●かんべえの不規則発言



2005年8月





<8月1日>(月)

日経CNBCの番組で打ち合わせ。今週金曜日の『三原・生島のマーケットトーク』では、三原御大がシカゴへ、生島ヒロシさんがドバイに行っちゃっていて、番組の主が2人ともいないのである。その日の出演を、伊藤師匠とかんべえで仕切ってしまおう、という話が進行中。どうです、この企画、面白そうでしょ。

「じゃあ番組名も『伊藤・吉崎のノット・マーケットトーク』に変えちゃおう」

〇などと伊藤師匠は無茶を言うのである。スタッフの方の笑顔は、とうの昔に引きつっているのだけれど、もちろん、そんなことを気にかける師匠ではない。メインのゲストがこの調子なので、台本はおろか、当日のテーマさえ決まらない。だんだん不安になってきたスタッフから、弱気な声が漏れる。

「吉崎さん、よろしくお願いしますよ」

〇まあ、ワシもA型人間の常として、物事が荒れると収拾役になることが多いのだけど、そもそも伊藤師匠がワシの言うことなんか聞くはずないじゃないですか。それに師匠には、先週の土用の日に、ウナギをご馳走になってしまっているから、ますます頭が上がらないのである。ちなみに、かんべえは供応、買収、接待などには弱い人間である。ウソだと思ったら、試してみられたい。

〇何しろ番組の当日は8月5日である。参議院で郵政法案が否決されたら、まずはその話から入らねばならぬ。可決されてしまったら、その時点で政局の話はどうでもよくなるので、そのときは伊藤さんの新著『日本力』を使って、「中国とインド、投資するならどっち?」みたいな話を展開すればよし。行き当たりバッタリ、出たとこ勝負100%である。金曜日の午後9時、日経CNBCをお見逃しなく(見逃した場合にも、土曜と日曜に再放送があります)。

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〇さて、郵政法案は、とうとう死者を出してしまいました。永岡議員の選挙区である茨城7区といえば、かんべえが住む柏市からは利根川を挟んですぐ近くです。自殺した永岡議員が、地元でどんなプレッシャーを受けていたことか、想像だにできません。しかし、これで「全特」と呼ばれる特定郵便局という存在が、とてつもなくおっかない存在だという印象が広がることは間違いないでしょう。ウチの近所の郵便局の人たちは、この事件をどう感じるのでしょうか。

〇その昔、郵政大臣を務めた頃の田中角栄が、全特に肩入れすることを決めたときは、「郵便局がアカに乗っ取られちゃかなわない」という角さんらしい思惑があったのでしょう。その点、世襲の公務員であれば、確実に保守勢力の味方になってくれる。その狙いは見事に当たった。しかし冷戦が終わって、労働組合が革命をあきらめて骨抜きになった今でも、政府として特定郵便局を応援する理由があるとしたら、それは自民党の都合でしかありません。角さんはたしかに偉かったけど、当時と今では事情が変わっていることが多いのです。

〇もっとも、気持ちは分からんではない。自民党の議員さんたちは、これまで選挙の際には(1)ゼネコン、(2)市町村関係者、(3)郵便局などを、ボランティアで使うことができた。しかし公共投資を減らしたことで、まず(1)が使えなくなった。次に町村合併のお陰で、(2)も大幅に減りつつある。それぞれの市町村には、首長さん、助役さん、出納長さん、議長さん、総務課長さんなど、タダで使える選挙要員が大勢いたものだが、仮に4つの市町村が合併した瞬間に、選挙のボランティアは4分の1に減ってしまうのだ。

〇その上で、今度は(3)郵便局長さんたちも敵に回してしまうと、いよいよ頼れるものは公明票だけになってしまう。あるいは民主党と同じように、風任せ選挙をやらなければならなくなる。議員さんたち一人一人は、そんな切実な不安感を抱えているのでしょう。郵政法案が揉めている背景として、この点は無視できないものがある。

〇もうひとつの問題は、いうまでもなく小泉さんの政治手法です。ブッシュさんとも共通することですが、政治家なら誰でも考えるような「足して二で割る」手法をとらない。敵と味方を峻別し、敵を罵倒して孤立させ、味方をガチガチに固め、一票差でも勝ちは勝ち、という手法を好む。連戦連勝しているうちはいいが、敗者には屈辱が積もり積もって、しまいには理不尽な抵抗を示すようになる。最近の米国民主党などは、「ブッシュのやることには何でも反対」になってしまい、とっても保護主義的な政党になってしまった。郵政反対派としても、たぶんに法案の中身より、「これ以上、馬鹿にされてたまるか」という素朴な気持ちの方が強いのではないか。

〇不思議なことに、「敵・味方方式」は世界的な政治の潮流になっているようで、中国の共産党内の対立なんぞも、この図式が当てはまるような気がする。時代の流れは「不寛容」。政治家は現実的で柔軟であるよりも、みずからの信念に忠実で、「ブレない」方が誉められる。なんでそんな世の中になってしまったのかは、相変わらず良く分かりませんが、「ネオコン的」な政治集団が多くなったものです。

〇ともあれ自殺者が出てしまったことで、「郵政法案に反対する新党の発足」は非常に難しくなったでしょう。いつもの角谷浩一氏に聞いたところによれば、「亀井新党なんて、もともと可能性はゼロ」だったらしいのですけどね。


<8月2日>(火)

〇カルガモで有名な大手町の某商社では、クールビズ導入と同時に設定された28度Cの社内温度に、社員は6月からずっと途端の苦しみであるという。とくに眺めのいい皇居側は西日が当たるので、夕方になると気温が上昇し、とくに窓際の席の管理職からは、「(日陰になる)平将門の首塚側が羨ましい」との声が出るのだそうだ。ああ、よかった、ウチは雑居ビルで。

〇中国経済の在庫は、象の墓場のようなものだ。どこかにあるはずなのに、誰も見た者がいない。見てしまった者は、2度と再び帰って来れなくなるのでしょうか。

〇サウジアラビアのファハド・ビン・アブドルアジズ国王死す。「建国の父アブドルアジズ初代国王の息子の一人として、一九二三年(推定)にリヤドで生まれた」。(推定)、というのがスゴイ。本当に砂漠の民だったのですね。それにしても兄弟相続という彼らの制度は、何とかならんのでしょうか。またしても高齢の国王と皇太子が誕生してしまう。「新国王は81歳前後、新皇太子は77歳前後と高齢だ」

〇ジョン・(ネオコン)・ボルトンが国連大使に。休会中であれば、議会承認がなくても大使任命が出来る(ただし任期は短かくなる)なんて、そんな裏技があるなんて知らんかったぞ。まあ、せいぜい国連を荒らしていただきたいものだ。ちなみに8月1日から、安保理の議長国はわがニッポンである。

〇読者の方からいただいた、某郵便局員のMLにあったという書き込みをご紹介。

>  郵政法案の参議院本会議まで、残りわずかとなってきました。
> 与党の議員の方へのメール及び手紙がやっと半分程度。これからは、
> メールで最後の最後まで、訴え続けたいと思います。 
>
> 〒〒〒〒〒〒〒〒〒 \(^o^)/ 〒〒〒〒〒〒〒〒〒〒〒

〇訴えるのはいいけど、死なすんじゃないぞ。


<8月3日>(水)

中国海洋石油、米ユノカルの買収提案を撤回

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中国海洋石油公司はこのほど、同社が米石油大手ユノカル社に対する買収提案を撤回したと宣言した。

中国海洋石油は「ユノカルを買収すれば、急速に発展するアジア市場において、実力と業績に優れる石油天然ガス会社をつくることになり、両社の株主と職員の利益に合致する。友好的な形により、ユノカルが規定する手順に従って、ユノカルの買収に名乗りを上げた」と述べた。

撤回宣言によれば、中国海洋石油はユノカルに対し、同社の全流通株を現金185億ドルで買収すると案を提示し、十分な資金を用意した。提示額は米石油2位のシェブロンが示した10億ドルを超え、ユノカルの株主にとっては価格的な優位性があった。中国海洋石油は一連の措置の提案と同意により、取引の確実性と、同社の買収提案に対するユノカル株主の信頼感向上に努めた。さらに、買収に必要となるエクソン・フロリオ修正条項への適合性審査については、米外国投資委員会による審査を自発的に要請し、ユノカルの在米資産に対する措置を約束するなど、米外国投資委員会の要求に応じてきた。

中国海洋石油は撤回宣言の中で、「現在の状況で買収作業を続けることは、すでに株主の最大の利益ではなくなっていることから、ユノカルへの買収提案を撤回することを決定した」と述べている。(編集SN)

「人民網日本語版」2005年8月3日

http://j.peopledaily.com.cn/2005/08/03/jp20050803_52341.html 


〇いやあ、人民日報、悔しそうな書き方ですね。でも、天下のシェブロンさんが、たった10億ドルでユノカルを買うわけじゃありません。ちゃんと160億ドルの提示をしていますから、後で訂正しておいた方がいいですよ。さらに言いますと、シェブロンの提案では買収資金の一部を株式で支払うことになってますから、買われるユノカルとしてはその方が節税対策になるんです。もうひとつ難癖をつけますと、CNOOCが「株主の最大の利益ではなくなっている」と言っている株主とは、中国政府のことであります。彼らが買収のために提示した185億ドルも、一部は「公的資金」なんですよね。そういうところが、米国議会の疑念を呼ぶわけなんですが、この辺のことが分かっているのでしょうか。

〇などと、ついつい書きぶりが「チナオチ」さんみたいになってしまいます。なんとなれば、この問題に関しては、中国はとってもイタいのです。彼らは、一生懸命「われわれは資本主義のルールに則ってM&Aをやっている」という姿勢を見せているわけです。にもかかわらず、ときどき「お里が知れる」行為も出てしまう。最終局面、CNOOCはユノカルの取締役会に対し、「カネは出すから米国議会を説得してくれ」などと言ったそうです。分かってませんねえ。

〇CNOOCの不幸は、おそらくアドバイザーにゴールドマンサックスなど米系投資銀行を抱えていることでしょう。彼らは「ユノカルはダメでしたが、今度は米大手X位のXX社があります。今度こそ買収を成功させましょう」などと言って、次のお誘いを持ってくる。そうやって何度も顧問料を支払っているうちに、骨までしゃぶられてしまうんですよ。そういうこと、日本人なら、ちゃーんと知っているんですけどね。

〇そんな風に、石油でカモられるだけではありません。六ヶ国協議での精勤ぶりも、ほとんど涙ぐましいくらいです。先週から、中国はずっとエンドレスで会議の議長役を務めています。過去3回の対応とはえらい違いです。ああ、なーんだ、それと引き換えに「2%」で勘弁してもらったのかと急に腑に落ちる。

〇六カ国協議については、本誌で何度も指摘してますが、アメリカは今回は本気です。無理に合意したところで、得るものは少ないでしょうし、最悪、ライス長官が非難を受けるおそれもあります。それでもこの際、「北朝鮮問題は外交で決着させる」ことを目指しています。でないと、中東問題に取り組めない。イランは案の定、面倒くさいことを言い出しているし。

〇胡錦濤政権としては仕方がないのでしょう。自国経済の先行きは不安だし、軍部に睨みは効かないし、アメリカと正面きって喧嘩をすることも出来ない。ということで、アメリカにカモられたり、こき使われたりしている。なおかつ、この状態は米国内では「対中融和策」と見なされていて、ペンタゴンあたりでは「貸しだよ」とうそぶいているはずである。米中摩擦はやっぱり「秋の陣」がありそうです。


<8月4日>(木)

〇このところ、日経文化面、「あいるけ」こと「愛の流刑地」がちょっと面白くなったきたと思う。かんべえは、よその男女の恋愛模様など知ったことではないので、ふだんはほとんど読んでいないのだが、先日から「作家と出版社の関係」がストーリーの表面に出てきたので、ここ数日はちゃんと読んでいる。

〇元流行作家の主人公が、激しい恋愛(不倫)体験をもとに、久々に自分でも納得の出来る作品を書き上げる。信頼する周囲の人間に読んでもらったところ、皆が誉めてくれる。ところが出版社では相手にされない。哀れ主人公は自信作に対し、「今の読者のニーズにあわない」「出版社も今は大変で」「昔の作風と変わっているのが惜しい」など、いろんな言い訳を聞かされる。ああ、明日はもっとキツイ言葉を浴びせられるんじゃないかと思うと、なんだか楽しみであったりする。(やっぱりワシは性格が悪いようである)。

〇実際、今の出版界は、職業作家にとってはなかなかに厳しい時代であるらしい。たとえば図書館に難癖をつけるモノ書きがいたり、知的財産権にご理解をと訴える作家がいたりする。大作家であっても、初版の刷り部数はどんどん減っていると聞く。かと思えば、素人や芸能人が書いた中身がスカスカの本が、何十万部も売れていたりする。「あいるけ」の主人公のように、「昔は売れていたが、最近は泣かず飛ばずの作家」が本を出そうとしても、そうそうチャンスは回ってこないかもしれない。

〇最近読んだ、日垣隆『売文生活』(ちくま新書)によれば、筒井康隆先生がこのことで出版社に文句を言っているらしい。でも、それって単なる需給関係の問題なんで、プロの作家への需要が本当に減っているのだと思う。ワシも10代の頃は筒井作品をほぼ全部読んでいたものだが、虚構船団あたりで力尽きてしまい、その後は『噂の真相』のコラムすら読まなくなった。あるいは立花隆氏は、秘書を解雇しただけでは済まなくて、とうとう「ネコビル」のローンが払えなくなったとも暴かれている。(ホントかどうか、今度、この人に聞いてみよう)。とまあ、その辺の大先生が、結構、困っているらしいのである。

〇作家とか大学教授という職業は、昔はもっと仰ぎ見るような存在であった。三島由紀夫なんぞは、死んだら本当に時代が変わったように感じられたそうである。また、新潮新書さんで聞いた話では、昔は新書を5冊も出すと、それだけで悠々と食えたのだそうだ。昨今は「カリスマなんとら」がもてはやされる時代なのに、その手の作家は減ったものである。今でも名前だけで本が売れるのは、ダブル村上と五木寛之くらいでしょうか。それともワシが知らないだけで、もっと大勢生き残っているのでしょうか。

〇活字媒体の衰退は、昨日や今日に始まったことではない。まずはテレビというお化けメディアの誕生がある。次に読者の側が、難解な作品や分厚い本を避けるようになったことがある。その上に、タレントやスポーツ選手などの「異業種参入」があり、出版社の過当競争や前近代的な流通制度などの構造問題がある。加えて今では、「本を読みたい人」よりも「本を書きたい人」の方が多くなってしまい、そういう人はとりあえずブログを始めちゃったりして、ますます本を読む時間がなくなってしまっている。今後はさらに、少子化も追い討ちをかけるはずである。なにしろ、日本語というマーケットの中で勝負をしなければならないのだから。

〇こんな時代に本を出すことはどんな意味があるのか。出版というビジネスや職業作家というスタイルは存続できるのか。などなど、考え始めると切りがないのである。(実はかんべえの2冊目の本が出ます、という宣伝を書くために始めた文章なのだが、長くなり過ぎたので、明日に続きます)。


<8月5日>(金)

〇「あいるけ」の菊治氏には、案の定、今朝の回できびしい発言が寄せられてました。あれは渡辺淳一先生による、現在の出版界を取り巻く環境への不満表明であるのかもしれません。そんな出版事情の中にあって、幸いにもかんべえは新潮新書から2冊目の本である『1985年』を出すことになったわけですが、その話はさらに先へ引っ張ることとして、さしあたって問題は今日の永田町であります。

〇郵政法案は否決の流れが濃厚になってきました。やはり永岡議員の自殺が大きかったようです。郵政法案に反対していた亀井派の議員たちにとって、「ひょっとすると、自分たちは仲間を死なせたかもしれない」ということは、絶対に認められないことでしょう。これが結果的に彼らの退路を断った。もはやこれは「政局」などというものを越えて、小泉首相対亀井派の「KK戦争」でしょう。互いにチキン・ランから降りられなくなった。この先、解散・総選挙までは一本道でしょう。

〇問題は総選挙で、造反組がどうなるかです。アンチ小泉新党を立てなければなりませんが、本当にそれができるのか。新制度で行なわれた総選挙は、1996年、2000年、2003年と3回戦われましたが、そこから浮かび上がる重要な法則は「党首のイメージが重要である」ということ。なにしろ比例代表がありますし、小選挙区の議員たちも「重複立候補」という保険があるのとないのではエライ違いになる。小泉、岡田に対抗できるような党の顔を立てなければならないが、そういう人物がいるかのか。あるいは決められるのか。

〇彼らの期待は、なんだかんだいって、小泉さんが解散をあきらめてくれることなのでしょう。でも、小泉さんという人は、過去のパターンを見る限り、政策では柔軟に妥協するけれども、政局では妥協しない人である。むしろ「死に場所を見つけた」とみずからを高揚させてしまいそうな気がする。そして選挙になれば、おそらく小泉さんは強い。

〇この週末はいろんな駆け引きがあるのでしょう。しかも六カ国協議や国連安保理問題で、大きな動きがありそうな時期でもある。まるでめくりっこ勝負のような乱世。考えてみれば、政治改革法案が成立した1994年からはもう10年以上たっている。そろそろ政界再編の最終章があってもいいんじゃないか。とりあえず解散総選挙になった場合、今までとは違って、比例代表ではあまり悩まずに「自民党」と書けるような気がしている。


<8月6〜7日>(土〜日)

〇首相公邸前での森さんのボヤキを、テレビでフルシーンを見てしまいましたが、なんともいえぬ哀愁とおかしみがあって、とてもいい味でした。いやもう、「変人以上」(=「ほとんど狂人」)の小泉首相と、缶ビールとウーロン茶を飲みながら1時間20分。つまみが情けないと文句を言うだけならともかく、干からびたチーズを持ってきて記者団に見せるアンタも相当に情けないけど、やっぱり森さんって、とってもいい人なんだあ、と感じさせたコメントでした。(産経新聞のテキストによる)


■首相「おれの信念だ」/森氏「さじ投げた。変人以上」

 「衆院解散による政治空白は、経済、外交への影響が大きすぎる。やっちゃあいかん」と迫る森喜朗元首相に、「おれの信念だ。おれは殺されてもいい」と言い放った小泉純一郎首相。

 週末は首相公邸に一人でこもり、今後の政局対応を熟考する腹積もりの首相だったが、六日夜、森氏が突然来訪し、食事抜きで約一時間二十分にわたって激論をかわした。

 森氏は会談後、記者団に「さじを投げた。ここまでくると変人以上だ」と“絶縁宣言”した。

 森氏が首相公邸を訪ねる前、首相は郵政民営化法案が否決された場合でも衆院解散を断行しないのではないか、という憶測が一時、流れていただけに、首相は自ら退路を断ったといえる。

□激論80分…森氏の発言要旨

 森元首相が六日、記者団に小泉首相とのやりとりを明かした発言要旨は次の通り。


 自民党のみんなが心配してる。国民も心配してる。もう少し、何か知恵があってもいいんじゃないかというのがみんなの声じゃないか。私も昨日今日といろんな人たちと会って意見聞いてもみんな、やっぱりそう(解散を回避すべきだ)ね。政治家だけでなく経済界も。

 (首相が)すしぐらいとってくれるのかと思ったら、出てきたのは世界各国のビール。公邸にこれしかないんだって自分で抱えてきたよ。ビール十本を二人で飲んで、なくなったからもうビールないのかと聞いたら、ないと。冷蔵庫開けてみろといったらない。それで持ってきたのがウーロン茶。出してくれたのは、ひからびたチーズと、サーモンみたいなもの。それしかない。かんだけど硬くて食べられない。こんな待遇で一時間半も。

 はっきり言って、おれもサジ投げた。みんな努力してあんたの意見に賛成して、(郵政民営化法案に)反対の人までが賛成して、それで解散やってその人たちを苦しめて何の意味があるんだって言った。

 (首相は)おれの信念だ。おれは殺されてもいい。それぐらいの気構えでやっている。だから可決するために努力してくれ、と手を握られた。(法案)可決のため努力した人たちが路頭に迷うようなことがあったら君はどう責任とるんだ、と言ったら(首相は)仕方がない。おれは総理大臣だ。おれは郵政民営化をやるって言い続けてきた。だから絶対に通してくれ。可決のために努力してくれ。解散を好んでやるわけじゃない。

 いろんなことを私は説いた。国連、六カ国協議、北朝鮮、プーチン露大統領来日、予算、経済も。これだけ問題抱えて、政治空白、これだけは政治家として容認できない、やっちゃいかんと。そう言ったら(首相は)可決してくれれば問題ないと。もういっぺんよく考えてみてくれんかと言ったら、変わらないと。もうこうなると変人以上だな。

 (けんか別れかと記者団に問われ)けんか別れなんてしないよ。そんなもん、仕方ないじゃない、同じことを繰り返しているだけで。もうちょっといてもいいと思ったけど、ビールはなくなったし、お茶もなくなったし。歯が痛くなるようなこんなもん食わされて。腹も減ってくるし。

 (首相を支えるかと記者団に問われ)個人の情としてわからんではないけど、仲間もいるし。党のみんなも私も苦労して野党から与党に戻して、党を大事にしてきた。そう考えると、小泉さんにいつまでもこだわっていてもいかんなという気持ちにもなりかねない。むなしい、わびしい気持ちもある。長い政治生活でひょっとしたら(首相と会うのは)これで最後かもしれん。

 (解散を阻止するのかと問われ)僕は何も権限はない。解散阻止なんてできない。何かいい案があったら教えてくれよ。


〇どうやら明日は、郵政法案を否決した上で解散・総選挙になりますね。しみじみ思うのですが、10年前の政治改革法案のときと同じで、政治家がこれだけ成立を忌み嫌う法案というものは、きっと成立させる意義がある。できれば今夜、何かすごい知恵が飛び出して、郵政法案を可決してくれたらいいなとは思いますが、それはちょっと無理筋というものでしょう。幸い景気は上向き。六カ国協議も延期。政治の空白は結構なので、早いところ投票をさせていただきたいと思います。


<8月8日>(月)

〇わが阪神タイガースは、いよいよ尻に火がついてきて、中日とのゲーム差はわずかに1.5。しかも死のロードが始まってしまっている。過去のジンクスから言っても、「阪神優勝なら景気回復、中日優勝なら政界激震」ということになっていて、おそらく前者になってくれるだろうと思っていたが、やっぱり後者かも知れぬ。やれ困ったとは思うものの、それでもこれで政界がスッキリするのなら、阪神優勝はあきらめてもいいかもしれない。優勝は一昨年見たし。

〇7月11日の当欄で、下記のようなことを書いたら、一部ではとっても評判が悪かったのだけど、ホントにこの通りになってしまうんじゃないでしょうか。今日の解散・総選挙はそのための第一歩になると思います。


〇さて、永田町の政局の行方がどうなるかといえば、なんだかんだいって、最後は国民がもっとも望んだ形に収まるというのが、かんべえの予測です。永田町の政局ドラマは、ときに意外な結末を迎えることがありますが、本当に国民の意に反することには滅多にならないというのが長年の経験則。1994年の村山政権誕生も、2000年の加藤政局も、その当時は「何だそれは!」と怒りを買ったものですが、後から考えるとそれが自然であったように思えてくる。その辺が日本政治の玄妙なところではないかと思うのです。

〇おそらく今回の政局で国民が望んでいるのは、「民営化反対議員たちの末路哀れな姿を見ること」ではないかと思います。だって彼らの姿を見ていると、「憤兵は敗る」の名言を思い出してしまうんだもの。途中経過がどうなるか、郵政法案がどうなるかはさておいて、最終地点ではきっと彼らにとって残酷な結末が待っていると思いますよ。


〇8月30日公示、9月11日投票日だそうですが、今日の時点でいろいろ盲点になっていそうなことを列挙しておきましょう。

(1)六カ国協議

たまたま政局と重なったのですが、「合意」でも「物別れ」でもなく「休会」になっている、という点が要注意です。すなわち、「月末まではお休み」なんです。つまり、最大の外交課題が政治的空白を許してくれている。国内景気は順調だし、もともとが夏休み中なのですから、ここで選挙することが許されるのです。仮に六カ国協議が合意ないしは物別れであれば、こんな呑気なことは許されなかったでしょう。

しかもですな、これが休会中ということは、自動的に小泉首相の8月15日靖国神社参拝の可能性が消えるのです。ここで参拝しようものなら、中韓はもとより、アメリカからも「協議をつぶす気か」とお怒りの声が飛ぶでしょう。小泉さんは、左派に嫌われる材料を消すとともに、みずからの支持基盤である右派に対して「行けないけれども、そこは察してくれ」と言う材料ができる。小泉豪運伝説は続いていると思います。(それでも逝っちゃうかもしれませんけどね)

(2)新党結成

郵政法案に反対する議員たちは、新党を結成できるのか。8月末までの時間内で、党名を決めて、党首を決めて、規約をつくり、政策を決めなければならない。たとえば対中関係をどうしますか、と言った瞬間に内紛が始まりそうだ。何より、これまで何の準備もしてなかった点が痛い。新党が政党要件を満たすためには、現職5人の議員が必要になるけれども、衆議院議員は全員今日の時点でクビになってしまった。政党助成金をもらうためには、5人以上の参議院議員に自民党を離党してもらわねばならない。郵政法案に反対する議員は20人以上いるようですけど、離党する勇気がある議員がそんなに居ますかね?

新党ができないのであれば、自民党公認が得られない人は無所属で出なければならない。綿貫さんは大丈夫でしょうが、選挙が弱い大物議員は大勢おりますぞ。なにしろ、重複立候補による比例での救済措置がないのだから、保険なしの勝負になる。また、小泉自民党側から見ると、新党が立たないのであれば、比例代表の票はそっくり「自民党」が吸収できるわけで、これは民主党との決戦を考えると大きな支援材料といえる。

(3)チャイナ・ファクター

選挙期間中の9月2日は日本が降伏文書に調印し、終戦詔書を発表した日である。国際標準の「終戦60年」は、8月15日ではなくて9月2日なのだ。そして中国にとっては、この日が対日戦勝記念日となる。さて、この日の中国政府は、日本の選挙に対してどんな発言をするのだろうか。彼らは小泉政権の継続を望んでいない。果たして内政干渉まがいの発言を我慢できるだろうか。

1996年と2000年の台湾総統選挙において、中国は介入するようなことをして、望まぬ結果を招いてしまった。その経験に学ぶのであれば、ここは無視しなければならない。仮に「民主党政権の誕生を希望する」などと言い出した場合、それは確実に逆効果になるだろう。逆にいえば、小泉自民党は、「反中票」を追い風にするチャンスがあるということだ。

(4)自民党の変質

今回の郵政法案は、自民党政調会による法案の事前審査制をパスし、自民党総務会での全会一致原則も壊してしまった。そして、「首相がその気になれば、いつでも解散できる」ことも立証してしまった。今後の自民党総裁は、ものすごい強力な権限を持つことになる。もちろん自民党が政権の座にある限り、ということだが。

それくらい、今日の解散は歴史に残ると思う。解散証書に全閣僚の花押を得るためには、反対する閣僚を全員罷免して、自分が兼務しなければならない。過去には、それができなくて解散を思いとどまった例がある。ところがさすがは小泉さん、派閥の推薦ではなく、自分で選んだ閣僚であるだけに、遠慮なく通してしまった。

ところでウチの配偶者は、島村農水相がちゃんと辞表を出したのに、わざわざ罷免してしまった小泉さんは心が狭いと呆れておりました。確かにその通りではあるが、これもひとつの前例になるのでしょう。ちなみに島村氏の立場になってみれば、「農水相を辞任しました」というより「農水相を罷免されました」と言った方が、選挙では同情票が集まって有利かもしれない。(大きなお世話ですが)。

ともあれ、今回のことで、従来の自民党のルールが大きく歪んでしまったことは間違いありません。「小泉政権下で、自民党の良さが失われている」という反対派の議員たちの気持ちは、たしかに分からないではない。でも、郵政法案さえ通しておけば、解散にはならなかったのだし、こんな前例はできなかったはずである。今回の事態を招いたのはほかならぬ彼らである、という点がまことに残酷な展開であるといえましょう。(もちろん同情はしませんが)。


<8月9日>(火)

Rietiのブラウンバッグランチで、阿川尚之さんが講師を務めるというので久々に出かけてみる。テーマは「民間から見た日米関係、外交官としてみた日米関係」。阿川さんは在ワシントン日本大使館の広報担当公使として、2年9ヶ月の任期を終えて帰国したところ。お会いするのは久しぶりである。大勢来ていたけれども、案の定、こういうときの常連の姿がチラホラ。日本の親米コミュニティというのは狭いのである。

〇アメリカでは日本への関心が薄れているというけれども、寿司にアニメに野球といったソフトパワーが注目されている。逆に日本でも、アメリカへの関心が低下しているんじゃないだろうか、というご指摘があった。なるほどと感じたのでつい手を挙げて、「でも、アメリカが嫌われているのは、世界的な傾向じゃないでしょうか」と発言し、ああ、これは答えにくい質問だったかなあと、言い終えてから気がついた。阿川さん、もちろん上手に答えられましたけど。

〇日本人のアメリカ嫌いというのは、イスラム圏やフランス、ドイツの反米機運と比べるとはるかにマシな状態でしょう。それでも、たとえば「郵政法案は350兆円を外資に売り渡すことになる」みたいなことを、反対の理由にしている国会議員がいる。金融の世界の人たちから見れば、これはもう冷笑するか黙殺するしかない議論であって、「9/11はユダヤの陰謀」みたいな話です。それでも「何となく反米」という土壌があるからこそ、こういう言説が力を得る。

〇それにしても、「350兆円が奪われる」ってのはどういうロジックなのかが分からない。仮に郵貯より利回りのいい外資に資金が移動するとして、それは日本の預金者にとってハッピーなことでありましょう。それとも、「振り込め詐欺」のような手口で、預金者が自分の意思を超えて預金を騙し取られるのでしょうか。(別に教えてくれなくてもいいですけど)。ちなみにかんべえの場合、邦銀と郵貯とシティバンクに預金を分けてますけど、民営化になったところでそれらを移し変えるつもりはありません。

〇夜は東京財団の会合で、ここでも日本外交がテーマ。(昼も夜も一緒というメンバーが4人も居た。まったく、なーにをやっているんだか)。

〇この分野で最近流行のテーマは、「広報外交」(いわゆるPublic Diplomacy)。これにはアメリカも日本も苦労している。要するに、「中東における反米」や「中国における反日」にいかに対処するか。もちろん、特効薬も方程式もありません。とりあえず、日本外交は広報をもっと上手にやりましょう、という話になる。ただし、広報ベタは日本の組織に共通の課題であるし、英語ベタという悩みもある。

〇ひとつの方策として出てくるのが民間人の起用。実際に阿川さんの存在は、日米関係に大いに役立ったことでしょう。その阿川さんが、この春に慶応大学に戻った。その代わりというわけではありませんが、先月までワシントンにいた谷口智彦さんが、今月から外務副報道官になりました。今夜、久しぶりにお会いしました。ジャーナリストから国家公務員になって1週間、案の定、カルチャーギャップが大きいようですが、日本外交のために大いに活躍してほしいものです。

〇ひとつだけ残念なのは、あの洒脱な谷口さんの文章が読めなくなったことです。このコラムの連載も終わってしまったし。谷口さん、ナイショでブログでもやりませんか?


<8月10日>(水)

〇拙著『1985年』の試し刷り10部が届きました。書店に並ぶのは来週後半くらいになると思います。すでにアマゾンなどでも、ぼちぼち情報が掲示され始めています。

●アマゾン(まだ「在庫切れ」になっています)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106101300/qid=1123551631/sr=8-3/ref=sr_8_xs_ap_i3_xgl14/250-6759083-4351417

●セブンアンドワイ(「1〜3週間で発送」になっています)

http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31577271 


〇ちょっとフライング気味ですが、本書の紹介文などを載せておきましょう。

『1985年』(新潮新書) 680円

プラザ合意、ゴルバチョフ登場、阪神優勝、日航機墜落、金妻、スーパーマリオ・・・・。
この年、日本も世界も大きく姿を変えた――。


右肩上がりの発展を続ける戦後日本がたどり着いた「坂の上の雲」。それが1985年という年だった。プラザ合意、米ソ首脳会談、NTTの誕生・・・・この年を境に日本と世界は確実に姿を変えていく。阪神優勝、日航機墜落事故を始め、忘れ難い出来事もたくさんあった。「過去」と言い切るには新しく、「現在」と言うには時間が経ち過ぎた時代の記憶は、妙に苦くて懐かしい。愛惜の念と共に振り返る、「あの頃」の姿。


目次より

第1章 政治 中曽根政治とプラザ合意
第2章 経済 いまだ眩しき「午後2時の太陽」
第3章 世界 レーガンとゴルバチョフの出会い
第4章 技術 つくば博とニューメディア
第5章 消費 「おいしい生活」が始まった
第6章 社会 『金妻』と『ひょうきん族』の時代
第7章 事件 3つのサプライズ


〇ということで、かんべえは明日から1週間の夏休みです。明日はおそらく新潟県で更新の予定。


<8月11日>(木)

〇新潟県南魚沼市にある国際大学の信田先生宅に来ています。南魚沼コシヒカリとスイカ畑に囲まれた洋風邸宅で、温泉に行ったり、バーベキューしたりと、まことに結構な休日であります。ただひとつ結構でないのが、PHSの電波が届いていないために、ドコモのFreeDを使っているかんべえのPCが、インターネットにつながらないことでありますが・・・・。

〇本日付の読売新聞紙上で、「解散総選挙をどう考えるか」というテーマで、信田さんと山口二郎北海道大学教授(雪斎どののご師匠さん)の対論が掲載されています。面白いことに、これまで小泉政権に批判的であった山口教授が、「政策の是非をめぐって解散するのは日本政治としては画期的」と肯定的であり、従来小泉支持派であった信田さんが、「リーダーシップ論としてはけっして誉められない」と否定的意見であること。まるで右と左が入れ替わったように見える。

〇政策に重点をおいて考えると、日本政治が英国ウェストミンスタースタイルに一歩近づいたということになり、山口先生のような評価ができるでしょう。逆に政治に重点をおいて考えると、普通に手続きを踏んでおけば、郵政法案は可決したはずなのに、党内や国民への説得を欠いたために失敗し、それで解散するのはおかしい、という信田論になる。(ちなみに信田さんは、この機に反小泉になったというわけではありません)。

〇両者の意見は、従来の日本型政治システムをどう評価するかによって分かれてくるのだと思います。民主主義のルールとして未熟である、と思えば、政策を軸にして国民の信を問う今度の解散は一歩前進である。逆に、「自民党の知恵」と呼ばれるあの方式は、あれはあれで筋が通っていたのだと考えるならば、今回の小泉さんのやり方はおかしいといえる。

〇たとえば小泉さんが本心から郵政法案の成立を望んでいたのであれば、まずは亀井さん、堀内さんなどの大物を、党三役や閣内に取り込んでおけば良かった。彼らは本心から郵政民営化に反対しているというよりも、自分たちにいい思いをさせようとしない小泉さんに一泡吹かせたかっただけなのですから。あるいは、最終段階で小泉さんが、みずからの退陣と引き換えに法案の成立を要請しておけば、やはり法案は成立していた可能性が高い。小泉さんは自分の信頼が置ける後継者を指名し、影響力を残しつつ、郵政法案の実現を見届けることもできたはずである。

〇ところがそうはしなかった。どうやら小泉さんにとって重要なことは、郵政民営化の実現よりも、むしろ自民党をぶっ壊すことであったように見える。実際に今回の政変において、自民党の制度はいくつもぶっ壊れた。政調会における法案の事前審査制度、総務会における全会一致原則、そして閣議における解散を、首相の一存で決めてしまうことも。これらは法的な裏づけのない単なる慣習であるのだけれど、「みんなが何となくそう思っていること」はすべからく制度というものであります。慣習を壊すことは容易ではなく、最初に壊した人はものすごい非難を覚悟しなければならない。

〇喩えていえば、ちょうど10年くらい前であれば、大企業が社員の解雇を決めたときには、世間は非難轟々でありました(パイオニアほか)。今では何万人のリストラであろうが、「ふーん、それで?」になってしまいました(三洋電機ほか)。制度変更とは、人々の認識を変えることなのです。

〇郵政法案に反対した議員の多くが、「まさか小泉さんは解散しないだろう(できないだろう)」と見ていたことは、今となってはまことに馬鹿げた勘違いであったように思えます。しかし、閣議の反対を押し切ってまで、小泉さんが解散してしまうということは、従来の永田町の常識では考えられないことだったのでしょう。解散に反対する議員を全員罷免して、それを全部自分が兼任し、解散証書への署名を求める。理屈では分かっていても、その通りにはなかなかできないものだ、というのが過去の経験則でありました。

〇ところが小泉さんはそれをやってしまった。解散に反対した島村農相はしっかり罷免した。なんとなれば、小泉内閣の閣僚は全員が「一本釣り」で決めた人でしたから、遠慮なくクビが切れるのです。これが派閥の推薦で上がってきた閣僚であったならば、そこまではできなかったかもしれません。この点に多くの人が気づいていなかった。制度の変更はちゃくちゃくと進んでいたのです。

〇自民党、あるいは日本政治の制度が大きく変わりつつある。小泉さんの「自民党をぶっ壊す」公約は、着々と進行中であるらしい。それが良いことか悪いことなのかは議論の分かれるところでしょうが、少なくとも国民はそのことに対して快哉を叫んでいるように思われます。


<8月12日>(金)

〇信田一家と一緒に、十日町へ出てお昼にそばを食べ、そこから柏崎市へ。プールに入ったり、原発の広報センターを覗いたりしていたところ、ずっと圏外であったPHSがたまたまつながり、某週刊誌から取材の電話が入っていたとの連絡あり。後で電話して連絡が取れましたが、各方面にご迷惑をかけているような。夜は良寛さん誕生の地である出雲崎の宿に泊まっているので、ここもPHSがつながらない。ケータイもネットもPHSに頼っていると、なかなかに不便であります。

〇電話取材でのやり取りで、「これから先の政局で注目すべき人物は誰か」と聞かれたので、麻生総務大臣と答えておきました。相手はビックリしてましたな。まあ、以下のような理屈です。来たる総選挙について、3通りの結果が考えられます。

(1)自公で過半数を制し、小泉首相が続投

(2)民主党が第一党となり、(過半数に足りないときは、共産・社民・無所属票を加えて?)、岡田政権が発足

(3)自公で過半数には届かず、民主党も今一歩届かない場合

〇(1)と(2)は分かりやすいのですが、(3)の可能性だってあるでしょう。仮にこんな結果になったと考えてみましょう。自民205、公明30、郵政造反無所属20、民主205、社民+共産10、その他10。この場合、いささかの合従連衡ゲームが展開されるでしょうが、おそらく最終的には自民党政権の継続ということになると思います。

〇その場合、小泉さんの立場は微妙なことになる。「事実上の勝ちだ」という声は出るだろうが、あれだけ勝敗ラインを明言しておいて、「食言」はまずいでしょう。そうなると、自民党内で合意が出来るような「ポスト小泉」を立てる必要がある。その場合、森派からは出しにくいだろうし、小泉さんの影響力も残るので、まあ、麻生さんかなあ、ということです。仮にトトカルチョをやるとしたら、麻生さん馬券のオッズは非常に高くなるでしょうから、ちょっとした狙い目ではないでしょうか。

〇ところで8月12日は、御巣鷹山の悲劇から20周年。当時、かんべえの上司だった人の奥さんが乗っておられました。その後、あとを追うようにして上司もガンで亡くなられましたが、この日がくるたびに思い出します。実は昨日、新潟に向かう前に、手元に届いたばかりの拙著『1985年』を、四谷にある元上司のお墓に届けようとしたのですが、交通渋滞に巻き込まれてしまい断念しました。以前から12日に間に合わせようと思っていたのに、われながら心がけが悪いです。藤原さん、あなたの部下はいつまでたっても進歩しませんが、休みが終わってから参上いたします。

<8月13日>(土)

〇富山の実家に来て、ようやくネットに接続できました。ということで、まとめて更新です。明日以降はネタも少ないので、夏休みモードでいくとしましょう。


<8月14日>(日)

〇富山市内で、子供の玩具売り場を覗いてみた。いやあ、すごいもんですなあ。ムシキングの流行は知っておりましたし、ゲームソフトも大概は見慣れたものばかりなのですが、懐かしい玩具がずいぶん復活している。しかも値段が安い。そりゃそうだ。古いゲームは開発コストがゼロである。そして玩具の古典が復活しているのは、大人の子供心を騒がすものがある。

〇まず、ルービック・キューブを売っているのには感動しました。これが存在するお陰で、かんべえは甥たちの尊敬を受けることができるので、なるべくなら廃れて欲しくないゲームです。同じ作者によるルービック・スネークという幾何学パズルも売っている。次女Tがプレゼントとしてゲットしたものをいじくってみると、そんなに難しいわけではないが、これはこれで飽きない玩具であるようだ。

〇「たまごっち」が復活しているのは信田家で学習済みでしたが、その「たまごっち」は売り切れで次の入荷は8月下旬になるのだとか。前回のヒットの際には、在庫の山を築いてしまっただけに、慎重になっているのだろう。ところで、「たまごっち」がリバイバルするのであれば、その次に来るのは「ポケットピカチュウ」のリバイバルではなかろうか。ワシも一時期、会社にまでポケピカを持ち歩いていた時期がある。昔のものは、もう動かなくなっているので、任天堂さん、是非復活をご検討ください。

〇そうかと思えば、エポック社の野球盤が復活していて、これがまた懐かしさを誘う。テレビゲームの野球ゲームがあまりにもリアルになってしまうと、こういう単純な勝負が楽しくなるのだから不思議なものである。子供がお父さんと一緒に遊ぶのであれば、テレビゲームよりも断然こっちの方がいい。遊びにとって、もっとも重要なのは想像力なのである。

〇こんな風に遊びの選択肢は広がっているのに、少子化現象によって、玩具の需要自体は減っているというのは何とも不思議なものであります。子供が多かった頃は、そもそも玩具なんかなくても遊びには事欠かなかったのだ、と言い出すとまるで老人の繰り言になってしまいますが、少子化と共に玩具が進化する、というのは必然性があるのかもしれません。なにしろ、玩具メーカーは縮小する市場を相手に競争は激化しているので、それだけ頭を使わなければならず、結果として製品の質やバリエーションが豊かになっているように思われます。

〇しばしの見学を楽しんで、結局、子供用のものは一切買わず、自分用に2人用のブロックスを買いました。甥たちを相手に勝負を挑むと、さっそく乗ってきた。これはハマります。そういうえば、明日は甥たちとボウリングをすることになっていて、これもリバイバルといっていいかもしれない。


<8月15日>(月)

〇日本では全国戦没者追悼式が行われ、靖国神社参拝問題が騒ぎになる。これが中国や韓国ではお祝いになる。そして中東では、今日がイラクの憲法草案の締切日であり(本当に出来るんだろうか?)、今日からイスラエルのガザ地区撤退が始まる日でもある(本当に出来るんだろうか?)。世界中にいろんな8月15日があります。

〇日本国内は朝から晩まで、さまざまな議論をしていました。見方によっては、なんとも平和な光景ではないでしょうか。靖国参拝問題に対し、是とする側と非とする側は、けっして衝突したり、互いに暴力をふるうわけではない。何が何でも、我意を通そうとまではしない。右と左の団体がそれぞれに「毎年同じような行事」を行なうだけです。これは成熟した民主主義国として正しい態度であることはもちろんですが、もっと言ってしまえば、日本人にとってのいわゆる「歴史問題」が、それほど重要な課題でないからでありましょう。その証拠に、明日以降になれば、戦後60年の議論は急速にしぼんでいくはずですから。

〇8月15日という日は、日本人にとって敗戦の悲惨さが骨身に沁みた日でありますが、それと同時に「あの焦土から立ち上がって今日がある」という自信と達成感を再確認する日でもあります(その手の言辞はそこら中で聞くでしょう?)。この点で、アメリカ人にとっての12月7日と似たようなところがあります。真珠湾攻撃の日は屈辱の日であると同時に、「それでも、俺たちはあそこから立ち上がって戦争に勝った」という甘美な思いを噛みしめる日でもあるのです。8月15日が毎年、日本国内で大きな年中行事になる深層心理には、そんな偽善が混じっているのではないでしょうか。

〇とまあ、それが特段に問題であるとも思いません。そもそも日本という国は、今日置かれた状況に対し、ほぼ満足する立場です。世界的に見ても、「現状維持勢力」(Status-quo Power)である国は、過去の歴史については概ね無頓着です。具体的に言ってしまえば、G7の参加国はほとんどがそうでしょう。成功している大人が、学生時代のことを悔やんだりしないのと同じです。金持ちは喧嘩せず、過去も悔やまない。逆に金持ちが、「俺も若かったときには馬鹿なことをしてねえ」などと口にするのは、あんまり聞こえのいいものではありません。過去の歴史に対する日本の反省が、とかくアジアで素直に受け止めてもらえないのは、そんな風に聞こえているからかもしれません。

〇歴史問題は、主に現在が不幸な国において重きをなします。今は派手な経済発展をしつつあるけど、長い歴史に裏打ちされた過剰な自意識を持つがために、とてもじゃないが現状に満足できないという某大陸国と、今だに国家分裂の状態のままで、いつまでたっても「準・先進国」的な扱いをされている某半島国は、過去の歴史に対して無関心ではいられない要件を備えているといえるでしょう。そして、彼らの怒りの矛先が向けられるお気楽な某島国は、その辺の心理がまるで分かっていない。これでは両者のすれ違いは悪化するばかりでありましょう。

〇上記のような悪辣な見方が正しいとすれば、A級戦犯を分祀すれば中国の理解が得られるとか、韓流ブームで歴史問題が解決するなどと考えるのはナイーブ過ぎるということになります。仮に、中国が米国を圧倒して世界最強の国家となり、韓国が日本を押しのけてG8のメンバーになるような時代が来れば、彼らも歴史問題に対する関心を失うかもしれませんけれども。しかし、それらはいずれも荒唐無稽な想定ですから、結局、日本という国は外から迫られる歴史問題に悩まされ続けるのでありましょう。

〇と、なぜか辛らつな調子になってしまう本日のかんべえですが、夏休み中に読んでいるのは『日本外交史講義』(井上寿一/岩波書店)です。150年にわたる日本外交を、きわめて説得力のある形で整理しており、非常にためになります。


<8月16日>(火)

〇選挙の季節が近づいています。この際、選挙の情報源をまとめて整理しておきましょう。

〇まずはご存知ない方が多いと思いますが、この世界の老舗である「選挙でGo」さんが、昨日から復活しています。Make Peaceさんの復帰を心から歓迎します。どうでもいいことですが、議席予想合計(自民204、公明30、郵政反対派18、民主211、共産9、社民4、その他3)は、どことなく8月12日付けの当欄で、かんべえがでっち上げた数字と似ているような。

〇それから、政治ニュースを拾うときには、Jiyutoさんのブログである「選挙・政治ニュース」さんが、鮮度といい頻度といい、他の追従を許さない充実度です。特に小選挙区と比例区のすべての擁立状況を、過去のデータと共に掲示してあるのには頭が下がります。下手に新聞社のサイトを探すよりも便利なくらい。

〇これはあくまでもお遊びということで。リアルタイム世論調査@インターネットでは、ネット投票によるいろんな投票が行なわれています。さっき見たところ、小泉首相の支持率は83.5%でした。亀井新党については、「当然だ」31.8%、「すべきでない」11.9%を、「興味がない」49.3%が上回っています。

〇しょっちゅう話の中には登場する「さくらの永田町通信」さんは、いよいよ選挙戦突入でお疲れの様子。夏休みを取り上げられた上に重労働なのですから無理もありません。でも、さくらさん、歴史の目撃者になるチャンスはそうありませんから、くれぐれもご自愛の上、この夏をお過ごしください。そして差し支えない範囲で、選挙の内幕を教えていただければ幸いです。

〇最後に、これは政治とも選挙とも関係ないのですが、「ご当地の踏み絵」の存在を家族に教えようと思って探していたら、こういうページを見つけてしまいました。すごい労作。「富山の噂」というページの正確さは、不肖かんべえが保証します。


<8月17日>(水)

〇ようやく自宅に戻りました。明日は出社です。

〇今週末には拙著が書店に並び始めるはずなので、その宣伝もやっときましょう。ぼちぼち通販サイトでも取り上げてくれています。


●新潮新書の紹介(通し番号は「130」でした。ちなみに『アメリカの論理』は「007」です)

http://www.shinchosha.co.jp/shinsho/shinkan/index_sokuhou0508.html 

●アマゾン(「24時間以内に発送」です。さっき見たら「売上ランキング1310位」でした)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106101300/qid=1123551631/sr=8-3/ref=sr_8_xs_ap_i3_xgl14/250-6759083-4351417

●セブン アンド ワイ(「当日〜2日で発送」になっています)

http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31577271 

●紀伊国屋ブックウェブ(なぜか、ここではもう7冊も売れたそうで、ありがとうございます)

http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31577271 


〇ところで、1985年に流行したある商品をご紹介しましょう。低予算CMが大ヒットしたんですよね。これです。「まだ売っていたのか」、と驚く人もいるかもしれません。20年前を訪れる旅というのは、そんな意外な感動があるものです。なるべく自分と同じ年代の方々に読んでもらいたいと考えています。


<8月18日>(木)

僕の名は大五郎。お父さんは政治家です。お母さんは、僕が生まれたときの選挙戦が大変な激戦で、そのときの過労と心労が原因で死んでしまいました。お父さんはとても嘆いて、まだ赤ん坊であった僕に向かい、自分の愛用のマイクとお母さんの形見の鞠をつきつけ、どちらを取るか迫ったそうです。

「大五郎、マイクを取ればワシと同じ冥府魔道に生きる政治家、鞠を取れば母と同じ黄泉の国に送ってやろう。さあ、選べ、選ぶんだ、大五郎!」

まだ赤ん坊であった僕はよく分からずにマイクを取り、父の後を継ぐことが決まりました。父は「亡き母の方へ行った方が、お前には幸せであろうが・・・・不憫なやつ」と涙を浮かべたそうです。

そしてその日から、父と子の政治家修行が始まりました。

「いいか大五郎。ワシはお前に大五郎という今時めずらしい名前を付けた。いつの日かお前が立候補するとき、それだけで一万票は増えるであろう。いいか、有権者というのは、それくらい何も考えておらん。だが、ワシらは違う。必死に頭を使って、地盤と看板とカバンを守って生きていかなければ選挙には勝てぬ。このことをよく覚えておけ」

父は選挙になるといつも勝ちました。父は立会演説のときに僕を連れて行き、客寄せに使いました。僕は足が弱いことになっていて、いつも車椅子に乗っていました。主婦層はそれだけで胸がいっぱいになるようでした。

「父一人子一人の孤独な戦いです。どうかよろしくご支援ください!」

そんな父の訴えはとても効果的でした。政策の話などはしなくても、厚い同情票に守られて、父は選挙に強いという評判を得ていました。

ときには父は仕事が忙しく、何日も帰ってこないことがありました。そんなとき、僕は腹をすかせてずっと父の帰りを待っていました。そのうち、自分でインスタント食品を調理することを覚えましたが(あれは確か、ボンカレーという商品だったと思います)。近所の人たちは、「腹が減っても、じっと我慢の子であった」と感心してくれたのをよく覚えています。

そんなある日、党の執行部の命令で父はお国替えを命じられました。党の決定に造反した議員を、総裁がどうしても落選させたいということで、相手候補として急きょ選挙に強い父が借り出されたのです。後援会の人たちは困りましたが、父はひとことも文句を言わずにお国替えを受諾し、僕に向かってこう言ったのです。

「地獄に行くぞ、大五郎」

苦しい選挙戦が始まりました。相手候補は新党を作って不利な戦いでしたが、こちらも見知らぬ選挙区で苦労の連続でした。それでも、車椅子を使った「父一人子一人の孤独な戦い」作戦は好評で、両者の支持率は横一線で推移しました。

いよいよ投票日を翌日に控え、立会演説会が行なわれました。相手候補のカメイ氏は、党を追い出された恨みつらみを切々と訴えました。

「いいですか、皆さん。党の公認を与えないだけならともかく、わざわざ他所の地区の拝一刀議員をですな、刺客としてこの選挙区にぶつけてきたのですよ。なんという残酷な振る舞いでありましょうか」

僕は車椅子に仕掛けてあるスイッチを入れました。(実はこの車椅子は、ものすごいハイテク兵器なのです)。すると大音量で、あの歌が流れ始めたのです。


しとしとぴっちゃん しとぴっちゃん しとぴっちゃん

悲しく冷たい 雨すだれ 幼い心を 凍てつかせ
帰らぬちゃんを 待っている
ちゃんの仕事は 刺客(しかく)ぞな

涙隠して 人を斬る
帰りゃあいいが 帰らんときゃあ
この子も雨ン中 骨になる
この子も雨ン中 骨になる

ああ 大五郎 まだ三つ

(「子連れ狼」小池一雄作詞・吉田正作曲)


聴衆はもらい泣きを始めていました。もはやカメイ候補の演説に耳を傾けるものは誰もおらず、立会演説会の流れは決定的なものになっていました。カメイ候補は叫びました。

「汚いぞ、拝一刀! こんな子供を選挙のだしに使うとは!」

「ワシらは親子ともども冥府魔道に生きておる。普通の人間と思ってもらっては困る」

僕はそんな父を、心から誇らしいと思いました。



〇・・・・という駄文を「刺客と教育」と名づけ、公募用の小論文として国民新党に送りつけてみようかと思ったのですが、本当にリクルートされてしまっては困るので、ご遠慮することといたしました。お後がよろしいようで・・・・


〇あ、そうそう。今日、こんなブログを教えてもらいました。「たむたむ」さんたら、こんなお茶目な文章を書くなんて、知りませんでしたよぉ。

●たむたむの自民党VS民主党 http://blog.drecom.jp/1008910/ 


<8月19日>(金)

〇聞けば聞くほど、今回の選挙の行方は分けがわからない。

〇またしても、ホリえもんが乱入するという当たりで、どうも行き過ぎてしまったように思えて仕方がない。ホリえもん自身はいいのです。当選すればモウケモノだし、落選しても会社の宣伝にはなる。なおかつ、選挙にかかるコストもたいしたことはなさそうだ。彼はこんな具合に、「勝って良し、負けて良し」の構図を作るのが上手い。見習いたいものです。

〇しかるに、広島六区でホリえもんに流れるのは、普通であれば民主党候補に行くような票でありましょう。ですから、亀井さんはむしろ有利になるかもしれない。自民党支持者は、ホリえもん的なものへの拒否反応が強いと思う。とりあえず、広島県連が股割きにならなくなったので、ほっとしているだろう。

〇それにしても、今度の選挙でどの党が勝つのか見えてこない。ほとんど消去法ですね。

〇まず、明らかに苦戦を強いられそうなのが公明党だ。巨大な学会の組織を動かすためには時間が必要であり、今回はそのための準備期間がない。まして、最重要課題と位置付けた東京都議会選挙が終わったばかりである。投票率も上がりそうなので、これも不利な条件となる。小泉さんが掲げた「自公で過半数」という勝敗ラインは、「とっても甘い」という声もあるが、実は公明党が議席を減らすかも知れず、だとすると自民党が220くらいは勝つ必要があり、意外と苦しいかもしれない。

〇自民党も、現在吹いている追い風が、あと3週間持つか怪しい。今回の政局では、森前首相による官邸前の「寿司くらい取ってくれるかと思ったら」発言と、解散後の小泉首相による「ガリレオ発言」が双璧の名セリフというべきで、この二つの発言を聞いた直後では、自民党の勝利は動かし難いかと思えたものだ。ただし、そんな記憶はどんどん薄れていくし、最近の選挙は投票日直前の3日間で流れが変わったりするので、これは全然保証の限りではない。そして何より、自民党の各議員は深刻なアイデンティティ・クライシスに陥っているように見える。

〇国民新党はといえば、あの情けないホームページを見る限り、大きな支持が集まるとはとても思えない。

〇そして民主党が問題で、普通に考えたらオイシイ立場だと思うのだが、「郵政法案に反対した」という一点が、ボディブローのように効いてくるのではないか。政策にこだわる党というイメージは、あれでかなり壊れた。岡田代表の暗さも気になる。また対中関係やら人権法案など、大多数の国民がついていけなくなるような話が多すぎる。民主党の幹部たちは、お願いだからもっとちゃんとした権力者になってほしい。

〇結局、先は読めないのだが、あまり世間の人が気づいていない今回の選挙の特色として、「日本としては、久々に景気がよくなる時期の選挙であること」があり、それを上手に生かした政党が有利になると思う。たとえば、「日本を、あきらめない。」という民主党のキャッチフレーズは、1年前までならばともかく、2005年夏の現時点においては「空気が読めてない」の一語に尽きる。去年、あれだけ盛り上がった年金問題でさえ、株価が上がって含み損が消えるなど、この1年で情勢は好転しているのだ。

〇そんなわけで、ますます読みにくい9・11選挙の行方であります。


<8月20〜21日>(土〜日)

〇今朝の日経書評欄で、拙著『1985年』(新潮新書)が、ちょこっと取り上げてもらってました。運のいいヤツであります。

●文庫・新書

プラザ合意、レーガンとゴルバチョフの米ソ首脳会談、阪神優勝。歴史としては新しく、現在というには少々古い二十年前の出来事をエコノミストの著者が丹念に拾った。つくば博が「ハイテク国家・日本」の未来を明るく歌い上げる一方、テレビドラマ「金曜日の妻たちへ」シリーズは、一見幸福そうな団塊世代の専業主婦の漠とした不安を映し出す。事実の積み重ねから、あの年は戦後日本の一つの転換点だったことが見えてくる。(新潮新書・680円)

〇ブログでも、雪斎どの(1985年への散歩)や、starprinceさん(1985年)が取り上げてくれています。どうもありがとうございます。

〇読んでいただいた方から、とっても熱いメールをたくさん頂戴しています。

●8月12日の夕方、誰もいない編集部に一人残っていたら、「大変だ」と叫びながら先輩が2人駆け込んできました。三光汽船が危ないと知っていたので、「河本さんの会社が倒産したんですよね」と言ったら、「違う。飛行機が落ちた」と言うのです。新米記者の暑い夏の始まりでした。(中谷事務所パープルさん

●本当に懐かしい感じがしました。その時代に生きていたのですね。嗚呼!(さぬきうどんさん)

●個人的には第6章の社会辺がいちばん面白かったです。ところで第7章で、阪神ファンの悲哀をお書きになっている個所で、「25歳にして初めて知る優勝であった」というくだりを目にしたとき、ガクッと来てしまいました。めぐまれすぎてます!横浜生まれである私は子供の頃から大洋ホエールズ=現横浜ベイスターズという弱小チームを応援してきましたが、初めて優勝を知ったのは34歳ですよ」(Sさん)

●タイトルの「1985年」はすごくいいです。「思い出の1985年」とか、「君は1985年を覚えているか?」ではなく、ストンと「1985年」。拍手です。(Fさん)

〇案の定というか、ほとんどが同世代人の方からです。現在40代の人が20代の頃を思い出すと、思わず懐かしくなってしまい、「自分にとっての1985年」の記憶を堪能することができるというのがミソです。これが昭和一桁のウチの親の世代になると、懐かしむ時代がたくさんあり過ぎて、「単なる80年代ではない、1985年論」という面白さに気づいてもらえない。ターゲットがはっきりした本だといえそうです。

〇ところで、本書執筆の際に参考にしたサイトをご紹介しておきましょう。

●科学万博Blog http://expo85.seesaa.net/ (つくば博ファンの方のサイトです)

●ウィキペディア(1985年) http://ja.wikipedia.org/wiki/1985%E5%B9%B4 (役に立ちましたが、ところどころ怪しい点もありました)

●JAL123 http://mito.cool.ne.jp/detestation/jal123.html (日航機墜落事件を再現。衝撃的です)


<8月22日>(月)

〇ロシアの金融制度についての話を聞く機会があった。社会主義体制下、銀行は国有が当たり前という体制が70年も続いて、普通の銀行が誕生してからほんの15年ばかり。物事がうまく行かないのは当たり前なのだが、中でも問題になっているのがズベルバンクという存在である。英語に直せば"Saving Bank"で、この実態がまるで「ロシア版郵貯」なのである。

〇ズベルバンクは個人金融専門の元国営銀行。これがロシアにおける全個人預金の6割を集めている。なにしろ、預金に対する国家保証など、民間銀行に比べて特恵的な地位があり、しかも全国津々浦々に店舗があるため、預金者にとってはこんなに便利なものはない。預金量でも総資産でも、2位の銀行とは桁が一つ違うガリバーとなっている。民業を圧迫しているのは当然だが、融資先が大手企業に集中しており、かつまた長低利で国の債権を買っていたりするので、多様な信用創造が行なわれないという問題点がある。

〇そこでロシアの金融改革というと、真っ先に上がる課題が「ズベルバンクの分割・民営化」となる。が、これが難しい。(1)ズベルバンクの経営陣は、財務省その他省庁の天下りである。(2)預金保証などの特恵的立場を奪えない。(3)なおかつ、業務・財務管理が不透明な伏魔殿となっている・・・・。おお、まるでどこかの国と同じではないか。

〇ロシアの話だから笑って聞いてられるのだけど、世界第2の経済大国で350兆円の金融資産を持つズベルバンクがあるというのは、ちとまずいであろう。ましてズベルバンクには、「世襲の公務員」=特定郵便局という前近代的な制度はさすがにないはずなので・・・・。

〇ところで選挙の方はますます混乱の極み。やっぱりホリえもんの参戦は選挙を活性化させていますね。昨日のテレビを見ていても、「亀井VSホリえもん」の対決がダントツに面白い。これではムネオも又吉イエスも出る幕はない。ホリえもんは相変わらず無茶なことを言うし、亀井さんは失言がボロボロ出るし、これが政治討論だというのなら、もう笑うしかない。

〇いつものことながら、ホリえもんが出てくると、彼以外の人がまともに見えるようになる。球団買収の際には三木谷氏が、ニッポン放送買収劇では北尾氏が紳士に見えた。それと同じで、ホリえもんの参戦は他の選挙区の「刺客」候補者を、「まとも」に見せる効果がありそうだ。それが無所属で戦ってくれるのだから、自民党としてはこんなにありがたい話はない。

〇ところでウチの近所のおばちゃんが、「亀井さんは顔で損をしてるわよねえ」と言っていた。それは皆さん同意することだろうけれど、おばちゃんとしては、「(顔で損しているから)話をちゃんと聞いてあげなくちゃ」ではなく、「(顔で損しているから)何をいっても無駄よねえ」というニュアンスである、という点が油断がならない。有権者は残酷であります。


<8月23日>(火)

〇夏休みの終わりが気になり始める頃です。次の日曜日の「サザエさん」では、きっと宿題が終わらなくて苦しむカツオ君の姿が見られるでしょう。

〇国際政治の面から言うと、アメリカ議会の夏休みはレイバーディ(今年は9月5日)までで、翌日から再開される。そうすると、さっそく気になるのが日米間のBSE問題である。9月11日が日本の総選挙であることは誰でも知っているので、それが過ぎるまでは待っていてくれるだろうが、終わったらどうなるのか。夏休み中であるために目立たないけれども、この間にも米軍再編とか六カ国協議の再開とか、いろんな動きが進んでいるはずである。

〇9月11日が小泉首相再選の流れであればともかく、民主党政権発足とか、郵政反対派との妥協の産物の政権発足とかいう場合は、これがさらにややこしくなる。まあ、ほっておいても夏休みは終わり、嫌でも仕事をしなければならない季節がやって来る。そんなこたぁ分かっているのだけれど、現実を直視するのは嫌なのである。気分はやっぱりカツオ君。

〇今宵の関東地方は雨。激しい雨音に、夏の終わりが近いことを感じます。


<8月24日>(水)

〇ふと芽生えた疑問です。「中国政府は、日本の9/11総選挙をどう見ているのだろう?」。二人のチャイナウォッチャーに尋ねてみたところ、まったく正反対の答えが返ってきました。

●チャイナウォッチャー(A) 

実は小泉政権の継続を願っている。国内が不安定な胡錦濤政権にとって、にっくき小泉政権は格好の「ヒール」(悪役)。これが岡田首相であったりすると、迫力不足で何の役にも立たない。適当な敵役がいて、反日というポーズを取りつづけることが、政権安定の必須条件である。

ところで新華社などでは、「いよいよ小泉首相も命運きわまった」といった楽観報道を意図的に流しつつ、国民新党などの「造反組」のことを詳しく取り上げている。その心は、「党内の不一致は、かくも恐ろしい結末を招くぞよ」(だから共産党に逆らっちゃいけませんよ)という教育的指導である。中国共産党は、一党独裁を上手に続けてきた自民党の知恵を研究していると伝えられるが、その自民党が分裂してしまうのではシャレにならない。察するに、「もって他山の石とすべし」という心境か。

●チャイナウォッチャー(B)

それは岡田政権の誕生の方がありがたいでしょう。「小泉が言うことを聞いてくれない」ために、胡錦濤がどれだけ国内で辛い思いをしているか。今年の4月に反日デモが盛り上がったときは、本当に危なかったんだから。

だからといって、「頑張れ岡田」とも言えないところが悩ましい。下手なことを言えば逆効果になってしまう。9月3日の戦勝記念日には、果たして何を言ったものか、非常に難しい。(――これを称して、「(中国様は)日本を、あきらめない」という民主党スローガンが出来た、というのは、かんべえが作ったデマです)。

〇さて、どっちを信じたものか。おそらく、両方の気持ちがあるのではないでしょうか。

〇日中関係がズタズタになっている現状において、関係者が希望を託しているのは、9月下旬に行なわれる日中経済協議会による訪中ミッションである。奥田経団連会長以下の財界人が訪中し、恩家宝首相などと面談することが予定されている。取っ掛かりをなくした外務省も、これが突破口になればと祈るような気持ちであるだろう。もっとも、9月下旬というのが危険な時期であって、9/11選挙で勝った小泉首相が、中旬の国連総会も終えて(安保理問題はどーせダメだったことだし)、そろそろ靖国神社に参拝しちゃってもいいかなぁ、と思うかもしれない。

〇その場合、またまた中国側は態度を硬化させ(というか、そうせざるを得ず)、関係者一同で頭を抱え込むことになるだろう。でもって、「さすがは小泉、よくやった」という声と、「アジアの人々の心を傷つける行為」という声が交差する。うーん、9月はやっぱり波乱が多いんじゃないでしょうか。


<8月25日>(木)

〇拙著『1985年』は奥付の発行日が8月20日、実際には8月15日頃から書店に並び始めたようですが、10日目の本日、早くも3000部増刷が決定であります。出足が良いようです。以下は、新潮新書編集部からのコメントのご紹介。

●三重編集長「歴史を輪切りにしてみる」

●担当、横手氏「20年前への時間旅行」

〇新潮社で作っていただいたポップがここにあるのですが、『1985年』に関するコピーが2点。ひとつは「甲子園のヒーローが清原と桑田だった年」。もうひとつは、「戦後史の本当の転機は20年前にあった・・・・」。これは前者が優れてますね。

〇本書では、清原と桑田のことは特別に取り上げてはおりません。1985年の甲子園のスターだった清原と桑田は、20年後の現在、不振のジャイアンツでともに引退間近といった状態で、おそらくオフにはスポーツ紙を騒がすことになるのでしょう。二人の存在は、20年という月日を感じさせる格好な事例ですから、今頃になって書いておけばよかったかなあ、と悔やんでいます。でも、これはスポーツに関する話題を「阪神優勝」に絞り込んでしまったためで、致し方なしでしょう。

〇1985年に起きた出来事の中でも、たとえば三浦和義氏「疑惑の銃弾」事件のように、あまり関心が沸かなかった事件は取り上げておりません。また、アフリカ支援のLIVE AIDのことも、迷った挙句、使いませんでした。1冊の本にすることを考えると、他の事件との関連性が乏しい事件は、取り上げにくいわけです。そうかと思うと、1985年頃の消費を語る場合、DCブランドの普及は欠かせないことではあるのですが、かんべえはそもそもファッションに疎いものですから、これもネグってしまいました。

〇本当は書く予定で資料も集めていたのに、7つの章立てのどこにも入れる余地がないということで、最終的に断念したのが「新風営法の導入」でありました。この年は、日本人初のAIDS患者が出たこと、それからレンタルビデオ店が普及し始めたこととあわせると、いかにも面白い話が書けそうだと思っていたのですが、そもそもかんべえは当時の新宿歌舞伎町の実態といったことを、あんまりよく知らないものですから(別に自分が品行方正だったといってるわけではないですよ)、結局は書き切る自信がありませんでした。

〇とまあ、今になってみると、本の中に書いてしまったことは、もうどうでもよくなっていて、捨ててしまった材料のことが妙に気にかかります。というのも、先日来、「1985年を読みました」というメールを山のように頂戴していて、その中には熱っぽく当時のことを語っている濃い内容のものが多いのです。そういえば、やじゅん殿も長文のエントリーをされていましたが、あんな感じのメールがたくさん届くんです。(返事をしてないのもあると思います。ゴメンナサイ)

〇結局、体験した人の数だけ「1985年」があるのです。執筆作業中に、「実は今、1985年についての本を書いているんです」という話をしたときも、驚くほど多様な反応がありました。たとえば、お馴染みのT編集委員は、「1985年といえば、NTTのCMで薬師丸ひろ子が、『あなたを・もっと・知りたくて』と歌っていましたよね」と来た。これはさっそく、取り入れることにしました。そうかと思えば、「スバルのアルシオーネというクルマができた年でした」と言った人がいました。これは偶然にも、1行だけ触れてあります。

〇そうやって、ひとりひとりが体験した20年前の時代を語り始めると、不思議なくらいに盛り上がる。年齢的に言うと、上は団塊世代のこの人くらいから、下は1970年代生まれのやじゅん殿くらいまで。そしてコアな読者が40代といった感じですね。


<8月26日>(金)

〇お昼にはインド経済について、夜には北朝鮮問題についての研究会。どちらも充実でありました。が、それらは別の機会に語るとして、喫緊の課題はやはり選挙の行方。

〇今日、メディア関係者から聞いてビックリした話は、「広島6区で、ホリえもんは当選しちゃうかもしれない」。永田町筋の間では、「あれは亀井さんを助けるために、小泉側が送った蜘蛛の糸なんじゃないか」という穿った見方まであるのですが、プロの予想が当たらなくなっているのが昨今の政局です。いわく、「ホリえもんが戦ってきた相手は、ナベツネや日枝フジテレビ会長のような極めつけの旧勢力だった。そのホリえもんが勝負を挑むのだから、亀井さんはナベツネ並みの悪役になった」。ははあ。

〇他方、岐阜県では、市長に握手してもらえなかった佐藤ゆかり候補に同情が集まっているとのこと。普通に考えれば、「刺客」候補の当選可能性は非常に低いはずなのですが、旧勢力がそれを排除しようとすればするほど、有権者の支持や関心は高まってしまう。「県連の抵抗」が、落下傘候補を助けているという構図です。たしかに「自民党県連」と聞いただけで、いかにも旧態依然とした人たちがやっていそうで、それは千葉県でも富山県でも、普通の有権者が持つイメージは良くないですわなあ。

〇まだまだ先は長いですが、プロの言うことを信じちゃダメ、というのが今度の政局の教訓になるような気がします。


<8月27日>(土)

〇自民党の長年の問題として、人材登用のルートが二世代議士などに限られていて、新しい人材を発掘できてないということがありました。政治家志望の若手官僚の間では、「どうせ自民党からは出られない」と見切りをつけ、民主党を目指すケースが目立ちました。ところが今回の選挙においては、自民党執行部は「刺客」として有名人を起用したり、公募による人材登用を大規模に行なっています。賛否両論がありますが、自民党のリクルート方法に風穴が開いた点は良かったのではないでしょうか。

〇いつの時代でも、政治家になりたがっている人は少なくありません。ただし、膨大な「なりたい人」のうち、「させたい人」はほんのごく一握りでありますから、自民党が候補者を公募するときは、普通は「狭き門」となります。しかし今回は、反対派の選挙区すべてに候補者を立てるために、めずらしく「広き門」になった様子です。ある選挙ウォッチャー曰く、「えっ、あの人が?」と首をかしげるような人が、今回は少なからず登用されているとのこと。目玉候補者ばかりが報道されていて目立ちませんが、「ちょっと難あり」の新人候補者もいるそうです。

〇しかしそうした新人たちも、「郵政ガリレオ解散」の追い風を受けることになるので、かなり有利な戦いとなるでしょう。ひょっとすると、今回の選挙は「普通であれば当選できない人を、多数国会に送り込む」ことにつながるのかもしれません。ちょうど1993年の選挙のことを思い出します。当時の「日本新党ブーム」はすさまじく、若い政治家を大量に誕生させました。その中には、中田宏現横浜市長のようにユニークな人材も多く含まれていましたから、この手のイレギュラーな事態というものは、10年に1度くらいの頻度であれば、日本政治にとって悪いことばかりではないような気がします。

〇他方、今回の選挙では、以前から政治に出るだろうと噂されていた某官僚OBが、よりによって勝ち目の薄そうな選挙区で、民主党からの立候補を進めていたりする。なおかつ、各方面とのトラブルの噂も耳に入ってくる。当人を知る人の間では、「なんてもったいない」という声があがっています。おそらく時間をかけて準備していたために、突然の解散・総選挙が裏目に出たのでしょう。気の毒なケースだと思います。

〇今回の選挙は、小泉さんが巻き起こした10年に1度の台風のようなものです。「ちょっと難あり」でも、突風を背に受けて望外のチャンスをものに出来そうな人がいる。そうかと思えば、有望な人材による周到な準備が無駄になりそうであったりする。努力の量は同じなのでしょうけれども、つくづく人の運というものは分からない。

〇選挙はいつもドラマチックであり、不公平です。やってる人たちは大変ですが、見てる方はそこが面白い。とはいえ、投票日はまだまだ先。数多くのドラマが待っているでしょう。


<8月28日>(日)

〇夏休み最後の足掻きで、次女Tと一緒に名古屋に来ています。お目当ては「愛・地球博」で、とりあえず今日のところは、名古屋市科学館に行ってみた。子供の頃、名古屋の親戚の家に行くたびに、この科学館と東山動物園に連れて行ってもらった。とくに科学館は大のお気に入りで、こんなに面白いものはないと思っていた。ついでにいうと、「ういろう」も大好きで、子供時代のかんべえは名古屋ファンだったのであった。のちにタモリが名古屋の悪口を言い始めたときは、ちょっぴり悲しかったのである。

〇久々に訪れた科学館では、“Go! Go! ゴールド”という企画展示をやっていた。最近はバブル景気ともいわれる名古屋であるが、金に魅せられるとは危険な兆候ではなかろうか。とはいえ、展示の中身はいたって真面目であり、センスも悪くない。それでも、名古屋市科学館に来たからには、わずか300円の常設展示をじっくりと見たいものである。時間がないので、プラネタリウムは割愛しました。あらためて大人の目で確認しましたが、名古屋市科学館はやっぱり素晴らしい。

〇夜はまたまた信田家ご一行と合流して「名古屋コーチン」を食べに行く。なるほど美味いが、結構いいお値段ですな。名古屋市の繁華街は、これはなるほど栄えております。


<8月29日>(月)

〇7時半にホテルを出て、10分後に名古屋駅から愛・地球博行きのシャトルバス乗り場に到着したところ、乗車できたのは40分後でした。なんという混雑でありましょうや。そして悪名高き名鉄さんは、これでナンボ儲けておられるのでしょうや。昨日の地球博は18万人と、史上第3位の人出。今日も夏休みの終わりということで、相当な人出であったようです。こんなことなら、開幕当時の1日5万人程度の頃に行っておけばよかったのですが、得てしてそんなものであります。

〇万博関係者に聞いたところでは、入場者数が予定を大幅に上回ったために、当初は運営費のみならず建設費でも赤字を見込んでいたようなのですが、トータルでも着々と黒字に転じているらしい。まことに結構な話であります。この暑いのに(といいつつ、夕方になると少しは過ごしやすくなりましたが)、人気パビリオン目指して3時間も待とうという人が大勢いることは、やはりこの夏に景況感が劇的に改善したことも手伝っているように思われます。

〇ということで、朝から晩までかけて、手練手管やらインターネット予約やら情実やら、ありとあらゆる手段を駆使していろんなパビリオンに突撃を試みる。(業務連絡:田中部長、ありがとうございました)。お陰で要領よく回ることが出来ましたが、7月に行ったときとあわせて、最高点をあげたいのはズバリ日本館ですね。あの360度映像はすごい。終わった瞬間に、「もう一度見たい!」という言葉が、大人と子供の両方から素直に飛び出しました。環境問題に対する取り組み方も、文字通り半端ではない。恐れ入りました。

〇愛・地球博が終わると、この手の国際的大型イベントは当分、日本では行われる予定がない。万博などというものは、本来は発展途上国がやるべきものなのでありましょう。それでも、この愛・地球博は世界第二の経済大国が、「環境問題」をテーマにとんでもない旦那芸を見せているようなところがあって、良くも悪くも他国にはできない荒業でありましょう。事前に予想したより何倍も楽しめたというのが実感です。

〇そんな愛・地球博も、残りはあと3週間ばかり。そんな中で、世界各国から来ているパビリオンで、物品販売をしているコーナーが狙い目です。2万5000円くらいの品物が、あっという間に1万円になったりします。そう、彼らも品物を持ち帰りたくはないので、投げ売りモードが始まりつつあるのです。アジアのパビリオンは特に狙い目かもしれません。そのうち、地球博の物品を買い叩いてヤフオクで売る、なんて人が出てくるかもしれません。

〇と、かんべえはこんな風に遊び呆けてしまっておりますが、明日は締め切りが2本あったような。危うし。夏の終わりは近い。


<8月30日>(火)

〇うーん、と驚き呆れてしまいました。朝日新聞の虚偽取材メモ事件であります。

〇「またも朝日の不祥事」という反応は当然あるでしょうが、その辺はかんべえの関心事ではない。もともと朝日新聞読んでないし。話がわき道にそれるので、とりあえず「朝日」という冠を外し、「とある日本の一流企業」で起きた事件だと考えましょう。事件の内容は、現場が送ってきたメモに虚偽が含まれていたということです。製造業でいえば、部品の品質管理に問題があったようなものです。あるいは日本銀行で、単純な計算間違いが発覚したとしたら。そういう基礎動作に疑問が生じるということは、職業倫理としてゆゆしき問題ではないかと思います。

〇日本の新聞社は、若手をこき使うシステムになっている。20代で地方に配属される記者は、「レポーター」ではなくて、そのものずばり「ポーター」みたいな存在である。24時間体制で、「落ち」がないように神経をすり減らす。まあ、そのために記者クラブなんて便利なものがあったりもするのだが、若手の記者はそういうプロセスを通過しなければならない。そこで何を学ぶかといえば、間違いのない記事を書くという基礎動作である。

〇プロとアマチュアの違いは、基礎動作にどれだけ忠実であるかで分かることが多い。そして「間違いのないことを書く」のは、相当に難しいことなのだ。たとえば拙著『1985年』も、新潮社さんのとっても厳しい校閲(with 深い敬意と感謝の念)を受けてなお、増刷分では直さなければならないことが出てくるものなのです。まして、大新聞の記者が日々受けるプレッシャーは、大変なものであろう。ところが今度の事件では、記者が自分の功名心のために、簡単にばれそうなウソを書いたらしい。これでは新聞社は大変である。同僚を信用できないとなったら、仕事が成り立たない。

〇政治部においては、官邸や有力議員に張り付いて、取材メモを上げるのが若手記者の日々の務めである。記者がウソのメモを上げてきたら、政治部長やデスクはお手上げである。「そんなでっち上げは上司がきちんと見抜くべきだ」みたいな批判はあるだろう。が、そんなの無理だと思う。デスクは現場にはいないのだ。現場でウソを書かれたら、普通は騙される。下請けが不良品を納入してきたら、いかなトヨタだってお手上げであろう。

〇若いうちに苦労をさせるという教育システムは、かんべえが育った職場にもありました。もっとも昔のそれは、「この苦労は後でちゃんと回収できる」という了解がありました。だからつらいと思ったことはほとんどなく、むしろ楽しい思い出といった感が強い。しかし先の楽しみがないとなったら、若手社員はどう感じるか。あるいは、「この苦労は自分を育てるための先行投資」という納得性がなければ、苦労は単なる苦痛でしかないだろう。そんな時代の変化が、基礎動作の甘い職場を作っているとしたら。

〇ひょっとするとこれは、一企業の問題にはとどまらず、日本における20代社員の教育訓練や職業倫理の問題かもしれない。と思うと、とってもブルーな気分になります。


<8月31日>(水)

〇昨日分に関する反響多し。

〇たまたま今日、話をした同期入社の社員が、「最近の若手は無駄なことをしていない。あれじゃ管理職以上になってから伸びないんじゃないか」と言っていた。自分が若かった頃は、たしかに無駄なことをしていたし、周囲がそれを許すゆとりもあった。そうでなくなってしまったのは、日本企業の「空白の十年」のせいもあるのだけれど、「コーポレートガバナンスのためにコンプライアンスが重要でCSRがうんぬん」みたいな建て前の議論が強くなったために、わざわざ自分の手足を縛っているようなところがあると思う。

〇あるいはまた、この人が指摘してくれたことだけど、「ITの普及などにより、過去のノウハウが通じなくなる一方で、若手が戦力になるための時間が短くなっている。かくして上の世代が、下の世代を育てるより、競争相手と見なすようになったのではないか」。上の世代が自信を持って、「大丈夫、俺たちを見てみろ」とは言えなくなっているのは、悲しいかな事実でありましょう。

〇そういえば、たまたまワシントンから来ている多田兄ィが、最近の日本についてこんな感想をもらしていた。「世の中が亀井さんとホリえもんタイプに分かれてしまっている。亀井さん世代から聞けるのは過去の話だけ。ホリえもん世代は何をするか分からない」。考えてみれば、亀井さん世代は今さら相手にしても仕方がないし、ホリえもん世代にはさほどのシンパシーを感じない。でもって、「お互い、運良く生き残ってますなあ」という結論に。

〇夜は神楽坂で新潮社さんと『1985年』出版の打ち上げ会。こんな本が面白い、とか戦後史をもっとエンジョイしよう、などと話していて、終わって店を出てから10時くらいかな、と思ったら11時半だった。ということで、また夜更かしをしてしまう。









編集者敬白



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by Tatsuhiko Yoshizaki