●かんべえの不規則発言



2002年 台湾紀行




<8月17日>(土)

○えー、明日から台湾に行ってきます。こういう催しに参加しますので。

The U.S.-Japan-Taiwan Trilateral Strategic Dialogue <Taipei Round>

Sponsors: Taiwan Thinktank; Okazaki Institute; U.S.-Japan Center, Vanderbilt University
Honorary Sponsor: U.S.-American Enterprise Institute (AEI)

○台湾にできた台湾智庫(Taiwan Thinktank)というシンクタンクが、日本と米国の研究者を招いて実施する会議です。これが第1回で、あとは東京とワシントンでも開催される予定。日本からは岡崎研究所が中心となり、米国からはジム・アワー教授やヘリテージ財団の研究者などが参加します。

○かんべえの役どころは、経済パートで最近の東アジア経済圏や中国脅威論について論じること。と、いいつつ、実はまったく自信がなくて、このところ焦り気味なのである。社内のプレゼンでも、英語となるとしどろもどろになる、このワタクシめがですな、どうやってこんな役目を果たせるというのか。困ったこまった。まあ、でも得難い経験ですので、元気に行ってまいります。それはいいんだけど、またまた「反中派」にされてしまいそうな自分がコワイ。

○ちょうど今月に入ってから、台湾では陳水扁総統の「一辺一国発言」が飛び出し、またまた中台海峡が騒がしくなっている。99年の李登輝総統による「特殊な国と国の関係」発言と似たような感じ。96年には台湾上空にミサイルを飛ばして威嚇した中国も、それ以後は「言葉の戦争」に徹している。下の参考資料をご覧いただければ、言葉の戦争といえども全知全霊を傾けた総力戦であることが窺えると思います。

●参考資料:陳水扁主席が「一辺一国」の根本理念提示(2002年8月6日)
http://www.roc-taiwan.or.jp/news/weeknews192.htm 

○一方で、台湾から中国への直接投資が急増し、台湾経済の空洞化を懸念する声もあがっている。日本でも中国脅威論が叫ばれているくらいですから、まして台湾では、同じ言葉の通じる国との貿易や投資が伸びるのは当然です。この辺の緊張感は独特のものがあるでしょう。

○ところで溜池通信でも、99年8月13日号や00年3月17日号など、昔は何度か台湾を取り上げていたんですな。このところご無沙汰でしたが、来週はしっかり見てこようと思います。そうそう、向こうでらくちんさんに会うのも楽しみです。


<8月18日>(日)

○せっかく涼しくなったというのに、好きこのんで暑い国に出かけてしまうワタシ。荷物を抱えて出動する先は、羽田じゃないよ成田だよ。いやあ、知らなかった。中華航空(チャイナエアー)は、今では成田から飛んでいるのです。たしか日本航空は、このためだけに日本アジア航空という別会社を作って、羽田から台湾行きを飛ばしていたはずなんですが。「ひとつの中国」という建て前はどこへ行ったんでしょうか。ところで中華航空のファーストとビジネスの客は、成田ではJALのさくらラウンジを使えることになっている。中国政府はこういう蜜月関係を放置しておいていいのでしょうか。

○台湾までは3時間の旅。飛行機の中で流れた映像がおかしかった。チャイナエアーで帰国する客を、空港で待ちうけている大勢の友人たち。「ちゃんとお土産は買いましたか?まだの人は、機内販売がありますよ」と呼びかけている。台湾には、日本と同じような「お土産への強迫観念」があるようです。

○ほかの人はほとんど手荷物で機内持ち込みにしていたのを、ワタシが預けていたので到着の際に同行の方々の顰蹙を買う。「いまどきスーツケースだなんて信じられない」と信田先生はきびしい。そしたら田中明彦先生が、「台湾の人はお土産くれますからね。大きいの持って来た方が、帰りにはいいですよ」。ああ、なんとお優しい。だからといって、大きな壷とかもらっちゃったらどうしましょ。そうでなくても、土産を買ってこいという家族のリクエストがあるのに。

○会場のホテルに到着後、レセプションあり。ああ、だんだんシャレにならなくなってきた。プログラムを見たら、ワタシの出番が繰り上がって明日の午後になっている。初日にほかの人の様子を見て、それから作戦を考えるつもりだったが、ああ、これでは今夜は寝られない。弱ったよわった。ということで、明日に続く。


<8月19日>(月)

○準備をしてたら冗談抜きに、ほとんど寝てないのに朝になってしまう。かくして会議初日が始まる。本日のメニューは「総括」「防衛」「経済」の3点。

(以下、会議について触れた部分は、後から削除しました。たいしたことは書いてないんですけど、どこかにご迷惑がかかるといけませんので、念のために自己規制しておきます)

○てなことを言ってるうちに、いよいよ「経済」のパートとなり、ワタクシめの出番。でも、おかげさまで何とか乗り切れました。考えてみれば、このパートで問題になるのは、東アジアのFTA、中国経済の台頭、軍事力と経済、台湾経済の空洞化、APECの活性化、人民元といった問題。わりと馴染みのあるテーマばかりなので、そんなにつらくはない。ま、とにかくMission Acomplished.

○夜は政府要人主催の晩餐会へ。台湾料理のフルコース。さすがにホテルの食事とは違って美味。ということで暴飲暴食。こんな状態が1週間も続いたら太ってしまう。ま、いいか。てなことで明日に続く。


<8月20日>(火)朝

○うわー、びっくりした。今朝の産経新聞にこの会議のことが出ている。Tさん、どうもありがとう。

■日米台 初の安保会議 台湾で非公式

 背景に「中国の脅威」

 日本、米国、台湾の軍事、外交の専門家らによる初の本格的な安全保障会議が十九
日から台北市内で始まった。日米は台湾と正式な外交関係がないため、政府間の公式
なものではなく、非公式な意見交流の通路「第二トラック」となるが、日米台の安全
保障をめぐる新たな協力関係の始まりとして注目される。

 「米国・日本・台湾三辺戦略対話=台北ラウンド(会議)」と名づけられたこの会議
は、陳水扁総統の肝いりで作られた政策研究機関「台湾シンクタンク」、日本の外交
・安保研究機関「岡崎研究所」、米国の「バンダービルト大学日米研究協力セン
ター」の三機関の共催、米国の有力研究機関「AEI」の協賛で開かれた。

 日本からは岡崎久彦・岡崎研究所所長(元駐タイ大使)、金田秀昭・元海上自衛隊護
衛艦隊司令官(元海将)、田中明彦・東大教授ら八人、米国からはジェームズ・アワー
・バンダービルト大学日米研究協力センター所長、ロビン・サコダ・アーミテージ・
アソシエイツ上級研究員(元国防総省日本部長)ジューン・ドライヤー・マイアミ大学
教授ら四人、台湾からは陳必照・国策顧問(前国防部副部長)、陳博志・台湾シンクタ
ンク会長(前経済建設委員会主任委員)ら八人が参加し、さらに台湾の安全保障政策の
元締めである総統府国家安全会議の邱義人・秘書長らも加わった。

 増大する中国の軍事脅威を背景に、台湾海峡、アジア太平洋の安全と平和がテー
マ。会議は十九、二十両日を中心に大半が非公開で、参加者らによる突っ込んだ意見
交換が行われる。二十二日に岡崎氏が会議の総括と提言を発表する。次回は来年東京
で開く予定。

○さて、いきなり話が飛びますが、ここへ来て会う台湾人は学者が多いので、当たり前といえば当たり前なんですが、皆さん名刺にphDの肩書きがついている。石を投げればドクターに当たる、という感じである。学者は当然として、財界人や政治家にも博士号を持っている人が多い。もちろん台湾には金城武だっているわけなんだけど、博士たちに囲まれていると、ただの学士である当方はちょっと居心地が悪い。

○「なんでこんなにドクターが多いんですか?」と若い衆に聞いたら、「あはは、でも僕ら、持ってても食えませんから」という返事が帰ってきた。それはアナタ、日本も同じことですがな。博士号とかけて足の裏についた米粒と解く。その心は取りたいが、取っても食えない。こんなことを書くと、山根君が悲しむかもしれないけど。

○博士号は海外、とくに米国で取るケースが多い。この場合、米国流にジョンとかマイケルといったミドルネームをつけている台湾人がめずらしくない。たしか総統選挙のときに、英字紙で見ると宋楚瑜候補がジェームズという名で呼ばれていた。それはいいんだけど、会議の席上で台湾人学者が、自分の弟子である教授の論文を高評するときに、「ビンセントのペーパーは・・・」などと言っているのを聞くと、うーん、ちょっとなあ、などと感じてしまう。だって、なんか恥ずかしいじゃないですか。

○それにしても、台湾の高学歴志向はちょっとしたものです。逆にいうと、日本では政財界のエライ人にほとんど博士がいない。少なくとも、文科系のphDを持っている人はとっても少ないんじゃないだろうか。この点に関しては、むしろ米国と台湾の方がノーマルで、日本の方がめずらしいのかもしれません。


<8月20日>(火)夜

○今度の会議は、"U.S.-Japan-Taiwan Trilateral Dialogue"が正式名称。これが当地で看板にすると、「美日台三邊戦略対話」となります。ただし「戦」は「單戈」だし、「対」は「業寸」みたいな字になります。要するに日本が略してしまった前の形。(WORDで変換しようと試みたんですが、難しいですね)。英語のtrilateralが、台湾では「三邊」となる。では日本語では「三辺」かといえば、むしろ「三極」の方がふさわしいような気がする。日本語にするなら、おそらく「日米台三極対話」になるんだろう。この辺の違いはまことに微妙なものですな。

○微妙といえば、当地では「彦」という字の上の部分が、「立」ではなく、「文」になるんです。たまたま日本からの参加者8人中、彦がつく名前が4人もいて(久彦、明彦、純彦、達彦)、参加者リストの名前がわざわざそこだけ手書きになっていたりする。つまり中国語のソフトに「彦」の字がない。おそらく気にしてくれたんだろうけれども、そもそもは向こうの字体の方が正しいはず。勝手に変えちゃったのは日本人の方なんだから。もっとも日本の略し方なんぞは可愛らしいもので、中国の略し方はほとんど絶句モノですが。

○世の中には、名前の漢字を間違えるとすごく怒る人がいます。その昔、團伊久磨は宛名に「団」と書かれた手紙は封を開けなかったとか。そうそう、どこぞの「社長兼主筆」の人で「渡邉」さんという人がいますが、この人なんぞも「渡邊」と間違えられたらすごく怒りそうだなあ。そこへ行くと、うちの吉崎家なぞは、ご先祖様は「吉」の上が「士」ではなくて「土」だったらしいんだけど、親の代で普通の字に変えてしまった。これはラッキーだったと思う。自分の名前が面倒な字だったら、とっても不便でイヤだもの。

○以前、外務次官と大蔵次官と労働次官がそろって「さいとう」さんになり、それぞれ「斉藤さん」「斎藤さん」「齋藤さん」だったことがあった。こういうのは事務方としては、とっても気を使うんです。あの人の「高」の字は、「ハシゴだか」なんですけどぉ、といわれて、どうやったらWORDで出せるかと悩み、半日つぶれてしまったこともある。(しかももう忘れてしまった!) 漢字なんてものは、元をたどればみんなが間違っているようなものなんだから、細かなことを言わない方がいいと思うんですけどね。

○台湾という国名は、当地では「台灣」と書きます。ことほど左様に、日本の漢字を前提に考えていると、いろいろ驚くことがあります。ところが読み方は、日本語でも英語でも中国語でも、「たいわん」で統一されている。こういう名前もめずらしいかもしれません。


<8月21日>(水)

○田中先生の予言が的中し、いろんなところでお土産を頂戴しています。たとえば本日はこんなものをいただきました。

・陳水扁総統の写真集
・2002年版国防白書
・カッコイイ文房具セット
・おしゃれな一輪差し
・その他、各種資料

○おかげで持ってきたスーツケースが役に立ちそうです。

○今日のお昼ご飯のときに、左隣が「ウェイン」で、右隣が「フランク」でした。「台湾の人たちは、なぜ英語の名前をつけることが多いのか?」と聞いたところ、こんな返事がかえってきました。@高校時代にアメリカ人の英語の先生が、クラス全員を覚えるために英語の名前をつけてくれた。A英語名は台湾人同士の間でも便利。「リンさん」「チェンさん」などよくある名前同士は、発音が似ているのでけっこう紛らわしい。

○日本人でも、英語名をつける人はいるけれども、大概は平凡な名前が多い。「トム」や「ジム」や「ロバート」といったところが普通である。しかし、クラス全員分の名前をつけるとなったら、ありきたりの名前はすぐに品切れになるので、バラエティゆたかな英語名がふえる模様。面白いね。


<8月22日>(木)朝

○台湾の総統府は、まるで日本の法務省のようにレンガ造りのクラシックな建物です。法務省は霞が関ではひとつだけ目を引くほどクラシックですが、あれは明治政府が不平等条約の改正をやりとげたくて、「この国は法と秩序に熱心なんですよ!」ということを海外にアピールするために、お金をかけて当時の最先端の建物を作ったと聞いています。台湾の総統府も、日本の威容を誇るために、思い切りきばって作ったんでしょう。それを今でも使ってくれているというのは、なんともありがたい話だと思います。

○韓国の場合は、旧日本総督府を最初は記念館にしていたけど、結局は取り壊してしまったわけで、この違いは大きい。韓国の場合、あまりにもヒドイ場所に建てたのが悪かったのだけど、とにかく台湾の人たちが、総統府の建物を大事に使ってくれているのはありがたい気がします。詳しくしらべたことはないのですが、おそらく韓国の日本総督府と、台湾の総統府と、日本の国会議事堂は同じような時期に建てられたんじゃないかと思う。後世の目から見ると、建築物としていちばん出来が悪いのは国会議事堂ですな、残念ながら。

○総統府の周囲は、「兵憲」と書かれたヘルメットをかぶった兵士たちが厳重に警戒している。現在、市内では障害者の卓球大会が行われていて、総統府前ではいくつかの国の国旗が揚がっている。見覚えのあるのは、たぶんセネガルの国旗だと思う。それから大通りには、青天白日旗と交互にパラグアイの国旗が掲揚されていて、なんでも国賓が来台中だとか。この国が正式な国交を持っているのは現在27カ国。中米やアフリカの国が多くを占めている。

○最近の台湾経済にとって、もっとも大きな問題は、「人も金もみ〜んな中国に行ってしまう!」こと。上海周辺には50万人の台湾人が生活しているという。人口2300万人の国の50万人、それもおそらくは若くて、頭がよくて、ガッツのある連中がほとんどだと思う。国内は不況だけど、大陸に渡ればなんとかなるだろう、とばかりに海を渡る。一度行くと、なかなか帰って来ない。これはかつての日本が経験した、円高対応のための企業のアジア進出とはちょっと事情が違う。日本人は「いずれは国に帰る」と思って海外に赴任するけど、中国と台湾だと言葉も通じるし、文化も同じだし、居付いてしまうことが多いらしい。

○岡崎研究所の新しい事務局長である阿久津さんは語学の天才なんですが、初めて来た台湾でさっそく夜の町に繰り出し、自分の中国語を試してみたところ、「アンタ、上海から来たの?」と2度ほど声をかけられたという。「つまり、上海から来ている人がそれだけ多いってことですよ」と言う。これは納得で、こちらから向こうに50万人も行ってたら、その逆の人の流れもかならずできるはず。中台間の人の交流は、相当な水準に達している模様。

○しかし、「中国に飲み込まれる」ことの怖さを示しているのが最近の香港経済だ。いまや失業率が7〜8%にも達しているという。台湾やタイのように、農村のある国ならともかく、都市国家で7%の失業はキツイだろう。中国に返還されてから5年が経ち、いよいよ恐れていたことが現実になっている。台湾のひとたちからみたら、「ああはなりたくない」というのが正直なところだろう。

○台湾企業が中国への投資を行うのは、経済原則から考えると当然の話である。対中投資が増えると国内の雇用が失われ、中国で生産された製品の輸入が増えるから、経済の空洞化が生じるという懸念が生じる。でも、その分、台湾企業に利益が発生し、商品の価格競争力が強まり、国内消費者の可処分所得が増えるといった形でメリットも発生する。「貿易と投資には勝者も敗者もない」というのが経済学のセオリーというもの。しかし現実には、中国に渡ってしまった人も金も帰っては来ない、このままでは経済的に吸収されてしまう、というのが現地の懸念である。

○そんな風に言われると、なかなか反論しにくいんだけど、現地の事情に詳しくないエコノミストとしては、「でも、そう悪い話ばかりではないはず」と言いたくなる。「空洞化」が懸念されているときは、産業構造を高度化が進んでいる証拠。台北市内は建設ラッシュのようだし、ちょうど80年代後半の日本で、「円高不況」が一転して「バブル景気」になったような変化があるかもしれないと感じている。


<8月22日>(木)夕

○戦後、日米間の「海の友情」(阿川尚之著)を築いた功労者、今会議の米国代表であるジム・アワーさんが、「軍艦マーチの英訳版」を作って広めています。仲間内では馬鹿受け状態。昨夜は台北某所で、日米台の元海軍士官たちがこの歌を大合唱しておりましたぞ。以下に転載しておきますので、皆さん、流行らせてください。


Warship March

Defending and Attacking are done very well
By Castles which float very reliable
These castles proudly sail under the rising sun
Protecting our nation, from all four directions

Ships of iron, under the sun, how great they are
They attack when in need, our enemies

Smoke of the coal appears in the sky like an ocean God's
Mighty dragon who spews forth in a very wide stream
Cannons sound like the roar of mighty thunder
Their voices, reverberate, quite an awful lot

Thousands of miles, going over, many big waves
The light of our country, may it always shine.

○今日の日本においては、おそらくこの歌のことを「パチンコ屋さんのテーマソング」だと勘違いしている人が、まあ、たぶん、旭日旗を(こともあろうに)朝日新聞の社旗と混同している人と、同数くらいはいるはずである。そこで本物の軍艦マーチの歌詞を、以下の通りご紹介しておきます。まあ、ラジオでも歌詞つきではめったにかからない曲ですから、ご存知ない方は多いはず。


軍艦行進曲

作詞:鳥山 啓
作曲:瀬戸口 藤吉


一、
守るも攻むるも黒鐵(くろがね)の
浮べる城ぞ頼みなる
浮べるその城 日の本の
皇國(みくに)の四方(よも)を守るべし

眞鐵(まがね)のその船 日の本に
仇なす國を攻めよかし

二、
石炭(いわき)の煙は大洋(わだつみ)の
龍(たつ)かとばかり靡(なび)くなり
弾丸撃つひびきは雷の
聲(こえ)かとばかり どよむなり

萬里(ばんり)の波濤を乗り越へて
皇國の光 輝かせ

○これぞ大日本帝国海軍。それにしても、よくできてますな、上の英訳は。


<8月22日>(木)夜

○これは一応、「戦略対話」と銘打っている会議でありますので、「今日はだれそれさんに会って、こういう意見交換をした」などといったことは、書かないようにしております。でも1個ぐらい例外を作ってもいいでしょう。これは特別な体験でしたから。

○本日、日米台の一行は李登輝前総統を表敬訪問しました。李登輝さんは以前からもっとも尊敬する政治家のひとりです。こんな書評を書いたこともありますし、不規則発言の2001年4月17日分でもいろいろ書いてます。これでも結構、「エライ人」には会ってきたつもりですけど、今日会った人は特別。同じ部屋の空気を吸っただけで、幸福な気分になりました。初めて来た台湾で、滞在5日目にしてこんな体験をしてしまうのだから、こんなにラッキーな人間はいないと思います。

○あらためて、「どこが良かったか?」と聞かれると、困るんですな。どう書いてみても、読む人からは「それがどうしたの?」に見えちゃうと思う。だから小さなことだけ、ここに書きとめておきます。質問の順番が回ってきたときに、「台湾の民主化は、中国四〇〇〇年の歴史における初の快挙であり、これによって中国本土はどんなふうに変わると思うか」みたいなことを聞きました。その答えの中で、李登輝さんがさりげなく「中国五〇〇〇年の歴史では」と訂正していたのが、とっても良かった。

○前総統との面談は、台湾の参加者にとっても格別なものであったらしく、心からの尊敬を受けていることが見ていてよく分かった。誇るに足る指導者を持っている、幸せな国民だなあと感じました。悲しいことですが、こういう政治家はわが国にはいない。「いつまでもお元気で、この国を導いてください」てな言葉を、お世辞抜きに真顔で言える相手がいますか?

○ところで面会が終ってからトイレに入って、しばし余韻に浸っていたら、その間に一行を乗せたバスが出てしまった。李登輝さんのオフィスは、台北の中心街からクルマで40分くらいの場所にあるので、ありゃりゃ、どうしたものかと思っていたら、幸いなことに親切な信田先生が気づいて、「吉崎さんがいない」と騒いでくれたので、間もなくバスは戻ってきた。本当にご迷惑ばかりおかけしております。

○岡崎久彦氏が記念講演を行い、そのあと記者会見があって、一応の日程は終了。なぜか私までが、「台湾経済の現状をどう見るか」てなテーマで記者のインタビューを受けてしまいました。この1週間、われながら本当にいろんな体験をさせてもらってます。

○ひとことお断りまで。当地ではアウトルックの調子が悪く、受信はできるけど送信ができないので、メールはインターネット画面から必要最小限度だけをお送りしております。というわけで、個別のご質問をいただいてもお返事は失礼しております。あしからずご了承ください。


<8月24日>(土)朝

○最終日、ほかの皆さんは台湾北部へのバスツアーへ。こちらは一人で故宮博物館へ。中国五〇〇〇年、いえ、もっと長い歴史を堪能。建物は広大だが、あまりにも多くの収蔵品があるので、ほんのちょっとずつしか見せてくれない様子。ワシはもっと「書」が見たかったなあ。

○夜はらくちんさんと合流。なんと今日の昼に日本から到着したとのこと。なんとも近いのである。現地のビジネスについていろいろ話を聞く。台湾経済空洞化説については、「なあに、ここの人たちはもっと上手にやってますよ」とのこと。こういうリアリティ・チェックは重要です。

○ただ今、土曜の朝。あたふたと更新を終え、飛行場に向かいます。それではまた。


<8月25日>(日)

○帰りの飛行機の中で、本物の台湾紀行、すなわち司馬遼太郎の『街道をゆく』第40巻(朝日新聞社)を読みました。いうまでもなく、台湾を描いた掛け値なしの名著です。本当は出発前に読むつもりだったのですが、書店で見当たらなかったものを、台北駅のすぐ近くにある新光三越デパートの書店売り場で見つけて買いました。高いかぁーと思いましたが、何のことはない、定価の1700円に3.5をかけたNTドルでしたから、かなり良心的なお値段だと思います。

○本物の「台湾紀行」では、李登輝さんとの初めての出会いはこんなふうに描かれている。

本島人には小柄な人が多いのだが、この人は例外といっていい。身長一八一センチで、しかも贅肉がない。容貌は下顎が大きく発達し、山から伐り出したばかりの大木に粗っぽく目鼻を彫ったようで、笑顔になると、木の香りがにおい立つようである。

○さすがは司馬遼太郎、といった描写である。このペンネームは「司馬遷を望んで遼かなり」ということでつけられたと聞くが、こういう名文を読むと、かんべえは「シバリョウを望んで標べなし」という気分になってしまいます。それにしてもいい本を読みました。文庫も出ているはずですので、お勧めしておきます。

○昨日はとってもよく寝ました。さてさて、明日は久しぶりに出社だなあ。







編集者敬白







溜池通信トップページへ


by Tatsuhiko Yoshizaki