退職のち放浪 ライブ(18)

モンゴル編 H

既にモンゴルには1ヶ月以上いる。

これまでゴビ砂漠ツアー、ノモンハンツアー、ホジルト温泉ツアーなどに出かけたが、ウランバートルもとても面白い。そんな街並みを書いてみたい。

写真屋さん

ウランバートルに到着早々、パスポート用の写真を撮ることにした。

驚いた事にデジタルカメラで撮影し、エプソンの写真専用の紙を用いて、HPのプリンターでカラー印刷するのだった。

実はこの日、起きがけゆえに、髪をセットしなかった(いつもそうだけど)。

少し髪が立っている。まあパスポート用なので、本人の確認ができればそれで良いのであまり気にしない。

しかし画面上ではデジタルゆえに加工が効くのだった。画面を操作するスタッフが、立っている髪をきれいに“カット”してくれた。なるほど面白い。

こちらが面白がっていると次にはホクロまで消してしまった。どんどんと格好よくなっていく。それはまずいんじゃないかなあ。

結局、サイズを取り混ぜて30枚近い写真をプリントしてもらった(A4一枚に入るだけ)。もともとパスポート用の写真は3枚で2000T(200円)と、何故か物価の安いモンゴルでもとても高いのだが、「A4の紙を1枚使っただけだろ」というロジックで合計10,000T(1,000円)に落ち着いた。

一ヶ月後、ノモンハンの写真をお世話になった人に送る為に大量の写真をプリントしてもらった。とてもきれいな写真に仕上がる。ポストカードみたいだ。

この時には自分でエプソンの紙を買っていた事もあり、A41枚あたり2000T(200円)に負けてもらった。

「モンゴル人にあげるんだから、モンゴル人プライスで頼むよ」

だんだんとモンゴルでも交渉術に長けてきた。

中央郵便局

中央郵便局にいく。

日本に要らない荷物を送る為だ。モンゴルでシュノーケルを持っていても仕方が無い。モンゴルから日本へは船便が無く、航空便だけで、とても高いのがたまに傷。

きれいな記念切手もたくさん売られていた。しかし郵便局なのに何故か思いっきりプレミアムが付いている。プレミアムを払っても、額面が少ないので、日本へのメール代560T(56円)を満たすには、えらい枚数を貼らなくてはならないのであきらめた。

郵便局なのにここにはカレンダーだの、本だのといろいろなものが売っている。国営だから何でも有りなんだろうか?

そして何故か、雑誌売り場にロシア製のポルノが置いてある。2500T(250円)なり(注:買ってません!)。因みにモンゴル製のポルノは、モンゴルで未だに見ていない。

フランス人の団体さまが到着し実に賑やかになった。早々に退散。

外国人に対する印象

これはごく普通のモンゴル人女性の声。

  • 中国人: 一番嫌いな国民。モンゴル人の誰もが嫌い。

    ロシア人: 中くらい。好きか嫌いかは人による。昔は好きな人が多かったが今はそんな程度。

    韓国人: 好きな人が多くなってきた。モンゴルには職が無いため、多くの人が韓国やドイツに出稼ぎに行くようになった。3000人近いモンゴル人が韓国に行っているはず(日本へはその半分以下???)。その為交流が多くなり、韓国の人もウランバートルに多くやってきて商売をするようになってきた(因みに街を歩くと数多くの韓国料理屋さんがある。明らかに中華よりも多い)。スーパーでは白菜やキムチが手に入る。

    日本人: やはり一番好きな国民。相撲の影響もある。

  • ビール

    多くの国のビールが手に入る。500MLで、70円くらいから120円程度までいろいろだ。

    メジャーどころは韓国、次にドイツかな。モンゴルのビールもたまに有るにはあるが安い訳ではない。

    偶然、アサヒビールの小ビンが宿の近くの店においてあった。340T。たったの34円である。日本で普通に買うと200円くらいだろうから、場所がウランバートルという事を考えると360円だって理解できるがそうではない。だいぶ安い事になる。

    ただ、一ヶ月以内に賞味期限が切れるという代物だ。モンゴルにはそんな手合いが多い。

    ビールは鮮度が命ではあろうが、保存状態が悪くなかったせいかそれほど違和感なく、おいしく飲んでいる。

    カレーライス

    猛烈にカレーが食べたくなった。

    大型スーパーに行き、次の物を買った。

  • ・S&Bのカレー粉 一箱 2400T (240円)

    ・鶏肉 たぶん300グラムくらい 1060T(106円)

    ・チリソース 一本。カレー粉が甘口だから 440T( 44円)

    ・にんにく 一房。泥付き 50T( 5円)

    ・ニンジン 大き目のやつ一本 90T( 9円)

    ・玉ねぎ 3個 110T( 11円)

    ・じゃがいも 大き目のやつ1個。泥付き 60T( 6円)

    ・お米 一袋。1キロ 490T( 49円)

  • トータルで4700T(470円)程度だ。これで6皿分。カレー粉以外は庶民プライスである。

    宿の台所で調理して食べた。久々に日本食を味わった。

    モンゴル人の計算能力

    モンゴル人の語学能力には本当に頭が下がるが、逆に駄目なのが計算能力。

    例@

    3200Tの買い物をする。4000Tで支払うと、必ず電卓を使う。恐ろしいほど暗算が苦手だったりする。それでいて押し間違えるケースがある。そうなるともう話にならない。こちらは会計前に、常に暗算するはめになるが、自衛どころか儲けにつながったりする。

    例A

    請求が4020T。その段階でレシートを打ち出してしまう。こちらは10020T払う。すると出したお札はまずキャッシャーへしまってしまうのだった。そして何も無かった様に、出した端数の20Tは忘れてしまい、5980Tを出そうとする。問題は、もらった金を覚えていないことだった。この場合は損をする。

    以上の例は一度や二度ではない。モンゴル人は計算に関して本当に頭の悪い民族だ。

    ザハ

    『ナラントール・ザハ』へ行く事にした。ザハとは市場、もしくはバザールという意味だ。

    土曜日の為かタクシーがなかなか捕まらない。と思っていると一台の車が止った。「どこまで行きたいの?」とモンゴル語で聞いているようだ。「うーん、わからない。英語は駄目?」と聞くと、流暢な英語が返ってきた。「ナラントール・ザハへ行きたいのだけれど」というと連れて行ってくれるという。

    彼は30歳過ぎで、ロンドンに3年間留学していたという。現在は印刷会社に勤務している。

    ザハに着き、お礼を言って降りようとすると、「マネー」という。何だ、好意で乗せてくれていたんじゃないのか。少しがっかりしたが、割と良い車だったし、話もできたので多少多めに払ってあげた。そう言えば、乗せてもらった時に、今日はどこかへ行くんじゃないの?と聞いたが、彼は「ドライブというか、適当に流してるんだ」と言っていた。また「君は完全にモンゴル人だと思ったよ」と言っていたっけ。外国人だから乗せてくれた訳じゃあないのだった。あれは要は白タクをしていた訳だ。

    『ナラントール・ザハ』は、モンゴル最大のザハで、モンゴルで売られているものは何でも売っているという評判だ。広すぎてどの程度の面積か正確なところは分からないが、東京ドーム数個分はあると思う。

    日用品から骨董品、馬具や、布団の中の綿まで売っている。電気製品を分解した部品もあれば、モンゴル人が住宅として使う円形のテントの『ゲル』まで売っている。

    屋内と屋外、簡易小屋、コンテナとお店の形態は様々だが、土曜日ということもあって、場内はどこもとても込んでいた。

    商品はモンゴル製以外はほとんどすべて中国製だ。モンゴル製は馬具やゲル、民族衣装、食料等が中心なので、結局は恐らく8割方が中国製だろう。しかし、北京に比較すると何故か少し安い気がする。

    靴下は一足200T(20円)だった。「えっと、じゃあ4足なら600Tだよね」という資本主義における価格逓減のロジックで説明すると店のおやじは笑いながら袋に入れてくれた。物も悪くない。しかし日本の値段は一体何なんだろうと思う。きっとどこぞの商社が阿漕なことをしているに違いない。まったく商社ってやつは…。

    ウランバートルの気温は北京に比べて相当寒い。ここは標高1400メートルくらいなので、夜はほんとうに冷える。地方の標高が高いところでは既に雪が積もっているらしい。そこでジャンパーを買うことにした。せっかく物価の安いところにいるのだから革ジャンを買うことにした。

    高いものを買う時にはネゴがたいへんだ。しかしこちらには時間がたっぷりある。他の客を寄せ付けないほどとっかえひっかえあれこれ試着して店員を辟易とさせながら約20分かけて交渉した。結局40000Tで妥結。4000円。襟の毛皮が無くなっているのでこの値段なのだという。それでも日本で買うと恐らく10倍だろう。襟が無いと言われると、欲しくなるのが人情だ。ザハの中を捜しに探して襟だけを売ってくれる店を探し出した。またもや交渉の上6000Tで決まり。600円だ。

    ザハは、スリでも有名な場所だ。ターゲットを集団で囲って盗んではリレー形式で財布等を運んで犯人を分からなくしてしまうという。そんな話なので、あえて上着のポケットには小額のお金をたくさん入れて誘い水をうっておいたが、どうも意識し過ぎだったのがスリを遠ざけてしまっていたようで遭遇する機会はなかったのが残念だ。3回も行ったが一度も面談がかなわなかった。他の日本人観光客はスリに出会っていたと言っていたのだが…。

    街のマッサージ

    マッサージ屋に行き揉んでもらう事にした。

    何故か女性が二人でやってくれた。今まで世界のどの店でも揉み手は一人だった。二人というのは始めてだ。なんだか妙にどきどきする。

    リラックスの為にマッサージを受けたい訳だが、二人で揉まれるといつもとかってが違う事が直ぐに分かった。このマッサージ屋は何かの医院を兼ねていて、医療用のマッサージであることは問題ないのだが、ツボを的確に攻撃するのでかなり痛い。壁を見ると写真入の医師証明書の様なものが張ってある。テーブルを見ると、人体模型がありツボの場所が点で示されている。

    そして、問題は、二人で揉んでいるので、当方が痛がってもどちらが痛いのか揉んでいる当事者には分からない事だった。更なる問題は、結果として痛がっても二人とも一向に力を緩めない事だ。結構もだえてしまった。まるでちょっとしたSMショーである(見たこと無いけど…)。

    二人でやってくれたのは、予約の合間に私がすっぽり入って、次の患者?の為にチャッチャと終わらせたかったからだろう。結局25分程度で終わってしまったが、実に貴重な体験だった。

    しかし、請求は15000T(1500円)とぼったくってくる。モンゴルにしてはここまで要求するのは珍しいのだが、

    「ここは病院だから高いの」と主張する。しかしサービスは受けたもの勝ちである。

    「治療じゃなくて、しょせんマッサージだろ。カルテを作ってくれるならいいよ」

    「私は正規のドクターなのよ」

    「俺はマスターなんだよ」

    という訳の分からないやり取りを繰り返す。結局、7000T (700円)である。以前調べた時には、45分で8000Tだったので、まあこんなものだろう。

    バスケットゴールプロジェクト

    ウランバートルで、日本-モンゴル友好の為のプロジェクトを実施する事にした。テーマはバスケットゴールの修復である。日商岩井に勤める最後の年にODAを担当したのだが、はっきり言うと日本のODAはやはり噂通り金のばらまきという感が否めない。そこで労働提供を伴う草の根ODA的に活動する事にしたのだ。

    日本人の安宿の前には公園が有り、ちょっとした作の中にバスケット場があるのだが、ゴールは1つだけで、もう一つは破壊され、金属の枠組みだけが残っていた。モンゴルでは意外とバスケット人気が有り、市内にもちょっとした空き地にバスケットコートが有るのだが、何故か多くは壊れている。

    このプロジェクトでは、その金属の枠組みに板をはめ、バスケットゴールを取りつけるというものである。ただし、2つのゴールが揃う事で、中高生がこのバスケット場を仕切ってしまい。これまで遊んでいた小学生がはじき出されてしまうという懸念が有ったので、近くの敷地にもう1つバスケットのゴールを取り付けるという2面作戦を企画した。

    まずは買い物である。事前に下記の物を購入した。

    =大人用ゴール=

    =子供用ゴール=

    11時に作業を開始。宿の関係者に全面的にバックアップして頂き、梯子、電ノコおよび電動穴あけ、延長コード等を提供頂いた。これらは、ソ連の団地を宿に改造する時に使ったものらしい。

    もちろんモンゴル人の“労働力”も提供頂いた。日本人は同じ宿に泊まっていたお客の二人が協力してくれる事に。

    ペンキを塗ったり、木を削ったりで、夕方まで掛かってしまったが、その間、いつもこの公園で遊んでいる小学生から高校生までが野次馬的に集まり、そしてボランティアとして手伝ってくれるのだった。

    日が暮れる頃、2つのバスケットゴールが完成した。

    活動している間にも、何故かペンキが盗まれたりで、この2つのゴールもいつまで持つのか疑問では有るが、早速近所の子供たちが完成式に集合し、シュートをするのだった。これだけの子供がこの公園に集まるのは初めて見た。

    モンゴルは失業率が高いばかりか、学生もあまり学校へまじめにいかない様だ。彼らのガス抜きになれば良いのだが…。

    また基本的には親日的なモンゴル人だが、必ずしもいつでもそうだとは限らない。さらに日本人が集まっているのでそれを狙う悪いやからがいないとも限らない。宿の近所の人が少しでも日本人に暖かい目を向けてくれるのであれば作製した甲斐がある。

    マルコポーロ

    ウランバートルは、世界中で最も冷える首都だと言われている。冬にはマイナス何十度になるらしい。だからソ連時代に建てられたしょぼい団地であってもスチームが張り巡らされていて室内は暖かい。というより、まだ初頭の今は窓を開ける必要があるくらい暑い。

    モンゴル女性から、「行ってみたらどう?外国人は行くわよ」と勧められたパブがあり、モンゴルビールを飲みに行く事にした。モンゴルでモンゴルビールを飲むのは少し難しい。というのはスーパーもデパートも置いているのはハイネケン、タイガー、OB、HITE、アサヒなど外国のビールばかりだ。これは一般の食堂も同じ。探せばあるのだろうが簡単にモンゴルビールを楽しむにはパブに行く必要がある。そしてたまにはジョッキで飲みたいものだ。

    そのお店は【マルコポーロ】と言って、『地球の歩き方』にも『ロンプラ』にも書かれていない。それどころか看板すら出ていないのであった。そして1階がレストランになっていて、2階に上がる階段は、上にお店があるとは思わせない作りになっていて、「パブがある」と確信をもって行かないと到達できない。同じ宿の日本人がこの【マルコポーロ】を全員知らなかったのもうなずける。おまけにガードマンの制服を着た屈強な若者が二人もこの階段にいる。実は彼らは集金係も兼ねていて、パブを利用する客はここで4000T(400円)支払うのだった。何故か“入場料”とは呼ばずに“TAX”と書いてある。

    中はディスコの様な作りであった。カウンターがありステージがある。店は暗いがフラッシュがたかれ、ロックが掛かっている。カウンターでは店のスタッフと対面で酒を飲めるのだが、私はステージ横のソファーを選んだ。

    さてここで本題になるのだが、現在ウランバートルは十分に暖房が効いている。このお店は大音響の音楽が流れていて、ご近所への配慮の為、窓を開けていない。

    私はそれほどでもないが、結果としてとても暑いようだ。カウンターの中にいるおねえさんは下着だけになっている。しかも体温を放熱する為に下着の面積は限りなく少ない。

    そういえば先ほどから、店の奥からステージまでの長い道程を3人の若いモンゴル女性が行ったり来たりしている。あの東方見聞録を書いた【マルコポーロ】は、25年間旅をしていたんだっけ。そうだ、あの女性達はその25年を表現しているに違いない。この3人は少しずつ着ているものを脱いでいく。きっと【マルコポーロ】が暑い国を通過しているのだろう。しかし、13世紀の出来事とは言え、しまいには全裸で旅をしていたとは知らなかった。時々、私の近くの壁に捕まっては体をくねくねさせている。旅に疲れた【マルコポーロ】を表現しているのだろう。なかなかうまいパントマイムだ。

    おっと、私のところにやってきた。東方見聞録では、ジパングに来たという説と、噂で書いたという説がある。このお店では前者の立場を取っているようだ。私の頭に捕まってくねくねしている。遥か彼方から黄金の国に来てくれているのである。黄金は出せないが、小金を出すことにした。長い年月を旅をするにはスポンサーも必要だっただろう。お布施である。

    このお店に女優達は12人程度いるようで、3人ずつ登場する。毎回来ている服が違うが、結局同じ姿に戻る。25年間を表現するのもたいへんだ。

    気づいてみると、かなり大勢の外国人がこのお店に来ていた。満席に近い状態だ。きっと多くの旅人がこのお店にやってきて、マルコポーロ先輩を表敬する様だ。

    一人のビジネスマンの客が私のところにやってきて、「丸紅の○○さんですか?」と日本語で聞いてきた。北海道電力の方だったが、同じ商社マンの匂いを感じ取ったのかもしれない。モンゴルでは2商社がなかなか頑張っていると聞いていた。丸紅と日商岩井だ。しかし、丸紅がこの様な場所で頑張っているとは知らなかった。


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