●かんべえの不規則発言



初のベトナム紀行編



1999年11月1〜10日



<11月1日>(月)

○というわけで、明日から東南アジアに出かけるかんべえさんです。溜池通信の今週号はお休み。不規則発言も、ベトナムからの接続が可能なら考えますけど、おそらく更新はできないと思います。帰ってきたら、また続けますので、次の更新は11月10日頃になると思います。

○そうなる前に、と思ってフロントページを一新してみました。前からこんな風にしてみたかったのですが、たしかに愛想はありませんな。非常に不完全な形ではありますが、リンク集のページも作りました。うまくつながらないページもあるかもしれませんが、ま、それもそのうちに。

○と思って昨晩は頑張ったのですが、今日からニフティがinfowebと統合されるというドタバタがあったせいか、まったくつながらず。困ったもんです。@ニフティに移行したものかどうか、ちょっと考えもの。こういうとき、かんべえは他人の後から行動しようと考えるタイプなので、しばらくはこのまま動かないつもりですが。



<11月2日>(火)

○バンコクのホテルから、ローミングによるアクセスを目指すも駄目。これはやはり帰国してからアップするしかないようですな。ともあれ、かんべえはバンコクに来ました。

○いきなり交通渋滞に遭遇。アジア危機以後、名物の渋滞がなくなったと聞いていたので、「いやぁ景気回復ですな」と言ったら、現地の人は「なぁに、雨のせいですよ」。景気ではなく、天気が問題らしい。だが、道を行くクルマはみな新しく見える。ベンツやBMWも多い。クルマはたしかによく売れているそうで、この国の内需はけっこう強いのではないか。

○で、バンコクではスコタイ・ホテルに泊まっているのですが、これが豪華絢爛。オリエンタルよりもすごいかもしれない。部屋も無茶苦茶広い。こんないい部屋が1泊158ドルとはすごい。こんないい部屋に泊まっているのに、夜11時に仕事から帰ってきて、翌朝7時20分にはチェックアウトというのが悲しい。



<11月3日>(水)

○バンコクでいくつも面会をこなして、夕方にハノイ着。今回はタイ料理もタニヤ街もタイ式マッサージ(真面目なやつ。ヨガの一種だという説あり)もすべてパス。惜しいなぁ、いい街なのに。

○ベトナムは初めて。うっひゃあ、すごいところ。入国管理官なんてまるで軍人。パスポートのチェックが終わると、旅行者に返すのではなく、テーブルの上にメンコのように叩き付けてくれる。態度悪いことこの上なし。さすがは社会主義国だ。

○ハノイの街は噂通りのバイクの群れ。町並みはまことに貧相。バンコクに比べれば月とスッポン。ハノイはみんな若くて活気がある。昔のカブみたいなバイクに、抱き合うようにして乗っているカップル多し。電力供給に限界があるのか、ネオンは少な目。そのなかでも目立つ色とりどりの「Karaoke」の文字。深夜、宿泊のホテル、ニッコーハノイから国際電話によるアクセスを目指すも駄目。ますますインターネットは遠い。



<11月4日>(木)

○ニッコーハノイの14階から窓の外を見ると、赤茶けた瓦の貧相な住居が並んでいる。洗濯物が干してあったり、下着姿のベトナム人が涼んでいたりする。こんな下町にどーんと16階建ての、日本人向けホテルが建っている。下に住んでいる人には日照権もへったくれもない。道路では、相変わらずバイクの群れが東西南北に向かって走っている。ホテルの中にいても、外のブーブーという音が途切れることはない。

○突然、疑問が氷解して、国際電話によるインターネットへのアクセスが可能であることに気がつく。メールも届いていた。「ハノイ通信」などという題名で、調子に乗ってあちこちへメールを出す。さすがに電話料金が恐いのでネットサーフィンは自粛。でもHPの更新なら1分で済むから、ま、いいか。

○仕事ばかりでホテルから全然外に出ず、食べるものは毎回日本食。日本にいるときでさえ、あんまり和食党ではないかんべえさんとしては、早くベトナム料理にチャレンジしたいのですが・・・・



<11月5日>(金)

○ベトナムに来てしまったがために、人生が変わってしまった人は多い。元朝日新聞の本多勝一は、ベトナムにハマル前は『極限の民族』シリーズの名物記者だった。石原慎太郎は、ベトナムで肝炎に罹って治療中に、思うところあって政治家を志した、と『国家なる幻影』で書いている。でもまぁ日本人の多くはお気楽な立場だったわけで、本当にベトナムで人生狂っちゃったのは、オリバー・ストーンのような多くのアメリカ人兵士たちだろう。

○今でもベトナムには、訪れる人を変えてしまうような魔力があるのだろうか。中学生のときにベトナム戦争が終わってしまったかんべえさんには、あまりそうした思い入れがないので、「なんてビンボーくさい国」という印象で終わってしまうかも。今のところ、ホテルから全然出てない(出られない)から、なんともいえませんが。

○たしか25年前までは、ベトナムと戦争してたはずなのに、今ではこの国は米ドルが流通している。「祖国か死か」と叫んだホー・チ・ミンの肖像入り通貨は全然信用がなく、1ドルあたりなんと約14,000ドンだという。一人当たりGDPは320ドル(97年)。立派なHIPC(最貧国=Highly Indebted Poor Country)のひとつである。その割りに購買力があるのは、米国移民が里帰りのたびに持ち込む、大量のドル紙幣のおかげだという。地下経済が大きいから、数字以上に人々は豊かだそうだ。

○ちなみに現地の人の話によれば、ホー・チ・ミンという人は英雄でも何でもなくて、この国ではよくある根回し気配り型の政治家だったのだという。日本と同じでなんでも合議制できめようとするので、そういう人が上に立っていた方がうまくことが運ぶのだそうだ。

○ルームサービスで、コーヒーをポットで注文したら3ドル以下だった。味はまあ、許容範囲である。仕事をする環境としては、あまり悪くなさそうだ。



<11月6日>(土)

○この国では今、中部一帯が大洪水でえらいことになっているらしい。しかしハノイは今日も好天。雨の気配さえない。ホテルでは洪水救済のための募金箱を用意した。なにせ1ドル=14,000ドンですから、ドル紙幣を寄附すれば威力はあるわけで。カメラの調子が悪いので、ホテルの売店で8ドル60セントのデュラセル乾電池を買い、10ドル札を出したら20,000ドン札一枚が帰ってきた。だいたい正確なようだ。

○かんべえさんの仕事は大詰めを迎えつつある。12時間後にはかなり気楽な立場になっているはず。で、いったい何をしてるのかというと、国際会議に出ているわけでして、なんの会議をしているかということについては、おいおい差し障りのない範囲で書きましょう。あーいそがし。



<11月7日>(日)

○今日のハノイは朝から雨。見る見るうちに路上には水が溜まって、あちこちで池のごとき様相を呈し始める。中部地域の洪水救済用募金箱に5ドル入れておいた。気は心、てな感じだが、しつこく書いているようにこの5ドルには値打ちがあるのだ。

○ハノイ近郊にある某日本企業の工場を見学した。300人の工員を雇用しているが、ほとんどは若い女性で、朝8時から夕方5時まで、午前に10分、昼に50分、午後に10分の休憩時間以外は、寡黙に工程に取り組んでいる。ご想像通り、神経を使う細かい手仕事で、思い切り消耗しそう。見ていて思わず、女工哀史なんて言葉が脳裏を走る。

○この国では、外国企業は月45ドルが法定最低賃金になっているとのこと。日本企業が払う給料は、だいたい55ドルから70ドルが相場といったところらしい。「おいおい、これで月5000円かよ」と思ったら、国営企業の場合は最低が月16ドルなんだそうで、ここで働いている彼女らは恵まれているのである。「月16ドルで生活できるのか?」と思ったら、やっぱりそれではたいへんらしく、大多数の人たちはアルバイトをして生計を立てているらしい。ハノイでは、午後4時半に帰りのラッシュアワー(もちろんバイクと自転車だ)になる。「帰りが早いね」なんて思っちゃいけない。彼らの多くは、副業へと急いでいるのである。

○たしかにこの国の人たちからは、貧しいがゆえの閉塞状況みたいなものはあまり感じられません。だからといって、「暮らしは貧しくとも、彼らの眼は輝いていた」(わぁ、朝日新聞みたい)みたいなことを言うのは嫌ですね。かんべえさんは、およそヒューマニストとは対極にあるような人間ですが、たとえば他所の家の貧しい食卓を見たりすると、胸がしめつけられる程度の感受性はまだ残っていて、こんな工場を見てしまうといつまでも忘れられなくなりそうです。この国の若い世代がよく働くのは、小さい頃に戦争があって、食うものも食えなかった体験があるからだという説があります。いわれてみれば、あんまり太った人や体格のいい人は見かけません。貧乏はやっぱり良くない。いつも思うんですが、「彼らは貧しいけど幸せそうだ」とか、「日本人は物質的には豊かになったけど、精神面では貧しい」なんて、非常に偽善的な物言いだと思います。

○お金というものは難しいもので、月5000円で真面目に働く人がいる一方、この国にはODAや新宮沢構想などで年間1000億円を超える金額が投入されていたりもする。何に使われているんでしょう。

○今日はついにひとつだけベトナム語を覚えた。「ありがとう」のことを「シン・カモン」という。シンが"very much"でカモンが"Thank you"だ。だから「カモン」だけでもよろしい。この言葉を一発で覚える方法がある。「シン・カモン」は、漢字で書けば「深・感恩」なんだそうだ。納得、でしょ? 長い時代、中国の支配を受けていたこの国は、中国文化最南端の国でもあるのです。



<11月8日>(月)

○朝4時半に起きてニッコーハノイをチェックアウト。7時20分発の飛行機に乗ってホーチミンへ。北の政治都市から南の経済都市へと移動する。飛行機だと2時間の距離だが、汽車だと3日かかる由。この2つの都市は全然違う。たとえばハノイには四季があるが、ホーチミンは雨季と乾季だけ。ハノイは昔から社会主義国で戦勝国、ホーチミンは元資本主義国で敗戦国。北と南の人々はたいへん仲が悪いのだそうだ。

○地理的に見て、南北の関係はだいたいにおいて仲が悪い。北朝鮮と韓国、スコットランドとイングランド、北イタリアと南イタリアなど。とくに中国大陸を舞台にした、北方騎馬民族と中国農耕民族の抗争の歴史は、その過酷さにおいて比類がない。逆に東西の関係は、シルクロードの交流のように、共存共栄の関係であることが多い。日本でも、関西人や九州人が上京するドラマは、得てして周囲の笑いを誘うが、東北人が出てくるといきなり演歌になってしまう。東西は相互補完的だが、南北は支配と被支配、憎悪と軽蔑といった感じになりやすい。そうそう薩摩と沖縄、なんてのも南北関係ですね。

○ということで、一夜明けて北から南に来たかんべえさんは、すっかりご機嫌になってしまいました。イエーィ、サイゴンは明るいぜ。天気はいいし、空は広いし、樹木は南洋風だ。相変わらず路上はバイクの群れで、クラクションの音は絶えないが、人々は明るいしファッションも開放的だ。なによりお昼に食べたベトナム風うどんが最高!米で作った麺を、鶏がらのだしのスープに入れ、野菜と香草と唐辛子をしこたまかけて食べる。これで100円程度だ。むふふ。

○それに今日は日曜だ。仕事なんかしてたまるかい。他の皆さんはゴルフへ。当地の駐在員は、そろって左手以外は見事に日焼けしていることに気がつく。かんべえさん、もとよりゴルフはしない。初めて来た街では、まず博物館を探すのが習性である。いろいろ行ったのですが、ここは戦争証跡博物館のことを書いておきましょう。

○予想通り、ベトナム戦争中の米軍の残虐行為を並べている。きわめつけは、枯れ葉剤の影響で生まれた奇形児をホルマリン漬けにして展示している。こういう記念館の常として、たぶんに誇張して描かれているのだろうけど、なるほどこれはひどい。周囲には米国人と思しき観光客が神妙に展示を見ている。しかし説明がベトナム語とフランス語でしか書かれていないので、皆目不案内である。ところどころ中国語の説明があるので、漢字でかろうじて意味を察することができる程度。ちゃんと英語で書いとけよな。

○元国防長官マクナマラは懺悔をしている。「私たちは過ちを犯してしまった」と。個人としてけじめをつけているわけで、それを立派だという人もいる。でも、それじゃ死んだ兵士たちは浮かばれませんがな。それに『ベスト・アンド・ブライテスト』を読み返せば、「やっぱりお前なんて許してやらない」という気になってしまうだろう。一方、キッシンジャーは大著『外交』の中で、「ベトナムへの介入はドミノ理論によって正当化された」などとしらじらしく書いている。かんべえはむしろ後者に好感を覚えるな。

○屋外では、戦争に使われた戦車や戦闘機が無造作に並べられている。ベトナム人の女の子達がその回りでふざけながら記念写真を撮っている。日本人観光客の方がまだしも真面目だぞ。戦争が終わったのが1975年。その年に生まれた子供はもう24歳。人口の若いこの国においては、「戦争を知らない子供たち」が増えているのだ。

○日が暮れてからもバイクの群れは途切れない。大きな荷物を運ぶバイクがいる。デートに出かけるカップルを乗せたバイクがいる。一家4人を乗せた夕涼みのバイクがいる。新車のバイクは1000ドルもするのだそうだ。月給50ドルで2年分近く。それでも人々はバイクを手に入れる。ふと、ホーチミン市民が、ある日念願かなってバイクを購入する瞬間のことを思い浮かべてみる。生活の足と自由とプライドとを同時に手に入れる瞬間である。うれしいだろうなぁ。

○てなことを考えているかんべえさんが乗ったクルマは、クラクションを鳴らしてこれらのバイクをかき分けつつ、オムニサイゴンホテルに着いた。「キミはなんにでも感動するなぁ」などと周囲からあきれられつつ、今日もたくさん感動してしまった。



<11月9日>(火)

○ホーチミン市を埋め尽くすバイクの群れを見ながら、だれもが同じ思いを禁じ得ないらしい。それは「これだけ大勢の人がいったいどこへ行くのか」ということだ。(1)仕事に急いでいる、(2)デートしている、(3)とにかく走っていれば涼しいから、などなど、いくつもの理由が重なっているのだろう。

○ベトナム人がバイクを求める理由のひとつに、動産としての価値があるらしい。この国の人々は政府や銀行を信じていない。戦争のせいだけではない。過去に2回、抜打ち的なデノミを実施し、その際に預金封鎖を行ったのだそうだ。日本でも戦後の新円切り買えの際の預金封鎖をいつまでも覚えていて、「だから私は銀行なんて信じない」という人がいるが、あれをもっと壮大な規模でやったと考えればいい。勢い、人々が信じるのは預金より現金、現金より外貨、あるいはモノ、ということになる。バイクは中古車市場が形成されているので、「ホンダの何CC、何年型はいくら」といった相場がある。だから事故さえ起こさなければ、バイクへの投資は資産形成の手段にもなるわけである。

○一方で、銀行を信じないという商慣習は、この国の経済をいちじるしく非効率なものにしている。たとえば商品を売る場合、ベトナムには約束手形はないし、小切手もあまり普及していない。すべてが現金決済である。ところが現地通貨ドンの最高額紙幣は5万ドン(=3.6ドル)である。真面目な話、集金に行くと現金の重さで腰が抜けるという。現金を計算するのもたいへんな重労働だ。偽札も少なくない。おまけに銀行も受け取らないほど古いお札が少なくない。こういうお札は中央銀行も交換してくれない。この国で商売をするのはかくも大変だ。

○商社マンの世界だけで通じるギャグにこんなのがある。「この国のLCはLetter of Committment、LGはLetter of Goodwill」。LCがあるから金は入ると思っちゃいけない。政府だってLGの何たるか分かっちゃいない。国際的な商習慣が普及するのは当分先のことになるでしょう。こういう場所で、汗をかきながら仕事をしている人たちがいるんです。

○などといろいろと書き連ねてまいりましたが、かんべえは11月9日夜には成田空港に着いている予定です。ベトナム体験はわずか1週間。ここで書いたことは、いわば「誤読」の積み重ねです。これで何かが分かったような気になるのは傲慢というものでしょう。それでも、来なかったら知らないままで済ませていたはずのことはたくさんある。新しい場所に出かけることは、かならず報われるとあらためて思います。この国で出会った多くの人々に感謝。さよなら、ベトナム。



<11月10日>(水)

○日本行きの飛行機の中でこれを書いています。昨晩チェックしたら、『溜池通信』本誌をお休みしている割りには、アクセス件数が1日50件近くあったようで、この「不規則発言」のベトナム紀行編が読まれているのかな、と思います。あらためて読み返してみると、つまんないこともいっぱい書いてますが、「誤読」の跡を残すためにこのままにしておきます。全部読んでくださった奇特な方に深謝申し上げます。

○ひとつ報告しておきましょう。ホーチミンの出国管理官は、ハノイの入国管理官のようにパスポートを叩き付けたりせず、ちゃんと手渡してくれました。やっぱり南と北は違う国みたいですね。

○もうひとつ蛇足ながら報告を。帰りの全日空で見た『ノッティングヒルの恋人』はいい映画でした。このところ作品に恵まれなかったジュリア・ロバーツと、LAでの買春報道で雌伏していたヒュー・グラント、ともに復活となるでしょうか。無駄なギャグが多すぎるような気もしますが、脇役がしっかりしています。

○これでベトナム紀行編は一巻の終り。明日からは平常モードとなります。







編集者敬白






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by Tatsuhiko Yoshizaki