『日本の公安警察』青木理

講談社現代新書(六八〇円)



「泥棒を捕まえなくても国は滅びないが、左翼をのさばらせれば国が滅ぶ」

何とも大時代的な発想だが、だから刑事警察よりも公安警察の方が上なのだそうだ。

同じ警察組織の中にありながら、二つの組織はまるで違う。両者の行動様式は水と油であり、その確執は根が深い。事件を捜査し、犯人を追う刑事警察は、小説やテレビになるくらい広く知られている。これに対し、公安警察とはいわば情報警察。特定の団体の動向と組織実態を解明することが仕事である。

警察組織のなかでは、戦前の特高の流れを汲む公安部門が「治安の守護者」であり、エリートとされてきた。警察庁長官の多くは公安畑出身。しかし公安がどんなことをしているかは、厚いベールに覆われてきた。

本書の著者は共同通信の社会部記者。警視庁公安担当記者として、オウム真理教事件などを取材してきた。しかし、「取材すればするほど、奥にブラックホールのような闇を新たに感じた」。この治安機関の全容を知ることはほとんど不可能である。その一方、通信傍受法などによって機能は強化されている。彼らの行き過ぎを制御するためには、活動を「知る」しかない、という思いが本書の執筆動機になったという。

ただし本書を読み終えて、著者の意図とは反対の印象を受けてしまった。もし冒頭の文言で「左翼」という言葉を、「国際テロ」や「カルト集団」「組織暴力」などに置き換えてみたらどうだろう。ある程度の治安機関を維持することは、納税者のひとりとして当然のことだと思う。

国家権力の暴走を防ぐためには、多少の反社会勢力の存在を許容してもいい、という考えは理解できる。その一方、犯罪が容易に国境を越え、サイバーテロや資金洗浄といった新しい種類の脅威が増えている現在、われわれが住む社会の脆弱性は高まっているように思える。公安警察には従来とは違う役割が求められるのではないだろうか。

ただし最近の報道を見ていると、はなはだ不安に駆られることも事実である。神奈川県警や新潟県警の話を聞いていると、納税者としては何ともやりきれない。

子供たちが「嘘つきは警察の始まり」と言い出すようでは、それこそ本当に国が滅んでしまいますぞ。



編集者敬白



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