『重光・東郷とその時代』 岡崎久彦
PHP、(二三〇〇円)




 明治維新以後の日本外交史を描く岡崎氏のシリーズはこれが4冊目となる。前3作は陸奥宗光、小村寿太郎、幣原喜重郎という傑出した外交官に焦点を当てた。だが、満州事変以後は、日本の外交は一種の真空地帯に入る。

 「どの国でも、戦争が始まれば外交官は後ろに下がり、軍人が前に出るのは通例である」――重光、東郷が活躍した時代には、すでに日本には外交がなくなっていた。最善を尽くした2人の仕事は評価されているが、それが本書の主眼ではない。描かれているのは、戦争に突入していく日本の姿と、どうすれば悲劇が避けられたかという度重なる問いかけである。

 戦後の日本人は、この時代と正面から向き合うことを避けてきた。幕末から日露戦争までは、主に司馬遼太郎作品が日本人にとっての「パブリック・メモリー」を形成している。だが、その後の時代については「プライベート・メモリー」しかない。戦後生まれ世代は、空襲や疎開や防空壕の話を繰り返し聞かされたが、それはいつも被害者の立場からの戦争体験だった。

 太平洋戦争の歴史を描いた書物を探すと、左右どちらかの史観に極端に偏っていて、信頼に足るものが少ない。こうした中で、現実主義に裏打ちされた外交戦略家、岡崎氏の思考をたどることは、安心感と満足感がある。

 南京事件について、岡崎氏は「実在した」とする。ただし日本軍はその重大性を認識して、以後は軍規の維持につとめた。その後は大規模虐殺や暴行の例がない点は、日本民族にとって救いである、という。「大虐殺はなかった」と言い切るより、はるかに説得力があると思う。

 太平洋戦争がアジアの解放に役立ったとする議論については、「どの国も利他的な目的で国運を賭するようなことはしない。日本は石油を断たれて、やけのやんぱちで起ったのであるが、結果として世界史的な役割を果たしたのである」と評している。実に明快である。

 岡崎氏は太平洋戦争の失敗について、最大の罪は真珠湾攻撃にあったと結論する。「喧嘩で先に手を出した」ことの重荷は今日になっても消えていないし、米国内の厭戦気分を期待することも不可能になった。こうした戦略的思考を堪能できることも、本書の魅力である。



編集者敬白



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