退職のち放浪 ライブ(11)

モンゴル編 A

コビ砂漠へ行く事にした。

ウランバートルから行くには、車と飛行機という手がある。

飛行機の場合、ウランバートルからダランザドガドという町まで80分のフライトだが、さらにそこから車をチャーターする事になり、現地での車のAvailabilityと言葉の問題でなかなか難しいらしい。

一方、車の場合、普通はウランバートルの旅行代理店に頼むが、現在いる宿では、車と運転手2人を一日40ドルで貸してくれる。4泊5日なら200ドル。これ以外に主としてガソリン代および食費がプラスされる。

一人では金が掛かりすぎるのだが、人数を集めればこれを参加人数で割る事になるので安くなるのだった。また普通の旅行とは違い、事によってはたいへんなことになるので人数がいるのは心強い。

宿に泊まっていた人たちと相談し、ゴビ砂漠に行こうということになった。日本人6人によるゴビ砂漠ツアーである。

ツアー参加メンバー

メンバーは私の他に、

・21歳女性。大学の夏休みを利用。世界旅行のサークルに所属。

・27歳男性。転職の合間の2週間を使ってモンゴルを訪問。

・27歳男性。リゾートバイトで金を溜め、約1ヶ月モンゴルを旅行。

・30歳男性。近々転職をする為、有給休暇の消化中。

・32歳男性。会計士の試験が終了し、結果を待つ間の旅行。

という面々だ。9月中旬過ぎという事もあり、大学生は彼女一人。全員海外には何度か行っているが、モンゴルは初めてだという。

運転手はモンゴル人2人。英語少し、日本語少しという具合である。

準備の買出し

このツアーでは、【ゲル】と呼ばれる遊牧民の移動式住居に泊めてもらうか、キャンプをする事になる。朝食や昼食も必要な場合があるだろう。

まずは買出しだ。みんなで宿の近くの国営デパートに行き、水や食料等、必要なものを買った。

・水:2リットルのペットボトルで約40本(一人一日一本程度という計算)

・米:20合(内、10合は研いでフリーズドライにしておいた)

・インスタントラーメン:10袋

・パン:たくさん入っているやつを5袋

・缶詰:肉や魚、果物など15缶ほど。

・うどん:3袋

などなど。一人当たり約10,000T(トゥグルク)、日本円にすると1,050円程度だ。

これ以外に、個人的な物としてワイン・ビール、ウェットティシュー、ビタミンを取るためのジュースなどを買っておく。

ガイドブックによれば、ゴビ砂漠の旅に寝袋は必携らしい。私は持っていなかったので近くの店に買いに行くことにした。交渉の結果26000T(約2720円)である。品物は中国製の様だったが全く問題ない代物だ。

ロシア製のバン

出発の朝、風がともて澄んでいて爽やかだ。宿の前の公園には水溜まりができている。昨日ウランバートルでは2週間ぶりに雨が降った様だった。

車はロシア製のバンである。前部座席2人、中間座席3人、後部座席3人。その後ろに荷物が入るようになっている。ロシア製のバンというのは兵役の移動が主目的だったらしく、通常はヘッドレストなど無いのだが、この車は改造されているのだった。

持ち込んだ荷物は、実に大量だ。昨日買った水や食糧に加え、宿から借りた大鍋やテント等のキャンプ用品、ガソリンを入れる容器を5缶、飲み水とは別に水を40リットルを積む。さらに個人の荷物や寝袋が乗る。この為、6人の日本人が乗る移動式のシートは大分前の方に押し込まれ、満席状態の車内はとても狭いのだった。

前部座席にはモンゴル人の運転手が二人乗ることになる。

ゴビ砂漠への道のり

宿を出発した。まずはウランバートルでガソリンを入れる。ロシア製のバンは何故かタンクが二個あり、ガソリンを左右の側面二ヶ所から入れる。またモンゴルの草原ではガソリンが手に入らない場合もあるので荷台に積んだ20リットル入りガソリンタンク5缶にも充填する。トータルで190リットルだ。値段は450T(47円)/リットル。因みにオクタン価は85というとても低いやつだった。道路の状態にもよるが、大体のところリッター当たり4-5キロ走るらしい。従い約1000キロは走ることになる。しかし、予定では往復で1300キロなので、どこかでガソリンスタンドを探すことになりそうだ。

ウランバートル内はもちろんアスファルトが敷かれているが、30キロ程度走ったところで車は左にハンドルを切り、草原のジャリ道に入る。そもそも悪路ではあるが、昨日の雨でさらに轍が深く刻まれ、少しバウンドやドリフトしながら進む事が増えてきた。そして予想通りロシア製のサスペンションは決して褒められるものではない。3時間程度しか経っていないのに腰が痛くなってくる。

モンゴルはやはり旧ソビエト経済圏である。ごくたまにすれ違う車もロシア製。トヨタなんてのは超マイナーな存在だ。車体の安さもさる事ながら、スペアーパーツの入手が比較的容易だからという事でほとんどのゴビ行きの車はロシア製になる。道々で故障しボンネットを開けている車を何回か見かけた。

時々車を停めてトイレ休憩をする。トイレはもちろん大草原である。

モンゴルと言えば、『はてしなく広がる大草原』というイメージがあった。そして今ここにある現実もまさにその通りだ。青い空、緑や黄色、紫に彩られた草原、はるか遠くに見える地平線…。ウランバートルをほんの少し離れると、そこはもう大自然の広がる世界だ。

羊やヤギが群れて草をはみ、遠くに馬が走っている。空には鷹や鷲が飛んでいる。時々、道をふたこぶラクダの群れがふさいでいる。クラクションを鳴らしながら近づくと慌てたように逃げる。しかしなんて奇妙な形なのだろう。

時々現れる円柱形の白い建物はゲルだ。【ゲル】とは、モンゴル語で「家」を意味する。中国語では【包(パオ)】だ。モンゴルの草原に暮らす遊牧民たちが住んでいる、分解・組立てが簡単な移動式の住居で、木とフェルトでできている。

モンゴルの人口は240万人、面積は日本の4倍だ。人口密度は1平方キロメートルに1.5人らしい。しかし実際にはウランバートルへ人口が集中している(77万人)。結果として草原の人口密度は1.0人以下だ。明らかに動物達の方が何百倍も多い。

昼食

ゴビ砂漠への道は何通りかあるようだが、途中ごくたまに、そう3-4時間程度走るとお店や食堂がある。モンゴルの道の駅といったところだ。ただ食堂といっても掘っ建て小屋だったりゲルだったりである。我々はその1件で昼食を取ることにした。

大抵まずは【ツァー】と呼ばれる飲み物が出てくる。牛乳にお茶を混ぜ、塩を軽く振った飲み物だ。時には牛だけでなく、他の動物の乳も混ぜるらしい。塩の加減も様々なので作り手によって味は違ってくる。

料理の方は到着してから作り始めるので結構時間が掛かるのだった。ほとんどの食堂はメニューなんか無い。しかも人手不足という事情で全員が同じ物にしなければならないことが多い。

今回は【ツォイワン】というモンゴルの焼きうどんが出てきた。焼きうどんといっても日本のもののように決して美味くはない。私の場合、ほとんどのモンゴル料理は大丈夫と思っているが、この【ツォイワン】だけはちょっと遠慮したいという代物だ。とは言え、一人1000T(105円)しない食べ物なので我慢すべきなのだろう。

因みにこの宿には発電機やアンテナがあり、テレビを見ることができる様だった。

またひたすら走り、途中の村でじゃがいも、砂糖、玉ねぎ、ピクルス、羊の肉を買う。割と大きな村のようだが、お店は8件程度。何故か同じようなものが売っていて存続できているのが不思議だ。因みに羊肉は1.5kgで1500T(157円)だ。

しかし今日は徹底的に走った。じゃんけんで席を決めるが、運悪く負けてしまい一番悪い席に5時間半も座ってしまった。中間列の座席の真ん中のその席は、ロシア製バンの悪い作りの為にエンジンルームが突き出ている。その為足場がほとんど無い席なのだった。おまけにスピードを上げると熱が出てきて、足をずっと付けていると低温やけどを起こしかねない…。

辛抱が限界に近づいてきた20時過ぎにようやく本日の拠点についた。

 

キャンプ

ここにはゲルが2つあり、その回りには羊とヤギが群れている。我々の運転手がここの主と交渉していたが、結局テントをゲルの近くに張ることになった。運転手が、

  1. ゲルでの宿泊を交渉していたのか、
  2. 単にテントを近くに張らせてもらう交渉をしていたのか、

についてはわからないが、テントであればどこでも良いはずで、恐らく前者の方だろう。

さすがに日本人6人がいきなり泊まるというのはなかなか難しい様だ。

9月のモンゴルは秋というよりも初冬である。平均気温も東京の23度に対し9度程度と低い。この日は特に気温が低く、また風も強かった。

モンゴルは現在サマータイム中である為、日本との時差はない。しかし実際の経度は、2時間時差のあるジャカルタとウランバートルは同じなので朝は遅く日が昇り、遅く日が沈む。20時でもまだ明るいがテントを設営し、食事の為のかまどを作り火を起こした。

買った羊肉を細切れにし、玉ねぎと共に大鍋で炒める。ワインを入れてさらに炒め、水、ジャガイモ、お米を入れ、塩と醤油で味をととのえる。

作っていると、すぐ側まで羊とヤギが近づいてくる。まだ腹が減っているのかもしれない。

キャンプでつくるご飯はいつも美味しい。そして我々はビールやホットワインを飲んで、まだ元気な一日目を満喫した。

あまりに寒い為、大きなテントの1つを畳み、残りの1つにかぶせた。

そこに男4人が寝る。女性はモンゴル人二人と共に車に寝る。

私は、同じ宿の人から借りた一人用のツェルトで寝ることにした。

デールを底にひき、同様に借りたインナーに入り、寝袋にくるまる。さらに上から皮ジャンをかぶる。それでも風は強くすきま風が入るようで寒かった。床が硬い為何度も起きた。皆が寝ているテントの方向に、薄いツェルトを通して明かりが見える。最初は誰かの懐中電灯だと思ったがそうではなく、夜空に輝く月だった。

砂漠

ウランバートルから南に約500キロの場所に到達した時に砂漠が現れた。

【ゴビ】とは、モンゴル語で“砂漠”を意味するが、モンゴルの砂漠は33タイプに分かれる。

岩場もあれば、少し草の生えた荒地もある。そして我々のイメージ通りの荒涼とした砂地は、国土の3%程度らしい。そしてその砂地にやってきたのだった。

砂に脚をとられ、砂丘に登るのはなかなかたいへんだ。強い風の影響で見事な縞々模様になっている。

砂丘の上に立って感じる風は気持ちがいい。今日はすがすがしいが、何でも夏は40度、冬はマイナス40度になるらしい。

ここで運転手とモンゴル相撲を取った。体は私の方がでかいが、アッという間に負かされた。う〜ん、恐るべしモンゴル人。

仲間からちょっと離れて“小”をした。あっという間に吸い込まれた。そしてどんどんと乾こうとしている。

鳥取砂丘に行ったことのある仲間の話によれば、ここの砂ははるかに細かいということだった。

そしてあろうことか、カメラを落とした。しかもレンズから。

砂漠にカメラを持っていくのは危険だと知っていたが、案の定とたんに壊れて動かなくなった。「E-17」なんて表示が出て、唸っているもののシャッターは下りない。

う〜ん、恐るべしゴビ砂漠。

がんがん叩くと砂が落ちたのかシャッターが下りるようになったが(よかった!)、撮影しない時に自動的に掛かるカバーはいまだに動かない。

ゲルでの宿泊

夕方ゲルに着く。ここには1家族だけが住んでいたが大き目のゲルが2つ設置されており、1つを完全に我々に提供してくれた。

直径は10メートル程度で、これまで見たゲルでは大きな方だ。中にはベッドが2つあり、家具も幾つかある。

水道はもちろん無いが、水タンクが内部にあって洗面台があったのは驚いた。床はじゅうたんが重ねてひかれていて硬くない。

観光用のゲルにはたいてい発電機があり電気がきているが、ここにはもちろん無いので夜にはローソクをたいた。

ゲルの入り口にはドアがあり、玄関マットの様なものが外側と内側に置かれていた。外側では土を落とし、靴を脱がずに床にあがるゲルもあるようだが、このゲルの中はとてもきれいだったので我々は内側の玄関マットに靴をそろえておいた。

ゲルの構造は、柳の木などをドーム状にくみ上げ、その上に羊の毛でできたフェルトをかぶせる。屋根の中心には円形の木枠でできた【トーノ】と呼ぶ天窓がある。天窓の半分は常に覆われているが、半分は開けられるようになっている。調理や暖をとる時にはストーブをゲルの中央に設置し、この天窓から煙突を外へ出すのだ。あまりに寒い時、もしくは雨が降った時には【ウルフ】と呼ばれる覆いをここにかぶせる。

ゲルは一般に3-4人程度で50分で建ててしまうとテレビで見たことがある。確かにシンプルな構造だ。

我々のゲルには煙突が無かったが、モンゴル家族の方のゲルではストーブから吐き出される煙が煙突をたどり外へ出ている。早速調理が始まっている様だった。

燃料には主に乾燥した家畜の糞に加え、乾燥した小枝が用いられていた。ふと気づくと燃料入れには使い古されていたノートがあったのでめくってみると、驚いたことに積分の“∫”マークが書かれた計算式がびっしり並んでいる。

うっ、地方大学理系の私ではもう解けない…。確かこれは高校二年のレベルのはずだ。ウランバートルならいざ知らず、モンゴルから500キロ以上離れ、遊牧生活をしている彼らの子供が高等数学を習っているというのは正直驚きだ。言葉が通じればもっとこの辺りの事情がわかるのだが、我々の運転手も含め言葉が通じないのはとても残念だった。

このゲルで出してもらった料理は【ゴリヤシ】と呼ばれるクリームシチューをご飯に掛けたようなモンゴル料理でなかなか美味しかった。

モンゴル料理には何故かケチャップが出てくることが多い。乾燥地帯だから美味しいトマトが豊富に取れるのかと思っていたが、市場ではそれほど見かけない。これはロシアの影響なのだろうか?

またトマトケチャップの替わりにチリソースが出てくることもある。味はインドネシアのものと同じだった。意外とこの【ゴリヤシ】にあっている。日本のクリームシチューにも合うに違いない。

米は、炊き具合といい、おいしそうな匂いといい、北京で食べたどの米よりも美味しい。少ない水で研ぐのも大変と思うが、ぬか臭くもない。冷えた状態でもまずまずだ。

さすがにコシヒカリに比べると落ちるが、これだけ美味しいお米がモンゴルの僻地でも安く得られるなら、米の輸入を自由化したとたん日本の米作農家は全滅するかもしれない。食糧における国家安全保障上の問題はあろうが、日本の米作農家は甘やかされている気がした。

 


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