『台湾の主張』李登輝
PHP 一五二四円
外務省のチャイナ・スクールにIさんという若手がいる。中国の古典はほとんど読破したという人物なので、一時期『史記』や『資治通鑑』にハマっていた筆者はたいへんに尊敬している。その彼が、かつてこんなことを言っていた。
「李登輝という人は、中国四千年の歴史の中でもAクラスの人物と見ていいと思います。もちろん、康熙帝のような超Aクラスは別格ですが、たとえば明の遺臣の鄭成功ほどの評価を受ける資格は十分にあるでしょう」
中国人の行動を考える際に、こうした視点は非常に重要だと思う。その意味で李登輝は、確実に歴史に名の残る政治家である。なにしろ台湾という限られた地域ではあるが、中国史上初めて民主政治を実践した人物なのである。
今回、『台湾の主張』を読んで、なるほどこの人は現代のアジアに生きる超一流の政治家なのだという感を強くした。
本書については、「李登輝が日本についてこう語った」という点ばかりが評判になっている。たしかに日本文化が高く評価されているのはうれしい。だが、それが本書の眼目ではない。李登輝が力点を置いているのは@中国、A米国、B日本の順番である。これは目次を見るだけで分かることである。
特に、米国外交に対する見方が的確で興味深い。李登輝は、「米国政府は現実主義だが、議会は理想主義。移民国家の米国は理想主義がないとまとまらない」と分析する。その上で、「米国議会は伝統的に台湾に対して同情的。一般のアメリカ人も、自由と民主を主張してきたのは台湾であると認めている」と自信を窺わせる。おそらくこの見方は正しい。中国市場の将来性がいかに魅力的であっても、米国が台湾を見捨てられるはずがないのである。
中国に対してはこんな指摘が印象に残る。「中国大陸の覇権主義的な姿勢が続くようでは、アジアに平和が訪れることはないだろう。中国は広大な大中華から脱して、七つくらいの地域に分かれて互いに競争した方がいい」
例の「中台関係は国と国の関係」という李登輝発言は、おそらくこうした冷静な読みと、自信から来ているのだろう。
これだけの指導者に対し、わが国を含む国際社会は無視を続けてきた。「ひとつの中国」というフィクションを守るためだけだとしたら、あまりにも惜しい話である。
編集者敬白
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