『将棋の子』 大崎善生
講談社、(一七〇〇円)




 プロの将棋指しを目指す子供たちは、奨励会という組織に入る。その中で頭角を顕わして四段になれば、社団法人日本将棋連盟の正会員となって、給料が出る。さらに勝ち抜いて、将棋界の頂点である「名人」を目指す、というのが棋士の夢である。

 ところが四段になるのは、容易ではない。年齢制限がある。小さい頃から将棋一筋に打ち込んできた天才児たちが、退会すれば何の生活の保障もない。規定の年齢が近づくときに感じる焦りは、並大抵のものではないはずである。

 スーパースター羽生善治は、奨励会で六級から初段までを一年一か月で駆け抜けた。四段になったときはまだ中学生だった。この間、同じ時期の他の奨励会員たちは「斬られ役」にされてしまった。羽生のようなエリートが脚光を浴びる陰で、人知れず棋士になる夢を捨てて奨励会を去った者は数知れない。本書はそういう顔ぶれのその後の人生を追っている。

 北海道出身の成田英二は一九六〇年生まれ。二五歳、二段で奨励会を去った。成田と同郷・同世代で将棋連盟職員だった著者・大崎は、成田の生活が追い込まれていると知り、札幌に会いに行く。四〇歳になった成田は、サラ金の借金に追われ、逃げ隠れしながらギリギリの生活を送っていた。不器用な男なのである。小さな頃から打ち込んできた将棋は、人が普通に生きていくためには役に立たない。

 奨励会を去った若者たちはさまざまなコースをたどる。将棋連盟に職を得るもの、俳優を目指した挙句に将棋ライターになるもの、猛勉強して司法書士になるもの、世界を放浪してボランティアに生きるもの、などなど。

成田はすべてを失っても、奨励会を退会するときにもらった駒を大切に持ち歩いていた。将棋経験が、彼の人生を支えていたのである。将棋は単なる回り道ではなかった、というのが本書の救いである。

 大崎善生は前作、『聖の青春』では、打倒羽生を目指して限りある命を精一杯生きた村山聖九段を描いた。成田英二は奨励会で羽生と戦って〇勝四敗。ただし、それは成田の人生の誇りである。 彼らのことを、「どうしても書いてみたい」と大崎が思ったのは、『将棋世界』の編集長として、いつも勝者を描く立場だったせいかもしれない。



編集者敬白



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