退職のち放浪 ライブ(5)

海へ行こう 台湾編D

朝から激しく雨が降っている。また台風である。昼からようやく雨が止んだが、風は相変わらず強かった。仕方なく、四重渓温泉にもう一泊する事になった。

再び温泉

この温泉街で一番という『南台湾温泉大飯店』に行く事にした。宿から歩いて10分ほどの場所だ。温泉利用だけだと300元らしい。これを労せずして200元(720円)にまけてくれた。珍しい日本人だからなのか、通常のサービスなのか分からないがこれには感激した。しかも温泉後のコーヒー券までついている。そしてここでも日本語のスタッフがいた。

温泉は露天と屋内の両方があり、私は露天を選んだ。広いホテルの一角にその露天の温泉がある。その敷地だけで相当広く、日本の温泉の露天というよりは、ちょっとした遊びのプールという感じだ。くつろぐというより楽しむという事を目的に作ったようだ。それでも薬湯や渦巻き風呂、打たせ湯、泡風呂などバラエティに富んでいて大人も子供も楽しめる作りになっている。

子供は本当にプールが好きだ。きゃあきゃあと何時間でも遊んでいるようだった。今は夏休みの様で、平日でも子供はたくさんスパに遊びに来ているようだ。台湾の夏は長いのだから、台湾各地にもっとプールを作れば良いのに、といつも思ってしまう。

温泉のち日光浴のち温泉のち…、と3時間くらいいただろうか。十分楽しめた。足止めを食らったが、かえって良かった。

若者の話

部屋で一人TVを見ながらワインを飲んでいると、宿の長男が友達を連れて遊びに来た。

彼の名前は楊 政家さん。31歳。かつて双葉電子で働いていた事があると言う。現在は高雄で働いているが、英語の教師になる予定で、この四重渓から程近い恒春にて明日面接を受ける予定になっていると。

彼の友人は林さん。彼は既に中学校の先生。大学の専攻は私と同じ有機化学という事だった。二人は高校の同級生だ。

この二人と、徴兵制度の話からバイアグラの話までいろいろ語る事ができた。

興味深い話題は次の2つ。

●台湾独立について

「現在の台湾の課題は?」と聞くと、

「真の独立を果たす事」という明確な解答があった。それまで、貧富の差が激しい事や、不法入国および売春の問題等を話していたが、やはり台湾の人間にとっては、この問題からは目を背ける事はできない様だ。そして驚いたのは、モンゴルもまた台湾と同じように、中国は独立国と認めていないはず、とこの二人が思っている事だった。このモンゴルとは、内モンゴル自治区を指してはいない。私が台北でかった世界地図を見ながら我々は話をしている。当時の元が、アジア一帯を支配したという話の延長線上の話なのだ(因みに、私自身は元が台湾を占領したのかに興味があったが、“短期間だったと思う”というあいまいな解答でよく知らない様だった)。

そう、完全に社会主義モンゴル(外モンゴル)を指していたのだ。確かに清の時代には統治されていたはずだし、1911年の辛亥革命後、モンゴルは独立を宣言したけども中国の干渉は受けていた(小生の記憶では)。しかしその後、中国というよりはソ連の指導を受けて、コメコンのメンバーになっていたはずだし、現在は国連にも加盟している。つまり誰もが認める独立国家である事をこの二人に告げると、今度は彼らが驚く番であった。「じゃあ何で台湾は真の独立国家になれてないんだ?」。何れにせよ、2004年の選挙が重要な鍵を握るという認識であった。

(注:地方大学理系という私の“記憶”はあまり信じないで下さい)

●お給料の話

外貨準備高世界一を誇り、電子部品で日本を圧倒した台湾である。一部の化学製品だって強い。自転車製造なんていうニッチも強い。既に先進国、というイメージで台湾に来た私は、町の様子を見る限りそうでもないなあという印象を持っていた。そもそも“先進国度合い”というのをどうやって決めるのかわからないが、物質的に豊かであるか、便利な暮らしをしているか、という事だとすると、この台湾はまだそれほどでもなさそうだ。韓国にも差をつけられていると思う。それは町を走るの車やバイクの古さだとか、歩道や道路の状態、鉄道の環境とかいうレベルである。

しかし、日本およびアメリカ留学や博士号取得だとか無形資産への投資にはかなり力が入っていると聞く。学習塾やパソコン教室も町には無数にある。

貧富の差が激しい台湾であるが、平均的な社会人像が描けなくて、私はこれまでとてももどかしかった。そこで平均的な社会人と思われる林さん、31歳にずばり聞いてみた。

因みに教師のステータスについては、平均よりも少しだけ高いかなあという話だった。

そして彼の年収は4ヶ月のボーナスを入れて、700,000元(251万円)。だから普通の大学を卒業し普通の会社に入ると、30歳ぐらいの場合はもっと少ないらしい。そして大卒ではなく事務的な仕事をする女性はこの半分くらいだと言う。

一方、羽振りの良い大企業のエンジニアは、なんとその3倍の年収(700〜800万円)だという。なるほど、貧富の差は、投資家と労働者という構図以外に、サラリーマンにもこれだけの差があったのだった。

その年収251万円の林さんは、結婚2周年を記念して、先月北海道旅行をしたらしい。4泊5日のツアーで一人34000元(12万円ちょっと)。家族のツアー代、お土産代、食事代などを入れて50万円くらい掛かったらしい。日本の物価は高い、と嘆く林さん。

これが彼にとって初めての海外旅行だという。お金を貯めるのは大変だったらしいが、今月からまた貯蓄を開始。また日本に行ってみたいと言うのだった。因みに楊さんは海外旅行の経験はなし。彼は独身なので新婚旅行が初めての海外旅行になるだろう、その時は日本に行ってみたいと思っていると言っていた。

なお、二人は全く中国大陸の旅行は興味がない、という事だった。

楊さんに、明日墾丁(ケンティン)に行きたいのでバスの時間を教えてくれと言うと、楊さんは、

「ここのバスは不定期で、タイムテーブルなどない」という。そして本数も極端に少ない。タクシーはアレンジ可能ではあるが、何ならあした恒春まで行くので、俺の車に乗ったらどうだ。ただし朝の7時出発なんだが、と誘ってくれた。

楊さんはとても気さくな人だったので、好意に甘える事にした。彼とは今もメール交換をしている。しかし不定期のバスというのはどういう事なのだろう。いまだにその仕組みが分からない。

墾丁国家公園へ

恒春から墾丁国家公園まではバスで約15分ほどだ。てっきり墾丁というバスターミナルがあると思って途中で降りなかったら既に終点を過ぎていた。乗ったバスは2階建てになっていて運転席からは私が見えなかったのだ。墾丁の町の中心が最終のバス停なのだが、バスはずっと先に停まって恒春に折り返す時間を待つのだった。バスがタクシーも来ないとんでもないところで停まってしまったので慌てて運転手にここへ行きたいのだけど、とガイドブックを見せて説明すると、指を差しあっちだという。そんな事は分かっている。荷物が重たいのだ。

お願い、というジェスチャーすると、有り難い事に2キロほど戻ってくれた。むろん貸し切りバスである。運転手が、“立ちしょん”をしている時に頼んだのがよかったのかもしれない。

その場所は墾丁のど真ん中だ。まだ朝の10時前なので、チェックアウトの客や遅い朝ご飯を食べる客でごった返している。1つの宿で値段を聞くと1000元だという。高いねえというと、「夏休みシーズンだから」という事だった。

結局、その隣の宿にした。最初は800元からのスタートだったが、600元にしてもらった。しかし部屋がひどい。まず窓が無く、そして狭くかび臭い。たまらず部屋を変えてもらう交渉を開始。『窓』と書いて示したら「それならば700元」とにっこり。しかたなく650元で妥協した(2330円)。

30キロ弱の荷物を担ぎ5階の部屋に行ってみると唖然。この部屋も窓が無かった。とほほ…。

後から聞いた話だが、『窓』という漢字は中国語にないらしい。その代わり何とか、という感じが“広い”という意味を示す漢字で、それは『窓』に似ているのだと。

台湾最南端

宿の隣にはレンタサイクルがある。幾らと聞くと200元だという。720円。高い、というと、「夏休みシーズンだから」という。まただ。ネゴは不発だった。200元以下だと全く貸す気がない。仕方が無いので言い値で手を打った。ところがこれがとんでもない代物だったのである。

空気は抜け気味。前輪には常にブレーキが少し掛かっている。おまけに真っ直ぐ走れず車輪は左右に歪んでいる。立って漕ごうとすると、完全にブレーキが掛かる…。

そんな状態でも台湾最南端に行く事にした。まあ高々10キロちょっとである。しかもこの辺りには高い山といっても200メートルも無い。楽勝だ。

甘かった。自転車のぼろさに加え、風が強かった。行きは完全な逆風だ。緩やかな下り坂だと無情にも完全に停まってしまう。また風はあるが日差しがきつかった。ここは沖縄よりもフィリピンの方が近い。当然熱帯である。太陽は真上にあって自分の影がものすごく小さい。背中のナップサックにはごちゃごちゃといろいろ入っている。

だらだらと汗が流れた。良く見ると、そもそも自転車を漕いでいる奴などいない。みんなバイクに2人乗りか3人のりだ。「じゃまだじゃまだ」なのか「お疲れさん」なのか、時々追い越される時に声を掛けられてしまう。

くっそう、俺だって国際免許証もあるし、スクーターは日本でも乗っていたし、道だって知っているんだ、えばるな! ただ金がないんだ!

実際には台湾最南端の石碑はなかなか見つけられなかった。日本ならば標識がいくつも出ているだろうが何も無かった。おまけに観光案内の地図も間違っていた。

この坂を下って何も無いとショックだなあと思いつつも自転車をガタガタいわせながらいくと、案の定、お店はあるが石碑はない。

しかしふと見ると、煉瓦を敷いた散歩道が木陰に隠れて奥の方へ伸びている。車できていたら見逃しているような小道だ。

歩きだったら行かないが自転車なので行ってみる。結局1キロ弱あったかもしれない。ずうっとうっそうと茂った木に囲まれている。実はこれだった。手前の道路では車やバイクが何度も行き来していて、みんなこの石碑を探していた (と思うが)、こんなにひっそりと、しかも奥まった場所だとわからないだろうなあ。

とうとう石碑までやってきた。さわやかな風がフィリピンから吹いている。これぞ一人旅の醍醐味ってやつだ。

しかし後で聞くと、台湾の人は最南端の石碑なんぞあまり興味がなく、「海で泳いだ方が楽しい」という事だった。

最南端の石碑で折り返し、船帆石の辺りまで戻ってきた。この石は岸から2−3メートルのところにそり立っている直径20メートルほどのやや円柱形の島である。宿から3キロほどのところだ。

気持ちよさそうにシュノーケルをしている団体がいる。こんな時の為に、この3週間シュノーケルとマスクを担いできたのだった。岩場なので体中が傷だらけになるかもしれないが、まあそれはそれでと思い海に入った。風があった為、うねっていたが水はきれいだった。黄色や青の魚が泳いでいる。さすがは熱帯地域。そして台湾で最も海系のレジャーランドとして有名な墾丁だ。

船帆石ちょっと登れるところがあるので行ってみたが、岩の上は結構風と波が強く恐かった。この島の北側、つまり岸側はほとんど波がなかったが、その逆側、沖側は波が高そうだ。それでもさすがにさらわれる事はなかろう。思い切ってこの島を泳いで一周する事にした(距離的にはまったく何でもない)。

5センチ程度の魚が、そう1万匹ほど私の回りを群れていた。太陽の光が当たり、時々きらきらと輝いてきれいだ。そう思ってぼおっとしていると、やはり島の南側は波が高く、体の自由がききにくい。大波がやってきてあやうく岩に打ち付けられるところだった。慌てて体制を立て直し、岩の岸側に逃げてきた。

その時である。突然どこからともなくエンジンの音が近づく。水上バイクだ。水の中は音速が早くなるのでどこから近づいてくるのかわかりにくいが確実に近づいている。水上に顔を上げると、ゆっくりながら、3人乗りの水上バイクが目前だった。2−3メートルの岸と島の間にいた私のすぐ脇を通っていった。アジアの国の多くの道路では車の方が威張っている。それは台湾でも同じだ。ここでは水上でも威張っているみたいだ。泳いでいる人の近くに来るなんて日本では信じられない。

カップラーメン

これまでの温泉でもそうだったが、ここ墾丁でも夏休みからか家族連れが多い。屋台の様なお店やレストランで一家揃って食べるケースももちろん多いが、コンビニでカップラーメンを食べる家族をよく目にする。若者のカップルではなく、小学生くらいの子供を二人連れて遊びに来ている様な家族である。

たしかに、観光地では、4人で食べれば簡単に1000〜1500元(3600〜5400円)ぐらい掛かってしまうのかもしれない。それに比べカップラーメンは25〜40元である(90〜140円)。4つ買っても400〜600円というところである。当地のコンビニにもお湯が用意されている。物足りないなら、おでんもお惣菜もパンもある。でも何だか寂しい。もしかすると、既に日本でもこうした光景が見られるのかもしれないが、妙に目についてしまった。

もしかすると、台湾のカップ麺は劇的にうまいのかも、と思い、私もコンビニでカップ麺を買ってみた。奮発して一番高い40元のやつだ。日本だと300円くらいのクラスのもので、同じようにずっしり重い。調理済みの具がたくさん入っている事は良く分かった。ふたを開けると少しがっかり。ノンフライ麺ではないのだった。

3種類の調味料と具を入れお湯を入れる。満漢大饕―何とか牛肉麺―と書いてある。どうやら辛いスープに具は牛肉らしい。赤い色で染まっている。

食べてみた。私の舌が台湾食に慣れていない事を割り引いても、あまりうまくない。やっぱりカップ麺はカップ麺である。今日は大分運動したので十分腹が減っているにもかかわらずである。

私の夕食はあと1万回ぐらいしか食べられないのにその一回をこんな事に使ってしまった。

やはり家族揃ってカップ麺というのはお金のセーブとしか思えない。大丈夫か、台湾人!

次の日、朝からダイビングしようと昨日から水中撮影の準備までしていたが、残念ながら大雨だった。台風が近づいているのである。そしてその次の日もその余波で波が高く、ダイビングはおろか海岸が閉鎖されていた。

仕方がなく、高雄に戻る事にした。これでようやく台湾一周である。

 


○目次へ   →次へ