『幣原喜重郎とその時代』 岡崎久彦

PHP(二二〇〇円)



岡崎氏による近代外交史シリーズはこれが三作目となる。今回の幣原喜重郎は、前作の陸奥宗光、小村寿太郎のような国士タイプではなく、外交官試験を受けた職業外交官である。能吏ではあったが、条約改正や日清、日露戦争の講和条約といった輝かしい業績はない。時代は、日本人が「坂の上の雲」を仰ぎ見た明治ではなく、近代化後の試練に直面した大正である。

それでも本書には、前二作以上のエネルギーが注がれているように思える。ひとつには、幣原の外交官としての能力がそれだけ卓越していたからであろう。外務次官、大使、外務大臣として、幣原は海外から高い評価を得た。パリ講和会議でのやりとりなど、まさに「日本外交が一流だった時代」を感じさせる。なおかつ幣原外交は、時流に流されることなく、常に一貫した姿勢を取り続けた。

幣原外交の本質を一言でいえば、対米英協調主義ということにつきる。岡崎氏が常に主張されているように、「アングロサクソンとは事を構えない」方針である。

しかし皮肉なことに、幣原外交は日英同盟を継続せず、数年を待たずに空洞化する四カ国協定を選択してしまう。また中国に対する内政不干渉政策は、当時の世論の反発を招くことになる。

とくに著者の関心は、幣原がウィルソン米大統領の「新外交」路線を選択したことに注がれている。日本外交が現実主義から理想主義に舵を切った瞬間であり、これが太平洋戦争への遠因となったことを思えば、この間の歴史は重ねて検証する必要があろう。

本書から伝わってくるもうひとつのポイントは、大正時代に対する著者の暖かな眼差しである。

大正デモクラシーは、明治以後の日本が独力でたどり着いた民主主義の境地である。中産階級が勃興し、国家と社会の安定に初めて自信を持った時代。「ふるさと」や「赤とんぼ」など、童謡の名曲を多く生んだ平和な時代でもあった。こうした「大正時代の再発見」ということも、本書の隠れたテーマといえよう。

満州事変が勃発し、幣原が外相を辞任して以後、日本は泥沼に突入していく。この後の歴史においても広田弘毅、松岡洋右、重光葵、東郷茂徳などの大物外交官が登場する。近代外交史シリーズが次に焦点を当てるのは誰だろうか。



編集者敬白



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