退職のち放浪 ライブ(4)

温泉へ行こう 台湾編C

私は台湾にて、次の3つのタイプの人に是非会ってみたかった。

@日本占領時代をご存知の長老

A同世代の台湾人

B「哈日族」と呼ばれる日本熱狂娘

だけどもまだそういった人には会えていなかった。

【古き良き日本】を意識する私は、せめて@の長老に会いたいといつも思っていた。しかし日本語を話せる人はいても、私の期待が大きすぎるのか、既に時代が過ぎようとしているのか、なかなか会う事はできない。そういう事もあって、台湾を一周する時には、できるだけいろいろな田舎にも行ってみようと思った。そして、そろそろ一周の4分の3に達しようとしていた。

花蓮の少数民族

花蓮という町にやってきた。

ここでは、少数民族の出店と音楽祭の様なイベントをやっていたのだった。正式には『2003花蓮国際原住民漂流木創作管』というものらしい。

指導単位:行政院原住民族委員会、行政院農業委員会林務局

主班単位:花蓮県政府

と書いてある。この辺りはアミ族が多く暮らしているという。民族衣装に身をまとった彼女達もそうなのだろう。アミ族は約15万人いて、先住民族で最大らしい。ガイドブックには『近年の民主化運動の高まりのなか、台湾にルーツをもつ先住民族に脚光があたっている』とやけに無難な事が書いていある。ベトナムでもそうであるように、台湾でもおそらく、先住民族は中国人に翻弄され、あまり良い目はあっていないはずである。暮らす上でのインセンティブなどはあるのだろうか。

台北はそうでもないが、高雄など南の方は、気のせいか南の島の人種が多い気がする。顔の色が黒かったり、彫りが深かったり、とても太っていたり。完全にポリネシアという風貌の人もいる。

外省人、本省人のこともさる事ながら、台湾にこうした先住民族がけっこういる事も、そして当時の先住民族が大規模な抗日運動を展開した事もあまり知らず、歴史の勉強を今になってしている。

瑞穂へ

電車に乗り花蓮から1時間半ほどで瑞穂についた。小さな駅だ。駅前にずらっと店が並んでいて、それなりに民宿も多そうだが、一番駅に近い2階建が新しそうだったのでここの値段を聞いてみたくなった。肝っ魂かあちゃんが現われ、1000元だと言う。しかしもっと狭い部屋で良いからと言うといきなり500元になった。土曜日にも関わらず、客は私一人だった。

部屋に入るとベッドタイプではなく板の間である。ただ最近改装した様でとてもきれいで清潔。テレビはPanasonicで大きい。クーラーは最新のNationalである。おまけにNHKや日本の民放番組まで映る事が分かった。今までで一番良い宿かもしれない。

その日本の番組では、松たか子主演のドラマをやっている。「いつもふたりで」というドラマだ。そんなのあったかなあ、という感じだが、台湾の一部で人気があるらしい。松田たか子の役名は偶然にも「瑞穂」という名前だった。

紅葉温泉

さて、いよいよ温泉である。どうやらこの町のバスは極端に本数が少ない様だ。タクシーの運ちゃんに聞くと、瑞穂温泉よりも紅葉温泉の方が日本人に人気があるという。金額を聞くと200元(720円)だという。ちょっと高いがやむなしだ。

10分ほどで紅葉温泉に着く。この辺りの一帯が、紅葉村というらしい。

80元を払い、まずは屋内の湯殿へ。誰もいないのでゆっくりつかった。次に露天である。5x8メートルほどの湯殿が3つある。1つは例によって冷水だ。青い空、緑の森を見ながらつかる。冷泉では子供たちがきゃあきゃあと楽しんでいる。

お湯は無色透明、無味無臭。気をつければかすかに硫黄の匂いを感じるかどうかという程度だ。

この紅葉温泉にはお店が無い。宿が併設されているのでビールくらい頼めば出てくるだろうが、土曜という事もありスタッフは忙しそうだ。

仕方なく、紅葉温泉を後にする。タクシーではあっという間だったが、のんびり歩く道は長い。

この土地で流行っているのか、カラオケが道々で聞こえてくる。よく田舎は娯楽が無いというが、ここでもそのとおりでカラオケが唯一の娯楽なのかもしれない。長渕剛の“乾杯”なんかが聞こえてくる。

途中、ようやくお店があったのでビールを買って、店前の椅子に座って飲んでいた。どこからともなくおじいとおばあが現れた。お店のおじいと私で合わせて4人だ。何となく顔が合った瞬間、驚いた事に中国語が突然日本語になって、話し掛けてきた。この3人は何れも日本語が話せたのである。歳は皆さん60〜65くらいだろう。日本語教育を受けた世代よりも若い気がする。一人のおじいはお父さんから教わったという。

彼らもこれまで日本語が話せる人と同様に日本びいきであった。今の台湾人は駄目だという。理屈ばかりで実力が無いと一刀両断する。自分は昔の教育を受けている。それは厳しいものだったが今になってみればすばらしい。これは、日本がもたらしたものだ。そして自分の精神は日本人である、と誇らしげに言う。うーん、そう言われても気持ちは微妙だ。

実は私は、昔の日本がどんな感じだったのかを感じたい、という気持ちもあり台湾を旅しているのである。旨く言えないが、日本人の精神みたいなものを感じたいのだ。そして、明治から昭和初期の頃の【日本人の姿】に憧れがある。

たぶんこのおじいが誇らしく思っているのも同じものだと思うのだ。だが、彼らが今の日本を目の当たりにするとどうなのだろう、そんな事を思ってしまったのだった。

瑞穂温泉

紅葉温泉から瑞穂温泉までは、歩いて20分ほどであった。坂を登ると瑞穂温泉旅館がある。ここで100元(360円)払い、温泉に入る。湯殿は2つあり、水のプールと3X8メートルほどの湯殿。お湯の色は黄土色のにごり湯。透明度は30センチ程度か。味は無く、匂いもほとんど無い。看板によれば鉄分が豊富というが、口に含んでも鉄らしい味はしない。でも木の匂いとにごり湯は最高だ。紅葉温泉と瑞穂温泉はよく比較されるらしいが、私にとっては断然瑞穂温泉である。近くにもかかわらず、お湯の質が大きく違うのは面白い。

この温泉で最近発見があったらしい。看板には『常浸泡的新婚夫婦較容易生男孩』とある。よくつかると男の子が産まれるということか?

先ほどのお店で、おばあが次のバスは6時だといっていた。「まだ時間があるから、しっかり温まって帰りなさい」とも。

そこで温泉からちょっと離れた通り沿いでバスを待つ事10分。既に6時は過ぎている。ちょうどそこは交番のあるところだった。

おまわりさんに、「バスは6時だよねえ」と尋ねると、

訝しい顔をして「4時だろ」と同僚と話している。

困った。ここから駅までは4キロ以上ある。するとおまわりさんが自分の車で送ってやるという。有り難い。

ただ途中バスとすれ違った。どうやら6時というのは駅から紅葉温泉行きの時間だったようだ。そしてすぐ折り返してくるのであと10分も待てばバスが来た事になる。おまわりさんも驚いていた。車で生活しているとバスなど気にならないらしい。バスもがらがらのようである。ただ私は快適なトヨタで送ってもらった事以上に、お巡りさんの心意気がうれしかった。

日本のお巡りさんもこんな時に送ってくれるのだろうか。

夜、果物を買ってきた。梨、桃、何だか分からない赤いやつ、そしてプチトマトである。しめて120元(420円)。この量にしては安いものだ。セブンイレブンで水と氷を買った。果物を水で洗い、氷で冷やすのだ。外側が赤いよくわからない果物は皮をむくと白かった。果肉には黒いゴマの様な種が点在している。大型の果物によくあるように中心に大きな種はない。

初めて見て、初めて食べた。インドネシアには無かったと思う。桃と梨、プチトマトは日本のものと同じだ。

しかし贅沢な食後のデザートと思う。とても美味しかった。

四重溪温泉

四重溪温泉に行く事にした。ガイドブックには、四重溪温泉への行き方としては“高雄から“としか書いていない。台湾東部の大都市である【台東】からバスがあるかと思い、【台東】まで電車で行き、そしてお巡りさんに聞いてみる。

「メイヨウ」。

この言葉、何度聞くだろう。嫌な言葉だ。意味するところは「バスはない」という事だ。

しかしお巡りさんはここでも優しかった。駅員のところへ行き相談してくれた。【台東】から更に電車に乗り【枋寮】というところで降りてバスに乗れという。

実は【大武】という駅の方が距離的には近かった。情報が無ければ、ここで降りて何とかするつもりだった。しかし実際に駅に着いてみるととんでもない田舎駅だったのだ。これではさすがにバスはない。聞いて良かった。お巡りさんありがとう。一方【枋寮】の町は小さいながら、教えてもらったようにバスターミナルがあった。

ここで【恒春】行きのバスに乗り、途中の【車城】で降りろという。バスに乗ると、後ろの席のおじいが日本語で話しかけてきた。流暢な日本語である。4年間日本語を勉強したという。72歳らしい。このおじいによると、【車城】から【四重溪】へのバスはほとんどないという。困ってしまった。結局タクシーに乗るしかない様だ。

途中、このおじいは、「ここの場所は先住民族が住んでいるよ」とか「あれは日本が作った線路よ」だとか席から乗り出して話し掛けてくる。台湾の道路は結構荒れていて、バスは結構揺れるのだが、その揺れも年齢も、ものともしない。ここは私も日本の礼儀として立ち上がろうと思ったが、二人しかいない乗客が二人ともバスの中で立っているというのも変だ。やっぱりやめた。それでもおじいは久々に日本語を話せてうれしいとまで言ってくれている。

【車城】につくと、【恒春】まで行くと言っていたはずのこのおじいが先に降りた。バス停付近でふらふらしているおやじに声を掛けている。そして私に、「彼は友達なので【四重溪】に連れていくように頼んだ」と言う。有り難い。タクシーもほとんど走っていないところだったのだ。

おじいは車のアレンジをすると、バスに乗り込んだ。最後に

「100元で行ってくれるよ」と言い残して…。

なんだ結局有料か。じゃあこの友人というのは白タクなんだ。がっかりだ。まあそれでも100元(360円)である。早速乗り込んで【四重溪】へ。

宿の1つで値段を聞こうとすると今日はいっぱいだと言う。ちょっと待って、今日は日曜だぞ。土曜ならある得るが…、と言ってみたが、でもいっぱいなのよと言う。

もう一件行ってみた。ここは800元からだという。予算は600元と主張すると、一家揃っていろいろ議論していたが、結局離れならばOKという事になった。しかも近くの清泉温泉のチケットをつけてくれるらしい。

ここでも部屋は、ベッドではなく布団だった。

早速、その清泉温泉である。日本占領時代には、山口旅館という名の由緒ある宿の温泉がそれだ。なんでも昭和天皇の弟さんが来たらしい。宿の入り口に温泉が湧き出ていて、手ですくって飲めるようになっている。ただしむちゃくちゃ熱いが。

そして解説も日本語と中国語で書かれている。

温泉は無色、無臭、無味だ。また日曜日のせいか子供連れが多く、走り回っている。誰もいなければ昔の温泉宿という感じだが、これだけ人間がいて、水着と水泳帽姿だとプールにいる気分になってくる。しかし毎度思うのだけども、台湾人は本当に温泉好きの様だ。中には部屋から持ってきたと思われる急須でお茶を入れてプールサイドならぬ温泉サイドで飲んでいる。うーん、さすがにお茶の国。

長老の話

風呂上がりに宿兼雑貨屋さんにてビールを飲みながら涼んでいると、王さんという人がぶらりとやって来た。どうやらお店の人が声をかけてくれたらしい。

いきなり、「あなたは、今の天皇が何代目か知っていますか?」と流暢な日本語で質問された。

私は恥ずかしながら知らなかった(というか、別に恥ずかしくないや)。

「今の天皇は125代ですよ。僕は昭和天皇が124代と学校で習った。だから愛子さんは127代だよ」とくったくなく笑う。

「法律が修正されて愛子さんが天皇になる」、まったく私の予想だにしない事まで語り始めた。

彼は、昭和3年生まれの75歳という。小学校はこの四重渓温泉の地元の学校、中学校は日本の広島だという。当時の台湾の中学校は、日本人枠があり、人数が決まっていた。その残り枠が台湾人に与えられる為、競争が激しく、先生の勧めもあって日本の学校にしたそうだ。これは特殊な事ではないが、どうもある程度お金持ちでないと無理だったらしい。

初めて日本に行く時は父親が広島まで付いて来てくれたとのこと。当時12歳。昭和15年だ。そして昭和20年に中学を卒業し、『満州落ち』したと言っていた。つまり広島には残らずに、昭和20年2月に奉天に行ったらしい。そしてそのおかげで原爆にあわずに済んだという。

現在は引退していて悠々自適。毛筆の練習をしているそうだ。毎日、新聞を4紙読み、テレビも良く見ているという。

これまで北海道には十何回、東京には数十回行った事があるらしい。

台湾に戻ってからこの四重渓温泉で日本人と話すのは、彼の十数年の中でも私で6人目だという。とても嬉しそうに、また懐かしそうに話す。

「○○しちょった」という語尾や言葉のイントネーションは、実は私にとっても懐かしいものだった。

原中家は長州出身なのである。広島と山口で言葉が似ているのかよく知らないが、伯父達の話す言葉にそっくりだ。年代も同じ。もしかするとこれは、昭和初期に青春を過ごした人の言葉使いなのかもしれないが。

以下は、私の質問と王さんの回答、また王さんの発言とそれに対し小生の思った事などだ。過激な内容を含むが、これも台湾の一面だと思うので記載したい。

なお、文章中に【外省人】【本省人】という言葉が出てくる。1945年の日本の敗戦後、蒋介石率いる国民党と一緒に台湾に入ってきた人々を【外省人】と呼び、それ以前から台湾にいた人々を【本省人】と呼ぶ。

蒋介石軍は、大陸において毛沢東率いる中共軍と戦って敗れたわけだが、その敗因の1つとして、統率の取れていた中共軍に対し、蒋介石軍は掠奪行為が激しく、民衆の支持を失った事が挙げられている。そして逃れた先の台湾でも同様で、また歴史的に国民党が厳しい政治をした時代があった。その結果、同胞であるはずの【本省人】が失望し、同時に“日本統治時代は良かったなあ“という感情があるという。

●台湾の親日的な雰囲気について

『日本統治下台湾における対日感情の整理と分析』といったような論文はきっとこの世に山ほど出ているだろう。本当はそうしたものを読めばわかるのだろうが、是非とも聞いてみたかった。

王さんは語る。

「日本が統治した時代に、日本政府は鉄道、郵便、病院、学校などを作ってくれた。これはこれでとても素晴らしい。当時の台湾はとても遅れていたからね。ところが、後から来た外省人は口だけで何もしなかった。だから当時の日本が懐かしい、日本は良かったという人が多いんです」

私が、「でも王さん、日本は韓国でもインフラを整備したのに、反日感情はとても強いんです。“占領“するという事自体が反感を買う事ではないんですか? 日本語教育だって強要しているし」と聞くと、

「占領というけれど、あれは日清条約で割譲されたもので、背景が全然違いますよ」と切り返された。うーん、歴史的にはそうなのだが、“割切り“と言う事なんだろうか、日本に帰ったらもっと勉強する必要が有りそうだ。

加えて、「たった六年間の日本語教育を受けて、何十年たった今でも日本語を話せる人は多い。小さい頃の教育って言うのは大切だね、有り難い事だ」と王さん。

もちろん教育そのものの重要性を言っているのだと思うけども、日本語教育を否定する様なニュアンスは全く無かった。

●外省人と本省人について

「外省人は駄目。嘘吐き。口だけ」と実に手厳しい。外省人と本省人との間に微妙な問題があるのは感じていたが、これほどはっきり口にする人は始めてだった。

王さんは続ける。「悪い者は全部外省人が持ち込んだんだ。特にひどいのが私腹を肥やす事。賄賂を受け取る事よ」

「物事の是非というのがわかっていない。自分は日本の教育を受けているのでよくわかるが、彼らは駄目だ。例えば、大陸の馬賊の問題を解決したのは関東軍だったんだよ。中国人は長い間解決できなかった。なぜなら賄賂を受け取って適当にやりすごしていたからだ。そういう奴等が、そのやり方を台湾に持ち込んできたんだよ、外省人は」と興奮気味に語る王さん。

基本的に国民党は外省人の政党である。ただ、李登輝は本省人にもかかわらず国民党だ。周囲全員が外省人という環境の中で、李登輝は相当苦労したらしい。そして王さん自身も国民党支持者だったこともあるという。その辺が微妙すぎて私にはわからない。

2000年に李登輝の後任者は選挙で負けた。野党だった民進党が勝ったのだった。来年の3月にまた選挙があるらしい。これで国民党が負ければ、二度と立ち上がれないだろう、王さんはそう言っていた。

「李登輝の登場で台湾は本当に良くなった。彼は本省人だからね。李登輝の登用は外省人にとっては最大のミス。中国では息子のいない人間はそれほど権力志向でなくなると思われているんだ。そして李登輝の息子はガンで亡くなっていたため、副総統になる事ができた。もし息子が生きていたら蒋経国総統は李登輝を登用しなかっただろう。李登輝という人間をなめていたんだ。李登輝を操れると思っていたんだよ。ところが総統になった李登輝は違った。彼は【是】と【非】をきちんとした。そう、彼は日本の教育を受けていたから、【是】と【非】をはっきりさせる事の重要性が良くわかっていたんだよ。彼は京都大学だからね」と。

なるほどわかる気がする。先日フィリピン人と話していた時に同じ様な事を聞いた。「フィリピンはアジアでは日本で二番目に豊かな国だったが、何時の間にか韓国や台湾に抜かれている。これはすべてトップが賄賂を受け取るからだ。上がそうだと、下の人間はみんなそうなる。ひどい国になった」と。賄賂は国を滅ぼすのだ。

●当時の日本について

「当時日本の中学は5年制。45人学級で台湾人も朝鮮人も4−5人ずついた。差別はあった。しかし日本の先生はとことん公平であった。こんな事があったんだ。僕が、同級生にチャンコロと言われ、頭にきて相手を殴った。当然先生に呼ばれ理由を聞かれた。僕ははっきり理由を言うと、差別した人間、殴った人間両方の喧嘩両成敗という事でおとがめなしになった」

「また日本の教師は鉄拳制裁をしなかった。やったのは中学3年生。4年、5年は受験で忙しいのでほとんど関与しなかったんだよ」と懐かしそうに話す。

その一方、

「台湾人が台湾語を話したからといって日本の先生は特に文句を言ったりしなかったが、李登輝以前の外省人が支配していた時代に台湾語を話すと罰せられた。外省人はひどい奴等だ」と熱くなって語る。

話を戻そう。

学校はかなり厳しかったようだ。

「うどん屋で食べているところを見つかったら1週間停学、カンニングは3週間停学、ラブレターは放校だったよ」と。

それでも青年の集まりである。

「上級生が下級生に対し、姉さんがいるかを聞く。いないと一発殴って終わり。いると大変で、“貴様、写真をもっちょるか”という事になる。きれいじゃないと一発殴って終わり。きれいだと、“紹介しろ”ということになる。でも結局何も無いんだけどね」と笑う王さん。

中学に通っていたころ、たびたび台湾には帰っていたらしい。

当時台湾から日本に行くには基隆から、博多か門司港に渡るのが一般的だったらしい。

台湾に帰る時も同じルートだ。ただ台湾へ帰る時に、尾道で荷物を預けると、あとは台湾で受け取れば良かったらしい。王さんは、「当時の日本はそうした事ができたのに、今はできないと言うのはおかしいね」なんて言う。

●終戦について

王さんがまだ中国大陸にいた時に終戦になった。

「日本の兵士に、自分が台湾人だと告げると、“貴様、日本が負けたからと言って日本人だと名乗るのが恥ずかしいのか”と怒られた事があるよ」と話す王さんの日本語はいまだに完璧だ。

王さんは、終戦後の大陸で日本人を日本へ逃す活動を密かにしていたらしい。

「ある村では情報がほとんど届いていなくてねえ。敗戦そのものは皆さん知っていたものの、約100家族がそのままどうすれば良いかの情報を待っていた。僕が、他の地域では逃げ出している旨を伝え、なんとか逃がそうと奔走したが、逆にスパイと思われてしまい、難しい局面もあったんだよ」と。

「ある地域の日本人達は、ロシア人が来たら青酸カリを飲む事になっていて、子供には飲ませたが自分は飲みきれないという人もいた。また赤ん坊が泣くと、隠れている事が分かってしまう。自分で殺すか、殺してもらうかという選択を迫られるケースが多く、母親はたいてい泣きながら自分の手で絞め殺すんだ」。

王さんは抑留だとか戦争孤児の生き証人だった。教科書やNHKの中国残留孤児のニュースなんかでしか知らない私は、どこか違う世界の話と言う感覚があったのは否定できない、王さんの生々しい話を聞くまでは。

●現在の中国と台湾について

台湾の最大の課題は、政治でも、経済でも教育でもなく、台湾という国の成立だと断言する王さん。

「日本の敗戦により、台湾は中国に変換されたという解釈をしているが、本当は違う。日本は台湾を放棄しただけ。どこにも属していない。だから中国が台湾を統治しようとあれこれ言うのは間違いだ」と言う。そういう解釈があるものなのかと妙に感心してしまったが、王さんは本気でそう考えている様だった。

昨年王さんは、懐かしい中国の東北地方を旅したという。

その王さんは、「中国の発展はやがて止る」と断言する。

理由として2つ挙げた。

「吉林から鉄道に乗って移動したのだけどあまりに鉄道がひどいね。あれは日本がかつて作ったやつだよ。中国は何十年も何もしていない。まったくひどい代物だったよ。中国はそういう国だ。口だけだ」。台湾も鉄道に関してはまったくの発展途上国だと私は思っていたが黙っておいた。その台湾の王さんが言うのだから、中国の田舎の鉄道事情はさらにひどいのだろう。

「次に黄金問題。要は糞尿だ。中国はひどい。お里が知れるというのはこのことだ。あんな国がアジアの代表になれるはずがない」。私もこれまで中国のトイレ事情はよく耳にしてきた。きらびやかな高層ビル建設の一方で、そういう部分は後回しにされているらしい。

さらに王さんの饒舌は止らない。

「“シナ”と言う石原晋太郎は別におかしくない。当時はそう呼んでいたんだから。また靖国神社参拝にごちゃごちゃ文句を言うのは内政干渉だ。それにしても最近の日本政府は弱腰だなあ、だらしない」

「大陸の中国人の事をチャンコロと日本人は今でも言う事があるが、あれはしょうがない。中国人は嘘を付いたり、行動がきたなかったり、だらしなかったりと、それだけの事をしている。そういう存在だ。日本人とは人間のレベルが違う。だからチャンコロと言われてもしょうがないよ」。中国に対し、相当複雑な思いがある事が伺えた。

●現在の台湾の問題

終戦の時に日本の人口は6000万人、台湾は600万人。現在日本はその2倍になった。そして台湾は4倍に膨れ上がった。そして現在、いろいろな問題があるらしい。

まずは教育問題。

「台湾は現在大学の新設が多く誰でも入れるようになってしまった。競争が無く、質も大分落ちたんだ」。

「台湾でも援助交際が流行ってきていて問題になっている。日本でもすごいんでしょ」と。売春が流行ってしまう社会的な背景が台湾にもあるのかもしれないが、これは日本の悪影響だろうと思った。

次に外国人の問題。

「今、台湾の男は4人に一人は台湾人以外の人と結婚するんだ。中国、ベトナム、フィリピン、インドネシア…」と王さん。これは私も最近新聞で読んだ。つたない私の英語力でも、どう見てもそう読めたのだが全く信じられなかった。でも王さんもそういう。やはりそうなんだ。

また毎日たくさんの数(200人前後)の大陸の女性が台湾に密入国を試み、摘発されるのはその2−3割程度だけらしい。彼女たちは半年売春をすれば、中国に帰り、一生遊んで暮らせるはずであるが、やはり悪党がいてそうも行かない様だと。この四重溪温泉の様な田舎にもたくさんいるという。

「自分は昔かなり遊んだが、今はエイズが恐いので遊ばない。一生台無しになるしね」と75歳になる王さんが言って笑ったのには、何だかむしろ平和を感じてしまった。

 


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