歴史漫談『官兵衛とかんべえと???』

E勝負の不思議編(掲載:2002.1.1--1.5)



<1月1日>(火)

かんべえ 新年おめでとうございます。2002年の年明けに何をやろうかは、実はまったく考えてなかったんですけど、やっぱりこれが新年の定番かな、と思って久しぶりに来てもらいました。官兵衛さん、今年もよろしくお願いします。

官兵衛 新年おめでとう。ここに登場するのは1年ぶりだね。
かんべえ その間にずいぶん読者が増えまして。官兵衛さんのことを知らない読者も多いかもしれません。戦国武将である黒田官兵衛についてはここを読んでください。言っときますが、記憶だけを頼りに書いておりますので、そのまんま信じちゃダメですよ。鎌倉在住の某読者は、このページを丸々ドラッグして、子供の夏休みの宿題にして提出したそうですが、どうなっても責任取りませんからね。
官兵衛 ご利用はown riskで、と言ってるんだからいいようなもんじゃないか。
かんべえ 官兵衛さんとかんべえが、過去にどんな会話をしてきたかはここをご参照ください。とくに「参謀論編」なんかは好評でした。官兵衛さん、今年もまたよろしくお願いします。

官兵衛 前置きはそれくらいにして、今回のお題を頂戴しようか。
かんべえ 実はあんまり考えてないんですよ。そこで変化を求めようと思って、実はもう一人、ゲストを呼んでいるんです。3人の鼎談にしようと思って。ところが・・・・・
官兵衛 このお客人はよくお休みのようですな。
かんべえ そうなんですよ。もうずっと高イビキで寝正月。しょうがないからこのお客さんはしばらく放っておいて、まず官兵衛さんに2002年の世界の情勢について伺っておきたいと思います。
 2001年は例の「ナイン・イレブン」の事件によって歴史に残る年となってしまいました。ブッシュ政権はアフガン戦線に戦力を投入し、ほぼ思い通りの戦果を得たものの、オサマ・ビンラディンの生死は不明です。テロネットワークが相手という「非対称型」の戦いというのは、官兵衛さんの時代にもなかったと思いますが、まずその点の評価から。

官兵衛
 ワシは西洋の歴史はよく知らんから、イスラム教とかパレスチナ問題と言われてもなあ。
かんべえ 判断できないと。
官兵衛 とはいうもののだ。日本と中国の歴史だけを見て判断するならば、古来、宗教政権が天下を取ったことはない。
かんべえ 原理主義おそるに足らずと。でも官兵衛さんの時代にも、石山本願寺とか一向一揆とかがあったわけじゃありませんか。
官兵衛 君の先祖も北陸の浄土真宗のお坊さんだそうじゃないか。
かんべえ そうなんです。たぶん信長に立てついたんじゃないかと。

官兵衛 織田軍は宗教勢力に非常に手を焼いた。比叡山焼き討ち、長島一向一揆、石山本願寺攻め、越前一向一揆などだ。かなり残虐なことをやっているのに、不思議なことに後世の評判は悪くない。歴史家も宗教家のことはともかく、宗教勢力のことをよくは書かない。これは中国の史家も同様。黄巾族や太平天国のことをよく言う人はあんまりおらんだろう。
かんべえ 言われてみればそうですな。
官兵衛 宗教勢力相手の戦いはしんどい。これはもう間違いない。敵は「聖戦」という意識でいるから、死を覚悟してしまっている。死ねば極楽往生、と思い込んでいる。
かんべえ イスラムのテロリストも同じ精神構造のようです。『イスラム過激原理主義』(藤原和彦/中公新書)によれば、自爆テロをやるようなムスリムは、「ジハードで殉教すると、死後は72人の処女と結婚できる」と信じているんだそうです。
官兵衛 72人!それじゃ天国なのか地獄なのか分からんじゃないか。
かんべえ 天国に行くのが目的でテロリストになる若者が多いんだそうです。
官兵衛 笑えん話だな。それは。

かんべえ そういう敵を相手にするときはどういうもんですか。
官兵衛 言いにくいことだが、実は戦いやすいという面もある。
かんべえ それはまたなぜ?
官兵衛 まず戦闘に関しては、こちらはプロで向こうはアマチュアだ。戦闘のための装備や練度はこちらの方が高い。だからやりようによっては楽な戦いになる。長島一向一揆を相手にしたときは、無防備な敵方を鉄砲隊で遠くから狙い撃ちにした。兵士にも良心の呵責はあるが、それさえ押さえ込めば楽な戦いではある。
かんべえ うーん、それはまさにアフガンに対する空爆と同じ構造。
官兵衛 彼らを相手に白兵戦をやっちゃ駄目なんだ。それこそ人海戦術に圧倒される。
かんべえ アフガンでは米英軍は背後に回り、タリバンと直接戦うのは北部同盟軍に任せました。それは正しいやり方だったわけですね。

官兵衛 もうひとつ、宗教勢力には構造的な弱点がある。彼らの軍隊には「歴戦の勇者」というのが出来にくいんだ。前にも言ったと思うけど、強い軍隊には勝利経験をたくさん積んだ兵士がいる。つまり「どうやったら勝てるか」を知っている人間が、大将から末端まで随所にいるような組織は強い。
かんべえ それはナレッジ・マネジメントの発想ですね。
官兵衛 全部の兵士が「今度の戦いで死んでもいい」と思っちゃうと、戦うことのノウハウが組織に蓄積されない。だから一向一揆側は戦いの経験が活かされないんだな。こちらは普通の軍隊だから、少なくとも自分だけは生きて帰ろうと思って戦う。負けたら次は何とかしようと思う。だから宗教勢力はかならずしも怖くはない、というのが僕らの結論。

かんべえ
 なるほど。今度の同時多発テロ事件においては、ハンブルグにいたアタ容疑者が果たした役割が圧倒的に大きかったようです。アタが計画して、時分で仲間を集めてきたプロジェクトに、ビンラディンが金を出したというのが本当のところらしい。ところがアタはワールドトレードセンターに突っ込んでしまってもういない。アルカイダにとっては惜しい人材だったはずですが、自爆テロという作戦はそういうところに根本的な問題がある。
官兵衛 極論すれば、特攻とか自爆テロといった手口は、軍事作戦としてそれ自体が矛盾をはらんでいる。
かんべえ 共食いが狂牛病をもたらすように、それは禁じ手であると。まぁ実際、宗教が信仰を利用として戦争に勝とうというのは、とんでもない話だと思いますが。
官兵衛 だいたい宗教が領地を持ったり城を作ったりしたら、その時点でもう碌なことはないよ。
かんべえ 官兵衛さんは若い時分はキリシタン、隠居してからは入道。宗教に対する意識は平均的な日本人に近く、筋金入りのプラグマチストという感じがします。信仰で凝り固まった兵士は思ったほど強くない、という結論にはちょっと安心しますね。

○というわけで、今年も年頭に始まった官兵衛さんとの対話。注目の第3の人物は結局、新年初日は寝たままだった。正体は明日、明かされる。しばし待て。


<1月2日>(水)

かんべえ ようやくもう一人のゲストが目を覚ましてくれました。ご紹介します。昭和の偉大な勝負師で、すぐれた作家でもある「坊や哲」こと阿佐田哲也さんです。
坊や哲 阿佐田です。どうも。昨日はすいませんでした。
かんべえ 阿佐田さんはナルコレプシーという持病があって、日常生活の途中で突然寝込んでしまうんですよね。
坊や哲 ええ、ただ完全に意識が無いわけじゃないんです。昨日の話もところどころは聞こえている。でも意識は夢とうつつの間を行ったり来たりしているから、言葉は出て来ない。
官兵衛 ふむ、今回のテーマがやっと見えてきたな。かんべえ君の関心はさしずめ「勝負の本質と不確実性」ってなところかな。
かんべえ まあ、その辺は成り行き任せということに。

坊や哲 その前に昨日の話へのコメントをひとつ。狂信者は怖くない、という官兵衛さんのご意見にはまったく同感なんですが、他方、高校野球などを見ていると宗教系の学校の強さというのもありますな。スポーツの世界では、信仰が個々人の力を引き出すことがある。そういう自己暗示の力というものは馬鹿にできない。
官兵衛 それはそう。強い将軍というのは、「この戦いはかならず勝つ」と兵士に思わせるテクニックを持っているものです。そういう意味では、戦争と神がかりは切っても切り離せないものかもしれんな。
かんべえ いわゆるカリスマが入った状態というやつですな。
坊や哲 ただし本人が本気で信じてしまうと困るんで、将軍たるものはやはり醒めた部分というのは必要でしょう。長年の持論ですが、思い込みの強いタイプは勝負には弱い。
官兵衛 織田信長の生涯最高のプレイ、というのを挙げるとしたら、金ヶ崎城からの撤退ではないかと思うね。朝倉攻めの最中に浅井長政が寝返った。普通だったらパニックになるところを、単騎で戦場を離脱してしまう。究極の危機管理ですよ。あれだけ見事な撤退というのは、戦史にも数少ないんじゃないか。
坊や哲 「見切り千両」というのは勝負師の理想ですね。

かんべえ 私の知り合いに気功をやる人がいるんですが、スプーンを曲げたり、名刺で割り箸を折っちゃうんです。もちろんトリックはなしですよ。実際の戦争や勝負ごとで、そういう超自然的な力を使う人というのはいないもんですか。
坊や哲 超自然的な力が存在すること自体は否定できないと思うよ。だけど、そういう人が結果を出すかというと、それが少ないんだな。
かんべえ どういうことでしょう。
坊や哲 だってそういう人がいたら、少なくともギャンブルの世界では常勝将軍だ。カードや麻雀牌の裏側を見通せたり、目の前の人が何を考えているか読める人がいたら、勝負に負けるはずがないよね。でもそういう人は現実にはいないんだ。ありがたいことにね。
かんべえ 阿佐田哲也さんの『麻雀放浪記』、私は何十回も読んでますけど、第1巻に「ガン牌の清水」ってチョイ役が出てきますよね。下段の麻雀牌を卓の向こう側から見て当てちゃうという人物。まるで透視能力があるとしか思えない人物なんですが、すごいリアリティ。本当は実在の人物だったんじゃないですか?
坊や哲 よく覚えてるな。おっしゃる通り、清水のモデルはいたよ。戦後の混乱期というのは、化け物のような能力の持ち主がゴロゴロしていたね。スプーンを曲げるくらいで驚いちゃ駄目で、思い通りの賽の目を出すくらいはワシでもできた。ところが清水のような勝負師は、不思議と栄えないんだな、これが。理由はよく分からない。
かんべえ ふうむ。
官兵衛 たしかに戦争のときには、人間は不思議な能力を発揮するものだな。たとえば今日の戦場の天気がどうなるか、どこに敵の伏兵が隠れているか、完璧に当てる兵士なんてものがいるんだよ。ではそういう人が名将と呼ばれるようになるかというと、そういうことはない。便利なヤツということで使われて、それで終わってしまう。歴史には残らない。
坊や哲 こう言うとガッカリするかもしれないけど、楽して勝負に勝つ人はいないんだな。超自然的な力なんて、持つのはかえって不幸だと考えた方がいい。

かんべえ では伺いましょう。阿佐田さんは戦後の混乱期をギャンブラーとして過ごされて、ほとんど負けのない時期があったと書いておられますよね。それこそ毎日のように麻雀して、負けるのが半年に半荘2〜3回とか。そういう強さというのは、やっぱり何か裏付けがあったんじゃないでしょうか。
坊や哲 うーん、でも決定的な強さの裏付けがあるわけではないんだな。勝負ごとだからいつ負けても不思議はない。
かんべえ でも、そういう絶好調な時期には、相手が3人揃った時点で、負けるとはもう全然思わないでしょう。
坊や哲 その通り。勝って当然、と思う。だから自信がある。昨日、官兵衛さんが言ったように、体全体が勝ち方を覚えている感じだな。
官兵衛 勝ちまくっているときというのは、戦う前に数時間後に自分が勝っているイメージが見えるときがあるな。
坊や哲 そうですね。そして実際にイメージ通りに物事が運ぶ。怖いくらいに。
かんべえ それは超自然的な力とは違う?
坊や哲 違うね。だってそういう勝ち運はいつなくなるか分からないんだから。だから終わってみれば、勝ったのは実力じゃなくて運だという気がする。

○第3の男の正体が分かった。戦国武将と昭和のギャンブラーは、明日も勝負の哲学を語って止まない予定。


<1月3日>(木)

かんべえ 「勝負はときの運」とはよく言われることですが、第3者の目から見ると、勝敗は最初から運命的に決まっていた、と思えることも少なくありません。勝負を体験していてそういうことってないですか。
官兵衛 そりゃ、戦争の最中は当事者は必死だよ。どんなに有利な態勢だって、100%勝てるなんてはずがない。とんでもない不利な条件から逆転して勝ったことのある人は、むしろその後は慎重になるものだ。なにしろ自分の優勢を信じられなくなるのだから。
坊や哲 終わってから、「ああ今日は勝つべくして勝った」「負けるべくして負けた」という印象を持つことはあるだろうけどね。ただし戦う前から勝敗が決まっている、ってことはないと思うよ。やっぱり下駄を履くまでは分からない。
かんべえ よく言う「勝てば運、負ければ実力」という世界でしょうか。
官兵衛 運を意識しない勝負師はいない。その辺については古来、誰でも似たようなことを言っていると思うよ。カエサルと曹操と織田信長の勝負に対する方法論がそんなに違うとは思えない。

かんべえ ちょっと大袈裟に言わせてもらいますと、物事が決まるのは運命なのか確率なのか、というのは自分の生涯のテーマだと思っています。私自身は勝負ごとに特段強いわけじゃないし、将棋や麻雀や競馬は好きだけど趣味のレベルです。だけど他人の真剣勝負の展開を見るのは本当に面白いと思う。それこそ元日にやっていた『筋肉番付』で、余裕かましている室伏をケイン・コスギが本気で追いかけて、最後は得意のショットガンタッチでボタンを押し忘れて自滅しちゃうのを見ても、思わずジ〜ンとしてしまう。ああ、これって勝負らしい瞬間だな、と。
坊や哲 あるある。まさかと思うようなミスを出して負けちゃうんだな。
官兵衛 でもそれは演出もあるよね。
かんべえ そりゃそうですね。たしかに演出はある。テレビ局は見せ場を作りたいし、歴史家は劇的に書こうとする。
坊や哲 それでも「筋書きのないドラマ」ってあるね。不思議なことに双方が力を出し切った真剣勝負のときに限って、いい場面が残るんだな。凡戦じゃ駄目なんだ。

官兵衛 確率か運命か、という問題はそう簡単に結論は出ないだろう。
かんべえ 20世紀に量子力学が誕生した時点で、一応は決着したことになっています。物質を形成する要素である電子は、その位置と速度の両方を同時に測定することができない。つまり確率としてしか存在を認識することができない。このことが分かった時点で、あらゆることが神の予定通りに進行する、という命題は物理学的に成立しないことが分かってしまいました。
「シュレーディンガーの猫」という思考実験があるんです。箱の中に猫と青酸カリの入ったビンを入れておく。確率50%で電子が飛び出すと、ビンが割れて猫は死んでしまうように仕掛けておく。さて、一定時間後の猫は生きているか死んでいるか。答えは、猫は50%生きている、ということになる。猫の生死は神様も予想できないんです。
官兵衛 なるほど、これでは運命論の出番はない。
かんべえ そうすると神ならぬ人間は、ますます未来を予知することはできない、ということになってしまいます。
官兵衛 だからといって、「成否の確率は五分五分」と思ったら戦争なんてできないわな。
坊や哲 ギャンブルもできないし、小説も書けないな。何より生きてても面白くないんじゃないか。

かんべえ 私は一応、企業エコノミストということになっていて、ああだこうだ理屈こねるのが仕事なんですけど、とにかく予想を当てて「どうだ」と胸を張りたい。そういう不純な気持ちがいつも心の中にある。別にそれで自分が儲からなくてもいいから、世の中の趨勢を見抜いてやりたいと思ってるんです。そうなるとこの勝負の流れというのが気になってしょうがない。
坊や哲 それって普通のギャンブラーの心理とあまり変わらないな。
かんべえ そうなんです。それどころか、同じようなことをしている人があまりにも多いんですよ。株式市場なんて美人投票というか、要は企業の勝ち組と負け組を当てっこするゲームですからね。トレーダーと博打打ち、ストラテジストと予想屋さんはどこが違うのか。本質はそんなに変わらないような気がする。
坊や哲 競輪やバカラなんていうギャンブルは、文字通り展開を予想するゲームだからな。あのテクニックは投機に応用できるかもしれない。

かんべえ 私も海外に行くとよくカジノに行くんです。お台場にカジノができたら、それこそ身の破滅かもしれないんですが、いちばん好きなのがバカラ。そこでいつも阿佐田さんの本に書いてあったことを実践しているんです。
坊や哲 バカラは、同じテーブルでいちばん熱くなっている人の逆を張れ。
かんべえ それです。でもソウルのウォーカーヒルで午前2時くらいにふっと嫌な気がしてチップを引き上げたら、隣のヤツもすっとチップを引いた。気がついたら自分が熱くなって、マイナスの指標にされていたんです。難しいんです。勝負は。
坊や哲 ギャンブルで平均点50点は至難の技だが、平均点が0点なんてやつはいくらでもいるからな。
官兵衛 黒田家には後藤又兵衛という豪傑がいた。わしが手塩にかけて育てたことになっているが、本当のところはちょっと違う。あれは剛直でいい男なんだが、何というか愛すべき勘の悪さがあるんだ。本人もそれを心得ているから、軍議の席などではいつも黙っている。わしは迷いがあるときは、そっと別室に又兵衛を呼んで、「お前の意見は?」と聞いてみる。するとわしが気づかないような、とんでもない意見が返って来るんだな。もちろんアイデアは即不採用だよ。でも非常に参考になる。わしにとっては素晴らしい参謀だった。
かんべえ 最近の小泉首相と加藤紘一の関係がそんな感じのような気がしますね。
坊や哲 先が予測できないという条件は同じでも、長い時間やれば勝負には勝ち組と負け組ができるものだ。それは人間の知恵の問題だね。けっして「ときの運」などではない。

○勝負の不思議はいくら語っても尽きることなはい。明日はどんなことになるのやら。そうそう、2002年大予測の回答もお待ちしております。


<1月4日>(金)

かんべえ 話は再び「9・11」に戻ってしまうんですが、あれは予測不可能な事件の典型だと思います。普通、大事件が起きると、かならず後から「俺は昔から予言していた」というヤカラが出てくるんですが、さすがに今回はそういう声が聞こえてこない。予想で生計を立てている全世界何万という人たちが、誰も見通していなかった。情勢判断がまったく通じない事件をどう考えればいいのか。
坊や哲 あまり難しく考える必要はないと思うよ。予測というものは常に相対的なんだから。他人よりちょっと先が見えていればいいんだ。
かんべえ いや、それどころか大間違いを平気で語って、全然知らん顔をしているのが多いんですよ。腹が立つくらい。
官兵衛 あはは。
かんべえ 中東専門家とか軍事評論家と言われる人たちの多くは、湾岸戦争の時もそうだったように、今度もはずしまくりました。米軍はムジャヒディン戦士に勝てないとか、アフガンはベトナム化するとか。
官兵衛 専門家は自分の専門範囲しか知らないからね。あんまり責めちゃ気の毒だよ。

坊や哲 ちょっと官兵衛さんにアフガニスタン戦線について聞いてみたいな。10月7日に空爆が始まって、1ヶ月は戦線が膠着。11月初旬にマザリシャリフが落ちたら、あとは一瀉千里でしたな。あっけないくらい簡単でした。
かんべえ 私が聞いた元ペンタゴン高官は、「この戦いは数年かかる」と言っていましたが。
官兵衛 いやいや、それは近代戦の発想に毒された見方だよ。昔の戦争を知るものにとっては、実に自然な流れだったと思うね。
坊や哲 アフガニスタンは戦国時代ですか。
官兵衛 アフガニスタンの北部同盟勢力は戦国大名のようなものだ。100%、自分の利害で動くし、損なことはしない。そこへいくとタリバンは一向一揆みたいなもんだから、徹底的に戦うし、軍の規律も保たれている。加えて資金や武器をくれる勢力もあった。タリバンが全土の9割を支配したのも無理はない。
 ところがこういう状況になって、周辺国は全部北部同盟の支援に回り、米軍が空爆までしてくれる。この戦い、勝つことが自明になった。そうなると北部同盟を構成する3つの勢力は、急いで戦いたくない。下手に戦って兵力を損傷させると、勝った後の発言力が低下するからね。だから1ヶ月は膠着状態が続いた。

かんべえ そういえばその当時から、現地通貨は対ドルで上昇してました。あれは近い将来に戦闘が終わることを皆が確信してたんですね。
坊や哲 なるほどアフガニスタン国民としては、他国の介入が始まったことで、初めて戦闘状態が収束する可能性がでてきたわけだ。そこで自国通貨を買う理由ができる。
官兵衛 マザリシャリフが最初に陥落したのは、戦略上の要衝だということもあるが、あそこがウズベク人勢力の牙城だったからだろう。つまりドスタム将軍は犠牲を払ってでも、マザリシャリフを自分のものにしたかった。だからそこだけは本気で戦争する。他方、タリバン側も狂信者はごく一握りで、ほとんどは後から参加した連中だから、負ける戦いはしたくない。兵士としては、こっそり田舎にでも帰った方が身のためだ。孫子の兵法にいう「散地」というやつだな。ゆえにタリバンの兵力はどんどん減っていく。
坊や哲 本気で戦うのは本物の狂信者と外国人兵士だけ、というわけですな。
官兵衛 なんの、昔の戦争はそういうものだったんだよ。非戦闘員の上に爆弾を降らせるとか、玉砕攻撃をするなんて野蛮な話はたかだかここ200年くらいのことなんだから。

かんべえ 官兵衛さんの情勢判断をもう少し聞きたいですね。とくに今後のアフガニスタンについて。
官兵衛 群雄割拠の状態に戻るのが自然じゃないかな。
かんべえ それだとマズイ、という話になるでしょうね。
官兵衛 どこが悪いの? 平和を保つためには2つしか方法はないんだよ。アフガンで圧倒的に強力な勢力を作ることはできないんだから、あとは勢力均衡を図るしかないだろう。
かんべえ その通りだと思いますけど、国際社会としては一種の罪悪感もあるので、一応の政府機構を復元して、国民の生活水準を向上させて、てな話になると思います。アフガニスタン復興会議なんてものもやるそうですから。
坊や哲 結局、アフガニスタンの各勢力は仲良くしている振りをして、国際社会は援助をしている振りをするんだろうな。
官兵衛 小競り合いをやりながら、全体としては勢力を均衡させるというのは悪い作戦じゃないさ。今となっては、冷戦時代は良かったと思っている人は少なくないんじゃないか?

○おやおや、またまた話がアフガニスタンに戻ったぞ。「勝負の不思議と不確実性」をめぐる話は、あっちへ飛びこっちへ飛ぶ。ひょっとして明日は中山金杯かな?


<1月5日>(土)

かんべえ 元日から「勝負と不確実性」の話をしてきて、ふと思い出したことがあります。最近はすっかり聞かなくなったんですが、かつて応用カタストロフィー理論というのがあったんです。これは位相幾何学を応用して、自然界や社会の「予期せぬ出来事」を予想できるというアイデアなんです。私はとにかく小さい頃から、未来を予測するという話が大好きでしたから、こりゃ面白い、ひとつ大学生になったらそういう学問をしよう、と志したんです。
官兵衛 本人も忘れているような気恥ずかしい過去の告白だな。
かんべえ あはは。それが理由で社会学部卒になったんですが、当然のように大学に入ったらそんなことはどうでもよくなって、遊び呆けて4年間を過ごしてしまいました。その間に独学で研究したのが占い全般なんです。占星術、手相、生命判断、だいたい一通りの理屈は覚えました。
坊や哲 あなたはそういうものを信じない人に見えるけど。
かんべえ ハイ、信じません。それこそ、占い師が天下を取った例は古来ありませんから。
官兵衛 君の見るところ、占いの本質とは何だね。
かんべえ 実はそれを卒業論文にしちゃったんですが、今から考えればよくまああんなことが許されたなと。一応は国立大学なんですが。私の結論は、オカルティズムというのは敗者復活戦のようなものなんじゃないかと。つまり、われわれは死力を尽くして未来を予想するけれども、結局は理想とするほどの成績は挙げられない。

坊や哲 知ってるぞ。君が今日の中山金杯はずしたのを。
かんべえ そうなんです、1年の計は金杯にあり。家を出る前はビッグゴールドから行こうと決めてたのに、パドックの映像を見てイーグルカフェに変えちゃったんです。
坊や哲 去年の終わりはカフェだったから、今年もカフェで始まると思ったか。金杯はゴールドに決まってるじゃないか。深く考えすぎたね。
かんべえ そういうのは昨日のうちに言ってくださいよ……とにかく、未来を当てようという地道な努力は、最後には裏切られることが多い。そりゃあ自分が悪いんだけど、人間は弱いから、何か楽な手段に頼りたくなる。そう思ったところに、占いという便利なものがある。
官兵衛 なるほど、出世の近道だと思えてしまうわけだな。
かんべえ 占いは宗教と同じで、弱者の味方なんだと思います。本当に強い人なら、そもそも敗者復活戦の必要なんてありませんから。
坊や哲 そうだろうな。勝負師はゲンを担ぐことはあっても、占いは信じない。
かんべえ でも占いは不要だと言えるような強い人は滅多にいないでしょう。それを考えたら、宗教もオカルトも永遠に不滅なんだと思います。

官兵衛 占いはともかく、行き詰まったときに楽な方法に頼りたくなるという心理はよく分かるよね。
坊や哲 勝負師が負けが混むと、得てしてそういう煮詰まった状態になりますね。私はよく「ギャンブルはフォームで打て」てなことを言ってたんだけど、自分のフォームに自信が持てなくなったときのギャンブラーはつらい。
官兵衛 だからといって、違う方法に飛びつくと碌なことはない。
かんべえ よくいますよね、株で損すると全部ユダヤの陰謀とか、ヘッジファンドのせいにしちゃう投資家が。でもそんな風に考えること自体、「負け組」の扉を叩いているようなものなんだけど。世の中のすべての人は間違っていて、自分たちだけが正しいなんてことがあり得るはずがない。
坊や哲 そういやあ、高本式なんて競馬理論もあったなあ。人間は苦し紛れになると、とんでもない理論を発明しちゃうから。
官兵衛 さっきの応用カタストロフィー理論というのも、その手の一種かもしれないね。
かんべえ 最新のオプション理論、なんてのも同工異曲だと思います。

官兵衛 それでも知力を尽くして、読めないはずの明日を読もうとするところがいかにも人間だ。
かんべえ 私は陰謀論というのを受け付けない体質なんですが、先日、とある尊敬するジャーナリストがこんなことを言ってました。「ポートフォリオにはトリプルAばかりじゃなくて、ジャンクボンドも入れなきゃいけない。だから私は陰謀論の人ともお付き合いする」って。
官兵衛 いいことを言うね。
坊や哲 悪書を読まないと、良書の値打ちも分からない。筋のいい話ばかりを聞いてたら危ないね。とにかくいちばんの大敵は思い込みなんだ。

官兵衛 それから読める読めない、というだけじゃなくて、読まない、という境地もあるんだよ。
坊や哲 同感。麻雀牌の裏側が透けて見える、なんてのは理想のように見えて理想ではない。相手の手牌が見えないから麻雀なんだ。だから何でも予想しようと考えるのは間違い。
官兵衛 読まない方がいいことはいくらでもある。君は自分がいつ死ぬか知りたいか?
かんべえ 官兵衛さんは病床にあって、自分の死期を予言したそうですが。
官兵衛 そりゃあ欲がなくなればね。でも生きている限り欲はある。欲がある限り、冷静な予想なんてできるわけがない。

かんべえ ごもっとも。ひとつの会社の株価をある人は高いと思い、ある人は安いと思う。だから売買が成立して価格がつく。みんなが正解を持ってないから、マーケットというものが成り立つんでしょうね。そしてマーケットは神のような叡智を持っている。
坊や哲 それはマーケットに参加している個々人に欲があるからだよ。
官兵衛 デカルトだったかな。「われわれはもう船出をしてしまっている」という言い方をしている。自分が安全地帯にいて、客観的に世界の動きを予測する、みたいなことはわれわれはできないんだ。たとえ世捨て人であっても、自分の名前が後世に残ればいい、みたいな助平根性は持っている。人間は常に何がしかの利害をもって世界に接していかざるを得ない。さらにいえば、自分が「こうしたい」という欲がなかったら、そもそも予想すること自体に意味がなくなってしまう。

かんべえ 「健全な欲望に、健全な予測が宿る」をこの議論の結論にしましょうか。新春から私が大好きな人二人と話してきましたが、いろいろ思い出すことが多くて楽しめました。なんだかちょっと元気づけられたような気もします。官兵衛さんと坊や哲さんに拍手をお願いします。それでは明日からは平常モードです。







編集者敬白



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