『みずほ銀行券』(日本語)
2002年12月17〜18日




PART1

2003年3月19日。日銀記者クラブは異常な熱気に包まれていた。この日、任期を終える速水優総裁の後継者に、まったく無名の人物が就任したからである。小泉首相が「究極のデフレファイター」と呼ぶ第28代日本銀行総裁がいかなる人物か、固唾を飲んで世界が注目していた。

無数のフラッシュの中を現れたのは、まるで布袋様のようななりをした、笑顔の印象的な人物であった。

「どもどもどもども、このたび日本銀行総裁を拝命いたしました二瀬兼清造でございます」

「早速ですが、幹事会社より質問をさせていただきます」最初にマイクを握ったのは、日本経済新聞のベテラン、多北要一記者であった。「まず総裁としての抱負を伺います」

「言うまでもありません」二瀬兼総裁は笑顔で答えた。「デフレを止めること。これが私の使命でございます」

「しかし」多北記者が畳み掛けた。「どんな手があるというのですか。正直なところ、効果的な手段があるとはとても思えないのですが」

「秘策がございます。ただしその中味は、ここで申し上げるわけにはまいりません」

記者クラブは騒然となった。「インフレ・ターゲティングですか」「米国債の買い入れですか」「いや、不良債権の一括買い入れでは」――そうした声を無視するかのように、二瀬兼総裁は言い放った。

「ひとつだけ申し上げます。昨年来、政府・日銀はデフレ解消のために特殊プロジェクトを組み、日夜突貫作業を行ってまいりました。私どもには成算がございます。1年とは申しません。日本経済のデフレは半年以内に解消してご覧に入れます」

クラブ内のざわめきは、もう収拾がつかないほどになっていた。

「あと2週間。4月1日までお待ちください。その日になれば、すべてが明らかになるでしょう」二瀬兼総裁は上機嫌で断言した。

PART2

その日の朝、とある中年男性が銀行のキャッシュディスペンサーから3万円を引き出した。3人の福沢諭吉を手にした男は、ふと違和感を感じた。手触りも、肖像画も、そして透かしまでもいつもと変わりのない紙幣。もう一度お札を見た男は、「ぎゃあ!」と声を上げた。そのお札は日本銀行券ではなく、「みずほ銀行券」だったのである。

同じ衝撃が日本全国に走った。4月1日の朝をもって、日本国内には5通りの紙幣が流通するようになったのである。すなわち日本銀行券、東京三菱銀行券、三井住友銀行券、みずほ銀行券、それにUFJ銀行券である。財務省印刷局は、この日のために秘密裏に4種類の新紙幣を用意していた。それぞれの紙幣の意匠はまったく同じなのだが、「XX銀行券」とある部分が違う。そして日本銀行券では「総裁之印」とある赤い印章が、それぞれ4大銀行の頭取のサインになっていた。

「なるほど、これは良くできている」小泉首相は5種類の紙幣を手にとって言った。「私にはよく分からないのだが、これで本当にデフレが止まるのだろうか」

「お任せください」二瀬兼総裁は笑顔で胸をたたいた。「四大銀行には無制限の通貨発行権を与えてあります。もうこれで彼らに恐いものはありません。好きなだけ紙幣を増発することで、増資もできますし、不良債権の償却も、過剰負債企業への債務免除も可能です。これで日本の金融システムの不安は完全に解消しました。そう、ゴールデンウィーク明けには、ペイオフの解禁もやってしまいましょうか」

外国為替市場ではドル円相場が1ドル150円をつけていた。その一方で、日経平均株価はストップ高となっていた。

PART3

人々は新しい現実にすぐに適応した。5つのお札はすべて同じ価値ということになっていたが、そこはそれ、使い分けが行われた。まず日本銀行券は退蔵され、ほとんど市中には流通しなくなった。人々は少しでも安全と思われる銀行券は大事に使ったが、危ないといわれる銀行券を手にすると一刻も早く使ってしまわなければと焦った。4種類の銀行券の間には、それぞれの経営状況に応じて優先順位ができ、はなはだしい紙幣はババ抜きのように忌み嫌われた。

人々はこんな会話を繰り返した。
「ちぇっ、お釣にXX銀行券が入っていたよ」
「そんなの早く使っちゃいな。持っててもろくなことないから」
「でもさあ、受け取りを拒否するところもあるんだよね」
「そうそう、海外でドルに変えようとしたら、1ドル300円だって言われちゃった」
「パチンコ屋はどこの紙幣でも受け取るらしいよ。きっと北朝鮮に流れてるんじゃないか」
「その点、トヨタさんなんざぁさすがだね。支払いが全部日本銀行券だったよ」
「うらやましいなあ。やっぱり持つべきものは日銀券ですな」

いつしか5つの銀行券の間には、それぞれに闇の交換レートができた。マネー雑誌は競って新しい現実に対応するノウハウを提供した。「日本銀行券を手に入れてあなたの資産を守る法」「XX銀行券を処分する方法」「いま○○銀行券に妙味あり」・・・・いずれにせよ、資金の流通速度は加速し、経済は活況を呈し始めた。もはやデフレを心配するものはどこにもいなくなった。

PART4

2003年9月。ワシントンで行われたG7において、塩川財務大臣とニ瀬兼総裁は高らかにデフレの克服と日本経済の回復を宣言した。1ドル180円(といっても、それは日銀券のことで、220円くらいの銀行券もあったわけだが)の円安により、企業収益の回復も景気を後押しした。結果として、自民党は小泉総裁の無投票当選を決めた。

しかし、同じ国の通貨の価値に差があるという矛盾は、ついに国際投機筋が狙い撃ちにすることとなった。ターゲットになったのはみずほ銀行券である。みずほ銀行券は瞬く間に1ドル500円まで売り込まれてしまった。人々はこう噂した。

刷るほどに値打ちの下がる みずほかな

官邸にとっては、これは冗談ではなかった。

「二瀬兼総裁、どうするつもりだね」小泉首相が気色ばんだ。

「みずほなど国有化すればいいじゃありませんか。それで日本銀行が吸収します。銀行券は1種類減って4種類になりますが、インフレの行き過ぎを止めるにはちょうどいいでしょう」

「いや、それが・・・」竹中金融担当大臣が真っ青になっていた。「銀行はキャッシュを手に入れて、真っ先に公的資金の返済を始めたんです。政府優先株は、もうほとんど返済されています」

「そうか、お陰で財政再建ができそうだと、喜んでいたのだった」と小泉首相。

「それよりも、心配なことがあるんじゃが・・・」塩川財務大臣が言った。「外資がみずほ株を買いあさっているらしい。万が一、みずほ銀行が彼らの手に渡ったら、困ったことになる」

この懸念は当たった。間もなくリーマン・スタンレー・サックス証券が、みずほ株の公開買付を宣言した。みずほ側は自分で資金を出して、自社株買いで対抗しようとした。しかし、みずほ銀行券の相場下落が痛かった。ついに四大銀行の一角が外資の手に落ち、彼らは日本国の通貨発行権を手にしたのであった・・・・。


あとがき

この金融シミュレーション小説は、最終章、外資に乗っ取られたみずほ銀行が「中東復興銀行」に看板を付け替え、イラク復興事業に巨額の投融資に打って出る。ブッシュ大統領は「打ち出の小槌だぁ」と大喜び、という落ちになる予定でしたが、なんだか悲しすぎるような気がしたので未完となっております。

また、通貨オタクのこの人からは、「通貨(法貨)として強制通用力のある銀行券の発行は、法律(日銀法46条)によって日本銀行だけに与えられています。いかにニ瀬兼総裁といえども、法改正なしに通貨発行権を与えることはできません」とのご指摘をいただいております。いちおう念のため。




編集者敬白



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