退職のち放浪 ライブ(21)

雪原に行こう ロシア編(3)


もしヨーロッパに行くなら9月中旬までに、と思っていたのだが、既に11月下旬と大きく出遅れてしまっている。しかしようやくアジアを離れヨーロッパへ来た。しかも念願のシベリア横断鉄道で。

北京からモスクワまで、その走行延長は、

・北京−ウランバートル :1,356キロ 一泊二日

・ウランバートル−イルクーツク :1,113キロ 一泊二日

・イルクーツク−モスクワ :5,152キロ 三泊四日

合計 :7,621キロ

日本→インドネシア→台湾の総航海距離は約7000キロ強だったので、それとほぼ同じ。その時は赤道までアジアの広さを“縦”に知ったのだが、今回は“横”に知るのである。

 

 

乗車準備

イルクーツクのホテル前のスーパーでワインを買う。一本100ルーブル(400円)程度のものを3本。水も大量に買い込んだ。結構重い。

その状態でバスに乗り込み駅へ向かう。

駅ではさらにカップ麺とトイレットペーパーを買った。必需品である。

列車のホームが5番と電光掲示板に表示されると、駅に集まっていた人たちはみな列車に向かっていった。この列車はさすがに大移動するだけに、見送り客も多い。

私は11号車。今回は残念ながら上段のベッドだ。

イルクーツクを定刻通り、16時35分(モスクワ時間で11時35分)に発車した時点ではまだ4人がけコンパートメントには私一人だった。

下段は満席ということだったので、途中駅から乗ってくることは間違いないが、そうなるとほぼ間違いなくロシア人である。コミュニケーションができない人と一緒と言うのは何かと不便なので、出来るだけモスクワ寄りで乗って欲しいなあと祈っていると、30分も経たないうちに残りの3人が乗ってきてしまった。やはり生っ粋のロシア人だ。

挨拶も早々に、上段のベッドでうとうとしていると何時の間にか食事時。

何故か別コンパートメントの男まで集まっていてロシア人4人で食事を準備している。二等車に乗り込むロシア人は、大抵の場合食料を大量に持ち込んでいるのだった。

テーブルにはチキンやポテトの料理が並んでいておいしそう。

「ヤポン、ウオッカ」と一人が誘ってくれた。仲良くなるタイミングを探していたので有り難い。

メンバーは、

皆典型的なロシアネームである。これで“イワン”でもいれば、“ビンゴ!”ってところだ。

セルゲイが英語が少し分かるので彼を中心に話をすることが出来た。そう言えば、ロシアに来たものの、話したのは外国人ばかり、ホテルのおばちゃんとは業務連絡だったし。これは私にとっても新鮮だった。

宗教がロシア正教ということぐらいは知っていたが、Orthodox Churchというくらいだから、きちんと12月25日に祝うのかと思ったらそうではないし、ウラル山脈を越えたら始めてヨーロッパであって、イルクーツク周辺出身の自分達はアジア人だと言っていることも驚いた。そしてシベリアの定義もウラルから東、と言っている。シベリアってのは地図上で日本のずうっと上の辺りという理解でいたが、延々と西の方までシベリアということになる。

宴もたけなわ、だんだん盛り上がってくる。そして遠慮もなくなる。

「ウオッカはちびちび飲むな」と言われ、一気に飲む。そして乾杯を繰り返す。

ここまではモンゴル同じなのだが、彼らはビールも飲むのだった。ロシアには350ミリリットルの缶はないようだ。代わりにあるのは500ミリリットルに加え、1リットルや、2リットルのペットボトル入りのビール。

イルクーツクでも何度も見かけていたが、あれがビールとは思い付かなかった。

彼らはこのボトルを何本か持ち込んでいて、それぞれに注ぎあいっこして飲むのだった。私もワインを1本拠出したが、あっと言う間に無くなった。そしてもうかれこれ4時間近く飲んでいた。




イーゲルが箸の使い方を教えてくれという。人差し指はこう、中指はこうと教えると、結構器用に箸を使い始めた。さすが空手の茶帯。

アルコール類はあらかた飲み尽くし、そろそろ疲れてきたなあと思ったが、この連中、途中駅でビールを買い足すのだった。500ミリリットルのやつを10本だ。結局午前3時まで延々と飲むことになった。8時間耐久飲み会だ。モンゴル人は何だかんだと酒に弱いのだが、ロシア人は滅法強いのだ。

セルゲイは高校時代までスキーのスラロームでならしたとのこと。ジュニア時代には海外遠征まで行ったそうだ。

彼は地元に彼女がいて、毎日遠距離電話をしているそうだ。約4000キロの遠距離恋愛ってのもすごい。

そう言えば、Angarsk駅に両親と彼女が見送りに来ていたっけ。彼は大学を卒業したら、地元に戻って原子力発電所に勤務するそうだ。

大学では核物理学を学んでいるそうだ。ロシアの核物理と言ったら世界の最先端に違いないが、北朝鮮の学生も一緒に勉強しているらしい。なんてこった。

2日目



翌日起きると一面雪景色だった。

昨日イルクーツク時間の3時まで飲んでいたのだが、起きたのはモスクワ時間の6時(イルクーツク時間の11時)。こうやって毎日少しずつ時差と戦うんだろうか、ウオッカで…。

どの部屋も満室気味で、トイレも混んでいるが、結構きれいだった。必需品のトイレットペーパーもまだ備わっている。スタッフが掃除機で部屋の掃除をするのも驚いた。

しかも午前中と夕方の2回。ロシア人の清潔観念は相当高い

列車は途中の駅に何度も停まる。大きな駅もしくは車輌の事情によって20分ほど停まることがあるが、そこには例によってロシアのおばちゃん達が待ち構えているのだ。

「ピロシキ!」、「XXXX!」と叫び始める。中には手作りのもののみならず、ビールやウオッカまで買っておいてくれるおばちゃんも。

ピロシキにはだいたい3種類あるようで、キャベツおよびポテトのやつ(7ルーブル(28円))、肉入りのやつ(10ルーブル(40円))だ。

おばちゃんは、スーパーのポリエチレン袋を手袋代わりにして自分の籠から取り出す。このあたりもロシア人の衛生観念の高さが伺える。ピロシキの他にも何種類かホームメードのものがあるようだ。



同室のロシア人達は自分達の用意したもの、肉料理だったり、ポテト料理だったり、の他に、カップ麺を持ち込んでいる。カップ麺をすするロシア人、なんだか妙に面白かった。ナターシャはスパゲッティの様にフォークにまいて食べている。

因みにカップ麺は韓国製だが、ロシア人は美味しいと言っている。カップが四角いのがあるのだが、これはヤキソバではなく、あくまでラーメンなのであった。なんか調子が狂う。

ロシアでは女性の地位が高いというがこのコンパートメントで良く分かった。まあ一番年長ということもあるが、ナターシャはなんだか女王様だ。

いつも彼女が一番いい場所に座る。ゴミ捨てなんかもニコライが家来の様に働くし、彼女が煙草を吸いに出るときは必ず誰かが付き添ってあげるのだった。

夜、食堂車へ行きボルシチを食べた。“ボルシチ”と発音してもわかってもらえない。“ボルシュ”である。何だか昔給食で食べたやつ、もしくは大学の時に作ったやつと違う味がする。本場はこうなのかもしれないが、モスクワでも食べてみよう。

飲み会再び

しかし今日は2時くらいから飲んでいる。いろんな家庭料理を食べさせてもらったので、今日は徹底的にビールをご馳走した。途中の駅でビールを4本買った(2リットル入り)。これだけ買っても200ルーブル(800円)というのはうれしい。合計で8リットルだ。もちろん本日のワインも拠出。しかし、飲んでしまうんだなあ。この5人。

広いロシアは7つの時間帯に分かれる。私以外の4人はイルクーツクからごく近い駅から乗っているので時間の感覚は私と同じ。しかしモスクワは-5時間だ。みんなモスクワ時間に合わせようとするが、それでも朝5時くらいに起きてしまうのであった。

3日目

さすがに3日目になると、みんな退屈で少し疲れているようだ。もちろん飲み疲れである。

そしてシャワーを浴びていないせいか、ちょっと臭う。

とても人間臭い匂いがコンパートメントにこもってしまうのは困ったことだ。う〜ん、ロシア人の匂い、ちょっと嫌かも。

またもや途中駅でピロシキと魚+ポテト料理を買うがあまり美味しくない。もう飽きてきた。ロシア人に至っては、ピロシキなんぞ食いたくねえ、ってな反応。

廊下の電源が使えない様にしてあったので車掌さんの部屋で充電させてもらった。しかしみかえりに何か買えと言う。車掌さんは物売りも兼ねていて、チョコレートやカップ麺、お土産を売っているのだった。仕方がないのでポテト料理のインスタント食品を30ルーブルで買った(120円)。

しっかり充電できたのでPCに入っている写真を皆に見せてあげた。外国をあまりしらないせいか、面白がってくれる。彼らは結構中国やモンゴルの生活を知らない。

彼ら3人はスヴェルドゥブロスクという途中駅で降りた。セルゲイもニコライも迎えが来ていて抱き合っている。何だか大旅行の後の再開という感じだ。まあ確かに日本から二泊三日も旅行したらアマゾンに行けるくらいだが。

何十時間も一緒にいるとあまり話せなくても結構仲良しになるものだ。

彼らとは永久に会わないだろう。ちょっと寂しい。

私はさらに30時間残っていたのだった。

彼らが降りると直ぐに夫婦が部屋に入ってきた。今度は嫌な感じのロシア人だ。一切こちらに興味を持たない様で話し掛けるどころか目もくれない。こちらとしては握手するタイミングも逃してしまいとても気まずい。

言葉が通じない様のなので本を読む。せっかく大量に持ってきた本だ。しっかり読まなくちゃ。しかしトイレから帰ってくると唖然。この夫婦はまだ9時にもかかわらず寝ていた。しかも電気を消して!

枕元に小電気があるのだが、これでは暗すぎるのであった。

夜遅く、さらに残りベッドに男が入ってきた。

だんだんと町の規模が大きくなるようだ。そしてシベリアは既に終わりを告げていた。

夜、1時間ぐらい遅れて途中駅に着く。何故かこの駅および周辺ではえらい長い間止っている。一体いつモスクワに着くのやら。

4日目

さすがに9時に寝たおばちゃんは朝早く目が覚める。で自分の小電気を点けて新聞を読んでいた。しかし、人が活動しようとするとまた寝やがる。上段のベッドでは窓の明かりでは暗いのに。

仕方がなく、食堂車へいく事にした。

何と車輌と車輌の連結部分には雪が積もっていた。

さらにはその内側の出入り口付近の壁にもびっしり雪。

どうりで寒い訳だ。

食堂に行くと既にやっていた。まだ7時半なのに。ちゃんと働くじゃない。ロシア人。

ここで再びボルシチを食べた。悲しいかな、ロシア語のメニューしかなく、ウエイトレスはちょっと冷たいのでこれしか頼めないのだった。

しかし良く考えると、これ缶詰かもしれない。そんな味だ。

それに何だかすごく早く出てくるのも怪しい。本物はやはりモスクワで食べようっと。

モスクワが近づくに連れ、人の動きがあわただしくなってきた。ロシアの成り金みたいな連中も我々のコンパートメントに入ってくる。

そして結局、1時間後れでモスクワに到着した。

いよいよ、本当のロシアが始まる。


○目次へ  →次へ