退職のち放浪 ライブ(24)

警察へ行こう ロシア―スリ編(6)

スリにやられた。

国立フィルハーモニーのピアノコンサートに行き、幸せな気分で地下鉄に乗ったその時、私の前で、妙に電車の奥に詰めてくれない若者二人。急にこちらを振り向いて逆に出ようとしているみたい。そして後ろから無理矢理乗り込んでくる客。一時的に押しくらまんじゅうだ。

「ん〜なんだこいつら、あれっ、これっておかしい」

そう思ったときには既に財布はなかった。押しくらまんじゅうはわずか3-4秒程度。その間にスリにやられたのだ。

スリ集団はたぶん5-6人ぐらい。私を挟み込んだ連中だ。きっと連係プレーで財布はリレーされている。

女性が財布を所持している犯人らしき遠くの奴を一人を指してくれていたが、もはや誰だか分からない。

残っていた一味の連中も、人込みに紛れてしまった。あっという間だった…。

スリにやられる話は日本を含め世界各国である。そんな話を耳にするたびに、

「アホな奴がいるなあ」、「油断しすぎだぜ」、「口でも開けてぼーっとしてたんちゃうか」

などと思っていた。そして今でもそう思っているが、どうやら私はその一人だったようだ。

いつも財布はズボンの右後ろポケットに入れている。たまたま右前ポケットにはパスポート(持っていないと悪徳警官に罰金を課せられるから嫌でも持っている)、そして左前ポケットにはカメラを入れて行動していた。

私としては、パスポート→カメラ→財布というランキングで、スリに気を付けていたのだが、やはり貴重品を分散させているのは結果として注意をも分散させることになり良くなかったのかもしれない。

途方に暮れた。

とりあえずパスポートとカメラの存在を確認し、まずはホッとする。

次に思ったのがカード、あ〜あ。面倒だぞこれは。

そして被害総額。これは後述する通り、うーん、しまった、という感じ。

さて、どうしよう。

なんだか財布がない後ろポケット周辺はとても寒い。

言い訳するようだが、ああなると、財布を押さえていない限り、盗まれるのは避けられない気がする。それほどあっと言う間で、鮮やかな手口だった。

すられて、犯人達がまだホームにいる間、ちょっと思った。

無実の人もいるだろうが、めくら滅法で写真をとって警察に出してやろうと。スリは現行犯でないと駄目だろうから決定的な証拠にならないのだろうが、犯人を精神的に揺さぶることが出来る。人から取った金で呑気に乾杯はさせない。

そう思ったのが、写真を撮ると、そのカメラも破壊されそうで躊躇してしまった。半分後悔、半分正解だったかもしれない。

モンゴルでは実に貴重で素敵な体験をさせてもらっていたので、旅の途中に会った人には雑談で「きっとロシアで帳尻が合うんでしょうねぇ」なんて言っていた。そして「悪徳警官に捕まること2回、計200ドルは仕方がないでしょうね」などと冗談を吹いていた。しかし後述するように被害はその3倍だ。痛〜い!。

この後フィンランドに入る予定だが、北ヨーロッパ諸国は物価が異常に高いので有名だ。

ヨーロッパに入る前には一日平均7000円以下を至上命題としていたのに、今回の事で、6,800円から一気に7,400円に跳ね上がってしまった。平均的なバックパッカーは、一日4000円程度で生活しているので、私は割と贅沢をしている方ではあるが、一気にジャンプする結果になった。飛行機代ならいざしらず、“すられ代”で膨れ上がるとは思っていなかった。

放浪を始めて100日間が経っており、キャッシングの金利なども含めて60数万円程度使っていた。それがたったの一日で、その10%も消費してしまうなんて!

対応策

さてやられたのは、夜の9時30分である。警察に行ってもこそ泥事件などあまり相手にされないかもしれない。テロ警戒中ってことで忙しいらしい事に加え、何と言っても腐れきったロシア警察だ。

そして何よりもその前にカードを止めないといけない。

私のカードは、商社時代に使っていたこともあり利用限度額を異常に高くしてあるままだ。数年前のインドネシア出張で、“一億ルピア強”の請求をこなしたカードなのだった(余談だが、この時には「ミスター、申し訳ないが、このカードでの支払い、問題がある」とホテルスタッフ。「ええっ、おれ現金持ってないよ!」と私。「いや、そうじゃなくて、我々の機械は8桁までなんだ。だから2回に別けてもいい?」ってな会話があったほど)。

なんとしても急いで止めねば。今、多額の金額を掠め取られると、無収入だけに痛すぎる。

まずは宿に戻る事にした。地下鉄を降りて、駅のエスカレーターに乗る。ロシアの地下鉄は実に深いところを走っていることで有名だ。日本よりエスカレーターが少し早いが、前日に計ったらちょうど3分乗っていた。距離にすると、たぶん130メートルくらい。

しかしこの日、エスカレーターに乗っている間、本当に惨めだった。4メートルごとにライトがあるのだが、その度にため息が出た。

さて、宿の近くの駅にはATMがある。持っていた別のカードでキャシングした。カードを2枚持つ事は、手数料を2重に取られることになるので、出発前にキャンセルしようと思ったが、出発前日まで働いていた事もあって、キャンセルする時間がなかったのである。

そして今、そのカードに救われた。

きっとスリ集団は、今頃私の金を使ってキャビアとワインで乾杯しているだろう(その購入にカードを使っていない事を祈る)。そうなると私の方も悔しいのでピーナッツをつまみにワインを飲むことにした。こちらは75ルーブル(300円)。ああ情けない。

カード会社への連絡

宿に着き、もう一枚のクレジットカードで日本に電話する。ロシアにもVISAカードの緊急センターくらい有りそうだが、番号が分からないのだった。

この宿では、VISAの代表番号がわからないだけでなく、この場合には、VISAにではなく、銀行に電話するのよ、とも。少し仕組みが違う様だ。

こんな時に備え、カード番号と連絡先電話番号を控えていて良かった。何か事が起きてからアクションを初めて起こす私としては用意周到だ。我ながら感心した。

カード会社は、「今、ロシアですかあ。それならですねえ、コレクトコールでもいいんですけどねえ、ええっと電場番号はですねえ…」なんて悠長なことを言ってくれている。この電話は10ドル制限があって、電話の途中で切れてしまった。もう一度電話し、そのまま話を続けた。結局ロシアから日本まで数分で合計20ドルも取られた。何てカード会社だ。

加えて「保険の為に、紛失証明は取っておいてくださいねえ」と実に軽々しく、そして人ごとの様に言い放ってくれた (確かに人ごとでその通りなのだが…)

一方、宿のアレクサンドリアお姉さんは実に親切だった。ロシア語でカードの紛失証明の発行を警察に依頼する文章をスラスラっと書いてくれた。さすがに全世界からの旅人を捌くだけに、英語もうまいし仕事も速い。

しかし、言葉が通じない国ってのはたいへんだ。もし彼女に「私は忙しいのよ、ニエット!」などと言われたらもうおしまいだった。

警察へ行こう

カードを止めたものの、もしかすると連中が盗んだカードを使っている可能性がある。被害を少なくするには、カードの紛失証明を保険会社に提出しなければならない。

あれほど避けまくっていた警官のもとへ自分から行くはめになるとは…。とほほ。

まずは宿の近くのメトロ駅へ。ロシアではすべてのメトロ駅に警官がいるという事だった。行ってみると小さい部屋ながら鉄格子の留置所まであった。そこの警官は、メトロで2つ先の中央の警察署まで行けと言う。地図と住所を書いてくれた。何だ親切じゃないか。

しかし、文字が読めないってのはたいへんだ。近くまで行ってもさっぱりわからない。通りかかったおばちゃんに聞くと、その場所まで連れて行ってくれた。

しかしこれが警察の本部?という建物。そしてドアを叩いてもまったく返事がない。黒いドアにあるのは番号式のボタンだけ。何故かベルはない。暗証番号がないと開かないのだった。

「おばちゃん、ここじゃあないんじゃないの」とジェスチャーするが、住所はここで、警察もここだと言う。あまりに汚い建物なので、まだ疑っている私。

隣の茶色いドアから人が出てきたが、そこは警察とは関係がないらしい。

なんてこった。警察署に市民が入るようにはなっていないのだった。おばちゃんはドアを蹴り出した。ドアを叩くときもすごかったが、今度は壊れんばかりの勢いだ。それでも返事がない。すっかり打ちひしがれていると、そこへ刑事らしき人が帰って来た。ラッキーだ。

早速、昨日アレキサンドリア嬢に書いてもらった紙を見せると付いてこいと中へ入れてくれた。ドアを通るといきなり2階への汚くて細長い階段がある。そしてその先には誰もいない。ドアを蹴っても返事がない訳だ。

警察と言うよりは、まるでマフィアのアジトみたいだ。

長い廊下を歩くと、マシンガンを持った警官達がいる。担当者が現れ、ちょっと待っていろと通路の椅子で待つこと5分。実に手慣れた感じで書類を発行してくれた。ホットした。これで一連の作業は終了。

財布

おっと、もう一つ。財布が必要だ。

市場ですられたものと全く同じ財布を買った。180ルーブル(720円)だ。

すられた財布は、ウランバートルの市場で買ったもので、2000トゥグルク(200円)だった。何れも中国製だ。シベリア横断鉄道に乗ると、財布もえらい高くなるんだなあ。因みにこの財布売りのおばちゃん、一切ネゴの余地が無かった。

★今回のスリ騒動総決算

被害総額:約6万円(現在のところ)

=何故そんなに持っていたのか=

実は、フィンランド行きの切符とホテル代を払う為、ドルを両替する必要があったのだった。もちろん、両方ともカード払いが可能だが、7%も銀行がコミッションを取るので、ルーブルで払いたい。だからドル札を両替する必要があった。しかし、実際には銀行が閉まっていて、ATMでキャッシングした直後だったのだ!

これぞマーフィーの法則。結果として、ドル札もキャッシングしたルーブルも両方やられてしまったことになる。

ああ、私の現金どこへ行く。

=何故列車の切符を直ぐに買わなかったのか=

ATMでお金を下ろし、フィンランド行きの切符を直ぐに買いたいところだったのだが、実はホテルに近い駅では購入できなかったのである。因みにガイドブックではその駅はフィンランド駅という名前がついている(ロシアの大都市では遠距離列車が発着する駅が幾つもあるのだが、行き先ごとに名前がついている。例えばモスクワ駅がサンクトペテルブルクにある事になる)。そのフィンランド駅に近いからこそ、この宿に泊まっていたのだが、実際にはフィンランド行きの列車は、宿から1時間弱行った駅から出るのだった。その駅はこの夏に出来たばかりという(これじゃあガイドブックも追いつけない)。

「その駅で買え」と冷たく言い放つ駅員のおばちゃん。

「ロシアには回線がつながった緑の窓口は無いのか」と言ってみる私。でも日本語。

そんな訳でその日は切符が買えなかったのである。

ああ、私の切符代どこへ行く。

=そして=

さらに悪いことに、財布にはクレジットカードが入っていたのだった。中国やロシアのカード犯罪は有名だ。使われていなければ良いのだが。

そして手間が掛かるだけに痛い。

さらに、ユースホステルのメンバーズカードを取られているので、今後もユースに宿泊するたびに損失が膨らんでいくのであった。

被害時間:約4時間

まずは取られたカードの停止作業。もう一枚のカードを使い、公衆電話で日本のカード会社に電話をする。その関連作業で30分(と20ドル)。この電話番号を控えていなかったら、どれほどの時間をロスしていたか分からない。因みに、地球の歩き方ロシア版にはカード会社の連絡先など書いていない。他の国のやつには書いてあることもあるのだが。

宿のおねえさんに頼み、警察になんて言えばよいかをロシア語で書いてもらう。20分。

そして警察へ。行き帰りの時間を合わせて膨大なロスだった。

精神的被害:甚大とまでは言わないが…。

★今回のスリに遭った傾向と対策

油断があった事は否めない

よくよく考えると、スリ集団から見れば、絶好の場所だったと言える。そこへカモの私。

  • 結局、最後尾もしくは一番前からは乗らない。
  • 並んでいても、用心して別の場所から乗る(フェイク作戦)。

という事ぐらいはすべきだったのだ。

★良かったこと

すられて“良かったこと”など無いのだが、前向きに生きる為に考えた。

  • ラッキーにもカード会社の電話番号を控えていた。
  • ラッキーにも予備のカードを持っていた。
  • ノモンハンでもらった遺品の名札?を無くしては大変と思って、モンゴルではずっと財布に入れて持ち歩いていたのだが、ロシアに入る直前に荷物と一緒にモンゴルから日本に発送したのだった。遺品は持ち出し禁止なので、見つかったら没収になってしまうのだが、そのリスクよりも、今後スリに遭うリスクの方が高いと判断していたのだった。おぉよかった。しかしその通りになるとは…。
  • パスポートが無事だったのは実に助かった。パスポートを無くすと、再発行の為に数日必要で、そしてその間にロシアのVISAが切れるので、実に厄介な手間と金が掛かったはず。
  • カメラが無事だったのも救われた。ゴビ砂漠の砂で調子が悪いし、何より被害総額よりも安いのだが、新しく買う気にはならない。また隠し取りした写真が何枚か入っていたのだった(現在のロシアではもしかすると撮影しても良いのかもしれないが、橋、鉄道、駅、地下鉄などは昔は撮影禁止だったはずだ)。
  • ロシアの警察がちょっぴりわかった。やたら長い事情聴取を受けるのかと思ったら、全くあっさりしていたのもびっくり。紛失証明の文章が、既にパソコンに入っているようだった。そこへ必要事項を打ち込んで印刷して、上司のサインと警察署のはんこを押しておしまい。日本の警察より作業が早いかも。なんだか面白い。
  • 警察署へ連れて行ってくれたおばちゃんの優しさと、そして気迫に感動。もしかしてロシアでは警官は嫌われている?初老のおばちゃんとは思えないくらい、憎しみを込めて、ドアを蹴っていた。
  • そして、ライブ感たっぷりのこのネタ。(そう書いて悲しい自分がいる)

とほほ・ ・ ・(大)。


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