一九九二年に始まったこのシリーズはすでに九冊目。ローマ帝国は繁栄の頂点ともいうべき五賢帝時代を迎える。山川の世界史教科書であれば、この百年をわずか十行の記述で済ませてしまう。だが、本書は五賢帝のうち真中の三皇帝だけを取り上げ、三九〇ページを費やしてくれる。
五賢帝時代は「まれなる幸福な時代」とされ、同時代の歴史家タキトゥスが筆を執らなかった、あるいは書く意欲がわかなかった時代である。歴史家にとって、幸福な時代を描くことはかえって難しいのであろう。
読み終えて感じるのは、幸福な時代であっても問題は尽きないし、トライアヌス帝やハドリアヌス帝といえど、欠点もあれば失敗もあったという当たり前の事実である。とはいえ、彼らの偉大さが損なわれることはない。本書には優れた指導者の資質を考える材料が数多く提供されている。
それと同時に、これまで八冊の「ローマ人の物語」と付き合ってきた読者としては、塩野氏の思考法や人物評価眼に接すること自体が楽しみになっている。だから本書でも次のような「塩野節」に触れるとうれしくなってしまう。
「よくいるではないか。女でははじめてだから、とか、東洋人でははじめてだから、とがんばってしまう人たちが。それにしても、心の底からまじめに皇帝を務めたのが、トライアヌスの治世の二十年であった」(P一七九)
「君主ないしリーダーのモラルと、個人のモラルはちがうのである。一私人ならば、誠実、正直、実直、清廉は、立派に徳でありえる。だが、公人となると、しかも公人のうちでも最高責任者となると、これらの徳を守りきれるとはかぎらない」(P二一四)
「ローマ皇帝の責務は、安全と食の保障である。だが、安全の保障の方が先決する。・・・食の保障は個人の努力でも成るが、安全の保障は個人の努力を越える課題だからである」(P三一〇)
「総理の資質」が問われている昨今である。エリート教育の不在が問題だという指摘もある。では、日本が優れた指導者を得るにはどうしたらいいのか。月並みだが、「歴史を学ぶ」ということ以外に思いつかない。テレビ局は政局の報道をしばらく棚上げし、指導者を目指している人たちが塩野作品をどう読んでいるか、そういう討論番組をやってくれないだろうか。
編集者敬白
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