『超少子化――危機に立つ日本社会』鈴木りえこ
集英社新書 (六八〇円)



 現状のままで推移すると、百年以内に日本の人口は半減するという。これは日本社会の危機以外の何物でもあるまい。だが、内容の重要さにもかかわらず、少子化問題は議論が今ひとつ盛り上がらないテーマである。


 まず、「子供を産む、産まない」というきわめて個人的な問題に、はたして政治が関与すべきかという問題がある。仮に、子供の数を増やしましょうという結論になった場合でも、コストとリターンの関係が読みきれない。この議論は数値化しにくく、「X代の女性のX%が・・」といったアンケートも、どこまで日本人の心情を物語っているかは疑問である。


 加えて、少子化をテーマとする論者の多くが、「学者フェミニスト」や、何でも政府の責任にするリベラル派によって占められているという問題もある。偏見との謗りを受けそうだが、意見の多様性の欠如が少子化論議を低調にしている面は否めないと思う。


その点で鈴木りえこ氏は、どちらかといえば保守的な世界観から、この現象を解読して一石を投じている。


少子化をもたらしているのは、戦後日本における「個人の自立の無さ」であるという。国際的な責任感の欠如や安全保障論議の不在、あるいは国家としての自信の無さも無関係ではないとする。価値観の混乱が出生率の低下を招くという指摘は重たく響く。


それが事実とすれば、日本社会の危機は実に根深いといえる。おりからIT振興策を通じて、日本経済を活性化させようという議論がさかんである。しかし、そもそも新しいビジネスをやろうという人がいなければ、制度を変えても成果はあがらない。同様に「子どもがほしい」という親の気持ちがなければ、託児所を増やし、男性が家事参加しても、子どもが増えることはない。それらは問題の根本に切り込んでいないからだ。


その一方、本書から感じたのは、少子化対策はさておいても、男女共同参画社会の構築を急がねばならないということである。父権の失墜、離婚の増加、パラサイト・シングルといった、日本の家族をめぐる今日的な状況を思えば、個人が主体となるライフスタイルへの転換が望まれる。もはや是非論ではなく、実現への戦略をこそ語らなければならないのではないだろうか。






編集者敬白



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