<8月1日>(水)
○今年も8月がやってきました。猛暑、高校野球、そして戦争に関する行事が多い季節。今年は靖国神社参拝問題をめぐり、ややこしい議論が繰り返されそうです。筆者自身、この問題に対する答えが出せないで苦しんでおりますが、以下はその思考経路をご披露する次第です。
○世間一般でいわれている靖国神社参拝の問題点については、アサヒコム<http://www.asahi.com/senkyo2001/sanin/topics/010721a.htm>が上手に整理しています。とくに年表は役立ちます。筆者の見るところ、主要な論点は2つに絞られます。
@憲法20条の政教分離
AA級戦犯の合祀
○靖国神社は明治12年から海・陸軍の所管で、戦争に参加した軍人・軍属で要請があった場合に、天皇の裁定で祀られる建前でした。この辺の事情については、ここ<http://www.yasukuni.or.jp/side/gaiyo.html>をご覧ください。ちなみに、靖国神社には「戊辰の役における東北諸藩の賊軍」が祭られていない、という論点が発生しますが、ここでは取り上げません。
○まず時系列の混乱があることをご了解ください。1946年、GHQは靖国神社に対して、
@国家との関係を絶って宗教施設として存続する
A宗教色のない戦没者追悼の記念碑的施設にする
いずれかの選択を迫り、靖国神社は@を選択しました。そして翌47年には日本国憲法が成立し、政教分離が確定しました。
○つまり靖国神社は現在は一宗教法人に過ぎないわけで、これがこの問題の核心になります。首相が公式行事として参拝し、神道の行事を執り行ったり、玉串料を国庫から支払うことは憲法違反の可能性が大です。たとえば97年4月には、愛媛県が護国神社に玉串料の名目で県費を出資したことが最高裁で違憲と判断されています(15裁判官中13裁判官による多数意見)。「でも首相が新年の伊勢神宮へ参拝するのは認められているじゃないか」という人もいますが、それはちょっと違うだろ、と思います。
○国家と宗教の分離、というのは基本的な問題です。小林よしのり氏あたりは、「戦死者を弔うのに宗教がなくていいのか」と簡単に言いますけど、その場合はどの宗教を選ぶか、祭られる側に選択肢がなければなりません。米国のアーリントン・セメタリーは「お国のために死んだ人々」を埋葬する場所ですが、特定の宗教法人とは関係ありません。それどころか、あらゆる宗教・宗派の人を受け入れられるように最善の努力を尽くしていると聞いています。(でないとすぐに訴訟を起こされて、連邦政府が敗訴するでしょう)
○戦後の歴代の日本首相は、ごく普通に靖国神社に参拝していました。その辺の事実関係については、岡崎久彦氏が読売新聞紙上で詳しく解説されています。全文はこちら<http://www.glocomnet.or.jp/okazaki-inst/yasukuni01.html>をご参照ください。この問題は教科書問題と同じように、人為的に作られたものである、という論旨です。これを読むと、「やっぱりそうだろうなあ」という感じですが、このロジックで海外を納得させるのは難しいような気がします。
○さて、1978年には靖国神社はA級戦犯を合祀します。これ以後の首相の参拝に対しては、中国、韓国から批判が出るようになります。この間の事情について、靖国神社はHP上で事情を説明しています。こちら<http://www.yasukuni.or.jp/new/ooharayasuo/oohara.htm>をご覧ください。要するに、「合祀は戦後の厚生行政の一環として粛々と行われてきたのに、政治家が今頃になって知らなかった振りをするのは誠に遺憾」ということです。広く知らしめる価値がある話だと思います。
○さて、靖国神社参拝に抗議する中国の言い分はこうです。
「戦争で中国はヒドイ目に遭ったが、あれは日本人のすべてが悪いのではなく、一部の人が悪かっただけだと国民に言い聞かせている。そうでないと日中友好ができないからだ。その悪いA級戦犯に日本国首相が参拝するのでは、今の日本人も悪い連中だと考えざるを得ない」
○なにしろ中国共産党は抗日戦線から出発した人たちですので、これを放っておくことは彼らの存立を脅かします。先ごろ、中国外相が田中外相との会談後、記者団に向かって「やめなさい、と言った」と厳しく日本側を咎めたのは、いわばみずからの保身の意味もあるのだと考えていいでしょう。実際、1985年に参拝した中曽根首相が翌年は参拝を断念したのは、「中国内の日本シンパが失脚する可能性があったから」です。これはそれなりに現実的な判断だと思います。
○ここでA級戦犯を別にしろ、という意見が出てきます。でもこれはどう考えても変ですね。まず、政府が一宗教法人に対して、ああしろこうしろということ自体が筋違いです。加えて「A級戦犯を分祀したら、それで中国や韓国は納得するのか」という保証もありません。それ以前に、素朴な感情としてこの議論に違和感を感じています。極東裁判には変なところがたくさんあるし、広田弘毅のような人間もA級にされています。「戦後55年もたっているのに」「神道では、人間は死ねば神様になるのに」という声もあるでしょう。
○筆者の思考をまとめると、@政教分離の観点から、首相の靖国神社参拝は望ましくない。AA級戦犯の分祀は論外なアイデア、ということになります。同世代人である長島昭久氏が、ご自分のHPで同様な論旨を展開しているのを見て、やっぱりなと感じました。ここ<http://www.nagashima21.net/>の7月30日分をご参照ください。
○これから先が矛盾なのですが、それでも小泉首相が8月15日に行く、というのであれば、筆者は「止めたくはない、行かせてあげたい」とも思うのです。この大事な時期に、小泉政権がこの問題で貴重な政治的資源を浪費するのは明らかに得策ではありません。でも、下記のようにいわれれば、「そうだよなあ」と思ってしまう。まして中国に気兼ねしたり、田中外相に説得されて、意思を曲げちゃ嫌だと思うのである。
「小泉総理は終戦記念日に靖国参拝を行うと言っている。小泉氏の性格からいって、やると言えばやるのであろう。そしてその理由は単純明快に、戦没者に哀悼の意を表するという事である。結論から言えば私はそれで良いと思う。公式、非公式の問題などは論ずる必要もない」(岡崎久彦氏)。
○政治ジャーナリストK氏によれば、この問題に関する世論調査では、昔から一貫して6〜7割の意見が「行ってよし」なのだそうである。考えてみれば、「憲法20条」も「A級戦犯」も、一般人にとってはたいした関心事ではない。幸か不幸か、日本人の多数派は宗教には寛容なのである。小泉さんのやることは見ていてハラハラするけど、「結果オーライ」になってくれればいいな、と心から思う。「聖域なき構造改革」についても同じことがいえるのだが。
○と、気が重いテーマについて、心ならずも長文を書いてしまいました。上記はできる限り正確を期したつもりですが、誤りがあればご指摘ください。
○最後に気楽な話題をひとつ。四酔人対談が終了して、田中さんのHPでまとめてあります。こちらもご感想などをいただければ幸いです。
<8月2日>(木)
○昨日たくさん書いたので今日は控えめに。靖国神社の問題に関連して、さっそくこんなものができました。よかったら皆様もご参加ください。
http://www.asahi.com/politics/vote1/yasukuni.html
○現在のところ、首相の参拝に賛成意見が多いようです。K氏が言っていたとおりですね。筆者の周囲では、A「小泉は最後まで引っ張って結局、参拝を断念し、遺族会に仕方ないと思わせながら、立派な決断と評価されることを計算しているのだと思う」という意見と、B「小泉が参拝を強行、その際、かなりふみこんだ首相声明を出して、この問題にケリをつけるのは一つの選択肢だし、小泉らしい」という意見があって、どちらもありそうな気がしました。
○筆者はあいかわらず、「理屈では反対、心情的には賛成」というどっちつかずなんですが、まあ責任のない立場なので許してもらいましょう。それにしても靖国神社にせよ、千鳥が淵にせよ、一度も行かずにこういう議論をしている自分が情けなく思えてきたので、今年の夏にはぜひ行ってみようと思いました。
<8月3日>(金)
○第2次世界大戦はナチスとムッソリーニ。湾岸戦争はフセイン。ユーゴ紛争はミロシェビッチ。これらは誰が悪いかがはっきりしている場合。ベトナム戦争、朝鮮戦争などは、正直なところ誰が悪いのかよく分からない。それでも戦争が終わった後には、責任者を裁こうという話になるのは無理からぬところである。そうでないと犠牲者に対して申し訳ないからだ。
○では太平洋戦争はどうか。東條は確かに悪い。近衛の無責任さも腹が立つ。松岡の勇み足も罪が重い。だが、彼らが本当に責任を感じていたかといえば、必ずしもそうではなさそうである。『重光、東郷とその時代』(岡崎久彦)を読みながらそう感じている。後の時代を生きるわれわれが、あんまり死者を鞭打とうとしなかったことは、本当にいいことだったのかどうか。
○幸か不幸か、戦勝国が極東裁判というのをやってくれて、戦争犯罪人をA級、B級、C級と格付けまでして裁いてくれた。とりあえず太平洋戦争の悪人はA級戦犯ということになった。少なくとも外国人はそうだと思っている。ただし本当に彼らが悪かったのかというと、よく分からない。不良債権が発生したのは誰のせいか、という議論に似ている。政策決定メカニズムが不可思議なことになっているこの国においては、こういう話はよくあることだからだ。
○日本人は太平洋戦争に関するPublic Memoryを作ることを避けてきた。だから戦後世代のわれわれが聞かされてきたのはPrivate
Memoryとしての戦争である。その中で、日本人はいつも被害者である。本当は加害者でもあったはずなのだが。父母の世代から空襲や疎開や窮乏生活といった戦争体験を聞かされるたびに、子供の頃から何か胡散臭いものを感じてきた。今年もまたそういう季節がやってくる。
<8月4日>(土)
○今週は大きな買い物をしたのである。それは定期券。会社が移転してから、とりあえず3ヶ月分の柏←→東京テレポートの定期券を買った。これが7万7410円。3ヶ月使ってみて気がついた。平均すると週に2回くらいは、アフターファイブに会合に出たり人に会ったりして、別ルートで帰宅するのである。具体的に言うと、ゆりかもめで新橋に出て、上野経由常磐線で帰ることが多い。そうなると無駄が多い。この定期は意味があるのかどうか。切れてからしばらくはイオカードとパスネットで通勤しながら、計算しなおしてみた。結論は以下の通り。
○柏から武蔵野線で新木場まで出るコースはJRである。片道620円、往復1240円。この分の定期が1ヶ月で1万8190円、3ヶ月で5万1840円、6ヶ月で8万9210円。つまり1ヶ月なら15往復で元が取れ、3ヶ月なら41往復(13往復/月)、6ヶ月なら72往復(12往復/月)となる。月に12往復くらいなら確実に使うだろう。ということで、JRの定期は買って良し、となる。
○問題はりんかい線の新木場から東京テレポートである。わずか3駅、8分間の移動なのに片道230円、往復460円もする。第3セクターだからしょうがないんだけど、これが問題。1ヶ月定期が8970円、3ヶ月が2万5570円、6ヶ月で4万8440円。なんと1ヶ月に20回も乗らないと元が取れない。6月などは全部出社してもちょうど20日だし、8月は休みもあるのでこの定期は問題大有りだ。そこでこの定期は買わないことにした。
○ちなみに、りんかい線は切符を10枚分まとめて買うと1枚おまけがつくようになっているので、2300円で11枚の切符を買っておくことにした。これで約1割のディスカウントが可能になる。
○さて、JRの定期を買うときに「2つに分割して買うと安くなる」という法則をご存知でしょうか。柏から新木場は普通に買うと6ヶ月で8万9210円ですが、これを柏←→東松戸、東松戸←→新木場で買うと、それぞれ3万240円と5万4440円なので、併せて8万4680円と5000円ほど安くなるのである。ということで、東松戸の駅で2枚の定期を買おうと思った。
○ガーン!東松戸の駅に降りて驚いた。銀行が無いのである。そりゃ私も9万円なんて、いつも持ち歩いていませんからね。駅の交番で尋ねたところ、「すいませんねえ、ここはこれからの街なもので・・・」。マクドナルドとコンビニがあるだけの駅前の風景を恨めしげに見ながら、あきらめて再び電車に乗る。
○あらためて柏駅でお金を降ろし、みどりの窓口に行って「定期を2枚に分けて買ってもいいんですか?」と聞いてみた。「ああ、いいですよ。あとで改札で処理してもらってください。でないと、出られないことがありますから」。このノウハウ、あんまり知られていないけど、JRの人はさすがによく知っているようだ。
○というのが今週のお買い物。かんべえさんも意外と堅実でしょ。出張が多い人などは、定期を買うのがもったいないことが多いと思う。それにしても電車賃って高いよなあ。
<8月5日>(日)
○NHKでやっている『おじゃる丸』に「約束の夏」という映画版があって、これがちょっといい話なのである。ある夏、おじゃる丸たちは「せみら」という少年に会う。夏は木陰でまったり過ごすのが好きなおじゃる丸だが、せみらのハイペースに巻き込まれて、山で川でつきあって遊ぶことになる。夕方になるとせみらは、「明日も遊ぶら、明日の明日も、明日の明日の明日も」と約束する。
○最初はうっとおしがっていたおじゃる丸も、だんだんせみらのことが気になってくる。雨の日には約束をすっぽかすが、しまいには喧嘩をしても、とにかく約束だからと言ってせみらに会いに行く。だが、それはちょうど出会ってから7日目のこと。せみらはもういない。そしていつも一緒に遊んだ大きな木の下には、セミの死骸がいっぱい落ちていた。
○夏はいつもそんな風に終わる。今日、立ち寄ったスーパーの隣の木立から、盛大なセミの鳴き声が聞こえてきた。おそらくは何百、何千匹の勢力なのだろう。それでも今日の関東地方はめっきり過ごしやすい一日。あれほど永遠に続くように思えた暑さでも、いつかは峠を越してしまう。そうして気がついたら、夏祭りは終わり、高校野球は優勝校が決まり、スーパーでは青いみかんを売り出すようになり、林にはセミの死骸が散乱している。『サザエさん』でカツオ君が宿題に苦しむという回があって、その次の週には新学期が始まる。
○夏休みはちょうど折り返し地点といったところでしょうか。ところでワシの夏の思い出はどこにある?
<8月6日>(月)
○久しぶりに長袖のシャツを着て、久しぶりにネクタイをして、先週からずっと会社に置きっぱなしにしていたジャケットを着て外出。外はところによっては涼しいほど。夕方には小雨。なんというか様変わりである。
○あっという間に季節が変わってしまうように、人間の認識も一瞬で変わってしまうことがある。たとえば田中真紀子外相を支持する声は、この1週間で一気に少なくなったような気がする。米国発のハイテク不況というのも、1ヶ月前に比べると想像以上に深刻なような感じである。「ウチの娘ときたら、夏休みに入ってからというもの・・・」などという話はさておくとして、参議院選挙で大勝した小泉政権も、はっと気がついたら失速していた、なんてことになるかもしれない。こういった変化には、かならず前触れがあるものだ。でも気がつかないんだな、普通は。
○毎週の『溜池通信』本誌は今週からしばらくお休み。しばらくはアタマを空っぽにしておくつもり。というわけで、今日はこれにて失礼。
<8月7日>(火)
○涼しくなると、社内でカジュアルウェアが減るのは興味深い現象です。要は暑いからネクタイが我慢できなくなるのですね。筆者も今日はスーツにネクタイでした。こんなのは今月では初めての現象。
○最近、読んだ中で勉強になった本をご紹介しておきます。『これがデフレだ!』(吉野俊彦/日経ビジネス人文庫)。吉野俊彦氏といえば、「日銀の歴史を3回も書いた」という歴史派エコノミスト。御年87歳で、幼年期の昭和恐慌の記憶を語ると迫力がある。デフレを語るにはまさに適任の方というべきでしょう。
○日本は過去にデフレを3回だけ体験している。西南戦争によるインフレ後の「松方デフレ」、次に大正時代の好況後の「井上デフレ」、そして戦後のインフレ後の「ドッジライン」。デフレはかならずインフレの後にやってくる。そしてデフレになると社会が混乱し、最悪の場合はファシズムを招いたりする。・・・と聞くと、ちょっと心当たりがありますよね。
○そう、平成デフレはバブルという資産インフレの反動として発生した。インフレは経済に歪みをもたらす。それを調整するのがデフレ。一円を笑ったものは一円に泣く。バブルに踊った人たちが十分に反省し、お金のありがたみを知ったときに調整は終了する。バブル崩壊後10年もたっているが、さしずめわれわれは反省が足りないようだ。だから、これだけ不良債権が残っているのでしょう。吉野氏いわく、「デフレを防ぐためには、インフレを起こさないことだ」。
○吉野氏の指摘には納得のゆくものが多い。「インフレには天井がないが、天文学的なデフレという現象はない」。「世界的に、公共事業の増額だけでデフレを脱却した実例はない」。円安誘導だ、インフレ・ターゲティングだと諸説あるものの、つまるところデフレに決定的な処方箋はない。強いて言えば、上記の通り調整が一巡するまで我慢することだろう。終わりのないデフレという例は聞いたことがないから、いつかはこの我慢は報われるはずである。
○昨晩、某所で議論していたときに、北野一さんが「小泉さんはバランス感覚が無いところが期待できる」と言っていた。うまいことを言うものだな、と思った。「逆櫓を漕いで」みたいなことを言う人はアブナイ。「サンドバッグになったつもりでやれ!」なんてベタな檄を飛ばす人であるところに、期待を込めてみたい。
<8月8日>(水)
○この世に生を受けて40年と10ヶ月、生まれて初めて靖国神社というところへ行ってまいりました。8月1日のこのページでも長々と書きましたけど、行かずに話をしているのはさすがにマズイかと思いまして。会社は午後から半休を取って、夏の思い出作りに出かけてまいりました。
○たしかに行ってみて初めて気がついたことがあります。あまりに当たり前のことなので書いてて気が引けるのですが、「地下鉄九段下で地上に出ると、目の前に靖国神社の大鳥居があって、向かって左手は北の丸公園であること」。つまり道路一本を隔てて、日本武道館がある。来週の水曜になると、ここで全国戦没者慰霊式が行われる。ここに参加した人は、ついでに靖国神社に立ち寄るのが自然な行動になりそうだ。だって目と鼻の先なんだもの。
○1986年以後の歴代首相は、慰霊式に出席した後は靖国神社に寄らずにそのまま立ち去っていることになる。政教分離とか、A級戦犯とか、いろいろあるのだから仕方がないとはいえ、普通に参列した人から考えれば釈然としない思いが残るだろう。ま、これは中国や韓国で怒っている人たちに通じる理屈ではありませんが。
○靖国神社に祭られているのは、太平洋戦争の戦死者だけではない。だからその意味では、8月15日の参拝にこだわる必然性はないのです。以下の数字は靖国神社のホームページから。
●靖国神社御祭神戦役・事変別柱数
(平成12年10月17日現在)
明治維新 7,751
西南戦争 6,971
日清戦争 13,619
台湾征討 1,130
北清事変 1,256
日露戦争 88,429
第一次世界大戦 4,850
済南事変 185
満洲事変 17,175
支那事変 191,218
大東亜戦争 2,133,760
------------------------
合計 2,466,344
○安政の大獄以後の幕末の志士たち、たとえば吉田松陰、坂本竜馬あたりから、要するに「お国のために死んだ」約250万人がこの神社には祭られている。戦死軍人だけではなく、5万7000柱の女性(従軍看護婦やひめゆり部隊など)も合祀されている。要するに軍人だけを祭った神社ではないのである。これを国の事業ではなく、一宗教法人の事業として、民間の浄財を集めてやっているというところにこの問題の本質があるらしい。
○いずれにせよ、都心にあって大切にしたい空間であることは間違いありません。この問題に対する筆者の意見は、依然として「小泉首相は行くべきではないけども、行かせてあげたい」と倒錯しております。ご本人としてはかなりの苦衷を味わっておられるでしょう。しかし8月15日まではあと1週間を切りました。
○靖国神社自体は、普通の神社とそんなに大きな違いはありません。ちゃんと鳥居があって、拝殿があって、本殿があります。ご門に菊の紋章があることとか、大村益次郎の銅像があることとか、相撲場があることなどはユニークですが。ちゃんと賽銭も投げたし、おみくじも引きました。それから「遊就館」という博物館があって、現在は改築中なのだけど、「かく戦えり。近代日本」という特別展をやっていました。入場料一般300円は安い。これはお勧めです。
○夜は都内某所の会合へ。書けない話をいっぱい聞いてしまった。そうそう、靖国神社で引いたおみくじは「吉」でした。名前についているだけあって、私は昔からおみくじの「引き」は強いのである。
<8月9日>(木)
○旧知のSさんからのご質問。
@結果として小泉首相は8月15日に(あるいは別の日に)靖国神社に行くのだろうか?
Aそれぞれのオプションを取った場合、その後小泉氏首相は、それぞれの場合(8月15日に参拝した場合、参拝しなかった場合)、本件がもたらす国内外の影響に対し、どう対処すべきなのか?
○そろそろ靖国神社の「べき論」は切り上げて、現実の政治の問題として考えてはどうか、というご趣旨。同感ですね。言いかえれば、小泉純一郎首相がどういう行動を示すかを予想してみましょう。
○小泉首相が「8月15日に靖国神社に参拝する」と言い出したのは、自民党総裁選の公開討論会の席上、記者の質問に答えてのことだった。総裁選の公約にはこのことは書かれていない。だが、その後何度も繰り返しているので、ほとんど公約に近いものになっている。では、なぜそんなことを言ったかというと、3通りの説がある。
@長年の信念だった。
A厚生行政に携わる機会が多かったので、戦時処理の問題に関心が深い。
B総裁選で日本遺族会の票が目当てだった。
○どれも少しずつ当たっているのだろう。さる永田町関係者いわく。「首相は熟慮している、というが、あれは本当に決めていない。中曽根首相は戦後政治の総決算、というグランドデザインに沿って、計算ずくで参拝した。小泉さんにそういう計算はない。ぎりぎりまで待って、タイミングを見て決断する」。考えてみれば、「聖域なき構造改革」にしても、当初は言葉だけがあって、中身はあとから作っている。われらが総理の発想法はそういうことになっているらしい。
○筆者は、小泉さんはやはり8月15日に参拝すると思う。「日にちをずらす」という説も盛んに流れており、これはプロ筋に多い。「まともに正面突破するようなヤツは政治家じゃない」というのである。だが、小泉首相を動かすのは普通の損得計算ではないような気がする。「XXさんがこう言っているから」みたいなことで判断を曲げるのは、われら凡人が得意とするところ。彼の判断基準はおそらく違うところにある。さらにいえば、彼は失敗や摩擦を恐れない。
○それ以上に、参拝を取りやめたり日にちをずらしたりすると、中国に間違ったメッセージを送る恐れがある。しかも同じ問題が来年以降も繰り返されることになる。それだったら、正面突破して結果に聞いて見た方がまだしもスッキリするのではないか。中国政府が激怒して日本企業イジメに走ることを懸念する向きもあるが、WTOに加盟してオリンピックも開催しようという国が、そこまでリスクを冒せるかという問題もある。クリント・イーストウッドじゃないが、"Go
ahead, Make my day."とすごんでみてはどうか。中国はきっと困ると思う。
○以上、「べき論」とは無縁で無責任な観測です。
<8月10日>(金)
○ものすごい数のご意見メールを頂戴しています。靖国問題の反響は非常に大きい。そのすべてを紹介することはできませんが、それぞれのさわりの部分だけを、以下の通り引用してみます。
●問題は、憲法や周辺諸国の反応というよりも、首相が靖国参拝にどのような政治的意義を見出しているのかということです。戦没者の慰霊と平和への祈念という当初の目的どおり参拝が実行されるなら、それほど大きな政治的イッシューにはならないのではないかと思います。(山根)
――そこをどう説明するか。小泉さんらしい短くて分かりやすい言葉でお願いしたいですね。
●たぶん国民の多くが思っているのは、「靖国神社は、第二次世界大戦の戦没者を合祀しているところ、だから8月15日に、小泉首相が、平和の祈りを込めていくことの、どこがおかしいのか」というところだと思います。でも私の回りで、靖国問題をきちんと認識している人は皆無に近いです。(U)
――なんの、私も今回調べたお陰で初めて知りました。いいきっかけでした。
●自分ならどうするか?中曽根首相が行った時よりも世論の関心を引けた。これで十分、目的が達した。声明を出し、参拝をやめる。声明の要点は、「アジア関係各国との外交の重要性」「世論を喚起出来、当初の目的は達した。今後もこの問題に関心を持ってもらいたい」。行くにしても行かないにしても、声明文は注目を集めており、自分を含めて、国民は戦争について勉強できると思います。(Y)
――シンガポールからいただいたご意見。Yさん、元気でやってますか。
●靖国問題について、昨日中国(大陸出身)の人と話す機会が有りましたので・・・。
1.彼は小学生入学から高校卒行まで、毎年8月15日に中国人戦死者が祭られている墓地にお参りさせられていた。(当局より)
2.これは、彼に限ったことではなく、全員に強制されていること。(らしい)
3.中国人が国のための戦死者にお参りする際には、平和を願うという気持ちは殆どなく、先人の意志を受け継ぎやり抜くことを誓うという意味となる。
要するに文化、風習の違いのような気がしました。(T)
――死ぬと神仏になる国と、死者を裁いて厳正に記録にとどめる国の違いということですね。日本は戦争責任をなあなあで済ませましたが、中国はすでに毛沢東を批判し始めています。かの国の歴史へのこだわりは重いです。
●西郷さんを祭ってないのは知らなかった!と言うよりも、そんな昔の人を祭ってあるの知らなかった。(S)
――普通は知りませんよね。私もビックリしました。靖国神社は、戊辰の役で亡くなった官軍兵士のために発足したので、逆賊である会津藩士や彰義隊や新選組などの死者は祭っていません。ゆえに靖国神社に代表される国家神道は、日本古来の神道そもそもの精神に反すると、梅原猛が言っていました。
●私自身は国立墓地を作って無宗教で祀るべきだと思っています。そして、その墓地には旧植民地から参戦させられた方たちも祀ってほしいですね。この問題で毎年時間を使うのは無駄だと思ってます。・・・・・反面、ここまできたら小泉さんは15日に行かなければならない気がします。私は、子供がたやすく人を殺すような日本の社会の乱れは、「言葉」というものを粗末にしすぎて来たことが一端にあると考えています。公約で言ったことは絶対に行う。政治家は言葉を大切にし、違えるかもしれないことは言ってはいけないのです。(N)
――Nさん、お久しぶりです。靖国神社の日本庭園にはちゃんと行きましたよ。私はこのご意見を読んで、「援助交際は村山政権誕生のせいだ」(テリー伊藤)という名言を思い出しました。
●唐外相は、「ヤメナサイトゲンメイシタ」と言っていました。「ヤメナサイ」は、「靖国神社に参拝するのを止めなさい」、「ゲンメイシタ」は「言明した」と理解されているようです。しかしどうなのでしょうか。これを聞いて激怒で頭に血が上った人は、「ヤメナサイ」を「小泉は首相を辞めなさい」と、「ゲンメイシタ」を「厳命した」と受け止めてしまうかもしれません。恐ろしいことです。日本政府は唐外相に真意を質すべきではないでしょうか?日本は外交でチャンスを逃していることがあまりにも多いと思います。(O1)
――あの一言でカチンと来た人は少なくなかったと思います。田中外相やマスコミには、その場で反論してほしかった。でも、言われっぱなしで帰ってくるからなあ。ところでOさんからは、各方面の識者のご意見を多数ご紹介いただいています。
●「親日派」がいるから、それに対抗する反日運動が起こるという中国政治独特の動きを理解する必要があると思います。日本の器量を考えれば、下手に「親日派」を作らない事が、むしろ日中関係にとって得策なのかもしれません。・・・・さいわいなことに、今の中国には大「親日派」が居ないので、靖国はさしたる結果にはならず、外交部が自ら墓穴を掘った、という喜劇におわるでしょう。(O2)
――これも興味深い指摘です。一方で、日本国内に「親中派」がいなくなっている事実をどう考えるべきでしょうか。
●国家のリーダーが、国家のために命を捧げた者に対して「敬意と感謝」の気持ちをもって平和を祈る行為は、どの国の指導者にも素直に理解できることだと思います。米国のリーダーがアーリントン墓地に行くのと、日本のリーダーが靖国参拝をするのは、同じ気持ちです。わたしの、ある友人は、「小泉総理が、江沢民主席や金大中大統領と一緒に靖国参拝をすればよいのではないか」と。百聞は一見にしかずです。また、小泉総理も、中国や韓国を、解放記念日に訪問し、ともに戦没者墓地で平和の祈りを捧げたらよいのではないでしょうか。もし日中のリーダーが手をつないで平和を祈る姿が世界中に配信されたら、これはアジアの歴史を変える21世紀初頭の一場面となるでしょう。(O3)
――まったく同感です。
○最後に、これは誰でも知ってる(若い世代は知らないかもしれない?)『同期の櫻』です。あらためて感じる5題目の歌詞が持つ重み。
1 貴様と俺とは同期の桜
同じ兵学校の庭に咲く
咲いた花なら散るのは覚悟
みごと散りましょ国のため
2 貴様と俺とは同期の桜
同じ兵学校の庭に咲く
血肉分けたる仲ではないが
なぜか気が合うて別れられぬ
3 貴様と俺とは同期の桜
同じ航空隊の庭に咲く 仰いだ夕焼け南の空に
未だ還らぬ一番機
4 貴様と俺とは同期の桜
同じ航空隊の庭に咲く
あれほど誓ったその日も待たず
なぜに死んだか散ったのか
5 貴様と俺とは同期の桜
離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社
春の梢に咲いて会おう
○これを聞いて、「靖国神社は忌むべき軍国主義の象徴」と思うか、「後世に伝えるべき民族の物語」と思うか。これは両方の反応があって当然だと思います。それにしても、「仰いだ夕焼け南の空に
未だ還らぬ一番機」という情景のなんと美しく、つらく、切ないことでしょう。終戦記念日まであと5日。
<8月11日>(土)
○いろいろ書いてきましたが、靖国神社の参拝問題とはつまるところ神学論争です。「そもそも神道には教祖も経典もないというのに、これを宗教と呼んでいいのか?」などという疑問も頭をもたげて来たりして、これはもう迷宮のような世界。ただし8月16日になったら、おそらく世間の大多数が興味をなくしているでしょう。
○さて、こうしている間にも、もっと現実的な問題に頭を痛めている人々がいる。今週何度も覗いてみましたが、この掲示板はとっても熱いのだ。なにしろ命の次に大事なものを賭けているから真剣だ。売り方も買い方も週明けが勝負どころかもしれない。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=q&board=8269
○ゼネコンと並んで流通は構造不況業種として注目されている。この業界は8月が中間決算なので、大リストラ案とか債権放棄とか民事再生法とかいう話が飛び出しても不思議はない。今朝の読売新聞が↓のような記事を載せたことで、状況はいよいよヒートアップ。
http://www.yomiuri.co.jp/02/20010811it01.htm
○この会社、ここを見ると、資本金が740億円、従業員が2万人の大企業である。その一方、IR情報を見るとものすごい勢いで店舗を閉鎖しているのがよく分かる。痛みを伴う改革が間に合うか、冷徹な資本の論理が押し切るか、これから先の日本経済を占う前哨戦といっていいかもしれない。でも、小泉首相は16日間の長期休暇中。
<8月12日>(日)
○いやあ、ついつい臨時増刊号なんて作っちゃいました。ペーストして張りつければいいやと思ってたが、結構疲れたぞ。でも、こういうことがなければ、知らないままで終わっていたでしょうから、非常にいい機会でした。
○ということで、明日からは1週間のお休み。芸のないことに、今年も田舎(富山)に帰省します。明日の昼過ぎに出れば、渋滞に遭わないという読みなんですが、はたしてどうでしょう。
<8月13日>(月)
○「宗教オタクのエンジニア」さんから「神道は宗教でしょう」とのご指摘をいただきました。宗教の定義にはいろいろあれど、@宗教体験を他人に追体験・疑似体験させる、A善悪という理性では決定できないことを思考停止の勢いに乗じて決定する、の2点があるそうです。この後者の面からみれば、神道は明らかに宗教であり、実体がなかったり力がないように見えるのは別物だとのこと。
○おそらく神道がユニークなのは、多神教であるからでしょう。しかし世界の宗教の大勢は一神教。古代ローマ帝国は多神教でしたが、こういう世界観を海外に向けて説明することはけっして容易ではない。結婚式は教会で、お葬式は仏式で、受験のときは道真公にお参りし、交通安全は成田山、といった宗教的寛容さ(あるいは無頓着さ)は、一神教の世界観から見ればかなり不気味なことであることは間違いありません。
○さて、本日は午後1時半に柏市を出発し、午後8時に富山着。途中、米山インターで「小泉首相が13日に参拝した」というニュースを見ました。ま、今日のところはノーコメントとしておきましょう。
<8月14日>(火)
○「あの公言は何だったんだ、小泉さんらしくない」と驚いた人が多かったのではないか」、「何であれ、小泉首相の発言と信念は、以後あまり信用されなくなるだろう」、「近隣諸国のいいなりになる謝罪外交の構造的体質を改めることこそ、構造改革の第一歩だったはずである」――産経新聞は旗幟鮮明である。たしかに怒っている人、ガッカリした人は多いと思うので、価値ある叱正といえよう。
○「賛成、反対双方に不満は残るだろう。靖国参拝に強く反対してきた中国や韓国がどう反応するのかもまだわからない。しかしながら、終戦記念日に参拝を行う場合に比べれば、国内外ともに混乱の度合いははるかに小さなものとなるだろう」――日経新聞はどっちつかずのことを言いながら、最後は「外交の最高責任者として、靖国問題をこれほど大きな政治問題にしてしまうことは首相として避けるべきだったのではないか」と逃げを打っている。常套手段ですね。
○興味深いのが読売新聞で、「前倒し参拝は適切な政治判断だ」と評価している。「現下の厳しい国際情勢において、首相の言う『幅広い国益』を総合的に考えるならば、賢明な政治判断だったと言える」「中国側は非公式に十六日以降の参拝を求めてきたとされる。それに沿った参拝では、中国の圧力に屈したという印象を与えることになる。そうした点も踏まえ、総合的に判断すれば、十三日参拝という首相の判断は適切な選択だった」。
落としどころは、「外国の元首も参拝できる、宗教色のない国立の追悼施設を設けることも検討に値する」としている。
○当然というか、朝日新聞は、「これが熟慮の結果か」とこき下ろしている。「あの戦争では、『死んだら靖国神社で会おう』と言い残して出征し、特攻に出撃した人たちがいた一方で、靖国神社を『侵略を美化した軍国日本の精神的支柱』とみなす内外の人びとも大勢いる。そうした施設が『不戦の誓いを新たにする』場としてふさわしいと、首相は真実、考えたのか。参拝する自分の『気持ち』を力説する一方で、隣人たちの『気持ち』を思いやる優しさが欠けていた」と痛いところをついている。
○新聞の社説なんて、普通は読まないですけど、こういう踏み絵のような事件があるとついつい読み比べてしまいますな。皆さん、苦労の跡がしのばれるような書きぶりです。でも、これで15日を過ぎれば、この問題を速やかに忘れ去ることができそうなので、きっと内心ではほっとしているんじゃないでしょうか。明日は立山登山。更新は明後日になります。
<8月15〜16日>(水〜木)
○立山といえば、富山県が誇る最大の観光資源である。おそらくホタルイカや蜃気楼や売薬さんや鱒の寿司以上に、「越中立山」の認知度は高いはずである。ところが"What
is Tateyama?"は意外と難問なのだ。試しに天気が良くて、東の空に北アルプスの山々がきれいに並んで見える日に、善良な富山市民を呼び止めて「私は観光客なんですが、立山はどれなんですか?」と聞いてみると面白いと思う。答えられない人が結構いるのではないだろうか。
○剣岳(2998m)は威風堂々としているので誰でも分かるが、立山というのは5つの峰の総称であり、うち頂上に神社がある雄山(3003m)のことを普通には「立山」と呼んでいる。昔から信仰の対象になっていて、「日本三霊山」と称したりするのがこの雄山である。だから「立山登山=雄山登山」と考えてほぼ間違いない。紛らわしいことに、地図を見ると立山は3015mということになっているが、これは雄山の隣にある大汝山の頂上の高さである。こちらはまったく目立たない、地味な頂上であり、訪れる人も少ない。ちなみにこの程度の高さの違いは、富山市当たりから見ていると全然分からない。
○初めて立山に登ったのは小学校4年生のときである。高校時代には毎年クラブの合宿があったので、その頃にも2度登頂している。当時は富山駅から電車で立山町まで行き、ケーブルカーで美女平まで登り、バスで室堂までたどり着き、そこからが登山だった。それから20年以上もたった今ではいろんなルートがあるらしく、今回は特に大甘のルートを使わせていただいた。朝8時半に家を出て、途中は人のクルマに乗せてもらい、昼前には立山高原ホテルにチェックイン。お昼は茶そばと田舎そばの盛り合わせをいただいたが、思わず「蕎麦湯をください」と言いそうになるほど本格的だった。これはもう登山というストイックな世界とはまったく無縁な観光コースである。
○なんでまた40歳の登山再挑戦なのかといえば、長女K(13歳)対策なのである。もともとインドア派で本ばかり読んでいる子供なのだが、この夏はますます出不精になっているので、いっちょ外へ連れ出そうというのが動機だったりする。当人の登山歴は保育園時代の筑波山だけ。そのわりには結構立山登山に乗り気である。というわけで、親子ふたりで地上2400mの室堂を午後1時に出発。あとで気がついたが、かなり遅いスタートであった。
○室堂から一の越(2600m地点)まではわりと単調な道が続いている。でこぼこ道だが急な部分は石段になっていたりするので、楽といえば楽。途中で雪渓を2度わたる。これは昔もそうだった。ひとつめの雪渓の雪がほとんど溶けていたのは、今年の猛暑のせいか、それとも地球温暖化のためか。小学生のときは、ほとんど走るように登った道だが、中年男にとってはつらい。気圧の加減もあってすぐに息が切れる。約40分かけて一の越に到着。小ぶりな山小屋があって、缶ジュース1本を250円で売っている。ここまで歩いてきた者には、非難できない価格といえよう。(缶ジュースは屈強な若者が担いで登ってくる)。「まあ、最悪、雨が降ったことにして、ここで引き返しても面目は立つな」などと、気弱なことを考える。
○長女Kがわりに元気なので、いよいよ午後2時から登頂に取りかかる。ここから先はほとんど全身を使ってよじ登るルートになる。登山靴もピッケルも不要な登山とはいえ、石が崩れたりすればエライことになる。すでに登頂して降りてくる客が多いので、すれ違うのもやっかいである。岩に書かれた赤いペンキの矢印をたどって登る。ものの10分と起たないうちに、一の越の山小屋は豆粒のように小さくなってしまう。
○ここで私は重大なことに気がついた。自分たちも含めて、これから登ろうとしている客が極端に少ないのである。考えてみれば、午後5時までに室堂に戻ろうと思ったら、午後3時には山頂に着いていないとまずい。つまりギリギリの時間帯なのである。急に心細くなってきたが、長女Kの手前、うろたえるわけにもいかぬ。「うむ、まあ、ゆっくり登ろう」などと言いつつ、小刻みに休んでは水筒の麦茶を飲んだ。三の越について、雄山頂上の建物が見えたときには心底ホッとした。降りてくる人たちも「もうすぐですよ」と声をかけてくれる。
○「これで3時には山頂につくな」などと思ったとたんに、手のひらに水滴が落ちた。あたりにもやがかかってきて、急に視界が悪くなってしまった。なんとか山頂につく。さすがにうれしくて、「やったあ」とバンザイしながら辺りを見渡すが、周囲は真っ白になってしまっていて、ほとんど何も見えやしない。と、思っていたら雨。それも横殴りになってきた。あわてて山頂の建物に入ると、中の人がなんとストーブを出してくれた。山の天気とは本当に変わりやすいもので、冗談抜きにこのストーブがありがたかった。
○山頂の建物は、神社と土産物屋と山小屋を3つ兼ね備えたような代物である。天気が良ければ、ここからさらに上にある社でお払いをしてくれるのだ。ただし本物の神主さんがいるわけではなくて、やっているのはアルバイトのお兄ちゃんたちである。私が高校時代には、学校の先輩が神主のアルバイトをしていて、「えー、このご神体の右がイザナギノミコト、左がえー・・・・と、、そう、タジカラオノミコト」などというヒドイ仕事をしていた。だがこの天候ではそれも無理である。とりあえず「立山登頂」のお札だけはもらう。
○なんといっても心細いのが、山頂にいる客はわれわれも含めて3組しか残っていないこと。しかもこれ以上増える見込みがまったくない。この悪天候の中を、どうやって帰ったものか。「ま、30分もたてば晴れるだろう」などと口に出してはみたものの、そんな保証はどこにもない。だいたいが楽観的な準備をするのは、昔からの私の悪い癖なのである。山の天気が崩れやすいというのは昼以後の話で、午前中は滅多に崩れないのだという話を後から聞いた。やっぱりスタートが遅かったのである。雨の中の下山なんてもちろん初体験。ゆえに私の心中は穏やかではないのだが、ありがたいことに長女Kは平然としているように見えた。
○1本300円の十六茶を2本買い、空になった水筒に入れた。それから一応持ってきていた携帯用のビニールの雨合羽2つを広げて着込んだ。雨はまったく弱まる様子を見せない。時計はもう午後3時半を指している。一緒にいた熟年カップルが外へ出たのを見て、この人たちの後をついて降りようと決心した。お二人が登山慣れしているように見えたのと、自分たちだけで降りる勇気がなかったからである。
○前の2人が派手目の服装をしていたのが幸いして、なんとか見失わない程度のペースで後をつけることができた。とはいえ、すでにズボンは膝から下がびしょぬれだし、かなり寒い。降った雨がちょろちょろと足元を流れているのもイヤな感じである。登ってくる人がいないのを幸い、多少、乱暴に降り続ける。来たときと同様に、何度も短い休憩を取っては水筒のお茶を飲んだ。
○30分も降りた頃になって、急に空気の流れが変わった。振り返ると山頂の上に青空が見えている。天気は急速に回復に向かっていた。まもなく眼下に一の越の山小屋が見えた。雨も小ぶりになった。大きな石に腰かけてゆっくり休んだ。リュックの中にプリッツ(オールドファッション)が入っていたのを思い出し、取り出して食べたら死ぬほどうまかった。前を行く2人の姿はもう見えなくなっていたが、もう心配は要らなかった。間もなく日差しが照り始めた。午後4時10分頃には無事に一の越に下山していた。
○帰り道を少し行ったところで、長女Kが「あっ」と小さな声を上げた。道端を鳩くらいの大きさの鳥がゆっくりゆっくりと歩いていた。雷鳥だった。夏なので黒い羽根をしている。現物を見るのは初めてだ。離れて見ていると、雷鳥は道の真中まで来て、低い小さな声で「クルクル・・・」と鳴いた。周囲にまったく人がいなくなったことと、雨が降ったせいで降りてきたのだろう。いやはや、眼福でござった。なんだか「ご苦労さん」のご褒美をいただいたような気がしましたな。
○というわけで、久々の登山でした。昔はレジャーといえば「海か、山か」といった時代がありましたが、最近では山を選択するのは圧倒的な少数派に転落したようです。ストイシズムはもう流行らないのでしょうね。でも、その昔、各自米1升を持ち込んで、高校のクラブ一同で雑魚寝した山小屋体験は本当に楽しかったのですが。そんな私も、今度の旅行では温泉に3度も入るわ、夕食には天ぷらから柳川鍋までついちゃうのですから、堕落もいいところです。とはいえ、夏の思い出作りという点では、山登りの魅力を再確認した旅行でした。ただしくれぐれも、山を甘く見ちゃいけませんぞ。
○この間の靖国神社や日銀の金融緩和や円高ドル安の進行などの問題につきましては、筋肉痛が癒えた頃にあらためて取り上げることにいたします。それではまた。
<8月17日>(金)
○長女Kが「う〜ん、筋肉痛がまだちょっと・・・」などと言っている。当方の筋肉痛は登山の2日後にはさらに増幅し、階段を降りるときなどは太ももがガクガクいっている感じである。若い者はええのぉ、などと贅沢は言っておられず、朝8時に富山を出発。案の定、午前中はほとんど渋滞はなし。北陸自動車道から関越自動車道をほとんどノンストップで飛ばす。実質5時間半で柏市着。ということで、かんべえが帰ってまいりました。
○さて、富山県に関する面白い話をいくつか。
●立山町へのアクセスを良くするために、常願寺川に大きな橋が懸けられた。橋の名前は「立山大橋」となった。ところが川の手前の大山町はこれがおもしろくない。ありがちなことに、昔から川を挟んで大山町と立山町は仲が悪かったのである。とうとう大山町の町議会で橋の名前が問題になってしまった。このときの町側の答弁がふるっていて、「立山大橋の大の字は大山町の大であります」。
●富山県は人口100万で市町村の数が35。日本の人口1億2500万で市町村数が3200だそうだから、約100分の1である。最近の地方自治の流れに沿って、「市町村合併をやるべし」という声が上がっている。では、どこから始めるかというと、「まずは下村で、小杉町に吸収されるでしょう」。――これがなぜ可笑しいかは、地元以外の人には説明しにくいのだけど、下(しも)村は小さい村で名前のイメージが悪い。地図を見ると「下」とだけ書いてある。小杉町と合併すると、おそらく地価が上がるのではないか。
●隣の石川県金沢市とは違い、富山市を舞台にした小説はほとんどない。数少ない例外に宮本輝の『蛍川』という佳作がある。ラストシーンでは、川いっぱいに蛍が光るというたいへん美しい光景が描かれている。ところが、この川の本当の名前は「いたち川」。一応は一級河川なんだが、その名の通り風情も何もない川である。いっそのこと、川の名前を「蛍川」に変えてはどうかと思う。おそらく誰も反対しないんじゃないだろうか。
●あの竹下登が回顧録『政治とは何か』の中で書いている話。島根県では投票率全国一を目指しているが、県単位では勝てても、市町村単位だとどうやっても勝てない村がある。それが富山県利賀村。現職に対して共産党しか対立候補が出ない知事選で、投票率が98.4%。本当に「病人を戸板に乗せて」るんじゃないかと思うほどである。この村に関するデータがこれ。すごいでしょ。日本の山村を絵に描いたような美しい村で、国際的な演劇拠点になっていたり、とてもいいところですから、ひとこと宣伝まで。
○こういう世界に舞い戻ってみると、小泉さんの構造改革もかなり違った印象がありますね。田舎がある人間は幸いなるかな。
<8月18日>(土)
○知り合いの記者から、「まだ調査中なんですけど、すっごく面白い話があるんです」。これがたしかにすごい。裏は取ってないけど、ここでバラしてしまおう。
●官邸クラブの朝日の記者が数人(?)丸坊主にしてるらしい。官房長官番が丸坊主でキャップが半坊主?あと何人かも坊主にしたらしい。その理由がすごい!「小泉の靖国参拝を阻止できなかったから」だって。
○うーん、なんと言うのか。小泉内閣の新閣僚記者会見で、朝日の記者が全員に向かって「靖国参拝」の踏み絵を迫っていたのは、それほどの思い込みがあったというわけでしょうか。ただし、本気で自分たちの影響力によって、首相の靖国参拝を止められると思っていたのだとしたら、かなりの傲慢さですな。少なくとも、情報を伝える「媒体」としてはあまりにも歪んでいるとしか言いようがない。
○筆者はふだんから朝日新聞を読まないので、四酔人でほかの3人が「朝日はケシカラン」と憤慨しても、怒りを共有できないくらいである。同様に筑紫や久米の番組も見ない。だって精神衛生上悪いに決まっているから。新聞が社説でどんなことを主張されても結構ですが、報道の現場がそれだけ偏向していちゃまずいと思う。産経新聞で、「15日参拝の予定が13日になったから、記者が坊主頭になった」てな話は考えられませんからね。リベラル派のあせりみたいなものを感じさせる怪情報でした。
<8月19日>(日)
○帝国ホテルの村上信夫さんという人は、昔から好きな人なんですが、現在の日経新聞「私の履歴書」はいいですね。この人の昔話をふと思い出したのでご紹介しましょう。
Q:戦前、海軍さん主催のパーティーが行われた。そこでホテルでは巨大な軍艦型のパイを作り、メインの料理としてお出しした。するといちばん偉い将軍が怒り出した。「軍艦を食い物にするとは何事だ!」 居たたまれないような沈黙が流れたのち、気の効いた部下が絶妙な助け舟を出した。おかげでパーティーは和やかに始まった。さて、部下は何と言ったのでしょう。答えは今日の最後の部分で。
○さて、遅くなりましたが靖国神社について。終わってから気づいたのですが、この問題の本質は「政教分離」や「A級戦犯」ではなかったのですね。もし政教分離が問題なのであれば、新年の伊勢神宮参拝も違憲だし、首相が友人のお葬式に出ることだって問題になってしまう。A級戦犯にしたって、戦没者慰霊式にA級戦犯の家族が招かれていても、それが問題だという人はいない。要するに問題は靖国神社それ自体にあった。
○特攻隊で死んだ人は、国のために尊い命を捧げた。彼らは「靖国の桜に生まれ変わる」と言って散っていった。その事実は忘れてはならないし、国のリーダーが敬意を捧げることは自然なことである。その一方で、「特攻隊の兵士たちは、国家によって犬死させられた」と受け止める人たちもいる。この観点に立てば、靖国神社は戦前の軍国主義を支える装置の一部であり、そこへ現在の平和国家ニッポンの首相が参拝するのはトンデモない、となる。いずれの立場も、いってみれば感情論である。ゆえに議論をしても、あんまり実りはない。「右翼だ、サヨクだ」の言い合いで終わってしまう。
○感情論に必要なのは、寛容の精神だと思う。理屈で押し切ることができないのだから、痛み分けするしかない。その意味で小泉首相が予定を変更して13日に参拝したのは、そう悪いことではなかったのではないか。海外でも日本国内でも、「とにかく参拝に反対」という人があれだけ大勢いた。冗談抜きに、丸坊主になっちゃう人までいる。やっぱり押し切らなくて正解だったのだろう。
○そういえば大礒正美先生から、「私も皆さん四酔人と同じ反朝日ですが、新聞は全国紙5紙と東京を購読しています。仕事柄、反日日本人側の情報もとっているので」とのメールを頂戴しました。恐れ入りました。私も寛容の精神をもって、朝日新聞もちゃんと読まなければ、と少し反省しました。
○おそらく来年も同じことが繰り返されるだろう。小泉さんとしては、時間をかけて内外を説得していくよりほかはない。同世代の神谷万丈さんが今月号のフォーサイトで、「言葉の力を外交で発揮せよ」と書いている。日本が歴史問題に対してどのような姿勢で臨もうとしているのか、世界に対してあらためて明確に示すいい機会だった、というのである。なぜ靖国参拝なのか、をきちんと説明しない限り、感情的な反発は絶えることがない。
○昨日、久しぶりにキッシンジャーの『外交』をパラパラと読み返していたら、こんなくだりがあった。「偉大な大統領というのは、国民の将来と彼らの経験との間のギャップを埋める教育者でなければならない」(上巻35P)。つまりリーダーは、国民が望むとおりにしていたんじゃいけない。進むべき方向を示して、説得しなければならない。小泉さんの構造改革も、どうやって国民を説得するかが勝負になるだろう。
○と、堅い話はここまで。冒頭のクイズの答えは、「閣下、あれは敵艦であります」でした。怒ってた将軍は、「うむ、ならば皆の者、食ってしまえ」となった。昔の海軍さんの雰囲気を伝えるようないい話でしょ。
<8月20日>(月)
○正確に覚えていないのが残念なのですが、おそらく今日当たりでこのHPが2周年になるはずです。普通は初めてHPをオープンした日は感動して、記念日にしたりするもんですけどね。たしか1999年8月の夏休み明けに、約半年書き溜めた「溜池通信」をPDFファイルにして、フロントページだけのサイトを作ったのが始まりでした。当時は更新も週1回。10月になって、この「不規則発言」を始めてから、少しずつアクセスが増えだした。というわけで、2年で通算11万件。ご愛読に深謝。
○記念に何か、と思ったけどとくに思いつかないので、リンク集を更新してみました。新しく加えたのは10本。主に外交・安全保障と政治情報に関するものを増やしています。今までにまったく紹介したことがないものとして、宝珠山昇さんのNational
Defence Observation Centerがあります。かつて防衛施設庁長官を勤められた方ですが、高い更新頻度で重要な資料を集めて掲載されています。本誌の「アーミテージ・レポート全訳」などもリンクしていただきました。それからMORU’s
WEBは出来たばかりのサイト。こちらは同郷、同世代の方ですが、まだお会いしたことはありません。今後に期待しましょう。
○本棚を見ると、その人がどんな人かがわかるといいますが、サイトを判断するときはリンク集を見るに限りますね。かんべえが知恵袋と頼む方々のサイトを訪問してみてください。きっとお役に立つものがあると思います。
<8月21日>(火)
○台風到来でござる。今日のお台場は、濃霧が立ち込めてレインボーブリッジが半分しか見えませんでした。こんな東京湾の景色もめずらしい。台風は今日は紀伊半島に上陸したようですが、明日には首都圏直撃になりそう。こんな日に、はたして「ゆりかもめ」はちゃんと動くんでしょうか。今朝の新橋駅には、「台風が来るので、なるべく早く帰りましょう」という意味のことが書いてあったそうだ。観光客はそれでいいけど、出勤でお台場に行く人は困ったものである。
○とはいうものの、筆者はむしろ明日、嵐のお台場を見るのが楽しみです。台風となると、無責任にワクワクしてしまうのはわれながら子供みたいですなあ。大学時代の仲間には、台風が来るとわざわざクルマで外出して嵐を見物する趣味の持ち主がおりました。そういう非日常感覚をよろこぶ心理はわからんではない。
○それにしても、夏前半の猛暑が嘘のような天候です。秋本番を告げるような大型台風の到来。このように季節がちょっとずつ早く変わっていくのが、景気にはいちばんいい傾向なんですよね。夏は猛暑、冬は厳冬、それも早く始まって早く終わるというのが望ましいパターン。とはいえ、天候だけでは救えなさそうなのが昨今の日本経済。円高傾向に推移するし、株価も下げている。米国発のハイテク不況も調整に時間がかかりそうだ。せめて恵みの雨を降らせて、首都圏の水不足の恐れを解消してもらおう。
<8月22日>(水)
○台風は午前中で失速したようです。期待を持たせたわりには、あっけなかったですね。ただし電車の乱れは相当なもので、通勤には時間がかかりました。それにしても今朝のような天気でも、舞浜駅でディズニーランドに降りていくお客はいるものですね。感心しました。
○8月18日のこの欄で、「首相の靖国参拝を阻止できなかったから、坊主になった新聞記者」の話を紹介しましたら、今度は別の記者の方から下記のような続報を頂戴しました。本当だとしたら、なんともあきれ返ったボウズどもですな。
どうも、金銭が絡んでいるようです。
15日に参拝するかどうかで番記者仲間、あるいは朝日の官邸詰め記者の間で賭をしていたようで。
○それから、今日教えてもらったすごいサイトをご紹介しておきます。
http://www.combinedfleet.com/kaigun.htm
○アメリカ人が作った帝国海軍へのオマージュ。かなりの量があるようなので、まだ全部は見ておりません。阿川尚之さんの『海の友情』をちょっと思い出します。オタクパワー全開といった感じですね。
○明日は弟子の先崎くんが作ってくれた出張で大阪へ行ってきます。新幹線に乗るのは久しぶり。明日は普通に動いてくれると思いますが、しみじみ昨日や今日じゃなくて良かった。PCを持っていこうかと思いましたが、重いのでやめます。ということで、明日の更新はお休み。先崎くんは、「せっかくブロードバンド回線付きの部屋にしたのに」と嘆くかもしれませんが。お気持ちだけ頂戴しておきます。
<8月23〜24日>(木〜金)
○大阪に行ってきました。先崎君のお客さんである金融機関を回る。ついでに山根君や大谷信盛衆議院議員も呼び出してしまう。ショートノーティスで「ちょっと時間ある?」で呼び出すのは、弟子の山根君はともかく、大谷氏は遠慮すべきだったか。長い付き合いとは言え、一応はセンセイなんだし。彼の選挙区には例の殺傷事件の池田小学校があり、心労が絶えない様子。あれだけの事件ともなれば、尾も引くし、怪情報も飛び交う。それ以上に景気も深刻であると。
○大阪、どこへ行っても「景気が悪い」の話になる。1970年の大阪万博で大いに潤ったあと、ぱっとすることがないまま30年。途中、沸いたのはタイガースが優勝した1985年だけ。製造業はどんどんアジアに移転し、住友、三和銀行までが本店を東京に移してしまうなど、空洞化が止まらない。かつて東京と張り合った商都大阪は、「博多や広島のような地方都市に転落していく途中。まだまだしぼむ」という悲鳴のような声を聞いた。
○「デフレを止めて、超低金利をどうにかして、株と土地が上がらないことには・・・」といった嘆きを方々で聞くが、いずれも「政府がこんなふうにしてくれたら・・・・」という話になってしまうところが悩ましい。地元でもいろいろ努力はしているのだが、どうもちぐはぐな感じがするのである。新しく出来たUSJは大阪北港で、関空は南の果て。学術都市の「けいはんな」は東。でもって繁華街は、昔ながらの梅田(キタ)となんば(ミナミ)。どうもバラバラで、集積効果が生じるような形になっていない。
○この「集積を作る」ということが、これからは鍵を握るのではないかと思う。今年の通商白書が、「中国経済躍進の秘密は、朱江デルタ、長江デルタという世界有数の産業集積の形成に成功したこと」と指摘している。阪神工業地帯も昔は良質な中小企業の集積があり、繊維や化学品などで競争力を誇っていた。これらの産業が競争力を失ったあと、どんな集積を作っていけばいいのか。そこに知恵を絞らなければならない。そういう意味では、海上にオリンピック会場を作る、なんてのは悪手の最たるもの。
○東京近郊では舞浜周辺に、いつのまにかアミューズメント施設の集積が出来あがった。おかげでディズニーランドに出かけて満員だったら、葛西臨海水族館に行くとか、お台場まで足を伸ばすとか、いろんな選択肢がある。これだけ集積があれば、修学旅行から外国人観光客までが集まる。大阪ではUSJが混雑するそばで、海遊館がガラガラになっているという。
○もっとも舞浜〜お台場地域は、気がついたらそうなっていたのであって、誰も意図していなかったというところが面白い。80年代に東京都が絵を描いた時点では、お台場は先進的なインテリジェントシティになるはずだった。現実に出来たものは、大観覧車にショッピングモールにテーマパークに宿泊施設である。おかげで人が集まるようになった。かんべえさんのように、そこで仕事をしている人も少数派ながらいるわけだが。
○それにしても、大阪人は暗い話が暗くならないのがいいですね。「ナニはなくともナニワはサイコー、ほかに比べりゃ外国同然」(『大阪ストラット』/ウルフルズ)というフレーズが浮かびます。大阪復活の鍵を握るのは、やっぱタイガースですかね。
<8月25〜26日>(土〜日)
○失業率が戦後最悪の5%に達するとか、株価がバブル崩壊後の最安値だとか、ドキッとするようなデータが発表されます。これに対し、小泉首相が「一喜一憂しない」としているのは、落ち着いているのみならず、正しい対応だと思います。
○失業の深刻度を示す指数としては、完全失業率以外に有効求人倍率があります。こちらで見ると、現在は0.6前後ですから98年頃の0.5近辺の頃よりは改善している。労働問題においては、今ある雇用を守ることよりも、新しい雇用を創出することが重要ですから、「失業率が上がって有効求人倍率が上がる」のは正しい方向です。
○株価もTOPIXで見れば、98年秋が最安値です。戦後最安値といっているのは日経平均の話。何度も説明しているとおり、日経平均は昨年4月の銘柄差し替えで継続性が失われてしまっている。あのとき、IT銘柄を入れれば株価が上がるだろう、とばかりに日経平均にNTTドコモなどの派手目の銘柄をたくさん入れた。それが今回のハイテク不況のあおりを食らい、必要以上に指標が下げてしまった。貧すれば鈍するというか、日経新聞社はもうこの指数を発表するのを止めてしまった方がいいと思う。
○10年もの国債の最高値(長期金利の最安値)も98年秋だ。だいたいが現在の景気が、98年秋よりも悪いはずがない。こんなのは大局観という以前の常識の問題。データに一喜一憂するような報道を見ていると情けなくなってしまう。もうちょっと勉強してよ。
○ところで、テレビでやっているトヨタの新しいレクサス(日本名ウィンダム)のCMがやけにカッコいい。背後にかかっているヴァンゲリスの『ブレードランナー』にゾクゾクしてしまう。こういう高級車は、普通はクラシックで攻めるものですけどね。でも、ウチの車庫には入らないから、たとえカムリが7年目でも買いませんよ。と、千葉カローラさんには言っておこう。
<8月27日>(月)
○この夏の読書である『重光・東郷とその時代』(岡崎久彦/PHP研究所)を、書評の本棚に入れておきました。のちほどご覧ください。以下、それ以外の2冊をご紹介しておきます。
『転換期の日本経済』(吉川洋/岩波書店)
○この夏、東洋経済の「50人が薦める経済書120冊」の堂々第1位に輝いた。初版は99年だから経済の本としては寿命が長い。著者は竹中平蔵大臣と同世代のケインジアン。言葉のはしばしにサプライサイド派への反感がにじんでいて、竹中氏を意識していることが窺える。現在は経済財政諮問会議の委員。
○吉川氏の看立てによれば、「日本経済の問題点は需要の不足にあり」。不良債権や潜在成長力の低下が問題なのではない。日本経済の転機は、高度成長が終焉した1970年代初頭にすでに訪れていた。そこで輸出を伸ばすことによって需要不足の問題を先送りする。1985年のプラザ合意を機に、日本経済は内需主導の時代に向かうが、そこで生じたのがバブル。つまり輸出とバブルがなければ低成長に陥るのは当然だった。90年代が平均1%の成長に終わったのは無理もない。日本経済の真の問題点は、10年前ではなくて25年前にあったのである。
○そこではどうやって需要を創出すればいいか。NRI学派のように、「とにかく財政出動」とはいわない。政府の役割は重要だが、賢明な設備投資によってインフラ整備を行うしかない。鍵を握るのは技術、ということだ。お手軽な結論ではないが、説得力がある。こういう本を読むと、竹中さんと違って中味があるなあ、と感じる。
『検証 経済迷走』(西野智彦/岩波書店)
○日本経済がいちばん暗かった1998年のドキュメント。財政構造改革から景気重視へ、橋本政権から小渕政権へ、そして公的資金投入から長銀、日債銀の経営破綻まで。わずか3年前のこととはいえ、忘れていることは多いから、この本を読んで怒りを新たにしておこう。
○面白いエピソードがあるので紹介する。98年4月、景気対策のために法人税率を国際水準並みに引き下げる案が出る。これは税体系全般にかかわる重要事項なので、自民党税調での討議が欠かせない。ここで秘書官が「おみくじを引いてみよう」と言い出し、山中貞則氏に連絡を取った。すると税の神様たる山中氏は、あっけなくOKしてくれたので、景気重視への路線転換が可能になったという。
○現在、株式市場活性化のために証券税制の見直しが議論されている。首相も政調会長も抜本的な見直しで同意しているが、党税調は否定的。とくに党税調最高顧問の山中氏が反対しているのでどうにもならないという。山中神社の「おみくじ」は、なぜあのときは吉と出て、今回は凶なのか。神様に聞いてみたいものである。
<8月28日>(火)
○米国発のIT不況はエライことになりますよ、という話をあちこちでしておりますが、気がついたら日本でも大変なことになっている。日本の大手IT企業は、収益見通しの修正とリストラ策の発表を続けている。まとめてみたら、結構スゴイ。
●2001年収益見通しの修正とリストラ策(上段・太字は見直し後、下段は見直し前)
売上高 | 営業利益 | 税引前利益 | 当期利益 | 主なリストラ策 | |
松下電器 (7月31日) *上期 | 3兆3800億円 3兆5400億円 | -740億円 200億円 | -640億円 180億円 | -450億円 90億円 | ・初の早期退職制度を導入し、人員削減。 ・設備投資を年間1000億円減額。 |
NEC (7月31日) *上期 | 2兆6000億円 2兆7000億円 | 130億円 550億円 | 100億円 350億円 | 30億円 130億円 | ・年度内に4000人を人員削減。 ・本社でのDRAM撤退など。 |
富士通 (8月20日) *通期 | 5兆4000億円 5兆7500億円 | 800億円 2400億円 | -200億円 1400億円 | -2000億円 400億円 | ・今年度に国内外で1万6400人を削減。 ・特損3000億円計上。 |
東芝 (8月27日) *通期 | 5兆7500億円 6兆4400億円 | 0億円 2000億円 | -1900億円 1100億円 | -1150億円 600億円 | ・国内中心に1万8800人を削減。 ・21の国内工場のうち6カ所を統廃合。 |
○ほんの1年で大変な変わりようである。IT関連投資と在庫の調整は、米国と同様にドラスチックに進むだろう。そうなると雇用情勢にも影響が出るはず。このIT不況の深さをしっかり把握しておかないと、小泉改革は橋本改革の二の舞になるおそれがある。この分だと、補正予算はやった方がいいでしょうね。企業のリストラを支援するような方策を盛り込めればいいと思う。それから、「国債発行30兆円の枠」も、平成13年度についてはとらわれない方がいいと思います。
○筆者は「IT革命はしばらく中休みがあって、しかるのちに第2幕が始まる」という説を唱えているので、当面の調整は不可避だと思っている。逆にいえば、ここで徹底的に体勢を整えた企業が、第2幕の主役に踊り出る公算が高い。上に挙げたような企業は株価も下げているので、歴史的な買い場という見方もできると思う。
○それにしても世の中の動きの速いことよ。"ITis no longer a hope. It's a trouble."という感じですね。
<8月29日>(水)
○日本の銀行の問題点は大きくいって2つある。ひとつは不良債権であり、もうひとつは株を持ちすぎていることだ。どちらの問題も、解決するためには株を売らなければならない。時間をかけて、大量の株を売らなければならない。でも、喜んで株を買おうという人が少ないから、株は必然的に下がる。しょうがないから、株取得機構を作りましょうか、などという話をしている。こういう状況はここ数年ずっと変わっていない。つまり株価は下がり、周囲はオロオロし、銀行の経営は困難な状態が続く。
○少し前に銀行員のYさんから、「銀行の不良債権処理が足りないんじゃなくて、銀行の利益が足りないんじゃないですかね」という意味のメールをもらった。それもそうなんで、郵貯に農協、政策投資銀行から住宅金融公庫まで、およそ世の中にこれだけ銀行の競争相手が多い国はないだろう。そういう公的機関が高い金利でお金を集め、安い金利で貸してくれる。これでは民間金融機関はたまったもんじゃない。しかも最近は超低金利なのに貸し出し先はない。変なところに貸そうとすると、危ないからやめておけと金融庁に怒られる。じゃあ、と国債を買っていると、今度は「貸し渋りだ」と政治家に怒られたりする。
○銀行員というと、ふと思い出すのがずっと前に流行った『一杯のかけそば』という童話である。あのお話の最後で、苦労した母親が近況をそばやさんに報告する場面があるのだけど、「息子は今年、銀行員になりました」という。つまり、この古き良き時代の物語においては、「銀行員=成功者」であり、ハッピーエンドなのである。銀行員になれば、高給取りで、聞こえも良くて、あんまり苦労もなくて、先行きも安泰である、ということが前提にあった。
○ほんの10年くらい前までは、確かに日本中がそうだったのである。ところが今や、銀行員だってリストラされるし、昔ほど尊敬もされないし、苦労もするし、安定さえしていない。なんとも銀行員受難の時代といえよう。
○さて、今日の帰りの電車で読んだのが、『ぼくたちは、銀行を作った』(十時裕樹/集英社インターナショナル)。ソニー銀行を作った人が、メルマガで書いていた内容の単行本化である。本の帯には、「読む人に勇気と希望を与えてくれる、不思議な本だ」(中谷巌氏)と書いてある。本当にその通りで、こういうと著者とソニーには失礼かもしれないが、「銀行って、そんな簡単に作れるものなんだ!」と驚いてしまう。短い本ですから、立ち読みの値打ちは十分にあり。
○なんというかこの著者、いい味を出しているのだ。なにしろ金融監督庁に行って、「あの〜銀行を作りたいんですけど」と聞いちゃうんだから。ベンチャー企業を立ち上げるような野心や悲壮感もない。もちろんハードワーキングもするが、文章の感じは終始、「2ちゃんねる」でいうところの「マタ〜リ」としている。およそ銀行員のイメージではない。もちろん「銀行を作った」だけじゃいけないので、「銀行が儲かった」まで行ってほしい。意外とこういう新規参入者が、現状を打破してくれるのかもしれない。
○途中で大賀会長が登場して、主人公たちを励ます。「ソニーの名前があれば、ここまではできる。これからなんだよ。しっかりやりなさい」。「SONY」ブランドへの自信というのはスゴイですね。ちょっとうらやましい話です。
<8月30日>(木)
○携帯電話を機種交換したら、最近はPHSでもi-modeのような情報サービスはあるし、着信音も和音になっているし、これはいいわいと思っておりましたが、パソコンにつなぐモバイルの調子が今ひとつ。どうもいかんですね。原因を究明中。
○最近、身の回りのささやかなことを変えてみていて、そのたびにちょっと新鮮な気分を味わっておりますが、やっぱり面倒なことは起きるものです。新しい機種は覚えることも多いしね。でも、そうやって変化を求めることが必要なんだと思う。なにしろもともとが保守的な人間ですから。
○本日は某企業さんにお願いの用向きで出向く用事があったので、久しぶりにスーツでネクタイでした。なんかのはずみに自分の姿が見えると、ギョッとするほど違和感を感じてしまう。だって昨日なんかはポロシャツにチノパンだったんだもの。そこで気がつく。「はて、以前の自分はいつもこんな格好で仕事をしていたはずなのに」。
○帰り道、もう一度、ガラスに映った自分の姿をよくよく見ると、後ろの方の髪の毛が立っていた。どうやら一日中そうだったらしい。せっかくスーツにネクタイでも、これじゃあね。あはは。
<8月31日>(木)
○すごいことが起きています。あの「2ちゃんねる」が、とうとう身売りです。それもネットオークションにかけられました。入札開始価格は1000万円。入札締切時間は9月14日の午前3時2分。
●「2ちゃんねる FOR SALE」
●夜のお供に最適、2ちゃんねる(2ch.net)売ります。
○筆者は夕方になると、2ちゃんねるの「ニュース速報」http://kaba.2ch.net/news/index2.html をチェックする習慣があります。なにせどんな情報機関よりも早いし、政治、経済、社会とあらゆるテーマを網羅してますから。もちろんガセネタもたくさんあるけどね。今日の夕方に開けてみたら、「2ちゃんが売られる」と蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていました。
○一晩10万書き込み、200万アクセスというお化けサイトですが、月々700万円のサーバーコストがかかり、しょっちゅう訴訟を受けてしまう。これでは維持不能になってしまうのもむべなるかな。しかし、そこは懲りない「2ちゃんねらー」たちですから、オークションではとんでもない値段がついている様子。ほんとうにアナーキーな空間です。
○筆者はROMするだけですが、それでも「2ちゃん」ではいろんなことを学んだ気がする。そうそう、外交スレッドで溜池通信を紹介してくれた人もいたようだ。「2ちゃん」はそれこそ「トイレの落書き」を地で行くような世界だけど、インターネットがもつ破壊的な力を存分に知らしめてくれるような存在だと思う。この先どうなるのか分かりませんが、なくなるとしたら惜しい。継続をきぼ〜ん。
○それにしても、「インターネットは金にならない」という法則をうらづけるようなこの事件。IT不況が猛威を振るっているさなかにこうなったというのも、いろいろ考えさせられるような気がします。
編集者敬白
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by Tatsuhiko Yoshizaki