退職のち放浪 ライブ(26)

温泉へ行こう エストニア編

エストニアの首都タリンでちょっとしたGOOD NEWSを聞いた。

【パルヌ】と言う場所にスパがあるというのだ。しかも泥風呂。フィンランドを中心としてヨーロッパの金持ち達が1ヶ月単位でこのパルヌに滞在し、暖かい夏の浜辺を楽しみ、泥風呂に通うんだそうだ。またソ連時代には、ソ連の金持ちたちが、夏を楽しむリゾート地だったらしい。

現在ここはエストニアの“夏の首都”と呼ばれ、海と太陽と泥治療で有名なのだった。なんだか面白そう。

太陽はサンクトペテルブルクで一回拝んだだけでずっと見ていない事もあり、実際に行ってみることに。まあ、天候はあまり変わりがないだろうがSPAという言葉に痺れてしまっていた。

歴史的な事についても情報を集めてみるとパルヌという街は、サンクトペテルブルクやヘルシンキと同様に支配者にとっては重要拠点で、過去には、ドイツ、ポーランド、スウェーデン、ロシアと数々の国に占領された過去を持つらしい。

今ではエストニアの中でも観光地および保養所として結構有名らしいのだが、17世紀のスウェーデン様式の建物が若干残っているということだ。

パルヌへの道

早速タリンの宿をチェックアウトし、トラムに乗ってバスターミナルに向かう。

ここエストニアでも、ロシアと同じように公共の足として、1.バス 2.トロリーバス 3.トラム があるのだ。

旧ソ連らしく、幾つかのぼろバスも走っているのだが、一台の最新鋭のバスがターミナルに停まっていた。パルヌ行きはそれだ。さすがは観光地行き。値段は70クローン(622円)。所用時間は2時間弱。

このエストニアという国、鉄道は今一つ。その代わりバスが結構発達している。鉄道の駅よりもバスターミナルの方が栄えていたりする。パルヌのバスターミナルはさすがに地方都市だけあってさほど大きくないが、街の中心にあるのだった。

人口4万6千人の小さい街なのだが、パルヌのツーリストインフォメーションは実に素晴らしい。

街中のど真ん中にあるだけでなく英語、ロシア語、ドイツ語、フィンランド語等、いろいろなパンフレットがあるのも驚きだ。

日本の観光地はどの程度外国人に優しいのか気になるほど。

ここで、1件の保養所兼ホテルを紹介してもらう。シーズンオフということもあり、一泊3食付き、および3つの【Treatment】付きの安いパッケージがあるという。

【Treatment】、何とひかれる言葉なんだろう。どうやら、バス1回、マッサージ1回、泥風呂1回ということらしい。

これら全て込みで430クローン(3819円)。夏のシーズンには相当高いらしいが、今は天気も毎日悪いし、週末でもないのでこの値段なんだろう。特に外国人料金もない様だ。市場経済万歳!

パルヌのホテル

チェックインし、部屋に入る。

平日にもかかわらず、本日はすべての【Treatment】が予約済みという事で、本日は部屋でくつろぐだけ。

ロシアでは、トイレ、シャワーが共同というのがあるとよく聞いていた。実際にロシアで泊まったのはドミトリーだから共同であるのは当たり前なのだが、このパルヌでその意味が分かった。ホテルの部屋はそれぞれ個室なのだが、2室で1つのトイレ、洗面台、シャワーが付いているのだった。

従って、トイレの鍵は、それぞれの部屋側に付いている。入るときには、その鍵を空け、トイレに入るのだ。たぶん文章にするとイメージが湧かない気がするのだが、要はトイレに入ると(シャワーも)、内側からは鍵を掛けられない。そして必然的に自分が用を足しているときに隣の人が入ってくる可能性があるのだった。何だか変なシステムだなあ。

用を足すと部屋に戻りロックする。そうしないと、トイレを通じて、自分の部屋に隣の人が入ってきてしまう可能性があるのだった。

旧ソ連でも若い女性は抵抗あるのではなかろうか。

夕食は5時半から6時半までと60分。ロシアでは昼食がメインと聞いていたが、ここでもそうなのかもしれない。因みに朝食と昼食は90分の間に取ることになっているようだ。

食堂に行ってみるとびっくり。たくさんのおじいとおばあ。ここは東欧の姥捨て山か!

どうやら、若者は私一人の様だ。そして東洋人も私一人。圧倒的に浮いた存在だった。

夕食はバイキングスタイル。といっても合宿所の様な雰囲気の食堂で、バラエティーに富んでいる訳ではない。それでもジャガイモと肉に、オレンジ色のスープをかける料理、およびキャベツと何だかわからない野菜など、ヨーロッパ的な料理を味わえた。味も結構いける。

ニューアート美術館

夕食後、パルヌという小さな街では有名な【ニューアート美術館】に行ってみる。

観光地に来たからといって平凡な美術館には行かない事にしているのだが、ここは“愛”をテーマにしている事に加え、夜の9時まで空いているという、元社会主義にしては素晴らしい場所なのだ。

スターリンやフルシチョフなどの歴代ソビエト連邦指導者は、その時代が終わると軒並み批判の対象になっていたが、ソ連が崩壊してもまだレーニンだけは威厳を保っているようなところが少し感じられた。イルクーツクではおなじみのレーニン像がまだ飾られていたし、モスクワではレーニンの遺体が保存されており、その見物に行列を成している…。多分ソ連崩壊まではアンタッチャブルな存在だったはずだ。

しかし、このエストニア/パルヌでは完全に違う様だ。レーニンの像があるのだが、首がないのだった。頭の部分には黄色いライト(ガス工事か何かで使う、くるくる回るやつ)が付けてあってレーニンを茶化している。

そしてそれはこの美術館の玄関前のトラックに載せて飾ってあるのだった。あたかも「廃棄寸前」の様だ。

エストニアの、ソ連に対する感情が分かる光景だった。

さて、“愛”をテーマとしている美術館であるが、ここでは一週間に2度、近所の合唱団の練習場所になっているという事だった。今日はその日。そして恐らく40人程度の集団が歌っている。それも本格的な合唱団が激しく練習している様だ。

そんな訳で私は中に入れない。そんな馬鹿な、と言いたいのだが、あまり観光客の来ない【ニューアート美術館】というのは、街のコミュニティセンターといった程度の運命なのだろう。

しかたなくショップに飾ってあるものを眺める事で我慢することに。

しかし、さすがに愛をテーマにするだけある。ものすごく直接的なものも中にはあるのだ。そしてそして、この美術館ではそれらをポストカードにして販売しちゃってるんだな。

脱いでいるところを盗撮した様な写真だとか、局部そのものだとか、が世界各地に郵送されてしまう(出す人がいればだけど…)。

中国の友人に送ったらどうなるんだろう。

う〜ん、これって芸術かなあ。確かエストニアはポルノの持ち込みが禁止だったと思うのだが、ここでは“芸術”だから問題ないのだろうか。私が見るところ(因みに全部のポストカードをくまなく見るところ)、芸術点は低いんだけどなあ…(ただし、卑猥度は結構高い)。

う〜ん、芸術って難しい…。

パルヌに来ているおばあちゃん達

朝食は、昨日の夕食より豪華だった。生ハムやソーセージが結構美味い。

おばあちゃん達はどの国でも早起きの様だ。7時半で、まだ外は薄暗い。それでも元気に散歩している人もいる。そして朝ご飯には大挙してやってくるのだった。

しかしこの国の老人はこのエストニア国の変遷をいろいろ見てきたに違いない。

こんなところでゆっくり保養できる様になってようやく落ち着けたんじゃないかな。

仮に84才のおばあちゃんがいたとする。彼女は1920年生まれだ。

  • 生まれる2年前にエストニア共和国の独立宣言があったが、ドイツに占領される。ドイツが敗戦すると、今度はソ連がバルト地域に侵攻。
  • そして再びナチスドイツの勢力が広がり始めるが、独ソ不可侵条約によりソ連の傀儡政権が誕生。ドイツは一時撤退。そして結局ソ連に併合。これは彼女が20才の時だ。
  • 22才の時に、ドイツ軍がバルト三国に侵攻。
  • 24才の時にソ連が占領。
  • 29才の時には、一般市民数万人がシベリアに流刑。
  • そしてようやく、71才になって、エストニアが独立するのだった。

女性専用ビーチ

ビーチに向かって歩く。

Ladies Beachと3ヶ国語で書かれた看板がある。ここはどうやら女性専用のビーチらしい。まだ8時だし、そもそもシーズンでないので誰もいないのだが…(残念だ!)。

因みに男性用ビーチというのはないようである。なくて良かったが…。

天気が悪いので海がきれいなのかどうかが今一つわからない。“夏の首都”というだけあって、冬は寂しい限りだ。砂浜も、パンフレットを見ると、輝くような白い砂浜なのだが、天気のせいで灰色だ(それでもバリ島の砂浜よりはずっときれい)。

ビーチの先端まで行くと、石垣で出来た堤防がある。パルヌ灣に注ぐパルヌ川の水路を確保する為に、海の先まで2キロ以上伸びている。その川は、幅が70メートルくらいあって結構な規模だ。時々割と大きな船も通っている。

日本ならコンクリートでこの堤防をガチガチにしてしまうのだろうが、ここでは古い石垣のままだ。

そんな自然を愛するように水鳥が何十羽もここで餌をついばんでいる。

何世紀に出来たものかわからないが、情緒たっぷりだ。

こんな所が、ゆったりとしたヨーロッパを感じさせる。

パルヌ温泉

さて温泉だ!

温泉はホテルの建物から少し離れている。泥風呂自体は相当昔からあるようだが、この建物は1927年に建てられたらしい。とても雰囲気がある。

一見裁判所かと思ったのだが、中に入るとムワッとして、ああ温泉という感じ。

日本と違うのは、受付のところにクロークがあることだ。まるで劇場みたいで面白い。

昨日のうちに3つの【Treatment】の予約がされていた。

パスポートの様なものを渡されて、そこに予約データが書き込まれる仕組み。一種のカルテだろう。中には人体模型図が書かれている。

なんか旧ソ連の人たちは、こういう型にはまったやつが好きなんだよな。

Treatment-1としてまずバスに入る事に。着替える部屋の奥がバスタブの部屋。完全に一人用だ。

水は海水を汲んで温めているという。そこへ何かのオイルを入れる。そしてジェットバスだ。すごく泡立ってしまうのだが、石鹸ではなくオイルだという。何やらハーブの匂いで気持ちが良い。

いつも書くが、モンゴルの温泉以来、約30日ぶりの浴槽だ。

やっぱり日本人には風呂がある。

しかしこれは15分と時間が決められている様だった。

例によってお願いして少し長めに入ったが、モンゴルと同じように医療行為に近い様で、長く入りすぎると良くないという事だった。

今考えると、モンゴルのホジルト温泉は、完全にロシアのやり方を真似ているのだろう。

次にTreatment-2。別の部屋に移動。

観光客がすべておじい・おばあの為、若い人をあまり見ない。マッサージしてくれる人も相当年期の入った…、

と思ったが、以外にも若いすらっとしたエストニア女性。

うつ伏せになって上半身を揉んでもらうことに。

ゆったりとした音楽が部屋に流れて寝てしまいそう。気持ちが良い…。

基本的には普通のマッサージ。これも15分。

(もっとやって欲しいぜ!)

そして最後のTreatment-3として、泥風呂。これもモンゴルと似ている。

泥にくるまれて、さらに体にカバーを掛ける。これも15分。汗がじっとり出てくる。

モンゴルとは泥の成分が違う様で、泥をシャワーで落としても微妙に匂いが体に残っている。

これだけやってもらうと、さすがに体はホカホカ。ホテルの部屋に戻っても汗がなかなか止らなかった。

ようやくこの施設が、いわゆる温泉ではないことを知った。しかし“スパ”だという。

オーストラリア人に“スパ”の定義を聞いたら、温泉よりも広い意味があって必ずしも湧き出てくるミネラル豊富な温かいお湯を使わなくてもスパと呼ぶらしい。

だから実はこの“温泉へ行こう〜エストニア編〜”は少し言い過ぎかもしれない。

まあともかく本格派の温泉ではないものの、なかなか面白い場所だった。


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