バスの中で寝ていた積もりだったがやはり寝不足であった。
昨日の夜は見事な星空だったのに、起きてみるとみぞれが降っていた。野宿していたらたいへんなことになっていたはずだ。
私をノモンハンに連れてって
9時頃にレセプションに行き、かくかくしかじかでノモンハンに行きたい、と伝える。それなりに伝わっているみたいだが、ホテルのスタッフはどうしたら良いのか分からなそうで、一人の女性を呼んできた。彼女はMinistry for Nature & Environment Protected Area Administration of Eastern Mongoliaという政府組織に属しているスタッフ。この組織は何故かこの『To Van』ホテルの敷地の中にある。国連のアメリカ人も3人いるらしい。
そして彼女に日程とノモンハンで行きたい場所などを伝えると、仕事で忙しかった彼女はさらに同僚を呼んできてくれた。その同僚の名は【オートマ】さん。31才。彼女も英語が堪能だ。大学で地質学を学び、この組織で環境保護の活動を行っている。この地域の事情、地質や動物にとても詳しそうだった(そして事実その通りだった)。
やり取りをホテルのロビーで行っていると、偶然このホテルの社長がやってきて相談に乗ってくれることに。彼はここの社長であると同時に、この【XAAH(ハーン)銀行】の地区支配人という。まだ若く、44歳だ。名前は【バトルホイク】さん(【XAAN(ハーン)】は、【チンギスハーン】のハーンと同じなので、【皇帝銀行】という風に思っている人がモンゴルでも結構いる。しかし実は【農業】という意味もあり、【XAAH銀行】の場合はこちらだ。最近民営化され、日本の資本も入っているとの事。そしてモンゴルではベストバンクらしい)。
それぞれのAvailabilityもさることながら、大体幾らくらいなのかを知っておく必要がある。モンゴルなのでそれほどボラれることは無いだろうが、こっちの予算もある。何しろ今回は私一人で車一台、スタッフ3人を雇う必要があるのだ。
オートマさんとバトルホイクさんに粗々のベースで話を聞いたところ、だいたいこんな感じでは?という事だった。
・ガソリン代(合計で800キロぐらい走る。燃費は4-5キロ/L) 90,000 T
・車代とドライバー 150,000 T
・ガイド人件費(一日8000Tとして3日分) 24,000 T
・通訳人件費(一日8000Tとして3日分) 24,000 T
・食事代(1000T x 3日 x 4人) 12,000 T
・宿泊代(3000T x 2日 x 4人) 24,000 T
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・合計(車代) 324,000 T (32,400円)
人件費はちょっと高い気がしたが、質が分からないのでまあまあとしよう。
車代も質による。ランクルだったらもっと高いに違いない。覚悟をしていたが、結構高い。
さて、次はそれぞれのAvailabilityだが、車、ドライバー、ガイドについてはバトルホイクさんが探してくれることに。
通訳については困ったが、既にオートマさんのインテリさに気づいていたので、ダメモトで
「オートマさん、どう?」と聞いてみたら、以外にもOKという。
よくよく聞いてみると、彼女は偶然にも明日から約1ヶ月の長期休暇を取る予定で、ウランバートルへ行くところだったのだ。
人の休暇を邪魔するには恐縮だが、彼女もノモンハンに興味が出てきたという。モンゴルでは公務員の給料も安いので、いいバイトと思ってくれたらしい。
午後、再度バトルホイクさんおよびオートマさんと会い、車・ドライバー・ガイドについて聞いてみると、これまた意外なことに、バトルホイクさんが「俺が行ってやる」という。
正直驚くと同時に偉い人なので高くなるのは嫌だなあと思っていると、
「車とガソリン、ガイド・ドライバーの人件費、宿泊費、食費のすべてを込みで150,000T(15000円)でいいよ」と言う。
となると、あとは通訳代、および自分とオートマさんの宿泊費、食費だけで済むことになる。実に助かる。
明日は7時出発にしよう、そう決めた後、バトルホイクさんとオートマさんがこれから暇かと聞いてきた。チョイバルサンのミュージアムを最初に見ておいた方が良いだろう、案内するよ、という有り難い申し出だ。
チョイバルサンの戦争の跡
まずは戦勝記念碑。ここには戦士の搭と戦車が2台置いてある。
当時、負傷した日本兵士は悲惨だったらしい。
すさまじい戦闘の中で負傷した兵士の事など構っていられない。そして列をなしてやってくる戦車に踏み殺されてしまうのだった。ここにある戦車もその一台だったかもしれない。
次にシティーミュージアム。多分ここは有料だと思うのだが、バトルホイクさんの顔で無料になった。有り難いことに展示物を解説してもらいながら拝見させてもらったが、ある遺跡の写真にバトルホイクさんが写っていた。何と彼は1996〜2000年の間、このドルノド県の副知事をしていたという。2000年の選挙で民主党が破れた為、現在の職にあるという。彼自身、銀行屋になるとは思わなかったと笑った。
次にジョコー博物館に連れて行ってもらう。ジョコーとはソ連将軍の名前だ。そしてこの町の名前であるチョイバルサンとは、モンゴル将軍の名前である。この二人が当時部隊を率いており、そして日本軍は相当苦しめられたのだった。
またもやここの館長が丁寧に案内してくれる。館内は撮影禁止なのだが、有料ということで許可してもらった。一枚1000T(100円)と異常に高飛車だったが、これも通常では許可されない、バトルホイクさんがいるからOKが出たのかもしれず、やむなく支払った。
町には、日本軍が初めて爆撃した跡が、記念碑となっている場所もあった。このチョイバルサンはノモンハンの後方基地だったのだ。
ノモンハンへの道
7時、と約束したのだが、やはりモンゴル人だ。バトルホイクさんもオートマさんも来ていない。
結局20分ほど遅れて登場した。さあ出発!とならないのがモンゴル人だ。まずはゆっくり朝食をとる。
昨日のうちに買っておいた水、1リットルボトル18本と荷物を車に積み込み出発した。
車はやはりロシアンジープ。通称『69』というらしい。去年ベトナムで乗った奴と同じだ。こいつは結構手強い。頭のこぶが心配だ。しかし車内を見るととても新しい。天井にはクッションらしきスポンジも付いている。聞いてみるとこの4月に買った新品とのこと。これなら安心だ。有り難い。
因みにこのジープ、値段は約6,000,000T(60万円)とのこと。車も余計なものを省けば結構安いもんだ。
この車はXAAN(ハーン)銀行のものだということだった。
15万トゥグルク(1万5千円)という安さで請け負ってくれたのは、バトルホイクさんが自分の銀行の一支店への出張に切り替えたからみたいだ。
そして来てくれた運転手は【ザルコ】さん。バトルホイクさんの部下だ。
彼は実に運転がうまい。聞いてみると数年前まで、この地方の軍トップの運転手をしていたらしい。
「スンベル村までの道なら任せろ!」ということだった。
走っていると、この道は2時間以内に車が通った、なんて事を言う。確かに轍はあるのだが、なんでそんなことまで分かるんだろう???
バトルホイクさんが、「おまえ、日本人一人でモンゴル人達と旅行するのは恐くないのか?」と聞いてきた。
「全然。モンゴル人は親切だし、あなた達がいい人だということは昨日会った時からわかっていたからね」
と答えたが、その質問自体が恐いぜ。
そう思っていると今度は、
「日本大使館は、お前の行動を知っているのか?」と畳み掛ける。
なんて事を聞くんだろう。そんなの言ってある訳ないじゃないか。
実は朝食の時にハンティングの話になって、宿を出てからまずバトルホイクさんの家に戻ってライフルを車に積んでいたのだった。
そんな恐いこと言わんでくれよな、と思っていると、
「日本大使館のスタッフが、昨日遅くにトーバンホテルにやってきて、今日スンベル村に行くらしい。それと何か関係があるのか」という事だった。ホッとした。
ただとても不思議だ。日本の慰問団は夏、主として8月にノモンハンを訪れる事が多いと聞いていた。季節外れに外務省が何をしに行くのだろう。
モンゴルの儀式
チョイバルサンを少し離れたところで車が停まった。ザルコさんが荷台からパンを取り出す。車から降りた3人はちぎったパンを空になげ始めた。そして私にも手渡し、同じようにやれという。モンゴルの儀式らしい。
空、神、地球といった“偉大なるもの“と食事をシェアするという考えらしい。そして遠出する時には、安全を祈願して必ずこうするという事だった。
ザルゴさんがさらにランチボックスを出してきた。偉大なる物とシェアする以上、さっき食べたばかりでも食事を取るのだった。
電子レンジ可と日本語で書かれた2段になっているお弁当箱には、馬の肉だ。いろいろな部位の肉が混ぜられている。馬刺しは食べたことがあるが、これだけいろんな種類の馬の肉は初めて見た。私をもてなしてくれているのは間違いない。
もう1段には玉ねぎのスライス。玉ねぎはモンゴルでも割と容易に取れる。草原でも野草の玉ねぎが取れるらしい。そこへ買ってきたキムチを入れる。
ザルゴさんが見事な手さばきで羊肉の大きな固まりを切り裂く。生ではなく調理されている肉だ。柔らかいビーフジャーキーの羊版というところかな。固まりを油で揚げる、という説明だったがそんな感じではない気がするが…。
馬の肉も美味いのだが、ともかくこの羊肉は絶品だった。白い脂肪の部分も結構うまい。
「こりゃー美味しい。ウランバートルで食べる羊肉とは全然違うのは何故」と聞くと、
「腕が違うんだ」という。
何でも羊をさばく時の職人の腕によって肉の味が大分変わってくるらしい。そして地方の人たちは上手に捌けるが、ウランバートル辺りではもう駄目だということだった。
腕によって味が変わる…。刺し身なんかは確かにそうではある。でもこれは肉を捌く時の話だ。簡単には信じられない、と食べる前ならそう思うが、味わった後は妙に説得力があるのだった。
ビン詰めのピクルスも出してきた。それまでピクルスってのはマックに入っているやつしか食べたことがなかったが、一度もうまいと思ったことが無い(なんで入れるんだろう)。モンゴルで売っているピクルスは7センチぐらいのキュウリが丸ごと10本ほどビンに入っている。これが実に美味いのだ。そしてそのすっぱさがとても羊肉にあう。
草原を車が走る。
チョイバルサン−スンベル間は約350キロ。その草原には遊牧民が少ない。ゴビ砂漠とは大きく事情が違う様だ。昼食はゲルに寄って何か食べさせてもらおうと思っていたのだが、全く甘かった。
このランチボックスが無ければ、結構たいへんなことになっていたに違いない。やはり事情に詳しいチョイバルサンの面々と同行したのは正解だった。
野生の動物
極まれに羊や馬を見かけたが、ゴビ砂漠と比べて圧倒的に少ない。これもこの地方を訪れる人が少ない理由になってしまっているのだが、野生の動物は結構いる。
まずモンゴリアンガゼル。鹿の仲間らしいが、体は大型犬程度。群れて行動している。我々のジープの前に現れたが逃げ足も結構はやくライフルで狙うには至らなかった。この肉も結構おいしいらしい。
次に鷹。モンゴル西部も鷹で有名だが、実は東部にも多いらしい。そしてかなり大きいやつを何羽も見ることが出来た。さすが鳥の王者だけに悠々と飛ぶ姿は素晴らしい。
ウサギもいる。体はかなり小さいのだがジープの先を懸命に逃げようとする。先導している形になってしまう。何故か横へ逃げずに、車の轍の道路を走ってしまうので、ジープは道をそれ、草原を走って追い抜くはめになる。
キツネもいる。ジープで追いかけるがやはり逃げ足が速い。
今回は残念ながら狼を見ることは出来なかったが、この地方にも結構いるらしい。
国境警備隊の検問
途中3回ほど国境警備隊のオフィスに寄ることになるのだった。
場所によってはごく小さい小屋だ。
兵士はそこで食事をし、そこで寝ているようだった。
遠くの我々のジープを目ざとく見つけ、赤い旗を持って車を制する。
肩には銃がさがっていて、何れの兵士もなかな格好がいい。ここでパスポートとウランバートルで取得した許可証を提示しなければならない。通訳のオートマさんは国内の身分証を提示する。バトルホイクさんだけは何故か何も出さない。この地方の顔ということか。
ザルゴさんは知っている兵士がいるようでにこにこ笑っていたりする。
ザルゴさんが中に入って手続きをしてくれた。
何れも5-10分ほどで通過が許可されたのはバトルホイクさんの力かもしれない。
つづく