●かんべえの不規則発言



2001年1月






<1月1日>(月)

●新年だというのにインターネットを見ているオタクな諸君。明けましておめでとう。私は戦国時代の武将、黒田官兵衛である。ここへはときどきやってきて、管理人たる「かんべえ」君と雑談をしているので、当HPの古いファンは私のことをよくご存知のことと思う。

●今日から21世紀、ということはさておいて、われらが友人「かんべえ」君と話をしようと思ってやってきた。というのは、私もご多分に漏れず古い人間なので、インターネットで個人が情報発信をするとか、それにアクセスする人がたくさんいるという事態がよく飲みこめない。ホームページを運営している人はいくらでもいるが、「かんべえ」君が何を考えてこのページを続けているのか、あらためていろいろ聞いてみようと思う。例によって何日か続く話になるかもしれんので、この際、メールで質問を寄せてもらってもいいぞ。乞うご期待。(官兵衛)

○読者の皆様、21世紀が明けました。引き続きよろしくお願いします。さて、官兵衛師匠が変なことを言い出しました。近いうちに「ネットによる自己表現の可能性」について話し合おう、という企画を暖めていたんですが、フライング気味でここで始まってしまいそうです。官兵衛さんのことですから、尋常ではない切りこみ方をしてくるでしょう。どんな話になるか分かりませんが、ともあれ始まりはじまり・・・(かんべえ)


官兵衛:ということで今日は私が聞き手を務めるからね。よろしいか。
かんべえ:良くないですよ。落ち着きませんがな。そうでなくても世紀の変わり目に、HPの仕様を調整するのに一苦労しているんですから。
官兵衛:これで? 別にそれほど変わり映えしないじゃないか。
かんべえ:そうですよね。そうなんです。でもこの作業に半日かかってるんですぅ。この暮れの忙しいときに。家族の顰蹙も買っちゃったし。われながら何をしてるんだろう。でも夜になっても終わらないし。
官兵衛:君なんかが真剣に紅白を見てどうするんだ。
かんべえ:いや、サザンがレコ大を取りましたからちょっと驚きまして。芸能界も捨てたものではないなと。紅白も見ておかないと、今年は1度もカラオケに行ってないし。

官兵衛:心ここにあらずといった感じだな。では答えやすそうなところから行こう。あのね、前から気になっていることがあるんだ。このHPを読んでいるとね、@溜池通信本誌の文章、A本誌の最後についている"From the Editor"、B不規則発言、と3つとも文体が違うよね。器用なことしてるな、といつも感心しているんだ。なんでああいうことになるわけ?
かんべえ:うーん、それぞれに自然な選択をしているだけだと思うんですが。話をするとき、相手によって敬語使ったり、タメ口たたいたりするのと同じですよ。
官兵衛:じゃ、不規則発言から取り上げようか。あれは口語体というか、文章の語尾が常体(だ、である)と敬体(です、ます)が入り混じっているよね。なんでそうしているの?
かんべえ:ああ、それにときどき関西弁やくずした語尾を入れたりしますね。わりと意識的にそうしているんです。なるべく普通の話し言葉に近い感じにしようと思って。
官兵衛:インターネット用の文体というわけか。
かんべえ:そうです。ネットで文章を読むときは、いちいちプリントアウトしませんよね。読者は画面をスクロールしながら、さらっと見ていることが多いと思うんです。一本調子の文章だと、すぐに飽きられてしまう。そこでわざと感情をのっけた文章にするんです。
官兵衛:かなり意図的にやってるわけね。ところで顔文字をアクセントに使う人もいるよね。
かんべえ:使いません。嫌いだから。芝居の台本だってナレーションが入っているのは二流ですから。

官兵衛:"From the Editor"ではわりと丁寧な書き方をしているよね。
かんべえ:あれは昔、"Tradepia"という会社の広報誌の編集をしていた頃に、編集後記を書くときに使っていたスタイルなんです。会社の看板を意識しているから、ちょっとイイコぶりっ子している感じでしょ。
官兵衛:なるほど、ちょっと偉そうなことを言っても、最後はちょっと落として終わる、てなパターンが多いね。
かんべえ:わりと保身を意識していると思います。
官兵衛:なるほど、舞台裏を覗くといろんなこと考えているわけね。あそこがいちばん面白いという声もあるようだが。
かんべえ:そういう読者が多いみたいだから、最後にしてあるんです。ニューズレターの先覚者というと、高野孟さんの『インサイダー』ですけど、あれだと"From the Editor"は冒頭に来るんです。でもそれだと最後まで目を通してもらえなくなる可能性がある。
官兵衛:なるほど編集者らしい発想だね。

かんべえ:それ以外の本誌の部分は、普通に仕事で使う文体なんですが、これもいろいろクセがあると思いますね。
官兵衛:読みやすい文章だと思うよ。
かんべえ:そういってくれる人が多いのはありがたいんですけど、エコノミストの文章じゃないんです。用語の使い方なんてかなりいい加減だし。ちゃんとした人が読めば穴だらけだと思いますよ。
官兵衛:そういや「筋ワルな経済政策」みたいな言葉使いしてるな。
かんべえ:あはは、「筋ワル」って口癖かもしれない。
官兵衛:下手に理屈をこねるより、「筋ワルだから駄目」と言ってくれる方が分かりやすいよ。だいたい『溜池通信』はエコノミストというよりジャーナリストの文章だろう。
かんべえ:おっしゃる通りです。やれやれ、これは先が思いやられるな。

○紅白見ながら、なんでこんなものを書き始めてしまったんだろう。たぶん明日も続くと思います。ああ、もう21世紀なんですね。それではまた。


<1月2日>(火)

○正月のテレビはつまらないですな。年末はNHKで「映像の世紀」を見てれば良かったけど・・・・。ネットでインパク会場を覗いてみたら、案の定10分で飽きました。あれは学園祭と同じで、参加している人だけが楽しい思いをするんでしょう。それはともかく、意外な批評家の登場を前に、今日もキリキリ舞いをさせられそうです。(かんべえ)

かんべえ:ここの部分を誤解している人がいるかもしれないんで、もういっぺん強調しておきたいんですが、私はちゃんとしたエコノミストじゃないんです。
官兵衛:知ってるよ。というか、ほとんどの人にはバレていると思うぞ。
かんべえ:いや、たまに勘違いをしている読者もいるもので。いっときますが、私は留学経験もないし、修士も取ってないし、大学の卒業学部は社会学部だし、それもものすごく不勉強な学生でしたからね。今ある知識は、ほとんどが会社に入ってからの独学と耳学問です。だから「IS−LM曲線が下方に移動すると流動性のわなが生じる」みたいな話を聞くと、あわててサムエルソンの『経済学』をひっくり返さなければならない。そういう意味のコンプレックスは順当に持ってるんです。

官兵衛:気にすることはないんじゃないか。ちゃんとしたエコノミストだって、予想ははずしっぱなしなんだから。
かんべえ:80年代後半に、田中直毅さんの予測がことごとく的中した時期がありました。ああいう人がいなくなりましたね。90年代になってから、エコノミストの信用は失墜するばかりです。ところが予測がはずれればはずれるほど、エコノミストに対する需要は高まるようになっているんです。まるで悪い女に貢いでいるようなもんですな。
官兵衛:そういえば銀行の経営者が、「不良債権の処理は峠を越した」と何度も何度も繰り返して顰蹙を買っているよね。それと同じくらい頻繁に、エコノミストは「バブルの爪あとがかくも深いとは…」てなことを繰り返している。
かんべえ:エコノミストの予想が当たらないのは、視野が狭いからだろうと思うんです。これでも結構、著名な人も含めていろんな方と話をしたことがありますが、永田町政治のドロドロとか、朝鮮半島情勢がどうなっているかとか、ちょっと話がわき道にそれると、びっくりするほど無知な人が少なくないですよ。
官兵衛:日本中どこへ行っても専門馬鹿ばっかしだからな。エコノミストという仕事の枠内で考えればそれでいいのだろうけど、戦略家という意味ではゼネラリストでないと困る。
かんべえ:ゼネラリストなんて論外で、「国内政治の理屈が分かっていて、まともな外交・安保論ができるエコノミスト」でさえも、私の知る限り皆無ですよ。だから戦略家なんていないんです。

官兵衛:それは専門家になるから間違うんだろうな。400年前の時代を生きた戦略家として言わせてもらえば、予測を当てるときに重要なのは一に歴史観、二に心理学、三に記憶力だ。もちろん「無欲であれ」とか、「自分を過大評価するな」といった精神面の心がけは別にしてだよ。
かんべえ:今、すごく重要な指摘をいただいたと思うんですが、そういう予測ができる人は、今生きている人の中には思いつきませんねえ。
官兵衛:そりゃ滅多にいないよ。とにかく「日本はこれからどうなるか」といった大きな問題を考えるときに、細かなデータを分析することが重要であるはずがない。大事なの大局観だから。
かんべえ:うーん、大局観を養うのは、つまるところ歴史を学ぶということですよね。そういえば4年ほど前に中国の古典に凝って、『史記』と『資治通鑑』を一気に読んだときに、自分は将棋でいう「香車一枚強くなった」と思いましたね。
官兵衛:あはは、日本のインテリ層は昔からそれをやってたんだ。子供の頃からね。
かんべえ:最近、「ナレッジ・マネジメント」というコンセプトが、日本発で世界的に高い評価を得ているんですが、提唱者である野中郁次郎先生がこんなことを言ってます。漢籍はすぐれた人々の英知を美しい言語に凝縮している。だから、暗黙知を育てるのに適している。幕末から明治時代にかけてのエリート層は、幼少の頃から漢籍を丸暗記していた。だからconceptualでcreativeなリーダーに育ったんだと。つまり、大人になっていろんな状況に直面したとき、わけのわからなかった言語やイメージが立ちあがる。そういう教育法の優秀性は、どんどん失われつつあるんじゃないかと。

官兵衛:とまあ、そこまでいくのは理想論の行き過ぎだ。君らが読むなら現代語訳で充分だよ。今の時代の人は、英語やITの勉強もしなきゃいかんのだし。だが、中国の古典には膨大なケーススタディが積み上げてある。あれを全部研究したら、少なくとも「前代未聞」なんてことはなくなるんじゃないか。
かんべえ:そんな境地に達することができればいいんですけどね。私は自分の大局観にはそんなに自信がないから、迷ったときにはカジノで学んだ手口を使うんです。それは「ツイてるやつに乗る」「ツイてないやつの逆を張る」。
官兵衛:それは非常に実践的な手法だな。志は低いけど。
かんべえ:たとえば森田実さんという人がいます。「政治家の金を受け取らない政治評論家」という一本筋が通った人らしいんですが、このところ何を言っても当たらなくなっている。加藤政局のときなんか典型的でした。文章を読むと、本人が熱くなっているのがわかるんです。こんなのは絶好のマイナス指標ですよね。森田が言っているからには、そうはならないだろう、と読む。こんなにありがたい存在はありませんよ。そういう指標をたくさん作っているんです。誰と誰が該当するかは企業秘密ですけど。今はインターネットのおかげで、誰が何と言っているかがすぐに分かるし。
官兵衛:自分の予想をネット上で公開しておく、ということは常にその危険があるんだな。そのうち君も『溜池通信』の逆を張れ、と言われるようになるかもしれないな。

かんべえ:ありそうだなあ。私は少数意見と逆説が好きだから。というより、多数派の意見は口にするのもあほらしいと思うタチだから。
官兵衛:多数派の意見というのは、それなりの地位の人が言うときは値打ちがあるけど、君なんかが言っても意味ないじゃないか。
かんべえ:そうなんです。でも世の中には多いんですよ。わざわざ年賀状で「今年の日本経済は危機的なことになるだろう」とか、「80年代の日本はジャパン・アズ・ナンバーワンと浮かれていたが、バブルが崩壊してナントカカントカ…」みたいな底の浅い議論を書いて送ってくるやつが。
官兵衛:それって本人は真面目な好人物なんじゃないか。
かんべえ:でしょうね。でも、どっかで聞いたような、受け売りの議論が多い。
官兵衛:オリジナリティのある議論ができる人は、この世の中には極端に少ないんだよ。

かんべえ:私の長い友人でKという男がおりまして、彼は政治ジャーナリストでいつも読み筋を教えてくれるんです。彼の話はいつも意外性に満ちていて、あっと驚くような展開を指摘するんです。ただし現実はさすがにそれほど突飛なことにはならない。予想が当たる、外れるということでは、むしろ外れることの方が多いと思います。ところが彼が示唆するシナリオというのが、見事に現実の補助線になっているんですね。
官兵衛:それは価値ある意見だよね。オリジナリティのある意見は、たとえ外れることになっても聞いておく意味がある。
かんべえ:外資系のアナリストがプレゼンテーションをやって、「君の意見はわれわれのコンセンサスに近い」と言われたら、それは誉め言葉ではないんだそうです。「せっかく時間をとって聞いてやったのに、もうちょっとオリジナリティのあることは言えないのか」というお叱りだと受け止めるべきなんだとか。
官兵衛:そりゃそうだ。デシジョン・メーカーの立場になれば、コンセンサスに近い意見なんて聞いたって無駄じゃないか。第一、すぐに忘れちゃうよ。
かんべえ:そこまで分かって、初めて戦略家なんですよね。

●気がつくと、また私ばかりが話をしてしまっている。かくてはならじ。明日はかんべえ君のプライバシーにも切り込んでみるつもりだ。よろしく。(官兵衛)


<1月3日>(水)

かんべえ:官兵衛さん、ここで読者からの質問が来ています。昨日の発言についてですけど、「予測を当てるときに重要なのは一に歴史観、二に心理学、三に記憶力だ」とあるうち、「記憶力」というのが今一つピンと来ません、という方が約1名。これ、ほかにも大勢いると思うんです。もうちょっと解説をお願いします。

官兵衛:そうだね、じゃ、こんなふうに言ってみようか。まず先を読むときに大事なことは過去を知ることだ。明日何が起きるかということは、過去1ヶ月くらいを丹念に調べれば、おおよその見当はつく。向こう1年を予想するときは、30年くらいさかのぼる必要があるだろう。向こう10年となったら、これはもう歴史全体を学ぶしかない。とにかく昔のことを覚えておくというのが基礎動作になる。つまり記憶力がなかったら、思考は先には進めない。
かんべえ:つまり現時点の情報だけを完璧に集めても、時間軸を持たずにいると意外な落とし穴にはまるということですね。
官兵衛:端的に言ってしまうと、人も集団も同じことを繰り返すものなんだ。とくに失敗経験をね。ごくまれに失敗から学ぶという天才がいるけど、それは曹操とか織田信長とか、とにかくすごいレアケースなんだ。それ以外の圧倒的多数である凡人たちは、懲りずに何度でも失敗を繰り返す。だから自分と他人の失敗体験というのは、とことん覚えておく必要がある。
かんべえ:今月10日発売の中央公論で、私の友人が「奉天とノモンハンの間」という論文を発表するんです。日露戦争で大戦果を上げた日本が、瞬く間に没落したのはなぜか、という研究でして、これがもう身につまされる話が満載なんです。現代日本が抱える病理と同じ症状が、当時もいっぱいあったんですね。
官兵衛:でも、そういうイヤな話というのはすぐに忘れてしまうだろう。だから同じ失敗を繰り返すことができるんだな。
かんべえ:だから記憶力が大切と。

官兵衛:そう。で、記憶力に自信がついたら、こんどは関係者の身になって考えてみること。これが心理学だな。
かんべえ:心理学の理論を学ぶ必要があるわけじゃないですよね。
官兵衛:もちろん。これは常識とか感受性の問題だよ。
かんべえ:これはちょっと畏れ多い例なんですが、今上天皇は終戦を迎えたときに12歳だったんですよね。で、12歳の少年にとって、当時の状況はどんなものだったかと考えたら、これはちょっとショッキングだったと思うんですよ。日本がどうなるか分からない。自分も最悪殺されるかもしれない。120数代続いた家系が自分で絶えるかもしれない。で、自分の父は神様から人間になってしまう。こんな劇的な体験をしたら、一生の人生観を規定されても不思議はないですよね。
官兵衛:ま、普通の人はなかなか天皇の気持ちになることはできないだろうけど、そうやっていろんな立場からモノを考える習慣をつけることは大事だよ。だからイマジネーションが必要ということだな。

かんべえ:その上に来るのが歴史観ですね。
官兵衛:こればっかりは自分なりに組み立てるしかないね。
かんべえ:いつも思うんですが、司馬遼太郎や塩野七生さんのような歴史家は、いいことを言いますよね。
官兵衛:いい歴史家を持っている国は幸福だよ。イギリス人は植民地すべての歴史を自分たちで書いた。アメリカ人は記録を残すことにかけてものすごい情熱を持っている。
かんべえ:キューバ危機の際のデシジョン・メーキングなど、とことん研究され尽くして、しまいには映画にまでなってます。でも日本には太平洋戦争の戦史さえないんです。
官兵衛:そりゃもう記憶力以前の問題で、現実を直視する勇気がないわけだな。
かんべえ:先日、台湾人の研修生に「日本の歴史を勉強したいんですが、何を読めばいいですか?」と聞かれて、「日本には正史がないんですよ」と言ったらびっくりしてました。しょうがないから、中央公論社の日本の歴史シリーズを推薦しておきましたけど。日本てのは変な国で、世界の歴史を勉強しようと思ったら、これほど資料が揃っている国はないと思うんですが、日本史についてはグレーな部分があまりにも多いんですよね。
官兵衛:紀元後5〜6世紀のことがよく分かってない国なんて、あんまりないんじゃないか?国民的英雄であるはずの聖徳太子でさえ、梅原猛から黒岩重吾、果ては山岸涼子の『日出処の天子』まで解釈が分かれちゃうんだから。

○――ベルリンのSさん、そんなところでよろしいでしょうか?明日はニューズレターという形式について、話を続けてみたいと思います。


<1月4日>(木)

官兵衛:今日は、君がなんでニューズレターを始めたか、というところを聞いてみたいんだけど。
かんべえ:ちょっと話が長くなるかもしれませんが、ニューズレターに関心を持ち出したのは、かれこれ10年以上前になるんです。ちょうど中曽根裁定で竹下首相が誕生して、リクルート事件で吹っ飛ぶあたりの頃です。当時の私の仕事は、広報室で月刊のPR誌を作ることで、たかだか26歳くらいで編集作業を丸ごと任せられてました。上司に相談するのは何か問題が起きたときだけ、という編集者としては夢のような勤務条件だったんです。で、勝手に企画立てて、いろんな人に会って、どんどん記事書いて、上司は結果を見てるだけ。
官兵衛:若気の至りを満喫してたわけね。
かんべえ:そうなんです。その調子で好き勝手やって、連日のようにイキのいい情報のシャワーを浴びていたら、耳年増になってしまったんですよ。新聞や雑誌の記者と仲良くなると、マスコミ情報がいかにいい加減に作られるかも見えてくるし、広告代理店の構造なんかも分かってしまう。とくに衝撃的だったのは、昭和天皇のXデイが近づいて、マスコミが完全に萎縮してしまったこと。既存のメディアって何だろうと思っちゃいましたね。それで大手でない媒体に着目するようになりました。『噂の真相』や『創』を読んだり、『選択』もその頃からのつきあいですね。で、とくに情報源として面白いと感じたのが、高野孟さんがやっていた(今も続いてますけど)『インサイダー』だったんです。

官兵衛:それがニューズレターの草分けだったわけだな。
かんべえ:のちに高野さんには仕事を頼んだりするようになって、いろいろ勉強させてもらいました。非常にいい人で、最後に会ったのは2年前のパーティー会場だったかな。まあ、自分としては師匠のひとりだと思ってます。
官兵衛:でも高野孟って左翼だろ。君はどっちかというと右翼なんじゃないの。
かんべえ:そうかなあ。保守的であることは認めますけど・・・・歴史認識とか社会政策については、むしろリベラル派かもしれませんよ。
官兵衛:どっちでもいいけど、左翼からは程遠いことは認めるだろう。
かんべえ:それはそうです。私の世代(1960年生まれ)は、少し上には左翼の残骸が残っていて、少し下には新宗教にはまっているのがいるんですけど、信じるものを持たない、現実的な連中だと思っています。私自身が宗教やイデオロギーを全然受け付けないタイプですし。そういえば小さい頃に、ほとんど直感的に「こいつは悪いやつだ」と思ってたのが3人いるんです。でも周囲の大人たちはみんなその3人がエライ人だという。今になったらやっぱり俺が正しかったと思ってるんですが、その3人が毛沢東、美濃部都知事、それにサルトル。
官兵衛:要するに観念的なものが苦手な世代なんだな。

かんべえ:で、1991年からワシントンに長期出張するんですけど、これが政治と情報の都で、一気にかぶれてしまうわけです。現地ではこういうのを「ポトマック・フィーバー」と呼ぶんですが、もともと下地があったところが真性の政治オタクになってしまった。半年もたったら生活にもなれて、何か書きたくてうずうずしてきた。そこで『ワシントン・ウォッチャー』というニューズレターを作って、月1回、東京にいる知り合いたちにファックスで送り始めたんです。ワープロでA4サイズ5枚程度なんですが、今見ると笑えるのが、タイトルの下に「30人のための情報誌」と書いてある。本当の読者は13人くらいだったと思うんですが。
官兵衛:中味は何を書いていたわけ?
かんべえ:ソ連の崩壊とか、大統領選挙とか当時の話題です。そこで「民主党はクリントンで一本化するだろう。ブッシュとの対決は意外な接戦になるのではないか」などと書いてある。92年3月頃のことです。文章のスタイルなんかも、ほとんど今と変わらない。
官兵衛:その頃からクリントンびいきだったわけね。
かんべえ:日本に帰ると、「クリントンが勝つなんてそんな馬鹿なことがあるか」とみんなに言われましたけど。

官兵衛:ところでそのニューズレターは、制作費や資料代はもちろん、ファックスを送信する費用も自分で出してたわけでしょ。完全な持ち出しだよね。
かんべえ:もちろん。当時のことですから、1通送るのに2ドルくらいかかっていたと思いますよ。
官兵衛:なぜそこまでするの。
かんべえ:目立ちたがりだからでしょうかね。私の場合、「書きたい」という欲望が、ほとんどイコールで「読まれたい」という願望と重なっているんです。だから、ついサービス精神を発揮してしまう。
官兵衛:普通はそれだけコストをかけたら、対価を取ろうとするもんじゃないの。
かんべえ:そりゃ金はほしいけど、情報は金にならないって諦めが最初からありますんで。当時のニューズレターには、表紙に「歓迎、無断転載」と書いているんです。高野さんにも送っていたから、『インサイダー』が「現地のY氏によれば・・・」と引用してくれたこともありましたよ。
官兵衛:よく言えばボランティアだけど、悪く言えば売名行為だな。
かんべえ:あはは―、まさにそう。今から考えると、その精神がこのHPにもつながっているんです。口上の中でも「禁・無断転載とはいいません。でも利用は自己責任で」ということにしてある。そういう割り切りは昔から変わってないんです。

官兵衛:ところでワシントンといえばニューズレターの本場だよね。
かんべえ:そうなんです。この世界でいちばん高価なのは、「ジョンソン・スミック」という通貨マフィアが発行しているレポートなんですが、これは会員が世界で数十人しかいなくて、年会費が20万ドル。金融の世界で大きく相場を張る人にとっては、安いものなんでしょうけどね。読んでみると、「なるほど、セントラルバンカーというのは、こういう考え方をするものか」が分かるという代物です。
官兵衛:やっぱり金になるニューズレターもあるわけだね。
かんべえ:でもほとんどは儲からないんですよ。当時のワシントンで、日本向けに木村太郎レポートというのが発行されていたんですが、これが面白かった。内幕を聞いたら、ウォール・ストリート・ジャーナルあたりの記者にアルバイト原稿を書かせていたんだから、情報が正確なのも当然なんです。私も年会費5万円を自腹で払って購読してましたが、やっぱり廃刊になってしまった。それだけでは元が取れなかったんですね。
官兵衛:情報に身銭を切るのはいいことだけど、君も好きだなあ。
かんべえ:舛添要一がやっていた『マスゾエ・アナリチカ』というニューズレターがありましたが、これも私は会員になったけど、最後は廃刊になりましたね。これなんかは広告を載せていた。それでも金銭的に成り立たなかったんですね。でも広告を載せるというのはニューズレターとしては完全に邪道で、東京電力の広告乗っけて原子力の悪口は書けないですからね。とにかく、ニューズレターというのは、経済的に成立させることが非常に難しいツールなんです。

●かんべえ君のオタクぶりがどんどん明らかになっていくような対談だが、明日はぜひ「溜池通信」誕生の秘話について迫ってみようと思う。(官兵衛)


<1月4日追加>(木)

○と、ここで対談をちょっと休んでコメントを少々。「敵の予期していないときに動く」のは兵法の初歩。意表を突いて周囲を「あっ」といわせれば、どんな目論見も半分は成功したも同然です。その点、昨日のグリーンスパン議長の利下げ実施は実にお見事でした。NY市場の驚きぶりは、「虎年の獅子座」さんが生々しくレポートしてくれています。老カリスマの英知は米国株式市場にポジティブ・インパクトをもたらし、アジア市場にも福音をもたらしました。唯一、恩恵が届かなかったのがわれらが日本市場。さて、これをどう考えるか。

○グリーンスパン議長のファインプレーを見て、「だから米国経済は大丈夫」と見るのが普通なのでしょうが、「そこまで追いこまれているのか」という見方もできると思います。つまりグリーンスパン議長は、米国経済が一般に思われている以上に悪いという感触を得ているのではないか。その場合、市場が気づいていない新たな悪材料がこれから出現することになりますから、波乱は続くと考えねばなりません。そっちの可能性も低くはないと思います。

○ひとつ分からないのが、ブッシュ政権との「間合い」です。20日の大統領就任式を控え、ローレンス・リンゼー氏を経済担当補佐官に指名するその日にぶつけるかのように、大胆な決定で大向こうをうならせた。まるで「経済は私に任せておきなさい」といわんばかり。これで本当に株価が反転すれば、加藤政局を一発で静めた野中さんのように、誰も口出しできないくらいの発言力を持つことでしょう。ただし今回の決定に、そういった政治的配慮があったとは考えにくい。そこまで狙ったら、グリーンスパン氏は中央銀行家としてやり過ぎである。だとすると、「ブッシュ政権を刺激するかもしれないと思いつつ、やむを得ずにやった」ということになる。やっぱり切羽詰っていたのではないか。

○さて、仮に米国株式市場の波乱が続いた場合、哀れな日本市場はどうなるのか。別に開き直るわけじゃありませんが、「世界で唯一、米国市場とリンクしていない市場」が、絶好の投資先になるということもあるんじゃないだろうか。なにしろ日米のマクロ経済指標は、ずっと対照的な動きをしてきました。2001年の株価は、意外と「米国が沈んで日本が浮かぶ」んじゃないか。・・・・というと希望的観測が過ぎるようですが、なんだか大きな潮の変わり目を目撃しているような気がしてしょうがない昨今です。


<1月5日>(金)

官兵衛:で、アメリカの話はもういいの?
かんべえ:話すと長くなるし、あんまり自信もないからやめときます。
官兵衛:語り尽くせぬことに対しては沈黙しなければならない。ヴィットゲンシュタイン。
かんべえ:代わりに語れることならば、なんでもお話しましょう。

官兵衛:では伺うが、なんで『溜池通信』は誕生したの?
かんべえ:えー、1995年の春から、今の職場でエコノミストもどきの仕事を始めたわけですが、以来ずっと月に1回ずつ、世界経済に関する短いコラムと、米国情勢に関するリポートを社内向けに書いているんです。ところがこれが、まーったく読んでもらえない。無駄な紙の山をこさえているような状態だったんです。96年に社内LANができて、WORDファイルを社内で送れるようになってから、状況は少し改善するんだけど、やっぱり月に1回の更新では読者の興味をひかないんですね。そこで「毎週1回の情報発信が出来ないだろうか」と考えたわけ。いろいろ考えた挙句に思いついたアイデアが、『今週の"The Economist"から』だったんです。
官兵衛:ほほー、あれが先にあったのか。
かんべえ:"The Economist"誌は1993年からずっと自宅で購読していたんです。英語はむちゃくちゃ難しくて、今でも知らない単語ばっかりですけど、歯ごたえのある記事が多いですからね。毎週、面白そうな記事を3本選んで、それを思いきり短くしてA4一枚に集約する。それを毎週金曜日に社内LANに乗っけてみました。そうしたらそこそこ注目してもらえたんですね。社員はそれを勝手にダウンロードして、客先に持っていったりする。あるときなんぞは、関西電力にいる友人から電話がかかってきて、「お前の書いたの、ここへ来てるぞ」と教えてくれた。というわけで、調査セクションからの情報発信というのは、とにかく頻度が高くなきゃ使ってもらえないということが身にしみたんですね。

官兵衛:なるほど、企業のIT武装が進むと情報の流れは加速するんだな。
かんべえ:『今週の"The Economist"から』は結局、2年半ほど続けました。ちょうど98年に国際会議ラッシュが一段落した頃に、ふと「週刊のニューズレターを作ってみようか」という欲が出て、そしたらふと『溜池通信』という名前が脳裏に浮かんじゃったんですね。これはできるんじゃないかと。
官兵衛:名前が先にありきだったの。
かんべえ:そうなんです。で、名前を決めてWORDに打ち込んで、HG正楷書体にしてゴシックをかけたら、なんとなくそれらしく見えてきた。あとはもう簡単で、特集を1本か2本。"The Economist"から1本だけ要約を作り、あとは編集後記ということでスタイルができちゃった。創刊準備号を作ったのが99年の2月。講演会で聞いてきた榊原財務官(当時)の発言内容と、景気対策として消費税率引き下げの可能性があるかもしれないという話を書いたんです。
官兵衛:当時の評判は?
かんべえ:会社が大変なときに、お前は何を暇なことをしているんじゃ、と怒った人がおりました。
官兵衛:あはは、でも会社員としては笑い事じゃないな。
かんべえ:怒る人の気持ちは分からなじゃないんで、これは仕事じゃない、俺の趣味でやってるんだということにして、以来、執筆作業はほとんど自宅でやってます。資料を探すのは会社でやることが多いですけど。

官兵衛:でも社内LANには乗せているんだろう?
かんべえ:ええ、99年からはイントラネットが主流になったんで、ますます便利になりまして。もうレポートを紙で届ける時代ではなくなったんですね。おかげで情報伝達のツールとして、ニューズレターの利便性が一気に高まったと思います。
官兵衛:それからもう2年近く書き続けているわけだよね。最近の社内の評判はどうなの。
かんべえ:さすがにこれだけやると読者が増えまして、気がついたら役員が読んでいたり、社外のいろんなところへ流れていたりしています。
官兵衛:ということは、もう仕事の一環になっているわけだろう。
かんべえ:そうとも言えるんですけど、あいかわらず位置付けはグレーのままなんです。「これはボランティアだ」と言えば、言い張れる状態。おかげでテーマから表記に至るまで、社内の誰の指図も受けていません。「来週は休みます」と言っても怒られない。
官兵衛:内容について社内で問題になったことは?
かんべえ:いつかあるんじゃないかと覚悟してるんですけど、幸いにしてまだありません。ふだんから最低限の保身はしているつもりですけど。

官兵衛:うーん、さっきからの話を総合すると、君の職場ってのは懐が広いというのか、いい加減というのか・・・・
かんべえ:でしょう?これ読んで呆れかえる人は多いんじゃないかなあ。

●かんべえ君の『溜池通信』誕生秘話への皆さんの印象はどうだろうか。さて、次なる問題はこのホームページが誕生したいきさつである。それについては明日、聞くとしよう。(官兵衛)


<1月6日>(土)

官兵衛:このHPが誕生したのはいつだったの?
かんべえ:実はよく覚えていないんです。99年8月の下旬だったと思うんですが。
官兵衛:普通、感動して記念日にしたりするもんじゃないのか。
かんべえ:私の場合、技術的なことは全部配偶者に投げてましたから、完成したときの感動が薄かったのかもしれない。
官兵衛:ますますいい加減なやつだな。それじゃあHPを立ち上げたきっかけは何だったのさ。
かんべえ:覚えているのは、当時イヤーなことが続いて、ユーウツな気分だったことですね。とくに家族が入院して、夏休み全部使って看病したときは非常に疲れまして。それで休みの終わりに、いっちょ気分転換してやろうというのが直接の動機だったと思います。

官兵衛:ということは、かなり前から構想はあったわけだな。
かんべえ:その時点で『溜池通信』は半年分の書き溜めがありましたから、これをもっといろんな人に読んでもらいえるようにしたいとは、ずっと前から思ってました。それから、毎号書くたびに社外の知り合いに送っていたんですが、送り先がだんだん増えて面倒になっちゃったんですね。そこでHPで掲示して、URLを教えることにすれば楽できると。それでフロントページにたくさんPDFファイルをくっつけた、簡単なものを作った。それが当HPの誕生ですね。
官兵衛:当時は週に1回更新だった。
かんべえ:そりゃもう非常に地味なサイトで。といって今も地味ですけど。宣伝も身内にしかしてないんです。それでも伊藤洋一さんが日記に書いたり、岡崎研究所がリンクしてくれたりするから、ちょっとずつ固定客が増えまして。モスバーガーの経営理念によれば、「どんな不便な場所でも、うまいものを出していればお客さまは来てくれる」んだそうですが、HPの繁栄もそれと同じで、ちゃんとしたコンテンツを定期的に流せばカウンターは回るんだろうと思うんです。あんまり宣伝やリンクは関係ないんじゃないか。というより、アクセス数を増やそうという努力を意図的にやらなかったというのは、正しかったなと思っています。

官兵衛:それからこの「不規則発言」が始まったよね。
かんべえ:99年の10月くらいに、おそるおそる始めました。99年の通常国会で例の通信傍受法案が通ったとき、参議院で円より子議員がフィリバスターをやったんですよね。そしたら自民党の某議員から「あんたも離婚しただろう」という野次が飛んで、女性議員がいっせいに猛反発して国会が止まった。これを称して「不規則発言」と呼んでたんですね。それを聞いた瞬間に、「あ、これはいける」と。
官兵衛:不規則発言というのは、本来が国会における野次を呼ぶ用語なんだね。
かんべえ:当初は自分のことだから、きっと日記なんて続かないだろうと思ってたんです。そこで空白ができても、「不規則発言」という題名なら許してもらえるかと。
官兵衛:でもほとんど毎日続いてるね。
かんべえ:最初は飲んで帰った日なんて更新できるはずがないと思ってたんです。ところが飲んで帰った日のほうが材料も豊富で、意外と書きやすかったりする。飲んで、電車の中で熟睡して、自宅で12時過ぎに書いていることって多いですよ。
官兵衛:そういえば午前3時更新なんてことがよくあるよね。
かんべえ:今やこのHPを見てる人の多数派は「不規則発言」のファンで、「溜池通信」はあんまり読まれていないような気がするんですよ。

官兵衛:その理由はどの当たりにあるのかな。
かんべえ:やっぱり頻度でしょう。「毎日かならずやっている」という信頼感があるからじゃないでしょうか。私自身も、毎日一度はアクセスしたいサイトってありますもん。で、更新してあるのを見ると安心するというのが。
官兵衛:不規則発言で書いている内容についてはどんなことを考えてるの。
かんべえ:平日はなるべく固い話をして、土日はなるべく軟派な話をする。たまーにガンダムとか愛のコリーダの話を書くと、ちゃんと反応してくる読者がいるんですよ。うれしいことに。
官兵衛:メールはどのくらい来るの。
かんべえ:会ったことのない人からのメールはそれほど多くないです。今は年末年始なんで、ちょっと増えてますけど。やっぱり多いのは知り合いからですね。「昨日書いてたの良かった」とか、「ここが間違っている」とか。なかにはすごい長文をくれる人がいまして、すごく教えられることは多いですよ。

官兵衛:HPをオープンして良かったことって何だろう。
かんべえ:ひとつは緊張感を持って文章を書ける、ということだと思います。人に読まれない文章って、いくらたくさん書いても意味ないですから。次にレスポンスをもらえるということ。レベルの高い読者が多いですから、これは助かります。それと3番目は、自分なりの一種の知的財産を持っているということですね。過去2年ほどの自分の思考のうち、かなりの部分がこのHPの中に記されているわけですから。そういう意味では、いちばん積極的に利用しているのは自分自身だということになると思います。


<1月7日>(日)

官兵衛:僕のそもそもの問題意識は、個人がこういう情報発信の手段を持つということは、何を意味するかということなんだな。昔、「洛陽の紙価を高める」という言いかたがあった。中国のインテリにとっては、文名を上げて千載に名を残すというのが究極の理想だった。そのためには都に出て優れた作品を発表し、高い評価を得る必要があった。誰でも出来ることじゃないよね。
かんべえ:つまりインテリで金持ちで運が良くないと、才能は発揮できなかったわけですね。
官兵衛:その状態は多かれ少なかれずっと続いていた。ところがインターネットというのは、既存のメディアの手を中抜きして直接情報発信をすることを可能にするわけだよね。うまくいけば、これまで顕在化することのなかった才能を発掘することになるんじゃないかと思うんだ。
かんべえ:インターネットがもたらす才能のビッグバン、ということですね。
官兵衛:そう、ホームページがルネッサンスを生む、という仮説。どうかね。

かんべえ:うーん、そういえば私自身がいろんな人のHPを読んで、感動したことがたくさんあるんですね。たとえば日記サイトではわりに有名な菜摘ひかるさんという人がいるんです。ライターで、漫画も描いて、以前は風俗の仕事をしてたというユニークな人なんですが、少し前の彼女の日記には本当に脱帽という感じでしたね。99年夏頃に、彼女が離婚を決意するくだりがあったんですが、連日、ドロドロの心情を吐露するんですけど、それを表現することで彼女自身が気持ちに区切りをつけて、昇華している過程がリアルに読み取れて、本気で感動しました。当時、光文社のM記者に「菜摘ひかるって直木賞取れるタマじゃないのか」とメールを送ったら、「吉崎さんみたいなことをいう人が10人くらいいます。先物買いとしては悪くないと思います」という返事が来た。ところがその直後に週刊宝石は彼女の連載を打ちきってしまうんだな。Mさんには悪いけど、あれじゃ休刊になるのも無理はない。
官兵衛:ふーん、変なもの読んでたんだ。
かんべえ:もっと正直に言えば、ネットの大海を泳いでいるうちに、「世の中にはこんなにすごい才能があふれていたのか!」と何度も驚いちゃったんですね。それこそ、「オレは文章がうまい」みたいな思い込みが打ち砕かれる気分を何度も味わいました。才能発見とまでいかなくても、「2ちゃんねる」なんて本当にすごい書きこみがいくらでもありますもん。「へえーっ」と感心するくらいは当たり前で、いつぞやは過去の悲恋を告白する文章を読んでて、深夜に泣いちゃったこともありましたよ。素人がこんな文章を書く時代に、プロの作家はどうやって生きていくんでしょうね。
官兵衛:だから本が売れなくなってるんだろう?無理ないよね。強力な競争相手が誕生しているんだし、誰しも1日は24時間しかないんだから。

かんべえ:一対多、多対多のコミュニケーション手段って、以前は非常に限られたシチュエーションしかなかったと思うんです。少なくとも講演会とかパーティーとか、関係者が1箇所に集合しなければならなかった。ところが80年代末にダイヤルQ2が誕生した頃から、「ヴァーチャル空間でのコミュニケーション」という手があることが分かってきたと思うんです。90年代前半にはニフティの会員数が増え始めて、今度はパソコン通信という手段に関心が集まる。95年にWin95が発売されてからは、一瀉千里という感じでインターネットが広がった。
官兵衛:10年かけて、一対多、多対多の情報伝達が簡単に出来るようになってきたわけね。
かんべえ:そのことによって、これまでだったら伝わらなかったようなことが知られるようになったとか、意外な才能が生まれるようになったというのはたしかにあると思います。問題はその先がどうなるかですね。

官兵衛:おそらくそこでネックになってくるのは、ネットによる情報発信では経済的なリターンが得にくいことだよね。広告収入なんてたかが知れているし。
かんべえ:ネットで情報発信すれば、経済的な負担が小さいことは間違いないんですよ。自費出版することを考えればね。たとえば北原白秋は『邪宗門』を自費出版しました。彼は親が金持ちだったからできたけど、石川啄木はそれができなかった。今なら二人ともたぶん違う手段で自己実現ができる。
官兵衛:でもネットで金は稼げない。田口ランディみたいにネット出身の作家も誕生しているけど、ネットで名前を売って、それで本を出して儲けるというんだったら、今までとあんまり変わらないだろう。
かんべえ:うーん、そのとおりですね。この際、悔しいけど金のことは考えないでおきましょう。
官兵衛:いい心がけだ。インターネットで金は儲けられないが、情報は発信できるし、才能も開花する
かんべえ:そしてホームページ・ルネッサンスが始まる。そうだとすると、実はいちばんの才能はすでに生み出されてしまっている可能性がありますね。アントナン・アルトーだったかが、「すべての運動はその初期において頂点に達する」と言ってます。推理小説はコナン・ドイル、ハードボイルドはチャンドラー、戦後日本の漫画文化は手塚治虫、だいたいその道で最高の天才というのは、いちばん最初に出てしまうものですから。
官兵衛:ほほう。でも天才のあとにいろんな才能が続くことで、新しいジャンルの文化は繁栄するわけだよね。
かんべえ:そうだと思います。さて、今のネット上でそんな天才っているのかな。


<1月8日>(月)

●年明けから延々とやってきたこの対談、なんだか焦点が絞りきれなかったような気もするが、貴重な発言も少しはあったかな。さて、連休の終わりとともに、21世紀冒頭対談もフィナーレとしよう。(官兵衛)

官兵衛:ネットで情報公開を始めたことによって、かんべえ君自身も進歩したといえるかね。
かんべえ:自分では何とも言えませんけど、不規則発言の海外紀行編なんかは今読み返しても面白いですね。HPを作ってて良かったと思います。
官兵衛:ベトナム編東南アジア編ニュージーランド編だな。
かんべえ:ホーチミンでホーというベトナムうどんを食べる話を書いたら、ワシントンで読んでいたHさんが「なんて美味そうな」と思ったんだそうです。これってとってもいい話じゃないかと。
官兵衛:東南アジアの5都市を回ったときも楽しかったね。あれって出張報告のメモがわりに毎晩書いてたわけだろう。それをネットで公開すると、読み物として意外と面白かったりする。自分が便利だと思うものをオープンにすると、他人にとっても使い道がある。おそらくインターネットの原理というのはボランティア精神にあるんだな。

かんべえ:それと好評をいただいたのが「官兵衛vsかんべえ」の対談シリーズですね。とくに去年5月の連休にやった「参謀論編」のレスポンスは多かったです。「官兵衛さん」は読者に人気があるみたいですよ。
官兵衛:そんなこと言ったって、ワシは君が創り出したヴァーチャルな存在じゃないか。
かんべえ:ははぁ、それを言ったら「かんべえ」もヴァーチャルな存在ですよ。
官兵衛:自分では言いにくいことを言わせるためにワシを作っとるんだろうが。
かんべえ:あ、そんなことないですよ。フィクションを書いているときに、キャラが勝手に動き出すという現象があるでしょ。官兵衛さんの場合はもう完全にそれ。この対談はほとんど「お筆先」状態で書いていますから。
官兵衛:じゃ、何だ、ワシは背後霊か。
かんべえ:とは言いませんけど、ほとんどコントロール不能な論客になってますよ。とにかく対談形式にしたおかげで、普通だったら書けないような知恵がたくさん出てきたと思う。いつも感謝してます。

官兵衛:うーん、今回のシリーズはずいぶん手の内を明かしてしまったな。
かんべえ:これも一種の読者サービスということで。インターネット談義はもういいんですか?
官兵衛:現時点ではこんなもんだろう。ほかの人の意見も聞いて、考えを深めてくれたまえ。
かんべえ:今週、この人この人この人の4人で飲む機会がありますから、そこで続きをやることにしましょう。
官兵衛:結構。また気が向いたらやってくることにするよ。
かんべえ:その節はまたよろしくお願いします。それでは明日からは平常モードに復帰します。ではまた。


<1月9日>(火)

○新年だの成人式だのという機会になると、えらい人は何か気の効いた挨拶をしなければならない。これが曲者で、成人式の場合など講師にみずからが「招かれざる客」であるという自覚があればいいが、得てして自分の話を聞かないのは無礼モノだなどと勘違いしていることが多いので厄介である。

○えらい人の話によく使われるのは、「今年はXXの年であります」という類の、いわゆるキーワードというやつである。XXには「挑戦」とか、「不透明」とか「正念場」といった言葉が入る。一方では、「今年の日本経済においてはキーワードが3つあります」などと、評論家チックに使う人もいる。年頭になると、どっかのシンクタンクが「今年のキーワード」というのを発表したりする。「創」とか「共」とか「遊」とか、好感度の高い漢字を組み合わせたものが多い。

○こういう思考法は日本独自のものではないかと思う。少なくとも英文で書かれたコラムではめったに見かけたことがない。「今年はXXの年であります」という類の文章は、英語にするとまったく意味を為さないことが多いからだ。その昔、サッチャー首相に向かって「色即是空」を"Colour is emptiness."と言って説明しようとした日本の政治家がいたそうだが、あんさん、そりゃ無理でっせ。

○ただし、こういう日本語特有の思考法というのは、あんまり馬鹿にしたものではないのかもしれない。たとえば「武士道とは死ぬことと見つけたり」という日本語は、英語に訳すと馬鹿みたいな文になってしまうけれども、この一文からは「武士道」という言葉の持つ「厳しさ」「自己犠牲」「一回限りの人生」などのニュアンスを饒舌に読み取ることができる。和歌や俳句なども同様で、短いセンテンスの中に無限大の宇宙を読みこむことが芸である。野中郁次郎先生によれば、日本語は直感的な理解を得やすいので、暗黙知を生むのに適しているという。

○ただしこの手の箴言を形式知に変えるのは難しい。少なくとも英訳する時点で挫折してしまう。たとえば「禅の極意は空である」という言葉を理解できる人は、ごく一握りに過ぎないだろう(筆者だってもちろん分からない)。ましてえらい人というのは、「XXにおいて重要なのは『あいうえお』であります。まず『あ』はあいさつであります・・・・」みたいな語呂合せが好きだったりする。ますますお手上げである。

○いずれにせよ新年最初の10日間くらいは、無数のキーワードというものを聞かされることになる。といっても、たいしたことはない。だって来月になる頃には、きれいさっぱり忘れ去られているに違いないからだ。ゴーストライター稼業を飽きるほどやってきた筆者は、この季節になるとこういう投げやりな気分に陥ってしまう。言葉は人を感動させることができる。ただしそれは話し手と、コンセプトと、タイミングが一致したときだけである。そういうことは滅多にあるものではない。かくしてほとんどの言葉は記憶されることなく失われてしまうのだ。


<1月10日>(水)

○今日のお昼は伊藤道臣さんが訪ねてきて、現下の株式市場に関する意見交換。当方もこれからひと勝負しようかと思っている身の上ゆえ、ついつい力が入る。しかるに本日も株価は下げている。上げる材料は見当たらないが、買わない理由は山ほど挙げることができる。これぞ願ったりかなったり。こういうときこそがチャンスなのだと思う。では何を買えばいいのか。あせらずあわてず考えようと思います。

○夜は大塚で鍋をつつきながら、伊藤洋一さんと岡本呻也さんと田中裕士さんとネット談義。「ホームページが切り開く新しい時代」を語るという予定だったんだけど、案の定、危険な発言の応酬と内ゲバのような論争が続出し、とてもではないけれども公表できそうにない雑談会になってしまいました。それでもこりずにテープを取っていたのは岡本さん。どうするつもり?

○話していて、「ホームページ・アライアンス」みたいなものを作れないだろうか、と思いました。個人がネットで情報発信をするということは、それぞれにリスクを冒していることを意味します。そういう人たちのうねりが広がって、既存のメディアに揺さぶりをかける。これって結構、楽しそうな気がするな。今夜はアルコールの血中濃度が高いので、この問題はいずれまた再考しましょう。


<1月11日>(木)

○今夜も飲んでおります。今日は元社内誌編集者の集まり。1980年代に溜池交差点界隈の会社で、ゼロックス、プリマハム、NCR、東芝EMI、当社などの社内誌編集者が作った飲み会である。社内報の担当者というのは、どこの会社でも似たような悩みをかかえているので、当時はこういうネットワークが役だった。しかるに10年以上たつと、メンバー各位に転勤、転職、会社の引越しなど、いろんなことが重なる。今日集まった中には、現役の社内誌編集者は皆無。それどころか、溜池界隈で仕事をしているのはひとりだけになってしまった。その私も3月にはお台場に職場が移る。

○「カタカナが入った長い名前の部署名が増えたね」という話が出た。それはもう筆者の職場などはモロにそうなので、恥ずかしいことこの上なし。最近は外資系で、「カスタマー・リレーションズ室」だの、「ネットワーク・ソリューション事業部」だの、容易に中味が推測できない名前の部署が増えている。これでは名刺を出されても、肩書きなんだか、能書きなんだか分からない。個人的には短い名前が好きである。

○筆者は今日、通産省改め経済産業省に行ったのだが、訪ねたセクションの名前は、「貿易経済協力局、通商金融・経済協力課」。ちょっと長すぎるよ。電話をかけると「ツーショーキンユー・ケイザイキョウリョクカです」と一気に答えてくれる。省庁再編で長い名前の官庁が増えたが、セクション名も長くなっているのである。その一方、なぜか「総務課」はすべての局でなくなっている。名前も行革してはいかが?

○ところで、「今年の東京都では選挙が4回あるかもしれない」という説を聞いた。これが面白い。
@まず6月に都議会選挙がある。
A次に7月に参議院選挙がある。
Bそこで自公保が大敗し、参院は野党優勢になる。大臣問責決議などがバンバン通るので、国会運営は支障をきたす。連立与党は追いこまれ、解散・総選挙へ。
Cすると石原都知事が辞職して新党を率いて参戦し、首相を目指す。結果はどうなるにせよ、空席になった東京都知事選をやらなければならなくなる・・・・

○確率としては5%くらいでしょうけど、上のシナリオはたしかにありえるね。この場合、都民は「選挙のグランドスラム」を達成することになります。これでは選挙管理委員会はかないませんな。その一方、少しは景気浮揚効果があるかもしれません。

○今月の中央公論に、筆者の友人(と、尊敬を込めてよばせていただく)の齋藤健氏が「ジェネラリストが消えるとき――奉天とノモンハンの間」という論文を寄稿しています。戦前の歴史をひもときつつ、現代日本のリーダーシップの混迷に警鐘を鳴らした一文です。少しでも多くの人の眼に止まることを祈っております。乞うご注目。


<1月12日>(金)

○世間では成人式について何かと騒がしいようだ。ふと気がついたら、ワシは満40歳で今年の正月を迎えたから、成人式は過去の人生の折り返し地点であった。当時は小平市に住む学生だった。先輩から「成人式に行けばアルバムをくれる」と聞いて、酔狂にも市役所まで行ってみた。ところがその年にかぎって景品は「郷土こだいら」という本だった。もちろん速攻で捨てた。人は大勢集まっていたけど、会場には入らずにそのまま帰った。それが20年前の成人式体験である。

○成人式とは、地元で育った人たちが同窓会をやりたくて集まるようなものである。エライ人の話を聞くためではない。ところが市長さんあたりの頭には、「20歳=有権者」みたいな発想があるから、ついつい気張ってしまうのであろう。つまらない話である。成人式など、税金使って自治体が主催する必要はないのである。

○20歳は成人で60歳は還暦。だったら40歳のための式をやるというのはどうだろう。「中年式」とか「不惑会」とか。盛りあがらないだろうなあ。そういえばワシはひょっとすると今年は厄年か?


<1月13日>(土)

○中学生の長女が百人一首の勉強を始めたので、教育的な介入を実施。自慢ではないが、ワシは百人一首にはちとうるさいのである。どんな歌にも使える下の句、というものを教える。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の それにつけても 金のほしさよ
身はたとえ 武蔵の野辺に 朽ちるとも それにつけても 金のほしさよ

○われながらなんと不謹慎な。で、小倉百人一首の歌にこれをつけて見る。声に出して読むと、楽しさがきわだちます。それでは有名な句から始めましょう。

これやこの 行くも帰るも別れては それにつけても 金のほしさよ  (知るも知らぬも 逢坂の関)

○蝉丸の貧乏くさい絵と重ね合わせると切実な感じがしますねえ。しかし上の句と下の句はあまり一致していない。そこへいくと、次の例などはうまくあてはまります。

逢いみての のちの心に比ぶれば それにつけても 金のほしさよ  (昔はものを思わざりけり)

○うーん、悪い女に惚れちゃったんだねえ。

○しばし時間を忘れてこの遊びに熱中する。なんという家族じゃ。いろいろ試した結果、情景を歌った作品にはあまり適さないことが分かった。ひさかたの光のどけき春の日に、とか、心あてに折らばや折らん・・・・という上の句と、お金がほしいという下の句はあんまり合いません。例外的に、坊さんが読むわびしい感じの歌にはみごとにはまることがある。以下はそういう例。

山里は 冬ぞ寂しさまさりける それにつけても 金のほしさよ  (人目も草も 枯れんと思えば)
わが庵は 都のたつみ 鹿ぞ住む それにつけても 金のほしさよ  (よをうぢやまと 人はいうなり)
さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば それにつけても 金のほしさよ  (いずこも同じ 秋の夕暮れ)

○やはりつらい情念を読みこんだ歌にこそ、この下の句は効果を発揮する。

あらざらん この世のほかの思い出に それにつけても 金のほしさよ   (今ひとたびの 逢ふこともがな)
思いわび さても命はあるものの それにつけても 金のほしさよ   (恋にくちなん名こそおしけれ)
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらえば それにつけても 金のほしさよ   (忍ぶることの よわりもぞする)

○金が仇の世の中。あんまり笑えませんかね。いろいろ試して遊んだ結果、これがいちばん気に入った。

人も惜し 人も恨めし あじきなく それにつけても 金のほしさよ   (世を思う上に もの思う身は)

○子供の教育にはまったく役に立たんなあ。(あの、これ全部記憶を頼りに書いているんで、間違いがあったらゴメンナサイ)。


<1月14日>(日)

○先日、「東京は今年、4回選挙があるかもしれない」などと書きましたが、私も今年3回投票する機会があることに気づきました。千葉県知事選挙、参議院選挙、柏市長選挙の3回。加えて解散・総選挙があれば、都合4回となります。やはりグランドスラムということに。千葉県内では、ほかに千葉市、市川市、船橋市でも首長選挙が予定されています。

○ところが正直なところ、地方選挙って面白くないんですよね。かんべえさんがいくら選挙オタクだからといって、5期20年を務めた沼田知事の後釜がどうなろうが、まるっきり関心は沸きません。その点、東京都はうらやましい。93年の都議会選挙では日本新党が躍進し、その直後の宮沢不信任成立のさきがけとなった。95年の青島都知事誕生は、都市博中止を招いた。99年の都知事選は未曾有の激戦となった。さらに石原都知事の誕生は、久々に「リーダーシップとは何か」を国民に思い起こさせるきっかけとなった。それに泡沫候補がたくさん出てくるのも魅力である。ポスターを見てるだけで楽しいからね。

○千葉県知事選挙が沸いたのは、おそらく1989年のリクルート選挙の直前、共産党の候補者が44%も取って大騒ぎになったときだけじゃないかと思う。長野県みたいに有名人が出たら面白くなるか、というと、今年は有名人ならば参議院の非拘束名簿式にチャレンジするのが定跡だろう。長嶋茂雄さんだって、千葉県知事になろうとは思わないでしょう。

○『代議士のつくられ方』(朴 母、/文春新書)という本の中に、「日本には目立った社会的、文化的亀裂がない」という指摘がある。「言語、人種、民族、宗教などが先鋭な対立点にならない。・・・・中央政界が二大政党制に向かっても、その政治的構図を支える安定した社会集団の支持なしには、二大政党を維持することは容易ではない」という。米国の人種対立や韓国の地方対立を考えれば、日本は怖いくらいに均一で亀裂のない社会なのかもしれない。

○こういう土壌が波乱のない地方政治を生む。自民党がCatch All Partyを目指し、それ以外の政党も与党に擦り寄ろうとする。野党に期待されることは与党をチェックすること。共産党の議員がいないと、議員たちでわけのわからん海外視察旅行に行ったりするからね。良くも悪くもこういう体制が続いている。千葉県でも柏市でも、有権者を二分するような深刻な政治的課題がない。すくなくともかんべえさんが関心を持つようなものはない。だから投票率は低くなる。

○逆にいえば、深刻な問題が生じれば地方政治は面白くなるだろう。そのうち成田空港やゴミ問題や財政赤字や常磐新線やレイソルをめぐり、知事や市長を選ぶことが重大な選択になるときが来るのかもしれない。幸か不幸か、今年はそうじゃないみたいだ。だったらそれでいいのか、と言われるとちょっと困るけど。


<1月15日>(月)

○午後から、「21世紀の日米同盟:その具体的な形をさぐる」という公開セミナーに行ってきました。100人近くが集まっていたでしょうか。岡崎研究所Pacific Forum CSISが行っているプログラムの発表の場です。Pacific Forum CSISからは、ジム・ケリー、トーケル・パターソンなどの知日派が、ブッシュ政権入りをはたしているので、この人脈の考え方は非常に高い確率で、今後の日米関係に反映されるはずです。米国側からはCFRのマイケル・グリーン氏ほか6人の研究者が出席。日本側からは岡崎久彦氏、北岡伸一教授、田中明彦教授ほかが参加。客席を見渡せば、江畑謙介氏や佐々淳行氏の姿が見える。日米の安全保障関係者が集結していました。

○「アライアンス」という言葉は、最近は経営学用語として頻繁に使われている。「戦略的提携」といった言葉は、ちょっとしたファッションである。ところが安全保障関係者が「同盟(alliance)」という言葉を使うと、その重みは全然違う。いってみれば、「私は命をかけてもあなたを守りますよ」というのが同盟関係なのである。日米安全保障条約というのは、「日本が外敵の脅威を受けたときに、アメリカは血を流してでも守ります」という約束だ。もちろんアメリカは、それが国益になるから約束しているのであって、断じて利他主義や好意のせいではない。ということは、どっちかがいい加減な気持ちになったら、アライアンスは簡単に崩れてしまう。

○冷戦が終わって10年。「もう日米同盟は必要ない」という議論は瞬間的には出たけれども、現在では「続けたほうがいい」ことがコンセンサスになっている。それでガイドライン法案も成立した。これは正しいことだと思う。人間は懲りない生き物だから、たとえば2010年くらいになったら、きっと誰かが「計画経済にもいいところがあった」などと言い出すはずだ。そうなったときに、「おいおい、歴史に学べよ」と言うのが、保守派とか現実主義者とよばれる人たちの役割である。日米安保不要論はこれからも出るだろう。でも現実にアジアの冷戦は終わっておらず、軍事的な脅威はそこらじゅうにある。少なくとも脅威が残っている間は、「日米同盟は重要だ」と言い続けることが必要だと思う。

○ところが日本側にどの程度の覚悟があるかというと、結構心もとない。日米同盟を強化するために、たとえばTMD研究や基地の共同利用といった日米の軍事協力を進めるとする。すると日本側が米国側の重要機密を知る機会が増える。ところが日本には、機密防止のための法律がない。スパイ行為でさえ、きわめて罪が軽い。それでは機密防止法みたいなものを制定しましょう、といった場合、果たして国会を通るだろうか。日米同盟というのは、そういう危い地盤の上に乗っかっている。

○ブッシュ政権はたしかに親日政権である。対日スタンスはこんな感じだと思う。「アメリカが押し付けて、日本がついてくるという過去のパターンは、たしかにわれわれにとってcomfortableだった。でも、いつまでもそれじゃ政治的にもたないだろうし、日本の世論もついてこないだろう。われわれはこれ以上、外圧をかけたくない。だから、日本がどうしたいのかを決めてくれ。その上で協力できることはしようじゃないか」。――つまり大人として接しようといっている。これはなかなかにツライ申し出のような気がする。子供のままでいる方が楽だし。

○ということで、TMD、朝鮮半島情勢、台湾問題など、有益な話をたくさん聞いた。日本にも立派な人が大勢いるんだなあ、と実感。この辺の話は、またいずれどこかで続きを書きましょう。

○夜は、かつての上司を囲む会に参加。というか、私が幹事である。昔の仕事の仲間が集まって宴会。病気された方もいらっしゃるが、総じてお元気。ところで元上司、私の顔を見るなり、「君、会社辞めたんだって?」。どこでどうしてそういう話になったのやら。せっかくだから、私が会社を辞めて何をしているという設定の話だったのか、聞いておけば良かったとあとで気がついた。


<1月16日>(火)

○KSD事件が政界を揺さぶりそうです。で、そもそもKSD(経営者福祉事業団)って何じゃという話になると、1年ほど前に出た本ですが、『代議士のつくられ方』(朴 母、著/文春新書)が役立ちます。1996年に葛飾区で初当選した平沢勝栄氏に密着取材して書かれており、「小選挙区制度の実態を取り上げたほとんど唯一の研究」といわれています。

○葛飾区は中小企業が多い。自民党候補者としては、中小企業の経営者をネットしなければならない。ここで役だったのがKSDだったというわけ。KSD葛飾は中小企業経営者の半分近い二万人を会員にしており、しかも共産党系と公明党系の企業を排除していたというのがミソ。小選挙区選挙を戦う上で、自民党候補者にとっては大きな戦力になったわけ。おそらくほかの選挙区でも、KSDのお世話になった自民党議員は少なくないはずだ。

○中選挙区制の時代には、KSDのような組織は複数の自民党候補者を支援しなければならなかった。つまり候補者と支持母体の関係が「多対多」で複雑だった。ところが小選挙区制になると、ひとつの選挙区に候補者は1人に絞られる。候補者にとっても組織にとっても、その方がやりやすい。小選挙区制導入によって、候補者と支持母体の関係が「一対多」でまとまる。この手の団体の利用価値は向上したし、影響力も強くなったわけである。

○1996年、2000年と2度の総選挙を実施し、小選挙区・比例代表並立制はかなり定着した。ところがここへきて、「中選挙区制に戻そう」という声が、自民党幹部から聞こえてくる。だが、上記のような事情を勘案すると、本気ではない公算が高いと思う。だって中選挙区制に戻すと、KSDのような支持母体が困ってしまうもの。それではなんで「中選挙区制」を口にするのかというと、察するに、@連立相手である公明党へのリップサービス、A野党の選挙協力を妨害する作戦、Bいざというときに、中選挙区制をエサにして社会党を釣るための布石、などの理由があるのだと思う。そう考えるとうまい手だね。


<1月17日>(水)

この日が来ると思い出すのは、非日常的なまでに悲惨な光景。それを見ている自分が感じた割り切れない思い。でもそういう不条理さこそが現実なのだという一種のあきらめ。あとに残された課題と、それを果たしていないという焦燥感。それらの思いは刻一刻と薄れていくのだけども、「1・17」という数次の配列を見ると、その何分の一かを思い出す・・・・。

○というのは、阪神大震災のことだけではありません。湾岸戦争勃発から今日でちょうど10年。米国議会の投票結果を受け、ブッシュ・シニア大統領がバクダッド空爆を指示。多国籍軍はイラクに殺到し、容赦なく近代兵器の猛威を見せつけました。タクシーの中でラジオの実況中継を聞きながら、暗然たる思いで「イラクの国民は、この日のことを絶対に忘れないだろうなあ」と思いました。

○当時の筆者は30歳でした。4月からアメリカ・ワシントンDCへの赴任を控えていたので、「この戦争、早いとこ終わってくれないと困るなあ」とあせりつつ、おぼつかない英語力でCNNやNewsweekにかじりついていました。「それにしてもアメリカって、とんでもない国だなあ」と思いましたね。それからもう10年。最近はこんな場所で、こんな偉そうなことを書き散らしていますけど、思えばあれが筆者にとって、アメリカ・ウォッチングの出発点だったような気がします。

○湾岸戦争については、NHKの手島記者による『一九九一年、日本の敗北』という優れたノンフィクションがある。あの戦争において、日本は敗戦国であったと思う。少なくとも当時は明確な挫折感があった。それも10年もたつと、風化してしまった感がある。この間、日本の総理大臣は7回変わった。そのわりに中味はあまり変わっていない。バブルの処理が終わっていないのと同様に、湾岸戦争が残した宿題は片付いていない。

○アメリカでは、ブッシュ・シニアの後を継いだクリントンが、大統領としての任期をわずか3日間残すのみとなっている。それ以後はブッシュ・ジュニアが大統領になる。湾岸戦争の英雄、コリン・パウエル統幕幕僚本部長は国務長官となって帰ってくる。安全保障スタッフには、親父さんのかつての同僚や部下たちがズラリと勢ぞろいしている。

○何も変わっていないのは中東情勢だ。イラク国民の窮乏生活とフセイン体制は、結局10年間続いてしまった。イスラエルとパレスチナは、和平協議を7年半続けて、どうやらもとの木阿弥に戻ったようだ。石油の値段は下がったり上がったりしたが、湾岸諸国の王制はほとんど無傷で続いている。ブッシュ・ジュニア政権の誕生は、アラブの人々の目にはどんなふうに映っているのやら。OPECはなぜか今日、臨時総会を開いている。他意があるのか、ないのか、ちょっと気になる。

○さて、今夜は金融関係者の会合に出かけてきました。プロ筋の皆さんのご意見は「お先真っ暗」。昨年暮の「株買うぞ宣言」から、かんべえさんは余剰資金の半分近くを証券会社に積み上げ、いつでも出動できる態勢を整えているのですが、あんなの聞いたら気持ちは萎えますな。株価対策案はいろいろ出ているようですけど、株とは本来、政府の政策ではなくて、企業の利益に基づいて買うもの。「株価が安いと決算が出来ない」みたいな会社が多いところに根本的な矛盾があります。やれやれ。

○今晩聞いた面白いクイズをご紹介します。「日本で最初に支店を置いた外国銀行はどこか?」。答えはABNアムロ銀行。最初の支店が置かれたのは長崎の出島でした。


<1月18日>(木)

溜池通信の年末特集「2001年内外の注目点」の4ページ目「日本経済(3)」で「2001年3月末には金融再生法が期限切れとなる・・・云々」と書かれてみえますが、これって、本当ですか?

○というメールをいただきました。意外と知らない人が多いですよね。今年の3月末は、日本版ビッグバンの完了期限でもあります。つまり、このときまでに日本は、不良債権処理と金融システム改革を為し終えて、東京はニューヨーク、ロンドンと並ぶ「フリー・フェア・グローバル」な金融都市になっているはずだったんです。あんまり嘘が大きいのでちょっと恥ずかしいですね。

○株価対策は金庫株なんて小手先のことは言わないで、3月末までに金融機関に「公的資金の駆け込み注入」をドドーンとするのがベストな選択だと思うんですけど、選挙前にそんなカッコ悪いことができるか!という事情もありまして、政府与党はできればやりたくないみたいです。金融界のプロ筋の方々のご意見によれば、「3月末決算はまだ原価法でできるから構わない。だから2〜3月危機なんて心配することない」「その代わり、時価会計が適用される9月の中間決算は本当の修羅場になる」「公的資金投入は、4月以降に残る危機管理枠で十分。やばくなってきた銀行の接着剤に使うんだろう」ということです。つらいね。

○ですから、3月末を乗りきったら株価は上昇して状況は改善するという保証はない。持ち合い解消はやらなきゃならんわけだし、去年のような外人買いは期待薄である。去年の今ごろに売れまくった投資信託は、軒並み目減りしていることを考えれば、個人マネーが動くような感じでもない。そこでどうするかといえば、あんまり手はないのだ。かんべえさんのお勧めは「何もしない」こと。持ち合いはしっかり解消する。株価は下げるところまで下げる。本当に安くなったら、かならず買い手は現れる。マーケットを信じましょう。

○これだけはやっても悪くない株価対策がひとつだけあった。「森首相の退陣」。日経平均で2000円分くらいは確実に効果があると思うぞ。


<1月19日>(金)

○勉強会仲間のSさんが来週からニューヨークに旅立つ。彼女はもともとワシントンの大学を出ているのだけれど、今度はファッション・ビジネスの勉強にトライするという。それではというのでお別れランチを企画したら、中年男ばかり6人が駆けつけた。当人は、「ワクワクして、毎晩眠れないんだ」とのたまう。ええなぁ。「ワクワクして眠れない」なんて、あたしゃ最後にあったのはいつのことだったか。この季節のニューヨークは寒そうだけど、ハートは燃えている感じでしたね。頑張って!

○夜、ちょうど1年前に独立して「株式投資啓蒙家」になった伊藤道臣さんを囲んで話を聞く。脱サラして、年収は昨年を少し下回ったらしいけど、元気に活躍中。面白いと思ったのは、金融メルマガネットワークを作ったこと。ネットで株式情報を提供する44種類のメルマガを組織して、広告を配信するという仕組み。なにしろ配信数は約48万人。48万部といえば、週刊ポストよりは少ないが、週刊朝日よりは多い部数である。まだまだ認知度は低いけど、広告媒体としては可能性を秘めている。ここ1年、既存の印刷メディアは売上の低下に苦しんでいる。具体的なデータはここにあります。

○株の世界はどんどんネットに移行していくのか、というと、そうでもないらしい。この会の古いメンバーである村上さんは、自分自身が証券会社でネットを使った仕掛けに挑戦しているけど、「インターネット証券は怖い」と言う。たくさん出来すぎたので、しばらくは淘汰と再編の時代が続きそう。村上さんからは、「90年代の日本は黄金時代だった説」など、あいかわらず縦横無尽の意見が飛び出す。いいね。

○昨日の話の繰り返しになるんだけど、株式市場というのは値段を決めるところ。そこで出される結果(たとえば日経平均1万3000円)が気に入らないからといって、「株価対策を」というのは本末転倒である。会社をリストラされたお父さんが、職安で「年収1000万円以下の仕事は嫌だ」と言い張る気持ちは分からんではないけど、自分の値段を決めるのは最後は他人の評価である。マーケットでつけられる評価に対しては謙虚であるべきだ。今の株価は、素直に日本経済の実力を表していると考えたほうがいい。

○中ジョッキ2杯だけで外へ出る。寒い。風が当たると痛いほどに感じる。心の熱い人も、ふところの寒い人も、「天なお寒し、自愛せよ」。(鯨海酔候)


<1月20日>(土)

「犬と猫の仲介をするより、まだしもイスラエルとパレスチナの方が成果があったよ」(クリントン大統領)

○クリントン一家はホワイトハウスに引っ越してくるとき、ソックスという猫を連れてきた。報道陣は"First Cat"の誕生に色めきだち、さかんに猫を追いまわした。クリントンは速攻でキレて、「最高権力者として君たちに言う。あの猫を追いかけまわすな!」と厳命した。ソックスはクリントン一家のアイドルから、国民的な人気者になった。昔、ワシントンからきた人を家に呼んだら、ソックスのプロマイドをお土産に持って来てくれたことがある。さっき探したけど、あいにく見つからなかった。

○ホワイトハウスで暮らすうちに、クリントンは犬を飼うことにした。こちらの名はバディ。"Presidential Dog"と称される。「ワシントンで、友達がほしいと思ったら犬を飼うんだな」という名言がある。政治の世界では、いつ友人に裏切られるか分からない。だから人間を信用するな、寂しくなったら犬を飼え、ということらしい。モニカ・ルインスキー疑惑の真っ最中など、クリントンはほとんど家族にも見離されかけたから、バディが大統領の心を支えることもあっただろう。

○ところがソックスとバディは天敵関係となってしまった。ありそうなことですよね。ホワイトハウスの権力を握るのは猫か、犬か。飼い主を悩ます不毛な戦いが続いた。しかし飼い主は間もなく引越ししなければならない。クリントン一家はニューヨークに新居を購入している。クリントンはいっとき、ソックスを秘書に預けてバディだけを連れて行こうと考えたようだ。しかし古くからいるソックスへの惜情もやみがたく、結局迷っているらしい。彼らしいね。

○東海岸時間の正午、日本時間で今夜午前1時、大統領就任式が行われる。これが終わった後、クリントン一家は「エアフォースワン」に乗ってニューヨークに立つ。大統領専用機に乗る最後のチャンスである。エアフォースワンから降り立った瞬間が、本当の意味での大統領職とのお別れになる。その後は「市民クリントン」としての余生が待っている。

○上院議員になったヒラリーは平日は家にいない。娘はもう親元を離れている。アーカンソーに記念図書館を作るとか、回顧録を書くとか、ありきたりの仕事は残っているけれども、54歳の前大統領にとっては退屈な日々となるだろう。孤独を癒してくれるのは、結局、犬か猫ということになりそうだ。家の中でソックスとバディの和平を仲介して時間をつぶすことになるのかも。しばらくはそれもいいでしょう。8年間もお疲れ様、ミスター・プレジデント。

(追記:結局ソックスは人手に渡った。プライバシー保護のため、誰が引き取ったかは公表されず)


<1月21日>(日)

○今日は町内会の新年会。ということで、昼間から飲んでしまう。筆者が住む町内は、古い時代に開発された150戸ほどの住宅地。平均年齢が高くて、町中全体が顔見知りで、要するに下町のノリなのである。新年会に集まってくる顔ぶれはほとんどが60代以上。筆者はたぶん一番目か二番目に若い。

○生粋の千葉出身の方は、「あいつはまだ来(き)ない」といういい方をする。聞いていて、突然、昔の現代国語で習った日本語文法の話を思い出した。「来る」という動詞は、「する」と並んで2つだけイレギュラーな格変化をする。「か行変格活用=こ(ない)、き(たら)、く(る)、くる(とき)、くれ(ば)、こい(こよ)」というやつである。ところが「来る」の否定形が「きない」であれば、これは上一段活用になって自然な変化となる。実は千葉弁の方が日本語として正しい変格活用をしているのかな、などと思いつく。例によって、古い知識なので、間違っているかもしれんけども。

○「えー、4月からは家電リサイクル法が施行されますので、家電製品を資源ゴミで引き取ってもらうときは有料になります。冷蔵庫は4800円です」。ここで一同、「ひえ〜」。「ですから、買い替えをご検討中の方は、3月いっぱいでお願いします」。さすがは町内会で、こういう有益な情報がもたらされるのである。みなさんもご注意ください。

○筆者は町内会では防犯委員なのである。ゆえに冬場の土曜日の夜には、一同で「火の用心」の見回りをやったり(といいつつ、昨日のように雪が降ると中止にしてしまうが)、避難訓練やら地元警察の講習に呼び出されることがある。町内会の防犯部には、いくばくかのお金が出る。3月頃になると、「火の用心」ご苦労様ということで、近所のすし屋で一杯やる。まあ、そのくらいは許されるのではないかと思う。

○あるとき、長くやっていた町内会長が辞めたら、意外な事実が判明した。新しい町内会長の銀行口座に、柏市から10万円が振り込まれたのである。なんと町内会長には「機密費」が払われていた。思えば前の町内会長は、ことあるたびに金一封やビールひと箱を寄贈してくれていた。その資金源は、なんと公的資金だったのである。たしかにそのくらいの役得がなかったら、誰も町内会長なんて引き受けないだろう。ということで、皆はこの話を聞かなかったことにした。今日の新年会でも、町内会長はひとり5000円なりの会費とは別に、「寸志」を包んでいた。こういう姿が、日本政治の原型となっているのだなあ、と納得。


<1月22日>(月)

○こないだこの言葉を聞いて、「う〜ん」とうなってしまったのであります。いわく、「日本では金持ちになったところで、手に入るものはベンツと豪邸と愛人しかない」。それにしても、う〜ん。

○その3つのうち、ひとつでもいいから欲しい!と切実に願っている人はいるかもしらん。ワシだっていらんとは言わん。念のために言っておくが、ワシは日本車のファンだし、恐妻家である。という話はさておいて、金持ちになるためにはいろんなものを犠牲にしなければならない。夜遅くまで働いたり、危ない橋を渡ったり、親しかった友人が離れていったり、楽しくもない相手とつきあったり、自由になる時間がなくなったりする。そうまでして手に入れるものがその三種類では、ちょっと寂しいではないか。

○おそらくこれは、現代日本の精神的な貧しさを示す言葉ではないかと思う。魅力的なライフスタイルを演じる金持ちが大勢いれば、こんな発想にはならない。というより、若者にベンチャー精神が不足しているとか、尊敬される大人がいないとか、夢のあるプロジェクトがないとか、1300兆円も貯金があるのに消費が伸びないとか、今の日本の中の大きな問題のひとつに、「貧しい金持ち」があるような気がする。とにかく、金持ち諸君がもっと気の効いた金の使い方をしてくれないことには、世の中がよくならんじゃないか。

○テッド・ターナーがアメリカの国連分担金を代わりに支払おうと言い出したり、ビル・ゲイツが財産をことごとく財団に寄付しているとか、海外には豪勢な連中がいる。てなことを言うと、「日本は平等社会だから」という声が聞こえてきそうだが、戦前の日本にはスケールの大きな大富豪がいくらでもいたのである。松方コレクションとか大原美術館とか安田講堂を見る限り、昔の人の道楽は稀有壮大なものがあった。まあ、それを言い出すと、戦後にも松下政経塾や稲盛財団のような例はあるけれども。

○ところで「貧しい金持ち」の金の使い道として、もうひとつ「政治」がある。有力政治家の資金源になると、男の甲斐性のような気がしてうれしくなるという手合いである。いわゆる「タニマチ」というやつだ。ここ10年ほどの政治スキャンダルの主役になっているのは、東京佐川以下ほとんどがタニマチを目指しちゃったオーナー経営者たちである。「政商」と呼べるほどの大物はいなくなったのではないか。許永中のような例外はともかく、政治家を手玉に取るどころか、ちゃっかりお財布がわりにされてしまった哀れな金持ちが目立つ。

○今度のケーエスデーも、しっかりそのパターンにはまっていると思う。「外国人研修生の滞在期間延長」や「ものつくり大学の設立」は、政策として間違ってはいない。別に献金なんてしなくても、正論で押していけば十分に通る話である。そうでなくてもケーエスデーは、1月16日の当欄に書いたように、選挙では自民党の味方をしてくれる、ありがた〜い団体だったのだから。献金をばらまいたのは、古関理事長のキャラクターに負うところが大きいと思う。きっと政治家の間では、「新しいカモが現れたぞ!」とさんざん持ち上げて、よってたかって貢がせたのだろう。ああ、お気の毒。

○ところで「KSDって何の略だ?」といろんな人に聞かれたので調べてみた。驚くべし、ケーエスデーのホームページを見ても、「中小企業経営者福祉事業団」とあるだけで、説明は一切なし。新聞報道などもこれについて触れているものは見当たらない。消息筋の助けを求めたところ、今日の夕方になってやっと判明した。KSDのもともとの名称は「中小企業営者害補償事業で、略称は経災団といったんだそうだ。それを略してKSD。なんだか松竹歌劇団がSKDになるみたいな話で、分かってみれば力が抜ける。

○社員は労災を受けられるけど、社長は受けられない。それではあんまりだ、ということでできたのが始まりだそうだ。真面目な活動をしてたんだと思うけど、理事長が政治道楽に血道をあげてたんじゃ、金を納めていた中小企業経営者たちは浮かばれませんな。田原総一朗さんも会員だったんですって?そりゃあ怒るよ。政治家に金を貢ぐくらいだったら、まだしもベンツや豪邸の方がマシというものだ。


<1月23日>(火)

○溜池通信の先週号で、「今年は東南アジア3国で政変も」と書いているそばから、フィリピンのエストラーダ大統領が政権から引き摺り下ろされました。代わりにアロヨ副大統領が政権に。「ピープルズ・パワー」とか「1986年の再来」といわれています。

○1986年に民衆の力がマルコス政権を倒したのは、本当の意味で大事件でした。何しろ当時はまだ冷戦時代。フィリピンにはまだ米軍基地があった時代です。その頃までは、どんなにひどい独裁政権であっても、"We know he is a bull-shit. But he is our bull-shit."という理屈で見逃されて来たんですね。マルコスやスハルトは困ったやつだけど、共産政権ができるよりはマシ、だったのである。当時の米国がピープルズ・パワーの側についたのは勇気ある決断だったと思う。

○その後の世界では、独裁政権が倒れて民主政権が誕生することがめずらしくなくなる。1986年といえば、チェルノブイリ原発事故の年。その前年に書記長になったばかりのゴルバチョフは、孤軍奮闘してソ連の再建に努めるも、その3年後にはベルリンの壁が崩壊し、5年後にはソ連そのものが分裂して消えてしまう。冷戦が終わって米ソの支援がなくなるとともに、世界各国のbull-shit政権はどんどんつぶれていった。たとえば中南米では、キューバ以外はすべて民主主義国になった。

○さて、今回の政変は1986年の事件をなぞっているような展開である。悪い大統領がいて、民衆の怒りが高まり、ついには軍部が大統領を見離し、女性の新大統領が誕生した。ところが冷戦は終わっているから、エストラーダは誰にとってもただのbull-shitである。外国に影響が及ぶわけではないし、元大統領に手を貸そうとするものも現れないだろう。フィリピンは昨年来の政治混迷を、もっとも上手な方法でクリアしたことになる。もちろんアロヨ新政権は苦労するだろうし、フィリピン経済がこれでよくなるとも思えない。それでも、これより悪いシナリオはいくらでもあった。

○思えば1986年2月のフィリピン革命は日本でも大ニュースだった。ちょうどあの頃、発足したばかりの「ニューズウィーク日本版」は、この事件を踏み台にして部数を伸ばした。最近は苦労しているみたいだけど、今年で15周年。そういえば、とあるニュース番組も発足直後で低視聴率にあえいでいたが、事件のおかげで視聴率が伸びて軌道に乗った。それが「久米宏のニュースステーション」。当時は筆者も見ていましたね。


<1月24日>(水)

○1/20にこの人が、「うーん、これは紹介する価値がある....」と書いた。

○1/23にこの人が、「ベストセラーの最大の要素は、普段は本を読まない人が読み始めること。この本は、世の流れに乗り遅れた、あるいは不当に損をしているという意識を潜在定期に持っている人々にたいして、危機感を刺激し、単純化したモデルを与えることでベストセラーとなった」と解説している。

○というわけで、かんべえさんも読んでみた。「チーズはどこへ消えた?」(スペンサー・ジョンソン/扶桑社/\880)です。職場の人に借りて、お昼休みに読んじゃった。15分で十分です。ただし、以下で紹介する内容をもって、「読んだつもり」になってはいけませんよ。

○昨日まで目の前にあったチーズがなくなった。明日からは食べるものを探さなければならない。あなたはどうするか。何も考えずに、ネズミのように、新しいチーズを探して迷路の中を走り出す元気があれば大丈夫。この本を読む必要はありません。ところが「俺のチーズをだれが隠した!」(Who Moved My Cheese?=原題)と怒り出す人もいる。そういう怒りに応えてくれる人はいない。だから不機嫌な状態で、いつまでも動かずに自己正当化を図る。昔チーズがあった場所にとどまっていることは最悪の選択になるのだが。

○本書が問いかけているのは、変化に対して人はどう対応すべきか、ということ。世の中には、変化を前にして戸惑っている人が多い。かんべえさんもその一人である。だから読んで「やられた!」と思う。同様の感想をもたれる方が少なくないと思います。

○アメリカ人にとっては、この本はもうひとつの意味を持っていると思う。アメリカ経済は90年代前半にリエンジニアリングの嵐をくぐり抜けた。一夜明けたら「僕のジョブがない!」という人がそこらじゅうにいた。「昼と夜で2つの仕事を掛け持ちしている」「本当は博士号があるのに、わざと修士だと申告する(博士だと年収が高すぎて雇ってもらえないから)」てな話がゴロゴロしていた。

○こんなマンガを覚えている。グリーンスパンが記者会見で「先月の米国経済は10万のジョブを生み出しました」と報告している。隣でコーヒーを注いでいるウエイターが、「そのうち3つは俺のものだ」とつぶやいている。90年代半ばまでの米国では、ホワイトカラーがブルーカラーに転じる例が少なくなかった。年収が低下した分は、夫婦共働きや複数の仕事をこなすことで埋め合わせた。

○要するに、「チーズがない!」とネズミのように走りまわった人々が大勢いたのである。米国経済の好転を人々が実感し始めたのは97年から。つまり、走りつづけた挙げ句、新しいチーズが見つかり始めた。そういう人が本書を読めば、「そういえば自分もそういう時期があったなあ」と懐かしく感じるのではないだろうか。変化にうまく対応した人が読めば、本書は自信と勇気を再確認する本ということになる。何年かのちに、そういう気分でこの本を再読したいものです。


<1月25日>(木)

○中華料理で歓送迎会。久々に義理で固めた中年オヤジばかりの会合。株に不動産にと、資産形成にまつわる話が多いんだけど、景気のいい話は少ないですな。都内のマンションはかなり売れ行きがいいらしい。「御三区」と「3A」ならバッチリだそうです。何のことかというと、千代田、中央、港区と、赤坂、青山、麻布のことを指す。世田谷、渋谷、新宿よりもそっちがいい、というところが面白い。そういえば最近、知人で月島に引っ越す人が急増中。この人とか。

○今夜はビールをコップに2杯。あとはお茶。実はこれで過去3日間、酒なしで過ごしていたのだ。私としてはめずらしい現象である。だいたい「不規則発言」を書いているときは、飲んでいることが多い。過去3日分の当欄は、アルコール分0%で書いているので、ちょっと狙い済ましたような感じの文章になっている。

○なんでそんなことになったのかというと、いろんな説があるんだけど、どれも決定打を欠く。
@ブッシュ大統領は40歳で酒断ちしたという故事にちなんで。
A「最近、ちょっと太ったね」といわれたのを気にして。
B日曜日の昼に、町内会の新年会で飲んだのが効いて。
Cあまりにも書き物が増えてしまい、飲んでいられない。
D意外と迷信ぶかく、厄年を気にしている。

○実は今日も、新本社ビル用のIDカードの写真が届き、「オレってこんなに太った?」と唖然としてしまったところ。酒はともかく、せめて帰りの電車の中でM&Mチョコを買い食いするのはやめよう。あれはみっともない。それから、飲んで帰った日に、あらためて飲みなおしつつネットサーフィンするのも。ついつい夜更かし&のみ過ぎになる。

○アクセス件数がそろそろ4万件ですね。最近急に増えたような気がするのはなぜでしょう。明日、お送りする本誌は「NMD」についてです。ついさっきまで書いていたので、あらかた仕上がった。それではまた明日。


<1月26日>(金)

○先日、電車の中で『竜馬がゆく』の第3巻を読んでいる人を見かけた。若い女性である。いいなあ、3巻というところがいい。きっと最後まで読み通すだろう。そうやって読み終えると、なんだか元気が出て、誇らしい気がして、ワシもやったるでぇと思う。かんべえさんは25歳くらいで読んでそういう気になった。21世紀の日本の若者も、『竜馬』を読んでいるのはうれしいことですね。きっと今から50年後に読んでも感動するだろう。司馬遼太郎はすごい本をたくさん書いたのだ。

○そういう話をこの人にした。いつも安全保障の話ばかりしているわけではないのである。
「司馬遼太郎はいい文章を書きますからね」
という返事が返ってきた。作家の文体にはグルメな人なのだ。
「あれ読んで頭が痛くなるとか、途中で放り出したくなるという人は、あんまりいないでしょうね」
「ああ、でも英語に訳すときは、頭痛くなりますよ」
「そういえば、やったことあるある。英語の勉強しようと思って『この国のかたち』を訳してみたら、ネイティブに真っ赤に直された上に、つまらん文章になっていた」
「あれは英語にすると、中身がなくなっちゃうんです」
言語が思考法を既定する、という典型的な例かもしれない。

○別に気にすることはないと思う。司馬遼太郎が描いたのは日本の歴史である。日本の歴史は第一義的に日本人のもの。司馬さんは後世の日本人が何度も繰り返して楽しめるような作品を残してくれた。かんべえさんなんぞ、いまだに落ち込むと『竜馬』を読むことがある。竜馬が死んだ年を越えて生きているけどね。


<1月27日>(土)

降る雪は 郷里の空に 連なれり

○という句を思い出した。今から20年くらい前、やっぱり東京が今日のような一面の雪景色になったとき、空を見上げたら生まれ育った富山と同じ灰色になっていた。雪を踏みしめながら大学に向かう途中、ふとこの句が浮かんだ。その日は憲法概論の試験の日で、授業に全然でない学生だった私は、「戦争放棄」と「尊属殺人」にヤマを張っていて、それが外れた場合にはまったく手が出ないことは自明であった。「違う問題が出た場合は」と、私は考えた。「この句を書いて、それに続けて教授の心を揺り動かすようなエッセイを書くしかあるまい」

○今はそんなことはないと思うけど、当時の一橋大学には北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』のような世界が一部に健在で、テストの際に「出題はさておき、ここではXXについて述べたい」という手口が通じる先生がかなり残っていた。私も田中克彦先生の言語学のテストで、出題が何を意味しているかさえもまったく分からず、「今日は演劇における言葉について述べたい」とやらかしたことを覚えている。結果は「C」だったが、一応、通してもらえた。当時は「あれだけの名論文を書いたのに」と不満だったのだから、われながらひどい話である。

○当時の学生の間にはこんな伝説があった。名前を言えば誰でも知っているような経済学の老教授の試験で、ヤマをはずした学生が「先生はご多忙で、おいしいものを食べる機会がないと思う。そこで今日はおいしいカレーの作り方について述べたい」という回答を書いた。結果はなんと「A」だった。次の年、同じ手を使った学生が現れた。今度は「B」だった。くだんの学生は、わざわざ先生のところへ行って、「なぜ私のはBなんですか」と尋ねた。先生いわく、「君のカレーにはジャガイモが入っていない」

○それに近い経験は私にもある。東欧の地域研究の授業を取っていて、いよいよ最後の最後という日になって初めて講義に出てみた。その日が初対面の先生は、「東欧について、何でもいいからレポートを書きなさい」と言う。「本当に何でもいいのですね」と念を押し、「よろしい」と確認をとった。そこで書き上げたレポートが「ポーランド映画私論」。アンジェイ・ワイダとポランスキーについて書いたのだが、これはわれながら渾身の力作というべきで、当時の私には数少ない貴重な「A」をもたらした。

○国際貿易論といえば今もご健在な小島清先生は、たいへんに甘い試験をされることで有名であった。受講する学生はほとんどが「A」か「B」で通ってしまうので、学生からは大人気だった。あるとき学務課が文句を言うと、先生は、「私の教育方針に問題があるとでもいうのかね」とご立腹であったという。その後、総合商社業界に入ったら、小島先生がいかに偉い先生であるかが分かった。2〜3年前にも、「アジア経済の雁行形態型発展」に関する論文を興味深く読ませていただいた。私の方も少しは進歩したのである。

○人類学の長島信弘教授といえば、競馬の予想をしたりするとってもユニークな先生であった。会社のPR誌の編集をやっていたとき、「ギャンブルの人類学」というテーマで寄稿をお願いしたことがある。先生は堂々と締め切りを破られ、最後に原稿が届いたときには「執筆者が締め切りを守るかどうかは、編集者にとってギャンブルである。遅れて申し訳ないと一応言っておこう」というメッセージがついていた。このときの原稿は今読んでも面白い("Tradepia"1990年2月号「ヒトはなぜギャンブルをするのか」)。ああいう先生はもう出ないだろうなあ。

○と、記憶が次々にフラッシュバックするのは雪のせいでしょうか。20年前の句を突然思い出したのは、結局、その日の試験で使う機会がなかったかららしい。本当に恥ずべき学生でした。そういえば同窓の先輩である太田弘子さん(政策研究大学院大学・助教授)がこんなことを言っている。「卒業したら、勉強しよう」


<1月28日>(日)

○しばらく前から「積ん読」状態になっていた『ポケモンストーリー』(畠山けんじ・久保雅一/日経BP、1400円)を読み始めました。542pの半ばまで来ました。これは面白い。「ポケモンについて、空っぽになるまで書きました」という著者の触れこみは伊達ではない。i-modeの成功については解説書がヤマほど出ているが、ポケモンについての証言は少ない。任天堂という会社の体質にもよるのだろうけれども、よくぞ書いてくれた、と思う。読んでいて『あのバカにやらせてみよう』のような熱気を感じる。

○多くのサクセスストーリーがそうであるように、ポケモンの誕生には多くの才能の出会いがあり、周到な計算があり、猛烈なハードワークがあり、時代の要請があり、そして予期せぬ幸運な偶然がある。どれひとつ欠けても大きな成功には至らない。困難の克服もあった。ポケモンが誕生した1996年には、任天堂のゲームボーイはすでにゲーム機としての峠を過ぎており、こんなプラットフォームからヒット作が出るという期待は少なかった。それでもポケモンは大ヒットした。「宗教や言語や人種や価値観や文化的背景などの違いを超越して、これほどまでに世界に広く伝播したゲームはありません。人類市場最大最速の伝播性と世界的共通性を備えていたという意味で、ポケモンの出現は、人類にとって未曾有の体験だったといってもいいでしょう」。この表現は大袈裟ではない。

○と、いわれてすぐにピンと来ない人は大勢いると思う。実はi-modeだのプレステ2だのというのは、たいした成功ではないのである。だって30年後には確実に産業廃棄物になっているのだから。しかし30年後にも、ポケモンは人々の心の中に生き続けている。ちょうどかんべえさんの世代が、今でもウルトラマンの話題で盛り上がるように。ウルトラマンは1960年代後半に、当時はまだめずらしかったカラーテレビに登場した。でもどんなテレビで見たかは当然忘れている。プラットフォームはゴミになるけれども、コンテンツは永遠に記憶に残るのだ。30年後の40歳前後の世代は、きっとポケモンを懐かしく思い出すだろう。

○しかもポケモン体験は欧米やアジアの同世代も共有している。円谷プロが今でも過去の遺産で食っているのとは桁が違う。ポケモンを生み出した任天堂=小学館=テレビ東京などはすごい財産を有しているわけだ。上手に使えば、ディズニーを超えることだって夢じゃない。面白いのは、こういう事実に気づいている人が少ないということ。プレステ2がゲーム機としては大失敗作であるということは、多少なりともゲームをする人には自明のことなんだけど、経済雑誌などは昨年末くらいからやっと気がつき始めた。それも遠慮がちに書いている。経済ジャーナリストたちはゲームもやらずに記事を書いているのであろう。

○この本は「日本初、親子で読めるビジネス書」という触れ込みになっている。漢字にルビがふってるのは、子供にも読んでもらえるようにという配慮からだ。でもポケモンの成功の偉大さを知るべきは、むしろ大人たちであろう。


<1月29日>(月)

○今日になったら週末の雪はほとんど消えてしまいましたね。でも、2週連続で土曜日に雪が降りました。今年は15年ぶりの雪の当たり年のようです。小児科のお医者さんに今日聞いたところによれば、今年はインフルエンザがあんまり流行っていないとのこと。雪が降ると大気中のごみが地面に落ちるのと、空気が湿るので菌が繁殖しないのだとか。いわれてみれば日本海側では、冬場はそれほど風邪が流行らなかった記憶がある。雪の効用とでもいいましょうかね。

○昨日はクルマで遠出する予定を取りやめて、床屋さんに行ってきました。床屋さんいわく、「普通は雪が降るとお客さんが増えるものだけど、土曜日はさすがに誰も来なかった」そうです。あの吹雪では仕方がないですね。土日の雪で商売が上がったりだったお店は少なくないでしょう。それにしても、かんべえさんがまさにそうだったわけですが、雪が降ってすることがないと、人は「そういえば髪が伸びていたな・・・・」てなことを思い出すもんなのですね。

○タクシーの運転手さんは雪のメリットを享受したようです。「土日は稼せがしてもらいましたよ。ごく短い距離でも乗ってくれましたから」てな話を聞きました。問題は昨日の天気予報が「午後からは雨になる」と言っていたことで、「昼を過ぎれば大丈夫だろう」とクルマを出した人たちがエライ目に遭っていたとのこと。「わたしら、ああいうときはオートマティックのクルマをマニュアルにして使うんです。全然安定感が違いますよ」と運転手さん。そうか、かんべえさんもオートマ車に乗ってますが、マニュアルモードは坂道以外では使ったことがない。覚えておきましょう、雪が降ったらマニュアルモード。

○この調子だと、2月3月にもまた雪が降るでしょう。体験的に言うと、豪雪の年は2月が雪のピークになって、3月後半になっても意外なくらいに降ることが多かったような気がします。先週末程度は序の口かもしれませんぞ。

○前回の溜池通信本誌に訂正が一点。この人からのご指摘で、TMDを「日米で共同開発」とあったのは、「日米共同研究」の間違いです。95年から『調査研究』を進めていたものを、98年9月に格上げして『共同研究』にしたもので、これは、今後の『開発・配備』に向けて一歩前進と位置付けられています。政府は、『まだ、共同開発を決めてはいない』と主張してますから、厳密にいうとミスリーディングです」とのメールを頂戴しました。ということで、PDFファイルを差し替えておきました。それにしてもわが国の防衛問題は、この手の言葉の使い分けが多いですね。


<1月30日>(火)

○人生の大事なことは、かんべえさんの場合、ほとんど麻雀卓で学んだような気がする。たとえば、「トトトン、パ」の法則。「なんじゃそれ?」と思った方、これはおぼえておいて損はないですぞ。

○ムツゴロウこと畑正憲さんが書いていたのだと思うのだが、危険ハイを続けて3枚ほど「トトトン!」と勢いよく通したら、その次は「パ」と控えた方がいい。もちろん見当違いのハイを抱いてオンリしちゃうこともあるわけだが、そういうのはこの際、気にしない。勝負の回数を3回に限る必要はなくて、そりゃ勝負ごとなんだから、諸般の事情では「トトトトトトトン!」になることだってある。でもどっかでかならず「パ」を入れておく。麻雀打つときはそういうリズムをつけておけ、というのが「トトトン、パ」の教えである。

○ほとんどの麻雀は長期戦である。捨てハイを読むなんてことは、最初の2時間くらいが関の山。あとは頭が疲れてきたら、「トトトン、パ」だけ考えて打ってりゃいい、というのが、かんべえさんの流儀。とにかく不都合がなくても、強制的に休みを入れること。万事が快調で「トトトト・・・・」となっていると、あっと思ったときには手遅れになっていることがある。

この人もどこかで人生に「パ」を入れそびれたのかもしれない。以下は調査報告書から。

同人の陳述に基づいて調査した結果、同人が、要人外国訪問支援室長の職にあった間、本件口座に入金された公金の累計は、約5.6億円に上る。他方、同人が総理外国訪問の諸経費の支払いに使用していたクレジット・カードの同期間における引き落とし金額の累計は、約2.5億円である。したがって、仮に、この約2.5億円が全て公費の支払いであったと仮定しても、差引き約3.1億円の公金が蓄積されたことになるが、その使途の多くは不明確である。

○普通の犯罪と違って、松尾室長はいつでも後戻りができた。なにしろネコババしたのは機密費なんだから、あとで返す必要はない。普通の使い込みとはわけが違うのだ。ヤバイ橋を渡ることは、いつでも止めることができたはず。しかし、東京サミット(宮沢首相)があった1993年から沖縄サミット(森首相)の2000年まで、松尾室長は同じ職場で「トトトトト…」が止まらなかった。途中で「パ」を入れとけば良かった。それとも何かの事情で止められなくなったのか。本人の心中やいかに。


<1月31日>(水)

○上司は選べない。サラリーマンにとって上司とは、たとえていえば配牌のようなもの。開けてみて「おおっ」ということもあれば、「あ〜あ」ということもある。「上司は部下を判断するのに3ヶ月はかかるが、部下はひと目で上司を見抜く」という。とくに駄目な上司を見抜くときは一瞬でこと足りる。

○上司の側からすれば、新しい部下の前に出るときは緊張するだろう。とくに大きな組織の長として舞い下りるときは、人心掌握がとても難しい。最初のコミュニケーションが重要であることは間違いありません。ではどうするかというと、お手本のように見事な例がここにあります。

○いいですねー。これは米国国務省のホームページで、コリン・パウエル新国務長官が部下を集めて行った最初のスピーチと質疑応答の記録。理想を語り、自分を語り、泣かせて、笑わせて、ほとんど縦横無尽。本人の肉声が聞こえてくるようないいスピーチです。難しい単語がほとんど出てこないのはクリントン並み。こんなボスの第一声を聞いたら、部下は安心するし、「やったるでぇ」と思うでしょうね。

○「こんな長いものを、しかも英語で読んでられるか!」というそこのアナタ。親切なかんべえさんが、おいしいところだけ抜き取って翻訳しちゃいましょう。なにしろこの所信表明のエッセンスは、日本語で日本のサラリーマン向けにやっても十分に受けるはずですから。

I am going to fight for you. I am going to do everything I can to make your job easier. I want you all to have fun under my leadership. I like to have fun. I am going to go home as soon as no one's looking on the Seventh Floor. (Laughter and applause.) I am 63 going on 64. I don't have to prove to anybody that I can work 16 hours a day if I can get it done in eight. (Applause.)

僕は皆さんのために戦います。皆さんの仕事の役に立つことなら、何だってやります。僕の下で皆が楽しんでくれるよう望んでいます。楽しくやるのが好きなんです。僕は7階から誰もいなくなったら、速攻で帰りますからね(笑いと拍手)。僕は63歳で、もうじき64歳になるんですから。1日に16時間も働けるなんてことを見せびらかす必要はありませんよ。もしも8時間でできるのならね(拍手)。

If I'm looking for you at 7:30 at night, 8:00 at night, and you are not in your office, I will consider you to be a very, very wise person. (Laughter.) If I need you, I will find you at home. Anybody who is logging hours to impress me, you are wasting your time. (Laughter and applause.) Do your work, get the work done, and then go home to your families, go to your soccer games. I have no intention -- unless the mission demands it-- I have no intention of being here on Saturday and Sunday. Do what you have to do to get the job done, but don't think that I am clocking anybody to see where you are on any particular hour of the day or day of the week. We are all professionals here and can take care of that. Have fun. Enjoy the work. (Applause.)

もし夜の7時半とか8時に君らを探して、オフィスにいなかったとしたら、僕は君らがとても、とっても賢い人なんだと思いますからね(笑い)。どうしても必要なら、家で捕まえます。居残り残業して僕の歓心を買おうなんて人がいるとしたら、それは時間の無駄ですよ(笑いと拍手)。仕事をして、終わらせて、そしたらすぐに家に帰って、家族のもとに帰って、サッカーに行ってください。僕は、特別な任務がなかったら、土日は出てくるつもりはありません。皆さんは仕事をするために、必要なことだけをやってください。僕が皆さんを見張っていて、どの日のどの時間にいるか気にしているなんて、思っちゃ駄目ですよ。ここにいるわれわれはみなプロなんですから。分かっているんですから。楽しんで、仕事をしてください(拍手)。

I will start traveling in due course. For the first few weeks, since I am the only confirmed official in the State Department from the new Administration, I'm afraid to leave town. Al Larson might take over or do something -- (inaudible). (Laughter.) So I am going to stick close to home until we get our sea legs, but then I will start traveling. And so for everybody watching around the world, I will be around to see you in due course. I am an easy visitor. We are going to try to make it very easy for me to visit. Just to save a lot of cable traffic, I have no food preferences, no drink preferences -- (laughter) -- a cheeseburger will be fine. I like Holiday Inns, I have no illusions. I don't want to be a burden when I come to visit. Don't do a lot of dumb things just because the Secretary is coming. Keep it easy, keep it light, keep it low. And if I find something I don't like, I'll let you know. (Laughter.)

しかるべきときがきたら、僕は出張を始めます。最初の何週間かは、新政権で承認が済んでいる国務省の高官は僕だけですから、ワシントンを離れるのはちょっと・・・・(笑い)。船酔いに慣れるまでは家の近くにいたいけれども、そうしたら出かけますからね。皆さんに会いに行きますよ。僕は気楽な旅人です。僕が行くときは、なるべく気楽にやろうじゃありませんか。あらかじめ公電が混み合わないように言っておきますけど、僕は食べ物の好き嫌いはありませんし(笑い)。チーズバーガーでいいんです。ホリディ・インに泊まるのも好きだし、理想は追いませんよ。僕が行くことを、負担に感じて欲しくないんです。長官が来るからって、くだらないことはしないでくださいよ。気楽に、簡単に、構えずに行きましょう。それで、もし僕が気に入らないことがあったら、そんときは言いますからね(笑い)。

そして最後はこう言って締める。

So I just want to let you know that I am proud to be your Secretary. I am proud to have been given this opportunity to serve the American people again. But, above all to serve with you. Thank you very much.

知っておいてもらいたいのですが、僕は皆さんの長官になることを誇りに思います。僕は再び、アメリカ国民のために尽くす機会を与えられました。しかし、それ以上に、皆さんにも仕えます。どうもありがとう。

○他人の上司とはいうものの、聞いててちょっと幸せな気分がしませんでしたか? 今日、どこかの国で所信表明演説をされた方もおられるようですが、ひとつパウエル節を勉強していただいてはいかがでしょう。






編集者敬白



不規則発言のバックナンバー

***2000年12月へ戻る

***2000年2月へ進む


溜池通信トップページへ


by Tatsuhiko Yoshizaki