まずは引き続き、スースからチュニス&カルタゴの日帰りツアーの話。
今度はカルタゴ編。
ローマが征服した場所には、円形劇場もさることながら浴場の遺跡が多いのだった。
バスは一路カルタゴへ。
紀元前、カルタゴは海上貿易や農業を中心に、多いに栄えた都市だったらしい。
しかし当時、イタリア半島を統一したローマと、シシリー島の帰属権など、地中海の覇権を掛け一戦を交えることになる。
結果、合計三回のポエニ戦争でカルタゴは3回ともに敗北。
ローマは、カルタゴの復活を恐れて、最後には廃虚に塩までまいたらしい。その結果、作物も育たなくなり、住む人もいなくなったという事だ。
その後、シーザーがカルタゴを復興させる(紀元前46年)。
そしてカルタゴは、ローマ、アレキサンドリアに次ぐローマ帝国の第三の都市にまでなるのだった。
しかし歴史は繰り返す。
その後、様々な侵略が相次ぎ、カルタゴは再び廃虚と化し、長い間歴史の舞台から忘れ去られた存在になる。
時は流れ、現代へ。
ユネスコが1979年に世界遺産に指定。10年を掛けた大規模な保存作業により、修復。そして現在、観光地となっているという話なのであった。
実はカルタゴ遺跡、かなり広範囲に広がっていて、ゆっくり見ていたら丸一日はかかる。
私の場合は特にスースから訪問しているので自ずと絞られてしまう。
しかしこのツアー、私にとって肝心な共同浴場だけに行くのだった。
アントニヌスの共同浴場
2世紀にアントニヌスという五賢帝の一人によって建築された広大な共同浴場である。何でも当時は2階建てで、風呂、水風呂、サウナ、噴水、談話室など、そうそうたる設備だったそうだ。
そもそもロケーションがすごい。地中海を背景に作られている。
そして使用する水は、60キロも離れた場所から上水道によってカルタゴに運ばれていたらしい。
ローマ人の風呂へのこだわりには感心しきりである。
あまりに修復後が激しいと興ざめする人もいるだろうが、是非、完全復活して欲しいものだ。
地中海を眺めながら、2000年前の風呂に入る。こりゃ、たまらない。
できれば、クレオパトラも付けて欲しい。
頑張れユネスコ!
(因みに、そんな予定は一切ないそうだ)
ハマム
再びスースの話。
ホテルからタクシーに乗ってメディナへ行く。
今日の目的はハマムと呼ばれるアラブの公衆浴場だ。場所がよく分からなかったのだが、誰に聞いても親切に教えてくれた。
聞いたところでは、朝5時から営業しているという。そして13時までは男性。14時から20時までは女性。そしてその後はまた男性という様に時間が決まっている。つまりハマムは男女兼用なのであった。
人々の指差す方向へひたすら歩いていくと、ここがハマム?というような入り口があった。
このスースのハマムの場合、人に聞かないと決してたどり着かないかもしれない。
ドアを開けて入ると入り口でお金を払うことになっている。
「マッサージもどうだ、全部で4ディナール(358円)」
という言葉に誘われ、そのまま払う。
受付の横では風呂上がりの人たちが、海の家みたいな感じで一段高くなっている床に寝そべっていた。
ゴザの代わりに薄い布団に枕。
写真は人気のない一瞬を狙って取っているものの、実際には人が多数いて、おしゃべりでとても賑やか。どうやらここはチュニジア人の絶好の社交場になっているようだ。
因みに、平日の午前中なんだが…。
受付のオヤジが、ここで服を脱げという。従う私。
しかし慌てて制するオヤジ。
パンツまでは脱ぐなというのだった。
さすがイスラム国家。同性といえども人前で丸裸にはならないらしい。
実は念の為、海水パンツを持っていたのだが、こうやれ、ああやれという勢いに押され、着替える間もなくパンツのまま奥へ案内されてしまう私。
奥へ入るとまずマッサージ部屋があり、その奥にはサウナがある。
メディナの基本的な色調は白とスカイブルーなのだが、このサウナの内側もスカイブルーに塗ってあるのだった。全体的にとても古い作りで、ハマムそのものの数世紀前にはここにあったという感じだ。
しかし、そのせいか残念ながらこのハマムには浴槽がない。
丁度一人が入りたくなるような湯槽があるのだが、ここはお湯を汲み出すところなのであった。バケツにお湯を汲み、足を漬ける。
そもそもサウナは蒸気に包まれているので、バケツ効果も加わって10分もすると自分でも驚くほどの汗が出てくる。
チュニジア人は、この中で体をこすったり、体操をするのだった。
のぼせてきたのでマッサージ部屋に移る。マッサージおじさんは3人いたが、何故か体重120キロ(推定)の人が私の担当になってしまうのだった。チュニジア人も歳を取ると太鼓腹になってくる人が多い。背は私より低いが、胴回りはものすごい。アブドラ・ザ・ブッチャーのチュニジア版という感じ。
台の上に仰向けになる。枕は木で出来ている。
マッサージと聞いていたが、体を揉むというよりは、拷問ストレッチという感じ。常にウ〜、という喘ぎが出るほど体をねじったり伸ばしたり。タイマッサージのアラブ版ウエットバージョンという感じ。
これを10分ほどやってもらうと、今度は垢すり。
マッサージのサービスに垢すりが入っているとは思わなかった。実はポーランドで垢すりタオルを忘れてしまって、以来適当に体を洗っていたので、垢を擦られると大量に出そうだ。
マッサージおじさんはまず背中をこすり始める。案の定、おじさんが嬉しそうに溜まった垢を見せてくれた(いいよ、見せてくれなくて)。かなり恥ずかしい。
仰向けにさせられ、脇腹辺りをこすり始めるブッチャー。
そして手を止めるブッチャー。
「おまえ、どこから来たんだ」
「日本だよ」
「おー!そうか、日本か、よく来た。ワールドカップ見たよ」
こすり始めるブッチャー。
手を止めるブッチャー。
「日本にもマッサージはあるのか」
「マッサージも垢すりもあるけど、チュニジアのとは違うなあ、これは最高だ」
「そうか、そうか」
こすり始めるブッチャー。
手を止めるブッチャー。
「チュニジアのハマムはどうだ」
「なかなか良いじゃないか、毎日来ようかな」
「そうだろ、また来いよな」
こすり始めるブッチャー。
ブッチャーは一応英語が話せるようだった。そしてこんなたわいない会話をするのだが、話すたびに垢すりの工程がリセットされて、左脇腹から始まるので、その皮膚はもうヒリヒリだ。
一通り終わると、なんだか“一皮むけた〜”という感じだ(左脇腹は実際にむけたかも)。
次にブッチャー、シャンプーはどうだと言ってくる。
隣の人を見ていると、どうやらシャンプーは持参しないといけないらしいのだが、ブッチャーが手持ちのやつを出してきて、私の頭に降り掛ける。泡立ったところで、顔、肩、背中、足と洗ってくれるのだった。
終わった後はドアで仕切られた小さなコーナーに行く。そこはあたかもシャワー個室なのだが、シャワーはなく、お湯の出る蛇口がある。ここでパンツを脱ぎ、自分で体をもう一度洗うのだった(もう一度洗いたくなる気分だったのでそう思うだけかも)。
おじさんは、どうやら私が受付でマッサージ代を払っていないと勘違いしたようで、「お金を頂戴」という。しかも皆にわからない様にうまくくれという。
まあ、ここまでやってくれたから、とチップを2ディナールあげた(179円)。どうもマッサージ代を入り口で払うと、マッサージおじさんの手元に届くときには相当少なくなっているので、常連客は皆同じように中で直接支払うようだった。
暑い中でのこんな過酷な労働なのだから、その気持ち、実にわかる。
温泉へ行こう
チュニジアを訪れる人は、確実に次の3つのタイプに別れる。
1.サハラ砂漠派
2.古代遺跡派
3.オーシャンリゾート派
私の場合、もちろん4.温泉 である。
首都チュニスの東にボン岬と呼ばれる半島があり、その【コルブス】の近くに【アインアトロス】という温泉があるという。
行き方をスースのインフォメーションで聞いてみると、まず【スース】から【ナブール】という街に行って、そこからバスに乗れと言う。そのバスは朝の6時半にあるよ、という事だったので、5時半起きで小旅行をすることにした。なんだか、リゾートらしくない忙しさだ。
地図を見ると、スースから直線で100キロほどだ。たいした距離じゃない。そう思ったのがそもそも間違いだった。
ホテルから温泉にたどり着くまでは、下記の交通手段が必要なのだった。
@ホテル---スースバス停 タクシー 10分 2.00ディナール 179円
Aスースバス停---ナブール 長距離バス 120分 4.24ディナール 379円
Bナブール---グロンバリア 地方バス 30分 1.20ディナール 107円
Cグロンバリア---ソリマン 乗合バス 10分 0.50ディナール 45円
Dソリマン---コルブス タクシー 30分 6.00ディナール 536円
Eコルブス---アインアトラス 徒歩 20分
結局、待ち時間等も入れると片道4時間の行程であった。そんなはずではなかったのだが…。
聞いた話では、B〜Dまでは一本のバスと言う話だった気がするのだが、それはこちらが勝手な思い込みだったのかもしれない。ともかく、最初からこれを知っていたら、きっと行かなかったから結果オーライだろう。
しかし、着いてみるとびっくり。壁からは大量のお湯が出ている。気温は15度くらいだから、もうもうと湯煙が立っている。温泉特有の酸化硫黄の匂いだ。
出てきたお湯は、石造りの通路を経て、海へ流れている。通路は途中、2メートルくらいの円形の湯殿?を通るのだが、ここにはお湯が溜まっていない。つまり温泉につかりたければ、地中海に入れ、ということなのだった。まさに究極の露天風呂。
壁から出ているお湯に持っていたキーホルダー型の温度計を入れてみると、簡単に表示いっぱいの50度に達してしまった。恐らくお湯自体の温度は、60度程度だろう。
円形の湯殿は、石が幾つか置いてあって、温かい石に足を乗せ温める。
時々熱いお湯に瞬間的に入れて、足湯にするのだった。
そんな感じだから、お湯が海へ流れている部分はきっと丁度良い湯加減だろうな。
この流れ出ている所を中心に、真っ青な青の地中海が、緑になっているのがわかる。
これは実に気持ちよさそう。
しかし、今日の地中海は、妙に荒れているのだった。
そして時間も悪く、現在は満ちている状態。
さらにお湯と海水が混じる場所は岩場なのだった。
こんな所で怪我をすると、ヨーロッパに帰れなくなる……。
周囲では観光客が楽しそうに記念撮影をしている。
物売りらしきある男が叫び出す。
『Extra hard, Extra hard』
さすがイスラム。大都市では禁止でも、田舎に来ると、こんな所でハードコアもの売るのか、と感心しながら、日本の皆様の為に値段を確認しようと振り向く私。
しかし、何の事はない、観光客を当て込んだポラロイド片手の写真屋さんなのであった。
何がエクストラハードだよ、あまりに健全すぎるぜ。
誰も海へ入ろうとしていない。
そもそも温泉に入る前に寒いのだ。こんな所でパンツ一丁になる奴などいないのであった。
それでもここで入らないと@〜Eまでの苦労が報われない。
でも怪我も恐いし、冷たいのも嫌だ。う〜ん、葛藤型複雑心理境地。
そして散々悩んだ挙げ句、日本人のエクストラハードを撮られ、
『ナカタ、温泉で怪我。試合を休場』とスポーツ新聞で叩かれそうなので結局断念する私であった。
コルブス
タクシーに乗って同じルートを帰る為、コルブスの街までとぼとぼと歩く。
しかし、アインアトラスからコルブスまで距離にして1キロちょっとだよなあ。
ここでも温泉が出ているかもしれないと、希望に膨らむ私。
コルブスに着き、その辺を歩いている人に聞いてみた。
「サーマルバスってこの辺りにない?」
ヨーロッパでは、“ホットスプリング”よりも、“サーマルバス”の方が通じるのである。
しかし返ってきた答えは、
「バスはないのでタクシーを使え」
そうなのだ。その人は英語をほんのちょっとしか話せないのであった。
困ったことに、ドイツ語の “バーデン”なんてのは通じない。ナチスがフランスを制圧したときに、その植民地であったチュニジアもその占領下に置かれたことがあるのだが、ここではさすがに通じない。
しかし、このコルブスというのは小さな村なのだが、歩き回っていると、一軒のサウナがあった。
まあ、ハマムみたいなものかもしれない。また垢すりでもしてもらうか、と入ってみる。
確かにサウナなのだが、蒸気を出すのは、何と待望の温泉なのであった。
シャワーみたいに天井近くからじゃんじゃんお湯が出ている。熱いのを堪え、すくって飲むと、先ほどのアインアトラスと同じ、ショッパ苦い。
そして何と、サウナの中に足湯があるのだった。直径1メートルくらいの半円系の湯殿だ。時々、交代でどっぷりと体ごとつかっている。
私が同じようにしたいのを知るやいなやチュニジア人たちが譲ってくれ、私は念願の温泉に入ることが出来たのだった! 祝! チュニジア温泉。
しかし、お湯の温度は45℃(推定)で、無茶苦茶熱い。5分くらいで入ったり出たりを繰り返す事になるのだが、ヨーロッパではこの熱さはないぜ、という自虐的陶酔複雑心理境地に達する私であった。
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