○Scene1:2003年11月、総選挙直後のホテルオークラ、山里
上座に腰をおろしたナカソネ大勲位の背筋は、いつも通りにぴしりと伸びていた。開口一番、単刀直入に本題に入った。
「マスコミの諸君は、今回の総選挙の結果をどのように見ているのかね」
「できれば気を悪くしないで聞いてほしいのだが・・・」
下座に鎮座しているのは某新聞社長兼主筆のナベツネ氏であった。
「小泉の小僧の勝ちであったね。選挙の直前にあんたを辞めさせ、道路公団の藤井某の首を取るの取らないのとやったのは、マイナスに決まっているとワシらは思ったものだ。ところが最近の有権者にとっては、そういうのが逆に新鮮に映るらしいな。変に妥協をしないところが、従来の自民党とは違う。これは期待してもいいのかなと思ったらしい。現に比例代表における自民党の得票は、前回の2000年総選挙に比べると伸びている。反対に民主党なんぞは、党代表の息子の出馬を止められないあたり、いかにも旧態依然としていると見られたようだ。そんなこんなで、時代は変わったというところだろうかね」
あからさまに、お前は時代遅れだと言わんばかりの口振りに対し、大勲位は憮然とした様子だった。
「それはそれとして、今日はひとつご相談がある。ぜひ、お力をお借りしたい」
ナベツネは切り出した。
「恥を忍んで申し上げるが、まさかダイエーのコクボ選手をロハで手に入れられるとは思っていなかった。ほかにもいろいろあって、わが社では数億のチーム強化予算が宙に浮いている。せっかくだから、このカネを日本政治のために使いたいと思っておる」
数億のカネ、というキーワードに大勲位は思わず反応していた。
「ついては、絶大なるご協力をお願いしたい。これは貴方のご協力がなければ、絶対に不可能なプロジェクトなのだ。その案というのは・・・」
二人の老人の背中は、いつしかテーブルに覆い被さるばかりに沈み込んでいた。
○Scene2:2004年1月、憲政記念館
いつもは人気のない永田町の憲政記念館は、ときならぬ報道陣の熱気に取り囲まれていた。この日、この会場において、読捨新聞社主催、永田町・マスターズリーグの柿落としが予定されていたのである。記念すべき最初の代表演説を行ったのは、引退したナカソネ大勲位であった。
「戦後政治の総決算はいまだ終わらず。憲法改正と教育基本法の改正がならないうちは、わが思いはけっして消えることはないのであります」
1時間にわたる堂々たる大演説は、「ワンフレーズ・ポリティクス」に飽いた聴衆の心を打つものがあった。そして一瞬の沈黙の後、代表質問に立ったのは、同じく引退したばかりのミヤザワ・ヨーダ仙人であった。
「私は1951年のサンフランシスコ講和会議、吉田全権の末席を汚した身ではありますが、ただ今の演説に対して、若干の建設的な質問を試みたいと存じる次第であります」
案の定、代表質問も骨太な歴史観に裏打ちされた、格調の高いものであった。しかるに大勲位は、それに対してさらなる反駁を試みたのである。
「ただ今の同志、ミヤザワ君に申し上げたい。マッカーサー将軍が引き上げたときの君の心中はいかばかりだったか。独立を回復するわが国に対し、欣喜雀躍するものがあったのではなかったか。貴方が真の愛国者であることを知ればこそ、ただ今の質問が君の真意ではないと、私は深く心中察するものである」
「異議あり!」
満座が水を打ったようになる中で、立ち上がったのはゴトウダ元官房長官であった。
「ナカソネ同志に伺いたい。あの悲惨な戦争から我々が得たものは、果たして何であったのかと。それを一概に否定してしまうことは、別の意味で歴史に学ばざることを意味するのではないのかと」
永田町・マスターズリーグの冒頭を飾るこの論戦は、ニッポンテレビを通じて全国に中継された。視聴率は20%を超えて、同じ時刻に放映されていたNHKの国会中継をはるかに上回ったのであった。
○Scene3:2004年3月、憲政記念館
永田町・マスターズリーグの人気は沸騰した。なにしろここに集まる老人たちは、派閥がどうの利権がどうのといった欲得は完全に超越しており、そこで繰り広げられる論戦は天下国家を正当に論じるものであり、有権者の心を揺さぶるものがあったからである。
こうなると現金なもので、マスターズリーグ入りを望む政治家が続出した。とくに落選中のベテラン代議士にとっては、これぞ名をあげる絶好の機会であったからだ。ただしマスターズに入るためには厳重な審査があり、某自民党前幹事長などは入会を申請するや否や、「我々の仲間に入るためには、卑しくも色香にまどわされるようであってはならぬ」の一言で門前払いを食う始末であった。
そうこうするうちに、元野党の引退議員たちもマスターズで活躍するようになった。この日、壇上に昇ったのはムラヤマ元首相であった。ムラヤマ氏は、なぜに自分が日米安保条約を堅持すると路線を変更するに至ったかという自己弁護を、歯切れ悪く述べ立てたのであった。
「それではただ今より質問に移ります」
マスターズの議長を務めるツチヤ前埼玉県知事は、高らかに宣言した。しかるに指名されたのは、大方の予想を裏切る信じがたい人物であった。
「日本共産党委員長、ミヤモトケンジ君!」
聴衆がざわめく中を、しずしずと壇上に上がったのは、確かに在りし日のミヤケンであった。ただし人目を引いたのは、頭上に浮かんでいる「天使の輪」であった。
「かつては共に米帝と戦った、ムラヤマ君の真意を正したいと思う」
演説を始めたミヤケンに対し、会場を揺るがすような大声の野次が飛んだ。
「何を言うか、この人殺しが!」
言うまでもなく、声の主はハマコー氏であった。
議場は収拾のつかない大混乱に陥った。永田町・マスターズにおける初めての乱闘騒ぎの瞬間であった。この日、テレビ視聴率はとうとう4割を越えた。
○Scene4:2004年5月、憲政記念館
現実におもねらないホンネの議論ができる場として、永田町・マスターズはますます政界における重みを増しつつあった。しかるに困ったことは、「頭上に天使の輪をつけた」参加者が日一日と増えつつあることであった。
その日の壇上に立って、財政再建の必要性を訴えたのは、庶民派のミッチー氏であった。
「要するに、国にもゼゼコが必要なんであります。今のような財政を続けておっては、この国の将来はまったく失われるわけであります」
「んまあ、それはそうだわな。そういう意味では、1989年の消費税導入は大英断だったというわけだわな」
会場の後方に陣取ったタケチャンマンが、まるで他人事のようにつぶやいた。
「んー、でもさ、タケチャン、今の日本経済で、消費税増税は苦しいんじゃないかな」
仲良く隣に座っているアベチャンマンが言った。
「馬鹿者!」
そのとき、飛び切り大きな天使の輪をつけた昭和の大妖怪が背後から現れて言った。
「お前がそういうことを言って、ワシのDNAを受け継いだ幹事長のシンゾウがどんなに迷惑するか分からんのかッ!」
あらためて見渡すと、周囲には懐かしの三角大福やら、ノーベル平和賞やら、貧乏人は麦を食えおじさんやらが大挙して押し寄せていた。まさに百鬼夜行。ヨーダ仙人がすっかり霞んでしまうような有り様に、さすがにテレビの前の視聴者も引いてしまうものがあった。国民の大多数が心底から薄気味悪く感じた。永田町・マスターズの人気凋落は、まさにこの瞬間に始まったのである。
○Scene5:2004年7月、参院選直後のホテルオークラ、山里
「はっきり言うが、ワシはあんな妖怪番組を作るつもりはなかったのだ」
ナベツネは気色ばんでいた。
「それどころか、あの番組が仇となって、今回の参院選ではますます世代交代が進んでしまった。年寄りは早くマスターズに行ってしまえといわんばかりの風潮がはびこっておる。何ということになってしまったのか」
上座の大勲位は苦笑しながら言った。
「君もそういう私利私欲は捨てて、そろそろ明鏡止水の心境になったらどうだね」
「冗談じゃない」
ナベツネは勢い込んだ。
「今年もわが球団は低迷しておる。残念ながら、来期はジョージマとイガワとミヤモトを取りに行かなければならぬ。とてもではないが、カネが足りない。永田町・マスターズはそろそろ幕引きにさせてもらいたい」
「はっはっは」
大勲位はさらりと言ってのけた。
「君もいつまでも現役で頑張ってないで、そろそろ肩の力を抜いたらどうだね。こっちの世界は楽しいよ」
ナベツネははっと気がついて上座を見やった。そして愕然とした。床の間を背にした大勲位の頭上には、燦然と光り輝く天使の輪が浮かんでいたのである。
編集者敬白
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