『戦後史のなかの日本社会党』 原 彬久

中公新書(九八〇円)



その昔、社会党と阪神タイガースは似ているといわれていた。ともに万年第二位で、内紛が多く、なぜかインテリに支持者が多い。毎年、「今年こそは」といわれつつ、最後は「今年もか」で終わる。まだ自民党政権が盤石で、「巨人大鵬卵焼き」という言葉が健在だった頃の話である。

阪神タイガースは今もファンを楽しませているが、日本社会党はミニ政党に転落してしまった。とくにこの十年間はめまぐるしかった。消費税選挙での躍進、細川連立政権への参加、村山政権の誕生と政策転換、そして連立離脱から社会民主党への党名変更。次の選挙ではおそらく、フェミニズム政党として生き残りを図るのだろうが、最大野党としての役割はとうに終えてしまった。

戦後の日本政治は、自民党の歴史であると同時に、社会党がそれに挑戦して敗れ続けた歴史でもある。社会党の側から見ると、戦後政治史はどのように映るのだろうか。

本書は前半部分で、日米安保条約をめぐって社会党の路線が左傾化する過程を丹念に描いている。右派と左派の激しい路線・派閥抗争の中で、現実論は理想論に押されていく。かくして「非武装中立」なる不思議な主張が誕生する。しかし理想論は、現実の政治を変えるには至らない。

後半では、社会党が衰退していく過程を淡々とたどっている。六〇年安保以後、社会党が議席率三〇%を回復することはなく、自民党がつまずいたときさえ、勢力を伸ばすことはできなかった。著者が指摘している通り、国民がついにこの政党にチャンスを与えなかった事実は重い。

社会党が政権を取れなかったのは、結局は安保・外交政策につきるといえるだろう。サンフランシスコ講和条約への対応から、PKO法案への牛歩戦術に至るまで、社会党の政策は理想倒れに終始する。党独自の外交でも、ソ連、中国、北朝鮮などを相手に、何度も苦汁を飲まされている。

村山政権が誕生したとき、日米安保を堅持するという形で、過度な理想主義は修正される。だが、同時にそれが社会党の命取りとなった。

社会党的な理想主義は否定されたものの、国際社会の現実から目を背けたナイーブな議論は、まだまだまかり通っているような気がする。社会党を総括する研究がさらに続くことを期待したい。



編集者敬白



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