『慮る力』 岡本呻也
ダイヤモンド社、(一八〇〇円)




 その昔、英語の手紙を書くときはなるべく「You」を主語にせよ、と教わった。「私が商品のサンプルをお送りします」ではなく、「あなたが商品のサンプルをお受け取りになれます」と書け、というのである。

 言われてみれば簡単なことだが、こういう基本はすぐに忘れてしまう。最近は世の中がなべて「I」モードになっており、気がつけば「私が、私が」で日々が過ぎていく。

 こんな時代を一喝するように、「もっと顧客を慮れ!」というのが本書である。「当たり前のことしか書いていない本」と、著者の岡本氏はまえがきで宣言する。たしかに「I」よりも「You」を立てるのは、ビジネスの基本中の基本。下手をすれば精神論に堕してしまうところを、二十人のプロフェッショナルに対するインタビュー、という形式をとったところが技能賞モノである。

 現場から発せられる「当たり前のこと」は、得難いノウハウに満ちていて説得力に富む。本書に登場する二十人は、自動車セールス、高級ホテル、カスタマーサポートといった常識的な分野から、人気ゴルフ場、高級クラブ、再就職支援会社に茶道の家元まで及ぶ。個人的にはジャーナリストと葬儀社を面白く読んだが、おそらくどんな人が読んでも「はっ」と息を呑むようなひとことが見つかるはずだ。

 岡本氏は、前著『ネット起業!あのバカにやらせてみよう』では、ネットベンチャー群像をノンフィクションの手法で新鮮に描いた。第二作の本書はうってかわって、ビジネス書の体裁を取っている。

 最近のビジネス書は、短い教訓を並べた薄い本が売れ筋である。岡本氏は元『プレジデント』誌編集者だけに、インタビューを積み重ねて中身の濃い教訓を抽出し、分厚い本を作っている。実際、これだけ大勢の人を探し出し、相手の信用を得て、話を聞き出すには相当な力量と執念が必要であろう。著者のインタビュー能力には心から敬意を表したい。

 とはいえ、プロ意識の根源にある「慮る力」の分析は、やや図式的過ぎて切れ味に欠ける。いっそのこと冒頭部分をバッサリ省略して、もう少し薄い本にしてくれれば、「読者を慮る」ことができたのに…という、意地悪な意見もあることを付け加えておこう。



編集者敬白



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