退職のち放浪 ライブ(31)

戦場へ行こう アウシュビッツ編

今回のテーマはアウシュビッツ。

受けた衝撃があまりに大きく、言葉にするのが難しい。

いつもと違って、写真中心に進めたい。

アウシュビッツでは、最初に15分のビデオを見るのだが、これが凄まじい。14才以下の子供にはお勧めではないというのもうなずける。

アウシュビッツには3つの施設があったそうだ。

単にアウシュビッツと呼んだときには、アウシュビッツ-Iを指す。

アウシュビッツ-IIというのはビルケナウと呼ばれる場所で、アウシュビッツ-Iから数キロ離れた場所にあって、実はこちらの方が大規模なキャンプで、より多くの処刑が多く行われた。

アウシュビッツ-IIIというのは、サイクロンBと呼ばれる毒ガスの製造現場。ここは一般に公開されてはいない。

まずはアウシュビッツ-Iの入り口。

『Arbeit macht frei』と書かれている。意味は、『Works brings freedom』だ。しかし、その意味とは全く違う事がこのキャンプで行われたのである。

 

 

 

 

 

脱走に対しても、ナチはものすごい厳しい。

逃げても、今度はその家族が囚われて、ここに連れてこられるという決まりだったらしい。

また常にチェックされ、誰かいないと、何時間でも集合場に立たされた。冬はとりわけ辛い。

アウシュビッツ-Iでは場合によっては、藁だけをひいた床に寝させられる事も。

 

 

ここアウシュビッツでは、とにかく写真はたくさん見る事になる。

時々、信じられないようなものがある。

質の悪いアニメーションを見ている気にさえなってしまう。

あまりにひどすぎて、自分の精神の自己防衛機能が働いて、無表情になってしまうようである。

ポーランドの高校生がたくさん見学に来ていたが、なんだか現実離れした光景に、驚きすらない。

毒ガス『サイクロンB』の空缶。

化学をやっていた者として、こんな形で化学が使われるのはあまりに悲しい。

 

 

 

 

 

 

ユダヤ人の、特に女性の髪。

これをドイツではテキスタイル産業に使用したそうだ。

その量は2トン。

25キロ入りの袋がいくつも写真に載っていた。

現在のアウシュビッツでは、ガラスの向こうに大量に展示してある。

こちらはおびたたしい眼鏡。

 

 

 

 

 

 

 

ユダヤ人が使っていた食器やコップなど。

『もうやめてくれ!』

と叫びたくなるほどの当時の物が大量にある。

それでもごく一部だそうだ。

食料も満足ではなかったらしい。

運良く終戦後に救出された女性の体重。

60キロ→35キロ

47キロ→23キロ

写真ではもうがりがり。

ユダヤ人達がアウシュビッツにやってきたときに持っていたカバン。

名前が書かれているのが痛々しい。

この他に大量の靴なんかが展示されている。

 

 

 

 

ビルケナウ(アウシュビッツ-II)の強制収容所。

手前の小屋が一列並んでいるが、これが奥に何十棟もあった。現在は煙突だけを残している。

 

 

 

 

 

 

ビルケナウには鉄道がひかれていた。

つまりユダヤ人運搬用。

ここで労働に適さない人間は、即ガス室行きということもあったらしい。

 

 

 

 

煙突だけが残っているが、無数にある。

行けども行けども収容所跡。

 

 

 

 

 

 

 

 

ガス室の廃虚。

アウシュビッツで150-250万人殺されたらしい。

ここの棟でも相当の数の方が亡くなった。

 

 

 

 

 

 

今回は粛々と筆を置きたい。


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