ロシアの朝は遅い。
いや、人々は朝早くから活動を開始しているのだろうが、日が昇るのが遅い為、旅人の活動もなんとなく、朝はゆっくりになってしまうのだ。
モスクワのタクシー
そして何時の間にかサンクトペテルブルク行きの電車の発車まであと1時間に迫っていた。慌ててホテルを出て、タクシーをひろう。モスクワには正規のタクシーもいるが極端に数が少ない。イルクーツクより少ない。ほとんどが白タクの様だ。そしてロシア製の車が多い。イルクーツクでは日本車が多いのだが、モスクワはヨーロッパ車が増えるものの、ロシア製のボロッちいやつもまだ現役だ。
最初に止った車に50ルーブル(200円)とオファーすると、何と200ルーブル(800円)と返ってきた。これはボリすぎだ。ぼろぼろの車のくせしやがって。こちらも時間がないので焦っているのがわかってしまったのだろうか。
やばいと思いながらも、交渉を打ち切った。
でもすぐ後にオペルのきれいな車が停まってくれた。50ルーブルでいいよと向こうから言ってくれている。親切だ。
何だかロシアには人種が2種類いる。
この運転手は前者の方だ。駅に着いたときに、「車が新しいからね」と10ルーブル余計に払ってあげると、抜群の笑顔で「スパシーバ」と例を言われた。
サンクトペテルブルクへの道
ホームに行く。後30分あるので荷物を座席に置いて何かを買おうと思った。ところが車輌は2号車。とんでもなく前の方であった(20輌近いので多分300メートルくらい先。荷物が重いぜ)。加えてその車輌には大量の荷物を抱えている運び屋がいて、巨大なカバンを次々と車内に運び込んでいる。荷台の半分は彼らの荷物で占められてしまった。後で聞くとこれらは靴や洋服ということだった。恐らく中国からシベリア横断鉄道でモスクワまで運び、そしてサンクトペテルブルクに運ぶのだろう。もしかすると、北欧まで行っちゃうのかな。
さてようやく自分の座席と荷台を確保しさて出ようと思ったときには出発5分前だった。もう300メートル手前のお店には行くのは危ない。しかし食堂車はなさそうだ。今までの列車と違って、途中駅では、1分程度しか停まらないことも知っていた。
もしかして、このまま何も食べられずに21時まで? えー。
ユースホステルの朝食ってのは実に簡素なので、既に腹が減っている。
“朝食込み”っていうのは聞こえが良いが、クロワッサン1個、ヨーグルト、ジュースしか出ないのだった。
うー、腹が減った、そう思っていると、車掌が何やら箱を配り出す。ランチボックスだった。
でもちょっと待てよ、この列車代金は541ルーブルだぞ(2164円)。9時間弱も走るのに…。それがランチ込み!?
昨日モスクワのピザハットらしいお店でピザ1/8と、ちょっとしたお惣菜を皿に盛ってビールをつけたら355ルーブル(1420円)もした。
何だか、ロシアの物価って良く分からないが、まあ今回は実に有り難い。
因みに中身は、というなかなかのものだった。
ランチを買いそびれた私にとっては好都合だったが、多分乗客の中には、こんなもの要らないからその分チケットを安くしてよね、と思っている人が多いに違いない。
列車の電気が何故かスモールランプのままだ。既に夕日は落ちている。何度も点燈を試みているようだが、一旦明るくなっても直ぐに消えてしまう。結局あきらめたようだった。これだからロシアはかなわない。
そう言えば、モスクワで同室だったスペイン人が行っていた。
「ロシアのエレベーターに乗るときには気をつけろ。古いエレベーターは、床が木で出来ていて腐っていることがある。そして乗ったとたんに崩れて落下。毎年何人か死んでいるんだ」
ロシアって恐ろしい…。
ともかくこれでは本が読めない。あと5時間どうすりゃいいんだ。
もともと、この昼間走る車輌は、ベッドではなく、2列2列の座席になっている。そこまではJRと同じ。しかし何故か向かい合わせに固定されている席がある。4人のグループならいいのだが、一人旅の場合はちょっと気まずい。その一車輌にたった8席しかないところにあたってしまった。前の二人は大男だ。足が伸ばせない。何だかロシアではあまり良い目にあっていない気がする。モンゴルで良い目に遭いすぎたかなあ?
滞在登録の難、再び
列車は夜9時にサンクトペテルブルクに着いた。この街は、メキシコ湾流の影響であまり寒くないと聞いていたが、この日はかなり冷えていた。前日に降ったらしい雪が歩道で凍っている。
今日は列車に乗っただけで何もしていないはずだが、重たい荷物を背負っている事もあり何だかとても疲れていた。
こういう日は早くチェックインしたい。
モスクワのユースホステルでHI サンクトペテルブルクホステルというユースホステルを2泊予約した。もう外国人登録でトラブルのはまっぴらごめんだったから、彼らにやってもらったのだ。
そのモスクワのユースホステルでは、
(例の女神様ではなかったが)「あらゆるロシアのユースホステルはちゃんと登録してくれるから大丈夫」と言う。そして同室のフランス人も、「うん、問題ない。そこはベストプレースだ」と。
実はモンゴルで知り合った日本人ご夫妻から、ここは登録してくれないよ、と教わっていたのだが、ここまで言われれば大丈夫だろう。何といっても到着するサンクトペテルブルクの駅から歩いて8分というのが魅力だ。
40キロ弱の荷物が足腰にこたえる。凍った歩道で時々つるつるすべるので結構辛い。おまけにフランス人が地図上で示してくれたホステルの場所が少し違っていた。困ったが、もう、そんな事では動じない体になっていた。
そして電車を降りて30分後、何とか目的地に着く事ができた。
ところが…
「うちは登録しないわよ。宿泊のスタンプも押さない」と受付の中年女性、あっさり。
「ええ、だってモスクワのユースではするって言ってたよ。だから来たんだもん」と私。
「大きなところはするの。うちみたいな小さなところはしないの。でもあなた、サンクトペテルブルクには2泊なんでしょ、だったらそもそも要らないわ」と彼女。
出た、3日以内は何も要らない説。そいつが問題なんだよ。そう思ったが、
「いや、サンクトペテルブルクには4泊する。そう予約したでしょう」と私((これはうそ))。
「あらそうなの。でもほら入国カードのここ、あなた入国してからイルクーツクで登録しているじゃない。だから要らないわよ」と彼女。
出た、登録は入国だけでよい説。まったくこのおばはん、頼りにならない。
どうもこの滞在登録で感じるのは、宿の窓口の“人による”のではないかということ。つまりやってくれる宿とやってくれない宿の情報が時々食い違うのは、時には窓口の担当者が登録するかしないかにかかっており、必ずしもこの宿は…、という事ではないからなのかもしれない。安宿の場合は特に。
「別のところへ行くよ。このホリデーホステルで登録するか電話で聞いてよ」と要請する私。
「サンクトペテルブルクのホステルはみんなしないの。大きなホテルに行きなさいよ」と彼女。
「いいから電話してよ、部屋が空いてる確認も必要なんだから」と怒りに震えながらも、顔には出さずに穏便に話す私。
嫌々電話で話す彼女。
「…。登録するって…」と彼女。
ほれみろ。
しかし既に10時を回っていた。ほとほとこの外国人登録が嫌いになった。ルールが徹底されていないばかりか、正確な情報の認知度もあまい。
ぶつくさ言いながら、今度はメトロに乗って、そして一度乗り換えて目的のホリデーホステルへ向かうのだった。駅周辺の別のホテルでも良かったのだが、このホステルはフィンランドへ行く列車が出る駅に近い、とガイドブックに載っていたのである。それが唯一の救いだ。フィンランド行きの列車は朝早いと聞いていたのだった。
自分は小さい頃、方向感覚に優れていると思っていたのだが、その能力は年と共に消えるようだ(ほんまかいな)。地下鉄の駅まで着けばすごく簡単な道筋のはずだったが迷ってしまった。重い荷物が一層重くなる。歩道の雪は磨かれて輝きを放つほど…。
しかし途中、親切なカップルに助けられながらも何とかたどり着く事が出来た。彼らはわざわざ遠回りして、ホステルまで送ってくれたのだった。いい人達だ。
それこそ私の偏見かもしれないが、オロシャの民は、メリケンよりも親切だと思う。そして人種的な偏見もほとんど持っていないし、差別もない気がする。いや偏見は持っているだろうが、それをほとんど表に出さない。比較すると“人間として出来ていない奴”が、圧倒的に少ないのだ。
ホステルではドミトリーもあったのだが、ツインの部屋を一人占めして462ルーブルという値段だという(1848円)。他の旅行者との情報交換も大事だが、とにかく疲れていたのでツインにした(シングルだと何故か900ルーブルということだった。まるで理解できない)。
建物自体はぼろぼろだが、部屋は広く暖かく明るい。シャワーのお湯はちょろちょとしか出てこないが、バルコニーがあってビールやワインが冷やせる。PCにつながる電話が使えないという点は残念だが、ネヴァ川という大きな川沿いにあるのも素敵だ。
そして他のホテルでは50ドル以上するので結局4泊ともここに決めた。
そして電話の通り、しっかり登録のスタンプを押してくれた!
洗濯
台湾・中国の宿では洗濯機を貸してもらっていた。モンゴルの宿には自由に使える洗濯機が有った。バイカル湖ではサウナの中で洗濯した。
ここサンクトペテルブルクでは、宿に洗濯を頼んだ。昨日はもうへとへとだったので、今日はリラックスする為に、安息を金で買うことにしたのだった。
1キロで16(シックスティーン)ルーブル(64円)と聞いたのでたくさん頼んだ。ズボンも汚くなっていたので出してしまったら、翌日仕上がりという。洗濯機に掛けるだけでいいよ、こっちで乾すからとお願いする。
お金を払う段になってびっくりした。1キロで60(シックスティ)ルーブル(240円)だったのだ。おかげで1回の洗濯機分で合計200ルーブル(800円)払うことに。これじゃあ世界で最も高いコインランドリーだ。いや、こうなると、コインでは支払えない。
私の耳の悪さに加え、ロシア人の“○○ティーン”の発音は実にへたくそなのだった。やられた…。
おまけに、仕上がってきたズボンは「何だかただ濡らしただけじゃないの、これ」というほど、泥汚れが落ちていない。恐るべし、ロシア製洗濯機。とほほ…。
音楽チケットの購入
夕方になり街へ。まずは国立フィルハーモニーの切符売り場へ。場所がなかなかわからなかったがようやく突き止めた。長い列に並び、私の順番になる。
「この新聞に載っている、2nd International PIANO FESTIVALってやつ頂戴、一人前、大盛りね」と言う。
この新聞は、英語、ロシア語が併記されていて便利だ。
「あんた学生?」という部分がわからずにとても戸惑ったのだが、後ろに並んでいた大学生らしき女性が訳してくれて乗り切れた。価格は465ルーブル(1860円)。ロシアの割には結構高い。前に並んでいた学生は、100ルーブル(400円)で買っていたのとは大違いだ。
それでも国立フィルハーモニーでやるイベントなのできっと素晴らしいに違いない。比べちゃいけないが日本では有り得ない値段だし。
サンクトペテルブルクの夕食
さて、念願のクラシックコンサートのチケットは思い通り手に入った。じゃあメシだメシ。
近くに洒落たお店があったので入ってみた。席に案内されると何やら見慣れたものが目に飛び込んでくる。キッコーマンの醤油さしだった。
そう、ここは日本料理屋だったのだ。外から見ただけでは絶対わからない。そういえばテーブルには、ちょっと変わった箸置きがあるが、この箸と醤油さしがなかったら、お店に入っても日本料理屋とは分からないほどのモダンな店だ。
でもまだ6時近いこともあり、ロシア人達はケーキなんぞ食べている。
最初の気分は美味しいスープと肉料理だったが、断然米が食いたくなった。
でもむちゃ高かったら出ようと思いメニューを見る。いきなりスーパードライなんていう文字が飛び込んできた。これでもうノックダウン。ここに決めた。値段は少し高めだが、まあ悪くない。頼んだのは下記のもの。
・スーパードライ500ml 140ルーブル(560円)
・カリフォルニア巻き 120ルーブル(480円)
・牛丼 80ルーブル(320円)
この他には本格的な寿司そして刺し身、また鍋焼きうどんなどが写真入のメニューに並んでいる。なかなかやる店だ。
牛丼の味がちょっと濃い感じで、しかも牛肉の生姜焼きを乗せた感じ。違和感があるが、しかしこれはこれで生卵があったら絶対美味いに違いない。
カリフォルニア巻きは全然問題なし。木製のゲタに6つ。ワサビは外出し。紅生姜は花形に彩られているところが憎い。お好みでレモンだ。
ロシア製のビールは美味いのだが、やはりスーパードライは最高に美味かった。
だんだんと人が入り始めた。食事時になったようだ。ロシア人が上手に箸を使い寿司を食っている。なんだか面白い。
さて、いよいよ国立フィルハーモニーだ。何でもこの建物は1839年に建てられ、多くの名作が初演されたらしい。2階にあがると、作曲家達の肖像画が飾ってある。何だか小学校の音楽室みたいだ。観客達はまずここへ来て談笑し、シャンパンやワインを飲むのだった。
ああ上流階級、ブルジョワジーって感じ。プロレタリアートの星、ロシアなのに。
ペルが鳴り、1300ぐらいある席へ続々と人が座っていく。結局満席だ。食事を先に取っていたらチケットは取れなかったに違いない。よかった。
100人弱の演奏家が登場し、その後、指揮者とピアノ演奏者が大拍手の中、堂々と現れた。
周囲の人が、「彼はヤポンスキー」みたいなことを言っている。ピアノ演奏者は何と日本人だったのだ。
2nd International PIANO FESTIVALは、あまり外国人の客が目当てではないらしくパンフレットはロシア語のみだ。そのパンフレットを買ってみると、確かに東洋人のハンサムが写っていた。しかし名前はロシア表記で東洋系のロシア人かと思った。そう言えば、私もロシアのVISA上では、“XAPANAKA”となっていたっけ。
その中にキリル文字でも入ろうものなら、どれが名前かなんかはもうわかならい。
後で聞くと、彼は、「Serizawa Keiji」という有名な人らしい。恥ずかしながら私は知らない。ごめんなさい芹沢さん。日本に帰ったら調べます。
しかし今日は何だか、日本デーだな。
その演奏は素晴らしかった。そしてそして、彼が演奏したのは、なんとチャイコフスキーだったのだ!(但し、クルミ割人形ではなかったが)
あまり言葉にすると、陳腐になってしまうのでここでは書かない。
彼の他、二人のピアの奏者が登場したが、彼らも実によかった。
ガラではないが、持ってきたCDにはクラシックも入っている。しかし何と言ってもやはり生演奏に限る。柔らかくてあったかい感じになるのは何でだろう。
音楽と酒に酔いながら、とても幸せな気分で、このコンサートホールを後にした。
そして10分もたたないうちに、気分はどん底に突き落とされるのだった。
スリにやられたのだ。
つづく
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