退職のち放浪 ライブ(7)
街へ行こう 北京編@
中国は16年ぶりである。16年前に21世紀は中国の時代だと考えた。そしてアルバイトして金を溜め、初めての海外旅行として中国を選んだのであった。
当時の中国はまだ貧しく、インフラもほとんど整っていなかった。ただ、異常とも言える活気が渦巻いている事が注目されていて、中国脅威論が言われ始めていた頃だ。大学生になったばかりの私も、
【中国が今後50年間でどのように変わるのか】そして
【50年で日本は追い越されるのか】
に興味があった。そして当時、2週間かけて上海、広州、桂林、北京と回って出した結論は、
【発展はする。ただし日本ほどにはならない】というものであった。
その中国を久々に目の当たりにする今回は、ここ数年の中国の大発展を踏まえた上で、
【あと34年で日本は追い越されるのか】そして
【台湾と日本は空洞化するか】という点を検証したかった。
エコノミスト原中は、ビジネスクラスにはもちろん座れずに、1時間かけて高雄から香港、3時間かけて香港から北京へ到着した。一気に2000キロの移動だ。
今回のレポートは、16年ぶりに北京に来て、実に驚いたもの5点を中心にレポートしたい。それは下記である。
北京の街へ
既に夕方近いが、まだまだ日の長い北京は、空港の一歩外へ出るとじわりと汗をかく様な暑さだった。
商社時代の出張の時には、迎えの車があるか、なければ簡単にタクシーに乗っていた。タイムイズマネーだった。それが当然だったのだ。久々に飛行機を降りた私は反射的にタクシー乗り場の列に並ぼうとしていて、自分でびっくりしてしまった。
今回はそうもいかない。バスで街まで行かなければならないのだ。
しかしリムジンバスがあるはずだが簡単にはわからない。人ばかり多くて掲示板は少ないのだった。
あれこれ聞いてようやくバスのチケットを買い、北京駅行きはどのバス停かを聞くと、
「NEXT」
とだけ答えてそっけない。そしてその「NEXT」らしきバス停は、明らかに北京駅行きじゃない様だ。どうも適当にあしらわれたみたいだった。
ここは親切な台湾じゃなく、まぎれもない外省人の故郷、中国である事を思い知った。
別のバスチケット売りのスタッフに聞くと、あれだと一台のバスを指を差す。ほっとしてバスの荷台にリュックを入れ、念の為運転手に「北京駅行きだよね」と聞くと、伝わっているのかいないのか最初わからなかったが結局違うらしい。さらに、もはやバスに乗り込みたい客の群れのど真ん中にいて、運転手もそれどころではない。
別の人間が、前に止っているバスを指差す。『北京駅ならあれだ』
慌てて荷台から荷物をかき分けて取り出し、そのバスに行ってみると、今度は後ろのバスだという。もう訳が分からない。
段々むかついてきた。こうなりゃ意地でも北京駅行きに乗ってやる。
字を書いて、そこいらに集まっている乗客に次々と聞いていくとようやく北京駅行きのバス停がわかった。ここまでで既に30分。疲労困ぱいだ。成田空港の整然としたバスターミナルが懐かしい。
その北京行きのバスターミナルには何十という乗客が集まっていた。因みに決して並んではいない。不思議な事に、他のバス停の様な標識すらない場所だった。臨時のバス乗り場なのかもしれない。わからない訳だ。
北京駅行きのリムジンバスは定員いっぱいになったら直ぐに発車だ。この込み様だと第一陣には絶対に乗れない。しばらくして第二陣のバスが到着するとすると、集まっている客が押合い圧し合いしてバスの入り口を目指す。並んで順序良く整然と乗った方が明らかに早く乗り込めるのだが、競い合っているので逆に誰も乗れない状態が続く。
思い出した。これが中国人だ。16年前もこうだった。力の強いやつが圧倒的に有利だ。
遠慮気味に“押しくらまんじゅう”に参加していた私はあと三人というところでシャットアウト。押されて泣きそうだったが、まあバスは次々来るみたいだし、と自分を慰めていると、マーフィーの法則に従い、何故か北京駅行きのバスだけが全然来ない。でも乗りたい客は次々に沸いて出てくる。やはり中国だ。13億人以上いるのだから…。
前のバスにぎりぎりで乗れなかった私は、集団の最前線にいたはずだが、何時の間にかまたまた最後尾にいる。そう、集団は道路を遮るようにどんどんと前へ出ていたのだった。雰囲気としてはまるで明治神宮初詣の集団。
20分後、ようやくバスが到着。当然道路をふさいでいる人間は固まりのまま後ろへ移動させられる。冗談じゃない。このままだとまた乗れない。背中の30キロの荷物と、台湾で体重を増強した私は頑として動かなかった。
バスの止まる場所を睨んでいた私の読みとおり、ドアは私の前に止り、ようやく乗り込む事が出来た。
30分ほど乗っていただろうか、バスは街の中心にやってきた。あろうことか、渋滞している。16年前の北京は、渋滞とは無縁の街だった。確かに車やバスは走っていた。しかし片側3車線も4車線もある道路には、車で埋まる事は有り得なかったのだ。当時はすごく空いてる道を自動車がぶっ飛ばしていたものだ。
同時に、1車線か2車線をふさいでいた自転車の群れはさほどでもなく、驚きと共に妙に拍子抜けしてしまった。
宿探し
バスはようやく北京駅に近づく。てっきり北京駅に停まるのかと思っていると、1キロほど離れたバスターミナルに停まった。そしてその周辺には宿が無い。駅に近ければどこでも宿があると思っていたのが間違いだった様だ。北京の中心部といえども街はとても広く、台湾/高雄の様にホテルは密集していなかったのだ。
さてどうするか、タクシーにでも乗って探すか、と思っていると、一人の中年おやじが声を掛けてきた。宿のパンフレットをたくさん持っている。あれはどうか、これはどうかと勧めてくる。既に薄暗くなっているので一刻も早く宿に入りたいが、どうも彼の示すパンフレットのホテルはどれも胡散臭い。ちょっと遠いがガイドブックにある宿を示すと付いてこいというしぐさをする。実は彼は、人力車の運ちゃんだったのだ。
北京のタクシーは初乗り10元(143円)とは知っていたが、その10元でOKした。人力車は小回りが利くし、なによりホテルで値段交渉をしている間に荷物を持って逃げられても、何とか追いつく可能性が高いからだ。この時、まだ私は中国人をとても警戒していたのだった。
人力車に荷物を乗せ、その横に私が乗ると、彼は自転車を漕ぐのが何故か少し大変そうだった。普段から霞を食べて生きている私がふわりと乗っている割にはだらしない奴だ。
途中、あまりに大変そうなので、俺が漕ぐよと言ってみたが、プロ意識からか、いや大丈夫と言う。
彼は、ただでさえ10元で失敗した、という顔をしていたのだが、ちょっと漕いでやったらすかさず値引きのネゴに持ち込もうとする私の魂胆は見抜かれていたようだ。
結局彼はガイドブックに載っている何ヶ所かのホテルに行ってくれた。
しかしどこも300元(4300円)以上である。一泊でも泊まれない。16年前の記憶では中国には安い宿があるはずだったが、今はそうでも無いのかもしれない。
もちろん、中国人が泊まる招待所だの旅館だのというのは行く道々にたくさんあり、そしてきっと中国らしく安いのだろうが、そういう場所に外国人は泊まれないルールなのであった。
それでも外国人用ドミトリー形式の安宿があると聞いていたが、きっとインターネットの環境には乏しいだろうな、そう思って困っていると、この運ちゃんが知っているところがあるという。1件目は満室だったが、2件目でようやく宿が見つかった。その宿は交渉の結果170元(2440円)で泊まれる事になった。外国人向けではないが、外国人でも泊まってよいみたいだ。施設自体は新しく、鍵はICカード式の最新型だった。ただしシャワーは時間制限があり、夜から朝までしかお湯は出ない。
まだ20時過ぎであったが、結局この運ちゃんは今日の業務は終了したようだった。
実は180元から170元にネゴをしたのはこの運ちゃんだったのだ。彼はもう、私とのツーリングにはウンザリたったようだ。私は北京の中心街をあらかた回って満足だったのだが…。
そして何故か客の私が、彼をマッサージするのだった。
王府井
翌日、一応お決まりの繁華街、王府井(ワンフーチン)に行く事にした。
地図で確認すると、宿から地下鉄で1本だ。
えっ、ちょっと待てよ。16年前に地下鉄なんてあったか?
記憶をたどっても思い出せない。もしかすると無かったような気がする。
地下鉄はどこまで行っても3元である(43円)。本数も多い様だ。しかしそれもよりも人が多く、またしても降りる人を待たずして乗り込もうとする。この国には【マナー】もしくは【公共】という精神が欠如している。
シンガポールのリークァンユーが、「ゴミを捨てると“FINE 幾ら”」とやっていたが、それは、そうしないとこの民族はいつまで経っても【私】から【公】にならない、と考えたからではあるまいか。私は絶対そう思う。
王府井に着いた。しかし記憶の中の王府井とは全く違っていた。
16年前は、冬だったという事情はあるが、もっと暗くて汚くて狭い道路で、その両側にはやはりグレーというか、決してカラフルでない看板や入り口が並んでいたものだった。人々も人民服なのかしらないが、もっとボテッとやぼったいものを男も女も身に付けていたもんだ。
それが今やどうだ。道は拡張され、店は銀座の様な華やかさ。歩行者天国の出店はパラソルと椅子なんか用意している。色とりどりの洋服を着てソフトクリームを食べているカップルがいる。
女性はとてもおしゃれになった。髪型も服装もバックも靴も東京と変わらないかもしれない。
そして以前はキツネ顔の単にスリム女性が多かったが、ふっくらとした顔と体型の人も増えている。そう言えば乳製品もよく食べるようになったらしく、スーパーにも数多く並んでいる。
マックまであった。16年前にはもちろん無い。現在は相当混雑している。ハンバーガーなんてメニューに無いようだったが頼んでみると、だいぶ時間は掛かったが出てきた。4.5元(64円)で日本と変わらない。回りを見るとほとんどハンバーガーを頼んでいる人はいなかった。この日本人を差し置いてリッチになったものだ。ちなみに味も日本と変わらない。
外文書店という英語専門の本屋まである。ここには日本語の本はほとんど無いが、CDは置いてあった。1枚64元(920円)。海賊版ではない。
もちろん他の店には数多くの海賊版がある。1枚8元(115円)程度だ。
私は、これが記憶にある同じ場所だとは思えず、残念ながらまったく懐かしさが無かった。
ペット
驚いた事に、北京にはペットの犬を飼っている人が大勢いる。明らかにペットの犬であって、金目的のブリーダーでもなく、太らせて食おうという訳でもないようだ。
何でも北京では最近ブームになっているらしい。16年前に私は“食の広州”で犬の肉を食べた。くせがあってあまり好きになれなかった。料金も牛肉よりも高く、『ああ中国人は犬の肉が好きなんだ』と思ったものだ。それがどうだ、ペットの犬である。
しかしよく聞くと、ペットを飼うのも楽ではない。去年まで犬を飼う費用として、年間5000元(71500円)の支払が義務付けられているという事だった。これで予防接種等を受けるらしい。これが今年になって2000元(28600円)に値下がりし、さらにペットが身近になったとのこと。餌代は別だ。自分が食べるだけで精一杯という印象だった16年前とは大違いである。これも一人っ子政策の影響だろう。
尚、犬の種類はいろいろだが、シェパードや秋田犬という大型のものは目にしない。大体は部屋の中でも飼えるような小型犬が多い。
超高級喫茶店
今、中国では昔に回帰する様な動き、昔の文化を評価するような動きがあるらしい。
この喫茶店もそうした流れを受けたものの1つだ。とても上品で、かつ昔の唐の時代を思わせるような雰囲気と、何故かそれに合ってしまっている高級なソファー、そしてそれぞれの客の為に区切られた空間はリッチそのもの。
となるとやはり酒か、と思ったがここにはないらしい。あくまで喫茶店だ。上品なメニューには産地ごとのお茶とお茶にふさわしいお菓子が書かれている。緑茶を選んでみた。100元と書いてある(お湯代と合わせて120元(1720円))。ごく普通の北京っ子にしてみればびっくりする様な値段だろう。原宿のコーヒー一杯1000円なんて目じゃない。120元は、贅沢をしない食事なら、私でもビール付きで3-6回分に相当する。
ただこの値段は、お茶50グラムに対してで、客はまずお茶入れに入った状態で50グラムを買ってそこから入れてもらう。この50グラムが残ったら、お茶入れごと持ち帰るというシステムだ。外国人用ではない、こうした高級喫茶店がある事自体驚きだった。私の他に4人で来ていた金持ち風の中国人がいた。
スーパーマーケット
大きなスーパーマーケットがあったので入ってみた。
このスーパーはアメリカンタイプで、天井は高く棚も大きくて高い。手の届かない上の方の棚にはストックが置かれている。下の棚には商品がダンボールに入れられた置かれている。1つずつも売るが、ケース単位でも売っている。1フロアーのみで2階は無いが、その1フロアーが広い。
商品は食料から衣類、車用品、電気製品、日用品、酒など数多い。何でも揃う。驚く事に種類も豊富だ。
この店では何千元かをデポジットし会員になるらしい。そうすると10パーセント引きになるのだった。生協の様なシステムだが、これも昔の中国には無かったと思う。
お店に入る時に、鞄を預ける必要がある。またお店を出る前には、レシートと購入したもののチェックを受ける。この辺りは全く人を信用しない中国らしい。
ここではビールを買った。スーパードライが1ケースで99元だ。1420円なり。
フリースの良いやつがあったが、135元もする(1930円)。モンゴルへ行く為にはあった方がいいなあ、でもなんでこんなに高いんだろう、と自問自答していると理由が分かった。韓国製なのだ。中国において衣料というジャンルで韓国製が売っている事自体驚きだが、この様な安いものを提供する巨大ディスカウントショッピングセンターで、韓国製というある意味中国では高級品が売っているのだった。
食料品
宿のそばのいつもの市場に行く。
・枝豆500グラム:1元(14円)
・りんご2個:2元(28円)
・桃4個:3.5元(50円)
・ぶどう3房:7元(100円)
(種無しマスカットで少し高いやつ)
これで2-3日は楽しめる。全部で200円掛からないのだからうれしい。だいたい感触としては日本の10分の1というところか。
ちなみに、枝豆用の塩は、2元(29円)である。
さらに、枝豆用のビール(スーパードライ)は、先のスーパーで買った一缶4元(57円)である(因みに現地品なら半額)。
電気街
1元の市内バスに乗り、次に何とかというショッピングセンターに行く。ここは、秋葉原の様な場所で、CD等の電化製品を売る個人商店が多数集まっている。
ここで最新式のカメラの電池さえも買う事が出来た。100元(1430円)。モンゴル用に欲しいと思っていたので好都合だった。これが日本で幾らするのかはわからないが、「そんな電池、あるに決まっているじゃない」という店員の態度は驚きだった。昔の「メイヨウ」ではないのだ。
次にVCDプレーヤーのネゴをする。大体350元くらいからの交渉スタートだ。これが最終的に250元くらいになる。そして私は理路整然と『今、250元しか持っていない。明日銀行へ行く前に、まずここから帰るためにバス代1元。今日の夕食20元、朝食10元。よって219元だね』という実にまっとうな議論を展開し、笑っている周囲の理解を得て結局219元(3130円)で買った(それでも売る中国人、恐るべし)。
既に台湾でCDプレーヤーを買っていた私だったが、宿のテレビが割と新しい事に気づき、どうしても台湾で買った昔のトレンディードラマの最終回が見たくなったのだ。
念願かなって見ていると、途中で【ナイターの結果 中日対巨人 2−6】と字幕が出ている。
よかった、巨人の勝ちだ。きっと原選手がホームランを打ったんじゃないかな。