退職のち放浪 ライブ(19)

ロシア編@

ノモンハンがとても強烈だったので、まだ戦争の事を考えてしまう。

そんな気分を引きずっており、やはりバイカル湖が見たくなった。

日本人捕虜がこのバイカル湖を見たとき、一斉に、「日本海だ!ナホトカだぞ!」と狂喜したという。そして事実を知り、落胆する。それからシベリアでの強制労働が始まるのである。

そのバイカル湖は、3000万年の歴史を持つ世界最古の湖だ。

南北に長細く、三日月の形。この湖の最大水深は1600メートルで世界最深の湖であり、同時にプレートテクトニクスにより、現在もさらに少しずつ深くなっているという。

世界の淡水の5分の1を占めているというのもすごいことだ。

そのバイカル湖に行く事にした。

悪名高きロシアンビザ

ロシアのビザをモンゴルで取得するには、私の知る限り2つの旅行社に頼む事が出来る。

    1.  
    2. ロシア大使館近くのレジェンドツアー。
    3.  
    4. アエロフロート内の旅行社。

上記の@の場合は、日本で予約するのと同じように、あらかじめ滞在中の全日程およびルートを決め、旅行会社を通じて予約し、全代金を支払わなければならない。いわゆるバウチャー旅行ってやつだ。

ビザ代が、10 Working Daysの待ち時間で78ドルとなめた事を言う上に、泊まるホテルは40ドル以上と高飛車だった(ビザは6 Working Daysの場合には跳ね上がり178ドル、3Working Daysだと300ドル、翌日だと“気が遠くなる金額”らしい。相変わらず日本人をなめていやがる ← 国籍によっても値段が違うのであった)。

旅の全日程を決めるのはロシアの法律のルールだと、この旅行社のモンゴル在住ロシア人女性は平然と言う。へたをしたら、ロシア10日間で1000ドル程度いってしまいそうだ。窓口の女性は、さすがロシア人、相当美人なので素直に聞き入れそうになるがそうはいかない。

この旅行社は、相当ぼっている。明らかにそんな感じだ。

次にAの旅行社へ行く。ここはビザ代が少し高い。8Working Dayで100ドルだが、他の予約は何も要らないという。待ちに待った自由旅行である。結果として、苦労を考えるとこちらの方が高くつくのかもしれないが、社会主義の本家であるロシアに自由の風を吹かせながら旅をしたかったのである。

結局この旅行社に頼んだ。

シベリア横断鉄道

こいつに乗るのが夢だった。15年前にヨーロッパを旅した時に、多くの日本人がこのシベリア横断鉄道でヨーロッパまで来ていた。すっかり痺れてしまったのを覚えている。

ニュージーランド人がロシアから来たと言うので情報をもらった。シベリア横断鉄道の時刻表が載っているインターネットのアドレスだ。

街のインターネットカフェで印刷した。安くて助かる。10枚ほど印刷したが、たったの1000T(100円)だ。

ウランバートルから出発

受け取ったチケットには一号車の7番と書いてある。モンゴル人の女性二人が車掌だ。少し英語のしゃべれる方が『Below』と言っている。助かった。二等のコンパートメントは4人用で、下段の方が何かと楽なことが多い。しかし部屋に入ってみると、他には誰もいなかった。オフシーズンで空いているのだろう

因みにウランバートル−イルクーツク間のこの二等チケットは旅行代理店の手配で45000T(4500円)である。

発車の汽笛もなく、列車はウランバートルを定刻通り出発した。

途中の駅でホーショールを買う。これは小麦粉を薄い半月状に焼いたもので中には羊肉が入ってる。手が掛かるので置いていない店が多いのだが、ホームで手に入るのはうれしい。

「2つお願い」とジェスチャーする。使い切れなかったモンゴルのトゥグルクを取り出そうと財布を開けていると、私に渡すビニール袋にはホーショールが1キロ以上も入っている。何故か8個。どうも二人分と勘違いしたようだ。しかしそれでいながら1000T(100円)である。モンゴル万歳!。

結局2つしか食べることが出来なかったので、車掌さんに差し上げた。

モンゴル−ロシア国境

さていよいよ国境だ。モンゴル側の国境はスフバートル駅。モンゴルの英雄の名前が付いている。入国の時もそうだったが、出国の係官も英語を話し全く問題ない。「はい荷物を見せて。ああ、洋服ね、もういいわよ」という感じ。

すべての作業は1時間半ほど掛かったのが列車はいよいよロシアに向かう。

スフバートル駅から約30分ほど走ると、ロシア側の国境ナウシュキ駅に着く。一号車だからか、着いて真っ先にイミグレを受けることに。普通日本からの旅行は、バウチャー旅行というあらかじめルートやホテルが決められたものになってしまう。一方、私の場合には自由旅行なのでその辺りをぐちゃぐちゃ言われるのかと思ったが、「ああ、日本人ね」とごく簡単に応対が終わった。ただ普通の国と違うのは、その場でスタンプを押さないことだ。係官は鞄にパスポートを入れてしまい、結局そのパスポートが帰ってくるのは3時間後だった。

その次がCustom。これは実に重要だった。特に怪しいものは持っていないが、外貨を正確に申告しなければならない。マネーロンダリングを防止する為に、入国時に申請した額よりも、出国時に持ち出す金額が多いと没収の羽目になる。先週、NHKの海外危険情報という番組の中で、最近ロシア出国時にその没収が多いので気をつけましょうという呼びかけがあった。多くは入国時に税関申告書に外貨額を記載しない為らしい。

『地球の歩き方』には、出国時に徹底的に有り金検査を受けた例などが書かれていて結構うるさいみたいだ。

という事が書いてある。

もう1つ持っているガイドブック『ロンプラ』には、

など書いてある。

言葉が通じない国での厄介ごとは精神的にも披露する。コピー屋ぐらいはあるだろう、そうしようと思っていた。

話はもどり、入国審査開始から3時間後、パスポート返却時に心配になり係官に聞いた。

「あれ、CustomのApplication Formは?」

すると係官、俺は関係ないという。

確かにイミグレとカスタムは別だ。じゃあカスタムのオフィサーはどこだと聞くと、「ほら、あそこ」と。

何時の間にか、モンゴル人女性車掌とにやにや話していやがる。仕事中に何やってんだ。

詰め寄り、「スタンプ押したやつをくれ」というとなかなか通じない、というか意味はわかっているようだが、何で?と感じ。

しまいには、「えー、あれは返さないんじゃないのー」みたいなことを言う(想像)。

この中年おやじはほとんど英語を話さない。

「違うでしょ。スタンプを押したら乗客に返すんでしょ」と切り返すが、

何か「いいや〜」という感じ。目を合わさないところが怪しい。

そうか、これが俗にいう悪徳税務官か、幾ら払わされるのかなあ、などと思いながら、ガイドブックに記載されている“Passengerが所持するんだ”という部分を示すべく、一旦部屋に戻ると、この税務官は、何時の間にか別の車輌に行ってしまっていた。

さて困った。ロシアを出る時に全額没収されると放浪が続かない。使い切ってしまうのも手だが、こんな国に金を落とすのもしゃくだ。何よりトラブルは精神的にくる。

少し英語の話せるモンゴル人車掌に、ガイドブックを見せ、もう一度やつに話をして欲しいとお願いすると、昼のホーショールが効いたのか、「ダー(はい)」と言って税務官を追いかけてくれた。

5分待っていると、彼女が帰ってきて、「no need」みたいなことを言う。

あいつが要らなくても俺がいるんだよ、と叫びたいくらいだ。

車掌さんには、

・彼の名前。(因みにマラシート)

・車掌の名前。(因みにサン)

・税務官が申告書を返さないと言った言葉

を紙に書いてもらった。

くっそー、これをエビデンスに絶対没収させないぞ!

ガイドブックの情報は古いのでもしかするとルールが変わっているのかもしれない。しかし、NHKの情報はまさにこの事だ。このロシアで、入国時の個人の情報が既に入力され、オンラインで出国時に取り出せるとは到底思えない。

もしくは、そもそも、しょせん数千ドルの持ち出しの旅行者なぞ、相手にしないと言うことか。だったら申告書の制限額を上げるべきだ。

さてさて、どうなることやら…。

翌朝

翌朝目を覚ますと、景色はモンゴルの草原から一変していた。シベリアの広大な大地に白樺林が延々と続いている。まるで長野にいるような錯覚を受けた。

しかし昨夜は心配であまり眠れなかった。あれだけ長い時間待たせておいて不安まで残してくれるロシアという国に少し腹が立っていた。「英語を話せ」なんて不遜なことをよその国に来て言うつもりはないが、のらりくらりの対応は朝になってもむかついていた。

しかし心配は、税関申告書だけではないのだった。この日は土曜日で到着は午後。ロシアでは、外貨払いが禁止されているので外貨をどのように手に入れるのかが問題だった。イルクーツク駅で交換できるのだろうか。

せめてATMがありそうな街の中心までの小銭は持っておいた方が良かろう、そう思い食堂車へ行く。

食べたのはパイに肉が詰まっているロシア料理。167ルーブル。見かけは美味しそうだが、とてもまずい代物だった。20ドル払う(レートも最悪で1ドルが26ルーブル)。私のドルは、120円の時に交換してしまっているので、このパイは何と770円になってしまった。モンゴル的感覚では30円くらいなのに…。

ただ、お釣としてルーブルを手に入れる事は成功した。

バイカル湖

部屋に戻ると、突然海が見えた。いや海ではない湖だ。これがバイカル湖なのだ。 “でかい”の一言に尽きる。九州と同じくらいの大きさらしいが、果てしなく大きく、果てしなく青い湖だった。

列車は時々、湖の岸5メートルくらいの場所を走り、その水面がとても澄んでいるのがわかる。魚も見えそうなくらいだ。途中、釣りをしている人がたくさんいる。

とてもまずい朝食ゆえに、食べ残してしまったので、途中の駅でピロシキを買おうと思った。

時刻表によると次の駅では10分停車することになっている。

到着すると、いるいるたくさんのロシアおばちゃん。車掌に10分と確認しホームに降りる。

おばちゃんが2個のピロシキをビニール袋に入れてくれるが、金額が分からない。取りあえず10ルーブル(たぶん約40円)を渡すが、何か言っている。「細かい金はないのか?」もしくは「これじゃあ足りない」か。

困ってモンゴル人車掌に助けを求めようと振り返ると、なんと彼女が少しずつ動いているではないか。そして彼女が慌てた様子で早く乗れと言う。

おいおい、振り向かなかったら行っちゃうのかよ。危ない危ない。

結局ピロシキ二個に10ルーブルを払ったことになるが、どうだったんだろう。車掌は「いいの、いいの」と言っているが、誰にとっていいのかわからずしまいだった。

おばちゃん、足りなかったらごめんね。

イルクーツク

イルクーツク駅に着く30分ほど前から、少しずつ大都市の雰囲気が出てきた。

アンガラ川が見えてきた。バイカル湖には何でも350の川から流入するが、流出するのはこのアンガラ川だけらしい。その大河に掛ける工事中の橋をこっそり撮った。イルクーツク駅は、このアンガラ川のすぐ側だ。

駅に着くと、そこは紛れもない西洋だった。西洋人に言わせると、イルクーツクこそが東洋の入り口、ということらしいが、そこにいるのはロシア人らしい人が多い。

いきなりロシアの洗礼を受けた。行列だ。昔ほどではないが、並んでる並んでる。

4日後のイルクーツク−モスクワの切符を買おうと私も窓口に並んだが、やっと順番がまわってくると「ここじゃないよ、向こうだよ」と言われる。繰り返すこと“3回”。ようやく切符を購入することが出来た。支払いはルーブル。

たらい回しされるうちに、駅にATMがあるのを発見していたのだった。

バスに乗り、アンゴラホテルに向かう。7階建てのロシアらしい箱型のこのホテルは、キーロヴァと呼ばれる広場(公園?)のすぐ前にあり、場所としては申し分ない。が高いのであった。この放浪で最も高い。最初76ドルと言われ、目を丸くすると45ドルに下がり、結局11,000ルーブルで落ち着いた。

部屋はごく普通のビジネスホテルという感じ。バスタブと電話があるのが嬉しい。部屋からの眺めも悪くない。イルクーツクは、『シベリアのパリ』と言われているそうだ。

このホテルはそうでも無いが、確かに洒落た作りの建物が目につく。

この日はもう遅く、市場やデパートはしまっていたがスーパーは開いていた。

ブルガリヤ産のワインを買う。同じワインがモンゴルの2倍の値段だったのは驚きだ。

つまみはキャビアにクルミ。

キャビアはクズに近いやつで、しかもほんのちょっとで400ルーブル(たぶん1600円くらい)もしたが、クルミと一緒に食べるととても美味しい。新発見だった。


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