○金融不安を伝えるニュースが繰り返されている。なぜ事態がこれだけ深刻になったのか。それは関係者すべて、つまり金融機関はもちろん、政治家や関係諸官庁、さらには預金者までもが、自分の身を守るだけで何もしなかったから。いよいよ危機が目に見えるようになると、「補正予算」や「量的緩和」、「空売り規制」などの対策が場当たり的に飛び出すが、当面の危機が去ると元通りの不作為に戻る。90年代から、こんなサイクルが何度も繰り返されてきた。
話題の書『日本経済不作為の罪』(滝田洋一/日本経済新聞社)は、こんな体たらくを余すところなく描き出す。金融市場を長く取材してきた著者は、問題の本質は資産デフレにありと指摘する。バブル崩壊によって株や不動産で1300兆円の国富が失われ、そのために銀行のバランスシートには大穴が開いた。ところが簿価と時価のギャップがあるために、預金者はそのことに気づいていない。それでもこの差額は、いつか誰かが負担しなければならない。
そこで不良債権処理をということになるのだが、不良債権の実態はビジネスとして成り立たなくなった企業群。金融と産業構造の両方を再生しなければならない。だが果たして間に合うか。さらにそれだけの政治力が、あるいは危機感が今の日本にあるかといえば心もとない。
最近話題の「産業再生機構」も、過剰負債企業を実質簿価でバシバシ買いとるのかと思ったら、財政支出を少なくするための財務省のアリバイ工作らしい。この弛緩したムードを変えるには、またしても「三月危機」が必要なのだろうか。
○全米第7位の巨大企業エンロンの破綻からちょうど1年。「アメリカ型資本主義のお里が知れた」という声も多かったが、日本型資本主義だって誉められたものではない。粉飾決算やら不良債権やらでお先真っ暗である。『エンロンの衝撃』(奥村宏/NTT出版)は豊富な事例を引きながら、行き詰まっているのは株式会社という制度そのものだと説く。日本では、アメリカでは、と
いう議論をする前に、株式会社制度の歴史的背景を知るのも悪くない。
○法律問題がテレビ番組になる時代。まして他所の男と女のトラブルが、面白くないはずがない。『慰謝料法廷』(大堀昭二/文春新書)は、読者の覗き見趣味を満足させるだけでなく、弁護士や裁判所が身近に感じられる本。読んでみると、「慰謝料に相場はない」ことがしみじみよく分かる。それから、「弁護士費用は柔軟に決められている」ことも意外な発見。
(価格は順に1500円+税、1600円+税、700円+税)
編集者敬白
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