溜池通信vol.110

Weekly Newsletter June 29, 2001

日商岩井ビジネス戦略研究所

主任エコノミスト 吉崎達彦発

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特集:近未来架空小説・小泉政権 1p

<From the Editor> 「あとがき」 8p

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特集:近未来架空小説・小泉政権

 

きわめつけの政局話を書こう、と思っていろいろ考えているうちに、こんなものができてしまいました。ポリティカル・フィクション、というよりは「こうなったら面白い」という願望のようなものです。筆者は週刊ダイヤモンドで連載中の「寸前暗黒」(黒河小太郎)の大ファンで欠かさず読んでいますが、なるほど難しいものだと感じました。

ともあれ、以下は当たるも八卦、当たらぬも八卦のフィクションです。今後の政局を読む上の「補助線」になれば幸いです。

 

 

● 6月28日(木)

 

総理執務室のドアを開けて入ってきたのは、編集長こと安倍晋三官房副長官だった。

「今週の『らいおん・はーと』です。第3号で購読者数は200万人を超えました」

「それはすごい」

小泉首相は椅子に深く沈めていた体を起こし、書類を受け取った。

「メルマガの部数としては世界最大です。ギネスブックに登録を申請しています」

「――そんなことより」

もっと話したそうなメルマガ編集長を制して、小泉首相は尋ねた。

「俺はキャンプ・デービッドに何を着ていけばいいのかな。外務省は、そういうことは何も教えてくれないんだよ」

日米首脳会談は2日後に迫っていた。ホワイトハウスで会うのとは違い、土曜日に大統領の別荘で会うとなれば、多少はドレスダウンが必要である。カメラ写りも気になるところだし、休日のブッシュ大統領がどんな服装を好むかも調べておきたいところだ。加えて小泉純一郎は、普段着のセンスがお世辞にもいいとはいえない。あらためて私服を新調するにしても、残された時間は短かい。

「最近の外務省はそれどころではないのでしょう」

安倍は父の秘書として外務大臣秘書官を務めたことがある。福田官房長官とともに、外務官僚寄りの立場である。つい言葉のはしばしに田中外相批判が顔をのぞかせる。そういうとき、小泉首相はいつも巧みに話題をそらしてしまう。

「君が言った通り、首脳会談に備えて『アーミテージ・レポート』を読み返していたところだよ。いいことが書いてあるね」

 小泉首相はそう言うと、赤鉛筆を何重にも入れたペーパーを見せた。

「とくに気に入ったのは政治の部分だな。『自民党は政権を何とか維持し、野党は受け皿を提供できず、国民は渋々自民党に政権を委ねてきた』。さすがは米国を代表する知日派たちだ。日本政治の閉塞状況を的確に把握しているよ」。

アーミテージ・レポートが発表されたのは森政権がすでに煮詰まって、加藤政局が始まる直前の昨年10月である。

「それからこうも言っている。『現在の指導者に、急激な改革や世界的な舞台での高い地位を期待することは非現実的であろう』。こういう分析をするスタッフがブッシュ政権に入っているということは、彼らは従来の自民党政治にはまったく期待していないということだな」。

「おっしゃる通りです。人材がいないというだけでなく、『日本の議会制度は、長期的な利得のために短期的な痛みを伴う政策を実行するのに適していない。日本の政治システムはリスクを避けている』と、システム上の問題にも言及しています」。

「うん、なんで自分がこんなに米国側の評価が高いのかがやっと分かったよ。つまり彼らは、俺が今までの自民党らしくないから期待しているわけだ」

 米国のブッシュ政権だけでなく、ほかならぬ日本の有権者も同じ気持ちで小泉政権に高い支持率を与えているのだが、安倍はわざわざ指摘するまでもないと思った。

「妙なもんだ。俺は外交なんてまったくやったことがないのに、変に期待されている。田中真紀子がワシントンで大歓迎されたことも同じ理屈なんだろうな」

 総理がどこまで本気なのかは見当がつかなかった。安倍は話題を変えた。

「首脳会談について、中曽根さんは何か言っておられたのではありませんか」

「聞いたよ。大勲位はゴルフシャツにジャケットだったそうだ。でもそれって15年も前の話だぜ。おい、せめて北米局に電話して、この季節のキャンプ・デービッドの気温がどれくらいか聞いておいてくれ」

「至急手配します」

「それから例のリストの作成をよろしく頼むよ。公示日まではあまり日がないからな。山崎幹事長や竹中大臣ともよく相談して、なるべく分かりやすくて、覚えやすいやつを作ってくれ」

 総理の指示はそれですべてだった。総理執務室を去るとき、安倍はもう一度振り返ってみた。小泉純一郎が熱心に読んでいたのは、たった今受け取った「らいおんはーと」ではなく、もう何度も読んだはずの「アーミテージ・レポート」の方だった。

 

● 7月12日(木)

 

参議院議員の公示日の朝、自民党の全候補者は党本部に集合した。党の「公認証」と現金で用意された選挙資金を受け取るためである。だが、この日の山崎幹事長はもうひとつの「お土産」を用意していた。それは10か条からなる質問状だった。

「ここにちょっとしたアンケートがある。皆さんはそれに対し、この場で賛成か反対かを表明してほしい。それが終わった人から、公認証と選挙資金をお渡しする」

 会場はざわめいた。質問状のことはごく一部のスタッフしか知らされておらず、肝心の候補者たちさえ、しきりに左右を見渡すばかりだった。

 山崎幹事長は続けた。

「どんな答え方をしても構わないし、全部に賛成せよと強制するつもりもない。ただし皆さんの答えはすべて公表されるし、来週の『らいおんはーと』で小泉首相が講評する。よろしいかな」

質問状には、「道路特定財源の使途範囲拡大」「郵政三事業の民営化」「地方交付税の見直し」など、小泉改革の主要イシューが並び、それぞれに「賛成」「反対」という2つの選択肢が並んでいた。

「これは踏み絵じゃないか!」

議員の間からはため息が漏れた。だが、それにかぶせるようにして、山崎幹事長が言った。

「党の公認を背負って選挙を戦うからには、ある程度は党総裁の方針に従ってもらわねばならない。だが、わが自由民主党は多様な価値観を認める自由主義政党だ。異論を挟むことは大いに結構である」

候補者の間から、う〜んという声が漏れた。8割以上の支持率を誇る小泉首相の方針に異を唱えた場合、どういうことになるかは6月24日の都議会議員選挙の結果がよく表していた。

「私の支持母体の性格上、とてもこのような政策に賛成は出来ない」

特定郵便局をバックに比例代表に挑戦する某候補者が抗議したが、

「もちろん反対していただいて結構。今回は非拘束名簿方式です。強力な団体がついている方は、落選の心配はないでしょう」

と、片づけられてしまった。

 その後、自民党本部で行われた記者会見で、山崎幹事長は「これはコントラクト・ウィズ・コイズミだ」と表現した。1994年の米国中間選挙で、共和党のギングリッジ下院議員が中心になって「コントラクト・ウィズ・アメリカ」という公約を作成した。これに賛同した新人候補者が大量に当選し、選挙後には一大勢力を作ったという故事にちなんでいる。

「賛成より反対の数が多い候補者に対して、党として不利な扱いはいたしません」

と山崎幹事長は繰り返した。

「ただし、小泉首相が応援演説を行うのは、10問全部に賛成してくれた候補者からになるでしょう」

 さっそくその日の夕刊紙には、自民党の全候補者が「トリプルA」(10問全部に賛成)から、「ジャンクボンド」(賛成が3問以下)までに格付けされた表が載ってしまった。

さらに騒ぎが大きくなったのは、その日の夜のニュース番組に登場した民主党の鳩山代表が、「私はコントラクト・ウィズ・コイズミの10問すべてに賛成だ」と述べたことである。

 このニュースはたちどころに全国を駆け巡った。「日本政治に最強の派閥、小泉派が誕生した」「参議院選が終われば、政界再編が始まるぞ」――小泉政権の構造改革に対する見方は一夜にして変わった。

 

● 7月13日(金)

 

明けて13日。SQに当たる第2金曜日は得てして相場が荒れる。だが、これほど荒れた日はめずらしい。マーケットに携わる誰もが、

「13日の金曜日」

を意識せざるを得なかった。

火が点くような騒ぎが始まったのは国土交通省の建設記者クラブと、東京商工会議所の流通記者クラブである。前々からとかく噂のあったゼネコンと流通の併せて数社が、同時に「午後5時からの記者会見」を申し入れたからである。金曜日の午後5時に行われる記者会見とあれば、内容は予想がつく。民事再生法の申請か、債権放棄の要請か。全国各地の投資家が悲鳴を上げた。

「やられた!そういえば去年の大手百貨店そごうもこの時期だった…」

株主総会が終われば、銀行の動きは一気に加速する。まして時価会計への移行を迫られる9月末中間決算を控えて、不良債権処理はもう待ったなしの状態だった。法的処理(民事再生法)か私的処理(債権放棄)か。いずれにせよ思い切ったアクションが必要だった。

 株式市場は前日夜からの改革への期待感を受け、高値で始まったものの昼にかけて急降下した。怪情報が乱れ飛び、個別の銘柄のストップ安が続出した。さらに午後になると、「不良債権処理が劇的に進むかもしれない」と見た外国人投資家の買いが入り、売り買いが交錯した。

その日の夜、山崎幹事長はひそかに首相公邸を訪ねた。

「まったくムチャするぜ。Xデイを参議院選挙の前にもってくるとはな。俺はあんたや加藤のように自分の選挙が強くないから、見ていてハラハラするよ」

毎日連絡を取り合うYKKの盟友同士である。面と向かうと、山崎拓は実に遠慮のない口振りになった。

「柳沢大臣に無理を言って、予定を早めてもらったのさ。少し手荒な真似をしてしまったが、このくらいのペースで取りかからないと、とてもじゃないが日本経済はもたないよ。俺はキャンプ・デービッドでブッシュにきつく言われたからな」

小泉純一郎も余人を挟まない会談にリラックスしていた。

「だが、これで確実に景気は悪くなるぞ。小泉内閣の支持率も下がる。それでもいいのか」

山崎が不安そうに尋ねた。

「以前、あんたが言ったじゃないか。土井社会党、細川日本新党、鳩山民主党、みんなブームは1年限りだった。俺の人気もいつまであるか分からない。だったら今のうちに勝負しなければ」

「そのためにはハードランディングも辞さず、というわけか」

「敵を燻り出すにはかえって好都合じゃないか。ある程度、俺の評判が落ちないことには、彼らも動きが取れないだろう」

小泉首相は平然と言い放った。

「あんたは本気だな。だが、これで橋本派は本気で動き出すだろう。本当の意味で『獅子身中の虫』ということだな」

「おっと、ライオンを甘く見ちゃいかんよ」

 2人は静かに笑った。

 

● 8月

 

小泉首相はジェノバ・サミットを無難に乗り切った。参議院選では、自民党が70議席獲得の大勝利となった。もっとも当選した議員の中身は「小泉コントラクト軍団」と「特定利益代表」にくっきりと分かれており、いつ分裂に向かうか見当がつかなかった。しかし守旧派はまだ「小泉降ろし」に動き出すきっかけがつかめない。一方、小泉政権の「聖域なき構造改革路線」は民意というお墨付きを得て、あとは実行あるのみだった。

問題は日本経済の状況だった。7月末に発表された5月の雇用統計で、完全失業率は戦後最悪の5.0%となった。これまで何度も4.9%まではいきながら、初めて到達した「大台」である。それだけではない。家計消費支出、住宅着工戸数、鉱工業生産、機械受注、そして通関統計と、あらゆるデータが景気の悪化を指し示していた。とくに公共事業への依存度が大きい地域では、景気の冷え込みは深刻だった。

こうしたなかで、竹中経済財政担当大臣が気にしていたのは4-6月期のGDP統計である。1-3月期に続いてマイナス成長となれば、全世界的に「日本の景気後退」が印象づけられる。数値が発表されるのは普通なら9月10日前後。しかし、「QEの発表を迅速に」という竹中大臣の指示のもと、速報値の8月下旬発表の計画が進みつつあった。

例年この時期になると、自民党の側から「補正予算の編成を」という声が上がる。そこで政府側が「4-6月期の数字を見てみないと」と答えて時間を稼ぐのが、これまでの常套手段だった。その手が使えない。竹中大臣は経済復調の兆しを必死で捜したが、唯一の明るいデータは自殺者の数が減っているということくらいだった。

8月15日。小泉首相はかねてから表明していた通り、1985年の中曽根首相以来、戦後2度目となる靖国神社への公式参拝に踏み切る。読売、産経新聞は支持、朝日、毎日新聞は不支持。NHKと日経新聞は態度を明確にすることを避けた。小泉政権に対するマスコミの論調ははっきりと分かれた。

他方、その直前に田中外相が訪中し、農産品へのセーフガード発動を撤回し、険悪化していた日中間の摩擦は一応の収束を見た。だが農業団体からは、「小泉首相は靖国参拝のためにネギと椎茸を捨てた」という非難が殺到した。これらの事件を契機に、小泉政権の支持率は50%台に低下した。

そして8月下旬。恐れていたことがやってきた。21日のFOMCで米連銀は今年7度目の利下げに踏み切ったが、同日のニューヨーク株式市場は暴落。ダウ平均が9000ドル前後に低下し、ドルは対円、対ユーロで下落を始めた。

 その翌朝が、偶然にも前倒しされたQE公表日と重なった。内閣府が発表した4‐6月期実質GDPは年率2%のマイナス成長。当然、日本の株式市場も暴落。債券市場では長期金利が1%を割り込んだ。

新聞の見出しには「8月危機」という文字が並んだ。そして構造改革路線に対する怨嗟の声は全国で着実に増大していった。

 

● 9月

 

約半年間、鳴りを潜めていた甲高い声が永田町に響きわたった。

「総理は、自ら招いた小泉恐慌の責任を取らなければなりません!」

野中元幹事長の号令一下、自民党は9月末の総裁選に向けて動き出した。対立候補として浮上したのは麻生太郎政調会長。5兆円規模の補正予算と緊急株価対策、国土の均衡ある発展とゆとりある改革、といった公約を掲げ、熾烈な選挙戦が始まった。都市部と地方、構造改革と景気回復で自民党は見事に2つに割れた。

過酷な選挙戦を僅差で制したのは麻生の側だった。小泉から麻生への引継ぎは、自民党本部の総裁室で行われた。多くのカメラが放列を作る中、小泉前総裁は不敵にこう言い放った。

「麻生さん、おめでとう。これであなたが自民党総裁だ。だが、今も私がこの国の総理大臣であることに変わりはない」

麻生は面食らった。

「小泉さん、何を言うんですか。臨時国会を召集したら、すぐに首班指名選挙があるじゃないですか」

「いや、その前に私が総理としての権限を行使する」

周囲は顔色を失った。

「臨時国会の冒頭解散、ということですか?そんなことができるはずがない」

「できるさ。解散権は私にある。反対する閣僚には辞めていただく。それに、」

そこまで言って、小泉は小冊子を取り出した。

「これが間に合ったからね」

それは2000年国勢調査に沿って作られた新しい衆議院の選挙区割り案だった。

「定数是正ができて、違憲状態が解消するのであれば、私は国民の信を問うことにためらいはない」

この脅しは効いた。都市部の定数が増えることになれば、その分を「小泉コントラクト」派の新人議員が埋めることは間違いない。逆に地方の議席は減らされることになる。つまり総選挙に出れば、守旧勢力に勝ち目はないのである。

進退に窮した野中元幹事長がひねくり出した案は、なんと「総・総分離論」だった。角福対立がピークを迎えた「四十日戦争」の時代の知恵である。小泉総理、麻生総裁が一致協力して難局に当たるという、いかにも自民党的な妥協が成立した。ただし山崎幹事長が留任となるなど、この勝負は誰が見ても小泉側の勝利だった。

以後の政策運営は、明らかな「政高党低」で行われることになる。

 

● 10月

 

臨時国会の直前、小泉首相はひそかに塩川財務大臣を官邸に呼んだ。

「景気はかなり危機的だと思うが、どうですか」

「はぁ、しかし、なんですな。財務省というのは、したたかな役所ですわ。真水で3兆円程度の規模であれば、補正予算を打ちつつ、平成14年度の公債発行額を30兆円に抑えることができますようで」

「どんなトリックがあるのですか」

「実は財政の中期展望では、10年もの国債金利を3.2%で計算しております。ところが実際のレートは1%程度しかありませんのですわ。ほかにも平成13年度の一般会計剰余金が1.8兆円あったり、予備費が0.35兆円計上されていたりで、そういうお金を掻き集めれば、3兆円くらいはよろしいかと」

「ただし、平成15年度以降の国債新発額を抑制することは非常に難しいはずだ。プライマリーバランスの均衡も当分はできないでしょう。ということは、これは最後の補正予算になる。塩川さん、私が何をやろうとしているか、お分かりですか」

「あなたのことですから、公共事業を振りまくつもりではありますまいな」

「おっしゃる通り。この大切な金は、日本の明日のために使わなければなりません。私は祈るような思いで、この3兆円を使います」

ほどなくして補正予算の構想が発表された。主な使途は、司法制度改革審議会が6月に発表した「法曹人口の5万人規模への拡大」と「日本版ロースクールの創設」だった。司法改革は、日本の制度改革における重要な項目であるにもかかわらず、予算措置がまったく取られていなかったのである。

翌日の各紙は、「最後の補正予算は“平成の米百俵”」という見出しでこの決断を称えた。それと同時に、「日本の改革はもう後戻りがなくなった」と判断した外人買いが復活し、株式市場は熱気を取り戻した。

 

● 11月

 

秋はAPEC首脳会議などの外交日程が立て込み、首相の周辺は多忙を極めた。大手企業の倒産や失業の増加といった「改革の痛み」が現実のものとなり、心身の休まらない状態が続いた。「総・総分離」という変則的な体制によるトラブルも後を絶たなかった。そしてそのたびに、小泉首相は「解散権」をちらつかせて対抗した。

11月24日、皇太子妃が「お世継ぎ」を出産した。国民全体が慶祝ムードに沸いたその夜、小泉首相は過労で入院した。小渕首相のケースを懸念した官邸スタッフは厳重体制を引いた。丸1日にわたる昏睡状態が続いたが、幸いにもたいしたことはなく、夜には意識が回復した。駆けつけていた福田官房長官以下は安堵のため息を漏らした。

総理の枕元で会話が弾み始めたとき、安倍官房副長官が入ってきた。

「面会謝絶にしていたのですが、めずらしい人がお見舞いに来ています。一人だけ、通してよろしいでしょうか」

病室に入ってきたのは、ちょうどその日の九州場所千秋楽で優勝を決めた貴乃花だった。大きな体を小さく丸めるようにして、横綱は言った。

「お蔭様でケガから立ち直ることができました。総理に言っていただいたあのひとことが励みになりました。今日はぜひお礼を言いたくて参上しました」

「そういえば、そんなこともあったな」

と、ベッドの上の小泉純一郎は応じた。

「痛みに耐えてよく頑張った、感動した、か。日本経済がそんなふうに言ってもらえるのは、いつの日になるのかな」

病室に沈黙が流れた。ややあって、安倍編集長が言った。

「今の一言は良かったですね。今週の『らいおん・はーと』の編集後記で紹介させてもらいますよ」

 

 

 

 

<From the Editor> あとがき

 

 あらためて申すまでもないことですが、今週号は100%筆者の想像力の産物です。登場人物・団体に対する利害関係はありませんし、特段の内部情報を得ているわけでもありません。だったらなぜこんなものを書いたかと聞かれたら、自分でもよく分からないとしか言いようがありません。

 書き終えて、われながら変なものを書いてしまったという思いと、読者の反応を聞いてみたいという思いが交錯しています。遠慮のないご意見をいただければ幸いです。

 

 

編集者敬白

 

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