いていちばん面白かったのは、「ウチはマーガリンしか買わない家なのに、バターが品薄だと聞いて、わざわざ買ってしまった」というケース。これって完全にインフレ心理ですよね。人間の心理はまことに玄妙で、ときに予想外の反応をする。だからこそ、経済は面白い。
<5月13日>(火)
○今朝ほど日経センターの朝食会で麻生太郎さんの話を聞いてきました。いやー、たのしい話でしたね。
「私は血圧が上は100、下で60しかない。低血圧だから朝は苦手。会社をやっていたときも、大事な会議は全部朝はなし。今日は日経新聞の圧力に負けてやむなく出てきましたけど、本当はゴルフ以外は朝は起きないんです」
○冒頭から絶好調で、ホントに朝が弱い人とはとても思えない。以下、閣下お得意のネタが続きます。「BBC調査で日本は人気ナンバーワン」「ニューデリーの地下鉄工事」「ホンジュラスの青年海外協力隊」「日立建機の対人地雷除去」など、ファンの方々には改めてここで繰り返すまでも無いでしょう。ノリに乗った閣下は、高齢者に矛先を転じます。
「日本の個人金融資産1500兆円のうち、770兆円は高齢者が持っています。高齢者はね、金があって、元気で、暇で、ちょっと寂しいの。企業は、なんでこういう人たちをほっとくんですかねえ。秋葉原で高齢者向けのネットカフェ、なんでやらないんですか」
○一部ではすでに有名らしいんですが、麻生さんのこの話は驚きましたですね。京王デパート新宿店は、「65歳以下の客は要らない」という大胆な方針の下、今どきめずらしい増収増益のデパートなんだそうです。なんでも社長さんが巣鴨の刺抜き地蔵に通って、高齢者をひきつける方法を探ったんだとか。その結果、巣鴨の商店街では、「店員がお客さんに名前で声をかける」ことを発見した。「かんべえさん、先日買った靴下はどうですか?」という具合に。
○そこでデパートでもお客さんに声をかけるようにした。行き場所が無くてデパートに来ている人たちにとって、これはうれしい。お客に声をかけることは、店員に対する査定にも反映されるようにしているというから念が入っています。それから、「客が迷うから、店内改装は絶対しない」など、高齢者フレンドリーな店作りをしているのだそうです。いちいち当たり前のことばかりなのですが、なるほどこれは流行るでしょう。最近の日本では、やれるはずの話をやれないことにして済ませている例が確かに多いです。
○実は本日の朝食会は、主催者側では「今日はオフレコと言うことで」と始まったのですが、麻生さんたら、こんなことも言うんです。
「日経センターっていうと、竹中さんが顧問をやってるんですよね。私は6年間、彼とは全然合わなかった」
「こういう悪口はね、今日中にちゃんと本人の耳に届くんです」
「私はマスコミの人が言うオフレコなんて、全然信じてませんから。いいんですよ、書いちゃって」
○さすがは閣下、太っ腹です。ということで、遠慮なくネット上でばらしてしまいます。
○惜しむらくは、今朝の講演会では質問の時間がありませんでした。そのチャンスがあったら是非これを聞きたかったですな。
「麻生さん、外務省の外交青書から“自由と繁栄の弧”が消えちゃったんですけど、あれはどうしてですか。2007年版では、表紙にまで書かれていたのに」
○麻生外相は、日本外交の一時代を築いたと思います。が、それが急速に先祖帰りをしつつある。まことに残念なことであると思います。
<5月14日>(水)
○ウェストバージニア州予備選挙でヒラリーが大勝。でも、反響は乏しい。なんとなればウェストヴァージニア州は、「ヒラリーが勝てる州」を絵に描いたような条件を備えているのである。というか、この不規則発言の5月7日分で書いたように、「この勝負はとっくに終わっている」と誰もが見ているから、というほうが正確かもしれません。オタク的な関心度合いでいうと、今日、ミシシッピ州で行われた下院議員補欠選挙で、共和党の金城湯池みたいな選挙区で民主党候補が勝ったという話の方がインパクトは大きい。今秋の議会選挙においては、共和党は相当な苦戦を強いられそうである。
○2008年選挙の予備選は、1月3日に始まって6月3日に終わる予定ですが、最後の最後までもつれこむという点がまず尋常ではない。しかもこの間の5ヶ月間、ずっと激戦が続いたというのはほとんど前人未到、空前絶後のこと。ヒラリー対オバマの激戦は、それくらい歴史的な事件だと思います。これによって生じる党内の亀裂は相当に深刻ですが、プラス面が無いわけではない。大統領選挙の予備選の際には、かならず地元の議会選挙の予備選も行われるので、大統領選が活況を呈すると議会選挙に好影響が出るのですね。ということで、議会選挙で民主党は優位に立ったことになります。
○逆に大統領選挙の方は、だんだん雰囲気が悪くなってきた。「ヒラリーはgracefullyに撤退せよ」という声が増えているのだが、これはもうイラク戦争のようなものであって、gracefulな撤退をするにはとっくに時期を逃してしまっている。最近になって、Voteboth.com
というページが出来て、「ドリームチケットを実現しよう」(オバマとヒラリーの正副大統領コンビ)と呼びかけているのだが、これはヒラリー支持者たちが始めたものなのだそうで、かえって反発を広げているらしい。そりゃま、そうでしょうな。
○この1週間で、ヒラリーに対する辛らつな政治マンガが増えている。結構、強烈なのもあります。
●倒れこんだ競走馬の背中に乗っているヒラリー。「勝つまで辞めないわよ。安楽死なんてさせないわ!」
●共和党の面々が悪辣な顔をして、「アメリカが黒人の大統領を選ぶなんて、僕らは信じられないね」。隣ではクリントン夫妻が「僕らもそう思うね」
●コンサート会場で一人で歌っているヒラリー。「立て、教育水準の低い白人男性たちよ〜♪」 ステージには、いかにもそういった風情の白人男性の掃除夫が、「早く終われよ」とばかりに待っている。
●ヒラリーに励ましの手紙が来た。ただしそれは、今もジャングルの中で戦い続けている第二次世界大戦の日本兵からであった。
●酒場のカウンターで、一人残って荒れているヒラリー。「もう閉店ですって? ずいぶんエリートっぽいこというじゃない」
●中世の騎士に扮したヒラリー。決闘相手は無傷なのに、彼女はもう手も足も出ない状態。でも、「しょうがない。引き分けにしてやろうじゃないの」
●「スタートレック」の艦長に扮したヒラリー。ミスター・スポックに向かって、「機体を2007年の予備選挙前に戻してくれ」
○ここまで描かれるようでは、政治家として終わっていると思うのですが、それでも降りられない理由があるのでしょう。さて、彼女はどうやって撤退を宣言するのか。見ていて痛々しい感じがします。
<5月15日>(木)
○本日は六本木の国際文化会館で"Japan
New Zealand Partnership Forum 2008"が行われまして、終日、隅っこの方で参加しておりました。これは両国の政・官・財・学が一堂に集まるという初めての試みで、ヘレン・クラーク首相自らが乗り込んでくるという意気込みでありました。二国間のビジネスダイアローグとしては、かんべえが長らく関与している"Japan
New Zealand Business Council"があって、こちらは34年の歴史があるのですが、いかんせん経済界のみの意見交換会で、それもややマンネリ気味になっている。今日のパートナーシップフォーラムは、双方ともに非常に力の入った意見交換となりました。
○驚いたのは、昨日行われた福田首相との首脳会談において、「二国間FTAの共同研究」が開始されることが決まったとの報で、これはNZ側にとって外交的に大きな成果といえる。FTAを実施するときは、普通は@民間同士の共同研究、A政府間の共同研究、B交渉、C妥結、D批准、という段取りを踏む。それが福田首相の指示ということになれば、@をすっ飛ばしていきなりAから始められることになる。それに、共同研究を始めてしまえば、中には日韓FTAのように10年たっても動かない(李明博政権になって、やっと動きそう)例もあるけれども、普通はかならずB→C→Dの経路をたどるはずである。
○二国間FTAに賭けるNZ側の熱意を知っている一人としては、これは素直に喜びたいところです。クラーク政権は1999年に発足し、これまでに何度も日本に対するラブコールを繰り返してきた。最初は"New
Level of Engagement"という関係緊密化策を打ち出し、2005年には愛・地球博に出展した。今回のパートナーシップフォーラムは、お金も手間もかけた「怒涛の寄り」というべきアプローチで、正直なところ「大丈夫かなあ」と心配していたのですが、こんなにうまくいくとは思いませんでした。
○実を言うと、首相の任期が3年という同国では、クラーク首相はすでに3期9年を務めており、今年9月には4度目の総選挙を迎える。ニュージーランドの歴史の中でも「四選」を果たした首相は少ないので、今回の訪日は、ひょっとするとラストチャンスになるかもしれない。そうだとすれば、ますます今回の訪日とパートナーシップフォーラムの開催は大成功という事になる。
○ところが、後で外務省のHPで確認してみたところ、5月14日の日NZ首脳会談の中身はこんな表現になっていた。
クラーク首相より、ニュージーランドが中国とFTAを署名したこと等を紹介しつつ、日ニュージーランド間でEPAが可能か否かにつき共同で研究したい旨提案した。これに対し福田総理より、ニュージーランドとのEPAは両国の貿易構造にかんがみ困難である旨述べた上で、共同で研究する可能性につき事務レベルで協議させたい旨述べた。
○上記の文章を、外務省的にどう読むのかは難しいところですが、ひょっとすると福田首相が婉曲に「ノー」を言ったつもりが、NZ側が「イエス」と受け取っている可能性がある。でも、首脳会談でこういう駆け引きがあったからには、「あれはやっぱりナシ」ということにはできないでしょう。というより、これは任期が残り少なそうな福田さんの「置き土産」と考えてもいいんじゃないか。すでに始まっている日豪FTAの交渉にも追い風になるし、大いに応援したいところです。
○今日の昼食会には、森元首相が来ておられました。ラグビーに関するとっても楽しいスピーチをされて、日本チームのコーチに就任した元オールブラックスの名選手を紹介し、「国会があるから」と言いつつご機嫌に去っていかれました。ああいうのを見ていると、ホントに「史上最高の元首相」なんじゃないかという気がします。「日本のカーター」と呼んだら喜ぶかしら。
<5月16日>(金)
○米大統領選のオタク話といえば、現在いちばん面白いのは「ヒラリーの2200万ドルはどこへ行く?」でありましょう。この話は面白い。なおかつ、真実を知ったら皆が怒り出すであろう性質の話です。
○アメリカで大統領選挙の予備選挙に献金をする場合、上限は2300ドルとなります。それをはみ出す場合は、「本選挙用に」別途、2300ドルを納めることが出来ます。両方をあわせて4600ドル、というのが一個人ができる最高額となります。それを超えてしまうと選挙違反になってしまうので、後は「誰かお友達を紹介してくれませんか?」とお願いするしかありません。余談ながら、現在の選挙資金規正法は「マッケイン・ファインゴールド法」といい、あのマッケインさんが超党派で作った法案です。
○さて、どの候補が何人からいくらずつ集めたかというデータが、このページで公開されています。ご注目いただきたいのは以下の部分です。
200ドル以上 | 2300ドル以上 | 4600ドル | |
オバマ | 132,125 | 26,280 | 2,544 |
ヒラリー | 92,844 | 25,358 | 8,128 |
マッケイン | 42,697 | 13,112 | 1,765 |
○オバマとヒラリーのお金の集め方が、極端に違うことがお分かりいただけるでしょう。ヒラリーは大口献金が中心で、最高額の4600ドルを8000人以上が納めてくれています。逆にオバマは裾野が広く、200ドル以下も含めた献金者は総勢150万人といわれます。トップがヘビーか、ボトムがヘビーか。両者の明暗を分けたのはここでした。つまりオバマは今後も青天井で集金が出来るけど、ヒラリーはお得意さんたちが限度額いっぱいまで出してしまっているので、これ以上はおカネが集まらない。これでは勝ち目はありません。
○ここを見てみると、ヒラリー陣営の手持ち資金額は3月末時点で3000万ドル以上もある。ところがですね、その大部分は「予備選挙で使えないお金」なのです。なぜなら「4600ドル」を献金した人は、そのうち2300ドル分を本選挙用に残しておかなければならない。それが8000人分もあるのですから膨大な金額です。総計2200万ドル(22億円)といわれています。つまり3月末時点で、ヒラリー陣営が使える金額はスズメの涙ほどになってしまい、なおかつ1500万ドルの借金を作ってしまっている。現在、ヒラリーが選対本部に個人的に貸し付けている金額は2000万ドルといわれています。
○ところで、ヒラリーが本選挙に出られない場合、この本選用の2200万ドルはどこへ行くのでしょうか?こちらの記事を読んでみると、どうやら法律はそこまで書いてないらしい。グレーゾーンではあるのですが、寄付をしてくれた人が認めてくれるなら、そのおカネを「上院議員としてのヒラリー再選ファンド」に移し変えることができるという。さらにいえば、そのおカネで「自分に対する借金を帳消しにすることもできる」という解釈も成り立つ。それが実現すれば、ヒラリーは余った2200万ドルで、選挙に自己資金をつぎ込んだ分をチャラにすることができる。
Campaign finance lawyers say she also is
entitled to transfer money she raised for the presidential
general election to her Senate account, provided those donors
agree to reassign the money. Clinton has raised more than $22
million for the general election. If donors approve transferring
any of that money to the Senate committee, some lawyers said it
appeared she could use it to pay off the debt.
○これは顰蹙を買いそうな筋書きです。クリントン夫妻は、ホワイトハウスを引退してからすでに1億ドル以上稼いでいる。だったら2000万ドルくらい自分で負担しろよ、と普通なら考えますよね。でも、ヒラリーにとっておカネは重要です。なんとなれば、「2012年にも出るかもしれないから」。今年11月にオバマが敗れ去れば、彼女は「だから言ったじゃないの」と言って、すぐさま次の大統領選挙の準備が始まるでしょう。
○現在の民主党陣営としては、「どうやったらヒラリーが円満に撤退してくれるか」が最大のテーマです。気持ちよくお引取りいただくためには、なにがしかのお土産を用意する必要がある。今回の2200万ドルが、貴重な取引材料となるかもしれません。ふと、こんなセリフが頭に浮かびます。
「共和党との戦いがまだまだ困難を極めるという時、我々にできるのは彼女の機嫌をとることだけだ。寒い時代だと思わんか?」(ワッケイン司令)
<5月18日>(日)
○今週末は母の一周忌で富山の実家に来ています。特にここで書くような話はないのですが、スーパーに行って驚いたことが2点。ひとつは4月から、「レジ袋の有料化」が実現していること。ひとふくろ5円でした。こういう点は、いかにも富山らしいですね。もうひとつはブリやホタルイカが安いこと。ブリの刺身の巨大な切り身が490円、というのはちょっとすごかった。どうせなら、2つ入り980円のを買えばよかった。どうやら豊漁であるらしい。地球温暖化のせいでなければよいのですが。
○最近、富山市は「コンパクトシティ」を目指す地方都市のお手本ということになっていて、あっちこっちで評判が高かったりするのですが、見た目的にはあまり以前と変わっていないように感じます。たしかにライトレールは街の顔として定着していますが、あれは富山駅の北側だけを通っていて、南側の繁華街はあいかわらずさびれているんですよね。クルマで買い物をするのに慣れてしまうと、ガソリン代が上がったところで、なかなか行動パターンは変えられないようです。最近のショッピングモールは、「ポイント制」などで上手にお客を囲い込んでいる、という点も無視できないようです。
○明日は鳥取県に参ります。鳥取市と米子市を訪れますので、しばし日本海側の地方都市を学習する予定です。
<5月19日>(月)
○富山から鳥取に行くためには、まず特急サンダーバードに乗って京都に出る。この間は3時間弱。で、ここから山陰線に乗り換えるのだろうと思っていたら、次の特急スーパーはくとは、大阪―神戸―姫路を経由して、智頭急行線を使って、岡山県から鳥取県に入るのであります。この間、3時間強。後で聞いたら、山陰線は鳥取県内では、単線である上に電化されていないとのこと。どっひゃー、であります。いくら人口が60万人しかない県とはいえ、それはあんまりではないでしょうか。山陰線って、「営業キロ日本最長」路線のはずなのでありますが。
○とまあ、7時間近くかけて鳥取市に到着したわけでありますが、2府7県を通る列車の旅というのは、なかなかに優雅なものであります。御用は例によって、内外情勢調査会の講師を務めるためでありまして、こんな風に知らない土地を訪れることが出来るのですから、まことにありがたい。こんなことを申し上げると、せっかく呼んでいただいた地元の方々に申し訳ないのですが、帰ってから「鳥取に行ってきた」と言うと、おそらく百発百中で「えー、何をしに?」という反応が返ってくると思うのであります。
○とはいうものの、鳥取と富山は似ているのです。日本海側にある県庁所在地でもとは城下町。県は東西に長くて、西側に県内第二の都市(富山は高岡市、鳥取は米子市)があり、まことにありがちなことに仲が良くない。冬は雪が降る。蟹が名物であって、富山ではズワイガニ、鳥取では松葉ガニと呼ぶが、基本的に同じ種類である。県民性は地味。製造業は得意だが、サービス業は苦手。それから、「どこにあるのかよく分からない」県であり、おそらく富山と石川、鳥取と島根の位置関係がきちんと分かっている人は、どちらも同じくらいしかいないと思うのである。
○で、日本経済の今後のゆくえ、みたいなお話をした上で、ちょっくら夜の鳥取市を散策する。といっても、8時を過ぎたら目抜き通りはほとんどシャッターが下りている。鳥取はあまり外食をしない県なのだそうで、なるほどスタバやロイヤルホストなどの全国区ブランドの看板をあまり見かけない。コンビニも少ない。鳥取駅から鳥取県庁まで歩いて、わずかに一軒。それはいいのだが、かんべえは昨日から咳が出て仕方が無いので、ヴィックスドロップを買いたいのだが、薬局がほとんど閉まっているのである。
○やっと薬局を発見。なんと「石破茂事務所」の対面であった。われらが防衛大臣の大きな写真が飾ってある。ついつい記念写真を撮ってしまったワシを誰が責められよう。
<5月20日>(火)
○柄にもなく午前5時に目を醒まし、いっちょ鳥取大砂丘なるものを見にゆかんと志す。駅前のホテルから、タクシーで15分程度の距離である。大砂丘というのは、通常は鳥取市の隣を流れる千代川河口の東側に広がる545ヘクタールの土地を指すのだそうだ。べらぼうに広いというわけではないが、近くに寄ると砂の色が妙に濃くみえる。湿気を含んでいるのか、オレンジ色っぽい。なるほど、これは日本らしからぬ風景といえる。
○実際に砂の上を歩いてみると、風紋と呼ばれる模様がついている。朝早いのでまだ誰も歩いておらず、砂の上に本日最初の足跡をつけながら歩く。とりあえず海に向かってみるが、海岸までの距離感がつかめない。近いのか、遠いのか。まるで初めて来たスキー場で、ゲレンデを降りているが如き心細さである。空は曇天。周囲はまったく人気無し。砂のゲレンデに足を止めて、斜面の上から日本海を見下ろしてみると、ちょっと夢に出てきそうな不思議な光景である。
○意を決して、斜滑降の要領で砂のゲレンデを降りてみる。が、海岸にたどりついてみると、これはもうどこにでもある海岸と変わらない。漂着物が多くて汚い。中国製のペットボトルなどが打ち上げられている。その場に居るのはワシひとりゆえ、この場に北朝鮮の不審船などが出現すれば、簡単に拉致されてしまいそうである。若き日の石破茂少年は、おそらくはこの景色を見たことであろうが、これを見て国防の重要性を痛感したというのは考え過ぎか。
○砂の上を降りるのは良かったけれども、砂の上を戻るのは一苦労であった。砂の中に足がめり込むので、坂を上る途中で息が切れてしまう。これで帰れなくなったら、安部公房『砂の女』の世界である。安部公房作品は、高校時代にあらかた読んで、『砂の女』と『箱男』までは感心したが、『密会』で見事にこけた。が、とにかく『砂の女』は日本文学上でも数少ない傑作である。仮にこの本に「5つ星」以外の評価を与える評論家がいるとしたら、彼の書評すべての信憑性を疑うべきであろう。さて、安部公房はこの景色を見たのか、見なかったか。
○というわけで、砂の世界は人間にある種の緊張感を強いるようです。とりあえず、非日常的な気分になれます。そういう意味では、鳥取砂丘は一見の価値ありと思います。とはいうものの、観光資源としての鳥取大砂丘はいかがなものでしょうか。観光客をらくだに乗せて金を取るとか、砂の美術館を開いて入場料を取るといった商売は、せっかくの砂丘のありがたみを奪っているように感じるのだが。
○砂丘を売り物にした土産物屋(もちろんまだ閉まっている)の前から、タクシー会社に電話をする。ややあって、さっき乗ったのと同じ運転手が来てくれた。今度は「鳥取城跡へ」お願いする。この年になると、人生の残り時間も限られているゆえ、「次に来るとき」が当てに出来ない。ということで、もう少し鳥取市観光を続けることにする。
○鳥取城は鳥取藩池田氏32万石の本拠地だけあって、現在残っている石垣などはまことに堂々としたものである。が、歴史ファンであれば、それはさておいて戦国時代の「羽柴秀吉の鳥取城攻め」が思い浮かぶところであろう。この篭城戦は、秀吉軍によるパーフェクトゲームであったことと、城の内部が呈した惨状で知られる。兵糧攻めにあった城内では、人肉を食うものが出たとされるが、そんなのは日本史の中でもこれが唯一無二ではないかと思う。結局、兵士の命を救うために、城主、吉川経家が見事な切腹をとげて開城する。
○面白いことに、吉川経家は石見の人で、対織田軍決戦用に毛利家が急遽起用した城主であった。当時35歳。にわか仕立ての城主に対し、忠誠を尽くした当地、因幡の人々の純朴ぶりをたたえるべきなのか。それとも、吉川経家が立派な人だったから、兵士たちが頑張り過ぎたのか。察するに両方であろう。硫黄島の栗林中将にも通じることだが、トップが立派過ぎると下は苦労するのである。まあ、硫黄島も鳥取城も、そのお陰で歴史に残ったのであるが。
○城跡を降りたら、県立鳥取西高校の校舎であった。この辺りは鳥取市のパブリックゾーンで、県庁や図書館などの建造物が並んでいる。古い城下町にふさわしい落ち着いた風情であり、これらの機関を地元の人たちが誇りにしている様子が見て取れるようである。ちょうど学生たちが登校する時間帯である。皆は学校へ。ワシはホテルへ。荷物をまとめてこれから今日の仕事に向かわねばならない。「単線・ディーゼル」の山陰線に乗って、午前中に米子市へ行かねばならないのである。
○鳥取県西部での最近の話題は、なんといっても境港市の「水木しげるロード」の大ヒットである。年間来場者数、実に150万人というから驚きである。なにしろこれは街の人口の30倍、県の人口の2倍半である。仮に一人が3000円ずつ使っただけで、年間45億円が当地に落ちることになる。リピーターが多いというから、おそらく人気は一過性ではない。同時代に世に送り出されたマンガの多くが忘れ去られている中で、水木しげるのマンガは不思議と長寿である。『巨人の星』は今では臭くて読めたものではないが、『ゲゲゲの鬼太郎』は21世紀でも通用するらしい。
○水木しげるは、日本人の心の奥底に巣食っていた「妖怪」というイマジネーションを、マンガという形で具体化して命を与えた。それが山陰の風土と微妙に重なり合っているから、町おこしが成功したのであろう。境港市のすぐ隣に、小泉八雲が晩年を過ごした松江市があるのは偶然ではないはずだ。地元としては、巨費を傾けた中海干拓計画が役立たずであったのに、地元出身の一漫画家が大いになる恩恵をもたらしたことになる。
○余談ながら、宮城県石巻市は「石の森章太郎の生地」であるが、『サイボーグ009』や『仮面ライダー』と石巻市があまりにも重ならないので町おこしに使えない。ご当地の漫画家がいればいい、ということにはならないのである。
○とまあ、こんな風に知らない土地を訪ねることができるので、内外情勢調査会の仕事はありがたいのです。かんべえがまだ行っていない県は和歌山、島根、徳島、愛媛、高知、熊本と6つもございます。ご用命を心からお待ちしております。
<5月21日>(水)
○昨日一昨日の鳥取ツァーへの多数のレスポンス、ありがとうございました。
○四川省の大震災で、核施設がどうなったか。いろんな推測が飛び交うところで気になりますが、5月16日のThe
New York Times紙が「西側の専門家はきっちり監視している」「緊急の懸念はない」と報じています。詳しくは、下記のサイトをご参照ください。
●国際情報センター「四川大地震と核兵器施設」
http://blogs.yahoo.co.jp/kokusaijoho_center/20277742.html
中国の核兵器設計、製造、貯蔵の主たるセンターは地震で破壊された地域にあり、西側の専門家が放射能が漏れ出るような損害の兆候を探すことにつながっている。
問題の微妙さゆえに、匿名を条件に、連邦政府の上級の役人は、米国はスパイ衛星その他の方法を使って、核施設を監視しようとしていると述べた。この役人によると「緊急の懸念はない」由。
○さすがはアメリカで、衛星などを使ってしっかり中国国内をチェックをしているようです。もっともそうでなかったら、中国が自発的に報道したかどうかは怪しいところですけれども。ちなみに、以下は今朝の読売新聞から。
◆四川大地震で核施設も倒壊…中国・環境保護相が明かす
新華社電によると、中国の周生賢・環境保護相は20日、四川大地震の被災地視察のため訪れた四川省成都で、「32個の放射性物質ががれきの下に埋もれたが、うち30個は回収した」と語った。
残る2個については、位置を特定し、周囲を立ち入り禁止にして回収作業を進めており、近く安全な場所に搬出するという。中国政府高官が核施設の倒壊を明らかにしたのは初めて。
核施設の詳細や場所、放射性物質の種類などは明らかにしなかった。環境相は「四川省内にある民用の核施設はすべて安全な状態にある」と強調した。地震による核施設への影響に関しては、人民解放軍総参謀部幹部が18日の会見で、「すべて安全だ」と述べていた。被災地では放射能漏れなどを懸念する声があるため、環境相も核施設の安全を改めて強調したと見られる。
一方、四川大地震から9日目の20日、中国政府は、地震の死者が四川省や甘粛省などすべての被災地で前日の発表より約6000人増えて4万75人に、負傷者が24万7645人に達したと発表した。
被災地での余震は、20日午後までに計6500回を超えた。華僑向け通信社「中国新聞社」(電子版)は20日、マグニチュード(M)5・0の余震が同日未明に起きた四川省平武県で、山崩れにより家屋が損壊するなど大きな被害が出たと伝えた。19日に復旧したばかりの道路10キロもすべて寸断された。具体的な死傷者の状況は不明という。
<5月22日>(木)
○境港市の「水木しげるロード」について、当地ご出身の方からこんな情報をお寄せいただきました。ありがとうございます。
●妖怪による町おこし http://www.kantei.go.jp:80/jp/m-magazine/backnumber/2007/0823konohito.html
○サクセスストーリーの裏側には、ひそかにリスクを負ったり、汗を流したりといった個人が居るものですが、これなども典型的なパターンではないかと思います。
○ところで本日のお昼は、エコノミスト有志がチルドレン・インベストメント(TCI)のジョン・ホー氏を囲んでお話を伺いました。どこで聞きつけたのか、テレビ東京のクルーの方々が映像を撮っていましたが、果たしてどんなニュースになったのでしょうか。
○Jパワー株をめぐるホー氏の訴えは、資本主義社会における正当な要求と言うべきもので、大義名分は彼の側にありだと思います。おそらく2004年に電源開発が民営化された時点では、経済産業省は「外資に買われても全然オッケー」と考えていたのではないでしょうか。ところが2005年になって、同省は原子力政策を大きく変更する。それまで及び腰でやっていた原子力発電を、本気でやることに腹を決めた。原油価格の高騰を見ていて、それしかないと考えたのでしょう。いざ、そうなってみると、Jパワーは政策執行のための貴重なツールだということになる。守らねばならない、ということになったのでありましょう。
○だったら堂々とそのようにいえばいいのに、経済産業省はネガティブキャンペーンによってTCIの訴えを葬り去ろうとしている。察するに「原子力推進」を正面から問いかけることが怖いのでしょう。でも、そんな調子で核燃料サイクルやプルサーマルが進められるとしたら、これは国民にとって不幸であります。「外資が参入すると電気料金が上がりかねない」だなどと言うのは、ほとんど言いがかりに近い。だって公共料金を認可するのはどこの誰なんですか。
○実際のところ、かつては改革志向・国際派であった経済産業省は、今ではすっかり国益志向・国内派の牙城となってしまった感がある。規制緩和や霞ヶ関改革の旗を振った時代は遠い昔のこと。今ではやれ資源外交だ、製造安全だといったことがみずからのトッププライオリティと心得ているらしい。資源外交はさておいて、なんで竹下景子を製造安全大使に任命しなければならないのか、まったく理解不能。しかも、そうすることが省益にも資するものだから始末が悪い。同省のカルチャーを古くから愛するものの一人として、まことに残念なことであります。
<5月23日>(金)
○日経プレミアシリーズ刊『音楽遍歴』(小泉純一郎)を読みました。これ、とっても薄い本です。すぐに読み終わります。でも、楽しいのです。目の前に小泉さんが居て、音楽の話をしている。誰かが上手に合いの手を入れてくれるので、本人は熱心に語っている。こちらは黙って聞いているだけでいい。で、その内容が、クラシックにせよ、オペラやエルヴィスにせよ、とんでもないくらいに造詣が深いんです。
○でも、そこは何しろ小泉さんですから、言葉がシンプルです。「この曲はいいね」「何度も聞いているうちに好きになった」「やはり、いいものはいい」。やはり論理よりも感性の人なんでしょうね。ところどころ、「ドイツのシュレーダー首相と一緒にバイロイト音楽祭に乗り込む話なども出てきます。
○いかにも小泉さんらしいセリフが出てくるのも本書の楽しみです。
「要は自分に合うか、合わないかなんだ。感じるか、感じないか」
「私は音楽を聴くのが好きなのであって、芸術家と格別お付き合いしようとは思わない。芸術家だって政治家との付き合いなんて本当は迷惑なはずだ」
「オーケストラの指揮者を政治の世界の首相に喩えることがあるが、それはまったく別だと思う。政界は野党も居るし、首相に反対するひとはたくさんいる」
「クラシックの演奏会に行くと、よく最後にアンコールがあるけれど、これは興ざめだ。せっかくいい感じで終わったのに、また同じことをやるのかと思う」
――特に最後のセリフなんぞは、今の時期には別の意味にもとられかねませんな。
○それにしても、"Music"を「音楽」と訳した昔の日本人は、なんて情感豊かだったのでしょう。「音を楽しむ」ことに理屈はいりません。「音学」よりも「音楽を」。音楽ファンがうらやましくなるような本です。
<5月24日>(土)
○今週でとうとうWTIが1バレル130ドル台、ということで、かんべえが会社で部下からもらったメールをここに載せておきましょう。便利だと思います。使いやすいものをブックマークされてはいかがかと存じます。
●原油チャートです。全て当限つなぎ(デリバリー月を限定せずに、直近のデリバリー月をつなげているもの)なので、見やすいと思います。
けい線付きで判りやすいのは、
http://www.dojima.ecnet.jp/Es-NYOIL.htm
長期チャートは、
http://www.fuji-ft.co.jp/chart/0n-genyu/main_m.htm
その日ごとの細かいデータを見る場合は、
http://www.dreamvisor.com/chart.cgi?code=0701&candle=D&term=1&dat=0&
さらに長期のものは、
http://futuresource.quote.com/charts/charts.jsp?s=CL&o=&a=M&z=800x550&d=HIGH&b=LINE&st=
です。
○なんのなんの、礼を言うには及びません。こうしておけば、あとで探すときに自分も便利なのですから。
<5月25日>(日)
○今日はウチの近所で、さいとう健さんの集会をやっていて、ゲストが山本一太さんだというから、こっそりと覗きに行く。定刻から少し遅れて会場に入ったところ、大変な盛況ぶりで100人以上は来てましたな。日曜日の午後に、入場料500円をとる会合なのですからたいしたものです。
○一太さんとはいろんな場所でご一緒する機会がありますが、今日のように独演会を聞くのは初めて。いやー面白かった。どのくらい面白いかというと、ここではまったく再現できない種類の面白さなのである。いきなり演台の上のマイクを握ると、壇上から降りてきて、客席の中で立ったまま話が始まる。さいとうさんとの個人的な関係から始まって、最近の政局、リーダー論、政策論へと話が広がる。とにかく笑いが途切れない、眠くならない、常に講師と視線がからみあっていて、メモも取れないという状態が40分以上も続く。
○一太さんの見立てによれば、「福田さんは解散をしない」とのこと。群馬県人・福田首相は、道路財源の一般化や消費者庁の設置といった形で「静かな革命」を目指す。自民党内も早期の選挙は困るので、「究極のクリンチ内閣」で辛抱することを望んでいる。だから年内は選挙はない、という。他方、千葉も東京も富山も鳥取も、今では日本中どこへ行っても選挙のポスターが張ってある。それゆえにさいとうさんの活動も熱を帯びてくるのだが、自民党に対する街角の反応はきわめて厳しいようだ。他方、民主党の「とにかく一度やらせてください」攻撃はかなり有効であるらしい。さて、どうなるか。
○質疑応答の段になると、一太さんは質問した人の目を見据えて、話しながらどんどん近寄っていくんですね。実は質問第一号はワシだったりするのですが、あれは一瞬ビビりました。でも、質問した人にとってはうれしい配慮と言うものでしょう。こういう会合では、ときどき暴走気味の「質問」が飛び出すこともあるものですが、そういう際の対応もキッチリとしていました。講師が評論家である場合は、明らかに変な質問はスキップしてしまえばいいのですが、政治家の会合では来てもらった全員に満足して帰ってもらわなければならない。なるほど、これは厳しさが違う。ひとつ発見でした。
○そうそう、もうひとつ。一太さんは物真似がうまいんです。小泉さんや麻生閣下のマネをする人はよくいますし、そういうのは聞き手としても想像の範囲内ですけど、「満座の前で一太氏を罵倒する森元首相」となるとかなりレアですよね。まして、「YKKの会合で小泉さんをたしなめる加藤紘一さん」とか、「偶然乗り合わせたエレベーターの中で、“腹芸”のような挨拶をする古賀誠さん」といったマニアックなネタになると、これはもう「ザ・自民党」のディープな世界そのもの。察するに、今日使われたネタは手持ち材料の10分の1程度でしょう。もう少し小人数でアルコールも入った席になったら、どんなネタが飛び出すか。一度、フルに拝聴してみたいものであります。
<5月26日>(月)
○今宵は六本木ミッドタウンのサントリー美術館にて、「ミレニアム・プロミス・ジャパン」の設立レセプションへ。どういう会合であったかは、とりあえず以下の記事をご参照。
●時事ドットコム http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008052600813
2008/05/26-20:11
アフリカ支援で日本の力結集を=国連開発目標達成へ新NPO
アフリカの貧困撲滅や開発の目標を定めた国連ミレニアム開発目標(MDG)の達成に向け、日本の市民社会からの支援結集を目指す特定非営利活動法人(NPO法人)「ミレニアム・プロミス・ジャパン(MPJ)」(本部東京)が発足し、26日に記者会見が行われた。MPJは、国連事務総長特別顧問のジェフリー・サックス米コロンビア大教授らが創設した米国の非営利団体「ミレニアム・プロミス」と連携。同団体などがアフリカの約80の村で実施する社会開発援助事業を支援する。
東京大教授で前国連次席大使の北岡伸一会長は、「何億人もの人が1日1ドルで暮らしているのを放置しているのは許されない。そういう分野での活動が日本の世界における立場を強化することにもなる」と述べた。
会見には第4回アフリカ開発会議(TICAD)のため来日したサックス教授も同席。「地球上のどこであっても、この21世紀に極度の貧困が存在していい理由はない」と述べ、日本の民間企業や市民社会の貢献に期待を示した。
○記者会見の席上で、ある記者からこんな質問がありました。「ミレニアム開発目標(MDGs)の2010年期限の到来まで、あと9百数十日しかない。本当に達成可能だと思っているのか」。これに対するジェフリー・サックス教授の答えがふるっていました。"It's a bold target. But
it's achievable."
ああ、この人はそういう人なんだ、と感動して、思わず後ろから記者の肩を叩いて、「いい質問をしたね」と褒めてしまいました。
○皮肉でもなんでもなくて、アメリカ人が持つもっとも良質な部分とは、遠大な理想を持ち、その実現がいかに困難であるかを熟知していながら、いささかも暗くならない資質、言い換えればオプチミズムだと思います。ハーバード大学首席卒業のエリート経済学者が、アフリカの貧困絶滅に取り組んでいる動機には、いささかもやましいところがない。それがむなしい仕事だとも思っていない。アメリカにはごく稀にそういう人が居ます。そういう人に会うことは、言ってみれば藤沢周平の小説に出てくるような日本人と出会うのと同じくらい、価値のあることだと思います。
○ミレニアム・プロミスのアフリカ支援は「着手小局」です。マラリアをなくすために、住友化学が作った蚊帳を送ります。非常に分かりやすい形で、日本の技術が役に立ちます。それに限らず、およそ途上国の経済開発のあらゆる面で、日本は最良のお手本になり得る国です。医療衛生、教育、インフラ整備、産業育成など、どの分野においても過去の日本が実現してきた成功は、他国が羨望するほど目覚しいものでした。惜しむらくは、当の日本人自身がそういうありたがみをすっかり忘れてしまっているのですけれども。
○で、なんでワシがそういう場所にいたかと言うと、恥ずかしながら、ワシはこのNPO法人の理事なのである。ご承知の通り、アフリカなんて1回も行ったことないんですけどね。まあ、理事としての仕事といえば、鈴木りえこ理事長の相談相手になることくらいで、相談内容は主に「いかに日本企業から寄付を集めるか」であります。もっとも、おカネは大事であります。とくに善いことをするときには。
○もうすぐ「TICAD W」(第4回アフリカ開発会議)が始まるということもあって、しばらくはアフリカ支援の問題に注目が集まりそうです。本日は、東京大学でこんなシンポジウムも行われて、雅子妃殿下も見えられたとか。サックス教授のオプチミズムを、多くの人に知ってもらえればと思います。
<5月29日>(木)
○2週間前にかかった風邪がなおりません。咳が止まらないので、夜などは大変に往生しております。とうとう昨日、病院に行って薬を山ほどもらってまいりました。で、本日は岡崎研究所の年次総会から、歯医者の予約まであちこちにお断りの電話を入れて、完全休養日とすることにいたしました。
○気がつくと今日は母の命日でありました。ということで、静かにしております。明日には出社するつもりでおりますので、ご用向きの方は暫時お待ちください。
<5月30日>(土)
○たくさんのお見舞いメールをありがとうございました。お陰さまで咳は止まりました。しかし「3日飲めば1週間効く」というファイザーの薬がなんだか怪しくて、頭がボーッとしております。
○木曜に寝込んでいた間は、司馬遼太郎の古い忍者モノを読んでいました(『最後の伊賀者』『果心居士の幻術』など)。同じ司馬ワールドでも、若い時期の文章だけあって、遊びが少なくて触れなば斬れんといった味わいがある。しかも幕末モノなどと違って、世界観に夢も希望もないところがよろしい。特に伊賀における上忍と下忍の関係などは、実に酷薄非情に出来ておる。それこそトヨタと下請け企業のようである。しみじみ、日本という国は変わらんのう、と忍者の世界が急に身近に思えてくるから不思議である。要はいつの時代もこの国は、「異常な努力の末に人間離れした能力を得てしまう人々」に事欠かないらしい。
○金曜は日本貿易会の通常総会と、会長交代パーティーへ。総合商社業界は絶好調、ということで大変に盛況でありました。それにしても資源インフレのお陰で儲かる、というのはしみじみ因果な業界である。資源ビジネスの儲けというものは、過去にリスクをとって権益を確保したことによるリターンであるから、本来、いささかもやましいものではない。また、仮に商社がなかりせば、その分の利益(おそらくは数千億円)は海外の資源会社などに流出していたはずなので、オールジャパンとすれば結構なことではないか、と言うこともできる。
○とはいえ、川上インフレが川下にも広がるにつれて、製造業から消費者までもが苦しんでいる。5月末発表のいろんな景気指標を見ても、資源高が景気を冷やしていることが窺える。そんな中で商社が好調というと、おそらくは顰蹙を買うのであろう。似たような業種でも、海運会社などはこの点、あまり嫉妬の対象にならないのですけどね。下手をすれば1970年代と同様に、商社叩きが始まるんじゃないだろうか。業界の人間の一人としては、ちょっと気になるところである。
○そうそう、5月14日に行われたJIIAフォーラムの講演要旨が掲載されておりました。ご参考まで。今週の溜池通信は、ここで話したような内容が入っております。
○それでは、明日は元気にサンプロに行ってきます。
編集者敬白
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by Tatsuhiko Yoshizaki