●かんべえの不規則発言



2000年5月





<5月1日>(月)

○月替わりであります。電車もいつもより空いている大型連休の谷間。隣は何をする人ぞ。当コラムは平常通りの運行であります。

○筆者の会社の近くに「蘭苑飯店」という中華料理屋がある。古臭い7階建てのビルの地下にある小汚い店なのだが、味は悪くなく、滅法安い。2階はムギョドンという有名韓国料理(うまくて汚い)、4階にはトルコ料理のウスキュダルという店(これまた安くて汚い)が入っている。普通の人は二の足を踏むロケーションである。蘭苑で700円の定食を食うなら、1000円払ってすぐ近くの楼外楼飯店に行く、というのはまっとうな感覚だと思う。

○今日、初めて聞いたのだが、小沢一郎さんが蘭苑の常連なんだそうだ。蘭苑で一人で飯を食っている小沢一郎って、ちょっとコワイ風景である。筆者の場合は、蘭苑ではレバ旨煮丼がごひいきだが、その手の脂っこい料理がいかにも似合いそうだな。低い天井、暗い照明、ビニールのかかったテーブルに、無愛想な中国人の店員たち。あの店のどこがそんなにお気に召したのか。

○小沢さんという人は、これまで政局の節目節目で連絡を絶ち、姿を消してしまうことが多かった。そういうときはロンドンにいるだの、都内のホテルでCIAと接触しているだの、いろんな噂が流れるものだが、「実は名画座をはしごして古い映画を見ているらしい」という説に妙なリアリティを感じた。不器用な人間に特有な、孤独感みたいなものを発散している人なんですね。一部で根強い彼の人気は、そのへんに理由があるように思う。1996年の衆議院選挙で、自由党は比例代表で500万票を集めた。うちかなりの部分は「小沢ファン」だったといわれている。

○昨日の午前中のテレビで、小沢一郎は出まくり状態だった。「世論調査の結果、7割の人がもう期待していないと言ってますよ」といわれて、「でも2割の人が期待しているじゃないですか。これは大きいですよ」と答えていた。とはいうものの、以前にもここで書いたけど、彼の仕事はもう終わったような気がする。いわば日本におけるエリツィンのような存在だ。竹下、小渕、梶山が政治の表舞台から去りつつある。彼は一人残って何を目指すのでしょうか。

○ところで日曜のテレビで気になったのは、例の誘拐事件のあおりで、「プリペイド携帯はけしからん」と発言するコメンテーターが多かったこと。なかには「通信傍受法案はプライバシーを侵害するから反対だ」と言っていた人まで加わっている。いい加減だよなあ。筆者は通信傍受法案には賛成だが、プリペイド携帯みたいなサービスにはそれなりの存在意義があると思っている。犯罪の手段になりうるという理由をあげれば、銀行の仮名口座だって、インターネットのフリーアドレスだって取り締まらなければならない。でも、そこまでやると市民生活への影響が大きすぎる。

○もちろん社会の治安維持は重要だ。英国ではMI5が、国内の電子メール盗聴のための予算を請求したそうだ。日本だって、捜査当局にはテロやカルト集団、組織暴力に対する監視はしっかりやってほしい。しかしプリペイド携帯をなくしたところで、治安が特別良くなるとは思えない。例によって少数意見かしら。



<5月2日>(火)

○1991年のピッツバーグのことでした。カンヅメ状態で徹夜作業をしている仲間のために、僕は夜食の買い出しに出かけました。マクドナルドはすぐに見つかり、4人分のメニューを何にしようかと迷っていたところ、ふと前に並んでいた黒人の親子の姿が目に入りました。ちょっと異様な感じがあったからです。母親は、自分の財布を取り出してじっと中を見ていた。その眼が「しまった!」と言っている。彼女の財布のなかには3枚ほどの1ドル札以外は何も入っていなかったのです。ここの支払いはそれで足りるとして、明日の朝はどうするのか。僕はしみじみと、「見なければ良かった」と思いました。

○母親は自分と4歳くらいの娘のために、ハンバーガーを買って支払いを済ませました。もう財布のなかには小銭しか残っていないはずです。僕はまるで、友人が内緒にしていた家庭の事情を知ってしまったときのような、きまりの悪い思いを抱えて立っていました。でも、自分のトレーに載ったハンバーガーを見て、女の子は満面の笑みを浮かべていました。それはちょうど、マクドナルドのCMに出てくるような、幸せそのものの、非の打ち所のない子供の笑顔でした。その情景は、僕にとって忘れられないものとなりました。

○見ないほうが幸せなことは、たしかに存在する。尊敬する人の恥ずかしい振る舞いや、信じている人の裏切りや、友人の貧乏な弁当の中身などは、できれば見ないで済ませておいた方がいい。でも、いろんな偶然によって、僕らは世の中に信じられないことがあると知ってしまう。そういうとき、自分は無力な存在であることが多い。ピッツバーグの親子のために、僕は何ができたのか。

○何もできないという結果は同じであっても、やはり知らないよりは知っていた方がいい。世の中には貧困や環境破壊や紛争があり、病気があり、不運があり、不幸があり、追いつめられている人たちがいる。苦労知らずで日々を過ごしている僕は、ときたまそのことを思い出し、忘れかけていた日本フォスタープランのお金を払い込んだりする。今のところはせいぜいその程度に過ぎない。

○季節外れに、ガラにもないことを書いてしまいました。これもひとつの「不規則発言」なんで、「何があったんだ」などと心配しないでください。明日からは連休モードの特別企画を予定しています。



<5月3日>(水)

○世間は5連休に突入。HPを見る人も減るだろうけど、休日にネットサーフィンくらいしか楽しみのない人(ワシもそうだが)のために、特別企画のインタビューをお送りします。ゲストはあの人です。

ホスト:溜池通信編集長*かんべえ
ゲスト:戦国時代の知将*官兵衛

●第1回「僕は参謀じゃない」

かんべえ 当HPへようこそ。1ヶ月ぶりのご無沙汰でした。
官兵衛 やあしばらく。その後、僕へのファンレターの類はあったかね。
かんべえ いえ、もう全然。常連さんの方が一人、面白かったといってくれたくらいで。この企画、あんまり受けてないんですよ。
官兵衛 なーんだ、前回は相当に画期的な話をしたつもりだったのに、意外とレベル低いんだなここの読者は。
かんべえ 止めましょうよ、そうやって煽るの。メールを催促しているのがモロばれですから。みんなその程度には賢いんです。
官兵衛 あははは・・・・ま、お互い受けなくてもいいから好きなことしゃべろうか。

かんべえ それで今回は「参謀とは何か」についてお聞きしたいのですが。
官兵衛 んー、ということは、僕は参謀ということにされてるわけ?
かんべえ 如水・黒田官兵衛は、今日では筑前黒田家52万石の開祖というよりは、秀吉に天下を取らせた名参謀という評価の方が有名なんですが。
官兵衛 それは不本意だなー。たしかに僕は秀吉へのコンサルティングはしたけど、本業は黒田家の当主だからね。親の代からの部下もいっぱいいたし、ちゃんとした武将のつもりだったんだけど。
かんべえ 後世から見ると、戦国時代の武将なんて掃いて捨てるほどいるけど、名参謀はあんまりいないでしょ。だから今の時代から見るとそっちの方が値打ちあるんですよ。
官兵衛 同時代の感覚からいうとね、参謀って一人の武将の信頼だけがあればそれでいい立場でしょ。でも武将は部下全員の信頼がないと務まらないわけですよ。この人駄目だなー、見込みないなーと思われたら、みんな離れていってしまう。そりゃ厳しさが全然違うよ。
かんべえ ほー、官兵衛さんの自己認識では、自分はあくまでも武将であると。
官兵衛 純粋な参謀というと、武田信玄に仕えた山本勘助なんかいい例だと思うんだけど、自前の部下を持たないから、無責任な評論家みたいな存在なわけ。あとは君主に取り入っていればいいだけだから、あんまり尊敬された人はいなかったね。

かんべえ いまのご指摘は非常に興味深いところなんですが、組織をラインとスタッフに分けると、戦国時代のルールはライン重視であったと。
官兵衛 当然だよ。ラインというのは、たとえ5人の部下を持つ足軽頭でも、ちゃんとリスクを負ってるんだから。リスク持たずに仕事してるやつと比較しちゃ気の毒だ。
かんべえ 官兵衛さん自身が黒田家のトップとして、ラインやスタッフを使っておられたのでしょうが、やはりラインを重視されたわけですか。
官兵衛 そうだね。特に若い人を育てるときは、ラインに置かなければいけないと思うね。
かんべえ 官兵衛さん自身が助言を求めた相手は誰になりますか。
官兵衛 父でしょうかね。でもね、助言を求める相手は、何も家臣に雇わなくてもいいんですよ。たとえば自分の領内の政治がうまくいっているかどうかなどは、家臣に聞くよりも町民や百姓に直接聞いたほうがいい。僕はそういう定点観測をよくやりましたよ。

かんべえ しかし官兵衛さんは、秀吉軍においてはトップへのアドバイザーというか、スタッフ的な仕事をされてますよね。
官兵衛 そこんとこに織田軍団の人使いの妙があるんだな。僕の主筋である小寺家が織田方と組んだことで、僕は信長の指示を受ける立場になったの。で、僕は中国方面司令官である秀吉の与力として働くように命じられるわけ。それで秀吉軍で仕事をして、アドバイザー的なこともしたんだけど、単純に秀吉に仕えていたわけではない。
かんべえ なるほど、秀吉と官兵衛は単なる主従ではないわけですね。
官兵衛 そう、クライアントとコンサルタントというか、投資家とストラテジストみたいな関係。しかも僕のパフォーマンスが悪かったら、どんなに秀吉の受けが良くても、他の与力たちが黙っちゃいない。ちゃんと信長に報告が行くという形で、チェック機能が働いていた。そういう意味では緊張関係があった。
かんべえ 織田軍団というのは近代的な組織だったんですね。
官兵衛 というか、部下がサボったり裏切らないように、信長がきっちり監視していたんですよ。秀吉と僕が相談するときも、なるべく一対一にならないように気をつけました。毛利との外交交渉なんかは当然そうするけど、城攻めの作戦なんかはわざと大勢の前で進言するの。なぜこの作戦がいいかという理由を、全員に説明しなければならない。そういう状況はちゃんと安土に報告されている。

かんべえ うーん、これは気が抜けない。
官兵衛 安土は忍者も寄越すし。
かんべえ え、忍者ってよその国に派遣するもんじゃないんですか。
官兵衛 あのねえ、どんな世界でもそうだけど、一流の人間てのは数が少ないの。敵国に派遣して情報が取れるほどの忍者は、希少価値だし、雇おうとするとすごく高いわけ。でも二流の忍者は大勢いるし、安く使えるの。そういう忍者には、戦国武将は自分の部下を監視する役目を与えるんだな。だって僕らも、安土から来たと分かってる忍者は斬れないじゃない。
かんべえ 忍者のマイナーリーグみたいなものですね。
官兵衛 本能寺の変のあとは、そういう配慮がまったく不要になった。僕が本当の意味で秀吉の参謀の仕事をしたのは、それから後のごくわずかな時間に過ぎません。でも、その間に天下の大勢が決まった。
かんべえ 官兵衛さんがいわゆる「参謀」に対し、かならずしも好感を持ってない、というのが、この話を進めるにあたって面白い前提になると思います。明日もお楽しみに。



<5月4日>(木)



●第2回「孔明は戦略家失格」

かんべえ なんで参謀にこだわっているかというと、歴史好きといわれる日本人の中には知将タイプの人気が高いんですよ。『信長の野望』みたいな歴史ものシミュレーションゲームでも、武力より知力の高いキャラクターが好かれる。
官兵衛 帷幕にあって千里の外に勝利を我がものとする、というやつだな。そんなこと滅多にないんだけど。
かんべえ 黒田官兵衛ファンもかなりの部分はそういう見方をしていると思いますよ。
官兵衛 そういうところはずっと変わらないんだね。僕自身、「官兵衛殿はわが国の諸葛孔明ですな」みたいなことを生きてるうちに何度も言われましたよ。僕はあんまり孔明という人を評価してないんだけど。

かんべえ 当代有数の戦略家の一人に、岡崎久彦さんという元外交官がいるんですけど、この人のオフィスに行くと、応接室にご自分で書かれた「出師の表」が飾ってあるんです。
官兵衛 あれはいい文章だね。僕らの時代でも、これ読んで泣かないやつは男じゃない、みたいな言い方をしてました。ところが、ああいうマニュフェストにはマイナス面もある。
かんべえ 岡崎さんの言によると、「出師の表」は魏へ進撃するたびに何度も書かれていて、後へ行けば行くほど苦しい内容になるんだそうです。
官兵衛 そうなんだ。「出師の表」には、蜀が魏を攻めなきゃいけない大義名分が明らかにしてある。あれを読めば兵士の士気も高まったと思う。でも、あんなふうに宣言してしまうと、蜀としては後に引けなくなる。つまり自分のオプションを非常に少なくしてしまった。「出師の表」によって忠臣・孔明の名は歴史に刻まれたけど、戦略家・孔明は自分を窮地に追い込んでしまった。

かんべえ 当時、孔明が置かれていた条件は相当に不利なもので、それも人気の理由になっていると思いますが。
官兵衛 たしかに当時の蜀は魏に対して圧倒的に不利だった。そういうときは、弱者の戦略を取らなければならない。できれば先方がこちらに攻めてきてくれるのがベストで、次善の策はゲリラ戦と内部工作。地の利を活かしたベトナム戦争スタイルを目指さなければならない。遠征軍を組織してこちらから攻めていくなんて、非常にもったいない話なんだ。
かんべえ 官兵衛さんが孔明の立場だったらどうしてますか。
官兵衛 そうだね、あの程度の不利な条件を逆転した例は、歴史を探せばいくらでもある。そういうときは、敵失が出るのを辛抱強く待っていたことが多い。曹操が死んだ後の魏は混乱続きだったから、僕なら我慢だね。でも、孔明は魏を討たなきゃならないという使命感が強かったし、病弱だったから待ってられなかった。

かんべえ ではじっと時間を稼ぐとして、その間はどうしますか。
官兵衛 人材の発掘と育成に決まっているじゃないか。
かんべえ うーむ、たしかに孔明の下では人材が育たなかった。唯一の馬稷も泣きながら斬ってしまったし。
官兵衛 斬っちゃ駄目なんだよ。あれじゃ、部下は動揺するよ。「孔明殿はあれだけ手塩にかけた部下も斬ってしまった。能のないわれわれはどうなるんだ」って話になる。
かんべえ 官兵衛さんが考える人材育成の決め手は何ですか。
官兵衛 織田信長や魏の曹操がいいお手本だよ。大盤振る舞いをして人を集めて、どんどん仕事を任せて、失敗してももう一度チャンスを与える。トップというもんはね、期待している部下が失敗したときは内心「しめた」と思うくらいでなきゃ。そういうリスクをとらないと、人は集まらないし部下は成長しない。
かんべえ この前、マレーシアに行ったときに感じたんですが、あそこはマハティールが20年近く政権を握って、後継者が育っていないんですね。トップが独りで何でもできちゃうと、部下が甘えてしまって指示待ち型になってしまうんですね。
官兵衛 権限委譲をしないと、結局は自分が苦しむことになる。三国志の中に、捕虜が「孔明殿は鞭20以上の罰はご自分で決裁されます」と言うので、司馬仲達がほくそえんだ、という記述があるよね。本当かどうか知らないけど、おそらく仲達は「なーんだ、あいつはその程度か」と思ったんじゃないかな。これじゃ俺は負けんわ、と。

かんべえ 結論として、官兵衛さんは諸葛孔明に対して点が辛い。
官兵衛 戦略家としては一流ではない。だって結果を残せなかったんだもの。でも彼は忠臣で、男の美学を貫いたわけだ。
かんべえ それではトップを補佐する人材としてはどんな形が望ましいと考えますか。
官兵衛 その辺の話はまた明日。



<5月5日>(金)



●第3回「トップは参謀より賢い」

かんべえ たとえば中国の歴史書などを読むと、皇帝とその補佐役の話がしょっちゅう出てきますよね。
官兵衛 『資治通鑑』なんかは全編そればっかりだな。どの時代を読んでも、ナントカという家臣がこういう進言をして、君主の怒りを買って殺された、あるいは意見が採用されてうまくいって誉められた、てな話が延々と続く。ま、あれは司馬光が皇帝に読ませるために書いたんだから、それはいいんだけど。
かんべえ 日本の歴史では、徳川綱吉と柳沢吉保とか、吉宗と大岡越前なんて例はありますけど、「強力なリーダーと名補佐役」の実例は、話として好まれるわりには少ないような気がします。
官兵衛 リーダーシップの性質に問題があるんじゃないのかな。トップが全組織を掌握している場合は、アドバイザーは必要だし、なり手もどんどん出てくる。中国の皇帝は絶対専制君主でしょ?だから家臣が必死で知恵を出そうする。でも、「トップは君臨すれども統治せず」の日本型の組織においては、補佐役なんて本当は必要ない。みんな官僚機構がやってくれるから。

かんべえ なるほど、日本の組織でもトップがちゃんと権限を持っていれば、名補佐役は出てくるわけですね。そういえば本田技研の本田宗一郎と藤沢武夫、なんて例もある。
官兵衛 一方、信長なんかはカリスマ型が行き過ぎて、補佐役を持とうとしなかったリーダーだけどね。秀吉や家康なんかは、まだしも普通の人だったから他人の意見をよく聞いたと思う。

かんべえ 話が飛びますけど、企業のコンサルティングをする場合でも、クライアントが会社のCEOであるか、経営企画部であるかは大きな分かれ道になるようです。
官兵衛 前者は分かるんだけど、後者はどういうケースなんだい。
かんべえ 企業がコンサルティングを求めるときは、かなりの困難を抱えていることが多いわけです。で、実はその解決策も、経営企画部は分かっていることがあるんです。でも、実行できない。そこでどうするかというと、高いお金を払ってコンサルティング会社に仕事をお願いするんです。すると「御社はこうすべきである」とアドバイスしてもらえる。すると、できないはずの改革ができるようになる。

官兵衛 情けない話だなあ。そんな改革、うまくいかないんじゃないのか?
かんべえ ええ、コンサルティング会社を使ってうまくいった、なんて話は聞いたことがありません。これ、アメリカでもそうみたいですね。
官兵衛 今の話は、経営企画部が自分の責任を回避しているわけだろう。自分が補佐役になるべきところを、他人にやらせて自分はいい子でいたいと。
かんべえ まあ、「組織の責任は無責任」の典型といいますか。
官兵衛 助言をする相手は個人じゃなきゃ駄目だよ。

かんべえ 助言を求めるのも、与えるのも個人、というところが大事なわけですね。
官兵衛 そう、とくに助言を求める方の器量が大事なの。はっきり言っちゃうとね、トップは自分の実力を超える補佐役を使うことはできないんだ。
かんべえ おお、これは異なことを。本当ですか。
官兵衛 当たり前だよ。補佐役が担当する仕事というのは、ほとんどの場合ひとつの分野に限られている。ところが、トップは全体を見なきゃいけないだろ。たとえば僕は、秀吉軍の作戦と外交を担当した。でも、軍の財務や人事システムやロジスティクスなんかは、他の人が担当している。秀吉はそういう全体を見ている上に、織田家内部の政治問題でも悩まなきゃならない。どっちが偉いかは明らかでしょう。
かんべえ しかし自分の実力以下の人間を使うのでは、補佐役にならないのでは?
官兵衛 そうじゃないんだな。極端なケースをいえば、いつも不適切な進言をしてくれる部下というのがいたら、こんなに有益なことはないんだ。だって2つ策があって迷っているときは、そいつの意見の逆を採用すればいいんだから。
かんべえ シャーロック・ホームズに出てくるレストレード警部みたいなものですな。
官兵衛 脇で名論卓説を唱えるばかりが補佐役じゃないんだ。トップをヨイショして、いつもいい機嫌にしておく、なんてのも考えようによっては非常に重要な補佐役だぜ。

かんべえ どんどん幻想が壊れていく感じなんですが、「参謀タイプ」とか「補佐役」という存在には不思議な人気があるんです。それこそ、日本人に多い諸葛孔明や黒田官兵衛の人気につながるようなもので。
官兵衛 就職先としてコンサルティング企業に人気があるとか。
かんべえ まことに遺憾ながら、今の日本でトップといわれている人たちが、総じて年を取り過ぎていたり、賢そうに見えなかったりする、というのも背景にあるのではないかと。
官兵衛 トップの地位にある人というのを甘く見てはいけませんね。どんな組織でもそうなんだけど、ナンバーワンとナンバーツーの間にはものすごい差があるんですよ。山の頂上にいる人は360度の景色を見ているけど、山登りをしている途中の人は頂上しか眼に入らない。
かんべえ どんな山であっても、頂上に立てる人は一人しかいないと。
官兵衛 そう、だからあんまり馬鹿にするもんじゃありません。




<5月6日>(土)



●第4回「米国大統領とブレーンたち」

かんべえ 参謀論が好まれるのは、若くて頭が良くてちょっと野心もあるような人が、「俺もいつの日かトップの信頼を得て、参謀として腕をふるいたい」みたいなことを、出世の近道と考えるからかもしれません。
官兵衛 そういう人は、じかにトップを目指せばいいのにね。
かんべえ まぁ、最近は自分で起業するなんて人も増えてきましたけど、大組織の中にいるとそれが現実的に思えるんでしょうね。しかし実際の補佐役なんてのは、お説通りそれほどカッコイイもんじゃない。私も昔、トップの秘書役を2年ほどやりましたけど、ご挨拶案とスケジュールとロジスティクスの心配だけしてたら終わってしまいました。
官兵衛 戦略面でトップに貢献する補佐役なんて、滅多にあるもんじゃないからな。しかも周囲から評価されるのは、ブレーンよりはむしろぞうきんがけやるタイプだ。最近も、愚直に滅私奉公してたら、首相の座が転がり込んできた人がいたな。

かんべえ これはアメリカであった話なんですが、とある大統領が当選するのに功績のあった人物が2人いたんだそうです。そこで大統領は、二人に対して「大統領に重要事項で進言する役目」と「大統領のスケジュールを管理する役目」という仕事をオファーした。すると前者を選んだ人はすぐに忘れられて、後者を選んだ人が政権内で重要な地位を占めるようになった。
官兵衛 それは面白い話だな。つまり前者のポストを選ぶと、いつ大統領に会うかは後者のポストの人に決められてしまう。大統領の日常を押さえるというのは、究極の補佐役になることを意味するわけだ。
かんべえ でしょ? ネタを明かすと大統領はレーガンで、首席補佐官になったのはベーカーなんです。ベーカーは「大統領はこう言ってるんだけど、君はどっちを取る?」と言って、見栄えのする方の仕事をライバルに選ばせたんだそうです。策士ですよね。

官兵衛 アメリカはその手の話が豊富そうだね。
かんべえ よくぞ聞いてくださいました。アメリカ政治というのは中国に似ていて、行政上の権限はすべて大統領に集中するんです。たとえば国務長官というと偉そうに聞こえるけど、英語ではSecretary of State、つまり秘書に過ぎない。つまり、大統領が自分の外交上の権限を委任する人が、国務長官なんです。こういう制度においては、大統領への距離の近さに比例して権限の重さが決まる。
官兵衛 大統領の信頼をいかに勝ち得るかが鍵になるわけだ。こういう組織の中では、補佐役を目指す値打ちがある。

かんべえ そうそう、前の財務長官だったルービンさんに面白いエピソードがあるんです。彼は経済担当補佐官だった時代に、毎週予定されている大統領へのブリーフィングの時間を、「今日は特段、ご説明するテーマはありません」と言って他人に譲ることがあったんだそうです。
官兵衛 うーん、それを聞いただけでも相当なタマだね、ルービンて男は。話すテーマがないなんてことはあり得ないから、むしろそういう評判を立てようとしたんだろうな。
かんべえ 大統領と二人きりで話せるチャンスをパスするわけだから、ホワイトハウスではむちゃくちゃ目立ちますよ。あるいは、大統領の日程を調整する担当者に恩を売る狙いがあったのかもしれません。
官兵衛 いずれにせよ、補佐役としての自分を売り込む、非常に重要なテクニックを身につけていると見たね。

かんべえ クリントンにはいろんなブレーンがいて、なかでもディック・モリスという選挙参謀が、96年の再選を可能にした男として知られています。モリスの回顧録を読んで興味深く感じたのは、彼があくまで友人としてクリントンに接しているんですね。モリスは最後は売春婦スキャンダルで解雇されるわけですが、精神的にどん底に落ち込んだ状態でホワイトハウスに電話するんです。そしてクリントンに謝罪する。クリントンは「君を信じているよ」と答える。なんというか、トップと補佐役の関係じゃないんです。
官兵衛 要するに、「恐れながら申し上げます」てな感じではないわけだ。
かんべえ たとえばモリスはこんなふうに助言するんです。過去41人の大統領のうち、Aクラスはだれとだれ、Bクラスはだれ、それ以外はCクラス、と分類してみせる。「で、君はこのままだとBとCの中間くらいだ」って。しかもこの内容、彼は電話で伝えている。
官兵衛 うーん、そこまで言えるのも偉いが、言わせているクリントンもあっぱれだな。

かんべえ アメリカの大統領制度というのは、200年以上の歴史があるだけあって、これを補完するシステムがたくさんあるんです。そのひとつとして、大統領のブレーン予備軍がワシントンに集まってくるような仕組みがある。
官兵衛 日本でも首相補佐官なんて制度を作ったが、果たして上手に使えるのかな。ブレーンを多用すると、とかく日本では「側近政治」と呼ばれてかえって評判が悪い。
かんべえ やっぱり日本の組織はライン重視なんでしょうかね。首相が自分の友人を勝手に連れてきて意見を聞くくらいなら、公務員試験に合格した官僚たちの指図に従う方がまだましだ、という感情があるのかもしれない。
官兵衛 まあ、首相を間接選挙で選んでいるという違いはあるけどね。
かんべえ 根源的な疑問が残るんですが、トップの補佐役というか、いわゆるスタッフ組織というのはなんのために必要なんでしょうか。ラインがしっかりしていればそもそもスタッフなんぞ不要だという見方もできるような気がしますが。
官兵衛 いや、スタッフというのはそもそも戦争が生み出したものなんだ。この話は長くなるのでまた明日。





<5月7日>(日)



●第5回「軍師から参謀へ」

かんべえ 連休も対談もいよいよ今宵限り。では、官兵衛さん、思う存分どうぞ。
官兵衛 トップというのは孤独な仕事で、部下に指令を下すときには相談相手がほしいと思う。とくに戦争の場合、将軍はいったん部下に命令を下したら最後、彼らは死ぬかもしれないわけ。そういう状態で部下にアドバイスを求めたところで、冷静な意見が聞けるはずがない。
かんべえ 部下だって命が惜しいから、アドバイスにはバイアスがかかりますよね。
官兵衛 そう、だから将軍は、大局的な視点でものを見られる人を近くに置いておいた方がいい。そこでラインから離れて、専門のスタッフ、補佐役が必要になるわけだ。そういう仕事は昔は劉備玄徳に諸葛孔明、みたいに一人で十分だった。こういう状態は参謀以前の段階で、たとえば「軍師」と呼ぶのが適当だろう。
かんべえ 君主が賢臣を求めるという、中国の古典によくある世界ですね。

官兵衛 ところが軍師にはいろいろ限界があるんだな。なにしろ将軍の個人的な信頼を得てアドバイスをしているわけだから、将軍の耳の痛いことまではなかなか言えない。それからラインの兵卒たちとしては、将軍の命令ならともかく、軍師の言うことなんか聞きたくはないわけだ。何より困るのは、軍隊や国全体の利益と君主個人の利益が一致しないことがある。そういうとき、軍師は君主の側についてしまう。それでは部下はたまったもんじゃない。
かんべえ 軍師にはいわゆる「政治的正統性」が欠けているんですね。
官兵衛 そう、そこに気がついた補佐役は、軍師からちょっと進歩して参謀になる。つまり将軍個人の利益を代表するのではなく、国全体や軍の利益を代表するようになる。
かんべえ たとえば官兵衛さんは秀吉個人に雇われたわけではなくて、どうやったら織田軍全体が良くなるかを考えていた。ということは、軍師ではなくて参謀だったと。
官兵衛 そのへんは微妙かもしれないけど、戦国時代というのは、ちょうど軍師が参謀になる端境期だったんじゃないかな。日本では江戸時代以後になると、たとえば商家の場合、大旦那個人よりも家全体の繁栄が大切だということがコンセンサスになる。だから道楽息子を廃嫡して、出来のいい番頭に店を継がせるなんて話がわんさか出てくる。
かんべえ はいはい、社長が大事か会社が大事かという話ですね。それって資本主義の発達にとっては非常に重要なステップなんじゃないでしょうか。
官兵衛 おそらく日本の場合、あの頃に「今の社長より会社の未来が大事」という学習が行われたんだろうな。

かんべえ 時代が下ると、参謀というのは個人ではできなくなって、組織の仕事になってしまいます。私も会社ではいわゆるスタッフ部門で働いていますが。
官兵衛 レーダーや原子爆弾が戦争から生まれたように、スタッフという組織上の発明も軍隊から生まれた。英語でいうGeneral Staff、日本語でいう参謀本部が誕生したのは19世紀の欧州でのこと。新興国家プロイセンが、1812年に皇帝直属の「参謀本部」を作ったところ、オーストリアもフランスも打倒してしまった。そこで各国が競って参謀本部の真似をするようになった。
かんべえ 参謀自体はその前からあったんじゃないですか。
官兵衛 それはそう。でも、プロイセンは参謀本部を常設の組織にした点が新しかった。つまり平時から戦争計画を作成して、地図を作るなどの情報収集をやったんだな。
かんべえ 軍隊が自分で地図を作るという発想が新しいですね。
官兵衛 それから、「将来はこの辺で戦争をやるだろう」と思われる地域に、将校を旅行させるといったシミュレーションもやった。それからロジスティクスに関する情報やノウハウを蓄積した点も鋭かった。要するに近代の戦争とは、個人の勇気や将軍の指揮だけで勝てるようなものではなく、総合力の闘いになっていたから、そういう戦争のプロを育てる必要があったんだな。

かんべえ そこで参謀本部を作って、戦争のプロを常時、組織化したわけですね。
官兵衛 プロイセンが倒さなければならなかった相手は、軍事の天才ナポレオンだった。彼は自分一人に情報を集めて、誰にも相談せずにすべての命令を下すことができた。ところが、モスクワ遠征みたいに50万の兵士を派遣するとなると、自分一人ですべての作戦活動を仕切ることはできなくなる。スタッフがいないことの限界が出てきたんだね。
かんべえ なんだか、成長途上にあるベンチャー企業がぶつかる「壁」みたいな話ですね。
官兵衛 プロイセンはナポレオンのいる戦場では撤退を繰り返して、いない戦場で細かく得点を稼ぐという勝ちパターンを覚えた。その結果、ナポレオンは局地戦ではいつも勝っているのに、終わってみればフランス軍は負けているということになってしまった。
かんべえ それって最近はやりの「ナレッジ経営」のお手本みたいな話ですね。
官兵衛 そう、勝つために重要な知識を、トップ一人に集中させるか、参謀本部という組織で共有するかの違いだね。

かんべえ いまではどこの国の軍隊にも参謀本部があり、そこのトップは制服組の頂点ということになっていますね。米国では統合参謀本部長、日本では統合幕僚会議議長。それから組織をラインとスタッフに分けて、相互にローテーションを実施するという原理は、ほとんどの企業が導入しています。
官兵衛 それは過去の経験が生かされているということだろうね。
かんべえ おかしいなぁ、組織の原理はこれだけ進化しているのに、今のわれわれの周囲には組織をめぐるおかしな話はいくらでもありますよ。リーダーシップの昏迷も言われ続けて久しいし。
官兵衛 あははー、それは2通りの解釈ができると思うよ。ひとつは組織なんてもともとそんなもんで、君らの受け止め方が贅沢になっているだけだということ。もうひとつは、そろそろ組織に関する新しい原理が誕生する頃なのかもしれないという見方。僕はどっちだか知らんけどね。
かんべえ うーん、それはまた大問題になるので、別の機会に考えることにいたしましょう。官兵衛さん、5日間にわたってお付き合いいただき、ありがとうございました。
官兵衛 全部通して読んでくれた奇特なアナタ、感想のメールを待ってるよ。



○長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。連休中はほかにも話題はいろいろあったのに、全部放り出して歴史漫談を続けてしまいました。明日からは平常モードに戻る予定です。



<5月8日>(月)

○すごーく地味な連休を過ごしました。で、近所に買い物に行った話などを少々。

○ワタクシ、ずっと前からスーツはJプレスと決めております。なぜならJプレスというブランドは、流行の変化がほとんどない。Vゾーンを狭くしたり、ズボンのすそを広げたり、なんてことをせず、淡々と普通のスーツを売っている。今売っている商品は、8年前に買ったものとそんなに違わない。値段は高からず安からず。もともと保守的な性格なので、「Jプレス、A6サイズ、シングルの4つボタン」を年1着ペースで買い続けています。

○それが困ったことに、柏駅西口の高島屋がJプレスを閉じてしまった。なにせ柏市は人口の若い街。高島屋はGAPなどを入れて、第2次ベビーブーマー世代をターゲットにしている。おじさんブランドは居場所がなくなった。しょうがないから柏駅東口のそごうに行ってみた。実はここにもJプレスがある。ところが行ってみたら、人口密度は高島屋の半分程度だ。客もいないが店員もいない。よく見ると、隣の売り場の店員がJプレスを兼務していて、この人はやる気もなければ商品知識もない。スーツを探すと案の定、A6サイズがない。うーん、一応、ワイシャツだけ買って帰りましたけどね。

○そごうグループ全体が、債権放棄の要請などで危機的な状態にあるのはご案内の通りですが、柏そごうは数少ない黒字店。柏駅周辺は人口急増地域なので、2つしかないデパートには、ほっておいても客は来る。ここで稼がないでどこで稼ぐんだ!と思うんだけど、経費削減をやってるせいか、まるで活気がない。おそらくそごうでは、全店で同じようにリストラをやってしまっているのでしょう。それが機会逸失となり、縮小均衡をもたらす。もったいない話です。

○考えてみれば、柏店がいくら稼いでも、ほかの店の赤字で帳消しになるんだったら、社員としてもやる気はおきませんわな。かなり不幸な事態だと思います。でもねえ、テッパンのJプレス固定客としてはなんとかしてほしい。今さらポロやニューヨーカーに浮気したくはないんですもの。



<5月9日>(火)

○長々と書いた官兵衛VSかんべえの歴史漫談、「参謀を語る」が重たくなってきたので、5月上旬に移しました。思った以上に、真面目に読んでくださった方が多かったようです。「こんなことを書いて、誰が読んでくれるんだろう?」と思いつつ、意地で続けておりましたが、ごく少数でも楽しんでくれた人がいるとわかって満足しています。

○「参謀論」とは「組織論」の一種になるわけで、これは「教育論」と同じように、肯定的に議論することが難しいジャンルです。だれだって自分が属している組織や、自分が受けてきた教育に対して、100%満足するということはあり得ませんからね。というより、多少の怨念を持っている方が普通でしょう。筆者だってその手の思いは人並みにありますけど、他人の怨念を聞かされるのはできれば御免被りたいと思っているので、「ウチの会社と来たら・・・・」という手の話は、少なくともここではしません。その点、歴史上に題材を取ると、好き勝手なことが言えて楽しい。私怨のある議論が生産的になることはめったにありません。おっと、そういえば昨日書いたの文は立派な私怨だな。

○ところでちょっと宣伝。こないだから岡本さんのHP上で、「フィクションはタイトルで泣け」という変な連載を書いています。毎週、土日ごとに書き加えていき、今週末の5月14日にちょうど全11回で完結する予定。結構面白がって読んでいる人がいるらしい。「溜池通信」とも「不規則発言」とも完全に異質な路線なので、ちょっと意外性があるかも。「新しいタイプの文芸批評」だとか、「作家を目指す人のためのハウツー」という読み方をする人もいるでしょうが、書き手としては「単に笑かそう」で書いております。念のため。

○岡本さんの 日本のカイシャ、いかがなものかというHPは、誰の心にもある組織への私怨をパワーとしています。多彩なタレントが集まって、組織の問題を考える世界を構成している。そういうコンセプトとは縁もゆかりもない、「フィクションの題名」に関する駄文を寄稿しているのが我ながら変。でもまあ、岡本さんの絶妙な「おだて」がなかったら、あんな文章を書くことはなかっただろうな。よそのHPに出張してみるのも、変化があっていいものです。



<5月10日>(水)

○「なんで射殺しないのか」などと物騒なことが書いてあるらしい。今週の文春と新潮である。相手はバス乗っ取り犯の17歳少年。たとえ逃げる犯人の足を撃ったときでも、後から警察が新聞でお小言を食うこの国にあって、つくづく過激な意見が出るようになったものだと感心する。本文は読んでないけどね。

○たしかにアメリカだったら、ああいうときは遠慮なく犯人を狙撃する。ただしそれは犯人を憎んでいるからではなく、ほっとくと大量殺人につながりかねないから、人質の安全を重視して撃つまでである。生きたまま犯人を捕らえた場合は、裁判にかけて法の裁きを待つ。そうなると南部の州などはさておき、死刑廃止論者が多いこともあって、滅多に殺さない。

○わが国の場合はその正反対。なるべく殺さぬように捕獲した上で、裁判では死刑判決が出ることがある。手続きを重視するのだな。ただし今回の場合、少年法の壁がある上に、精神鑑定で無罪になる可能性もある。それが分かっているから余計に腹が立ち、「だから射殺しておけば良かった」という声が出るのだろう。でもまあ、それはちょっと邪道な後知恵というべきで、警察が犯人を狙撃するかしないかは、純粋に人質の安全を考慮して決定すべきだと思う。

○まず狙撃したからといって、ちゃんと射殺できるという保証はない。次に犯人が複数である場合、狙撃はリスクが高すぎる。こういう場合は、犯人が疲れるのを待つとか、取りあえず説得を試みるというオーソドックスな手法が妥当であろう。一方、こうした時間稼ぎは、その間に人質の命をリスクにさらすことになる。本当に大量殺人に発展する可能性がある場合は、日の高いうちに狙撃した方がいいという計算も働く。今回の場合、「犯人は一人だし、武器は包丁だから大勢は殺せまい」と警察が判断して持久戦をとったのであれば、それはそれで理解できる。

○もっともああいうとき、少なくとも夜になるまでは手出しをしないのはわが国の伝統であるようだ。案の定、明け方になって犯人が疲れたところを襲っている。刑事事件だけではない。国会では重要案件は日の高いうちには片付かない。会社には昼間はホンネを口にしない人がいる。ガダルカナルの闘いでは、米軍は「日本軍は昼間は攻めてこない」と見破って、夜だけ警備をしていたという。日本人は夜行性なのだ。



<5月11日>(木)

○株が下がっています。ついに日経平均は1万7000円割れ。去年の夏ぐらいの水準に落ちてしまっている。これは天下の一大事ではないのか。でもちょっとまて。TOPIXを見ると、それほど下がってはいないではないか。

○日経平均は225種の銘柄の平均値。TOPIXは東証全体の時価総額。TOPIXが落ちてないということは、株式市場に滞留しているマネーはそう減ってないということだ。その一方で日経平均が落ちている。これは4月24日に銘柄の入れ替えをやったのがたたっている。NTTドコモのようなドデカイ株が225社のひとつになったから、1社が下げると全体が下がってしまう。もはや日経平均は、今年の春以前との連続性が壊れてしまっている。今後はTOPIXだけを見てた方が、間違わなくていいと思う。

○日経平均はNYダウ30種の、TOPIXはS&P500を真似して作られた。ダウとS&Pは、それぞれ算出方法が違うのに、だいたい重なるようになっている。こんな感じです。これはダウ・ジョーンズ社が、ダウ30種採用会社を注意深く、小刻みに変えているから。日経平均をあずかる日本経済新聞社は、その辺がまずかったようです。ずーっとそのままにしておいて、こんな微妙な時期にまとめて30社も取り替えた。今朝の日経新聞がいいわけがましいことを書いていましたけど、内心「しまった!」と思っているでしょう。

○ホンネの話、日経平均の対象からはずれると、会社の株価はドーンと下げる。インデックス買いをしている機関投資家が売りに回るからだ。仮に5社をはずして5社入れる、みたいなことをしたら、はずされた5社からは火のようなクレームが届くだろう。おそらくはそれが嫌だったんでしょうな、日経新聞は。で、溜めにためておいて、一気にまとめて30社を取り替えた。これなら文句は出ないだろうと。その結果がこれだ。今朝の紙面では、「銘柄入れ替えは時代の要請」などと書いていたが、それを普段からさぼってきたので今頃になって下手を打っている。

○森政権発足後、自民党が早期解散路線に動いたのは「株価2万円」に安心したからだ。ところがイレギュラーな動きがあったために株価は1万6000円台。みんながTOPIXを見てくれればいいのだが、日経平均の方がポピュラーだから、なんとなく4000円も下げたような気になってしまう。これで景況感は相当に悪くなっているはずだ。もしも今回の景気回復局面が腰折れするような事態になれば、日本経済新聞社の罪は相当に重いといえるのではないか。「日経平均の継続性は維持している」などと頑張るより、「ゴメンナサイ」と言った方が素直でいいと思うぞ。



<5月12日>(金)

○本誌では書きそびれたことを少し。目下の永田町で、最高実力者は野中幹事長であることは言を待ちません。細川内閣攻撃の論功行賞で、村山内閣の自治大臣になったのを皮切りに、幹事長代理、官房長官、幹事長代理、幹事長と常に要職を歩んできた。では彼の最終目的は何なのか。総理総裁を狙うようには見えないので、金丸信のようなキングメーカーを目指すのでしょうけれど、「幹事長の次のポスト」が何になるのかがよく分からない。

○野中氏の当選回数は6回。ただし最初は補欠選挙だったので、党内には「5.5回」と呼ぶ口さがない人もいるという。同じときに、同じ京都府の補欠選挙でデビューしたのが谷垣禎一金融担当相。こちらも自民党若手のホープとされていますが、どちらが出世したかといえば比べるまでもない。野中氏はそれくらい奇跡的な飛躍を遂げて今日の座をつかんだ。憎まれっ子、世にはばかる。かつての小沢一郎のような存在になっているといったら、ご本人は怒るだろうけれど。

○お陰で最近は、日刊ゲンダイなんかが、連日のように野中バッシングをしている。対照的に、噂の真相は森首相をバッシング。しかし両者を比べると、野中氏の方がいかにも強そうで、絵になる悪役という感じ。そうそう、サピオの政治マンガ「ど忘れ日本政治」でも、毎回のように野中氏を取り上げていて面白い。

○野中氏の著書に『私は闘う』という本がある。この本の題名がただものではない。普通なら省略するはずの主語を残し、普通なら必ず入れなきゃいけない「だれと」「何のために」が省略されている。述語が未来形になっているのも独特な感じがする。ここからイメージできるのは、とにかく戦闘的な政治家の姿。闘う相手は、自分より強ければだれでもいい。闘いに勝つことで自分の権力を強めていく。つまり闘うことが自己目的化した孤独な男の姿が浮かんでくる。

○しかし今の永田町には、彼以上の実力を備えた相手が見当たらない。民主党も共産党もマスコミも、彼の標的になるには線が細そうだ。これからの彼は、何と闘うことができるのか。宿敵小沢を完膚なきまでに叩きのめしたいま、「こんなはずではなかった」と思いつつ、勝利者の悲哀をかみしめているのではないか、などと見るのは考え過ぎでしょうか。



<5月13日>(土)

○とあるパーティーの席上、昨日ちょこっと触れた「ど忘れ日本政治」の著者、業田義家氏に会ってしまいました。「昔からのファンです」と言って手帳を取り出し、厚かましく「野中さんを書いてください」と頼んだら、その場ですらすらと描いてくれました。わーいわーい、うれしいぞ。手帳を持ち歩く年内いっぱい、同好の諸氏に見せびらかす予定である。

○その場に集まった人が口々に言っていた。「最新号のサピオの野中さんは最高だったよねー」「あれ見ると、森首相や青木官房長官は普通の人に見えるよねー」「ところで最近のサピオって、ほかに読むところあるか?」・・・・わしもそう思う。西原理恵子なんかもそうなんだけど、定価300円の雑誌のうち250円分くらいの価値があるマンガってときたまあるものなのだ。

○4コマ政治マンガは、いしいひさいちの独壇場だった時期が長かったけど、最近は業田義家の方が上だと思う。だってとにかく似ているんだもの。絵を見るだけで笑えてしまう。特に野中さんの絵は最高。単行本も出ていますので念のため。

○業田さんには『自虐の詩』という出世作があって、おそらくこっちの方が有名ではないかと思う。けなげに生きる幸江さんと、暴虐な夫の話といえば「ははーん」と思い出す人は多いのでは。週刊宝石で連載していて、最初の頃は「なんでこんな変なマンガを載せているんだろう」という感じだったが、いつしか中毒してしまった。最終回が近くなると、これはもう4コマを超えた大河ドラマとなり、幸江さんの不幸な生い立ちが解き明かされていく。家に帰ってからふとあの感動を思い出したが、今日会ったあの人が書いているんですねえ。と、今日はミーハーな私。



<5月14日>(日)

○連休に買った本棚が家に来たので総入れ替えをやった。疲れた。まだ全部終わってはいないのだが、新しい本棚を見ると壮観である。家の中の本棚はリビングにあり、書斎にあり、寝室にあり、和室にあり、というと、なんだか広い家に住んでいるみたいだが、要は狭い家の中が至るところ本だらけなのだ。ちなみに配偶者は私以上の読書家である。

○あらためて整理していると、捨てるべき本がいくらでも出てくる。こんな本を読んだという過去そのものを、消し去りたくなるような本が。総じて歴史の本は古くならないからよろしい。政治の本は、たとえそれが佐川事件について書かれたものであっても、あとで読み返すと懐かしかったり、発見があったりする。問題は経済に関する本だ。80年代に描かれた経営論などは、今見るとまったく無意味。「1ドル150円などという非常識な為替レートが・・・・」みたいなことが書いてある。

○とはいうものの、その当時の自分は大前研一の本だって真剣に読んでいたのだから、捨てると悪いような気がする。ちゃんと線が引いてあったりするから、ますます捨てにくい。少なからぬ著者サイン本なども捨てにくい。友人の編集者が作った本もある。自分自身が制作に関与した本は、当然のことながら別格である。これらを積み上げてしばし呆然となる。

○「どんなに無意味な本であっても、自分にとって無関係ではないと思われる1行があれば、残しておく価値がある」という意味のことを北杜夫が言っていた。この言葉を実践できるような、広い家とたくさんの本棚がほしいものである。ちなみに北杜夫の本は、たくさん持っているけど大部分が富山の実家においてある。

○本を整理していて発見したのだが、新書版の本には当たりが多い。とくに中公新書は、編集者の良心が感じられるようないい本が多い。数だけでいうと講談社現代新書が圧倒的に多い。こちらはアベレージ・ヒッターという感じ。それ以外の文春新書、ちくま新書、岩波新書などは極端に数が少なくなる。というわけで、次回の『財界』の書評は、中公新書を取り上げることにしよう。



<5月15日>(月)

○野村総研の植草一秀氏がいいことを書いていた。エコノミストの仕事とは「もう」を示すことである。つまり、「もう景気は良くなる」「もう悪くなる」というポイントを見抜くことが大事。後になってから、「景気が良くなったのはXX年のXX月頃でしたね」などというのでは、会社や投資家の役には立たない。ところが日本政府は、やたらと「もう大丈夫」と言いたがる。これではエコノミストは「まだ分からない」と慎重論を唱えるしかない。本当は政府こそ「まだ分からない」と言ってほしいのに・・・・

○政府は景気回復宣言をしたくて仕方がない。6月には選挙がある。7月にはサミットがある。だから有権者や外国の首脳に向けて、「日本はもう大丈夫です」と言いたい。大蔵省は、早く財政再建に取り組みたい。日銀もゼロ金利政策を改めたい。堺屋経企庁長官も、選挙後の新内閣でははずれることが分かっているから、自分が長官である間に景気回復を宣言したい。そうしたら、彼は伝説を残すことができる。

○しかしそういう姿勢がいちばんコワイ。あと一人のリリーフ投手を惜しんで逆転される、とか、王様の横に金一枚打っておけば詰まなかった、みたいな話である。現に日本経済は、93年と95年と97年にぬか喜びをして、景気失速を味わっている。不運が重なったり、仕事の詰めが甘かったり、とにかくわれわれは3度チャンスを逃している。4度目のチャンスを逃したら、5度目が来るのは当分先になるだろう。小渕さんという人は、そういう点を良く理解している人だったような気がする。

○「もうはまだなり、まだはもうなり」という至言がある。同じ局面であっても、見方によっては楽観も悲観もできる。政府は「もう」ではなく、「まだ」を言ってもらいたい。民間が期待する政府とは、明るく振る舞うペシミストである。



<5月16日>(火)

○いつも思うのですが、エコノミストには悪文家が多い。とくにニューズレターを書いている人には、植草一秀でも佐野一彦でも、癖のある、独特の文体が目立つと思う。どちらも愛読しているけど、お世辞にもうまい文章だとは思えない。ところが悪文であるがゆえに、むしろ書き手の性格がよく表れていて、かえって分かりやすかったり、味わいがあったりする。うまい文章を書くような人は、エコノミストではなくて批評家の方が向いているのかもしれない。

○むしろ気になるのは、たとえばこの手の文章である。

「平成不況もすでに10年近くなるが、現下の日本経済は緩やかな回復軌道をたどっているものと思われる」

○かんべえ、こういう書き出しのコラムはまず読まない。というか、まず腹が立ってしまう。どこが気に入らないか分かりますか? 念のためにいっておきますが、上記はどこかにあった実例ではなく、説明のためにこの場ででっちあげたものです。

@意味のはっきりしない接続詞の「が」。上の例文は、前半部分と後半部分をつなげておく必然性がない。「が」を入れると、なんとなくつながってしまうけど、全体としての意味がぼやけてしまう。だから2つに分けてしまった方がいい。自分としては、明確に逆接の意味のとき以外は、「が」は使いたくない。もっといえば、逆接のときでも「・・・ものの」「・・・けれども」「・・・にもかかわらず」など、変化を求めたくなる。

A述語の「思われる」。かんべえ、「思われる」が多用されている文章が大嫌いである。なんで受動態にするのか分からない。これを英訳するときは、"It is considered that・・・・"となるのでしょうか。そんな英文は見たことがない。「・・・・であるように(私には)思われる」というのなら可。でもなるべくなら主語を入れるべきだと思う。「思われる」は、書き手の自信の無さのあらわれではないでしょうか。

○てな、個人的なこだわりはさておくとしても、上記の例文はコラムの書き出しには明らかに不適切でしょう。こういう書き出しで始まった文章が、読み手の知的好奇心を刺激するとは思えません。でも、そういう文章って多いんです。とくに役所関係や経済を説明する文書には。書き手に最低限のサービス精神が欠けているからでしょう。

○などと、今日は偉そうなことをいってしまいました。今後、もしも『溜池通信』に上記のような文章が現われたら、ただちにお叱りのメールをください。お願いします。



<5月17日>(水)

○今週末の20日は台湾の総統就任式。本誌4月28日号でご紹介したとおり、米中台の三角関係はまことに微妙な時期を迎えております。で、その後の状況についてご紹介しましょう。

○米国議会は来週から対中PNTR供与法案を審議に入る。5月末下院、6月上旬上院通過を目指している。本誌で書いたのとは逆の順序になった。で、見通しはやっぱり下院の通過が難しい。少し前のデータになるが、単純過半数218票のうち、賛成派は163票、反対派は173票、残り88票を奪い合う展開だという(ロイター通信)。賛成の内訳は民主党40、共和党123と完全にねじれ状態。中国の人権問題と、中国製品の輸入拡大を恐れる労働組合の反対が原因である。

○ホワイトハウスはPNTR法案成立を最優先事項とし、あらゆる手を尽くしている。グリーンスパン議長の応援を得る(5/8)、フォード、カーター元大統領などを呼んで決起集会を開く(5/9)、そしてクリントン大統領がみずから国内遊説を開始する(5/12)など。ここで否決されるようなら、米中関係は悪化し、中国の改革派も窮地に立つから無理もないところ。

○こうした危機感は中国政府自身も共有しているようだ。たとえば5月8日はユーゴの中国大使館誤爆事件から1周年。しかし中国当局は反米デモを押さえるなどして、米国の世論を刺激するような行動を慎んだ。中台関係シンポジウムでも、「ひとつの中国には柔軟な解釈が可能である」などと台湾に配慮した姿勢を見せている。文字どおり「耐えがたきを耐え」という感じ。PNTR法案が通るまでは我慢、ガマン。

○台湾もまた低姿勢である。米国議会における台湾安全保障強化法案の審議を、新総統就任式以後に延期してくれと頼み込んだらしい。これは賢明な態度である。かりに法案が成立したところで、クリントンは拒否権を発動する。変なタイミングで中国を怒らせたくはない。かくして米中台3国の政府が、米国議会の動向を窺いつつガマンを重ねているという、傑作な構図ができあがっている。

○米中台トライアングルの我慢が実を結ぶように期待したい。勝負どころは今月中です。



<5月18日>(木)

○森総理の失言問題が尾を引いています。せっかくの(?)小渕さん弔いムードは早くも消し飛んでしまいました。この後、もう一発何かスキャンダルが出たら、もたなくなるかもしれませんね。

○とはいうものの、「日本は天皇中心の神の国」という発言は、差別発言や歴史認識と違い、直接に誰かを傷つけるものでないのが救いです。野党やマスコミは心底怒っているというより、「しめた、ボロを出しやがった、今だ」と喜んでいるといった方が、実態には近いような気がします。少なくとも、対外問題に発展するような問題ではない。おかげでCNNが大騒ぎをするという心配は不要。ということで、心置きなく政争をやってもらって結構。

○「失言をする政治家は信用できる」という意見もあります。失言をする人は、少なくとも自分の頭で考えて発言しているわけであり、かつまた適度にガードが甘い善人だと見ることができる。吉田茂の「バカヤロー」、池田勇人の「貧乏人は麦を食え」発言などは、ご両人が名宰相であったことをいささかも傷つけるものではありません。吉田、池田はともに戦争という非常事態によって、傍流から浮上して総理の座をつかんだ。変な欲がない人だったのでしょう。

○中曽根康弘、竹下登といった首相は、極度に失言が少なかった。ともに国会喚問をくぐりぬけたこともある。彼らは「いつの日か自分はトップを目指す」、と若い頃から考えていたのでしょう。だからそういう訓練ができていた。偽証罪にならないよう、野党議員の追及をかわすことくらい、彼らにとってはやさしいことだったのでしょう。この種の抜け目の無さを、指導者として頼もしいと考えるか、嫌味なことだと考えるかは意見が分かれるところでしょう。

○真剣にトップを目指しつつ、なおかつ失言のデパートであり続けたのは渡辺ミッチーです。彼の場合は失言をおぎなう愛嬌があった。「待ったありなら日本一」といわれた藤沢秀行の囲碁のようなもので、これはこれで魅力的な存在だったと思う。

○森さんの場合は、一度も自民党総裁選挙に出たことがないことが示すように、本気で総理の座を目指してきたとは思えない人です。それでもなったからには、失言などで政権を揺るがさないよう、注意深く務めていくほかはない。運悪く失言をやらかしたら、上手にとりつくろっていけばいい。今回の失言は、失言そのものよりもあとのフォローが悪い。愛嬌がない。このままでは6月の総選挙は、1989年の宇野政権や、1993年の宮沢政権の負けパターンに陥ってしまうかも。



<5月19日>(金)

○今週号の溜池通信は、『オランダモデル』という本に負うところが大です。著者の長坂さんは、ジェトロ調査畑の良心のような方で、ずいぶん前から筆者がお世話になっている方。実は長坂さんには「映画評論家」という顔もあり、サラリーマンでこれ以上たくさん映画を見ている人はいないのではないか、というくらいの映画通です。『映画見てますか』という著書もあり、最近はキネマ旬報に連載を持っておられるとのこと。

○映画好きでは人後に落ちないつもりでおりますが、最近はめっきりと本数が減って、スカイパーフェクやWOWOWまで動員しても数が伸びません。インターネットに時間を取られているのも、重大な障害になっているのかも。できればパートタイマーになって、もっと映画を見る時間がほしいところ。そうそう、映画評のページを作ってもいいんだけどな。



<5月20〜21日>(土〜日)

○最近のアメリカ映画では、大企業が悪役になる例が多いようですね。『インサイダー』の予告編を見ていてふとそう思いました。昨年のWTOシアトル会議で、NGOが「国際機関は大企業のいいなりで、世界中の貧困を増やしている」と抗議していたのを思い出します。彼らの主張は、「トンデモ本」の世界みたいな理屈に聞こえますけど、ああいう声が大きなうねりを生む土壌があるらしい。だって分かりやすいじゃないですか、「大企業=悪」という図式は。

○アメリカ映画は、誰にでも分かりやすい敵を持ったときにもっとも輝きを増します。たとえば「ナチス」。『カサブランカ』以来、どれだけ多くの名作が生み出されたか。最近でもインディ・ジョーンズやダイ・ハードのシリーズが、しつこくナチスを使っています。あるいは「インディアン」。『駅馬車』など多くの西部劇の名作は、この要素なしには成立しませんでした。

○問題はこれらの敵がviableでなくなってしまったことです。インディアン、いやNative Americanはむしろ守るべき対象となり、ナチスの記憶は遠くなりました。「ダイ・ハード」シリーズは、ネオナチのテロ組織が敵役ですが、こんなのがいつまでも続けられるはずがなく、しかもドイツ市場に輸出するときに苦労してしまいます。(ドイツで上映されるときは、犯人役はハンスではなく、普通のアメリカ人名前に吹きかえられているそうです)。

○余談ながら、ハリウッドが意外と悪役にしないのが日本です。これは西海岸には日系人が多い、日本市場は大のお得意様である、などの理由があるからでしょう。たとえばスピルバーグが戦争を描くとき、欧州戦線だと『シンドラーのリスト』のように深刻になるけど、太平洋戦線だと『太陽の帝国』のようにしみじみしたり、『1941』のようなコメディになってしまう。ハリウッドは伝統的に日本に甘いのだ。

○さて、ハリウッドにとって、強烈な一撃になったのは冷戦の終了です。東側の脅威がないと、「007シリーズ」だってネタに困ってしまいます。『ミッション・インポッシブル』(1996年)なんぞは、「もうスパイ映画は成立しなくなっちゃったよ。どうしよう」と告白するような内容でした。そこでハリウッドは、宇宙人を連れてくる=『インディペンデンス・デイ』、日本の怪獣を連れてくる=『ゴジラ』などの悪あがきを始めます。しかし、どうみても無理筋な話が多く、うまくいったとは思えません。

○そこでここ数年、テロリストや異常人格者を敵役に使う映画が非常に多くなっています。アンソニー・ホプキンス(『羊たちの沈黙』)やデニス・ホッパー(『スピード』『ブルーベルベット』)のような、コワイ役者が目立つようになりました。死刑制度を俎上に上げる(『デッドマン・ウォーキング』『グリーンマイル』など)といった手法も出てきました。これでいい映画は作れますが、万人に受けるような売れる映画にはなりにくい。だって分かりやすくないんだもの。

○「味方=善意で劣勢」「敵=悪くて優勢」という条件で、いくつもの友情や愛情に助けられ、最後は運にも恵まれて奇跡的な勝利を得る・・・・というのがハリウッドの黄金の図式です。あ、そういえば少年ジャンプも同じだな。「スターウォーズ」のように、架空の世界で悪を創造するのもいいが、できれば現代人が恐怖を感じられるような、リアルな「巨悪」を取り上げたい。でないと映画がつまらなくなる。

○しかし経済でも安全保障でも、アメリカ一人勝ち状態がこれだけ長く続くと、自分たちを本気で脅かすような存在がいなくなってしまった。その点、大企業を敵役にするなんてどだい無理な話で、なぜなら大企業はアメリカ人の生活を支えている一部なのだから。「強烈な敵がいなくなった」ことは引き続きハリウッドにとっては悩みの種となることでしょう。まことに贅沢な話で、アメリカ映画がつまらなくなるのは、もって瞑すべし、ってところかな。

○ところで、これを書きながら「サンデープロジェクト」を見てたら、「日経225を相手にするな」という話をしていた。あはは、とうとうそこまできたか。5月11日の「不規則発言」でも書きましたが、これって明らかな日経新聞社の落ち度ですからね。みなさん、日経平均よりもTOPIXですよ。お忘れなく。

○新しく<パラサイトの本棚>を作ったので、お立ち寄りください。



<5月22日>(月)

○森内閣の支持率が急降下。ここをご覧あれ。就任当時は4割台だったのがもう21%に。先週の「小渕さん効果」を、わざわざ「神の国」騒動で台無しにしてしまった感がある。5月18日にも書いたけど、とにかくフォローが悪い。もったいない話である。

○株も下がっている。日経平均は驚かないが、今度はTOPIXも道連れになってしまった。警戒警報だ。流れが悪すぎる。この先にどんな事態が待っているか。おそらく6月9日前後の1−3月期GDPはいい数字が出るだろう。アジア向けの輸出も好調だ。設備投資も順調に伸びている。しかし小渕政権が作った緩やかな景気回復の流れは、明らかに変調を来たしている。

○現在の日本経済は、麻雀にたとえれば、南1局で5000点くらい浮いているような状態。悪くはないのである。しかしチャンス手を逃したり、親で高い手をツモられたりで、イヤーな感じがしている。得てしてこういうとき、5順目あたりで無警戒な牌がドーンと当たられたりするもの。正直いって、何が悪かったのかは分かりません。しかし今年の2月から4月の間に、流れは変わったと思う。

○現在の景気が腰折れする、なんてことは正直いって信じたくないし、それらしい指標も見あたらない。でも、事ここに至ったからには、悲観シナリオを本線に置いて考えざるを得ないと思う。日本経済は、こういう状況を93年、95年、97年と3回経験した。同じようなことを覚悟しなければならないのでしょうか。

○かんべえのもとに届いている情報では、米国下院のPNTR法案審議は、予想外に賛成が多くて無事に通るとの見通しが出てきた。今週の"The Economist"誌などは、「PNTRは中国の自由のための投票、米国議会はこれを通すべし」と主張している。どうやら最悪の事態は避けられそうで、これは明るいニュースです。



<5月23日>(火)

○出勤途中、万年元気印のM青年に出くわしました。先方は駐在から戻ったばかり。いきなり、「疲れた顔して歩いてますね」といわれてしまった。そんなふうに見えましたかね。だとしたらまことに困ったものであります。

○共同通信社刊『秘密のファイル』を読み始めました。まだ上巻の3章あたりなのですが、とにかく面白い。著者の春名幹男さんとは、 『日本の外交政策決定要因』(PHP刊/1999年)で、ご一緒したことがあります。ジェトロの鷲尾さんを加えた3人が、このプロジェクトの経済問題担当でした。主査である橋本光平さんの呼びかけで、3人がPHPの会議室に集まり、弁当と缶入り烏龍茶(なぜかいつも2本あった)を片手に、延々と「1993年から95年にかけての日米経済摩擦」について議論をする。これが楽しくてしょうがないという、まことにオタクな世界でありました。

○春名さんの労作は、情報公開法によって米国の国立公文書館から入手した、CIAの日本関係ファイルを元にしています。日本発のノンフィクションにしてはめずらしく骨太な大作です。読み終える前から言ってしまいますが、これは間違いなく名作だと思います。こんな仕事をされた方が、自分の知り合いであると考えただけでうれしくなります。いつの日か、自分もちゃんとした仕事を残したいものです。

○そういえば近頃、ちゃんとした仕事をした記憶がありません。過去1年くらいを振り返っても、このHPを作ったことくらいしか思い浮かばない。まーったく毎日、何をしているのやら。これで疲れた顔して歩いていたのでは情けない限り。反省しばし。



<5月24日>(水)

○死んでから評価がうなぎ上りの小渕さんですが、こんなすばらしいコメントを寄せた人がいました。不肖、かんべえは見逃しておりました。修業が足りません。ここに全文があります。小渕さんが亡くなった5月14日日曜の当日、クリントン大統領が発表したもの。読めば一発で分かりますが、通り一遍のお悔やみの言葉ではありません。「ご自分で丹精された盆栽を頂戴したが、それがわれわれの同盟の生きた証拠」とあるくらいだから、ちゃんと自分の手で書いたのでしょう。

○泣かせるのはここのくだり。"He became known for imitating the art and skill of an orchestra conductor in finding harmony among people of different views." (彼はオーケストラの指揮者の技を真似るかのように、異なった考えの持ち主たちの中からハーモニーを見出すことで知られるようになった)。われわれが「政策は審議会に丸投げ」「何でも飲み込む真空総理」と呼んでいたあの人のことを、「オーケストラの指揮者」と評した。クリントンの「誉め芸」が際立つ名文句です。

○後段では、「(始球式で)サミー・ソーサが打てないようなタマを投げた」なんて話も出てくる。日本では評判の悪かったパフォーマンスも、しっかりアメリカ人の記憶には残っていたようだ。「若い頃のロバート・ケネディを訪ねた」という逸話は、とくに得点が高かったようだ。アメリカ大統領が、こんなに高い評価を寄せてくれた日本国首相はちょっといないんじゃないか。

○先日、岡崎久彦大使にお目にかかったときに、「以前に雑誌で“小渕外交は満点”と書いておられましたけど、その評価は変わりませんか?」と聞いてみた。答えは「対韓国は金大中が偉かった。対中国は敵失に救われた。対米国は沖縄県知事選挙で稲嶺さんが勝ったおかげ。でも実際にうまく行ったんだから。ご本人が亡くなられた今となっては、失点をつけようがない」とのことでした。これも独特の「誉め芸」といえましょうか。

○日本で「誉め芸」を売り物にしているのは、唯一この人だけ。誉めるのは悪口を言うより勇気が要る。かんべえもひとの悪口が大好きなことでは人後に落ちません。でも、悪口を言われてよくなった人はいない。もっと他人を誉めなきゃいけません。ということで、今日は他人の「誉め芸」を誉めてみました。



<5月25日>(木)

○何かのおりに、ふと思い出すさまざまな光景。かんべえが大学生だった頃、汚い男子用トイレにひとつだけ、味な落書きがあった。個室に入って戸を閉め、鍵をかける。するといやでも眼に入るような絶妙な位置に、その落書きは存在した。こう書いてあった。「よう来たな、まあ座れや」――このトイレはすでに、校舎もろともに廃棄されています。

○赤坂のとある土佐料理の店のトイレ。ここは男子用のきん隠しの上に、英語の表示が飾ってあった。"One step ahead. Your dick is not so long as you think."――思わず、「ほっといてんか」と言いたくなるのをこらえ、「待てよ、これはas you think じゃなくて、as you expectの方がいいかも」などと余計なことを考えてしまった。同工異曲の話はいろいろ聞くが、これが基本型。ただし今もあるかどうか、確かめてはおりません。

○シドニーといえば名物はオペラハウス。すごい建物だと思います。実はこれ以外はほとんど見るべきものがないフツーの街なんですが。さて、オペラハウスのトイレには、とんでもない表示があった。洗面所の脇に、細長い筒のような容器が設置されていて、そこにはこう書いてあった。「使用済み注射針はこちらへ」――オリンピックも近づいていますけど、かならずしも健全な街ではないんですよー。これから観光に行く方はちゃんとチェックしてください。

○千代田線赤坂駅のトイレには、こんな張り紙がしてある。「毎日きれいにお使いいただき、ありがとうございます。駅長」。こんなふうに書いてあったら、とても汚せませんね。飲んだ帰りの深夜に入ると、いつも感心します。「きれいに使ってください」と書くよりはずっといい。駅長さんの技能賞だと思います。



<5月26日>(金)

○広報という仕事を長期間やっていたために、本日の「神の国」記者会見のような事態は非常に興味深く感じます。テレビは見てないので、ネット上のニュースをざっと見ただけですが、予想通り失敗だったようです。総理ご本人は、「石原のが良くて、何で俺のは・・・・」みたいに思っているでしょうが、それは思い違いというもの(お二人は同じ福田派出身で同世代)。ご両人のマスコミ対策の力量は天と地ほどに差がある。

○まず、今日の時点で記者会見を設定するのなら、メッセージは短く「間違っていました、取り消します、ゴメンナサイ」でなければならない。翌日の新聞は「ほうら見ろ」と書くだろうが、これで一件落着になればもうけもの。値引きをするとき、退却するとき、慰謝料を払うとき、そして謝るときは、小出しにしてはいけない。相手が「えっ」と驚くようでなかったら、せっかくの妥協をする意味がない。

○今回のケースでは、森さんは国会答弁で「取り消さない」と言ってしまっている。それを取り消したら、また国会で騒がれる。それが嫌だったら、最初から「分かる人には分かってもらえる」と自分に言い聞かせて、黙っていた方がよかった。反撃して失敗に終わるくらいなら、しない方がずっとましである。

○「全文を読んでもらえば私の真意は分かるはず」――そもそも、これがエライ人が陥りがちな罠なのである。ニュースを見たり読んだりする人たちは、そんなに暇じゃないのだ。まして記者会見が長引いたりするようでは絶望的である。自分を撮っているカメラの向こうには、ものすごく横着でワガママな連中がいる。彼らには短いメッセージしか届かない。こう思わないとどんどん深みにはまっていく。

○反対に筆者が、「記者会見の受け答えがうまいなー」と感じている政治家に宮沢蔵相がいる。言葉は短いけど、いつもうまい具合に地雷を避けている。以下に一例を挙げる。

○あるときOECDだったかIMFだったかが、日本の経済成長率を高めに予測した。記者は「これをどう思うか」と聞く。「同感だ」と答えれば、「蔵相は不況の実態を分かっていない」と怒られる。「そんなことはない」と答えれば、「日本経済はやっぱり駄目か」「景気対策を打つか」という話になる。このときの宮沢さんの答えは、「たいへん励まされる思いがしますなァ」だった。記者は気づかずに次の質問に移ってしまう。だからニュースにはならない。ファインプレーとはそういうものなのだ。



<5月27〜28日>(土〜日)

○ゴール直前の逆転劇でした。決定的な力を持った馬がいない第65回ダービー、一番人気となったのは史上初のダービー三連覇を狙う武豊が騎乗するエアシャカールでした。このところ絶好調の武。皐月賞からこのかた、いいところを根こそぎ持っていくようなレースが続いている。もう日本には敵なしだから、アメリカに渡ろうかという話まである。別に含むところはないのだけれど、「今日は勝たない方がいいんじゃないか」と思った。ほかの騎手が歯がゆく思えてしまうではないか。

○第4コーナーを回って、エアシャカールは絶妙のタイミングで飛び出してきた。武の得意とするレース展開だ。「ああ、また・・・」と思った瞬間、後方からもっとすごい勢いで駆けてきた馬がいた。アグネスフライトだ。ゴールを目前にして両者が交錯する。武は自分を追うのが先輩、河内であることを知って、ちょっと力を抜いたように見えた。結果はハナ差、7センチでアグネスフライト。河内騎手は、ダービー出場17回目にしてつかんだ栄冠だった。

○ダービーは国産牡馬だけが、生涯に1度だけチャレンジを許される晴れ舞台。しかし今年は騎手同士のドラマとなった。これはこれで見ごたえがあった。武騎手は前人未到のダービー三連覇を逃したが、こういうのを「惜福」という。勝ちを譲ったように見えたのは、きっと気のせいなんでしょう。もちろん、エアシャカールの単勝を買っていた人は釈然としないでしょうが。

○されど競馬とはあくまで馬を見るもの。あんまり騎手が目立っちゃいけませんな。早いとこスターが出てほしいものです。スペシャルウィークが引退してから、グラスワンダーもやる気をなくしちゃったみたいだからなあ・・・。



<5月29日>(月)

○ちょっと先走った話をいたしますと、明日は4月の失業率が発表される日です。3月時点では4.9%でしたが、いよいよ5%になる可能性が大だと思います。だって4月分からは、全国数十万人の就職浪人がカウントされますから。もちろん4%台が5%台になったからといって、別段たいした違いはありません。日本の労働人口は6600万人もいるのですから。5%の大台に乗せたところで、マーケットの反応は少ないと思います。

○問題は政治的な効果です。「失業率5%」は野党を勢いづける数字です。これは森政権にとって新たな悪材料となるでしょう。先週行われた調査では、森内閣の支持率は共同通信29.6%、読売新聞27.9%、毎日新聞20%となっていた。就任当時はどこも4割台だったから、まさに激減といえる。さらに週末に行われたフジテレビの報道2001の調査では、支持率は16%と2割を割ってしまった。いかに金曜日の緊急記者会見が失敗だったかという証拠です。

○報道2001に出演した野中幹事長は、「あれは首都圏500世帯の電話調査でしょう」と居直っていた。しかし彼は事の重大さを理解しているはず。というのは、いちばんサンプル数の多いNHK調査でも、いいとこ2000世帯しか調べてはいない。世論調査というのはサンプル数が1000もあれば、どこでも似たような結果が出る。実はフジテレビの首都圏500世帯というのは、十分に信頼に足る数字なのだ。

○支持率が2割を割るというのは、歴代内閣から見て警戒水域。こういうとき、いちばん素直に反応するのは個々の自民党議員です。おそらく選挙戦の最中、森首相に応援演説を依頼する議員は極端に少なくなるでしょう。下手をすれば、1989年の参議院選挙での宇野首相みたいに暇を持て余すことになるかもしれません。その分、89年の参院選では、橋本幹事長が孤軍奮闘して自民党を支えた。これはその直前の天皇崩御の際に、実弟の橋本大二郎がNHKの皇室報道で目立ちまくった効果も手伝いました。今回は当時のように、国民的な人気を博する自民党議員はいない。キーマンの野中幹事長は、世論のバッシングのさなかにある。

○先週と今週で、事情は大きく変わったと思います。たぶん自民党は本気になっている。明日の失業率調査は、自民党に新たな悪材料を提供する可能性が大きい。鳩山邦夫を味方につける程度では、おそらく挽回は難しい。いよいよ総選挙で大番狂わせが生じるかもしれません。



<5月30〜31日>(火〜水?

○送別会やら、原稿の書き溜めやらがたてこんでおります。で、昨日は臨時休業となりました。明日はちょっと京都まで日帰り出張。懐かしい方々にも会えそうで楽しみです。

○先週号の「円の国際化」について、興味深い反応をもらっています。ひとつは、「大蔵省の内部は、この問題では全然まとまっていませんよ」というご指摘。よくある「局あって省なし」の典型ですが、国際局だけが「円の国際化」といい、金融局や主税局が動かないのじゃあ駄目でしょう。もうひとつは、「円の国際化をやるには、日本が輸入をバンバン増やして経常赤字国にならないと」というご指摘。ところが輸入を増やすということは、口で言うほど簡単なことじゃない、というのがアジア貿易の最前線からの証言です。いずれも勉強になるコメントでした。

○「オランダモデル」とか「円の国際化」といった、あまり話題にならないネタを取り上げるのも、本誌の役割かなと思っています。で、今週は「続・6月総選挙」を取り上げる予定。どうやって差別化を図るか、頭をひねりつつ考えております。





編集者敬白



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by Tatsuhiko Yoshizaki