溜池通信、増刊号(2002年6月28日)

 

カナナスキス・サミットとワールドコム・ショック

 

○サミットにできること、できないこと

 

 G8サミットにはいろんな効用がある。@世界の主要国首脳が年に1度、一堂に会すること(サミット七夕論)、A首脳同士による個人的な信頼関係の構築(首脳外交の場)、Bグローバル化時代の世界における集団指導体制(途上国抜きで即断即決が可能)、そしてC共同宣言による世界へのメッセージ(国際機関やNGOの活動指針を作る)、などである。逆にサミットが伝統的に不得手としていることは、「本当に重要なことを議論すること」だ。真に多くの人が懸念している議題――米国の保護主義再燃や日本の財政赤字、あるいは中国経済の脅威など――は、政治的に回避される。今年もまたご多分にもれなかったようだ。

今年はリオの環境サミットから10年目。8月にはヨハネスブルグで、「持続可能な開発に関する世界首脳会議(WSSD)」が予定されている。本来なら、カナナスキスでも環境問題は避けて通れないところだった。しかし、それを言い出すと、主催国カナダの国論は環境保護と開発促進でふたつに割れてしまう。サミット過去連続9回出席のベテラン、クレティエン首相は、大方の意表を突いて「アフリカ問題」を中心議題に据えた。長年、先進国が見てみぬ振りをしてきた問題だけに、文句のつけようがないところではあった。

しかしふたを開けてみれば、カナナスキス・サミットで人々の耳目を集めたのは「中東」と「ロシア」だった。

ブッシュ大統領は6月24日に、「アラファト議長抜きで暫定国家設立」という中東和平の新提案を発表し、G8のお墨付きを得ようと働きかけた。そして確実に「イエス」と言ってくれそうな、日本、カナダ、英国、ロシアの4カ国とだけ首脳会談を持った。見事に言い分は通した形で、「洗練されたユニラテラリズム」と言ったところか。もっとも、世界がそれで納得するかどうかは別問題。アラブ諸国は反発しているし、アラファト自身も来年1月の議長選挙に出馬する模様。

ロシアは今回から経済協議にも参加することとなり、2006年のG8自国開催を認められ、念願のフルメンバー化を果たした。思えば1991年のロンドンサミットで、会議終了後にゴルバチョフ大統領とG7首脳の会合が行われてから、10年以上の月日が流れている。来年のフランスでのサミットでは、その直前にサンクトペテルスブルグで「特別サミット」を開くことも認められた。プーチン大統領としては満額回答であろう。しかし、対テロ戦争や核軍縮での一方的な協力を考えれば、このくらいは当然といえなくもない。

さて、サミット当日の26日、米国の通信大手ワールドコム(MSI社)の不正経理問題が発覚したことで、世界の金融市場は大荒れの展開となった。ダウ平均は9000ドル割れ、ナスダックは1400ポイント割れ。これらは、いずれも昨年秋以来の低水準。また外国為替市場ではドルが一時118円まで売られた。

G8はこうした市場の動きに対して打つ手がない。会議後に発表された、わずかA四サイズ2ページの議長サマリーの中でも、株安やドル安に対する言及はない。もっとも、サミットの権威を保つためには、対策が見当たらない問題に対しては何も触れない方が賢明かもしれないが。

 

○企業会計不安と通信バブル

 

ワールドコム・ショックは2つの問題を投げかけている。

ひとつは企業会計への不信という問題。同社の粉飾決算の特色は、その恐るべき単純さにある。エンロンの場合は、最先端の金融技術を駆使して約10億ドルの粉飾が行われた。しかしワールドコムによる39億ドルの決算修正は、本来、経常経費であるべき支出が資本支出として計上されていたという単純なもの。長距離電話がかけられるたびに、地域電話会社に1回いくらで支払われるローカル回線使用料を設備投資と見なし、減価償却の対象にすることで利益を水増ししていた。これが5四半期も続いていたというから驚く。そして監査法人はまたもやアーサー・アンダーセン。「あれは特殊なケースだ」という言い逃れはもう通用しないだろう。

米国の株主重視資本主義は、企業の情報公開と透明性にその基盤を置いている。これを擁護するために、SECによる監視やビッグファイブと呼ばれる監査法人、格付け機関や企業アナリストといったサブ・システムが整備されている。しかしこれらの機関の目を盗み(あるいは手助けを受けて?)、かくも単純な手口の粉飾が行われていたのでは、投資家は企業の財務諸表などまったく信用できないということになる。

もうひとつは通信企業の経営難という問題である。ワールドコムに先駆け、今年1月には国際通信会社大手のグローバル・クロッシングが、6月にはCATV第6位のアデルフィア・コミュニケーションズが、それぞれ不正会計が明るみに出た上で経営破綻している。それぞれ255億ドル、150億ドルと巨額の負債となっているが、ワールドコムが同じ道をたどれば負債総額は300億ドルを越えて、通信業界では最大規模となろう。

これらの企業は「ドットコムブーム」の頃に、極度に強気の経営計画を建てて過剰な借り入れを行っており、いわばハイテクバブル崩壊の最大の受難者である。実際にはワールドコムも、ユーザーが長距離固定回線電話から携帯電話やeメールなどに流れたために、売上は減少していた。そこで株価を維持するために、違法な会計処理に手を出したわけだ。

しかしITをめぐる状況が改善しない限り、米国経済の本格的な回復などはあり得ない。相次ぐ通信業界大手の経営破綻は、そのことをあらためて投資家に印象づけたといえる。

 

○米国の「3つの不安」と東アジア

つまるところ株安とドル安は、「企業会計への不信」と「長引くIT不況」、さらに「テロとの戦争」という3つの不安が、投資家の心理に影響しているからであろう。いずれの不安も解消されるまでには時間を必要とする。そしてそれがない限り、米国経済が順調な回復軌道に乗ることは難しいだろう。

とくにテロの問題は深刻だ。中東情勢やインド・パキスタン紛争が収まらない中で、米国に対する新たなテロ計画の噂もある。ブッシュ大統領は5月23日のドイツにおける共同記者会見で、「サダムと対峙することは米国に課せられた歴史の要請」と述べ、さらに6月1日のウェストポイントの陸軍士官学校での演説では、「テロに対しては先制攻撃もあり得る」と述べた。もはや米国によるイラク攻撃は、「ifではなくwhenの問題」と見ておくべきであろう。「9・11」後のブッシュ政権においては、経済政策は安全保障政策の下位概念になってしまっている。「財政赤字が心配だから、戦争は止めておこう」などという決断はあり得ない。準戦時モードはこれからも続くだろう。

こうした視点で世界を見渡すと、これら3つの不安からもっとも遠くにいるのが日本を含む東アジア経済である。まずこれらの地域では、企業会計はもともとあまり信用されていないので、ワールドコム・ショックなどとは無縁である。次にIT関連では、ワールドカップの効果もあってAV製品の売れ行きがよく、むしろミニブームが起きている。そしてテロによる脅威は、世界でもっとも少ない地域である。

現在は、「米国が駄目なら日本も駄目」という見方が支配的であり、日本をはじめとするアジアの株価は不安定な状態が続いている。しかし今後、グローバルな資金がアジアを目指して動き始めても、少しも不思議ではない。ひょっとすると、われわれはアジア経済のバイタリティを過小評価してはいないだろうか。過度な悲観論は控えることにしたい。

以上