退職のち放浪 ライブ(22)

街へ行こう モスクワ編(4)

さて、これからは気を付けなければ。何といっても腐れきった警察の総本山である。

モンゴルの宿では、「ロシアでは警官を見たら逃げた方が良い」などとアドバイスされていた。

奴等の手口は、こうだ。

【パスポートを見せろと言われ、渡すとそれをなかなか返さない。そしておもむろに言うのである。「返して欲しかったら100ドル払え」】

とんでもない話だ。幾ら給料が安いからといってそれはひどすぎる。しかしこの話、ガイドブックにも似たような例が登場していてあながち嘘ではないらしい。

強盗と違って暴力は振るわないが、やられたら何ともやりきれないだろう。

何でもさらに、ニセの警官もいるとのことで話がややこしい。

だから私も徹底的に制服組を避けることにした(軍人もいて、制服が多くて困る)。ある時はむちゃくちゃ遠回りになるので荷物を背負った身には辛いのだが。

評判の良いユースホステルに着いた。電車を降りてから1時間も掛かってしまうのだが、確実性がある。この場合の確実性とは【外国人滞在登録】をしてくれるという事だ。

関税申告もいやらしいのだが、実は、ロシアの旅行で一番厄介なのがこれだ!

外国人滞在登録のルール

ここで一度情報を整理しておきたい。

【地球の歩き方】にはこう書いてある。

『ビザをよく見ていると、ロシア語、英語、フランス語で「ロシアに入国するすべての人々は、ビザに書かれている目的地に到着後3日間以内に滞在の登録をすること」と書かれている』

とある。

因みに、ビザを良く見ても、そんな事は書いていないのだが、まあ本論から外れるので横へ置いて置こう。

次に【ロンリープラネット】にはこう書いてある。

@『ロシアに到着後3working days以内に登録をしなければならない』また

A『その後、どこへ行っても3日を越えて滞在する場合には登録が必要』

B『さもないと、最高で500ドルの罰金をくらっちゃうよ』

とある。

このルール、あくどい警官がつけ入る理由を国が作っているようなものだ。

先のひどい警官のゆすりの手口についで良く聞くのは、

【君ねえ、これ滞在登録が不十分なんだよ、ちゃんと登録しないとなあ、今回は見逃してあげるから、はい100ドル】というものだ。

ロシアに入国し、最初の滞在として、ちょっと高目のアンガラホテル(11000ルーブル(4400円))を選んだのも、確実に滞在登録をやってくれるからだ。

他人の家、民宿、ゲストハウスなどでは、この滞在登録をしてくれないところがある。幾ら安くても、その登録を自分でやるのは無理がある。

登録すると、入国カード(といってもわら半紙の小さい切れ端)の裏に、スタンプを押し、日付を入れるというもの。

登録するたびに、このスタンプの数が多くなる。まるでスタンプラリーだ。

バイカル湖ではゲストハウスに泊まる為、一応このアンガラホテルで聞いた。

「バイカル湖では登録が必要?」と私。

「イルクーツクとバイカル湖とは近いから、同じ都市の扱いになるの。だから不要よ」とホテルの人。

「バイカル湖で3日も滞在するのに問題ないの?」と私。

「ここで最初の登録をしたでしょ。あとはmore than three daysなの。大丈夫」

という会話で安心してバイカル湖のゲストハウスに泊まったのだった。

そしてシベリア横断鉄道で3日を過ごした。

ところが…。

ユースホステルの窓口でビザとこの入国カードを見せる。驚く担当者(因みに名前はセルゲイ)。曰く、

「これ大問題だよ。今までどこにいたの。最後は一週間前じゃない」

「大問題って何? 3日間はバイカル湖のゲストハウス、3日間はシベリア横断鉄道だよ」と私。

「シベリア横断鉄道の切符ある?」とセルゲイ。えっと、まだ捨てていなかったはず。あった。捨てなくてよかった。ずぼらな性格に救われた。

「なるほど、とりあえず後半の3日間はよしとして、問題はバイカル湖の3日間だな。ちょっと待って」とどこかへ電話するセルゲイ。そして、

「部屋はあるが、君はここへは泊まれない。いや正確に言うと泊まれるんだが、登録は出来ない、申し訳ないけど」と言う。さらに、

「ゲストハウスだろうがどこだろうが、スタンプが必要なんだ、要は連続性。アンガラホテルの後、スタンプが無いんじゃあここでも登録は出来ない。これはイリーガルな状態だよ」と追い討ちを掛ける。

…。…。…。

途方に暮れる私。

あれほど気を付けていたのに、『どこへ泊まってもスタンプが必要』なんてルールがあるとは知らなかった。

「まあ、このホステルはよく警官の立ち入り調査が入るから厳しいんだよ。登録に関しては、その登録者もリスクを負うのでちょっとでも何かあるとやりたがらないんだ」とセルゲイ。

「じゃあ、俺はどうすりゃいいのよ」と聞くが、

「う〜ん。一旦担当者がノーと言ったら、絶対駄目だしなあ。こうなるともしかして他のホテルでも同じかも…」なんて恐いことを言うセルゲイ。

でもトラベラーズゲストハウスというところに電話してくれた。

「電話の向こうで女性が、もしかすると登録してあげるかもって言ってるんだけど、どうする?」とセルゲイ。

実はそのトラベラーズゲストハウス、モンゴルで知り合ったご夫婦が、既に登録を拒絶された宿だったのである。しかも今回は、登録をしてあげる“かも”だ。

また一時間かけて移動して“ニエット”と言われたら、もう打つ手が無い。それをセルゲイが察して、

「わかった。彼女がノーと言ったら、今日は遅いから登録無しでそこへ泊まり、明日もう一度俺のところへ来い。俺自身で登録してやる」と有り難い申し出。ロシア人って何て良いやつなんだ。今回もセルゲイ姓に救われた。

しかし、これって個人で出来るんだ?!

セルゲイにトラベラーズゲストハウスの住所をロシア語で書いてもらい、この宿を後にした。

外は相変わらず雪が降っている。そしてセルゲイの教えてくれた地下鉄の駅まではこの重い荷物を背負う身には限りなく遠い。つくづくロシアって国の、非効率な制度とその運用に辟易としていた。

トラベラーズゲストハウス

最寄り駅に着いたのはいいが、右も左もわからない。タクシーに乗りたいが、イルクーツクの様にそれほど走ってはいない。ただし手を挙げると、驚いたことに自分の前がタクシー乗り場になってしまった。何と白タクが数台停まってくれている。

しかし住所を見せてもわかる人がいなかった。9台目のタクシーがようやく多分わかるといってくれそれに乗る。

100ルーブル(400円)だ。この駅から徒歩10分と聞いていたが仕方が無い。

目指すトラベラーズゲストハウス、ビルの10階のフロアーを借り切って営業していた。ビルの前には小さな看板があるだけ。これじゃあ、一人では多分見つけられなかっただろう。タクシーの運ちゃん有り難う。

さて、いざ窓口に行くと、

「ああ、さっきの電話の日本人ね、えっとビザと鉄道のチケットはこれね。はい、いいわよ登録してあげる」と彼女。

天使に見えた。

(翌朝、写真を撮らせてもらった)

台帳に記入し、私の入国カードにスタンプを押す彼女。ほっとする私。

既に連続性は無いので、問題は残ったままだが、出国係官が見落とす可能性も高いし、そもそも本当に連続性が必要なのか分からないし何とか乗り切れるだろう。

後で聞いたのだが実は、同じこの宿で日本人がパニックになったらしい。彼は北京から直接モスクワにやってきた。すると5泊6日になる。ロンリープラネットのルールでいけば、入国してから3working daysだから、既に過ぎている。

だからホテルでの滞在登録が出来なくてパニックになったらしい…。

そんな馬鹿な話があるもんか、と思うのだが、恐らく彼はその鉄道のチケットを捨ててしまったのだ。ホテル側としてみれば、あるのは入国の日付だけだから、リスクを犯したくないのだろう。

そう言えば、私の鉄道チケットがある事に彼女がこだわっていたのはそこに理由があったのだ。

その日本人はその後、日本大使館に行ったとの事だった。ばかばかしいが、きっと彼もやりきれなかっただろう。

想像だが、この滞在登録、高級ホテルの場合には全然問題がないのだと思う。ただし高級ホテルに泊まる人はシベリア横断鉄道で来ないからなあ。

ドミトリーにはベッドが4つあり、フランス人カップルとスペイン人だ。このフランス人はこれから中国へ向かう。スペイン人は宇宙なんとか学会に参加する為モスクワに来ていた。彼は修士・博士を日本で終了した日本通で、彼とはとても話が合う。

彼は何度もロシアに来ているそうだが、やはりガイドブックに書かれているように、ロシアの警察は腐れきっていて、気を付けた方がいいよとアドバイスしてくれた。彼も、警察を見たら避けるようにしているらしい。最近は少しまともになってきたらしいのだが…。

因みにこの3人、西のヨーロッパから来た為か、朝なかなか起きない。こちらは東から来ているのですぐ起きてしまう。ドミトリーは楽しいが、些細ながら意外とこんな問題もあるんだなあ。

モスクワの中華

安心したら腹が減った。6時にモスクワに着いているのに何だかんだともう10時近い。宿の周辺には何も無かったが、しばらく歩くと中華があった。和平飯店だ。うっ、高級そう。

そしてやはり高級だった。

ビール、前菜、チャーハン。これだけで445ルーブル(1780円)。ロシアでは大贅沢なのだが、ホッとして結局ここに落ち着いてしまった。

味は上々。しかし、回りのロシア人は結構すごいものを食べ、ワインなんか飲んでいる。これが噂のモスクワのニューリッチ層だろうな。ロシアも大分貧富の差が広がってきているようだ。

モスクワのマック

翌朝も雪が降っている。

宿の最寄り駅はスペクトルミガという駅で、割と栄えている。

駅の近くにマックがあった。ジャンクフードはあまり食べたくないところだが、まあトライしてみる。なかなか“ハンバーガー”と言っても通じない。結局写真を示してチーズバーガーを買うことに。43ルーブル(172円)。ポテトもドリンクも要らないって言ってんのに、けっこうしつこい。それほど、チーズバーガー1つを頼む客がいないって事だろう。

気のせいか、日本のものよりも大きい。肉も厚い。味も良い気がした。日本マクドナルド、価格競争もいいけど、ちょっとサボっているのでは…。

マルクス

しばらく歩くと、誰かの石像がある。カールマルクスだった。学者タイプなのかと思ったら全く違う。その顔は激しく厳つい表情だ。ひげももじゃもじゃだ。なんと体長は3メートルもあったのか。睨まれるとビビッてしまって、こいつの言うことなら信じてしまうかもしれない。

信じないならラリアートを食らわせる気だ。

思わず「共産主義万歳!」

しかし彼のせいで、このロシアは未だに貧しいと言える。いやそれ以上に北朝鮮はひどい。

一方、資本主義陣営も、社会主義にならって福祉などに力を入れた訳で今になってみれば、現在の福祉国家があるのは彼のおかげとも言える。

日本は最も成功した社会主義国家と揶揄されることがあるが、マルクスはどう思うんだろう。

クレムリン

長い行列があったので、せっかくだから並んでみた。明らかに観光客の人がいる。何だかわからないが、もう並ぶのには慣れている。

ゲートが開いた。ここはどうやら「Armory (武器庫)」と呼ばれる場所の様だ。ガイドブックによれば16世紀に兵器を製作・保管する場所だったらしい。そして今では工芸美術品等が置かれている博物館となってる。

ここの入場料は350ルーブル(1400円)。ロシア人はだいぶ安いらしいが、それにしたってちょっとぼりすぎだ。

(中身のコレクションについてはここでは省略)

そして、武器庫の中に、ダイヤモンド庫と呼ばれる特別展示室がある。

ここに入るにはさらに350ルーブル必要だった。何だかわからないが迫力に押され、チケットを購入してしまった。

入り口には金属探知器のゲートが有って、特にものものしい。この部屋自体が金庫の様な作りになっている。

『地球の歩き方』の読者情報に、

「必見に値する。こんなすごいところは英国にも中国・台湾にもなかった。何がなんでも入るべき」と書いてあったのを思い出した。投稿したのは男性だ。

しかし私の場合、入って最初は何も感じなかった。いや、高っけえなあ、と思った。目に入るのは金塊、銀塊、金の装飾品、ダイヤモンド原石、ダイヤモンドの数々なのだが、ちっとも感動しない。有料のガイドさんが遠くの方で、「このダイヤは60カラットでその歴史は…」なんて言っているが、物より感動だ。

しかし、ピョートル一世だか、ニコライ二世だか知らないが、よほど市民から絞り取ったんだろうなあという気がする。その金を教育やインフラに使えばもっとすごい国が出来上がったのに、そしたら産業革命はロシアで起こったかもしれないのに、などと思ってしまった。そういえば、信長があれほど早く死ななかったら、イギリスより先に日本で産業革命が起きただろうなんて言っていた学者がいたっけ。

私にとってほとんど価値がないものにいきなり700ルーブル(2800円)も使ってしまった。滞在時間の日本人記録を作ってしまった気がする。

しかし、ロシアは甘くなかった。さらに他のものを見る為に、250ルーブル(1000円)払えと言う。そして写真を撮りたかったらさらに50ルーブル(200円)だと。

このクレムリンでは2つの目的があったのだ。

1つめは、地球温暖化防止京都議定書にサインするようにプーチンを説得すること。

これはあっさり玉砕。

そしてゴビ砂漠で哲学をしてきた私は、実は何とか聖堂のプラトンの肖像画だけが見たかったのである。だから泣く泣く追加の300ルーブルを払ってしまった(エキジビションが見たきゃさらに払えと言っていた)

いざ、その聖堂に行ってみると、肖像画がたくさん有って、どれがプラトンかわかりゃしない。説明はロシア語のみだ。とりあえずそれらしいのを撮影したものの、確信がないので感動もない。あ〜あ。

切符の購入

次に駅へサンクトペテルブルク行きの切符を買いに行く。また行列だ。やっと私の番になったが、ものすごい形相のおばちゃんが窓口でどぎまぎしてしまった。それでも何とか意志が通じるのだから人間って素敵。

しかし、相変わらずソ連の影響か、「切符を売ってやる」という態度なのだった。私が購入するのに時間を要してしまって、時計は16時丁度を指した。私の後ろにはまだ二人並んでいたのだが、このおばちゃんはバシッと扉を閉じてしまった…。

彼女の休憩時間なのだった。しかし恐ろしいほどの拒絶ぶり。あそこまで拒否せんでも…。

後ろに並んでいた人ごめんなさいね。

ボリジョイバレエ

やはりロシアに来たらバレエだ。ラッキーにも当日ではほぼ不可能と言われたチケットを購入することが出来た。窓口のおばちゃんは外国人に慣れている様で、戸惑いながらも何とかなるもんだ。因みに400ルーブル(1600円)。

私の席は4階席。上を見ると6階まであった。どうだろう、座席数は2000ぐらいだろうか。

今日のバレエの音楽は、シューベルトとモーツアルト。おなじみの曲が流れ、洗練されたバレリーナが…。

才能がない人間が文章にするととても陳腐になってしまうのでここでは書かない。

しかしとても感動した。

今日の武器庫にあるダイヤモンドより、あのバレリーナの一回のジャンプの方が何倍も良かったなあ。

ただ、実は子供の頃から、全くガラではないのだが私はチャイコフスキーが好きなのだ。しかも特にクルミ割人形。知っているロシア語は「ダー(はい)」、「ニエット(いいえ)」、「スパシーバ(有り難う)」そして「シェルクンツック(クルミ割人形)」だけなのだ。モスクワにくれば、てっきりどこかの劇場でやっているのかと思った。新聞を見るとまったくない(白鳥の湖はやっていたが)。

そこで、モスクワを飛び出し、サンクトペテルブルクに行ってみることにした。これが、自由旅行の素晴らしさだ。

と、この時はそう思っていたのだが、サンクトペテルブルクではこの旅最大の被害に遭うのだった。

つづく


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