歴史漫談『勘兵衛とかんべえ』

D七人の侍編(掲載:2001.2.5--2.8)



<2月5日>(月)

○前号の溜池通信本誌でポケモンとiモードについて調べてみて、あらためて感じたのは「強いプロジェクトチーム」の重要性ということでした。ではどうやったら強いチームを作ることができるのか。誰かの意見を聞こうと物色していたところ、格好のゲストが来てくれました。映画『七人の侍』で強力なリーダーシップを発揮し、野武士の襲撃から農民たちを守った浪人、勘兵衛さんです。

○「おいおい、七人の侍はそりゃあ見てるけど、あらかた筋なんて忘れちゃったぞい」とおっしゃるアナタ、ここでも読んで思い出してください。「実はまだ見てないんだよ」というアナタは、それはおめでとう。人生の楽しみがまだひとつ残されているのですから、急いでビデオ屋さんへどうぞ。見てないのに以下を読むと、せっかくの名作が「ネタバレ」になりますから、なるべくならこのまま他のサイトに飛ばれることをお勧めします。では、「勘兵衛とかんべえ」の対談、はじまりはじまりー。(かんべえ)

かんべえ:はじめまして、勘兵衛さん。
勘兵衛:こちらこそ。なんでワシが呼ばれたのかな。
かんべえ:勘兵衛さんは黒澤明監督作品の中で、志村喬が演じたキャラクターです。あの映画の中には非常に多くの人間が登場していて、いくつものストーリーが交錯してできあがっていますが、勘兵衛さんが示したリーダーシップというのはその中でも白眉の部分だと思います。そこで勘兵衛さんのものの考え方というか、いくさに対する方法論を伺いたいのですが。
勘兵衛:ワシはいくさには何度も出たが、すべて負けいくさだったぞ。

かんべえ:いきなりそう来ましたか。あの映画の最後のセリフについては、いろんな意見がありましてね。正直なところ、私も最初に見たときには「こんな分かりきったことを登場人物に言わせるなんて、蛇足もいいところだ」と思ったくらいです。「あんなことを言わせるから、黒澤作品は海外で受けても日本じゃ売れない」という批判もあるようですが。
勘兵衛:いや、ワシは生涯にたくさんの負けいくさを体験したが、あれこそはもっとも得心の行くいくさでな。惜しい仲間をなくしはしたが、ちょっとうれしくてあんなことを言ってみたまでだ。
かんべえ:勘兵衛さんは、盗賊と化した野武士から百姓たちを守るために一肌脱ぐ。ただし百姓たちは貧乏だから、彼らが示すことのできる対価といえば、腹一杯飯を食わせることだけ。勘兵衛さんは、「この飯、おろそかには食わぬぞ」と箸を取る。そこで仲間を募ると、勘兵衛さんを慕って7人の侍が集まる。激戦のうちに7人いた仲間は3人に減ってしまうが、盗賊は全滅する。しかし戦いが終わってみれば、誰からも感謝されていない。そのむなしさを噛み締めるように勘兵衛さんは「勝ったのは百姓たちじゃ」といつぶやく。
勘兵衛:そう。だが、あのいくさはワシが作戦全体を指図できるめずらしい機会だったからな。普通のいくさであれば、別の侍大将の下知に従わねばならない。くだらん命令にいやいや従うことだってある。あのときだけは自分が大将になれた。それが思い通りの結果になれば、うれしくないはずがない。だが終わってみれば、しょせんワシらは「腹一杯飯を食う」ためだけに命を危険にさらしていたわけだ。
かんべえ:勘兵衛さんがあの仕事を引き受けたのは、自分を試そうという気持ちもあったわけですか。
勘兵衛:百姓たちに同情したから、というだけでは武士は動かんよ。それは集まってくれた他の浪人たちも同じじゃないかな。

かんべえ:あの映画の前半は、ほとんどがリクルーティングに費やされています。勘兵衛さんは最初から「腕の立つ仲間が7人は必要だ」と言っています。後半の戦闘シーンよりも、ある意味ではそっちの方が面白いくらいです。
勘兵衛:それなりの仲間が揃わないことには勝ち目がないからな。
かんべえ:どういう心構えで仲間を集めたわけですか。
勘兵衛:仲間を集めるというのは、なにぶんにも相手のあることだからな。まず人と出会うこと自体が「縁」だ。ではどうやって「縁」を得るかというと、これはやってみないと分からない。
かんべえ:リクルーティングにそれだけの時間をかけたということに、プロジェクトに対する勘兵衛さんの考え方が表れているような気がします。つまり仕事がうまくいくかどうかは、仲間を選ぶところで半分は決まってしまうと。
勘兵衛:そうさな。あのときはびっくりするほどいい仲間が集まった。ではなぜそれが可能だったかというと、つまるところは「運」だな。
かんべえ:意図してできたものではないと。

勘兵衛:人を採用するときは、自分が選ぶつもりになったら駄目だ。選ばれているのは実は自分の方なのだから。自分の器を越えた相手は仲間にすることは出来ない。
かんべえ:ほかの6人は勘兵衛さんをみて、「こいつのいうことなら聞いてみよう」と思ったわけですよね。それはやはり勘兵衛さんの力量じゃないのですか。
勘兵衛:そういう面があったかもしれんが、いつでもあんな優秀な仲間が集まるとは限らん。だからやっぱり運だ。
かんべえ:もし、あれだけの仲間が集まらなかったときはどうしましたか。
勘兵衛:初対面で決めた結婚と、100回見合いして決めた結婚、どっちが幸せになると思うかね。
かんべえ:どちらでも変わらないような気がします。
勘兵衛:そのとおり。だから仲間を集めるために、時間ギリギリまで粘っただろうな。しかしいくさは結婚と違って時間が限られている。本当に棒にも箸にもかからなければ、あの頼みは断っていたかもしれん。あんな仲間が集まったのは、ワシを雇った百姓たちの運じゃな。

○口の重そうな勘兵衛さんが、少しずつ饒舌になってきた。明日は七人の侍の個々のキャラクターについて伺ってみます。

<かんべえのワンポイント解説> 

映画『七人の侍』の偉大さは、「7人のキャラクターを集めると、いいドラマが作れる」ことを発見したことにあります。ためしに『太陽にほえろ』に当てはめてみると分かりやすいと思います。こういうタイプが揃っていると、見る側はどれかに感情移入できて、骨太な物語ができるんですね。シェークスピアや井原西鶴でも、こういう作劇術は持っていなかった。しかも『七人の侍』においては、7人の登場人物が過不足なく見事に描かれている。黒澤明の天才性が光る荒業でした。

七人の侍

配役

役柄

太陽にほえろ

勘兵衛

志村 喬

リーダー(沈着冷静)

ボス

七郎次

加東 大介

女房役(知恵袋)

山さん

勝四郎

木村 功

若侍(アイドル的存在)

女性刑事

平八

千秋 実

コミカル(ムードメーカー)

ゴリさん

久蔵

宮口 精二

プロフェッショナル(男前)

殿下

五郎兵衛

稲葉 義男

いぶし銀(ベテラン)

長さん

菊千代

三船 敏郎

破天荒 (真の主役)

マカロニ以下の新人刑事



<2月6日>(火)

かんべえ:結果的に勘兵衛さんはいい仲間に恵まれました。あのチームはどこが良かったと思いますか。
勘兵衛:性格や特技の組み合わせの妙というのかな。ただ腕が立つ者が多ければいいというわけではない。久蔵のような手だれが仲間にいると心強いが、ああいう人間ばかりが揃っても困るわけだ。
かんべえ:たとえば明るいのが取り柄の平八を採用するときに、「苦しいときには重宝するだろう」とおっしゃいましたね。
勘兵衛:あれはいい男だった。本当にいくさが苦しくなる前に失ってしまったが。
かんべえ:勘兵衛さんは手を換え品を換えて仲間を誘いましたよね。義理人情に訴えたり、中には「仕官にも金にもならんいくさがござっての」などと搦め手から誘ったり。
勘兵衛:あはは、ワシだってその程度の小細工はするわさ。

かんべえ:菊千代と勝四郎は向こうからどうしても「仲間に入れてくれ」と言ってきた。あの二人を加えるときには少し迷ったようですが。
勘兵衛:勝四郎は最初から入れてやるつもりだったさ。本人の覚悟だけが気がかりだったが。
かんべえ:若くてちょっとお稚児さん的で、周りの6人にとってはアイドル的な存在でしたね。男ばかりの集団には、ああいう存在も必要なんじゃないですか。
勘兵衛:おいおい、考え過ぎだよ(笑い)。あれは素直でいい男だった。素直なやつは伸びるよ。若くて半人前のやつを仲間に加えておくと、いくさの最中に信じられないくらいに成長することがある。ときにはベテランが助けられることもね。
かんべえ:勝四郎は村の娘に惚れたりして、足手まといになることもありました。
勘兵衛:それはそれで良かったと思う。チームを作るときには、内部に教え魔と修行中の両方がいたほうがいい。最初から完成された力量のメンバーを集めるよりはその方がいいんだ。ベテランは教えることで自分が刺激を受けることもあるから。
かんべえ:うーん、ここにもひとつ、最近の長嶋巨人軍の問題点が…・。
勘兵衛:勝四郎は久蔵から大事なことを学んだと思うな。その後の勝四郎がどうなったかは知らんが、おそらくは久蔵のような武士になったのではないだろうか。

かんべえ:一方、菊千代は本物の武士ではない、ということで当初、仲間の中で「いじめ」を受けます。
勘兵衛:あはは。あの旗指物は良かったな。だが、菊千代はその程度でめげるようなやつではない。終わってみれば、あいつのおかげで勝ったようなものだ。
かんべえ:菊千代が母親を失った子供を抱き上げて、「こいつは俺だ!」と叫ぶシーンがあります。あそこで彼のこれまでの人生や怒りの深さがすべて理解できます。
勘兵衛:あのいくさに対して、もっとも強い動機を持っていたのは菊千代なんだ。こう言ってはなんだが、ほかの連中はワシも含めて、百姓を襲う側に回っていても不思議はないんだ。皮肉なもので、盗賊たちは飯を食うために百姓を襲う。わしらは飯を食うために、百姓を守る。菊千代だけは、そうではなかった。
かんべえ:マイケル・クライトンの『アンドロメダ病原体』というSF小説に、「集団で研究をするときに、変わり者をひとり入れておくと予想外にいい結果を出す」という話が出てくるんです。たとえばほかの全員が既婚者であれば、ひとりは独身者を、ほかが男性であれば女性を、という発想です。『七人の侍』ではまさに菊千代がそれになりましたね。
勘兵衛:侍でない菊千代が、もっとも侍らしい活躍をしたのだからな。

かんべえ:勘兵衛さんは、最初から仲間の数は7人と特定していますよね。これは一種のマジックナンバーだと思うんです。実は7人のチームは非常に落ち着きがいい。そのため『荒野の七人』『七人の刑事』など、たくさんの類似作品ができるんです。「新しいビジネスを始めるときは7人でスタートせよ」というのは、ビジネスモデル特許を取ってもいいようなノウハウだと思います。なぜ勘兵衛さんは「7人」を発見できたんでしょうか。
勘兵衛:まあ、一種の経験則というかな。まず仲間の数は偶数よりも奇数の方がいい。これが大前提だ。
かんべえ:それはどういう根拠で。
勘兵衛:ワシは若い頃に盗賊まがいのことをしていた時期がある。そこで覚えたんだが、盗賊は偶数では仕事をしない。
かんべえ:偶数の方が、獲物を山分けするときに簡単なような気がしますが。
勘兵衛:あはは、君は盗賊をやったことがないからそんなことを言うのさ。2人組が盗賊をやるときは、親分と子分の関係でなきゃいかん。成果を山分けということはあり得ない。
かんべえ:うーん、そんなもんですかね。
勘兵衛:4人や6人では意見が二つに割れたときに動きが取れなくなることがある。わしらは民主主義で行動するわけじゃないけど、いざというときに多数決ができたほうがいい。だから奇数にしておくのさ。あのときは5人では少ないし、9人を集める時間はなかった。だから7人。ただし最悪5人でも仕方がないとは思っていたがな。
かんべえ:そういえば野球は9人、サッカーは11人、偶数のチームは少ないですね。

勘兵衛:もっと手の内を明かせば、あの中にはワシの古女房役である七郎次がいた。それから勝四郎は半人前だが、これもワシについてきてくれそうだった。7人のうち3人の意見が固まっていれば、仲間割れの危機があっても、まぁなんとかなる。7人の中には久蔵のように、わが道をいくのがおるから、最悪でも少数派に転落することはない。
かんべえ:なるほど、与党を形成できると読んでいたわけですね。
勘兵衛:そりゃあまあ、派閥はない方がいいに決まっているけれども、人間が仲間を作ったら好き嫌いはどうしたって出てくる。最悪のケースは考えておかなくてはな。

<かんべえのワンポイント解説> 

世界のいろんな民族に好きな色と数字を尋ねると、「青」と「7」がいちばん多いのだそうです。これを「青7現象」と呼ぶ心理学者もいるとか。また野口悠紀雄氏によれば、人間がメモを使わずに覚えられる項目はだいたい7つまでで、1週間が7日であるのは合理的な現象であるとのこと。などなど、「7」をめぐる逸話は尽きません。

かんべえには、「7人制取締役会」という提案があります。取締役会のメンバーを7人とするわけですが、その内訳は、
@CEOがひとり、
Aその会社のたたき上げで、CEOが心から信頼できる仲間が3人、
B社外の経営者で、その会社の経営状況をしっかり把握しており、CEOが煙たいと感じるような人物をふたり、
Cその会社のことをあまり分かっていない、別の世界の専門家(学者、ジャーナリストなど)をひとり、
という陣容です。

この体制であれば、CEOはいざというときにはAの3人を味方につけて、多数決で自分の計画を通すことができます。また、BとCの3人は、野党として比較的楽な立場から、いろんな意見をCEOにぶつけることができます。仮にCEOの経営手腕に問題が生じた場合は、Aの3人のうち1人を切り崩せば、CEOは解任されてしまいます。こうして考えてみると、この7人制取締役会は、闊達な意見交換を行う上でも、論議に緊張感を持たせる上でも、なかなかいいフォーメーションではないかと思うのです。


<2月7日>(水)

かんべえ:農民と武士の交流、というのが『七人の侍』のひとつのモチーフになっています。菊千代は最初から百姓たちの本質を見ぬいていて、実は武器や酒まで隠し持っていることを知っている。7人の仲間の中には、「落ち武者になって竹槍に追われたものでなければ、この気持ちは分からん」と、百姓への不信感をあからさまにする者もいます。コンサルタントはクライアントを嫌っているし、クライアントはコンサルタントを疑っている状態です。これは仕事を進める上でかなり難しいシチュエーションだと思います。

勘兵衛:百姓への不信感はワシにだってあったさ。ちゃんと竹槍に追われたことがあるからね。負けいくさの何が怖いといって、あれがいちばん厭なものだ。名のある侍に討たれるのなら納得もゆくが、百姓の手にかかって小遣い稼ぎにされるのはかなわんからな。
かんべえ:山崎の戦いに敗れた明智光秀は百姓の手にかかって殺されます。ところが秀吉は、光秀の首を持ってきた百姓たちに褒美をやるどころか罰したそうです。たぶん秀吉も似たような経験があったんでしょうね。
勘兵衛:そういう互いの不信感があることは、自覚しておかないといけない。なにしろ立場が違うのだから。ただしいくさというものは、本当の修羅場になれば、贅沢は言っていられない。ふだんはいがみ合っていても、いざ盗賊が姿を見せて事態が緊張すれば和はできる。そのへんは楽観しておったの。
かんべえ:ただし百姓たちの態度は、客観的に見ても非常に不誠実に見えることはたしかです。
勘兵衛:そうだな。たとえば侍を雇うという決断をしたところで、「村に侍を入れると、娘たちが惚れるからまずい」などという反対論が出る。村長はさすがにそこは分かっていて、「自分の首が危ないときに、髪の毛の心配をしてどうする」と言ってたしなめる。
かんべえ:耳の痛い話ですが、「日本企業は改革しなければならない」というときに、「だが、リストラをすると社員の士気が低下する」みたいな意見が出るのが2001年の日本経済の現状でして。そういう意味ではまったく日本社会は変わっていないんです。
勘兵衛:そうは言っていても、本当の危機が来たら、反対論はなくなるさ。百姓たちというのは、その程度には賢明なものだ。あんたたちの会社というのも、似たようなもんだろう。

かんべえ:ひとつのターニングポイントになったのは、勘兵衛さんが村外れの家を見捨てる決断をしたところだったと思います。村としての防衛ラインを手前にひくために、村で1軒だけ川の向こうにあった家を放棄する。するとその家の住民が馬鹿らしくてやってられないと文句を言う。そこで勘兵衛さんが一喝する。「他人を守ってこそ自分を守れる。己のことばかり考える奴は、己を滅ぼす奴だ」と。
勘兵衛:あはは、照れくさいな。
かんべえ:この言葉は安全保障の世界でいう「同盟(Alliance)」の概念を、一発で説明しているんと思います。戦国時代は当然として、平和なときであっても、歴史上から「同盟」がなくなったことはありません。「自分の身は自分で守る」のは理想だけど、結局はコストが高くついてしまう。そこで別の国と安全をシェアすることが合理的な結論になる。互いに「私は命を懸けてあなたを守りますよ」と言い合うことで、リスクを低減して、防衛に対するコストを下げることができる。ところが「同盟」を嫌う勢力というのはいつの時代にもあって、第一次世界大戦の後には「国際連盟を作って、ドイツを封じ込めれば世界は平和になる」という幻想が一般的になるんですね。そこで日英同盟なんかも破棄されてしまう。その結果がどうなったかというと、20年をまたずして同盟抜きの平和の枠組みは崩壊しちゃう。そういう反省から、戦後の日本は日米安保条約を基盤に安全を守ってきたわけですが、「わが国は集団的自衛権を保有するが行使できない」という変な意見があって、相変わらず「同盟」は人気がないわけなんですが、・・・すいません、何の話をしていたんでしたっけ。
勘兵衛:その辺の話は分からんが、あの家の住民とて、自分の家が捨てられるという理屈は理解しておるのだ。少なくともワシはそう見た。ただし誰かが因果を言い含めなければならない。それがワシの役回りだっただけだ。

かんべえ:ああいう状況のときは、本人も周囲も本当は分かっているんです。そういうときにリーダーが、「君の気持ちはよく分かる」とか言っちゃうと、困ってしまう。リーダーは「ノー」を言う義務がある。そういう役回りですよね。
勘兵衛:言いにくいことは短く言えばいい。その方が気持ちが伝わる。
かんべえ:あれを言ってしまったあとの勘兵衛さんにはカリスマが入っているように思います。
勘兵衛:それはどうかな。たとえ小競り合いでも、まず勝つことが大切だ。小さな勝ちを拾えば、戦うことに対する仲間内の説得力が違ってくる。最初に盗賊たちの偵察を撃退したわな。あれが大きかったと思う。
かんべえ:なるほど。三顧の礼で迎えられた諸葛孔明が、最初は小さな戦闘で勝ちを積み重ねて、だんだん周囲の信頼を得ていくのと同じですね。「この人についていけば、何とかなりそうだ」と。
勘兵衛:なにしろ百姓たちの信用を得ておかないことには、ワシらが安心して戦えんからの。というより、自分自身にもそう言い聞かせないことには、戦場の指揮官などはやっておれるものではない。

<かんべえのワンポイント解説>

 『七人の侍』の舞台になったのはいつの時代で、どこの土地だったか。黒澤明の想像力の世界の産物とはいうものの、戦国時代であったことは間違いない。映画の中で、盗賊たちは「種子島」を使う。欧州の鉄砲が伝来したのは1543年。日本に伝わった鉄砲は瞬く間に国産化されるようになり、わずか30年後の1575年には、織田信長が3000丁の鉄砲隊を率いて、長篠の戦で武田勝頼の軍を破ったことは有名だ。『七人の侍』の時代は、織田家による天下統一の動きはまだ始まらず、かといって鉄砲はすでに普及しつつあった時代と見ることができよう。

また、麦の刈り入れと田植えの両方のシーンがあることから、二毛作ができるほど生産力が豊かな地方であることが窺える。全体的に好天の描写が多いものの、決戦の日の大雨であり、台風が到来していた模様である。

これらの材料から判断し、時代としては1560年頃、場所は九州か四国であると、かんべえは想像する。ちょうど織田信長が桶狭間で今川義元を破った頃だが、九州や四国ではまだ強力な大名が定まっていなかった。


<2月8日>(木)

かんべえ:盗賊の偵察を撃退した後、勘兵衛さんたちは敵の本拠地を襲いましたね。そこで敵の戦力を叩いておいて、最後は村に敵を入れた。例の「一騎通したら道へ飛び出して槍襖を作れ!」という作戦です。あのへんの戦略はどのように発想されたんですか。
勘兵衛:別に難しい話じゃないさ。君は孫子の兵法は読んでるかね。
かんべえ:・・・・失礼いたしました。敵地で戦うのはいくさの初歩ですね。
勘兵衛:もう少し分かりやすい説明をしてみよう。わしがいちばん恐れていたのは、敵が警戒して長期戦になってしまうことだな。敵の根城を叩いてしまえば、やつらは居場所を失って前に出てくるしかなくなる。そこで村の中に敵を一騎ずつ入れる。向こうは戦力を分散することになるから、こちらの有利は目に見えている。
かんべえ:ふうむ、ゲリラ戦に出られるとまずいと・・・・。でも、こちらは村の中に篭城していて、食べ物にも困らないわけだから、長期戦はむしろ歓迎なのではありませんか。

勘兵衛:なにしろこちらは7人しかいない。短期決戦でないと自信がなかったな。
かんべえ:そこで敵の根城に斬り込んだ。これは勝負どころですね。
勘兵衛:成功するかどうかは運だと思ったな。向こうが油断していたので助かったし、火をつけたところまでは上出来だった。だが、敵が種子島を持っていたのは予想外だった。あれで平八がやられてしまう。
かんべえ:ところが久蔵が単身で敵陣に乗り込んで、種子島を取ってくる。勝四郎は舞い上がって、「あなたは素晴らしい人です」と言うが、見ている方もあそこはしびれます。
勘兵衛:いくさをやってて楽しいことなんてめったにあるもんじゃないが、ごくまれに嬉しい瞬間がある。不思議なもんで、自分がいい仕事をしたときよりも、仲間がしてくれたときの方が嬉しく感じるのだな。
かんべえ:チームを作って仕事をする面白さというのは、そのへんにあるように思います。
勘兵衛:そういう嬉しさは、いつまでも忘れがたいものだな。

かんべえ:決戦の日は雨でした。
勘兵衛:あの日のことは、なぜかよく覚えておらんのだ。
かんべえ:いくさとしては、有利な態勢ができていたのではありませんか。
勘兵衛:敵の数は減っていた。盗賊というものは、量と質が比例するところがある。数が増えれば恐ろしいし、減れば一気に弱くなる。だから勝てるとは思っていた。
かんべえ:しかし最後の瞬間に、菊千代が撃たれたのは痛恨でした。
勘兵衛:あのことだけは夢に見るのだ。菊千代が生き残っておれば、わしもあれが負けいくさだとは思わなかったかも知れぬ。

かんべえ:――こう言っては失礼ですが、勘兵衛さんは孫子の兵法はどこで学ばれたのですか。
勘兵衛:それはまあ、内緒にしておこうかの。
かんべえ:若い頃は何をされていたんですか。
勘兵衛:語るほどのことは何も。
かんべえ:最後に勘兵衛さんの人生を振り返ったとき、これは良かったと思えることをひとつだけ挙げてください。
勘兵衛:七郎次と出会ったことかな。
かんべえ:そのひとことで十分です。ありがとうございました。

<かんべえのワンポイント解説>

勘兵衛さんが『孫子の兵法』と言い出したから、あわてて昔読んだ岩波文庫を探したけど見つかりませんでした。でもありがたいことに、
こういうサイトがあるんですね。感謝です。軍事の世界に天才はごまんといますが、軍事理論の天才はかんべえが知る限り3人しかいません。孫子とクラウゼヴィッツとリデル・ハートです。ハートはオタクの世界ですから、かんべえもまともには読んでませんが、孫子とクラウゼヴィッツは意外とファンが多いので要注意ですね。え?マハンは天才じゃないのかって? あれはもう賞味期限が切れているからカウントしないの(←ずぶずぶにオタクの世界だなぁ・・・・)。

○勘兵衛さんはとぼけていますが、本人はかなりのインテリだったのではないかと思います。加えて度胸といい、武芸といい、統率力といい、あの時代であれば一国一城のあるじになっても、少しの不思議もない傑物だったといえましょう。なぜか辛酸をなめ、参加するいくさはいつも負ける側。そのわりにはたいした怪我もなく、あの年まで生きていたのも不思議な運といえましょう。

○『七人の侍』事件に参加した頃には、いわば侍として枯淡の境地に達していたようです。勘兵衛さんの人生はいわば「負け組」。それだけに、「勝ち組」の人にはない奥ゆかしさのようなものを感じてしまいました。ふとした思い付きで4日間にわたって、お話を聞いてみましたが、期待通りにいい人でしたね。それでは当「不規則発言」は、明日から平常モードです(かんべえ)





編集者敬白



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